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異常なしの継続
魔王城、戦略会議室。
夜明け前の報告が続いていた。
天空要塞より、第三定時報告。
空は異常なし。
主要街道、異常なし。
北尾根、異常なし。
東谷、異常なし。
西崖道、巡回増加。追加異常なし。
魔王城方面への軍勢接近、確認されず。
記録官が読み上げる声は、昨日とほとんど変わらなかった。
火鏡塔の信号は正常。
夜目の鴉は帰還。
山岳斥候は巡回中。
見える道に、軍はいない。
見える尾根に、旗はない。
見える谷に、荷馬の列はない。
死霊宰相が報告書を閉じる。
「三拠点奪還準備、進行中。転移ゲート復旧、中央中継門を優先。東部中継門は術式再構成中。魔王城外縁警戒、一段階上昇のまま維持」
竜将が言う。
「城内兵を増やすべきでは」
死霊宰相は首を振った。
「これ以上戻せば、転移ゲート復旧と三拠点奪還準備が遅れます」
「魔王城を落とされれば、それどころではない」
「魔王城方面への大規模接近は確認されていません。天空要塞も無傷です」
竜将は不満を隠さなかった。
だが、それ以上は言わない。
前話から、魔王城の警戒は上がっている。
門番は増えた。
結界石は夜ごとに点検されている。
地下格子は封鎖された。
外縁巡回には、鳥型魔物が加えられた。
城壁上の兵は、交代時間を短くされた。
魔王城は眠っていない。
ただし、全軍集結ではない。
それには理由がある。
深海を取り戻さなければならない。
深森の外縁を整理しなければならない。
火山方面の地形を調べなければならない。
転移ゲートを直さなければならない。
東の勇者血族の檻も維持しなければならない。
すべてを魔王城に戻すことはできない。
現魔王は地図を見ていた。
倒れた三つの札。
深海。
深森。
火山。
まだ立っている札。
天空。
魔王城。
「警戒は維持しろ」
現魔王は言った。
「だが、奪還準備を止めるな」
記録官が筆を走らせる。
魔王城外縁警戒、維持。
城内警備、一段階引き上げ。
全軍集結、不要。
三拠点奪還準備、継続。
転移ゲート復旧、継続。
その時だった。
通信水晶が、低く震えた。
戦略会議室の全員が、そちらを見る。
水晶の中で、城内警備隊長の声が乱れた。
「外縁第三門、交戦中」
竜将が立ち上がる。
「軍か」
「いえ」
警備隊長の声は短い。
「少数です」
死霊宰相が問う。
「数は」
「確認できる範囲で四。あるいは五以下」
一瞬、会議室の空気が止まった。
現魔王が言う。
「天空要塞は」
死霊宰相がすぐに確認する。
「異常なし。火鏡塔、正常。軍勢接近、報告なし」
「転移ゲートは」
転移門管理官が震える声で答えた。
「城内転移門、使用記録なし。魔族用転移ゲートから侵入した形跡はありません」
「外門は」
「正門、破られていません。東門、西門、北門、いずれも異常なし」
「では、なぜ外縁第三門で交戦している」
誰も、答えられなかった。
外縁第三門
魔王城外縁。
第三門は、正門ではない。
兵站通路と外縁巡回路の間に置かれた、黒い石造りの門である。
荷を運ぶ魔族、巡回兵、結界石の管理者が通る。
大軍が攻める場所ではない。
攻城兵器も入らない。
旗を掲げて進む場所でもない。
そこに、灰色の外套を着た四つの影がいた。
結界柱の間を、低く走る。
一人が前を見る。
一人が後ろの気配を読む。
一人が結界柱へ手をかざす。
一人が細い剣を抜いている。
警備兵が叫んだ。
「止まれ!」
返事はない。
前に出た魔物が牙を剥く。
灰色の一人が身を低くし、魔物の横を抜けた。
倒すためではない。
通るために。
魔物の爪が空を切る。
次の瞬間、剣を持った影が一歩だけ踏み込み、魔物の前脚の関節を打った。
魔物は崩れる。
死んではいない。
だが、立てない。
警備兵が槍を構える。
「侵入者!」
別の灰色が、短く言った。
「ここは抜ける。長引かせない」
声は若い男のものだった。
結界柱に手をかざしていた影が、淡い光を指先に集める。
火花のように小さい。
だが、その光は結界の表面ではなく、奥にある一点へまっすぐ刺さった。
「壊すと城全体に響く。要だけずらす」
女の声だった。
結界柱の光が、一瞬だけ揺らぐ。
門全体は壊れていない。
警報の大鐘も鳴らない。
ただ、灰色の四人が通れるだけの隙間が開く。
後方を見ていた影が、ふと右側の通路を見た。
「右はだめ」
「罠?」
「たぶん閉じ込められる」
「見えてるのか」
「見えてないけど、だめ」
前にいた剣の影が、肩をすくめる。
「なら左だな」
四人は左へ動いた。
警備兵たちが追う。
だが、追えない。
魔物が崩れた。
槍を持つ兵の手首が打たれた。
結界は壊れていないのに、通路だけを開けられた。
門は破られていない。
だが、抜けられた。
城内警備隊長は、通信水晶へ叫ぶ。
「第三門、防衛線突破。侵入者、内郭へ移動」
突破ではなく通過
戦略会議室。
報告が届いた瞬間、竜将が机を叩いた。
「少数に突破されたのか」
城内警備隊長の声は悔しげだった。
「突破されたというより、抜けられました。交戦を避け、結界の要だけを外し、最短路を選んでいます」
死霊宰相が地図を開く。
「最短路だと?」
吸血侯が言う。
「城内構造を知っているのか」
「不明です。ただ、迷いがありません」
現魔王は静かに問う。
「旗は」
「ありません」
「聖剣は」
「確認できません」
「聖痕は」
「不明。ただし、聖痕を掲げる様子はありません」
「神殿騎士か」
「装備が違います」
「各国軍の精鋭か」
「軍装ではありません」
「数は」
「四」
「四」
竜将が低く繰り返す。
「四人で、魔王城外縁を抜けたというのか」
警備隊長は答えない。
答えは、すでに報告に含まれていた。
死霊宰相が、侵入経路に赤い線を引く。
外縁第三門。
兵站通路。
結界管理路。
内郭へ至る補助階段。
そこは正面突破の道ではない。
しかし、魔王城の構造を知らなければ選びにくい道でもあった。
吸血侯が目を細める。
「正面突破ではありません。目的地へ向かう道だけを選んでいる」
竜将が言う。
「ならば、ただの侵入者だ。勇者なら正面から来る」
現魔王は竜将を見た。
「条件に合わぬから脅威ではない、とは言えぬ」
竜将は言葉を止めた。
現魔王は、地図上の赤い線を見ている。
転移ではない。
大軍ではない。
天空要塞も落ちていない。
正門も破られていない。
それでも、四人が中にいる。
条件照合
死霊宰相が記録棚へ指示を出した。
「勇者条件照合」
記録官たちが一斉に動く。
東の勇者血族。
中央神殿。
聖剣。
聖痕。
神託。
天空要塞。
西方灰色外套。
灰色の報告。
複数の札が、長卓の上に並べられる。
記録官が読み上げる。
「勇者血族」
吸血侯が答える。
「該当情報なし。東の血族は封鎖内。脱出報告なし」
「中央神殿の神託」
「なし。中央神殿の勇者認定機能は停止中」
「聖剣」
「確認なし。中央聖剣は封印中」
「聖痕」
「噂なし」
「神殿による認定」
「なし」
「天空要塞攻略」
死霊宰相が顔を上げる。
「なし。天空要塞は無傷。異常なし」
「各国軍指揮権」
「確認なし。軍旗なし。命令系統なし」
「勇者旗」
「なし」
竜将が言う。
「ならば勇者ではない。ただの侵入者だ」
吸血侯が静かに返す。
「ただの侵入者が、外縁第三門を抜け、内郭へ向かっています」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
条件に合わない。
だが、進んでいる。
現魔王は、長卓の上の札を見た。
血筋なし。
神託なし。
聖剣なし。
聖痕なし。
認定なし。
天空攻略なし。
旗なし。
そして、侵入中。
「西方灰色外套」
吸血侯がつぶやく。
死霊宰相が資料を開く。
「西方灰色外套は、活動報告途絶。勇者候補、非該当。報酬制少数戦力の可能性。個人単位の人助け報告あり。東方接近なし。中央神殿接続なし」
竜将が顔をしかめる。
「死んだのではなかったのか」
吸血侯が答える。
「死亡確認はありませんでした。活動報告が途絶えただけです」
「傭兵まがいの連中が、魔王城まで来たというのか」
死霊宰相は、報告書を重ねた。
「侵入者の外套、灰色。人数四。戦闘役、魔術役、治癒役、指揮役らしき者を確認。西方灰色外套との関連可能性あり」
現魔王は低く言った。
「条件がない」
誰も答えない。
「だが、ここにいる」
その言葉は、会議室の温度を下げた。
四つの役割
魔王城内郭。
灰色の四人は、走っていない。
急いではいる。
だが、慌ててはいない。
先頭の若い男が、広間の天井を見上げた。
黒い鎖。
吊り下げられた魔晶灯。
左右の通路。
床の模様。
「奥の階段は使わない。上から挟まれる」
魔術師らしき女が、柱の刻印を見た。
「じゃあどこ」
「こっちの通路。音が抜けてる。広間につながってる」
「たぶん罠もあるけど」
「ない道があるならそっちにする」
「そんな道ない」
「じゃあ少ない方」
後ろにいた少女が、小さく言った。
「左の床、踏まない方がいい」
先頭の男が止まる。
「どのあたり」
「黒い線のところ。たぶん、落ちる」
剣を持った男が床を見た。
「見た目は同じだぞ」
「でも、だめ」
魔術師の女がため息をつく。
「またそれ?」
「当たるからいいでしょ」
先頭の男は、迷わず黒い線を避けた。
次の瞬間、追ってきた魔物の足がそこを踏む。
床が落ちた。
魔物が下へ消える。
剣の男が、少女を見る。
「便利だな」
少女は顔をしかめた。
「便利じゃない」
「じゃあ、助かる」
彼女は何も言わなかった。
その間に、魔術師の女は壁の刻印へ指先を当てていた。
小さな光が走る。
柱の奥の一点だけが、ふっと暗くなる。
巨大な結界は壊れない。
ただ、その一部が、細い糸を抜かれたように緩む。
「通れる。急いで」
先頭の男が言う。
「前、お願い」
剣の男が出た。
内郭兵が三人、黒い盾を構えて待っている。
一人目の槍が突き出される。
剣の男は、一歩で間合いを潰した。
槍の柄が弾かれる。
手首。
膝。
鎧の継ぎ目。
三つの音がほとんど同時に鳴った。
内郭兵が崩れる。
死んではいない。
だが、立てない。
兵の一人が呻く。
「速……」
剣の男は首をかしげた。
「今のは普通だろ」
魔術師の女が、ぼそりと言う。
「普通じゃない」
「そうか?」
「そう」
先頭の男が短く言った。
「行く。寄り道しない」
四人は進む。
宝物庫には寄らない。
兵舎も燃やさない。
捕虜牢にも向かわない。
通路を選び、罠を避け、結界をずらし、必要な敵だけを止める。
目的は、一つに絞られていた。
灰色という名
戦略会議室。
警備隊長から、さらに報告が入る。
「侵入者、内郭第一線を通過。現在、第二防衛線へ接近」
死霊宰相が地図の赤線を伸ばす。
「速い」
竜将が言う。
「迎撃部隊を出せ。足を止めろ」
現魔王はうなずいた。
「出せ。ただし、殺すことを優先するな」
竜将が振り返る。
「陛下」
「足を止めろ。情報を取れ」
「ここで捕らえるおつもりですか」
「可能ならな」
現魔王は、灰色の札を見た。
「条件に合わぬ者たちが、なぜここまで来たのかを知る必要がある」
死霊宰相がうなずく。
「内郭第二防衛線を閉鎖します」
吸血侯が言う。
「退路も塞ぎますか」
「塞げ。ただし、追い込みすぎるな」
現魔王は続けた。
「追い詰めた獣は読みにくい」
竜将は不満げだったが、命令を飛ばした。
近衛兵。
城内魔獣。
結界管理兵。
内郭第二防衛線が閉じる。
その間に、吸血侯は古い報告書を開いていた。
灰色外套。
西の灰。
ロアンという名。
若い護衛役。
報酬制少数戦力。
個人単位の人助け。
活動報告途絶。
吸血侯は小さく言う。
「消えたのではなく、見えなくなっていた」
竜将が舌打ちする。
「今さら言っても遅い」
「はい」
吸血侯は認めた。
「ですが、まだ遅すぎるとは限りません」
現魔王は、それを聞きながらも地図から目を離さない。
灰色外套。
勇者候補、非該当。
今、その札がゆっくりと中央へ引き寄せられていた。
第二防衛線
内郭第二防衛線。
魔王城の中でも、強い防壁の一つである。
結界門。
魔族近衛。
魔物の群れ。
閉鎖式の通路。
ここを通る者は、必ず門を抜けなければならない。
そのように設計されている。
魔術師の女が、結界門を見上げた。
「これは時間がかかる」
先頭の男が問う。
「壊すと?」
「城中に響く」
「もう響いてると思うけど」
「もっと響く」
少女が、右側の壁を見た。
「そこ」
「そこ?」
「右の壁。薄い」
剣の男が壁を軽く叩く。
ごん、と鈍い音がした。
少し離れた場所を叩く。
今度は、音が違った。
「確かに違うな」
魔術師の女が呆れる。
「壁を壊すの?」
先頭の男は少し考えた。
「扉がだめなら、壁かな」
「雑」
「でも早い」
「城の中で壁を壊す人、初めて見た」
「たぶん、向こうもそう思ってる」
少女が、崩れそうな天井を見上げる。
「上は支えた方がいい。たぶん落ちる」
「お願い」
「うん」
魔術師の女は、壁の補強術式を探った。
城の術式は強い。
厚い。
古い。
簡単には壊れない。
だが、壊す必要はない。
一点だけを抜く。
支える力を、一息分だけずらす。
指先に集めた魔力が、細い針のように壁へ入る。
「今」
剣の男が、剣を抜いた。
大振りではない。
叫びもしない。
壁の継ぎ目へ、斜めに一太刀。
石が割れた。
二太刀目で、補強材が鳴る。
先頭の男が、崩れた石を押す。
少女が、落ちかけた天井へ手を伸ばす。
淡い光が、ひび割れの走りを止めた。
壁に、人が通れるだけの穴が開いた。
門は無事だった。
結界門も壊れていない。
近衛兵たちは、門の前で待っていた。
四人は、門を通らなかった。
門は無事
戦略会議室。
報告が入る。
「内郭第二防衛線、門は無事。しかし侵入者、側壁を抜けました」
竜将が言葉を失った。
「門を破らずに?」
「はい。補強術式の一部を抜かれ、壁面を切断されました」
死霊宰相が顔をしかめる。
「防衛線の意味を理解している。いや、理解した上で無視している」
吸血侯が言う。
「正面から勝つ必要がないと判断しているのでしょう」
竜将が怒鳴る。
「ならば壁をすべて塞げ!」
死霊宰相が答える。
「それをすれば、味方の移動も止まります。内郭全体の兵站が詰まる」
「この状況で兵站など」
「追い詰めすぎるなと、陛下が命じています」
竜将は、奥歯を噛んだ。
現魔王は、第二防衛線の赤い印を見ていた。
過去の勇者なら、門を破った。
聖剣で結界を断つ。
神託で道を示す。
仲間が魔法で門を焼く。
剣聖が近衛を倒す。
そして、扉の正面から入ってくる。
それが文献の型だった。
だが、灰色の四人は壁を抜けた。
勝つ必要のない場所では、勝たない。
倒す必要のない敵は、倒さない。
破る必要のない門は、破らない。
目的地へ行く。
ただそれだけの動きだった。
現魔王は低く言った。
「過去の勇者なら、門を破った」
竜将が答える。
「こやつらは壁を抜けた」
「そうだ」
魔王の中で、記録の形と目の前の事実がずれていく。
寄り道しない
灰色の四人は、内郭を進んでいた。
魔王城の中には、いくつもの重要区画がある。
宝物庫。
兵器庫。
捕虜牢。
魔術書庫。
転移門管理室。
儀式場。
どれも、攻め手にとって価値がある。
だが、四人は寄らない。
宝物庫の扉を横目に、素通りする。
兵器庫の前で警報が鳴っても、進路を変えない。
捕虜牢から呻き声が聞こえても、足を止めない。
先頭の男が言う。
「寄り道しない。魔王のところまで行く」
魔術師の女が答える。
「分かってる。寄り道したら囲まれる」
少女が小さく言う。
「急いだ方がいい。たぶん、向こうも気づいた」
剣の男が笑った。
「もう十分気づかれてるだろ」
「じゃあ、もっと急ごう」
先頭の男はそう言って、角を曲がる。
その先で、魔族近衛が待っていた。
三体。
いずれも、外縁の兵とは違う。
鎧が厚い。
魔力も濃い。
剣の男が一歩前に出る。
「倒す?」
先頭の男は首を振った。
「止めるだけでいい」
「難しい注文だな」
「できる?」
剣の男は、少し笑った。
「たぶん」
魔術師の女が、横から結界を薄くする。
少女が、倒れそうな近衛兵の落下先を見ている。
先頭の男が、近衛の動きに合わせて声をかける。
「右。次、下。今」
剣の男が動く。
一体目の剣が宙を舞う。
二体目の膝が折れる。
三体目の盾が弾かれ、壁へ打ちつけられる。
殺してはいない。
だが、道は開いた。
先頭の男は、倒れた近衛兵へ一瞬だけ目を向けた。
「悪い。通る」
そして、先へ進んだ。
条件なき者たち
戦略会議室。
死霊宰相が侵入者情報を更新する。
「侵入者四名。灰色外套。西方局地戦力との関連可能性あり。勇者条件、該当なし」
記録官が項目を読み上げる。
「血筋なし」
「神託なし」
「聖剣なし」
「聖痕なし」
「神殿認定なし」
「天空要塞攻略なし」
「各国軍指揮権なし」
「勇者旗なし」
竜将が苛立った。
「ない、ない、ない。ならば何なのだ!」
誰も答えなかった。
答えられなかった。
条件がない。
だが、魔王城の中枢へ近づいている。
現魔王は、長卓の上の札を見た。
対勇者戦略。
出身地。
血筋。
神託。
聖痕。
聖剣。
仲間。
天空要塞。
そのどれにも、彼らはきれいに収まらない。
しかし、彼らが向かっている先は、歴代勇者が最後に辿り着いた場所だった。
玉座の間。
魔王の前。
現魔王は言った。
「条件なき者たち」
吸血侯が問う。
「勇者ではない、と?」
少し前なら、答えられた。
勇者ではない。
血筋がない。
神託がない。
聖剣がない。
聖痕がない。
神殿の認定がない。
天空要塞も落としていない。
だから勇者ではない。
そう記録できた。
だが今は、その言葉だけでは足りなかった。
現魔王は、ゆっくりと答える。
「分からぬ」
会議室にいた者たちが、息を呑んだ。
現魔王が「分からぬ」と言った。
それは混乱ではない。
降伏でもない。
事実の確認だった。
分からないものを、分かっているふりはできない。
「迎撃を続けろ」
現魔王は言った。
「ただし、可能なら殺すな。止めろ。捕らえろ。話を聞け」
竜将が武器に手をかける。
「陛下、私が出ます」
「まだだ」
「しかし」
「ここまで来たなら、見ねばならぬ」
死霊宰相が言う。
「危険です」
「だから見る」
吸血侯が静かに問う。
「勇者かどうかを、ですか」
「それもある」
現魔王は立ち上がった。
「だが、それだけではない」
彼は玉座の間へ続く扉の方を見た。
「条件を持たぬ者たちが、どうやってここまで来たのか。それを知らずに殺せば、次も見誤る」
玉座区画
灰色の四人は、玉座区画へ近づいていた。
空気が変わる。
魔力が濃い。
壁の石に、黒い光が走っている。
遠くで、大きな扉の閉じる音がした。
内郭最終防衛線。
魔王城の最深部。
黒い扉。
近衛隊。
魔術防壁。
魔物の咆哮。
そこを抜ければ、玉座の間がある。
少女が、先頭の男の袖をつかんだ。
「この先、戻れないかも」
剣の男が言う。
「なら、ここまでは戻れるってことだ」
魔術師の女が睨む。
「その言い方、どうなの」
剣の男は肩をすくめた。
「前向きだろ」
先頭の男は、少しだけ笑った。
「そういう考え方、嫌いじゃない」
魔術防壁が行く手を塞ぐ。
女が見上げる。
「これは、壊すと全部にばれる」
剣の男が周囲を見た。
「もう全部にばれてる」
「だから、もっとばれる」
少女が、扉の横の壁を指す。
「そこじゃない。下」
「下?」
「床の下、何か通ってる」
先頭の男が膝をつく。
冷たい石に手を当てる。
耳を澄ます。
遠くで、低い音がした。
空気が流れている。
排気路。
魔力管。
古い通路。
何かが、下にある。
「通れる?」
魔術師の女が顔をしかめる。
「通りたくはない」
「通れるかどうか」
「……通れる」
剣の男が笑う。
「じゃあ通るか」
「本当に雑」
「でも早い」
少女が、奥を見た。
「急いで。たぶん、来る」
近衛隊の足音が近づいていた。
最終防衛線
最終防衛線の近衛隊は、強かった。
外縁兵とも、内郭兵とも違う。
魔王に近い場所を守るための兵である。
鎧には黒い刻印が入り、武器には魔力が通っている。
獣のような魔物もいた。
巨大な顎。
赤い目。
石の床を削る爪。
灰色の四人は、正面からぶつからない。
魔術師の女が、防壁の要を細く抜く。
少女が、崩れそうな床を見つける。
剣の男が、近衛の間合いへ入っては抜ける。
先頭の男が、全体の位置を見て声を出す。
「左、下がって」
「今、右」
「一体だけ止める」
「そこは行かない」
命令ではない。
怒鳴り声でもない。
だが、四人はその声で動いた。
魔物の一体が突進する。
少女が、息を呑む。
「だめ、正面」
先頭の男が一歩ずれた。
魔物の角が、壁を砕く。
剣の男が、その横を通って足を打つ。
魔物が倒れる。
死んではいない。
だが、起き上がるまで時間がかかる。
魔術師の女が床の刻印を切る。
黒い光が一瞬だけ消える。
「今」
四人は、防壁の隙間を抜けた。
背後で、防壁が戻る。
追ってきた近衛隊が足止めされる。
近衛隊長が叫ぶ。
「最終防衛線、突破された!」
通信水晶が震える。
その声は、戦略会議室へ届いた。
見ねばならぬ
「内郭最終防衛線、突破」
警備隊長の声は、低く掠れていた。
「侵入者、玉座区画へ接近」
竜将が武器を取る。
「陛下、私が出ます」
現魔王は立ち上がった。
「よい」
「陛下」
「ここまで来たなら、見ねばならぬ」
死霊宰相が前へ出る。
「玉座へ近づけるのは危険です」
「危険だから見る」
「迎撃を続けながら、距離を取るべきです」
「距離を取れば、分からぬ」
現魔王は、長卓に並んだ札を見た。
血筋なし。
神託なし。
聖剣なし。
聖痕なし。
神殿認定なし。
天空要塞攻略なし。
勇者旗なし。
そして、玉座区画接近。
竜将が言う。
「勇者でないなら、殺せばよい」
「勇者でないものが、勇者と同じ場所へ来ている」
現魔王は答えた。
「それを知らずに殺せば、我らは次も同じものを見落とす」
吸血侯が、わずかに笑みを消した。
「陛下は、彼らを記録するおつもりですか」
「まず見る」
「その後は」
「必要なら殺す。必要なら捕らえる。必要なら問う」
竜将が言う。
「私は」
「控えろ」
竜将の目が燃える。
だが、膝をついた。
「御意」
現魔王は玉座の間へ向かった。
死霊宰相が後に続く。
吸血侯が、影のように側へ寄る。
竜将は武器を握ったまま、扉の横へ控えた。
魔王城は落ちていない。
城門も残っている。
天空要塞も無傷である。
転移ゲートも破られていない。
それでも、四人は玉座の近くまで来ていた。
黒い扉
玉座の間の前。
黒い扉が、重く閉じている。
灰色の四人は、その前に立った。
先頭の男は、扉を見上げる。
魔術師の女が、扉の術式を見て小さく息を吐く。
「これは、開けるより待った方が早いかも」
剣の男が首をかしげた。
「向こうが開けてくれるのか」
少女が、扉の向こうを見ている。
見えているわけではない。
それでも、彼女は静かに言った。
「いる」
先頭の男はうなずいた。
「じゃあ、待つ」
「ここまで来て?」
魔術師の女が呆れる。
「ここまで来たから」
先頭の男は答えた。
「向こうも、こっちを見ると思う」
剣の男が笑う。
「変な信用だな」
「たぶん、そういう相手だ」
その言葉が終わる前に、黒い扉の向こうで、重い音がした。
鍵が外れる。
結界が緩む。
扉が、ゆっくりと開く。
玉座の間。
黒い床。
高い天井。
壁に灯る暗い炎。
奥に、魔王がいた。
現魔王は、玉座の前に立っている。
座ってはいない。
待っていた。
灰色の外套をまとった四人が、扉の向こうから入ってくる。
大軍ではない。
勇者旗もない。
聖剣の光もない。
神託の声もない。
中央神殿の紋もない。
天空要塞を落とした証もない。
それでも、彼らはそこにいた。
現魔王は、四人を見る。
若い男。
魔術師らしき女。
治癒術師らしき少女。
剣を持つ男。
条件は揃っていない。
何一つ、揃っていない。
だが、結果だけが似ている。
玉座の前に、辿り着いている。
魔王軍の記録は、まだ彼らを勇者とは書けない。
書ける条件がない。
ただし、彼らは記録の前に立っていた。
血筋ではない。
神託ではない。
聖剣ではない。
聖痕ではない。
天空要塞を落としてもいない。
それでも、ここにいる。
現魔王は、初めて理解する。
自分の対勇者戦略は、勇者を封じていた。
少なくとも、文献にある勇者の道は封じていた。
だが、勇者と呼ばれない者たちを封じてはいなかった。
黒い扉が、背後で静かに閉じる。
条件なき者たちが、玉座の前に立った。
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