召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座~TOPへ


※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。
一 まだ騎士は呼ばない
西の山脈は、近くで見るほど静かだった。
静かすぎる、とリオル・ロステルは思った。
旧火守り谷。
古い文献にそう記されていた場所は、山脈の奥に細く口を開けている。周囲には雪が残っているのに、谷の底だけは薄い。岩肌は乾き、ところどころ黒く焼けたように見えた。
鳥たちが嫌がった場所。
犬が進まなかった場所。
村人が赤い光を見たという場所。
文献、聞き込み、鳥、追跡獣。
ばらばらだった情報が重なった一点が、今、目の前にある。
メルセナ・オルブライトは、洞窟入口から少し離れた場所で立ち止まった。
「ここから先は、赤竜の領域と考えてください」
声はいつも通り静かだった。
だが、周囲の記録担当や連絡係は、その一言で姿勢を改めた。
「大声を出さない。不要な魔法を使わない。金属音を立てない。財宝に触れない。こちらが攻撃され、回避できない場合のみ対応します。基本は通過です」
カイル・レイヴァンが頷いた。
「交戦条件は、防御または通路確保に限定」
「はい。赤竜討伐ではありません。ガーディアン討伐でもありません」
メルセナは、洞窟の暗がりを見た。
「今回の目的は、赤竜の前まで到達することです」
リオルは、その言葉を聞きながら周囲を見回した。
王国軍の大部隊はいない。
騎士の姿も、まだない。
いるのは、メルセナ、カイル、ミレイユ、リオル。そして必要最小限の記録担当と連絡係だけだった。
「あの、騎士の人たちは?」
リオルが尋ねると、カイルが答えた。
「拠点で待機している」
「ここまで一緒に来ないんですか?」
「来ていない。移動で体力を使わせないためだ」
メルセナが続ける。
「洞窟内で必要なのは、万全の状態の騎士です。山道を越えさせて疲労させる意味はありません」
「じゃあ、どうやって来るんですか?」
「召喚で呼び出します」
「人間も?」
「契約があれば可能です。今回は短期契約です」
リオルは、思わず瞬きをした。
動物や熊や鳥を呼ぶのとは違う。
人間を呼び出す。
それは、契約の重さが違う気がした。
ミレイユ・グレインが通信水晶の光を確認する。
「拠点側との接続は維持できています。帰還支援の短期契約も確認済みです」
「帰還支援?」
リオルが聞く。
「帰りは、別の高位召喚士に戻してもらいます」
メルセナが答えた。
「徒歩撤退を前提にしません。交渉後、あるいは緊急撤退時には、拠点側から召喚で回収してもらいます」
「別の高位召喚士?」
カイルが少しだけ口元を緩めた。
「メルセナ様のお師匠様だ」
「先生の先生……」
リオルはメルセナを見る。
「先生よりすごい人なんですか?」
「魔力量と召喚マネジメントだけで言えば、現在は私の方が上です」
「言い切った」
「ですが、私の師です。敬意を忘れる理由にはなりません」
「……はい」
通信水晶の向こうから、短く笑うような気配がした。
声は届かない。
だが、メルセナがほんのわずかに姿勢を正したことで、相手がただの協力者ではないのだと分かった。
「じゃあ、今は騎士さんたちを呼ばないんですか?」
リオルが尋ねる。
「まだ呼びません」
メルセナは答えた。
「どうしてですか?」
「どこで、何に当てるべきかが分かっていないからです」
カイルが洞窟入口を見た。
「文献上、ガーディアンがいる可能性は高い。だが、数も位置も、動きも、通路との関係もまだ不明だ」
「先に地図を作ります」
メルセナが言った。
「騎士を呼ぶのは、その後です」
リオルは洞窟の暗がりを見た。
まず、地図。
戦うためではなく、通るための地図。
その地図を作るのは、騎士でも軍でもなく、自分が呼ぶ小さな命たちだった。
二 二百体
洞窟の入口は、思ったより低かった。
人が二人並んで入れる程度の幅はある。
だが、天井は高くない。
中へ入ると、空気が変わった。
熱い。
火が燃えているわけではない。
けれど、乾いた熱が岩から滲み出している。息を吸うと喉の奥が少し痛い。足元の雪はとうに消えていて、岩肌は黒く湿り気を失っていた。
「本当に、ここだけ雪が薄い」
リオルが呟く。
カイルが周囲を確認した。
「鳥と追跡獣の報告通りですね」
ミレイユも古い写しを見ながら言う。
「文献上の旧火守り谷とも一致します」
メルセナは足を止めた。
「では、索敵を始めます」
リオルは頷いた。
「ハツカネズミですね」
「はい。洞窟では鳥より向いています」
小さい。
隙間に入れる。
壁沿いに進める。
足音が小さい。
分岐を広く確認できる。
大型ガーディアンに気づかれにくい。
何より、危険を感じれば戻れる。
ハツカネズミは戦えない。
ガーディアンを止めることもできない。
だが、地図を作ることはできる。
リオルは洞窟入口の岩陰に膝をついた。
「まず十体、呼びます」
「お願いします」
リオルは手を合わせる。
小さな召喚陣が、岩の上に淡く広がった。
「来られる子だけでいい。怖かったら戻っていい。暗いところだけど、道を見てほしい」
一匹。
二匹。
三匹。
小さな足音が、岩陰に集まる。
丸い耳。
細いひげ。
黒い目。
ハツカネズミたちは、リオルの足元で鼻を動かした。
十体が揃う。
メルセナはそれを見て、静かに尋ねた。
「ちなみに、何体まで呼べますか?」
「魔力量の都合で維持できるのは、二十体くらいです。でも、呼べるかどうかで言えば、たぶん百体はいけると思います」
カイルが少しだけ眉を寄せた。
「二十体なのか、百体なのか、どちらですか」
「維持できるのが二十体くらいです。呼べるかどうかで言えば、もっといける気がします」
メルセナは頷いた。
「召喚条件と魔力量上限が別、ということですね」
「たぶん、そうです」
「ならば、委託契約をお願いします」
「鳥の時と同じですか?」
「同じ構造です。あなたが呼び、私が魔力維持の九割を負担します。調査指揮と班分け、報告統合も私が行います。あなたは残り一割と、安心付け、危険時の呼び戻しを担当してください」
「そうすると、二百体まで?」
「あなたが十割負担で二十体なら、一割負担で二百体まで成立します。ただし、召喚対象が応じることが前提です」
リオルは足元のハツカネズミたちを見る。
「やってみます」
契約陣が重なる。
召喚関係はリオルに残る。
ハツカネズミたちが応じる理由も、リオルとの関係性のままだ。
ただし、召喚後の魔力維持は、九割をメルセナが負担する。
鳥百羽の時と同じ。
リオルが呼び、メルセナが支える。
そしてメルセナが、使える形へ整える。
リオルはもう一度、呼びかけた。
「来られる子だけでいい。暗い場所だけど、危なくなったら戻っていい。道を見て、壁を見て、熱いところや怖いところを覚えて戻ってきて」
召喚陣が広がる。
小さな足音が増える。
十体。
二十体。
五十体。
百体。
岩陰が、小さな命で満ちていく。
リオルの胸には重さがあった。
だが、潰されるような重さではない。
自分の一割が、たしかにハツカネズミたちと繋がっている。
そして、その九倍の維持を、メルセナが支えている。
百五十体を超えたところで、カイルが小さく息を吐いた。
「これは……」
二百体目が召喚陣から現れた時、メルセナもほんのわずかに目を細めた。
「二百体は……すさまじいですね」
「そうなんですか?」
リオルが聞くと、メルセナは率直に頷いた。
「私もハツカネズミとの契約はありますが、三体程度です」
「先生でも?」
「ええ。他の高位召喚士も似たようなレベルでしょう。用途は、ちょっとした索敵や諜報です」
リオルは、足元の小さな群れを見た。
「じゃあ、二百体は普通じゃないんですね」
「普通ではありません。しかも、これはあなたの本当の上限ではない可能性があります」
「え?」
「現状では、あなたの魔力量と、委託契約で私が九割負担する都合から二百体にしています。さらに洞窟内で安全に運用できる数としても、ここが上限です」
「呼べるだけなら、もっと?」
「可能性はあります。ハツカネズミは増えるのが早い。関係性が広がれば、召喚条件としてはさらに増える可能性があります」
「でも、そんなに呼んだら維持できません」
「はい。ですから今は二百体です。呼べることと、維持できることと、安全に運用できることは別です」
「別……」
リオルはその言葉を噛みしめた。
呼べる。
維持できる。
運用できる。
戻せる。
全部、別のことだった。
メルセナはハツカネズミたちを見た。
「高位召喚士は魔力量が多い者が多い。ですが、人間以外の召喚対象との関係性作りに苦労する者も多い」
「魔力があっても、応じてもらえない」
「はい。だから、安易に人間前提の運用へ走る召喚士もいます」
「人間前提?」
「相手が人間であれば、条件と報酬を提示し、契約さえ成立すれば運用できます。動物や精霊のように、長く関係を作る必要がない場合も多い」
リオルは少し黙った。
「それって、便利ですけど……」
「便利です。軍事運用としても有効でしょう。抑止力として使える面もあります。そこまで含めて、私は否定する気はありません」
「でも」
「はい。危うい職能です。契約で人を動かすことに慣れすぎると、相手を戦力、駒、扱いやすい便利な召喚対象としてしか見なくなる」
「便利な召喚対象……」
「はい。相手が動物でも、精霊でも、人間でも、本来はそれぞれ事情があります。ですが、契約で動かすことに慣れすぎると、その事情を見る前に、使えるかどうかで判断するようになる」
「それが、黒くなるってことですか」
「はい。召喚士は、呼ぶ相手を選べます。条件を提示できます。報酬も決められます。だからこそ、自分が相手をどう見ているのかを、常に疑わなければなりません」
「……はい」
「あなたは、その危うさに触れる前に、動物との関係性を先に越えています」
「僕が?」
「極めて異例です」
「異例……」
「このような召喚士が世に出れば、周囲はどう思うでしょうね」
「えっと……便利、とか?」
「嫉妬。恐怖。尊敬。おそらく、すべてです」
「全部、ですか」
「はい。だからこそ、扱い方を間違えてはいけません」
「ハツカネズミの扱い方を?」
「あなた自身の扱い方もです」
リオルは、足元に集まるハツカネズミたちを見た。
彼らはただ、呼びかけに応じて来てくれただけだった。
けれど、その数が、外からどう見えるのかを、リオルは初めて少しだけ考えた。
「大規模マッピングを想定した運用は、先生も初めてなんですよね」
「はい。すごく新鮮です」
「初めてなのに、そんなにすぐ運用できるんですか?」
「運用の型は変わりません」
「型?」
「召喚対象の性質と、目的を紐づける。そのために必要な事前情報を集める。条件を決め、報告経路を作る。対象がハツカネズミでも、鳥でも、熊でも、基本は同じです」
「だから、初めてでもできるんですね」
「はい。大規模マッピングは初めてですが、召喚マネジメントとしては十分に運用できます」
リオルはメルセナを見上げる。
「先生、ちょっと楽しそうです」
「無表情です」
「無表情でも、楽しそうです」
「気のせいです」
そう言いながら、メルセナはすでに洞窟図へ線を引き始めていた。
三 戻って地図になる
「二百体を四班に分けます」
メルセナは洞窟入口から見える左右の通路を指した。
「第一班、五十体。右通路の右壁。第二班、五十体。右通路の左壁。第三班、五十体。左通路の右壁。第四班、五十体。左通路の左壁」
ミレイユが記録する。
「中央は使わないのですね」
カイルが確認した。
「使いません。中央は大型ガーディアンの通路になりやすい。足音や振動が伝わりやすく、隠れる場所も少ない」
メルセナは、足元のハツカネズミたちを見る。
「壁沿いに進ませます。壁沿いなら、隙間に逃げ込める。分岐を見つけやすい。壁の熱や振動も感じやすい」
「この子たち、地図は描けませんよ?」
リオルが言うと、メルセナは頷いた。
「描けなくて構いません。どこで分かれたか、何がいたか、大きいか小さいか、戻れそうか危ないか。それだけ分かれば十分です」
「十分なんですか?」
「前提があります。ここは洞窟で、赤竜がいて、ガーディアンがいる。前提が正しければ、断片でも地図になります」
「断片でも」
「はい。地図を描くのはハツカネズミではありません。断片を地図にするのが、私たちの仕事です」
メルセナはさらに条件を伝えていく。
「分かれ道があれば、同じルールで分隊を作ります。右壁担当は右壁を、左壁担当は左壁を見ます。報告は必ず元の班へ戻すこと」
リオルは、ハツカネズミたちに言葉を柔らかくして伝える。
「右の壁を見る子。左の壁を見る子。分かれ道があったら、また右と左に分かれる。でも、少なくなりすぎたら戻ってきて」
メルセナが補足する。
「分隊が三匹以下になったら引き返します」
「三匹以下」
「はい。単独行動は禁止。二匹行動も危険。三匹以下は、探索継続ではなく報告帰還の条件です」
「どうして三匹なんですか?」
「周囲を見る目と耳が減るからです。一匹が前を見る。一匹が後ろを見る。一匹が壁際を見る。最低でもそれが必要です」
リオルは足元のハツカネズミを見た。
「危ないところまで行かせるんですか」
「行かせません。危険を見つけたら戻るのが任務です」
「見つけたら戻る」
「はい。死ぬまで進む索敵ではありません。戻って地図になる索敵です」
「戻ることが大事」
「戻らなければ、情報になりません」
リオルは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
使い捨てではない。
この子たちは、戻るために行く。
地図になるために戻る。
メルセナは撤退条件を読み上げた。
「強い熱。焦げた匂い。大きな足音。床の震え。壁の動き。光る目。滑らかな白いもの。赤黒いもの。動く壁のようなもの。仲間が戻らない場合は追わずに報告。赤竜の気配を感じたら全班撤退」
リオルは一つずつ、ハツカネズミたちへ伝えた。
小さな耳が動く。
小さな鼻が揺れる。
やがて、二百体のハツカネズミが、四つの流れに分かれて洞窟の壁沿いへ散っていった。
リオルは不安で、思わず言った。
「この子たち、奥から僕に話しかけられるわけじゃないですよ」
「分かっています。遠距離念話は前提にしません」
「じゃあ、どうやって報告を?」
「戻ってもらいます。分隊から班へ。班からこちらへ。報告を段階的に戻します」
「伝言みたいに?」
「はい。ただし、誰が見た情報かを消してはいけません」
カイルが頷く。
「報告が遅れる前提で動くわけですね」
「はい。即時性より、確実性を優先します」
メルセナは洞窟図の上に四つの大きな線を引いた。
「小さな偵察員たちが、戻ってきて報告することで成立する地図作りです」
四 避けられない三つ
最初の報告役が戻ってきたのは、思ったより早かった。
第一班のハツカネズミが、リオルの靴の上まで駆けてくる。
リオルは膝をつき、指先をそっと近づけた。
「どうしたの?」
小さな鼻が震える。
「みぎ。あつい」
「右の壁が熱い」
ミレイユが記録する。
「第一班、右通路右壁。熱反応」
別のハツカネズミが戻る。
「ひだり。すきま」
「左の壁に隙間」
「第二班、右通路左壁。隙間あり」
次々に、小さな報告が戻ってくる。
床が震える。
焦げた匂い。
低いところを通れる。
空気が流れている。
戻る道が分からなくなりそう。
リオルがニュアンスを受け取り、言葉にする。
ミレイユが記録する。
カイルが実際に通れる幅や、後で騎士が動けそうな場所を確認する。
メルセナが、文献図と照らし合わせる。
やがて、一匹が戻ってきた。
そのハツカネズミは、いつもより体を低くしていた。
「つるつる。しろい。うごいた」
リオルは息を止める。
「白くて、つるつるしたものが動いた、みたいです」
ミレイユの筆が止まらない。
「ガーディアン候補として記録します」
「大きさは」
メルセナが聞く。
リオルはハツカネズミの感覚を探る。
「えっと……壁みたい、だそうです」
カイルが低く言った。
「大型か」
「大型候補。確定しないでください」
メルセナは言う。
「どの通路ですか」
「中央寄りです。右通路から見える、広いところ」
「白き門番は中央通路を巡る」
ミレイユが文献の一節を読み上げる。
「対応する可能性があります」
また別の報告が戻る。
「ちいさい。はやい。かたい」
リオルは眉を寄せた。
「小さい、速い、硬い」
「小型ガーディアン候補」
メルセナが言う。
「場所は」
「足元。壁沿い。近いところを走ったみたいです」
さらに、別の分隊から戻ったハツカネズミが、床の震えと重い足音を伝える。
別の個体は、分岐付近に硬いものが立っていたと伝える。
大きすぎず、小さすぎない。
通路を塞ぐようにいた。
「中型候補」
カイルが言った。
メルセナは、三つの印を地図に置いた。
大。
中。
小。
「大・中・小は、強さの序列ではありません」
メルセナが言う。
「大は防御寄り。中は防御と速度のバランス型。小は速度寄り。どれも危険です」
「避けられますか」
リオルが聞く。
メルセナはしばらく地図を見た。
文献図。
ハツカネズミの報告。
熱の壁。
低い風。
戻れた道。
戻れなさそうな道。
それらを重ねてから、静かに首を横に振った。
「完全には避けられません」
リオルの喉が鳴る。
「三体とも、ですか」
「はい」
メルセナは地図を指す。
「最短だけなら、この中央通路です」
地図の中央には、赤き間へ真っ直ぐ近づく線がある。
「ですが、この道は途中で複数の巡回範囲が重なります。大ガーディアンだけではありません。中型、小型の反応も近い。ここを通れば、同時に複数のガーディアンへ対応しなければならない可能性が高い」
リオルは地図を見る。
中央通路は、確かに赤き間へ近い。
だが、その近さの分だけ、印が集まりすぎていた。
「じゃあ、安全な道は?」
「あります。ただし遠すぎます」
メルセナは外側の迂回路を指した。
「熱の強い区域を通ります。戻れない分岐も多い。ハツカネズミたちの報告も不安定です。接触するガーディアン数は減るかもしれませんが、道そのものの危険が増えます」
「最短も駄目。安全そうな道も駄目」
「はい。必要なのは、最短かつ安全な道です」
カイルが地図を覗き込む。
「条件は?」
「接触するガーディアン数が少ないこと。接触が避けられない場合、一対一に持ち込めること。騎士が回避、誘導、足止めを行うだけの空間があること。そして、私たちが通過できる幅と撤退できる分岐が残っていることです」
ミレイユが記録する。
「距離だけではなく、戦闘空間も見るのですね」
「はい。今回の戦闘は倒すためではありません。通るためです。騎士が動けない場所では、どれほど近道でも使えません」
ミレイユが文献の別の行を読む。
「赤き間へ至る道は低い風を持つ」
その時、右通路担当の報告役が戻ってきた。
リオルはハツカネズミを両手の間に迎える。
「どうしたの?」
「かぜ。ひくい。みぎ。した」
リオルは顔を上げた。
「戻ってきた子たちが、右壁沿いに低い風があるって言ってます」
メルセナの視線が文献へ落ちる。
「文献の『低い風』と一致します」
ミレイユも頷いた。
「中央ではなく、右壁沿いの低い横道」
カイルが洞窟図に線を引く。
「狭いが、通れるか」
別のハツカネズミが戻る。
「ひくい。ひと、ひとり。よこ」
リオルは少し考えた。
「人が一人、横になれば通れるくらい……たぶん、かなり低いです」
「騎士全員で一度に通るのは無理ですね」
カイルが言う。
「順番を決めます」
メルセナは、右壁沿いの低い横道に線を引いた。
「ここを本線にします」
「でも、ガーディアンは避けられないんですよね」
「はい。三度、接触します」
リオルは息をのんだ。
メルセナは落ち着いていた。
「ただし、同時ではありません。一体ずつです。大ガーディアンは中央通路を横切る時。中ガーディアンは分岐付近。小ガーディアンは低い横道の入口。順に対応できます」
「一対一にできる」
「はい。それが、この道を選ぶ理由です」
メルセナは地図を指でなぞる。
「近すぎる道では、複数を同時に相手取る危険がある。遠すぎる道では、熱と分岐で消耗する。この道なら、接触数を三つに抑え、すべて一対一に分けられます。さらに、それぞれの場所に騎士が動ける空間があります」
「だから、ここが最短かつ安全な道」
「正確です」
メルセナは通信水晶へ視線を向けた。
「ここからは、通るために騎士を呼びます」
五 一対一の理由
「騎士さんを、もっと呼ばないんですか?」
リオルは地図を見ながら尋ねた。
大ガーディアン。
中ガーディアン。
小ガーディアン。
どれも避けきれないのなら、人数は多い方が安全に思えた。
だが、メルセナは首を横に振る。
「呼びません」
「どうしてですか?」
「ガーディアンの攻撃方法が分からないからです」
「攻撃方法」
「はい。文献から分かるのは、形状と配置の傾向だけです。遠距離攻撃を持つかもしれない。範囲攻撃を持つかもしれない。通路全体を焼く、砕く、押し潰す、あるいは音や振動で攻撃する可能性もあります」
リオルは洞窟の奥を見る。
暗い通路が、急に狭く感じられた。
「人数が多いと、巻き込まれる?」
「はい。下手に人数を増やせば、一度の攻撃で被害が甚大になります。洞窟内では逃げ場も限られます」
カイルが地図を指す。
「通路の幅も問題だ。人が多ければ、回避する場所を互いに潰す」
「それもあります」
メルセナは頷いた。
「一対一なら、被害を限定できます。さらに、今回呼ぶ騎士たちは、個人での回避能力、生存能力、判断速度が高い。集団で受けるより、一人で避け続けた方が生存確率が高い場合があります」
「一人の方が安全なこともあるんですね」
「あります。特に、相手の攻撃範囲が分からない時は」
リオルは地図の三つの印を見る。
「一対一は、勇敢だからじゃなくて」
「安全設計です」
「人数を減らすことも、防衛なんですね」
「正確です」
メルセナはミレイユへ頷いた。
「拠点へ接続を」
「接続済みです」
ミレイユが通信水晶へ手をかざす。
メルセナは短く告げた。
「三名を呼びます」
洞窟内の少し広い場所に、三つの召喚陣が開いた。
光が立ち上がる。
その中から、三人の騎士が現れた。
一人目は、細身で軽い鎧をまとった青年だった。フィン・ラザフォード。大きな剣は持たず、短い刃と細い槍を組み合わせたような武器を背負っている。立ち姿が軽い。今にも横へ消えそうだった。
二人目は、幅のある体格の騎士だった。ガレス・ヴァルド。重い鎧を着ているが、鈍くは見えない。大きな戦槌を肩に担ぎ、洞窟の暗がりを見ても表情を変えなかった。
三人目は、巨大な盾を持つ女性騎士だった。
ブリギット・エインズワース。
長身で、銀髪の細身の女性だった。背は高いが、鎧越しにも線の細さが分かる。
その腕にある盾は、彼女の体格には少し不釣り合いに見えた。巨大な盾を持っているのに、とても守りに強い騎士には見えない。
だが、足運びだけは奇妙なほど静かだった。
守るために前へ出る者というより、相手が来る場所を先に知っている者に見えた。
三人とも、移動の疲労はない。
装備も整っている。
呼び出された瞬間から、戦える状態だった。
メルセナは地図を示した。
「契約内容を確認します。赤竜討伐ではありません。ガーディアン討伐でもありません。あなた方の任務は、交渉地点へ到達するための護衛、通路確保、ガーディアン対応、撤退路保持です」
フィンが軽く肩を回す。
「倒さなくていい、と」
「はい。進路を変えさせる。足を止める。私たちが通過する時間を作る。それで十分です」
ガレスが低く笑う。
「わかりやすい」
ブリギットは地図を見て、静かに頷いた。
「通るための契約ですね」
「はい」
メルセナは三つの印を指す。
「大ガーディアンは中央通路。フィン、あなたが引きつけてください」
フィンは軽く笑った。
「嫌われるのは得意です」
「撃破ではありません。中央から外し、こちらが横切る時間を作ること」
「承知」
次に、メルセナは分岐付近を指した。
「中ガーディアンはこの分岐です。ガレス、短時間だけ押し込んでください」
ガレスが戦槌を持ち直す。
「砕けそうでも?」
「砕くことが目的ではありません。動線を固定し、通過時間を作ること」
「承知した。止める」
最後に、メルセナは低い横道の入口を指す。
「小ガーディアンは足元から来ます。ブリギット、リオルと報告線を守ってください」
ブリギットは巨大な盾を静かに構えた。
「追いかけません。待つ方が、わたくしには向いています」
「はい。小型高速型を追えば崩されます。動かし続け、選べる道を減らしてください」
「承知しました。行きたい場所へは行かせません」
リオルはそこで理解する。
これは、勝つための配置ではない。
通るための配置だ。
六 大ガーディアン
本隊は中央通路へ向かった。
ハツカネズミたちの報告では、大ガーディアンは中央を巡回している。
中央通路を最初から最後まで進むわけではない。
しかし、赤き間へ至る低い横道へ入るには、どうしても中央の巡回範囲を横切らなければならない。
フィンが先に出た。
足音が軽い。
洞窟内なのに、まるで床に触れていないようだった。
次の瞬間、白いものが通路の奥で動いた。
壁かと思った。
だが、壁ではない。
白く、滑らかで、巨大な守護体。
土や石ではなく、焼かれた陶材のような質感。
人型に近いが、人ではない。
大ガーディアン。
それが、中央通路を塞ぐように動いていた。
リオルは息を止めた。
大きい。
ただ大きいだけではない。
動きに無駄がない。
鈍重な岩の塊ではなかった。
大ガーディアンの頭部らしき部分が、本隊の方を向く。
その前に、フィンが横へ飛んだ。
短い刃が、白い装甲の表面をかすめる。
傷はつかない。
だが、硬い音が洞窟内に響いた。
大ガーディアンの向きが変わる。
「こっちです。大きい方」
フィンは軽く笑う。
大ガーディアンが一歩踏み出した。
床が揺れた。
リオルの足元のハツカネズミたちが、一斉に身を低くする。
フィンは避ける。
避け続ける。
攻撃を当てるのではなく、向きを変えさせる。
大ガーディアンが腕を振るう。
風圧だけで、岩の粉が舞った。
フィンはすでにそこにいない。
背後ではない。
横でもない。
大ガーディアンが振り向かなければ見えない、嫌な位置にいる。
「今です。通過」
メルセナが短く言った。
カイルが先導する。
リオルはメルセナに続いて中央通路を横切った。
ミレイユも記録板を抱えながら続く。
ガレス、ブリギットが後ろを固める。
リオルは振り返りそうになった。
だが、メルセナが言う。
「見ない。進みます」
フィンはまだ笑っていた。
大ガーディアンの注意は、完全にフィンへ向いている。
本隊が通路を抜けた瞬間、フィンは大きく距離を取った。
倒してはいない。
傷もほとんどない。
だが、通れた。
それが、勝利条件だった。
七 中ガーディアン
低い横道へ向かう途中、分岐があった。
文献とハツカネズミの報告が重なっていた場所。
そこに、中ガーディアンがいた。
大ほど大きくはない。
小ほど速くもない。
だが、最も嫌な位置に立っていた。
通路を塞ぎ、こちらの進路を読んでいるように見える。
リオルは、直感的に分かった。
これは、放っておくと追ってくる。
そして、通路の狭い場所で追いつかれれば、逃げ場がない。
「ガレス」
メルセナが言う。
「任せろ」
ガレスが前へ出た。
戦槌を構える。
中ガーディアンの装甲は、大ガーディアンほど厚くは見えない。
だが、薄いわけではない。
白く滑らかな装甲の下に、硬い芯があるようだった。
中ガーディアンが動く。
速い。
重いはずなのに、動き出しが早い。
ガレスの戦槌が振るわれた。
洞窟内に、重い音が響く。
砕けない。
だが、押される。
中ガーディアンの足が、半歩ずれた。
ガレスは追い込む。
ただし、深くは入らない。
一撃ごとに、相手の立ち位置だけをずらす。
通路の中央から、少し横へ。
分岐の入口から、さらに奥へ。
中ガーディアンが反撃する。
ガレスの鎧が鳴った。
リオルは思わず足を止めそうになる。
「止まらない」
メルセナが言った。
その声は低い。
だが、迷いはなかった。
「ガレスは、倒すために戦っていません」
リオルは歯を食いしばる。
ガレスは中ガーディアンの動線を固定している。
自分たちが通るための時間を作っている。
カイルが先に進む。
ミレイユが続く。
メルセナがリオルの肩を軽く押した。
「今です」
リオルは分岐を抜けた。
背後で、もう一度、戦槌の音が響く。
中ガーディアンが大きく揺れた。
砕けそうに見えた。
だが、ガレスは追わなかった。
一歩下がる。
通路を離れる。
任務は、撃破ではない。
通過時間を作ることだった。
八 小ガーディアン
低い横道の入口は、予想以上に狭かった。
人が一人ずつ、身を低くしなければ通れない。
ガレスは通れない。
フィンは通れる。
ブリギットも盾の角度を変えれば入れる。
リオルは、ハツカネズミたちを先に戻らせながら、入口へ近づいた。
その時だった。
足元の空気が変わる。
小さな白い影が、壁を蹴って走った。
小ガーディアン。
それは本当に小さかった。
リオルの腰ほどもない。
だが、弱くはない。
速い。
速すぎる。
床を滑り、壁を蹴り、視界の端から端へ消える。
ハツカネズミたちが一斉に身を低くした。
小ガーディアンは、彼らの報告線へ向かっている。
その前に、ブリギットが盾を置いた。
金属音は立てない。
盾の縁を床へ沈めるように置き、道を作る。
小ガーディアンは正面からぶつからない。
横へ回る。
そこには、もう一枚の盾の角度がある。
ブリギットは追わない。
長い脚で半歩動く。
盾を振り回すのではない。
足の位置を変え、腰を回し、盾を身体ごと回転させる。
盾の面が、ほんの少し角度を変える。
それだけで、小ガーディアンが抜けようとした線が消えた。
「盾を、動かしてない……?」
リオルは思わず呟いた。
ブリギットは盾を振り回していない。
盾だけを横へ出しているわけでもない。
彼女自身が半歩動く。
足を置き換える。
腰を回す。
その結果として、盾の角度が変わる。
小ガーディアンが抜けようとした場所に、いつの間にか盾の縁がある。
メルセナが小さく言った。
「盾を動かしているのではありません。盾を持った自分の位置を変えています」
「それで、あんなに速く」
「はい。腕だけで動かすより、身体ごと回した方が速く、崩れにくい」
小さな白い影は、正面からぶつからない。
だからこそ、ブリギットも正面から受けない。
行きたい場所の少し手前に立つ。
曲がりたい先へ盾の縁を置く。
逃げたい隙間を、半歩で消す。
力任せに止めているわけではない。
盾を振っているのでもない。
ブリギット自身が動くことで、盾の角度を変えている。
長身の細い体が、洞窟の狭い入口で奇妙なほど広く見えた。
「速いものほど、選べる道が減ると焦ります」
ブリギットは静かに言った。
「ですから、追いません。道を消します」
小ガーディアンは、何度も進路を変える。
そのたびに、ブリギットは盾の角度と立ち位置だけで、進路を削っていく。
攻撃していないわけではない。
だが、打ち倒すための攻撃ではない。
相手の選択肢を減らすための防御。
相手を動かし続けるための待ち。
小ガーディアンの動きに、一瞬の偏りが出た。
ブリギットが盾を身体ごと回転させる。
小ガーディアンは横へ流され、低い横道の入口から外れる。
「通過」
メルセナが言った。
リオルはハツカネズミたちを呼び戻しながら通る。
小ガーディアンは倒されていない。
だが、自由には動けなかった。
それで十分だった。
九 ハツカネズミ二百体の地図
本隊は進み続けた。
ハツカネズミたちは、壁沿いに戻ってくるもの、先を確認するもの、報告役として走るものに分かれていた。
遠距離念話ではない。
小さな偵察員たちが、実際に戻ってくる。
そのたびに、リオルが受け取り、言葉にする。
「右、熱い」
「左、穴」
「床、震える」
「つるつる、遠い」
「小さい足音、近い」
ミレイユが記録する。
カイルが通れる幅を測る。
メルセナが判断する。
騎士たちは、戦う場所ではなく、通る場所を選ぶ。
リオルは、自分が呼んだ小さな命たちが、洞窟の中に地図を作っていくのを見ていた。
ハツカネズミたちは、言葉では地図を描けない。
けれど、どこで分かれたか、何がいたか、大きいか小さいか、戻れそうか危ないかは伝えられる。
右の壁が熱い。
左に小さな穴。
床が震える。
白くてつるつるしたものが動いた。
それだけなら、ただの断片だった。
けれど、メルセナは断片を線にした。
ミレイユが記録し、カイルが通れる幅を測り、騎士たちが戦う場所ではなく、通る場所を選ぶ。
リオルは、ふと鳥百羽の時を思い出した。
あの時は、空の断片が人相書きになり、商人へ繋がり、古い魔道具へ辿り着いた。
今は、壁沿いの断片が洞窟の形になっている。
鳥とハツカネズミ。
空と壁。
違うようで、同じだった。
呼ぶ。
任せる。
戻す。
報告を受ける。
傷つけない。
目的に合わせて使う。
使い捨てにしない。
召喚士の仕事は、呼ぶことだけではない。
リオルは、ようやくそれを少し理解し始めていた。
奥で、低い音がした。
岩が鳴ったのか。
何かが動いたのか。
それは分からない。
だが、フィンがすっと後方から戻り、ガレスが息を整え、ブリギットが盾を半歩引いた。
誰も大声を出さない。
誰も勝ったとは言わない。
通るための布陣が、静かに役目を終えていく。
メルセナは歩調を変えない。
リオルも、必死にそれに合わせた。
やがて、熱が強くなった。
空気が乾く。
音が吸われる。
洞窟の奥から流れてくる風が、ただの熱ではなくなる。
何か大きなものの気配。
眠っているのか。
怒っているのか。
待っているのか。
リオルには分からない。
けれど、ハツカネズミたちは分かっていた。
足元の小さな群れが、一斉に戻りたがる。
リオルは息をのんだ。
「この先、嫌がってます」
メルセナは即座に言った。
「全班撤退」
「全部?」
「はい。ここから先は、索敵ではありません」
カイルが低く言う。
「交渉ですね」
「はい」
リオルは、ハツカネズミたちへ呼びかけた。
「戻って。みんな戻ってきて」
小さな足音が、ひとつ、またひとつ、リオルの足元へ集まる。
第一班。
第二班。
第三班。
第四班。
分隊から戻った個体。
壁沿いを走っていた個体。
途中で怖くなって引き返した個体。
水を飲み、リオルの袖の近くへ寄る。
彼らが作った地図は、ここで終わっていた。
この先に道はある。
だが、もう探る場所ではない。
熱い風が、洞窟の奥から流れてくる。
メルセナは足を止めた。
その横顔は、いつもより少しだけ硬い。
それでも声は静かだった。
「ここから先は、交渉です」
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