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導入
ある日、YouTube を眺めていたら、こんなサムネが流れてきました。
「AI時代は暗記不要!」
正直に言うと、その動画は一本も見ていません。
内容にツッコミたいわけではなく、この一文だけで頭の中に
「そのフレーム自体が、なんかちがう気がするぞ……」
というモヤモヤが立ち上がってしまったからです。
ここ数年、
- 「知識は全部ググる/AIに聞けばいい」
- 「これからは暗記より思考力」
- 「学校教育もAI前提に作り替えるべき」
といったメッセージを、ニュースや動画や本のタイトルで目にする機会が増えました。
一見するととても合理的ですし、実際、生成AIや検索エンジンのおかげで「知識そのもの」を取り出すコストは劇的に下がっています。
ただ、「暗記不要」「暗記より思考力」というフレーズを、そのまま素直に受け入れてしまっていいのか?と考え始めると、いくつか引っかかるポイントが見えてきます。
たとえば──
- 九九のような基礎暗算は、本当に“電卓に外注して終わり”でいいのか?
- フェルミ推定のような「ざっくり見積もる思考法」は、AIがあるともう不要なのか?
- セレンディピティ(思いがけない発見)は、「全部AIに聞く」スタイルでどこまで起こりうるのか?
このあたりを、
「暗記 vs 思考」みたいな雑な二項対立ではなく、
暗記 × 思考 × AI
をどう組み合わせると、
ひらめきやセレンディピティの“期待値”が上がるのか?
という視点から整理してみたい、というのがこのエッセイの動機です。
なのでこれは、冒頭の YouTube 動画の「内容」への反論ではなく、
「AI時代は暗記不要!」というフレーズが象徴している空気そのものに対して、 いったん数理寄りのOSでツッコミを入れてみる話
だと思って読んでください。
この記事を読むと分かることは、ざっくり次の3つです。
- AI時代でも「全部は外注しないほうがいい暗記」が残りそうな理由
- 九九やフェルミ推定が、思考のスピードやひらめき(セレンディピティ)にどう効いてくるのか
- 「どこまでAIに任せて、どこから自分で考えるか」を設計するときの、ちょっと数理寄りなヒント
※本文中に軽い数式やPythonコードが出てきますが、
これは筆者が頭の中をモデル化するために書いているだけなので、
読み飛ばしていただいても問題なく読める構成にしてあります。
「AIがあるから暗記不要」という一見もっともらしい話
ここ数年で、よく耳にする主張として、
- 「知識はググるかAIに聞けばいい」
- 「これからは暗記より思考力だ」
- 「学校教育はAIを前提に組み直すべきだ」
といったものがあります。
実際、AIを教育に取り入れることで、
- 学習の個別最適化
- 自動フィードバック
- 教師の作業負担の軽減
といったメリットが期待されています。
一方で、AIへの依存が高まりすぎると、
- 批判的思考や判断のプロセスをAIに丸投げしてしまう
- 「何が正しい知識か」の判断をビッグテックのアルゴリズムに預けてしまう
といった懸念も、心理学や教育研究の文脈で指摘されています。
たとえば Tian & Zhang (2025) は、学習者の生成AIへの依存度とクリティカルシンキングの関係を調べ、AIへの依存が高いほど批判的思考が低下しやすい一方で、AIリテラシーが高い学習者ではその悪影響が弱まることを報告しています。
「暗記を減らして、思考に集中したほうが合理的」という考え方は、
短期的な効率性という意味ではもっともらしく見えますが、
長期的な“頭の土壌”という観点では、慎重に考えたほうがよさそうです。
セレンディピティとは何か? AIでは代替しづらい部分
ここで出てくるのが、セレンディピティ(serendipity) という言葉です。
もともとセレンディピティは、
他のものを探している途中で、思いがけず価値あるものを発見してしまうこと
のような意味で使われてきました。
科学史やイノベーション研究では、偶然の出来事と、それを見逃さない洞察力の組み合わせとして語られることが多いようです。
代表的な例として、次のような“偶然の発明”がよく挙げられます。
- ペニシリンの発見
- ポストイットの開発
- 電子レンジの誕生 など
いずれも、実験の失敗や装置の異常のような「偶然の出来事」を、
「おや?」と面白がって追いかけたところから生まれたとされています。
社会学者の Robert K. Merton らによる古典的な整理では、
セレンディピティは 「discoveries made by accident and sagacity(偶然と英知による発見)」 と定義され、
“accident × sagacity” の掛け算として論じられています。
ここから言えるのは、セレンディピティには
- 偶然の出来事
- それを意味あるものとして認識できる“準備された頭”
の両方が必要だということです。
AIは、1の「例外的なパターンを大量に洗い出す」といったところは得意ですが、
2の「自分の頭にある知識や違和感にもとづいて、そこから価値を読み取る」部分は、どうしても人間側の蓄積に依存します。
この「準備された頭」をつくるうえで、九九のような一見“単なる暗記”に見えるものも、
実は重要な役割を持っているのではないか、というのがここから先の話です。
九九は「計算のため」ではなく「思考のレイテンシを下げる基盤」
「電卓やスマホがあるのだから、九九はもういらないのでは?」
という意見は、一度は考えたことがあるかもしれません。
ただ、九九の価値を「正確な答えを早く出すため」だけだと捉えると、
電卓の前に完全に負けてしまいます。
ここでは、九九の役割を少し視点を変えて見てみます。
※ここから少しだけ、時間や負荷をざっくり数式で書いてみます(数式部分は読み飛ばしていただいても大丈夫です)。
「思考レイテンシ」という簡単なモデル
ごく簡単なモデルを考えてみます。
- 人間の頭で九九レベルの暗算をする時間を $L_{\text{brain}}$(秒)
- AIや電卓に問いかけて答えが返ってくるまでの時間を $L_{\text{tool}}$(秒)
とします。
ある思考プロセスで、こうした「小さな計算」を $n$ 回行うとすると、合計時間はざっくり、
- 人間の頭でやる場合
$$
T_{\text{brain}} = n \times L_{\text{brain}}
$$
- 毎回ツールに任せる場合
$$
T_{\text{tool}} = n \times L_{\text{tool}}
$$
と書けます。
例えば、ざっくりとして
- $L_{\text{brain}} = 0.5$ 秒(九九レベルの暗算)
- $L_{\text{tool}} = 3$ 秒(スマホやAIに聞いて、画面を確認するまで)
- $n = 20$ 回(1日のうちで、ちょっとした見積もりをする回数)
だとすると、1日の差は
- $T_{\text{brain}} = 10$ 秒
- $T_{\text{tool}} = 60$ 秒
になり、1日あたり 50 秒の差です。
これを 200 日(平日ベース)続けると、
$$
50\ \text{秒} \times 200\ \text{日} = 10{,}000\ \text{秒} \approx 2.8\ \text{時間}
$$
と、トータルでは“数時間”レベルの差になります。
時間だけ見れば「誤差」と言えなくもありませんが、
ここで大事なのは、単純な損得だけでなく、
0.5 秒 vs 3 秒 の差が、「思考が途切れずに流れるかどうか」に効いてくる
という点です。
- 暗算なら、その場で思考を止めずに次の仮説に進める
- 毎回ツールに切り替えると、そのたびに手が止まり、思考の流れが細切れになる
結果として、
「あ、これとあれ、つながるかも」
といった小さなひらめきが生まれるチャンス自体も、
レイテンシの差に引きずられて変わっていく可能性があります。
現場でも感じる「九九のある/なし」の違い
これは仕事の場面でも、なんとなく実感があるところかもしれません。
会議中にちょっとした見積もりが必要になったとき、
- 九九レベルの暗算で「だいたい◯万円くらいですね」とその場で返せる人と
- 毎回スマホやPCに手を伸ばして電卓を叩く人
では、
- その場で次の案を出せるかどうか
- その数値に対して「それって高いのか安いのか」をすぐコメントできるかどうか
に、けっこう差が出ます。
数字そのものの正確さよりも、
「議論を止めずに前に進められるかどうか」に九九が効いている場面は、思った以上に多いように感じます。
九九=思考OSの一部としての暗記
数学教育の研究では、基本的な掛け算の答えを自動的に取り出せる状態(automaticity)になっているかどうかが、その後の数学パフォーマンスや自信と関連する、という報告が多くあります。
- 基本の九九が自動化されていないと、少し複雑な問題に取り組むときに「計算だけで頭のリソースを使い切ってしまう」
- その結果、文章の意味理解や解法の発想に回せる余裕が減ってしまう
といった形で、影響が出るようです。
NCTM(全米数学教師協議会)の資料でも、基礎計算の自動性は高次の問題解決のための土台だと繰り返し強調されています。
こうした観点から見ると、九九は
計算アプリの“下位互換”ではなく、
レイテンシの低い思考OSの一部
として位置づけるほうが、しっくりきます。
「九九を覚えること」そのものが目的なのではなく、
九九が頭にあることで思考レイテンシが下がり、 ひらめきの枝分かれが増える可能性がある──
そう考えると、「暗記=古い/AI=新しい」という単純な図式とは違う景色が見えてきます。
フェルミ推定と「思考ブーストとしての暗記」
次に、よくビジネスや教育の場で登場するフェルミ推定を例に考えてみます。
フェルミ推定のざっくりモデル
フェルミ推定は、
正確なデータがない状況で、合理的な仮定と分解を使ってオーダー(桁)を見積もる手法
として知られています。
例えば、
「日本で1日に消費されるペットボトルは何本か?」
という問いに対して、かなりラフに
- 日本の人口:ざっくり $1.2 \times 10^8$ 人
- ペットボトル飲料を飲む人の割合:1/2 くらい
- 飲む人が1日に使う本数:平均 1 本くらい
と仮定すると、見積もりは
$$
1.2 \times 10^8 \times \frac{1}{2} \times 1 \approx 6 \times 10^7
$$
となり、「日本では1日あたり数千万本規模でペットボトルが消費されていそうだ」という結論にたどり着きます。
STEM教育におけるフェルミ問題のレビューでは、
この種の問題が、推定スキル・モデリング・21世紀型能力の育成に役立つとされています。
小さな暗記が「思考ブースト」になる
ここで、ざっくりとした“思考のしんどさ”をモデル化してみます。
- フェルミ推定1問を解くときの思考ステップ数を $k$
- 九九や単位が頭に入っていないときのステップあたりの負荷を $c_{\text{slow}}$
- 頭に入っているときの負荷を $c_{\text{fast}}$
とすると、1問あたりの「しんどさ」は、
$$
C_{\text{slow}} = k \cdot c_{\text{slow}}, \quad
C_{\text{fast}} = k \cdot c_{\text{fast}}
$$
のように書けます。
この差が大きいと、
- 「フェルミ推定おもしろいからもう一問やってみよう」
- 「別の問題でも試してみよう」
と思えるかどうかにも影響してきます。
つまり、小さな暗記パーツ(九九・単位感覚など)は、
フェルミ推定的な“思考術”にとってのブースター
として働いている、と見ることもできそうです。
セレンディピティをざっくり数式とPythonで眺めてみる
ここまでの話を、かなり乱暴に「期待値」の話として眺めてみます。
※ここもイメージ用の式とコードなので、読み飛ばしても問題ありません。
期待値モデル:偶然 × ひらめきの確率
何かに取り組んでいるときの1ステップを、ざっくり次のようなモデルで表してみます。
- 普通にやっていれば得られる“日々の成果”の価値:$a$
- セレンディピティ的な大きな発見の価値:$V$($V \gg a$)
- セレンディピティがそのステップで起きる確率:$p$
とすると、1ステップあたりの期待値は
$$
\mathbb{E}[\text{価値}] = a + p \cdot V
$$
のように書けます。
ここで、
- AIにかなり依存するスタイルを「モードA」
- 自分の頭の中にある程度知識を持ちつつAIも使うスタイルを「モードB」
と呼ぶことにして、
- モードA:セレンディピティ確率 $p_A$
- モードB:セレンディピティ確率 $p_B$(こちらの方が少し高いと仮定)
とすると、期待値の差は
$$
\Delta \mathbb{E} = (p_B – p_A) \cdot V
$$
になります。
$p_B – p_A$ が小さくても、
$V$ が「人生を変える発見」「事業レベルのアイデア」のように大きければ、
この差は無視できなくなります。
「セレンディピティの確率をわずかに上げるために、
頭の中にどれだけ“余白の知識”を置いておくか」
という問いは、期待値の話としてもそれなりに意味がありそうです。
超ざっくりPythonシミュレーション
イメージとして、簡単なPythonコードで
「セレンディピティ確率の差が長期的にどう効いてくるか」を眺めてみます。
※あくまで“雰囲気を見るだけ”のモデルです。コード部分は完全に読み飛ばしていただいても大丈夫です。
import random
days = 365 # 1年分
base = 1 # 日々の普通の成果の価値
V = 100 # セレンディピティが起きたときの“ボーナス価値”
p_A = 0.005 # モードA: AI完全依存に近いスタイル(0.5%)
p_B = 0.01 # モードB: 頭の中に知識を持ちつつAIも使うスタイル(1%)
def simulate(p, trials=5000):
total = 0
for _ in range(trials):
value = 0
for _ in range(days):
value += base
if random.random() < p:
value += V
total += value
return total / trials
avg_A = simulate(p_A)
avg_B = simulate(p_B)
print("モードAの平均値:", avg_A)
print("モードBの平均値:", avg_B)
print("差分:", avg_B - avg_A)
実行結果
モードAの平均値: 550.18
モードBの平均値: 731.66
差分: 181.48000000000002
ここでは、
- 「セレンディピティ確率が 0.5% → 1% に上がるだけ」
- 「1日1ステップ、365日続けるだけ」
というかなり単純化した前提にもかかわらず、
1年単位で見ると、積み上がる価値の期待値にはそれなりに差が出てきます。
この“確率を上げる要因”の一つとして、
- 頭の中に“雑に積まれた知識”があること
- 九九やオーダー感覚のような基礎があること
- 「まず少し自分で考えてみる」習慣があること
などが効いているのではないか、というのがこの記事全体の仮説です。
AI時代でも暗記が「完全には不要にならない」と思う4つの理由
ここまでを踏まえて、AIを前提とした世界で
人間側にどのような機能を残し・鍛えていくと良さそうか、
あくまで一つの考え方として 4 つにまとめてみます。
九九や暗算が残る理由:雑な見積もり力(オーダー感覚)
1つ目は、ラフな見積もり力です。
- 一桁〜三桁の掛け算
- 距離・時間・金額などのざっくりした感覚
- 人口や市場規模のイメージ
といった“ざっくり感”が身についていると、
- フェルミ推定が回しやすくなる
- AIやツールが出してきた数字の「ケタ違い」に気づきやすくなる
といったメリットがあります。
九九は、このオーダー感覚を支える基礎パーツの1つとして位置づけられそうです。
「まず自分で30秒考えてみる」習慣
2つ目は、すぐAIに聞かない習慣です。
AIに質問すれば、ほとんどのことは数秒で答えが返ってきます。
だからこそ、
- いきなりAIに投げるのではなく
- まずは30秒〜1分ほど、自分の頭の中だけで考えてみる
という“ちょっとした間”をあえて挟むことが、
セレンディピティのチャンスを残すことにつながるのではないかと思います。
この短い時間の中で、
- 「もしかしてこうかもしれない」
- 「あれとこれ、つながるかも」
といった小さなひらめきが生まれることも多いはずです。
実践するときは、たとえば次のようなルールを自分に課してみるのも一つの方法です。
- ChatGPTや検索エンジンを開く前に、ノートやメモアプリに自分の仮説を3行だけ書いてから質問する
- 会議中に数字が必要になったとき、「まずは頭の中でラフに計算してみてから電卓を叩く」と決めておく
こうした小さな「間」を意識的に挟むことで、AIの便利さを享受しつつも、
セレンディピティが入り込む余白を残しやすくなるはずです。
広く・浅く・雑に知ることを許す
3つ目は、雑な知識を頭の中に撒いておくことです。
「詳しいことは全部AIが教えてくれるから、覚えなくていい」と割り切りすぎてしまうと、
頭の中の知識の凸凹が減っていきます。
むしろ、
- 名前だけ知っている理論
- なんとなく聞いたことがある歴史の出来事
- ふわっとしか分からない概念
といった雑な知識が広く散らばっているほうが、
偶然の結びつき(=セレンディピティ)が起きやすくなるように感じます。
完璧な理解だけを目指すのではなく、
「うろ覚えだけれどおもしろかったもの」を頭の片隅に置いておくことも、
AI時代なりの戦略かもしれません。
ツールとの役割分担を自分でデザインする力
4つ目は、AIとの役割分担を自分で決める力です。
たとえば、次のような線引きが考えられます。
- 高精度な計算はAIに任せるが、オーダー感覚や簡単な暗算は自分でやる
- 詳細な情報整理はAIに頼るが、問いの設計や判断は自分で行う
- 文章の清書や表現のブラッシュアップはAIに任せるが、骨子や主張は自分で考える
こうした“どこまでAIに任せて、どこから自分でやるか”という方針を持っておくことで、
- AIに振り回される側ではなく
- AIをうまく使いこなす側
に立ちやすくなるのではないかと思います。
まとめ
ここまで、AI時代の「暗記不要論」について、
- 九九=思考レイテンシを下げるOSの一部
- フェルミ推定的な見積もりと思考コスト
- セレンディピティを期待値としてざっくり捉えるモデル
といった視点から眺めてきました。
ポイントは、「暗記 vs 思考」という二項対立ではなく、
暗記 × 思考 × AI
(うまく掛け算できると、ひらめきの期待値が少し上がる)
という構図で見てみると、選択肢が増える、ということだと思います。
九九や基礎知識のような一見“古い”ものも、
AIのような“新しい”ツールも、
どちらかを捨てるのではなく、「どこまで残し、どこから任せるか」をデザインする対象として扱ってみる。
そのときに意識しておきたいのは、効率や正確さだけでなく、
- 思考のレイテンシ(途切れにくさ)
- セレンディピティの確率(偶然から何かが生まれる頻度)
といった、少し見えづらい指標かもしれません。
最後に、「まとめのまとめ」として3行で整理すると、こうなります。
- 九九のような基礎暗記は、計算のためだけでなく「思考レイテンシを下げるOS」として残しておく価値がある
- セレンディピティの確率を少しでも上げるには、「まず自分で考える」「雑な知識を頭に撒いておく」といった非効率が効いてくる
- AIは計算や情報整理の強力なツールだからこそ、「どこまで任せてどこから自分で考えるか」を自分でデザインすることが大事
このあたりを頭の片隅に置きつつ、
AIと一緒に、自分なりの「ちょうどいい暗記」と「ちょうどいい依存度」を探っていければよいのかな、と思います。
FAQ(よくある質問)
Q1. AI時代、本当に暗記は不要にならないのでしょうか?
A. 暗記の“量”は、これまでより減らすことができるかもしれません。
ただし、九九のような基本的な事実を自動的に取り出せる状態は、その後の数学学習や問題解決にとって重要だと言われています。
そのため、「すべての暗記をやめてしまう」というよりは、
どのレイヤーまでを頭に入れておくと、思考が楽になるかを考えながら、見直していくのが現実的ではないかと感じます。
Q2. セレンディピティは、単なる“ラッキー”とどう違うのですか?
A. セレンディピティは、「偶然の出来事」と「それを価値あるものとして見抜く準備された頭」がセットになったものとして説明されることが多いです。
同じ偶然に出会っても、知識や経験の蓄積がある人のほうが、
そこから大きな価値を引き出せる可能性が高い、というイメージに近いかもしれません。
Q3. 九九や基礎知識は、どこまで機械に任せても大丈夫なのでしょうか?
A. 高精度な計算処理は、機械に任せても問題ない場面が多いと思います。
一方で、基本的な掛け算の自動性が不足していると、少し複雑な問題に取り組むときに「計算だけでいっぱいいっぱい」になってしまい、上のレイヤーの思考に頭を回しにくくなる、という指摘もあります。
そのため、
- オーダー感覚
- 簡単な暗算
- 単位や桁のざっくりした感覚
といったレベルまでは、人間側に残しておくと安心ではないか、という見方もあります。
Q4. フェルミ推定はAIがあればもう不要ではありませんか?
A. フェルミ推定の目的の1つは、「ざっくりした前提を置き、分解しながらオーダーを見積もる」という思考のクセを身につけることだとされています。
AIがある時代でも、
- AIの出した数字が現実的かどうかをチェックする
- AIに聞く前に、自分なりの仮説や見積もりを作ってみる
といった場面で、この力は役に立つはずです。
なので、AIがあるからこそ、フェルミ推定的な思考が「AIの答えの妥当性を判断する土台」として重要になる、という考え方もできそうです。
Q5. AIに任せすぎると、どんなリスクがあると考えられていますか?
A. 研究や議論の中では、
- 批判的思考や判断をAIに外注しすぎる「認知的依存」
- 「何が正しい知識か」の判断が、特定のプラットフォームのアルゴリズムに集中してしまうこと
といった点が懸念として挙げられています。
AIは非常に便利なツールですが、
どこまで任せ、どこから自分で考えるかという線引きを意識しておくことが、これからますます大事になっていきそうです。
参考文献・参考リンク
- Tian, J., & Zhang, R. (2025). Learners’ AI dependence and critical thinking: The psychological mechanism of fatigue and the social buffering role of AI literacy. Acta Psychologica, 260, 105725.
https://doi.org/10.1016/j.actpsy.2025.105725 - Ross, W., Copeland, S., & Firestein, S. (2024). Serendipity in Scientific Research. Journal of Trial and Error.
https://journal.trialanderror.org/pub/serendipity-in-scientific - Merton, R. K., & Barber, E. (2004). The Travels and Adventures of Serendipity: A Study in Sociological Semantics and the Sociology of Science. Princeton University Press.
https://books.google.com/books?id=l7bcOpKnG-QC - Sawaizumi, S., Katai, O., Kawakami, H., & Shiose, T. (2009). Use of serendipity power for discoveries and inventions. In Intelligent and Evolutionary Systems (Studies in Computational Intelligence, Vol. 187, pp. 163–169). Springer.
https://doi.org/10.1007/978-3-540-95978-6_11 - Woodward, J. (2006). Developing automaticity in multiplication facts: Integrating strategy instruction with timed practice drills. Journal of Behavioral Education, 15(1), 53–67.
https://doi.org/10.1007/s10864-005-9003-8 - Bergman Ärlebäck, J., & Albarracín, L. (2019). The use and potential of Fermi problems in the STEM disciplines to support the development of twenty-first century competencies. Teaching Mathematics and its Applications, 38(1), 1–16.
https://doi.org/10.1093/teamat/hry009
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