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一 戻る場所
古い魔道具は、厚手の布の上に置かれていた。
翼の意匠を刻まれた、風の魔道具。
ただし、今は風ではない。
近づくだけで肌が熱を拾い、四精霊の反応は火に大きく偏った。元は中級風魔法を補助する程度の魔道具だったはずなのに、今では上級火魔法に相当する力を持っている。
長く、強い火の精霊力に晒され続けた結果。
メルセナ・オルブライトは、その判断をすでに下していた。
「赤竜の守護物と見て、ほぼ間違いありません」
仮設本部の空気が、そこで一段重くなる。
リオル・ロステルは、布の上の魔道具を見た。
風の翼を刻まれながら、火に焼かれた道具。
これを赤竜が守っていたのだとすれば、赤竜が人間を探していた理由になる。
だが、理由が見えたからといって、赤竜が止まるわけではない。
カイル・レイヴァンが地図を広げた。
「魔道具の確認結果を受け、赤竜の住処特定を優先します」
ミレイユ・グレインも、ギルド側の記録束を机に置く。
「ギルド側では、古代文献、守護契約、竜に関する記録を照会します」
リオルは顔を上げた。
「赤竜を探すんですか?」
「違います」
メルセナは即答した。
「赤竜そのものを追うのではありません」
「違うんですか?」
「はい。赤竜の戻る場所を探します」
「戻る場所……住処ですか」
「はい」
メルセナは地図の上に指を置く。
「赤竜を直接追うのは危険すぎます。仮に発見できても、こちらが接触する前に焼かれる可能性が高い。追い立てれば、被害はさらに広がります」
リオルは、燃えた村のことを思い出した。
赤竜が暴れた場所では、人間が主導権を持てない。
「では、どうして住処ならいいんですか」
「守護している場所だからです」
メルセナの声は淡々としていた。
「赤竜が守護者であるなら、その場所では無闇に暴れられません。自分が守るもの、自分の居場所、自分の役割。その中心にいる時の方が、外で探し回っている時より冷静になれる可能性があります」
カイルが頷く。
「相手の懐が、最も危険で、最も安全ということですか」
「はい」
リオルは思わず地図を見た。
相手の懐。
そんな場所に行くことを、安全と呼んでいいのかは分からない。
だが、村を焼きながら動き回る赤竜を追うよりは、まだ交渉の形を作れる。
「目的は討伐ではありません」
メルセナは言った。
「赤竜の怒りの理由を確認し、止めることです。そのためには、まず戻る場所を特定します」
ミレイユが記録板を立てた。
「班を分けます。文献調査班、聞き込み班、鳥班、追跡獣班、記録整理班」
カイルが王国側の書類をまとめる。
「王国軍、地方防衛会議、街道警備は私が取りまとめます」
「ギルド記録と文献照会はこちらで」
ミレイユが続ける。
メルセナは全員を見る。
「情報は混ぜないでください」
リオルは瞬きをした。
「混ぜない?」
「はい。文献は文献。証言は証言。鳥の報告は鳥の報告。追跡獣の反応は追跡獣の反応。最初から一つの結論へ寄せると、間違えます」
「最後に重ねるんですね」
「正確です」
メルセナは地図の余白へ、四つの欄を作った。
文献。
聞き込み。
鳥。
追跡獣。
その下に、まだ空白の大きな欄がある。
重ね合わせ。
そこへ、これから赤竜の戻る場所が落ちるのだと、リオルは思った。
二 ここにいていいのか
捜査本部は、急に人が増えた。
王国軍の記録担当。
街道警備の伝令。
ギルド職員。
古い文献を抱えた職員。
犬や狼系の召喚獣を扱う召喚士。
カイル。
ミレイユ。
メルセナ。
その中に、リオルはいた。
鳥班。
そう分類されている。
だが、リオルは自分の手を見ていた。
鳥を呼んだのは自分だ。
百羽が空を飛んだ。
けれど、その百羽を支えたのはメルセナだった。
魔力維持の九割を負担したのも、班分けをしたのも、報告順を決めたのも、鳥の言葉になりきらない断片を報告書へ変えたのも、メルセナだった。
自分はただ、鳥を呼んだだけではないのか。
珍しい召喚条件を持っているだけの見習いが、ここに混じっていていいのか。
地図の前で作業をする大人たちを見ながら、リオルは小さく息を吐いた。
「先生」
「はい」
「僕、ここにいていいんでしょうか」
メルセナが顔を上げる。
「なぜですか」
「鳥百羽って言っても、僕一人じゃ呼べません。維持もできませんでした」
「はい」
「はいって」
「事実です」
「そこは少し否定してほしかったです」
「否定する必要はありません」
メルセナは平然としていた。
「あなた一人では、現時点で鳥百羽を維持できません」
リオルの肩が少し落ちる。
しかし、次の言葉で止まった。
「ですが、私一人でも、鳥百羽は呼べません」
「先生でも?」
「はい」
リオルは思わず聞き返した。
メルセナなら、何でも呼べるような気がしていた。
「私には魔力量があります。維持もできます。指揮もできます」
「はい」
「ですが、鳥たちが私に応じる理由がありません」
「あ……」
リオルは、ようやく気づいた。
鳥たちは、自分に応じて来てくれた。
餌をあげた鳥。
怪我を見た鳥。
その親。
その雛。
近くの群れ。
自分との関係が、思っていたより広がっていたから来てくれた。
魔力量だけでは、あの百羽は来ない。
「あなた一人では、現時点で百羽を維持できない。私一人では、そもそも百羽を呼べない。だから協業しました」
「僕と先生で、できた」
「正確です」
リオルは手を握った。
できなかったことだけを見ていた。
けれど、できたこともあった。
「あなたは今の魔力量では百羽を維持できません」
メルセナは続ける。
「はい」
「ですが、魔力量は成長します。訓練でも上がります。今後、あなたがより多くの鳥を維持できるようになる可能性は十分あります」
「でも、今はできない」
「だから、今見せています」
「見せている?」
「先日の運用は、将来のあなたの姿の一部です」
リオルは言葉を失った。
「鳥百羽を呼び、調査網を作り、報告を整理する。今は私の魔力と管理で補っていますが、将来あなたが近づける姿でもあります」
「僕の、将来」
「はい。できないことを見せているのではありません。できるようになる可能性の形を見せています」
リオルは、窓の外を見た。
数羽の鳥が、屋根の上で羽を休めている。
昨日は、あの何十倍もの鳥が空を飛んでいた。
自分の未来が、あんなふうに広がるかもしれない。
「先生は、それを僕に見せる必要があると思ったんですか」
「あります」
「どうしてですか」
「人は、自分の将来像を知らなければ、努力の方向を間違えます」
リオルは少し笑った。
「先生っぽいです」
「先生ですので」
「そこ、少し嬉しそうですね」
「気のせいです」
メルセナはすぐに地図へ目を戻した。
だが、リオルには少しだけ分かった気がした。
先生でいる理由が、メルセナの中にもあるのだ。
三 古い名前
最初にまとまった報告を持ってきたのは、ミレイユだった。
手には、複数の写しと古い地図がある。
「文献班から報告です。西の山脈に、古い守護拠点の記録があります」
リオルは顔を上げた。
「守護拠点?」
「古代召喚士が管理した洞窟、あるいは財宝保管庫のようなものです。ただし、地名が現在と一致していません」
メルセナはすぐに言った。
「旧地名と現在地名の対応表を」
「作成中です」
ミレイユは古い地図を広げる。
現在の地図とは、川の流れも村の位置も少し違っている。
山脈の呼び名も違う。
「文献では、西嶺、火守り谷、赤き翼の守護竜という語が出ています。さらに、それとは別に、白き門番、あるいは翼持たぬ守護体という記述もあります」
「赤き翼の守護竜」
リオルが呟く。
それは、赤竜のことに聞こえる。
だが、メルセナはすぐに釘を刺した。
「断定しません」
「はい」
「ただし、候補としては強い」
カイルも別の写しを手にしていた。
「問題は、その別記述です。赤竜以外にも守護者がいた可能性があります」
「赤竜以外?」
リオルは思わず聞き返す。
ミレイユが頷いた。
「白き門番。翼持たぬ守護体。文献によって表現は違いますが、赤竜とは別のガーディアンを指している可能性があります」
「ガーディアン」
「はい。赤竜とは別の守護体です。洞窟や保管庫の入口付近に置かれていた可能性があります」
ミレイユは、劣化した図の写しを机に置いた。
黒ずんでいて細部は分からない。
だが、人型に近い輪郭だけは見える。
カイルが目を細める。
「ゴーレムの類か」
「そう見えます。ただし、土精霊由来の土や石ではなさそうです」
「土じゃないゴーレム?」
リオルが首を傾げる。
ゴーレムといえば、土や石でできた重い守護体の印象があった。
メルセナは図を見た。
「古代型の可能性があります。表面が滑らかで、材質は陶材、あるいはセラミックに近い」
「セラミック?」
「焼かれた陶材に近いものです。土精霊系の石や土とは違います」
カイルが腕を組む。
「防御が高そうですね」
「防御だけではありません。古代型なら速度も警戒してください」
「ゴーレムなのに速いんですか」
リオルは思わず言った。
「現在の土精霊系ゴーレムとは別物と見た方が安全です」
メルセナは、図の横に赤で印をつけた。
赤竜。
ガーディアン。
守護拠点。
「まだ戦う相手ではありません」
メルセナは言った。
「ただし、洞窟へ近づくなら、存在を前提にします」
リオルは図を見た。
赤竜だけでも十分すぎるほど怖い。
その手前に、別の守護者がいるかもしれない。
西の山脈という言葉が、急に遠く重い場所に感じられた。
四 赤い光と薄い雪
聞き込み班の報告は、カイルがまとめた。
「聞き込み班からは、西の山脈で赤い光を見たという証言が複数あります」
「赤竜ですか?」
リオルが尋ねると、メルセナはすぐに首を横に振った。
「断定しません」
「はい」
「赤い光を見た。そこまでを記録してください」
カイルは頷く。
「山道利用者は、特定の谷で馬が進まなくなるとも言っています」
ミレイユが別の記録を差し出す。
「同じ谷について、猟師からも証言があります。雪が積もりにくいそうです」
「熱いから?」
「可能性として記録してください」
メルセナは言った。
「事実は、雪が薄いことです」
リオルは、机の上の記録を見た。
赤い光。
馬が進まない谷。
雪が薄い山肌。
山鳴りのような低い音。
古い洞窟に近づくと犬が怯えるという話。
どれも、赤竜に繋がっているように見える。
だが、メルセナは一つずつ分けていた。
赤竜らしいから赤竜、と書かない。
火に見えるから火、と決めない。
犬が怯えたから竜、と断定しない。
「先生」
「はい」
「こういうの、全部一緒に見えるんですけど」
「一緒に見える時ほど分けます」
「どうしてですか」
「間違えやすいからです」
メルセナは地図の上に、赤い印と青い印を別々に置いた。
「赤い光の証言。馬の忌避反応。雪が薄い場所。これらは同じ原因かもしれません。ですが、別々の原因かもしれません」
「先にまとめると、間違う」
「はい。最後に重ねます」
その時、窓の外で鳥が鳴いた。
鳥班の報告が戻ってきた。
五 鳥と追跡獣
鳥たちは、西の山脈へ向かっていた。
ただし、洞窟の中までは行かせていない。
そもそも、洞窟があるかどうかも、まだ調査中である。
メルセナは鳥班へ、近づきすぎないことを徹底していた。
見るのは、山脈全体の地形。
雪の薄い場所。
風の流れ。
熱の立ち上り。
動物が少ない谷。
岩の間に見える黒い穴。
危険を感じたら戻ること。
それだけだった。
リオルは戻ってきた鳥に水を与えながら、報告を聞く。
「山、白い」
「ここ、白くない」
「風、上」
「嫌」
「大きい影、見ない」
「穴、黒い」
「近く、少ない」
リオルは一つずつ確認する。
「山の一部だけ雪が薄い。谷から風が上がってる。近づきたくない場所がある。大きな影は見てない。岩の間に黒い穴がある。周りに動物が少ない」
ミレイユが記録していく。
「聞き込みと重なりますね」
「一致ではなく、重なりです」
メルセナが言った。
「まだ同じ原因とは限りません」
「重なり」
リオルはその言葉を繰り返した。
すると、カイルが追跡獣班の報告を持ってきた。
「追跡獣班からも報告です。犬が進まない谷があります」
追跡獣を扱う召喚士が、少し困った顔をしていた。
「恐怖というより、近づきたくないという反応です」
「無理に進ませないでください」
メルセナは即答した。
リオルは尋ねる。
「行かせないんですか?」
「はい」
「でも、先を見れば分かるかもしれません」
「動物は危険だと思ったことはしません。その判断は尊重します」
「でも」
「無理に進ませて情報を取ることはできます。ですが、その後、その対象が召喚士を信じなくなります」
リオルは黙った。
それは、鳥でも同じだ。
行きたくない場所へ無理に行かせれば、次に呼んでも来てくれないかもしれない。
「追跡獣が止まった地点を記録してください」
メルセナは続ける。
「進まなかったこと自体が情報です」
カイルが地図に印を置いた。
「鳥が近づきたがらなかった谷と、犬が進まなかった地点が近い」
「記録してください」
「はい」
リオルは地図を見た。
文献の印。
赤い光の証言。
雪が薄い山肌。
鳥が嫌がった谷。
犬が進まなかった地点。
少しずつ、同じ方向へ集まっている。
だが、メルセナはまだ結論を言わない。
言わないまま、印を増やしていく。
六 重なりすぎています
夕方には、机の上の地図が印で埋まり始めていた。
文献調査班は、旧地名と現在地名の対応表を作った。
聞き込み班は、赤い光と山道の異常をまとめた。
鳥班は、空から見た山肌と谷の位置を報告した。
追跡獣班は、地上で動物が進まなかった地点を記録した。
ミレイユが、古い地名を現在の地図へ置き換える。
「文献上の旧地名を現在地図に置き換えると、この山域になります」
カイルが別の印を重ねる。
「聞き込みで赤い光が出た場所も、同じ山域です」
リオルも鳥の報告を見ながら言った。
「鳥たちが嫌がった谷も」
追跡獣担当が続ける。
「犬が進まなかった地点も重なります」
メルセナは地図を見下ろした。
しばらく黙る。
それから、静かに言った。
「重なりすぎています」
リオルはその言葉を聞き返した。
「重なりすぎている?」
「はい。偶然として扱うには、情報源が別々です」
メルセナは指で一つずつ印を示す。
「文献。聞き込み。鳥。追跡獣。全てが同じ山域を指しています」
カイルが地図の一部を拡大した写しを置いた。
「洞窟入口候補は三つ」
ミレイユが文献の写しと見比べる。
「うち二つは、地形と文献が合いません。一つは谷の向きが違います。もう一つは、古い記録にある水脈の位置と合いません」
「残る一つ」
メルセナが言った。
リオルは、その一点を見る。
西の山脈。
旧火守り谷。
その奥。
岩の間にある、黒い穴。
「そこが、赤竜の洞窟」
「可能性が最も高いです」
メルセナは完全確定とは言わなかった。
だが、次に向かう場所としては十分だった。
カイルが確認する。
「西の山脈、旧火守り谷。その奥の洞窟」
ミレイユも記録する。
「文献、証言、鳥班、追跡獣班、すべてがそこを指しています」
リオルの胸が重くなる。
ついに、見つかった。
赤竜の戻る場所。
守っていた場所。
怒りの中心かもしれない場所。
「行くんですか」
リオルが尋ねる。
メルセナは答えた。
「すぐには行きません」
「どうしてですか?」
「赤竜だけではない可能性があります」
カイルが低く言う。
「ガーディアンですね」
「はい」
メルセナは古い図へ視線を落とした。
「赤竜の洞窟に至る前に、守護体がいると見た方が安全です」
「西の山脈の守護者……」
リオルは呟いた。
メルセナが頷く。
「赤竜だけが守護者とは限りません」
地図の上には、いくつもの印が重なっている。
古い地名。
赤い光。
薄い雪。
熱い谷。
鳥が嫌がった場所。
犬が足を止めた地点。
ばらばらだった情報が、西の山脈の一点へ重なっていた。
旧火守り谷。
その奥の洞窟。
そこに、赤竜がいる。
そして、おそらく赤竜だけではない。
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