勇者の条件 第8話 血筋の檻

勇者の条件 第8話 血筋の檻 創作実験
勇者の条件 第8話 血筋の檻

勇者の条件 TOPへ

勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…
勇者の条件 第8話 血筋の檻 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

系図の部屋

魔王城、記録塔。

塔の内側は、石壁が見えないほど紙で埋まっていた。

人間の家系図である。

赤い糸。

黒い札。

細い書き込み。

婚姻。

養子。

分家。

神殿入り。

騎士団入り。

道場への入門。

薬師の家への奉公。

巡礼中の行方不明者。

勇者の一族とされる家系は、もはや一本の線ではなかった。

複数の村。

複数の神殿。

複数の小貴族。

道場。

薬師の家。

巡礼者の血筋。

歴代勇者の周囲にいた者たちの子孫。

勇者を助けた者。

勇者に剣を教えた者。

勇者を匿った者。

勇者へ古い道を教えた者。

そうした者たちまで含めると、線は蜘蛛の巣のように広がっていた。

死霊宰相が、その前に立っている。

「勇者血族と断定できる家系は三十二。関係家系は百を超えます。婚姻、養子、師弟関係を含めるなら、さらに広がります」

竜将が低く唸った。

「多すぎる。やはり、まとめて焼いた方が早いのでは」

現魔王は、系図から目を離さなかった。

「焼けば、残った者が散る」

「残さねばよい」

「人間は思ったより多い。血は思ったより薄く広がる。全てを殺すには、国を滅ぼす規模の戦になる」

竜将は口を閉じた。

死霊宰相が補足する。

「実際、完全な殲滅は非効率です。勇者血族かどうか曖昧な者も多い。殺害対象を広げれば、人間諸国の結束を招きます」

吸血侯が、壁の一角を指す。

「こちらは神殿入りした血族。こちらは騎士団へ入った者。こちらは母方から薄くつながる家。すべてを敵として扱えば、王都、聖都、地方貴族、村落が一気につながります」

竜将が不満げに言う。

「つながる前に斬ればよい」

現魔王が答える。

「つながりを知る前に斬れば、次にどこを見るべきか分からなくなる」

記録塔に、短い沈黙が落ちた。

魔王は、赤い糸の一本に指を触れた。

「血筋は、線だ」

その指が、別の札へ移る。

「線は、追える」

次に、枝分かれした複数の札を見る。

「だが、切れば散る」

竜将は何も言わなかった。

現魔王は静かに続ける。

「だから殺さない。囲う」

記録官が筆を構える。

「方針は」

現魔王は言った。

「血筋を檻に入れる」

記録官の筆が、羊皮紙に走った。

勇者血族対策。

殲滅ではなく封鎖。

殺害ではなく監視。

移動、連絡、婚姻、養子、神殿接触、師弟関係を記録。

血筋を檻に入れる。

小さな抵抗

死霊宰相が、封鎖後の報告を読み上げた。

「東辺境封鎖後、複数の家系で動きがありました。子どもの移動、聖都宛の密書、古剣の移送、神殿への使い、家系図の焼却、婚姻先への逃亡」

吸血侯が続ける。

「彼らは見ているだけではありません。古い手順に従って、勇者候補を外へ出そうとしている」

竜将が鼻を鳴らす。

「やはり危険ではありませんか」

現魔王は問う。

「成功した例は」

吸血侯が答えた。

「現時点ではありません」

死霊宰相が報告書をめくる。

「封鎖線が機能しています。主要路は塞がれ、獣道も巡回対象です。密書は三通、古剣は二振り、神殿への使者は五名捕捉しました」

記録官が、捕捉物を一覧にして読み上げる。

聖都宛書簡。

勇者血族の系図。

古剣。

旅装束。

薬袋。

家紋入りの小布。

神殿への寄進記録。

東辺境の外にいる親族の名。

現魔王は、その一つ一つを聞いていた。

怒りはない。

勝ち誇る様子もない。

ただ、情報として受け取っている。

「ならば、戦略は効いている」

竜将が満足げに息を吐く。

だが、魔王は続けた。

「効いている間に、次の動きを読む」

死霊宰相がうなずく。

「抵抗は続くと」

「続く。閉じ込められた者は、最初に道を探す。道がなければ、手紙を出す。手紙が止められれば、人を動かす。人が止められれば、物を隠す」

吸血侯が微笑む。

「物が奪われれば、記憶に逃がす」

現魔王は、吸血侯を見た。

「そうだ。だから殺すな。殺せば、記憶だけが残る」

竜将が眉をひそめる。

「記憶だけなら、脅威ではないのでは」

「記憶は、次に動く者を作る」

現魔王は系図を見る。

「血筋だけでは勇者にならぬ。だが、血筋を守ろうとする者たちがいる。その者たちの動きが、次の条件を見せる」

記録官が書いた。

勇者血族の抵抗、継続予測。

動きを封じつつ、支援線を把握。

殺害ではなく、情報化。

閉じられた家

東の辺境の村。

夜。

勇者の一族と呼ばれる古い家の中で、灯りが絞られていた。

窓は布で覆われている。

火は小さい。

外から見れば、ただ眠っている家にしか見えない。

だが、家の奥には人が集まっていた。

年老いた女。

少年の母。

村の神官。

そして、十代半ばの少年。

机の上には、古い剣がある。

古い地図。

聖都へ宛てた書簡。

小さな薬袋。

短剣。

家紋の刺繍が入った布。

少年は、短剣を握っていた。

手は震えている。

震えを止めようとして、余計に強く握っている。

老女が言った。

「昔なら、もう隣の町へ出していた」

母親が尋ねる。

「隣の町へ出せば、勇者になるのですか」

老女は首を振った。

「分からん」

母親は黙る。

老女は、少年を見る。

「ただ、村の中だけでは何も分からん。道を覚え、人を見て、魔物を知って、負けて、逃げて、また立つ。そういうものを積まねばならん」

少年は、顔を上げた。

「僕は、勇者にならなきゃいけないんですか」

誰もすぐには答えなかった。

神官も。

老女も。

母親も。

その沈黙が、少年には答えのように聞こえた。

母親が、小さく言う。

「勇者にならなくてもいい」

少年が母を見る。

母親は、無理に笑おうとはしなかった。

「ただ、このまま閉じ込められて終わってほしくない」

神官が、聖都宛の書簡を手に取る。

「聖都へ知らせを出します。中央神殿が動けば、封鎖を破る手段もあるはずです」

老女は、神官を見た。

「中央は動けるのか」

神官は答える。

「動くはずです。勇者の一族が封じられている。聖都が黙っているはずがない」

その声には、信じたいという響きがあった。

彼らは知らない。

中央神殿の神託の間が沈黙したことを。

聖剣が神殿から消えたことを。

勇者を認定する祭具が砕かれたことを。

彼らは、古い手順に従おうとしていた。

東の辺境から聖都へ知らせる。

神殿が動く。

勇者候補を保護する。

聖剣を授ける。

それが、彼らの知る道だった。

その道は、すでに別の場所で断たれていた。

証など外へ出てからでいい

脱出計画は、大きな反乱ではなかった。

少年を一人、森側の古道から外へ逃がす。

村の猟師が途中まで案内する。

神官の密書を持たせる。

古い剣は目立つ。

だから持たせない。

旅人の服。

短剣。

薬袋。

家紋の入った小布。

それだけを持たせる。

神官が眉をひそめた。

「剣は持たせないのですか」

老女は、机の上の古剣を見た。

「持たせるな」

「しかし、これはこの家に伝わるものです。勇者の証として……」

「勇者らしく見えるものほど、見張りに見つかる」

神官は言葉に詰まった。

老女は、古剣に触れる。

刃は古く、何度も研がれて細くなっている。

立派な剣ではない。

だが、この家にとっては重い剣だった。

「証など、外へ出てからでいい」

神官は驚いたように老女を見る。

「証は、後でよいのですか」

「生きて外へ出られぬ者に、証だけ持たせて何になる」

老女の声は低かった。

「外へ出て、道を覚え、人に会い、負けて、逃げて、また立つ。そうして残ったものが、いつか証になる」

少年は、老女の言葉を聞いていた。

意味をすべて理解できたわけではない。

だが、剣を持たないことが臆病ではないのだと、少しだけ分かった。

母親が少年の肩に手を置く。

「逃げなさい」

少年は母を見た。

「母さんは」

「私は残る」

「でも」

母親は少年の頬に触れた。

「勇者にならなくてもいい。偉くならなくてもいい。誰かに選ばれなくてもいい。ただ、あなたの目で外を見てきなさい」

少年の目に涙が溜まる。

それでも、こぼさなかった。

「帰ってきてもいい?」

母親は、初めて少し笑った。

「帰ってきなさい。必ず」

老女が言う。

「死んだらなんにもならんよ」

少年はうなずいた。

短剣を腰に差し、薬袋を肩から下げ、密書を服の内側へ隠す。

家の外は暗い。

夜道は湿っている。

森は、村のすぐ向こうにある。

少年は、戸口に立った。

母親が、小さく言う。

「行って」

少年は夜へ出た。

見えている脱出

同じ夜。

村の外。

森側の古道に、小鬼隊長が立っていた。

足下には、湿った落ち葉。

背後には、狼型魔獣が二匹。

少し離れた木の上には、吸血侯の配下がいた。

影に溶けるような姿で、村を見ている。

小鬼隊長が小声で問う。

「本当に来ますか」

吸血侯の配下が答える。

「来る」

「なぜ分かるのです」

「三日前から、あの家の薪の量が増えていない。夜に火を焚く時間も短い。家の中の人数が、普段より少なく見えるように調整している」

小鬼隊長は、村の灯りを見る。

「薪で分かるのですか」

「閉じ込められた者は、外へ出る前に家の中を軽くする」

「軽く」

「荷を減らす。火を減らす。食事を減らす。寝る場所を変える。別れを済ませる者もいる」

小鬼隊長は黙った。

人間の家の火。

薪の量。

食事の匂い。

そんなものまで見ている。

小鬼隊長は、吸血侯の配下を横目で見た。

「怖いですね」

配下は笑わなかった。

「怖がらせるために見ているのではない。逃がさないために見ている」

やがて、草が揺れた。

少年と猟師が、古道へ出てくる。

猟師は年配の男だった。

弓を持ち、足音を殺している。

少年はその後ろを歩く。

緊張していた。

呼吸が浅い。

足取りが少し硬い。

それでも、振り返らなかった。

猟師が周囲を確認する。

森の影。

道の湿り。

風の向き。

だが、狼型魔獣が低く唸った。

猟師が止まる。

小鬼隊長が、木陰から前へ出た。

「止まってください」

猟師は弓を構えた。

少年が息を呑む。

小鬼隊長は首を振る。

「撃たない方がいいです。撃てば、後ろの魔獣が動きます」

猟師の指が震える。

弦は引かれたまま。

少年は短剣を握った。

小鬼隊長は少年を見る。

「あなたも抜かない方がいいです。死にます」

少年の目が、小鬼隊長を睨んだ。

恐怖よりも、悔しさの方が強い目だった。

小鬼隊長は、その目を見て少し困った顔をした。

彼は少年を殺すために来たのではない。

だが、逃がすために来たのでもない。

猟師は、ゆっくりと弓を下ろした。

少年は短剣を握ったまま動けない。

狼型魔獣が、また低く唸った。

脱出は、そこで終わった。

殺す命令は出ていません

少年と猟師は、村へ戻された。

連れていかれるのではない。

処刑されるのでもない。

村へ戻される。

そのことが、かえって村人たちの胸を締めつけた。

母親は少年を抱きしめた。

少年は何も言わない。

泣かない。

謝らない。

ただ、肩だけが震えている。

老女は目を閉じた。

神官は、密書が奪われたことを知って顔を青くする。

村人たちは、魔王軍が殺さなかったことに安堵した。

同時に、外へ出られないことを思い知らされた。

小鬼隊長が、命令書を開く。

声は大きくない。

だが、村の広場にいる者には十分聞こえた。

「村外への移動は禁止。聖都への連絡は禁止。古道の使用は禁止。違反が続けば、監視を強化します」

若い村人が叫んだ。

「殺せばいいだろ!」

小鬼隊長は顔を上げる。

若い村人は、怒りで顔を真っ赤にしていた。

「殺せよ! どうせ逃がす気なんかないんだろ!」

小鬼隊長は、少し困った顔をした。

「殺す命令は出ていません」

「じゃあ、どうしろって言うんだ!」

小鬼隊長は答えられなかった。

彼もまた、命令を実行しているだけだった。

村人を殺すな。

逃がすな。

連絡を止めろ。

情報を残せ。

小鬼隊長は、それを守っている。

それだけである。

若い村人は、さらに叫ぼうとした。

村長が肩を押さえた。

「やめろ」

「でも!」

「死ぬな」

村長の声はかすれていた。

「死んだら、何も残せん」

その言葉に、少年が顔を上げた。

夜の広場で、小鬼隊長は命令書を閉じる。

村は焼かれない。

誰も殺されない。

しかし、道は閉じている。

その夜、少年は自分の家へ戻った。

外へ出るために準備した服のまま。

短剣を持ったまま。

何も成し遂げられないまま。

密書

魔王城、記録塔。

押収された密書が、現魔王の前に置かれた。

封はすでに解かれている。

死霊宰相が内容を読む。

「聖都への救援要請。勇者血族の少年一名を保護対象として送る予定。古剣は村に残す。中央神殿の判断を仰ぐ、とあります」

吸血侯が言った。

「彼らはまだ、中央神殿が機能していると思っています」

竜将が笑う。

「無駄な希望ですな」

現魔王は笑わなかった。

「希望は無駄でも、人を動かす」

竜将は口を閉じた。

魔王は、密書を見下ろす。

書かれた文字は、急いでいる。

だが、乱れてはいない。

書いた神官は、混乱の中でも手順を守ろうとしたのだろう。

「この神官の連絡先は」

吸血侯が答える。

「聖都の下級神官です。強襲後、生存確認済み。ただし神託記録へのアクセスは失っています」

「監視しろ。返信を偽装するな。動きを見る」

竜将が問う。

「偽の返信で誘い出さないのですか」

「一度騙せば、一度しか使えぬ。今は網を残す」

吸血侯が楽しげに目を細める。

「網を残せば、魚は増えます」

「魚ではない。線だ」

現魔王は密書の差出人名を指す。

「この神官が誰に頼るか。聖都の下級神官が誰に相談するか。相談された者が、どの家とつながっているか。それを見る」

死霊宰相が、新しい紙を広げた。

脱出を試みた少年の家。

村の神官。

聖都の下級神官。

近隣の薬師。

古い剣術道場。

遠い婚姻先。

線が伸びていく。

一本の家系から、複数の支援者が見え始めていた。

死霊宰相が言う。

「陛下の方針通り、生かして戻したことで、支援者の線が見え始めています」

現魔王はうなずく。

「血筋は一人では動かぬ。守ろうとする者がいる」

吸血侯が問う。

「その者たちも檻に入れますか」

「必要な者だけだ。広げすぎれば、檻ではなく戦場になる」

記録官が書く。

勇者血族、関係線監視。

支援者、選別監視。

無差別拘束は避ける。

神官連絡網、監視継続。

偽装返信、現時点では行わず。

竜将は、不満そうではあった。

だが、もう「殺せばよい」とは言わなかった。

少なくとも、この密書一通から、どれほどの線が見えるかは理解していた。

血筋は血筋でしかない

東の辺境。

昼。

少年は、村の外れで木剣を振っていた。

相手は木の杭である。

動かない。

避けない。

反撃しない。

少年は何度も振る。

腕が重くなる。

息が乱れる。

手の皮が破れる。

それでも止めない。

外へ出られない。

隣町にも行けない。

魔物と戦う機会もない。

相手は木の杭と、年老いた猟師だけ。

猟師は強い。

だが、村の中でできる稽古には限りがある。

少年は、薬草も覚える。

地図も読む。

古い勇者譚も聞く。

神官から祈りの手順も習う。

老女から、昔の道の名前も聞く。

けれど、実地で試せない。

負けることもできない。

逃げ帰ることもできない。

初めて見る魔物の匂いを知らない。

夜道で迷う怖さを知らない。

傷を負ったまま歩く重さを知らない。

少年は、木剣を振り下ろす。

乾いた音がする。

もう一度。

もう一度。

手の皮が破れ、血がにじむ。

それでも振る。

老女が、少し離れたところで見ていた。

少年は息を切らせながら言う。

「絶対に抜け出す」

老女は黙っている。

「母さんは、勇者にならなくてもいいって言ってた。でも俺は悔しい」

少年は、木剣を握りしめた。

「勇者になるとかならないとかじゃない。あいつらに、お前はここから出られないって決められたのが悔しい」

老女は静かに言った。

「死んだらなんにもならんよ」

少年は振り返る。

「待ってても何も変わらない!」

老女は、少しだけ目を細めた。

「それは、変わらないように見えてるだけじゃ」

少年は眉をひそめる。

「どういう意味」

「道が閉じた時、人は道ばかり見る。じゃが、道が閉じている間にも、畑は育つ。子は背が伸びる。見張りは油断を覚える。魔物は縄張りを変える。人の噂も、血のつながりも、少しずつ形を変える」

「だから待てっていうのか」

「違う」

老女の声は低い。

「死なずに見ろと言うておる」

少年は木剣を握り直した。

「見てるだけじゃ、何もできない」

「見ることを、何もしないことと同じにするな」

少年は答えられない。

老女は続けた。

「勇者になりたいなら、なおさらじゃ。走るだけの者は、最初の罠で死ぬ。怒るだけの者は、最初の挑発で死ぬ。悔しさを燃やすのはよい。じゃが、その火で自分を焼くな」

少年は、木剣を下ろした。

息が荒い。

汗が落ちる。

血のにじんだ手が震えている。

「じゃあ、何を見ればいい」

老女は、村の外へ続く道を見た。

そこには魔物がいる。

見張りがいる。

逃げ道はない。

「見張りの交代」

老女は言った。

「魔物の歩く場所。小鬼の癖。村人が何を恐れ、何を諦め、何をまだ諦めていないか。お前自身の怒りが、何を見えなくしているか」

少年は黙った。

老女は続ける。

「血筋だけでは何者にもなれん」

少年が顔を上げる。

老女は、少年をまっすぐ見た。

「外へ出られぬ血筋は、血筋でしかない」

少年は、その言葉を胸の奥で受け止めた。

痛かった。

だが、嘘ではないと思った。

彼には血がある。

古い剣がある。

教えがある。

祈りがある。

誇りがある。

けれど、外へ出られない。

だから、まだ何者でもない。

少年は、もう一度木剣を構えた。

今度は、すぐには振らなかった。

道の向こうを見る。

見張りを見る。

魔物を見る。

小鬼の立ち位置を見る。

その目には、悔しさがまだ燃えている。

だが、少しだけ形が変わっていた。

従来の流れは

魔王城、戦略室。

対勇者戦略の進捗確認が行われていた。

記録官が読み上げる。

「東辺境封鎖、継続。中央神殿の勇者認定機能、停止。導きの石、破壊。人魚、水の精霊王、実在未確認。天空要塞、監視網強化。勇者血族、移動制限および支援者監視、進行中」

長卓には、それぞれの項目を示す札が並んでいる。

出身地。

一族。

神託。

聖痕。

聖剣。

仲間。

その周囲に、さらに多くの小札が増えていた。

東辺境封鎖。

中央神殿沈黙。

聖剣封印。

導きの石破壊。

特殊助力現存せず。

天空要塞強化。

血族移動制限。

竜将が満足げに言う。

「これだけ封じれば、勇者など出ようがありません」

死霊宰相も慎重に言った。

「文献上の勇者発生条件は、ほぼ押さえています」

吸血侯が補足する。

「少なくとも、東の血族から中央神殿へ至り、聖剣を受け、仲間と合流する従来の流れは断たれました」

現魔王は静かに聞いていた。

完全勝利とは言わない。

油断もない。

ただ、並べられた札と記録を見ている。

「従来の流れは、だ」

竜将が問う。

「まだ懸念が?」

「未知の流れは、未知である限り見えぬ」

死霊宰相がうなずく。

「監視を続けます」

「続けろ」

現魔王は言った。

「東は封じた。神殿は沈黙させた。聖剣は封じた。血筋は檻に入れた。だが、戦略は終わりではない」

吸血侯が言う。

「次の報告は」

現魔王は、地図の西を見る。

「西の報告も見たい」

竜将が少し眉を上げた。

「西ですか」

「監視は維持している」

「低優先度では」

「低優先度と、不要は違う」

死霊宰相が記録官へ合図する。

別の報告書が開かれた。

西の小さな報告

報告官が読み上げる。

「西の国境地帯。洞窟封鎖は維持。低級魔物の増殖は、人間側の間引きにより安定傾向。周辺村の困窮は継続」

死霊宰相が問う。

「強個体は」

「確認されていません」

「神殿、勇者血族、聖剣、聖痕に関する報告は」

「ありません」

「王国軍の動きは」

「国境周辺に小規模な偵察はありますが、大規模進軍の兆候はありません」

「では低優先度で監視継続」

報告官は、そこで一瞬迷った。

死霊宰相が顔を上げる。

「何かあるのか」

「ただ、村々で若い者が魔物退治に慣れ始めている、との報告があります」

竜将が言う。

「低級魔物の間引きだろう」

「はい」

報告官はうなずく。

「被害はあります。死者も出ています。ただ、低級魔物の間引きが以前より早い。村の自警団、猟師、若い冒険者らしき者が連携する例も出ています」

死霊宰相は帳簿を見る。

「困窮下の自衛行動だろう」

吸血侯が少し考える。

「名前の出ている者は」

「今のところ、特定名はありません。村ごとに違います。猟師の息子、鍛冶屋の弟子、薬師見習い、巡回神官の護衛など」

「組織化は」

「確認されていません」

死霊宰相は記録官を見る。

「記録に残せ。優先度は現状維持」

記録官が書く。

西国境地帯。

低級魔物間引き、安定傾向。

村落自衛行動、増加。

強個体なし。

勇者条件該当なし。

低優先度監視継続。

現魔王は、その報告を聞いていた。

「死亡率は」

報告官が答える。

「村によって差があります。低級魔物のみなら持ちこたえています。ただし、交易停止による困窮が続けば、別の被害が増える可能性があります」

「監視を続けろ」

「は」

竜将が軽く息を吐く。

「西は相変わらず、国境分断の範囲ですな」

現魔王は地図の西を見ていた。

「今は、そうだ」

その言葉だけが、記録には残らなかった。

血筋は檻に入れられた。

勇者の一族は生きている。

家もある。

畑もある。

祈る場所もある。

古い剣も、古い歌も、古い誇りも、まだ完全には失われていない。

けれど、外へ出る道はない。

隣町へ向かう道は見張られた。

聖都への手紙は奪われた。

子どもを逃がす夜道には、魔物がいた。

勇者候補は、勇者候補のまま村に戻された。

殺されなかった。

だから、記録上の被害は軽微だった。

だが、外へ出られない血筋は、血筋でしかない。

現魔王の対策は、また一つ正しく機能した。


本ページに掲載している本文、画像、人物相関図、用語表、設定資料等の著作権は作者に帰属します。

作者本人または作者が許諾した媒体を除き、無断転載・無断複製・無断配布・改変利用を禁じます。

感想・紹介・レビュー等で一部を引用する場合は、引用元ページ名またはURLを明記し、引用部分が分かる形で、必要な範囲に限ってご利用ください。

本作品は、作者本人により自サイト・カクヨム等に掲載される場合があります。


勇者の条件 TOPへ

勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
カクヨム側ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。

気に入っていただけた方は、カクヨム側でも応援していただけると嬉しいです。

カクヨム版はこちら:
https://kakuyomu.jp/works/2912051602389596248

コメント

タイトルとURLをコピーしました