召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座 第13話 竜の印鑑証明

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召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座 第13話 竜の印鑑証明 人物相関図

 ※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

一 本人確認

 赤竜は、しばらく黙っていた。

 再契約。

 その言葉が、洞窟の奥の熱の中で、ゆっくりと形を持っていくようだった。

 財宝は戻る。

 けれど、戻れば終わるわけではない。

 契約を果たせなかったという感覚。

 守護者としての威厳を失ったように感じていること。

 そして、そもそもその契約が、現代の制度で扱うには古すぎること。

 メルセナ・オルブライトは、そのすべてを混ぜずに並べた。

 赤竜は、怒りを消したわけではない。

 だが、少なくとも話を聞いていた。

「再契約をすると言ったな」

 赤竜が低く言った。

 広間の熱が、声に合わせて震える。

 リオル・ロステルは、思わず背筋を伸ばした。

 赤竜の言葉は質問というより、確認だった。

 メルセナは頷く。

「はい。ただし、すぐにはできません」

「なぜだ」

「あなたの現代制度上の本人確認が必要です」

 赤竜の瞳が、わずかに細くなった。

「本人確認」

 リオルも思わず言った。

「赤竜本人なのに?」

 その言葉に、後方から静かな声が返ってきた。

「本人であることと、制度上本人と確認できることは別です」

 ミレイユだった。

 先ほどまで後方の記録位置に控えていたが、メルセナの合図を受け、広間の入口付近まで進んできている。

 腕には、耐熱処理された記録板と、分厚い書類束を抱えていた。

 こんな場所で書類。

 リオルは一瞬、赤竜よりそちらの方に現実感を失いかけた。

 カイル・レイヴァンが小声で言う。

「本当にここで始めるのですか」

「ここでしかできません」

 メルセナは淡々と答えた。

「本人がいます」

「本人が竜ですが」

「なおさらです」

 赤竜が、ミレイユの持つ書類束を見た。

「我を見ても、我だと分からぬのか」

「分かります」

 メルセナは即答した。

「ですが、書類に残す必要があります」

「書類」

 赤竜は、その単語を噛むように繰り返した。

 リオルは横から小さく呟く。

「先生、赤竜が書類に負けそうです」

「負けません」

 メルセナは言った。

「通します」

「通すんですね」

「はい。契約ですので」

 赤竜はしばらく沈黙した。

 そして、不本意そうに言った。

「契約ならば、仕方ない」

 リオルは、少しだけ赤竜への印象を改めた。

 怒っている。

 怖い。

 巨大で、熱だけで人の村を燃やせる存在。

 けれど、契約という言葉には真面目に反応する。

 この赤竜は、契約を軽く見ていない。

 むしろ、重く見すぎている。

 ミレイユが記録板を開いた。

「まず、確認項目を整理します」

「項目」

 赤竜がまた繰り返す。

「この赤竜が、旧財宝守護契約の守護者本人であること。旧契約の守護対象と現在の財宝が対応していること。契約相手が不在であること。旧契約が現代制度へ未移行であること。現在も意思表示可能な知性を持つこと。再契約に同意できる主体であること」

 リオルは、途中から少し遠い目になった。

「急にギルドの奥の部屋みたいになりました」

 ミレイユは淡々と返す。

「実際、ギルドの奥の部屋で行うべき内容です」

「ここ、赤竜の洞窟ですけど」

「出張手続きです」

 赤竜が低く唸った。

「人間は、面倒なことを持ち込む」

 メルセナは静かに言う。

「古い契約を現代の形へ移すには、必要です」

「我が、我であることを示せばよいのだな」

「はい」

「何で示す」

 ミレイユが少しだけ顔を上げた。

「財宝目録です」

 赤竜の瞳が、わずかに動く。

「目録などない」

「あります」

 メルセナが言った。

「あなたが覚えています」

 赤竜は、当然のように答えた。

「当然だ」

 リオルも、もう驚ききれずに言った。

「当然なんだ……」

「当然だ。守るものを覚えずに、何を守る」

 ミレイユは記録板に筆を置いた。

「では、照合を始めます」

二 財宝目録

 赤竜の広間にある財宝は、人間の目には山だった。

 古い金属と宝石と魔道具が、長い年月の熱に晒され、無造作に積まれているように見える。

 だが、赤竜にとっては違う。

 一つ一つに、形がある。

 色がある。

 場所がある。

 向きがある。

 魔力と精霊力の気配がある。

 ミレイユは広間の右奥を指した。

「では、右奥の銀杯の隣にあるものは」

「黒い箱」

 赤竜は即答した。

「その上に青石。青石の底に欠け。箱は東へわずかに傾いている。箱の中身は空。元は小さな風鳴りの鈴が入っていたが、七百年ほど前に腐食して崩れた」

 リオルは口を開けた。

「七百年ほど前」

 カイルもさすがに目を細める。

「年数まで覚えているのか」

「当然だ」

 赤竜は重々しく言った。

「崩れた時、音が変わった」

「音」

「鈴が鈴でなくなる音だ」

 リオルは、思わず黙った。

 何かが少しだけ変わる。

 赤竜はそれを覚えている。

 財宝を守るということが、急に怖いほど細かい行為に思えた。

 ミレイユは記録する。

「黒箱、青石、底部欠け、東向き傾斜、内部品腐食消失。確認対象として記録」

「次」

 メルセナが別の場所を指す。

「南壁寄りの金貨」

「三百二十七枚」

 赤竜は言った。

「いや、今は三百二十六枚だ」

 広間の熱が少しだけ上がる。

「一枚は、盗人が落とした。洞窟の入口から四つ目の分岐、左壁の割れ目にある」

 カイルが顔を上げた。

「それは回収すべきですね」

「後で確認します」

 メルセナが言う。

 リオルは、少しだけ顔を引きつらせた。

「落ちた金貨一枚まで……」

「当然だ」

 赤竜は言った。

「守護対象だ」

 ミレイユは淡々と書き続ける。

「南壁寄り金貨、登録上三百二十七枚。現存広間内三百二十六枚。逸失一枚、洞窟入口第四分岐左壁割れ目に落下。後ほど確認」

 赤竜が低く言った。

「別紙にせよ」

 リオルが小声で言う。

「赤竜が書類を増やした」

 メルセナは静かに訂正した。

「ヴァルセイン王国召喚契約実務上、必要な別紙です」

「財宝より書類の方が増えてませんか」

「増えていません」

 ミレイユは即答した。

「ただし、財宝目録を正確に作れば、相応に増えます」

「増えるんですね」

 ミレイユは次の財宝を確認した。

「欠けた冠について」

「北側、壺の後ろ。金ではない。金に見えるが、古い合金だ。左側の飾りが欠けている。欠けたのは我が契約する前だ」

「契約前損耗」

 ミレイユがすぐに記録する。

「重要です。守護開始前の欠損は不履行対象外の可能性があります」

 赤竜が、わずかに黙った。

「……そうか」

 メルセナが頷く。

「はい。いつ欠けたかは重要です」

「我は、欠けたまま守っていた」

「であれば、欠けていること自体は守護不履行ではありません」

 赤竜は、何も言わなかった。

 ただ、熱が少しだけ揺れた。

 リオルは、それを見て思う。

 赤竜は、ずっと自分に厳しく守ってきたのだ。

 欠けたものも。

 腐食したものも。

 変質したものも。

 盗まれたものも。

 全部、自分が守るべきものとして。

 ミレイユはさらに記録を進める。

「翼の意匠を持つ魔道具について」

 赤竜の目が細くなる。

「元は、青黒い風の気配を持っていた。置き場所は黒箱から三つ左。下に薄い布。向きは翼先が北。火の気配が強くなったのは、守護開始から長く経ってからだ」

「現在は火属性へ変質」

 ミレイユが書く。

「はい」

 メルセナが補足する。

「先の確認で、四精霊反応は火に大きく偏っていました。元は風の魔道具。赤竜の火の精霊力に長期間晒されたことで変質したと見ています」

「我が変えたのか」

 赤竜が問う。

「結果としては」

 メルセナは答えた。

「ただし、それが意図的かどうかは別です」

「意図はない」

 赤竜は言った。

「守っただけだ」

「では、そのように記録します」

 ミレイユが筆を動かす。

「変質は守護環境による副次変化。守護者の意図的改造ではない、と」

 リオルは、ミレイユの手元を見る。

 赤竜の言葉が、書類になっていく。

 威圧的な声も、熱も、怒りも。

 全部、人間の字へ変わっていく。

 少し可笑しい。

 少し不思議だった。

 赤竜は、財宝の位置、形、色、欠け、腐食、変質を次々と答えた。

 答えられないものはなかった。

 ミレイユの記録板の余白が、どんどん埋まっていく。

 やがて、ミレイユが息をついた。

「本人性確認としては、十分すぎます」

「十分すぎる?」

 赤竜が問う。

「はい。守護者本人でなければ把握し得ない情報量です」

「当然だ」

 赤竜はまた言った。

「守るとは、そういうことだ」

 リオルは、今度は突っ込まなかった。

 たぶん、本当にそうなのだ。

三 竜籍と竜爪印

「次に、竜籍登録が必要です」

 ミレイユが言った。

「竜籍」

 赤竜が低く繰り返す。

 リオルは首を傾げた。

「竜にも戸籍みたいなものがあるんですか」

「あります」

 メルセナが答える。

「主に小型竜の運用や契約管理のためです。言葉を話せない個体も多いですが、人間の言葉をある程度理解し、物流や騎乗、竜騎士運用に関わる場合があります」

「竜騎士」

「国によって制度は違いますが、竜を契約主体、または準主体として扱う登録制度が整備されています」

 赤竜が不満そうに言った。

「我は小型ではない」

「存じております」

 ミレイユは即答した。

「ですので、備考欄が足りません」

 リオルは思わず言った。

「そこなんだ」

「はい」

 ミレイユは真剣だった。

「体格、属性、知性、契約履歴、守護対象、危険度、休眠期、活動領域、爪印規格。すべて通常の小型竜登録欄では不足します」

「備考欄では済まないのでは」

 カイルが言う。

「追加様式にします」

 ミレイユはもう別の板を出していた。

 赤竜が、少しだけ引いたように見えた。

「人間は、我を欄に入れるのか」

「欄に入らないので、欄を増やします」

 メルセナが言った。

「そういう問題なのか」

「制度上はそうです」

 赤竜は、重々しく沈黙した。

 リオルは小声で言った。

「赤竜が制度に巻き込まれてる……」

「巻き込むのではありません」

 メルセナは訂正する。

「登録します」

「より書類っぽくなりました」

 ミレイユは、淡々と次の問題を出した。

「代筆が必要です」

「我が書けばよいのか」

 赤竜が爪を少し持ち上げた。

 リオルは、その爪を見た。

 大きい。

 鋭い。

 熱を帯びている。

「紙が一瞬で燃え尽きそうです」

「実際に燃えます」

 メルセナが言った。

「紙だけで済めばよいのですが」

 ミレイユも続ける。

「筆記台ごと損傷する可能性があります」

 赤竜は、不服そうに言った。

「我の言葉を、人間が書くのか」

「読み上げ確認を行います」

 ミレイユが答える。

「異議があれば訂正できます。代筆者は私、説明者はメルセナ様、確認者はカイル様で記録します」

「なぜ分ける」

「利害関係と記録責任を分けるためです」

 赤竜はしばらく黙った。

「面倒だな」

「契約ですので」

 メルセナが言った。

 赤竜は、また少しだけ沈黙してから答えた。

「契約ならば仕方ない」

 リオルは、赤竜の攻略法が少し見えた気がした。

 契約と言えば、だいたい聞いてくれる。

 ただし、聞いてくれるだけで、納得するとは限らない。

 ミレイユはさらに言った。

「次に、竜爪印登録が必要です」

「爪を押せばよいのか」

「通常の紙には押さないでください」

 メルセナが即座に言った。

 リオルも頷く。

「紙が一瞬で燃え尽きるからですね」

「紙だけで済めばよいのですが」

 ミレイユがもう一度言った。

 カイルが、後方から重そうな板を運んできた。

 黒い金属と石を合わせたような、分厚い登録板だった。

「耐熱、耐圧、魔力保持加工済みです」

 カイルが言う。

「これでも割れた場合、王都の法務部に報告します」

「割れる前提なのですか」

 リオルが聞く。

「赤竜ですから」

 カイルは真顔だった。

 赤竜が登録板を見下ろす。

「我の爪は印になるのか」

「なります」

 メルセナは答えた。

「今後、契約上の本人確認に使います」

「爪まで登録するのか」

 赤竜は低く言った。

 リオルはぽつりと呟いた。

「竜の印鑑証明……」

「正確には、竜爪印登録証明です」

 メルセナが訂正した。

「さらに書類っぽくなった」

 ミレイユは登録板を赤竜の前に置いた。

「押印時は、熱を抑えてください」

「抑えている」

 赤竜が爪を近づける。

 登録板が、じわりと赤くなった。

 カイルが顔をしかめる。

「抑えている状態でこれか」

 リオルは小声で言う。

「鼻息で村が燃える竜ですし」

「リオル」

 メルセナがすぐに言った。

「事実ですが、今は言い方に注意してください」

 赤竜がリオルを見る。

「我も注意している」

 ミレイユが淡々と返した。

「では、さらに注意してください」

「人間の注意は細かい」

「書類も細かいです」

「そうか」

 赤竜はなぜか納得した。

 爪が登録板へ降りる。

 ぎしり、と音がした。

 登録板が赤く光り、爪の形が刻まれる。

 割れない。

 燃えない。

 ただし、部屋の温度は明らかに上がった。

 リオルは汗を拭う。

 ミレイユは登録板を確認し、頷いた。

「竜爪印、採取できました」

 赤竜は、重々しく言った。

「これで我は、書類上も我か」

「仮登録上は」

 ミレイユが答える。

「仮」

 赤竜が少しだけ嫌そうに言った。

「本登録には、もう一つ必要な項目があります」

 その場の空気が、少し変わった。

四 名前

「必要な項目とは何だ」

 赤竜が問う。

 ミレイユは記録板を見た。

「登録名です」

「名前が必要なのか」

「竜籍上は必要です」

 メルセナが答えた。

「赤竜では足りぬのか」

「分類名に近い扱いになります」

「我は一体しかおらぬ」

「それでも登録名が必要です」

 赤竜は、少しだけ考え込んだ。

 リオルは、その表情を見上げる。

 赤竜に名前がない。

 それは、考えてみれば不思議だった。

 これほど大きく、これほど古く、これほど強い存在なのに。

 いや、違う。

 一体しかいないからこそ、名前が要らなかったのかもしれない。

 赤竜と言えば、この赤竜だった。

 他と区別する必要がなかった。

 だが、現代制度はそうはいかない。

 唯一無二でも、名前欄は空白にできない。

「神代には名前があった可能性があります」

 ミレイユが言った。

「壁画にも、名前らしき文字列はあります。ただし、解読できません」

「我も覚えておらぬ」

 赤竜が言う。

「長く呼ばれねば、名は遠くなる」

 リオルは、その言葉に少しだけ胸が詰まった。

 けれど、ここでは踏み込まない。

 メルセナも踏み込まなかった。

「新規登録名を定めます」

「……任せる」

 赤竜が言った。

 リオルは思わず突っ込む。

「結構大事なところなんですが」

「正直に言う」

 赤竜は真面目だった。

「名前を考えるセンスが我にあるとは思えぬ。しかし、恥ずかしい名前がついても困る」

「そこは気にするんですね」

「威に関わる」

 メルセナは頷いた。

「では、候補を出します。意味より、まず響きで選んでください」

 ミレイユが別紙を出す。

 リオルは、それを見て言った。

「名前候補まで書類になってる」

「必要です」

 ミレイユは平然としていた。

 メルセナが一つ目を読む。

「ヴァルグ。硬く古い響きです。山や戦いの気配があります。威厳があり、竜名として自然です」

 赤竜は少し考えた。

「悪くない」

 リオルも頷く。

「似合いますね」

「次に、アルヴァ。やや柔らかく、高貴な印象があります」

「柔らかいのか」

「はい」

 リオルが赤竜を見上げる。

「赤竜さん、柔らかくはないですね」

「ならば違う」

「判断が早い」

 メルセナは続ける。

「ガルヴァ。重く強い響きです。圧はありますが、やや武断的に聞こえます」

「武断的」

「戦いに寄って聞こえる、ということです」

「今は避けたい」

 カイルが小さく頷いた。

「賢明です」

「ルーヴァ。赤や炎を連想しやすく、呼びやすい名です」

「軽い」

 赤竜が言った。

「では外します」

 メルセナは容赦なく進める。

「ベルグ。山、岩、古い守護者の印象があります」

「悪くないが、少し硬すぎる」

「エルグ。短く古代的で、事務登録名として扱いやすいです」

「事務登録名として扱いやすい、とは何だ」

 リオルが小声で言う。

「赤竜が事務に反応してる」

「レーヴァ。翼や風、古い竜の印象があります」

「恥ずかしい」

 赤竜は即答した。

 リオルは少し笑いそうになった。

「早い」

「では候補から外します」

 メルセナは真顔のままだ。

「グラウド。重厚で防衛者らしい響きです」

「強すぎる」

「ヴェルグ。王国名の響きとも近く、登録名として馴染みやすいです」

「王国に寄りすぎる」

「アグナ。火を連想しやすい短い名です」

「火に寄りすぎる」

 リオルは感心した。

「ちゃんと考えてる……」

「我の名だ」

 赤竜は当然のように言った。

「考える」

 メルセナは候補一覧を閉じた。

「では、現時点で残る候補はヴァルグ、ベルグ、エルグあたりです」

「ヴァルグがよい」

 赤竜は言った。

 リオルが見上げる。

「決めていいんですか?」

「我が選んだ。ならばよい」

 メルセナが頷く。

「では、竜籍上の登録名はヴァルグとします」

 ミレイユが記録板に記入する。

 赤竜ではなく、ヴァルグ。

 その文字が、書類の欄に収まっていく。

 赤竜は、少しだけ自分の名を確かめるように言った。

「ヴァルグ」

 リオルも小さく繰り返す。

「ヴァルグ……」

「まだ、我の名という感じがせぬ」

「登録名です。使っていくうちに馴染みます」

 メルセナが言う。

「そういうものか」

「はい。少なくとも、書類上は今日からヴァルグです」

 赤竜は不満そうに鼻を鳴らした。

「書類の方が、我より先に慣れている」

 リオルは少しだけ笑った。

 赤竜に名前がついた。

 ただの赤竜ではなく、ヴァルグ。

 それは、古い守護者が現代の制度に入るための名前だった。

 可笑しい。

 けれど、少しだけ寂しい。

 リオルは、まだその寂しさの理由を言葉にできなかった。

五 旧財宝守護契約の読み替え

「次に、旧財宝守護契約の読み替え方針です」

 メルセナが言った。

 赤竜は、登録名にまだ慣れない様子のまま、低く答える。

「旧契約を戻すのではないのか」

「勧めません」

 メルセナは明確に言った。

 赤竜の瞳が細くなる。

「なぜだ」

「あなた一体に責任が集中しすぎています」

「我は赤竜だ」

「はい。強い一体です」

 メルセナは頷く。

「だからこそ、何でも背負わせてはいけません」

 リオルは思わず聞いた。

「強いから、任せるんじゃなくて?」

「強いから任せる、を続けると、誰も確認しなくなります」

 メルセナは静かに言った。

「契約も、役割も、負担も、すべて曖昧になる。今回の問題は、そこから起きています」

 赤竜は黙った。

 広間の熱が、静かに揺れる。

「旧契約には問題が多すぎます」

 ミレイユが記録板を見ながら読み上げる。

「契約相手不在。契約期限不明。解除条件不明。守護対象範囲不明。盗難時の扱い不明。回収・返還時の扱い不明。腐食・風化時の扱い不明。財宝の移動可否不明。守護者の安全と意思に関する条項なし。責任集中」

 リオルは、聞いているだけで疲れてきた。

「問題だらけですね」

「千年以上前の契約ですので」

 ミレイユは淡々としている。

「形式が残っているだけでも、むしろ貴重です」

 赤竜が低く言った。

「だが、我は守ってきた」

「はい」

 メルセナは即座に認めた。

「あなたは守ってきました。だからこそ、その守護を今後も同じ形で続けるべきではありません」

「なぜだ」

「また、あなた一体が苦しむからです」

 赤竜は沈黙した。

 リオルは、メルセナを見た。

 その言い方は、責めるものではなかった。

 むしろ、赤竜の真面目さをそのまま受け取ったうえで、同じ構造に戻さないと言っている。

「新契約案では、財宝守護をあなた一体の責任にしません」

 メルセナは続けた。

「財宝の保管、移動、管理は、人間側の制度も含めて扱います。必要なら王国、召喚士ギルド、地方防衛会議で共同管理します」

「我は守護者でなくなるのか」

「現時点では、そこまでは決めません」

 メルセナは答えた。

「今決めるのは、旧契約をそのまま戻さないという方針です。新しい役割をどう定義するかは、最終意思確認の後に詰めます」

 赤竜は低く唸った。

「つまり、今は契約を結ぶのではなく、結び直すための形を作っているのか」

「はい。再契約の前段階です」

 赤竜は低く唸った。

「では、我は何をする」

「候補を出します」

 ミレイユが別紙を出した。

 リオルは少しだけ怖くなった。

 また書類が増えた。

「第一に、人間を襲わないこと」

 メルセナが言う。

「ただし、これは一方的な制限ではありません。人間側も、あなたの領域を不用意に侵さないことを義務とします」

「当然だ」

 赤竜が言った。

「第二に、財宝守護の限定解除、または再定義。財宝すべてをあなた一体が守る形にはしません」

「……」

「第三に、月に一度、北の山脈周辺を散歩する程度の存在確認」

 リオルは瞬いた。

「散歩」

 赤竜も低く繰り返した。

「散歩」

「はい」

 メルセナは真面目だった。

「あなたが生存し、暴走しておらず、契約状態にあることを確認するためです」

 カイルが補足する。

「結果的には、北方への存在アピールにもなります。帝国や周辺勢力への抑止力として機能する可能性があります」

 メルセナはすぐに言った。

「ただし、それを契約目的にはしません」

 赤竜の瞳が動く。

「国防を我に背負わせぬということか」

「はい」

 メルセナは言った。

「結果的に抑止力になることはあります。ですが、契約上の役割として国防を背負わせません」

「なぜだ」

「強い一体に全部背負わせないためです」

 その言葉に、リオルは少しだけ胸の奥が温かくなった。

 メルセナは何度も同じことを言っている。

 強いから任せるのではない。

 強いからこそ、全部を背負わせない。

 それは、赤竜に対してだけではないのかもしれない。

「休眠期はどうしますか」

 ミレイユが確認する。

「散歩義務から除外します」

 メルセナが答えた。

「休眠期まで起こせば、それは存在確認ではなく嫌がらせです」

 リオルは思わず言った。

「竜への嫌がらせ、規模が大きいですね」

「実際に危険です」

 カイルが真面目に返した。

「休眠中の赤竜を起こす任務は、私は受けたくありません」

「私も勧めません」

 メルセナが言った。

 赤竜は、少しだけ満足そうに見えた。

「休眠は必要だ」

「契約上、明記します」

 ミレイユが書く。

「月一存在確認。ただし休眠期除外。無理な起床要求禁止」

「そんな条項があるんですか」

 リオルが聞く。

「今作っています」

 ミレイユは真顔だった。

 赤竜が書類を見た。

「それはよい条項だ」

「ありがとうございます」

 ミレイユが淡々と答える。

「書け」

 赤竜は即答した。

「はい」

 ミレイユが書いた。

六 書類は整う

 手続きは、しばらく続いた。

 竜籍仮登録。

 代筆同意。

 竜爪印登録。

 旧契約写しの確認。

 財宝目録別紙。

 守護対象整理表。

 新契約草案。

 休眠期除外条項。

 赤竜、登録名ヴァルグの活動領域案。

 人間側の義務。

 苦情窓口。

 非常時の連絡方法。

 リオルは途中で、書類の数を数えるのを諦めた。

 赤竜も、途中から明らかに黙る時間が増えた。

 怒りではない。

 書類に疲れている。

 赤竜が書類に疲れている。

 その事実が、リオルには少し面白かった。

「必要書類は、旧契約写し、存在確認記録、竜籍仮登録、竜爪印登録、代筆同意、再契約草案、守護対象整理表です」

 ミレイユが確認した。

 赤竜は短く言った。

「多い」

 リオルは思わず言う。

「赤竜が一言で負けた」

「負けていません」

 メルセナは言った。

「処理します」

「人間は、契約を紙で囲うのだな」

 赤竜が言う。

「囲わないと後で燃えます」

 メルセナは淡々と返した。

 リオルは小さく言う。

「実際に燃えましたしね……」

 赤竜は、リオルを見た。

 リオルは慌てて口を閉じる。

 だが、赤竜は怒らなかった。

 ただ、低く言った。

「だから、紙にするのか」

「はい」

 メルセナが答える。

「燃えた後で、誰が何を守るべきだったか分からなくならないように」

 赤竜は、しばらく黙った。

「面倒だ」

「はい」

「だが、必要なのだな」

「はい」

 ミレイユが最後の確認欄へ筆を置く。

「必要条件は、ほぼ揃いました。あとは竜爪印登録証明の正式保管、旧契約写しの照合、そして最終意思確認です」

 カイルが頷く。

「再契約は可能と見てよいでしょう」

「制度上は、進められます」

 メルセナが言った。

 リオルはその言葉を繰り返す。

「制度上は」

「はい」

 メルセナは頷いた。

「次は、赤竜本人の最終意思確認です」

 リオルは、登録名の欄を見た。

 そこには、もう赤竜ではなく、ヴァルグと書かれていた。

 黒い文字で。

 人間の書類の中に。

「ヴァルグ……」

 リオルが呟く。

 赤竜は、少しだけ目を細めた。

「まだ慣れぬ」

「そうでしょうね」

 メルセナは言った。

「ですが、記録には残りました」

 赤竜は、書類の文字を見た。

「記録とは、先に形になるものなのだな」

「はい」

 メルセナは頷いた。

「だからこそ、後で間違えにくくなります」

 リオルは、そのやり取りを聞きながら、もう一度書類を見る。

 竜籍。

 代筆。

 竜爪印。

 旧契約の読み替え。

 そして、登録名ヴァルグ。

 人間たちは、古い契約を現在の形へ直そうとしていた。

 書類は整っていく。

 契約も、名前も、印も、形になっていく。

 赤竜は、現代制度上の一個体として認め直されようとしている。

 あとは、赤竜自身がそれを受け入れるかどうかだった。


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