ロジックは現実に負けるのか?──エンジニアが語る論理的思考の再評価

ロジックは現実に負けるのか?──エンジニアが語る論理的思考の再評価 数値計算
ロジックは現実に負けるのか?──エンジニアが語る論理的思考の再評価

その他のエッセイはこちら

はじめに

自動車業界でエンジニアとして働く中で、私は日々、ロジカルシンキングを道具として活用している。設計、検証、会議、プレゼン――あらゆる場面で「論理的であること」が求められる。しかし、論理的に導き出したはずの結論が、現実の中でまったく機能しない場面にも幾度となく直面してきた。

ロジカルシンキングは、前提が正しく、因果が明確であるという理想的な条件のもとで成立する。しかし、現実の社会や人間の行動は、必ずしもそのような前提に従って動いてはくれない。ここでは、私自身の経験を踏まえつつ、論理的思考の限界と、それでもなおそれを使い続ける意味について考察する。

ロジカルな仮説と現実のギャップ

ある車両開発プロジェクトにおいて、我々は「燃費向上のためにエンジン制御アルゴリズムを最適化する」という方針を立てた。シミュレーション上では、空燃比や点火時期といった制御パラメータを変数 $x$ として、燃費を関数 $f(x)$ によりモデル化し、理論上5%の改善が見込まれた。これは数理的には「入力に対して最適な出力を得る」問題であり、$f(x)$ を最大化することで燃費向上が達成されると考えたのである。

しかし、実車評価では期待した改善が得られなかった。現実の車両では、ドライバーの操作特性 $u$ や気温・道路状況といった環境変数 $e$ が影響し、実際の燃費は $f(x,u,e)$ のような多変数関数で記述される1。つまり、理論モデルは現実の複雑性を十分に捉えておらず、ロジカルに導いた「改善されるはず」という仮説は、現実のノイズによって容易に崩れたのである。

この構造は、ITエンジニアがアルゴリズムを設計する際にも通じる。たとえば、Webサービスのレスポンス改善のためにキャッシュ戦略を導入したが、実際にはユーザー行動の偏りや予期せぬアクセスパターンによって、逆にパフォーマンスが悪化することがある。ロジックは正しくても、現実はそれに従わない。

それでもロジカルシンキングが必要な理由

では、ロジカルシンキングは無意味なのか。答えは否である。重要なのは、結果ではなく、思考の過程とその構造化にある。

そもそも我々は、複雑な現実を理解しようとする際に、無意識のうちに「論理=真理」と思い込む傾向がある。それは、因果関係という安心感や、説明可能性への欲求に根差していると考えられる。

このような心理的背景も相まって、論理的思考はしばしば「答えそのもの」と誤解されがちであるが、実際には仮説の構造を作るための道具である。仮説とは、現実の観測データに対して構造的な説明を与える試みであり、数理的には「モデル」として表現される。たとえば、ある現象 $Y$ に対して、複数の要因 $X_1,X_2,\dots,X_n$ が関与していると仮定するならば、$Y=f(X_1,X_2,\dots,X_n)$ という関数形を仮定することが、論理的思考の出発点となる2

前述のエンジン制御の例で言えば、仮説を立てる過程で「どの制御パラメータが燃費に影響するのか」「どの走行条件で効果が出やすいのか」「ユーザーの操作特性はどうか」といった論点を整理することで、仮説が外れた場合にも、どこに問題があったのかを構造的に把握できる。これは、モデルの誤差項や外的変数の影響を再評価するプロセスに相当する。

ロジカルな表現がチームの意思疎通を加速する

さらに、ロジカルに思考を表現することは、チーム内での意思疎通を飛躍的に向上させる。

たとえば、車載ソフトウェアのUI設計において、「メニュー階層を浅くするべきか、深くするべきか」という議論が起きたとする。あるメンバーが「浅い方が直感的で使いやすい」と主張したとき、別のメンバーが次のように反論したとする。

「確かに直感性の観点では階層を浅くするメリットがある。
しかし、我々のターゲットユーザーは運転中に操作することが多く、
誤操作のリスクを減らすためには、機能をある程度グルーピングして階層化する方が安全性が高い。
実際に行ったユーザーテストでは、階層が2段以上ある方が誤操作率が15%低下した。
したがって、安全性と操作性のバランスを考慮すれば、階層化は必要であると考える。」

このように、ユーザー特性 → 実験データ → 結論というロジカルな構造で意見を表現することで、感覚的な反論ではなく、チーム全体が納得しやすい議論が可能となる。これは、統計的な仮説検定の構造にも似ており、主張の根拠をデータに基づいて提示することで、議論の信頼性が高まる3。 すなわち、$H_0$ (階層化に効果なし)という帰無仮説に対して、実験結果が有意であるならば、$H_1$ (階層化に効果あり)を支持するという構造である。

ロジカルシンキングは「可能性の地図」

ロジカルシンキングとは、未来を予測する「確定的な答え」を導くものではなく、あくまで「可能性の地図」を描くための道具である。その地図は、現実の地形と完全に一致するわけではない。だが、地図があることで、迷ったときに立ち戻る基点が生まれ、修正の道筋を見つけやすくなる。

この「可能性の地図」は、複数の施策に対して、それぞれの成功確率 $P_i$ と 期待効果 $E_i$ を仮定することで構成される。施策空間 ${(P_1, E_1), (P_2, E_2), \dots, (P_n, E_n)}$ を俯瞰することで、我々は「どの選択肢が、どの程度の見込みと価値を持つか」を構造的に把握できる。ロジカルシンキングは、このような確率空間における座標軸のようなものであり、現実の不確実性の中で方向性を与えてくれる。

すなわち、ロジカルシンキングは「正しさ」を保証するものではなく、「どのような選択肢があり、それぞれにどのような可能性と効果があるのか」を見渡すための地図であり、進むべき方向を示す羅針盤なのである。

結論

ロジカルシンキングによって導かれる結果は、現実においては一つの仮説に過ぎない。しかし、その過程と表現には大きな価値がある。誤りを構造的に認識し、他者と共有し、柔軟に修正していくための基盤として、ロジカルシンキングは不可欠な思考技術である。

現実の複雑さを前提にしながらも、論理という道具を使って前に進むこと。それこそが、現代における思考の成熟であると私は考える。

脚注

  1. $f(x,u,e)$ は、制御パラメータ $x$、ドライバーの操作特性 $u$、環境変数 $e$ によって燃費が変化することを示す数式である。これは「複数の要因が結果に影響する」ことを表している。 ↩︎
  2. これは、「ある結果 $Y$ が、複数の要因 $X_1$ ~ $X_n$ によって決まる」と考えることになる。たとえば「燃費」が「速度」「気温」「運転スタイル」などの要因で変わる、というイメージとなる。 ↩︎
  3. 仮説検定とは、「ある施策が効果があるかどうか」をデータで検証する方法です。たとえば「薬が効くかどうか」を調べる実験のようなものである。 ↩︎

その他のエッセイはこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました