勇者の条件 第1話 敗因は勇者にある

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勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…
勇者の条件 第1話 敗因は勇者にある 人物相関図

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勝利報告ではなく敗北記録

魔王城の奥には、玉座の間よりも冷たい部屋がある。

戦略会議室。

黒い山脈に囲まれた魔王城の、さらに内側。窓の外に見えるのは、月光を吸い込んだような岩肌と、雲の影だけだった。

部屋の中央には、黒い石で作られた長卓が置かれている。

その上には、勝利の証ではなく、敗北の記録が並んでいた。

焼け焦げた軍議録。

欠けた記録水晶。

血の跡が黒く沈んだ地図。

破れた戦記。

折れた封蝋。

人間側の神殿写本。

吟遊詩人の歌を写した粗末な紙束。

それらは、歴代魔王がいかに敗れてきたかを示す資料だった。

部屋に集められているのは、現魔王の側近たちである。

死霊宰相。

竜将。

吸血侯。

記録官。

そして、資料を抱えた小鬼の書庫番。

魔王は玉座に座っていなかった。

長卓の端に立ち、地図を見下ろしている。

地図には、魔王城、王国、聖都、四つの拠点、主要街道、そして過去に勇者が通ったとされる経路が記されていた。

記録官が、欠けた記録水晶に手を置く。

淡い光が揺れ、古い文字が空中に浮かんだ。

「第七魔王、玉座の間にて討伐。討伐者は、東の辺境より出た勇者、および同行者三名」

死霊宰相が、骨ばった指で別の記録をめくる。

「第七魔王軍の城郭防衛は、当時としては最高水準でした。外壁は三重。空堀には炎獣。南側は絶壁。正面軍による突破は確認されておりません」

魔王は地図を見下ろしたまま問う。

「では、どうやって玉座まで来た」

「四天王の拠点が順に落ちています。深海、深森、火山、天空。いずれも勇者一行の関与が記録されています」

竜将が、鼻で笑った。

巨躯の魔族である。背には折りたたまれた翼があり、鱗の隙間から熱が漏れている。戦場に立てば、並の軍ならその姿だけで陣形を崩す。

「つまり、拠点を任された者どもが弱かったのでしょう。我なら、勇者など見つけ次第焼き払います」

魔王は怒鳴らなかった。

竜将を見ただけである。

「見つけ次第、か」

「は」

「では、なぜ歴代の魔王は、見つけられなかった」

竜将の表情が止まった。

会議室に沈黙が落ちる。

歴代魔王の戦略は正しかった

魔王は、卓上に置かれていた黒い駒を一つ取った。

それを魔王城の周囲に置く。

「第七魔王は、魔王城を固めた」

次に、王国の国境へ駒を置く。

「第八魔王は、王国の騎士団を国境に釘付けにした」

聖都へ向かう街道に、黒い線を引く。

「第九魔王は、聖都への街道を断った」

南の海に、深海拠点を示す駒を置く。

「第十魔王は、南の大陸への海路を封じた」

魔王は、ゆっくりと言った。

「いずれも軍事的には正しい」

死霊宰相がうなずく。

「はい。魔王城周辺の防衛、強国への牽制、主要街道の遮断、聖都への圧力。対国家戦略としては妥当です」

吸血侯が口を開く。

細身の魔族だった。青白い顔に薄い笑みを浮かべ、人間の宮廷に紛れ込んでも違和感のない服装をしている。

「人間側の軍は、毎回大きく損耗しています。勇者の時代などと人間は呼びますが、実際には各国も限界まで兵を出している。勇者だけで戦争を終わらせたわけではありません」

「分かっている」

魔王は、地図の上に残った小さな白い駒を指で押さえた。

「軍は道を開く。神殿は結界を張る。王は兵を出す。だが、最後に玉座まで来るのは軍ではない」

間があった。

魔王は言った。

「勇者だ」

死霊宰相が、古い羊皮紙を広げる。

端は焼け、文字の一部は失われていた。

「深海拠点では、沿岸国の艦隊が動いています。深森拠点では、辺境領主の兵。火山拠点では、鉱山都市の民兵。天空要塞では、山岳部隊。いずれも人間側の軍が関与しています」

竜将が腕を組む。

「ならば、勇者一行は各国の軍に匹敵する戦力だったということですか」

吸血侯が軽く笑う。

「人間どもの記録を信じるならば、そうなります。深海の司令官を討ち、深森の中枢を破り、火山の防衛線を越え、天空要塞の主を倒した。どれも、通常の軍では容易に成し得ぬことです」

「人間の記録など、飾りが多い」

竜将が吐き捨てる。

魔王はうなずいた。

「飾りはあるだろう」

そして、白い駒を指先で弾く。

「だが、魔王を討ったという事実は残る」

誰も反論しなかった。

死霊宰相が静かに続ける。

「各国軍の損耗は記録されています。ですが、拠点攻略の決定打はいずれも勇者一行とされています」

竜将が低く唸る。

「異常な少数戦力、ということか」

「そうだ」

魔王は古い戦記を閉じた。

「記録が正しければ、勇者一行は軍に匹敵する。記録が誇張であったとしても、魔王を討った事実は残る。どちらにせよ、共通項は変わらぬ」

死霊宰相が問う。

「勇者、ですか」

「そうだ」

魔王は、白い駒を玉座の位置まで進める。

「人間の軍がいかに損耗しようと、各国の思惑がいかに食い違おうと、最後には勇者が魔王城へ届く。ならば、我らが見るべきものは軍だけではない」

竜将が不満げに言う。

「それでも、勇者とて人間でしょう。斬れば死ぬ。焼けば灰になる」

「当然だ」

「ならば、現れてから殺せばよいのでは」

魔王は静かに言った。

「現れてから殺すから、歴代魔王は死んだ」

会議室の空気が変わった。

記録官の筆が止まる。

竜将が口を閉じる。

魔王は、声を荒げない。怒りもしない。だが、その言葉には、戦場の咆哮よりも重いものがあった。

竜将は少しの沈黙の後、なおも言った。

「では、過去の四天王が無能だっただけではありませんか。拠点を任されながら、勇者の侵入を許した」

魔王は首を横に振った。

「無能と切り捨てれば、我らは何も学べぬ」

「しかし敗北は敗北です」

「敗北した者を殺しても、敗因は死なぬ」

竜将が黙った。

死霊宰相も、吸血侯も、記録官も、何も言わない。

魔王は続けた。

「重要なのは、なぜ負けたかだ。そして、なぜ同じ負け方を繰り返したかだ」

死霊宰相が、小さくつぶやく。

「同じ負け方……」

「城を固めても、勇者は来た。国境を塞いでも、勇者は来た。聖都を脅しても、勇者は来た。強国を牽制しても、勇者は来た」

魔王は、地図上の王国、聖都、街道、拠点の駒を一つずつどけていく。

最後に、玉座へ向かう小さな白い駒だけが残った。

「我らは国を見ていた。だが、我らを殺してきたのは国ではない」

魔王は白い駒を指先で倒した。

「勇者だ」

勇者は突然現れない

吸血侯が、人間側の勇者譚を数冊、卓上に置いた。

絵巻。

詩歌。

神殿の写本。

王家の記録。

どの表紙にも、光を背負った人間が描かれている。

「人間どもは、勇者を奇跡と呼びます。神に選ばれ、聖剣に導かれ、運命の仲間と出会う者だと」

魔王は、その一冊を手に取った。

表紙の勇者は、あまりにもまぶしく描かれていた。人間の絵師は、魔王を黒く、勇者を白く描く。それは知っている。

「奇跡で片づけるのは、人間の仕事だ。我らは違う」

記録官が筆を構え直す。

「では、陛下は勇者を何と見ますか」

「発生する脅威だ」

竜将が眉をひそめる。

「脅威が発生する?」

「勇者は玉座の間に突然現れるのではない。どこかの村で生まれ、どこかの道を歩き、どこかで最初の魔物を倒している。剣を覚え、仲間を得て、拠点を越え、ここへ来る」

死霊宰相が言った。

「つまり、成長過程があると」

「あるはずだ」

魔王は、勇者譚の絵巻を閉じる。

「あるならば、見つけられる。見つけられるなら、封じられる」

竜将は何も言わなかった。

反論はあるのだろう。

勇者など戦場で焼けばよいという考えは、まだ捨てていないはずだ。

だが、魔王の問いは竜将の剣よりも深く刺さっていた。

なぜ、見つけられなかったのか。

なぜ、毎度同じように玉座まで届いたのか。

焼け残った勝利記録

そこへ、小鬼の書庫番がおずおずと前に出た。

両腕には、焼け焦げた文書束が抱えられている。彼は弱い。竜将の一息でも吹き飛びそうな体で、震えながら資料を差し出した。

「陛下。古い魔王側の勝利記録ですが……やはり断片しか残っておりません」

魔王は、小鬼の方を向いた。

「読める部分は」

小鬼は緊張で声を震わせながら答える。

「若い魔族が、人間の一部と協力し、巨大な軍事国家を分断した、と。その後の記録は焼失しております」

竜将が不快そうに唸った。

「人間と協力? 魔族が?」

魔王は竜将を見ずに言った。

「それもまた、勝利した時代の記録だ。不快だからと捨てれば、残るのは都合のよい敗北だけになる」

竜将は口を閉じた。

魔王は小鬼の書庫番を見る。

「知らぬことは罪ではない。知ろうとしないことは、罪だ」

小鬼は背筋を伸ばした。

「は、はい。読める箇所をすべて写します」

「歌もだ」

「歌、ですか?」

吸血侯が口元を緩めた。

「人間の勇者譚は歌に多く残っています。ただし、誇張も多い」

「構わぬ」

魔王は、吸血侯の持ってきた吟遊詩人の写本を開いた。

「人間は真実を歌に隠す。誇張を削れば、事実の骨は残る」

小鬼の書庫番は慌ててうなずいた。

「歌も、集めます」

「村の伝承もだ」

死霊宰相が補足する。

「神殿記録だけでは不足でしょう。王家の系図、地方領主の戦記、墓碑銘、絵巻、民間の語りも対象に加えます」

「そうしろ」

対勇者戦略

魔王は地図へ視線を戻した。

黒い駒が国境に並び、魔王城の周囲に重なっている。

「城を固める。強国を牽制する。街道を断つ。聖都を脅す。四天王を配置する。どれも必要だ」

死霊宰相がうなずく。

「はい」

「だが、それだけでは足りない。それは対国家戦略だ。我らに必要なのは、もう一つ」

記録官が筆を構える。

魔王は、倒した白い駒を拾い上げた。

「対勇者戦略だ」

会議室の空気が、静かに変わった。

言葉が生まれた瞬間だった。

勇者の条件を見つける

竜将が低く問う。

「勇者が現れる前に、勇者へ対策するということですか」

「そうだ」

吸血侯が目を細める。

「では、まずは勇者とは何かを定義する必要がありますね」

魔王はうなずいた。

「その通りだ」

卓上に、歴代勇者の記録が並べられていく。

いくつもの名前。

出身地。

血筋。

神殿。

聖剣。

仲間。

光る痣を描いた絵。

生誕を祝う歌。

旅立ちを記した詩。

魔王は、それらを一つずつ見た。

その目に、信仰はなかった。

嘲りもなかった。

あったのは、観察する者の冷たさだけだった。

「歴代勇者の記録を集めよ」

魔王が命じる。

「戦記だけではない。神殿の写本、王家の系図、村の伝承、吟遊詩人の歌、絵巻、墓碑銘。人間が勇者と呼んだ者に関わるものを、すべてだ」

記録官が確認する。

「目的は」

魔王は、卓上の白い駒を見る。

それは小さい。

黒い駒に囲まれれば、すぐに潰されそうに見える。

だが、過去の記録では、その小さな駒だけが何度も玉座まで届いていた。

魔王は言った。

「勇者の条件を見つける」

記録官が、羊皮紙に書き留める。

対勇者戦略、起案。

目的、勇者の誕生阻止。

最初の調査項目。

勇者の条件。

その夜、魔王軍に初めて、対勇者戦略という言葉が記録された。

城を固めるためではない。

国を滅ぼすためでもない。

魔王を殺す者が、魔王の前に立つより先に、その芽を見つけるための戦略だった。

そして世界のどこかでは、まだ誰にも定義されていない少年が、弱い魔物から逃げ帰っていた。

その少年の名を、この時の魔王はまだ知らない。


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