勇者の条件 第18話 塞がれた洞窟

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勇者の条件 第18話 塞がれた洞窟 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

足止めされた旅

村を出てから、数日が過ぎた。

ロアンとミルカは、隣町を抜け、街道を西へ進んでいた。

最初の宿場で宿代に驚き、靴紐を直し、スライムを避け、紹介状に助けられながら歩いてきた。

旅は、思っていたより肩が痛い。

思っていたより金が減る。

思っていたより、地図の端までが遠い。

それでも二人は、村の外を少しずつ知っていった。

道に残る車輪の跡。

宿場の値段。

商人たちの噂。

雨が降る前の空の匂い。

荷馬車が通りやすい道と、空身なら近くても荷があれば遠い道。

ロアンは肩紐を直しながら言った。

「旅って、歩いてる時間がほとんどだな」

ミルカは地図を見ていた。

「歩かなかったら旅じゃないでしょ」

「もっと事件が起きるものかと」

「靴紐が切れた」

「それは事件に数えるのか」

「初日のロアンには大事件だった」

「靴紐に負けたみたいに言うな」

「勝ったの?」

「結び直したから、引き分け」

「低い戦いだね」

そんなことを言いながら、二人は国境の山へ近づいていた。

本来なら、この先の村で一泊し、翌朝に国境洞窟を通る予定だった。

洞窟を抜ければ、隣国側の村へ出る。

そこからさらに街道が伸びている。

ロアンは、布の地図に描かれた黒い線を指でなぞった。

「ここを通れば、向こう側か」

「そう」

「国境って、もっとこう、門とか兵士とかがいるものだと思ってた」

「洞窟も門みたいなものじゃない?」

「門にしては暗そう」

「国境に明るさを求めないで」

「明るい国境もあっていいと思う」

「あるかもしれない。見たことないけど」

ロアンは少し笑った。

「じゃあ、見に行くものが増えた」

やがて、国境洞窟近くの村が見えてきた。

山の影に寄り添うような、小さな村だった。

だが、近づくにつれ、様子がおかしいことに気づく。

村の外に、荷馬車が何台も止まっている。

馬は疲れたように首を垂れ、荷台には雨除けの布がかけられていた。

商人たちが腕を組んで話し込み、荷運びの男たちが車輪のそばで座り込んでいる。

村の倉庫前では、村人たちが袋や樽の数を何度も確認していた。

ロアンは足を止めた。

「宿場にしては、荷馬車が多くない?」

ミルカは荷馬車の列を見た。

「動けない荷馬車が多いんだと思う」

「動けない?」

「進みたいのに進めない顔してる」

「顔で分かるのか」

「人も馬も、荷もね」

「荷にも顔がある?」

「濡れた薬草袋にはあった」

ロアンは少し黙った。

あれは思い出すとまだ痛い。

二人が村へ入ると、宿屋の女将が店先で桶を運んでいた。

ロアンは会釈して言う。

「国境洞窟を通りたいんですけど」

女将は、少し気の毒そうな顔をした。

「隣国へ行くなら無理だよ。洞窟が塞がれてる」

ロアンは山の方を見た。

「落盤ですか」

女将は首を振った。

「魔物だよ」

塞がれた道

村の集会所では、疲れた顔の大人たちが地図を囲んでいた。

村長。

自警団長。

荷運び商人。

薬師。

鍛冶屋。

宿屋の女将。

そこへ旅人であるロアンとミルカも呼ばれた。

最初は、ただ事情を聞くためだった。

村長は二人を見て、言った。

「旅人か」

ロアンはうなずく。

「はい。洞窟を通って隣国側へ行く予定でした」

「今は通れん」

村長は地図の山腹を指した。

「この洞窟は、昔から商人も薬師も荷運びも使ってきた道だ。塩が来る。鉄が来る。薬の材料が来る。こちらからは薬草や布や干し肉が向こうへ行く」

ミルカが地図を見る。

「数日前から塞がれているんですか」

自警団長が答えた。

「五日前だ。最初は小鬼が二、三匹入っただけだと思った」

「違ったんですね」

「違った」

自警団長は、机の上に折れた槍の穂先を置いた。

「奥に巣を作り始めてる。小鬼だけじゃない。低級魔獣が何匹かいる。湿った壁にはスライムが増えてる。足場が悪い」

ロアンは眉を寄せる。

「一匹一匹は、倒せる相手ですか」

自警団長はロアンを見た。

「一匹一匹はな」

その言い方で、ロアンは少し嫌な予感がした。

自警団長は続ける。

「洞窟の中で数がいると別だ。狭い道では前に出られる人数が限られる。後ろは荷物と負傷者で詰まる。音が反響して、敵の数も位置も分かりにくい。水たまりにスライムがいる。小鬼は石を投げる。暗がりから魔獣が飛び出す」

ロアンは、村外れで覚えたことを思い出した。

弱い魔物でも、場所で危険は変わる。

水場ではスライムが速い。

逃げ道がなければ、小さな相手でも厄介になる。

自警団長は地図の洞窟中央を指した。

「ここに広い空洞がある。片側から入ると、そこで集まった魔物に押し返される」

ミルカが静かに問う。

「反対側からは?」

村長が苦い顔をした。

「向こうの村も困っているはずだ。だが、連絡が取れない」

ロアンはすぐに言った。

「知らせればいいんじゃ」

村長は地図を指で叩いた。

「知らせる道が、この洞窟なんだ」

集会所に、重い沈黙が落ちた。

止まる荷

洞窟が塞がれると、困るのは旅人だけではなかった。

荷運び商人が、苛立った声で言った。

「塩が向こうに届かない。こっちには鉄が来ない。三日なら我慢できる。十日続けば値が跳ねる」

薬師が続ける。

「薬草はまだある。けれど、調合に必要な石粉が向こうから来る。これ以上止まると、熱冷ましが足りない」

鍛冶屋が腕を組む。

「農具の修理に使う鉄が来ない。春前にこれをやられると困る」

宿屋の女将がため息をついた。

「商人が泊まるのはありがたいけど、米は減るんだよ。馬も食べるしね」

ロアンは、荷馬車の列を思い出した。

止まっている荷。

濡れないように布をかけられた荷。

行きたいのに動けない人たち。

荷が届かなければ失敗。

それは一台の荷馬車だけの話ではなかった。

村全体の話だった。

洞窟が塞がると、生活が詰まる。

ロアンは地図を見た。

「洞窟の魔物を倒せば、また通れるんですよね」

自警団長がうなずく。

「倒せればな」

「入口近くのやつなら、何とかなるかも」

自警団長はすぐに答えた。

「入口近くならな」

ロアンは黙った。

自警団長は言う。

「問題は奥だ。逃げ場がない。押し込めば、後ろが詰まる。引けば、魔物がついてくる。負傷者を抱えた瞬間に終わる」

ミルカが地図から顔を上げた。

「魔法も使いにくいと思います」

村長が見る。

ミルカは指で洞窟の線をなぞる。

「火を大きくすると煙がこもる。風を使えば奥の埃を巻き上げる。水は足場を悪くする。明かりも必要だけど、明るくしすぎればこちらの位置も見える」

ロアンはミルカを見た。

「難しいな」

「洞窟だからね」

「洞窟じゃなければ」

「洞窟じゃなければ、国境洞窟じゃない」

「それはそう」

自警団長が少しだけ笑った。

しかし、すぐに表情を戻す。

「両側から入れれば勝てる。少なくとも、勝てる目はある」

ロアンは地図の反対側を見た。

「向こうの村と同時に?」

「そうだ。空洞に集まる魔物を二手に分けられる。逃げ道も塞げる。だが、時刻を合わせられない」

ミルカが低く言う。

「問題は、戦闘力じゃなくて連絡ですね」

村長はうなずいた。

「そういうことだ」

洞窟の口

ロアンとミルカは、洞窟の入口を見に行った。

自警団長と数人の村人も同行する。

山肌に開いた洞窟は、思っていたより大きかった。

荷馬車が一台通れるほどの幅がある。

だが、奥はすぐ暗くなり、湿った空気が外まで流れていた。

入口の土には、爪痕がある。

壁には黒ずんだ跡。

折れた槍の柄。

乾いた血。

スライムの粘液。

奥から、小鬼の鳴き声が反響して聞こえた。

声が重なり、数が分からない。

少し先の岩陰に、緑色のスライムが見える。

湿った壁に張りつき、ゆっくり動いている。

あれなら、倒せる。

外なら。

明るければ。

逃げ道があれば。

足元が乾いていれば。

ロアンは剣の柄に手を置き、半歩だけ前へ出た。

ミルカが横から言う。

「入口だけなら、でしょ」

ロアンは足を止めた。

「まだ言ってない」

「言いそうだったから」

「俺の台詞を先に使うの、やめない?」

「使わなくても分かる台詞は、節約できる」

「節約するところ、そこ?」

「洞窟では声も響くから」

ロアンは洞窟の奥を見た。

奥から、小鬼の鳴き声が反響する。

入口のスライム一匹なら、何とかなるかもしれない。

けれど、それは入口だけの話だった。

ロアンは小さく息を吐いた。

「正面からはだめか」

ミルカは頷く。

「少なくとも、片側だけではだめ」

「火で焼くのは?」

「煙」

「風で煙を外へ」

「奥の埃と臭気も動く。魔物も気づく。私の魔力もたぶん足りない」

「たぶん?」

「絶対足りるって言う方が怖い」

「それはそう」

自警団長が二人を見ていた。

「若いのに、突っ込むだけじゃないんだな」

ロアンは少し照れた。

「前に突っ込んで失敗したことがあるので」

ミルカが言う。

「前だけじゃないけど」

「そこ、広げなくていい」

「横にも後ろにも転んだ」

「洞窟前で俺の転倒記録を出すな」

自警団長は今度こそ少し笑った。

「転んで覚えたなら、ましだ」

ロアンは洞窟の暗がりを見た。

魔物を倒したい。

そう思わないわけではない。

しかし、剣を抜いて飛び込む場所ではない。

いま必要なのは、入口のスライムを一匹倒すことではなかった。

反対側と同じ時刻に動けるようにすることだった。

両側からなら

集会所に戻ると、地図がさらに広げられた。

古い地図も出てきた。

山腹の線は薄く、ところどころ消えている。

老人が呼ばれた。

背は曲がっているが、目はまだ鋭い。

昔、薬草採りで山へ入っていたという。

老人は地図を見て、指先で山の横腹をなぞった。

「昔は、山腹を回る薬草道があった」

村人が驚く。

「今も通れるのか」

老人は首を振る。

「荷馬車は無理だ。馬も無理。大人が槍を持って並んで歩くのも無理だろう」

ミルカが身を乗り出す。

「人が一人か二人なら?」

老人は、ミルカとロアンを順に見た。

「身軽なら、行けるかもしれん」

ロアンは思わず地図に近づく。

ミルカが袖を引いた。

「まだ喜ばない」

「喜んでない」

「顔が行きますって言った」

「顔は口ほどに物を言うな」

「ロアンの顔は口より早い」

老人は話を続ける。

「ただし、途中に沢がある。崖もある。小鬼の縄張りも近い。雨なら戻れ。沢が増えたら渡るな。崖で風が強ければ進むな。夜に歩く道ではない」

ロアンはゆっくり頷いた。

猟師のおじさんの言葉が浮かぶ。

進む理由を考える時は、戻る理由も考えなさい。

ロアンは言った。

「引き返す場所を決めれば、行けるかもしれない」

ミルカはすぐに言う。

「行けるかもしれない、だけでは行かない」

「分かってる」

「本当に?」

「本当に」

「じゃあ、何を決める?」

ロアンは指を折った。

「どこまで行けなかったら戻るか。雨なら戻る。沢が増えてたら戻る。小鬼が多すぎたら戻る。どっちかが怪我したら戻る」

ミルカは少しだけ驚いた顔をした。

「ちゃんと戻る話から入った」

「俺だって成長する」

「今日だけかもしれない」

「信用が細い」

「でも、いいと思う」

ロアンは少し笑った。

村長は二人を見た。

「本気で行くつもりか」

ロアンは即答しなかった。

ミルカも答えない。

二人は地図を見た。

洞窟。

山腹の薬草道。

沢。

崖。

小鬼の縄張り。

反対側の村。

そして、戻る道。

ロアンは言った。

「行けるかどうかを、まず見に行きます」

村長が眉をひそめる。

「反対側まで行くのではなく?」

「行けると思えば行きます。でも、戻る理由が出たら戻ります」

ミルカがうなずく。

「戻れれば、次の案が立てられます」

老人は、少し感心したように二人を見た。

「若いのに、戻る話をするのか」

ロアンは苦笑した。

「戻らないと怒られるので」

ミルカが言う。

「怒られるだけで済めばいいけどね」

「もっと怖い言い方をする」

「無事に戻るため」

「はい」

できる形にする

村長の家の机に、紙が置かれた。

ミルカが筆を持つ。

ロアンが横から覗き込む。

「何書くの」

「目的」

「目的は、知らせに行く」

「それをちゃんと書くの」

ミルカは紙に書き出した。

目的。

反対側の村へ、洞窟挟撃の提案を伝えること。

必要なもの。

村長の書状。

地図。

水。

軽い食料。

薬草。

縄。

合図用の布。

火打ち石。

持たないもの。

重い荷。

余分な鍋。

不要な道具。

ミルカはそこまで書いて、筆を止めずに言った。

「鍬は書くまでもなく持たない」

ロアンは口を開きかけたまま止まった。

「まだ何も言ってない」

「言いそうだったから」

「俺の荷物への信頼が低い」

「鍬への信頼が高すぎる」

「穴を掘る時にいるかもしれないだろ」

「山腹の薬草道で?」

「……山腹に穴が必要な時とか」

「それはたぶん、穴に落ちた時」

「落ちたあとに鍬があれば」

「落ちる前に荷を軽くして」

ロアンは少し考えた。

「じゃあ、鍬はなしで」

「書くまでもなかったでしょ」

「今、書くくらい話したけど」

「記録に残すほどではない」

避けるもの。

戦闘。

沢の増水。

日没後の崖道。

戻る条件。

雨。

沢の増水。

怪我。

日没までに第一目印へ到達できない場合。

小鬼が三匹以上まとまっていて、避けられない場合。

ミルカが筆を止める。

「他にある?」

ロアンは考えた。

「ミルカがだめって言ったら戻る」

ミルカは少し驚いて顔を上げた。

「それ、条件に入れるの?」

「入れる」

「理由は?」

「俺が見てないものを、ミルカが見てる時があるから」

ミルカは少し黙った。

「逆もあるよ」

「じゃあ、俺がだめって言っても戻る」

「ロアンが?」

「今、少し疑っただろ」

「少しじゃない」

「正直だな」

「でも、いいと思う。どちらかが止める理由を見つけたら、確認する」

「確認して、だめなら戻る」

「そう」

ミルカは紙に書き足した。

同行者の判断により確認。危険が解消できなければ撤退。

ロアンは覗き込む。

「俺の意見も入った」

「一応」

「一応」

「雑な同行者の意見も、聞くだけは聞く」

「採用は?」

「内容による」

「公平だな」

ミルカはさらに書いた。

連絡内容。

夜明けに両側から洞窟へ入ること。

合図の方法。

準備が整わない場合は無理に突入しないこと。

失敗時。

戻って報告。

別案を立てる。

ロアンは紙を見て、少し息を吐いた。

「こうして書くと、旅ってほとんど準備だね」

「そうだよ。やっと分かった?」

「少し」

「少しでいい。少しずつ増やして」

「準備も旅か」

「準備しない旅は、だいたい誰かに迷惑をかける」

ロアンは荷馬車や濡れた薬草を思い出した。

「それは、知ってる」

村長は二人の紙を見た。

「ただの若い旅人に頼むには、重いな」

ロアンは答える。

「頼まれたから行く、だけじゃだめだと思います」

村長が問う。

「ではなぜ行く」

ロアンは少し考えた。

「道が塞がってるからです。洞窟も、村と村の間も」

集会所が静かになる。

ロアンは続けた。

「俺たちは、まだ戦って勝てるほど強くない。でも、知らせに行くくらいなら、できるかもしれない」

ミルカが補足する。

「できるかもしれないことを、できる形にしてから行きます」

村長は、長く二人を見た。

最初に見た時より、その目に少しだけ信用が増えていた。

小さな火

出発の準備をしている最中、洞窟の方から叫び声が上がった。

「出たぞ!」

ロアンとミルカは顔を見合わせ、すぐに外へ出る。

洞窟の入口から、スライムが二匹と小鬼が一匹、這い出してきていた。

村人が槍を持って集まる。

荷馬車の馬が怯えていななく。

子どもたちが家の中へ走る。

ロアンは剣を抜いた。

ただし、前へ飛び込まない。

「水場から離す!」

彼はスライムの動きを見た。

湿った地面の方へ行こうとしている。

そこに行かせると、動きが速くなる。

ロアンは石を投げ、乾いた土の方へ誘導した。

スライムが反応して向きを変える。

一匹は村人の棒で叩かれ、崩れた。

もう一匹は跳ねようとして縮む。

ロアンは下がる。

跳ねた先を見て、横から棒で弾いた。

「そっち、槍!」

村人が槍で突く。

スライムは土の上で崩れた。

小鬼が石を投げる。

ロアンは避け、剣を構える。

だが、自分から斬りに行かない。

小鬼を村人たちの槍の方へ追い込む。

「こっちじゃない。そっちへ」

「魔物に言って通じるの?」

ミルカが後ろから言った。

「通じなくても、動けばいい」

「なるほど。会話じゃなくて誘導」

ミルカは杖を構えた。

小さな火が、彼女の指先に灯る。

大きな炎ではない。

ろうそくより少し大きい程度。

それを、彼女は小鬼の足元の一点へ飛ばした。

火は草を燃やさず、小鬼の足元の土だけを弾くように焦がした。

小鬼が驚いて跳ねる。

その瞬間、村人の槍が届いた。

小鬼は倒れた。

村人の一人が驚いた顔で言う。

「今の、小さい火なのに」

ミルカは少し困ったように答えた。

「大きくすると洞窟内では危ないので」

ロアンは剣を下ろした。

「ミルカの魔法、やっぱり便利だよね」

ミルカは小さく肩を落とす。

「便利止まりなのが悲しいけど」

「便利って、かなり強い褒め言葉じゃない?」

「町の魔術師はもっとすごいと思う」

「町の魔術師は宿代を安くできる?」

「それは紹介状の仕事」

「じゃあ、手紙も魔法も便利」

「雑に並べないで」

自警団長は、ミルカの小さな火の跡を見ていた。

派手ではない。

だが、狙いが正確だった。

「大きくしない火、か」

ミルカは頷く。

「洞窟で大きい火は危ないと思います」

自警団長は、しばらく考えてから言った。

「向こう側と時刻を合わせられれば、その火は役に立つかもしれん」

ミルカは少しだけ目を見開いた。

自分では、ただ小さく使っただけだった。

けれど、場所によっては、それが必要になる。

師匠の言葉が、少しだけ形を持った気がした。

書状

村長は書状を書いた。

洞窟封鎖の状況。

こちら側の自警団の人数。

洞窟内の魔物の種類。

提案する作戦時刻。

夜明けに両側から入ること。

合図の方法。

準備が整わない場合は、無理に突入しないこと。

ロアンは横で見ていた。

「書くこと、多いですね」

村長は筆を止めない。

「足りないと、人が死ぬ」

ロアンは黙った。

ミルカが内容を確認する。

「もし向こうの準備が間に合わなかったら?」

村長は少し考えた。

「無理はしない。向こうから返事をもらってこい」

ロアンが言う。

「往復ですか」

村長は顔を上げる。

「できるなら。無理なら、向こうに残って次の手を考えろ」

ミルカが地図を見ながら言った。

「往復前提にすると危険です。まずは到達。返事は、向こうの状況を見て判断します」

村長はうなずいた。

「それでいい」

書状は二通作られた。

一通は村長の印付き。

もう一通は、濡れても読めるように要点だけを別紙に写したもの。

ミルカが油布に包み、さらに革袋へ入れる。

ロアンはそれを見て言った。

「手紙は荷物より軽いけど、包むと少し重いな」

ミルカは紐を結びながら答える。

「濡れて読めなくなったら、ただの軽い紙になる」

「それは困る」

「だから包む」

「手紙も旅支度がいるんだな」

「人も手紙も、濡れると困る」

「俺は乾く」

「地図の時と同じこと言ってる」

「俺は自力で乾く」

「風邪も引く」

「そこは乾かない」

「だから宿に泊まる」

「帳簿だな」

「帳簿だよ」

村長は、そのやり取りを聞きながら、少しだけ表情を緩めた。

若すぎる。

未熟だ。

しかし、無謀一辺倒ではない。

そして、緊張しすぎてもいない。

連絡役には、足だけでなく、戻る頭も必要だった。

戻る条件

その夜、二人は宿屋の小部屋で準備をした。

荷を減らす。

食料を分ける。

水を確認する。

縄を取り出しやすい位置へ移す。

余分な鍋は置いていく。

余分な布も減らす。

ロアンは剣を磨く。

ミルカは書状の防水を確認する。

外では、洞窟の方から時折、魔物の鳴き声が聞こえた。

ロアンが言った。

「洞窟を抜けるより、山を回る方が怖いかも」

ミルカは書状を革袋に戻しながら答える。

「怖いならいい」

「いいの?」

「怖くないって言われる方が困る」

ロアンは笑った。

「母さんと同じこと言う」

「正しいことは、いろんな人が言うの」

「じゃあ、俺も正しいことを言う」

「どうぞ」

「腹が減った」

「今じゃない」

「正しいと思うんだけど」

「状況が違う」

ロアンは干し肉を見た。

ミルカがすばやく取り上げる。

「明日の分」

「少しだけ」

「少しが積もると、帰りの分がなくなる」

「帳簿だ」

「帳簿」

ロアンは諦めて剣に布を当てた。

ミルカは紙を出す。

「戻る条件、もう一回言って」

ロアンは指を折る。

「雨」

「うん」

「沢の増水」

「うん」

「どっちかが怪我」

「うん」

「日没までに第一目印へ行けない」

「うん」

「小鬼が三匹以上まとまってたら避ける。避けられなければ戻る」

「うん」

「ミルカがだめって言ったら戻る」

ミルカは少しだけ手を止めた。

「本当にそれでいいの?」

ロアンは剣を鞘へ戻す。

「ミルカのだめは結構当たる」

「全部じゃないよ」

「全部当たったら怖いって」

「それ、褒めてる?」

「かなり」

「雑な褒め方」

「精度の高い褒め方って何?」

「今の判断は妥当です、とか」

「今のミルカは妥当です」

「人に言うと変」

ロアンは笑った。

ミルカも少し笑う。

それから、二人はしばらく黙って荷を整えた。

明日、二人は洞窟へ入らない。

魔物を倒しに行くのではない。

反対側へ知らせに行く。

それでも危険はある。

沢。

崖。

小鬼。

雨。

道に迷うこと。

戻れなくなること。

ロアンは、革袋に入った書状を見た。

「軽いのに、重いな」

ミルカはうなずく。

「うん」

「届けられなかったら」

「戻る」

「戻れなかったら」

ミルカはロアンを見た。

「戻るために、戻る条件を決めたんでしょ」

ロアンは少し黙って、それから頷いた。

「そうだった」

塞がれた洞窟の前で

翌朝。

洞窟の入口には、村人たちが集まっていた。

自警団。

商人。

薬師。

宿屋の女将。

鍛冶屋。

村長。

老人も杖をついて来ていた。

ロアンとミルカは、洞窟には向かわない。

洞窟の横、山腹へ続く細い道を見る。

草に半分隠れた道だった。

荷馬車は通れない。

馬も無理だ。

槍を持った大人たちが隊列を組んで進むこともできない。

だが、身軽な二人なら、通れるかもしれない。

村長が書状を渡した。

「頼む」

ロアンは両手で受け取る。

「届けます。無理なら戻ります」

村長はうなずいた。

「戻ることも、報告だ」

ミルカが地図を折りたたむ。

「では、行きます」

老人が言う。

「第一目印は、割れた大岩だ。そこまでに沢の音が大きすぎたら戻れ。岩の先で風が強ければ崖へ出るな」

ロアンは頷く。

「割れた大岩。沢の音。風」

ミルカが確認する。

「雨なら戻ります」

「そうだ。山は、昨日の道と今日の道が違う」

ロアンは小さく息を吸った。

洞窟の奥から、魔物の声が反響している。

剣を持つ者なら、そちらへ向かいたくなる。

魔法を使える者なら、洞窟ごと焼き払う方法を考えるかもしれない。

けれど、今の二人の役目はそこではなかった。

ロアンはミルカを見る。

「行こう」

ミルカはうなずく。

「戻る条件、忘れないで」

「忘れたら?」

「戻す」

「力強い」

「物理的に」

「忘れない」

二人は、塞がれた洞窟の前を通り過ぎた。

その横の、誰も使わなくなった細い薬草道へ入っていく。

洞窟は塞がれていた。

けれど、道がすべて消えたわけではない。

剣で開く道ではない。

炎で焼く道でもない。

知らせを届けるための、細い道だった。

片側だけでは押し返される。

両側からなら、勝てるかもしれない。

なら必要なのは、今すぐ洞窟へ飛び込む勇気ではなかった。

塞がれた道の向こうへ、知らせを届けることだった。

ロアンとミルカは、洞窟には入らなかった。

その横の、細い薬草道へ入った。

進む理由はあった。

戻る理由も決めていた。

だから二人は、まだ勇者ではなく、ただの連絡役として歩き出した。


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