八重結び 第6.5話 瀬良式説明群

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八重結び 第6.5話 瀬良式説明群

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八重結び|霊障処理にも契約範囲がある現代退魔業者もの
八重結び現代退魔業者もの怨霊は悪ではない。けれど、有害なら処理する。作品概要二〇三号室、夜間圧迫感および首部発赤の調査、ならびに必要と判断される場合の簡易対処および対処後観察。黒瀬退魔処理に回ってきたのは、そんな長い案件名の調査依頼だった。…
八重結び 第6.5話 瀬良式説明群 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

一 少し時間は巻き戻る

白鳥理央は、式守のログから目を上げた。

微弱偏向反応。
主術式寄与、不明。
外乱ノイズ候補。

第六話の地下道再評価において、式守はそれを枝として扱い直した。
ただし、扱い直しただけだった。

枝が何なのか。
どこから枝で、どこから主接続なのか。
崩れた枝は、どのように術式へ影響するのか。

式守は、まだ知らない。

白鳥は、瀬良義景へ向き直った。

「瀬良さんの接続一から八まで、すべての術式を観測します」

瀬良は、分かりやすく慌てた。

「ちょっと待て」

「八接続なんぞ、ここ三十年やってねぇぞ!」

白鳥は淡々と返す。

「大丈夫です」

「何回失敗してもらっても構いません」

瀬良が固まる。

白鳥は、さらに当然のように続けた。

「あ、むしろ一回以上は必ず失敗してください」

「失敗時の枝崩れが必要なので」

瀬良は顔をしかめた。

「鬼か、お前は」

「研究開発部です」

「否定になってねぇぞ」

ただし、実験は本番出力では行わない。

白鳥は、模擬出力用の術具を並べていた。
出力制限札。
観測札。
停止札。
術後確認用の筆記具。
そして、現場入りと各段階の署名確認用紙。

それを見た美緒が、すぐに確認する。

「実験前、実験後、各接続段階ごとに署名確認を入れます」

黒瀬は停止札を手に取った。

「異常が出たら止める」

「本人が続けると言っても止める」

瀬良は肩をすくめた。

「信用ねぇな」

黒瀬は短く答える。

「あるから止め役を置くんだよ」

白鳥は、観測端末の設定を確認する。

「安全確認が取れた範囲内で、成功例と失敗例を収集します」

瀬良が嫌そうに聞いた。

「失敗してほしいのか、してほしくねぇのか、どっちなんだ」

「制御された失敗が必要です」

「嫌な言葉だな」

土御門清胤は、準備された札と観測具をじっと見ていた。

「本番ではなく、模擬でここまで組むか」

白鳥は頷く。

「本番で崩れたものを観測しても、再現性がありません」

「再現性のある範囲で崩れてもらいます」

瀬良は白鳥を見る。

「やっぱり鬼じゃねぇか」

「研究開発部です」

「便利に使うな、それ」

黒瀬は、模擬場の外周を見てから言った。

「瀬良」

「あ?」

「危ないと思ったら、俺が止める」

「分かってるよ」

「分かってない顔してるから言ってる」

瀬良は少し笑った。

「若いのに説教されるのは、あんまり気分よくねぇな」

黒瀬は表情を変えない。

「若くない」

「お前じゃねぇよ」

視線の先に、透がいた。

透は瀬良から少し離れて、模擬場を見ている。
枝という言葉を聞いてから、自分の手を何度か見ていた。

瀬良はそれを見て、軽く鼻を鳴らした。

「まあ、見とけ」

透が顔を上げる。

「はい」

「できるってのと、帰ってこられるってのは、別だからな」

透は、すぐには返せなかった。

その言葉が、もう少し後で自分に刺さることを、この時点ではまだ知らない。

二 瀬良式説明群

最初に白鳥が求めたのは、実演ではなかった。

「枝を定義してください」

瀬良は即答した。

「無茶言うな」

「では、比喩で構いません」

「比喩ならいいのかよ」

「観測項目へ変換できれば十分です」

「その時点でだいぶ無茶言ってるんだよな」

瀬良は頭をかき、少し考えた。

「あー、あれだ」

「体重計の上でジャンプすると、一瞬体重増えて、そのあと減るだろ?」

「あんな感じだ」

「知らんけど」

白鳥はすぐに端末へ入力しかけた。

「主動作前後に、観測値の一時的な増減が発生する、ということですか」

瀬良は渋い顔をする。

「そういう言い方されると、急に違う気がしてくるな」

白鳥は少し沈黙した。

「瀬良さんの説明は、体系化されていません」

「悪かったな」

「ですが、現場感覚としての再現性があります」

瀬良は眉を上げた。

「褒めてんのか?」

「分類します」

「褒めてねぇな」

白鳥は端末へ向き直る。

「式守。仮分類を作成」

「瀬良式説明群」

瀬良が顔をしかめた。

「俺の名前を変なもんに使うな」

「変ではありません」

「未体系化だが、複数の術式現象を説明可能な比喩群です」

「変じゃねぇか」

土御門が低く言った。

「変ではあるが、役には立つ」

瀬良は土御門を見る。

「清胤、お前どっちの味方だよ」

「術式の味方じゃ」

白鳥はそのまま記録する。

瀬良式説明群。
未体系化の身体感覚、比喩、現場語彙を、観測項目へ変換するための仮分類。

瀬良は端末を指差した。

「後世に残すなよ」

「補足欄です」

「残す気じゃねぇか」

透は、横でそのやり取りを聞いていた。

瀬良の説明は雑だった。
白鳥の言葉は長かった。
土御門の補足は硬かった。

けれど、その三つを合わせると、なんとなく形が見える。

透は思わず言った。

「意外と、三人で一個の説明になってますね」

瀬良がすぐに反応する。

「誰が三分の一だ」

土御門が言う。

「分担比率の話ではなかろう」

白鳥が端末を見たまま補足する。

「説明構造としては妥当です」

瀬良は三人を順に見た。

「お前ら、すぐ変なところで乗るな」

美緒は、署名確認用紙を並べながら言う。

「乗っている間に、実験前署名をお願いします」

瀬良は筆を取った。

「こういう時だけ事務が強ぇ」

美緒は淡々と返す。

「こういう時以外も強いです」

署名欄には、瀬良義景の名が書かれる。
少し崩れた字だが、崩れ方は一定だった。

美緒はそれを確認する。

「読めます」

瀬良は軽く笑った。

「そりゃそうだ」

美緒は用紙を控えに移す。

「読めることを、読める状態で残します」

その言葉に、透は少しだけ手元を見る。

名前を書く。
読めるように残す。

初歩のはずの行為が、ここでは安全確認の一部になっていた。

三 接続一から五

白鳥は、接続一から順に観測を始めた。

まずは接続一。

瀬良は文句を言いながら、軽く通す。

「こんなの、準備運動にもならねぇぞ」

白鳥は端末を見る。

「接続一。成功」

「署名異常なし」

「呼称反応正常」

「微細反応あり。ただし枝崩れなし」

瀬良が嫌そうに言う。

「いちいち細けぇ」

「細かいものを見る実験です」

接続二。
接続三。

瀬良は隠居している。
酒も飲む。
口も悪い。
八接続は三十年やっていないと言った。

だが、接続一から三の滑らかさは、訓練場の誰とも違っていた。

強いというより、馴染んでいる。
術式が瀬良の体の中で、迷わず通る場所を知っている。

透は、それを見るだけで黙った。

白鳥は、主接続だけでなく、その前後に出る微細反応を拾っていく。

固定の前に、偏向が匂う。
観測の裏に、同調が影だけ入る。
希薄の端に、凝縮が粒だけ残る。

瀬良は言った。

「だから言ったろ」

「使ってる本人も分かんねぇんだよ」

白鳥は端末から目を離さない。

「本人が分からないものほど、観測する価値があります」

「嫌なこと言うなあ」

接続四。

瀬良の肩から、少しだけ力が抜ける。
抜けたように見える。

透には、むしろそこからが本番のように見えた。

術式が一つ増えたというより、前の術式がまだ残っている状態で、次の術式を通す。
それを当たり前のようにやっている。

黒瀬が低く言った。

「見てろ、三枝」

透は返事をした。

「はい」

「出してるところじゃない」

「戻ってくるところを見ろ」

透は息を止めそうになり、慌てて吸い直した。

接続四は終わる。

白鳥のログは静かだった。

接続四。
成功。
署名異常なし。
呼称反応正常。
枝崩れなし。

接続五。

瀬良は、少しだけ首を鳴らした。

「ここから先は、模擬でも面倒なんだよな」

白鳥が即座に返す。

「面倒な部分を観測します」

「知ってた」

接続五も成功する。

透は、そこで静かに息を呑んだ。

瀬良はそれを、文句を言いながら普通に通している。

白鳥のログも、やはり静かだった。

接続五。
成功。
署名異常なし。
呼称反応正常。
枝崩れなし。

何かができた、というより。

何も崩れずに戻ってきた、というログだった。

透は、自分の五接続を思い出しかけて、やめる。

学校案件。
旧視聴覚室。
噂の流れ。
観測、固定、偏向、同調、希薄。

通った。

けれど、目の前の接続五とは、静けさが違う。

比べるには、まだ早い気がした。

四 観測二連

白鳥は、瀬良の古い八接続術式例を表示した。

その構成を見て、眉をわずかに動かす。

「接続一と接続二が、どちらも観測になっています」

瀬良は平然と答えた。

「なってるな」

「なぜ観測を連続で二回入れているんですか」

「そりゃ、こっちが見たらあっちが見るだろ?」

白鳥は一拍置く。

「対象が観測に反応する、ということですか」

「そうだよ」

瀬良は指先で、空中を軽くつつく。

「見られたって気づいたら、向こうも動く」

「動いたら、さっき見た場所にはもういねぇ」

白鳥は、式守に術式構成を表示させる。

接続一。観測。
怨霊の初期位置、核、反復行動を読む。

接続二。観測。
観測直後の対象変化を読む。

接続三。固定。
現場境界を仮固定し、拡散を防ぐ。

接続四。同調。
怨霊の反復周期に浅く合わせる。

接続五。偏向。
反復行動の流れを封印路へずらす。

接続六。凝縮。
封印核を一時的に濃くする。

接続七。希薄。
周辺残滓を薄め、核以外の反応を落とす。

接続八。固定。
封印座標へ本固定する。

白鳥は画面を見ながら言った。

「初回観測で対象の存在位置を確定し、二回目の観測で存在確率の変化率を計測している」

瀬良は即座に言う。

「違う」

白鳥が顔を上げる。

「違うんですか」

「負けねぇぞって、がん飛ばしてやるんよ」

白鳥は少しだけ沈黙した。

「対象の反応速度を測りつつ、観測優位を維持している、ということですね」

「言い方よ」

「では、がん飛ばし系観測二連と記録します」

「やめろ」

瀬良は本気で顔をしかめた。

「後世に残すな」

「正式名称にはしません」

「ログに残す気だろ」

「補足欄です」

「残すなって言ってんだよ」

土御門が、術式構成を見ながら言う。

「言葉はひどいが、やっていることは理にかなっておる」

瀬良が胸を張る。

「ほらな」

「ただし、名前はひどい」

「俺が付けたんじゃねぇ」

白鳥は淡々と返す。

「瀬良さんの比喩を元にした補足名です」

「責任を戻すな」

土御門は、表示された術式をじっと見る。

「八接続級は、系統の数ではなく、読み直しの数が増える」

「対象が変わる」

「場が変わる」

「術者も変わる」

「それを途中で読み直せん術式は、八接続には届かん」

瀬良は土御門を横目で見た。

「そういう清胤は、割と最後の方に観測と固定を入れたがるな」

土御門は眉を上げる。

「確認と、確実な安定を重視しておる」

「お前は最初だけ観測を濃くして、あとは予測で押す術式が多すぎる」

「しかし、それでも安定しているのが腹立たしい」

瀬良が笑った。

「褒めてんのか」

「あと、わしは八接続は無理だぞ」

「知ってる」

瀬良は、珍しく少し真面目に言った。

「でも土御門の術式は、少ない手数できれいにまとまってる」

土御門は一瞬止まる。

「……急に家名で呼ぶな」

「術式の話だからな」

「そういうところが合わんのじゃ」

「褒めてんだぞ」

「お前の褒め方は信用ならん」

白鳥は二人の会話を記録しながら、画面を見る。

同じ高位術式でも、設計思想が違う。

瀬良は序盤で濃く読む。
相手の変化を先に掴み、以降を予測で押し切る。

土御門は終盤に確認と固定を置きたがる。
最後にもう一度見て、確実に留める。

どちらが正しいという話ではない。

対象が違う。
術者が違う。
帰り方が違う。

白鳥は言った。

「同じ接続数でも、術者ごとに安全の置き場所が違う」

瀬良は頷く。

「そういうことだな」

土御門も認める。

「言葉にすると、そうなる」

白鳥は式守へ入力する。

「術者別安全配置傾向」

瀬良はすぐに言う。

「また長くなった」

土御門が低く返す。

「だが、今のは要る」

白鳥は、その項目を消さなかった。

五 六接続までの安定

実験は六接続に進む。

瀬良は、少しだけ真面目な顔になった。

出力は模擬。
本番ではない。

それでも、空気が変わる。

白鳥は、出力制限札の状態を確認する。
美緒は署名用紙を一枚前へ出す。
黒瀬は、停止札を持ったまま、瀬良の手元ではなく顔を見ていた。

瀬良が苦笑する。

「大げさだな」

黒瀬は答えない。

瀬良も、それ以上は言わなかった。

接続六。

成功。

白鳥のログは、静かだった。

乱れが少ない。
枝も出ている。
だが、枝崩れではない。

透はログを見る。

「……静かですね」

白鳥が頷く。

「はい」

「異常値が少ない、という意味ではありません」

「戻ってくる形が安定しています」

瀬良は不満そうに言った。

「褒めるならもっと酒が進む言い方しろ」

白鳥は即答する。

「飲酒量は評価対象外です」

「つまんねぇな」

透は、ログから目を離せなかった。

六接続がすごいのではない。

いや、すごい。
すごいのは間違いない。

けれど、それ以上に刺さったのは、六接続から何事もなかったように帰ってきたことだった。

瀬良は、模擬術式を終えたあと、普通に署名する。

瀬良義景。

崩れ方は、実験前と同じだった。

美緒は確認する。

「署名異常なし」

白鳥が続ける。

「呼称反応確認」

「瀬良さん」

瀬良が面倒そうに返す。

「あ?」

白鳥は記録する。

「反応正常」

「感じ悪く呼ばれた時の返事まで記録すんな」

「反応が取れれば十分です」

「雑だな」

透は、そのやり取りを聞きながらも、ログを見ていた。

接続六。
成功。
署名異常なし。
呼称反応正常。
枝崩れなし。

できた、ではない。
戻ってきた。

瀬良が、透を見ずに言った。

「約束できる範囲ってのがあるんだよ」

透は顔を上げる。

瀬良は、署名用紙を美緒へ渡しながら続けた。

「できたことがある、じゃ駄目だ」

「次も帰ってくるって言えるかどうかだ」

透は何も言えなかった。

できたことがある。
届いたことがある。

それだけでは足りない。

足りない。

透は、胸の中でその言葉を繰り返す。

でも、すぐに少しだけ引っかかった。

足りない。

本当に、そういう考え方でいいのか。

学校案件の五接続が、頭の隅をかすめる。

旧視聴覚室。
噂の流れ。
黒瀬の大枠。
日野原の指示。
美緒の整理。
篠宮の術具配置。

あれは、自分一人で作った場ではなかった。

けれど、五接続は通った。

透は答えに至らない。

ただ、瀬良の六接続ログと、学校案件の五接続が、頭の中でうまく重ならなかった。

瀬良は、一人で帰ってくる。
自分は、いろんなものに支えられて届いた。

その差が悔しい。

でも、その差をただの不足と呼んでいいのかは、分からなかった。

六 七接続、八接続

七接続から、実験の空気が変わった。

白鳥は出力上限をさらに下げる。
美緒は署名確認を増やす。
黒瀬は停止札を手に持ったまま、位置を少し変える。

瀬良はその全部を見て、肩をすくめた。

「信用ねぇな」

美緒が即座に返す。

「信用しています」

黒瀬も言う。

「信用してるから、止める準備をする」

瀬良は笑った。

「最近の若いのは怖ぇな」

土御門が低く言う。

「昔から、止める役は怖いものじゃ」

「そうだったか?」

「お前が止まらん側だっただけじゃ」

「ひどい言い方だな」

七接続。

成功。

ただし、枝崩れの兆候が出る。

観測の裏の同調が少し深い。
固定の前の偏向が、微細操作ではなく接続に近づきすぎる。

白鳥が読み上げる。

「枝が主接続側へ侵入しかけています」

瀬良は顔をしかめる。

「言い方が怖ぇんだよ」

「補助操作の範囲を越えかけています」

「そっちも怖ぇよ」

白鳥は表情を変えない。

「ですが、枝崩れとして有用なログです」

「褒めるな」

「褒めていません」

「知ってた」

八接続。

白鳥は実施前に止める。

「模擬出力をさらに下げます」

瀬良は眉を寄せた。

「これ以上下げたら、術式の形が変わるぞ」

「形が変わるところも観測対象です」

「鬼か、お前は」

「研究開発部です」

「便利だな、それ」

八接続は成功する。

だが、成功は静かなものではなかった。

ログには微細な揺れが残る。
枝が折れかけ、主接続が引き戻し、観測が変化を読み直す。

術式が進むたびに、前の術式が完全には消えない。
消えないまま次を呼ぶ。
次が来たことで、前の術式がまた形を変える。

白鳥の端末には、成功判定と警告候補が同時に並ぶ。

「模擬条件下、八接続成功率は約十パーセント」

瀬良が不満そうに言う。

「低く出すなよ」

「実測値です」

「昔は百二十パーだったんだけどな」

白鳥は即座に返す。

「成功率は百パーセントを超えません」

「超える時は超えるんだよ」

「超えません」

「今日は絶対いけるって日があるだろ」

「主観的成功期待値の話ですか」

「違う。気合いだ」

「記録しません」

「そこは残せよ」

土御門が短く言う。

「残す価値はない」

「清胤まで敵かよ」

「百二十という数字以外は、多少価値がある」

白鳥は端末を見ながら言う。

「では、補足欄に“本人申告では過去成功率百二十パーセント”と記録します」

瀬良が渋い顔をした。

「それはそれで嫌だな」

土御門が静かに言う。

「残されて困ることは言うな」

「お前も若い頃は言ってただろ」

「言っておらん」

「言ってた顔だぞ」

「顔で記録するな」

白鳥は補足する。

「顔情報は記録対象外です」

瀬良が白鳥を見る。

「そこは対象外なんだな」

「はい」

「現時点では」

土御門が低く言う。

「増やすな」

場に少しだけ笑いが戻る。

ただ、実験の空気は軽くなりきらなかった。

八接続は成功した。

けれど、帰ってきた足跡には、細い揺れが残っていた。

七 不安全確認

八接続の模擬試験後、瀬良の署名にわずかなかすれが出た。

美緒が最初に気づく。

「停止です」

白鳥もログを見る。

「名痩せ兆候候補」

「実験停止」

黒瀬が停止札を切る。

瀬良は軽く手を上げた。

「おいおい、まだいけるぞ」

黒瀬は低く言う。

「いけるかどうかじゃない」

美緒も言う。

「戻っていると確認できないので止めます」

白鳥は端末を見たまま続ける。

「現在、安全確認が取れません」

瀬良は、少しだけ笑った。

「そうか、次失敗するのか」

「まあ、失敗してほしいって言ってたよな」

白鳥は顔を上げる。

「そういう意味ではありません」

「安全確認が取れた失敗だけを指定しています」

瀬良はにやりと笑う。

「なら、不安全確認が取れた失敗も見てけ」

美緒が即座に言った。

「そんな日本語はありません」

白鳥も頷く。

「ありませんね」

瀬良は白鳥を見る。

「お前が言いそうな言葉だろうが」

「言いません」

「危険兆候確認済みの試行は、失敗ではなく事故条件です」

瀬良は少し黙った。

「事故になる前に止めるのか」

白鳥は頷く。

「はい」

「事故になってからでは、観測ではなく記録になります」

美緒が静かに言う。

「それも報告書には書きたくないです」

黒瀬は短くまとめる。

「要するに止める」

白鳥は答える。

「はい」

「止めます」

瀬良は、少しだけ目を細めた。

「急に全員まとまるな」

黒瀬は停止札を下ろさない。

「今回は白鳥が正しい」

瀬良は小さく息を吐いた。

「分かってるよ」

瀬良は手を引く。

ここで、白鳥の倫理ラインがはっきりする。

白鳥は失敗を欲しがる。
しかし、事故は欲しがらない。

瀬良はその境界を見て、少しだけ笑った。

「嫌な研究者だな」

白鳥は答える。

「褒め言葉として処理します」

「褒めてねぇよ」

土御門が横から言う。

「褒めておる」

瀬良は土御門を見る。

「お前の褒め方も信用ならん」

美緒は、かすれの出た署名を控えとして保存する。

「実験後署名、かすれあり」

「停止判断、妥当」

白鳥は同じ内容を式守へ入れる。

同じ事実が、複数の記録に残る。

それだけで、事故になる前の違和感は、少しだけ次へ渡せる形になった。

八 透の学び

実験が止まり、場の緊張が少しだけ緩んだ。

透は、ようやく息を吐いた。

八接続の成功率十パーセントよりも、五接続と六接続の静けさの方が、なぜか頭に残っていた。

透は、瀬良のログをもう一度見る。

接続五。
接続六。

そこだけが静かだった。

できる、ではない。

帰ってこられる。

その差だった。

透は、自分のログを思い出す。

商業施設契約外怪異対応。
固定前の微弱偏向。
高出力の固定。
早すぎる偏向。

あれは助かった。
人も救えた。
枝だとも言われた。

けれど、自分はあの時、何が起きたのか分かっていなかった。

分からないまま通った。
分からないまま助かった。
分からないまま、結果だけが残った。

透は、ぽつりと言う。

「……俺、あれをもう一回やれって言われても、無理です」

誰もすぐには答えなかった。

透は続ける。

「できるかもしれないとは思います」

「でも、帰ってこられるって約束はできない」

瀬良が、少しだけ目を細める。

「そこが分かるなら、まだ大丈夫だ」

透は顔を上げる。

「大丈夫なんですか」

「できた気になってるやつよりはな」

透は、今度は学校案件を思い出す。

旧視聴覚室。
噂の流れ。
黒瀬の大枠。
日野原の指示。
美緒の整理。
篠宮の術具配置。

あの時、五接続は通った。

でも、あの場を自分一人で作ったわけではない。

透は、少しだけ唇を噛む。

足りない。

そう思った。

けれど、その言葉は、なぜかぴったり来なかった。

足りない。
だから、足せばいい。

本当に、それだけなのか。

透は、そこから先を考えられない。

考えようとすると、どこか変なところへ行きそうになる。

だから、いったん戻る。

透は、黙って札を取った。

「俺、四接続をちゃんとやります」

篠宮が少しだけ眉を上げる。

「今さらですか」

「今さらです」

篠宮は、少しだけ表情を緩めた。

「それでいいと思います」

透は言う。

「五接続を捨てるって意味じゃないです」

「分かっています」

「四接続で帰ってこられるようにします」

「それができないと、五接続もたぶん嘘になる」

篠宮は頷いた。

「はい」

「その理解は正しいです」

透はうなずく。

答えは出ていない。

ただ、足りないから足す。
届かないから伸ばす。

それだけではない何かが、ほんの少しだけ引っかかっていた。

黒瀬は、その様子を見て何も言わなかった。

美緒も、記録に残さなかった。

ただ、透が四接続の札を手に取ったことだけを、次の訓練予定へ入れた。

九 データは取れた

実験後、白鳥は瀬良に頭を下げた。

「ありがとうございます」

「枝の一部は記録できました」

瀬良は椅子に深く座ったまま、白鳥を見る。

「なら、勝てるのか」

白鳥は即答した。

「いいえ」

瀬良は顔をしかめる。

「おい」

「この形では、危険度は許容値まで下がりません」

瀬良は少し黙った。

「……だろうな」

白鳥は続ける。

「でも、データは取れました」

「データで禁呪が軽くなるかよ」

「軽くはなりません」

「だろうな」

「ただ、どこが重いかは分かりました」

瀬良は、少しだけ白鳥を見る目を変えた。

「……それで?」

「持ち帰ります」

「逃げるのか」

「いいえ」

白鳥は、式守の端末に手を置いた。

「式守に戻します」

瀬良は小さく笑う。

「機械に戻して軽くなるかよ」

「軽くはなりません」

白鳥の声は、そこで少しだけ強くなる。

「ですが、重い場所を間違えずに見ることはできます」

「それを皆に共有します」

瀬良はしばらく白鳥を見る。

白鳥は、絶望していなかった。

勝てるとは言わない。
安全になったとも言わない。
禁呪が軽くなったとも言わない。

それでも、白鳥は前を向いていた。

分からなかった危険が、分かる危険になった。

なら、次に必要なのは、分かった危険を誤魔化さないことだった。

瀬良は呟く。

「嫌な希望の持ち方するな」

白鳥は答える。

「褒め言葉として処理します」

「褒めてねぇよ」

土御門が横から言う。

「褒めておる」

瀬良はため息をついた。

「お前らの褒め方、全員信用ならん」

その横で、透はまだ瀬良の六接続ログを見ていた。

静かに帰ってきた術式。

自分一人では届かなかったはずの五接続。

足りない。

その言葉だけが残る。

けれど、その言葉だけでは、少しだけ足りなかった。

透はログを閉じる。

答えは、まだない。

ただ、次に戻る場所は決まっている。

四接続。

自分が帰ってこられると言える範囲。

そこから、もう一度始める。

白鳥は式守へ最後の入力を行う。

瀬良式説明群。
枝。
枝崩れ。
観測二連。
術者別安全配置傾向。
約束できる範囲。
記録継続。

画面の中で、項目が増える。

それは勝利ではない。

けれど、絶望の形を、少しだけ正確に見るための光だった。

第6.5話 瀬良式説明群 了


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片桐美緒の案件補足

制御された失敗は、事故ではありません。
ただし、事故になる前に止める人がいないなら、それは実験ではありません。

用語説明
瀬良式説明群瀬良義景の比喩、身体感覚、現場語彙を、白鳥が観測項目へ変換するための仮分類。正式理論ではなく、補足分類として扱う。
模擬出力本番出力ではなく、危険を抑えた状態で術式の形だけを再現する実験形式。
出力制限札術式出力が一定以上に上がらないよう抑えるための札。実験中の安全装置。
観測札主接続だけでなく、その前後に出る微細反応を拾うための札。枝や枝崩れの検出に使う。
停止札実験を強制停止するための札。本人が継続可能だと主張しても、安全確認が取れなければ使用する。
接続として数えない隙間に残る、微細な通り道や逃げ道。主接続ではないが、術式の安定や出力に影響することがある。
枝崩れ枝が補助操作の範囲を越え、主接続に近づいたり、術式全体の安定を乱したりする兆候。
接続一〜八瀬良の術式を一接続から八接続まで段階的に観測したもの。今回は本番処理ではなく、模擬条件下での再現。
観測二連観測を二回連続で入れる構成。初回観測で対象を捉え、二回目の観測で対象が反応した後の変化を読む。
がん飛ばし系観測二連瀬良の比喩による観測二連の補足名。正式名称ではないが、対象へ観測優位を保つ感覚を説明する言葉として残された。
術者別安全配置傾向術者ごとに、安全確認をどの工程へ置きたがるかが異なるという観測項目。瀬良は序盤観測寄り、土御門は終盤確認寄り。
安全確認が取れた失敗制御された範囲内で起こす、記録可能な失敗。事故ではなく、再現性のある失敗として扱う。
不安全確認瀬良の言い回し。正式な用語ではない。実際には、危険兆候が確認されたため実験を停止すべき状態を指す。
事故条件このまま進めると事故になる可能性が高い状態。観測対象ではなく、停止対象。
約束できる範囲一度成功したことがある術式ではなく、次も戻ってこられると判断できる術式範囲。
署名確認実験前後および各接続段階で署名を取り、名痩せ兆候や筆跡の揺れを確認する手順。
呼称反応確認名前を呼ばれた際に、本人が正常に反応できるかを見る確認。本人確認遅延の検出に使う。
名痩せ兆候候補署名のかすれ、画数欠損、呼称反応遅延など、名痩せにつながる可能性のある軽度異常。断定ではなく候補として扱う。

案件概要

項目内容
記録名瀬良式説明群
区分模擬実験・観測記録
対象瀬良義景の接続一〜八、および枝・枝崩れの観測
主目的式守が未学習だった枝の挙動を、観測可能な項目へ落とし込むこと
実施方法本番出力ではなく、模擬出力・出力制限札・観測札を用いて段階的に観測
安全管理各接続段階で署名確認、呼称反応確認、術式ログ確認を実施
停止条件署名のかすれ、呼称反応遅延、枝崩れの危険拡大、本人確認不能など
結果枝の一部、枝崩れ、観測二連、術者別安全配置傾向を記録
注意これは禁呪を安全化した記録ではなく、危険の重い場所を見誤らないための観測記録

観測結果の整理

観測対象結果補足
接続一〜三安定主接続の前後に微細反応あり。枝崩れはなし。
接続四安定前作用を残したまま次作用へ渡す形が明瞭。
接続五安定透の学校案件での五接続と対比されるが、こちらは模擬条件下で静かに帰ってきている。
接続六安定枝は出ているが、枝崩れではない。戻ってくる形が安定している。
接続七成功。ただし枝崩れ兆候あり観測裏の同調が深くなり、固定前の偏向が補助操作を越えかけた。
接続八模擬条件下で成功成功判定は出たが、微細な揺れが残る。成功率は低く、安定運用とは言えない。
実験後署名かすれあり名痩せ兆候候補として扱い、実験停止。

重要な判断

判断内容
実験は本番出力で行わない禁呪由来の問題を扱うため、模擬出力と出力制限を前提とした。
失敗例も収集する成功例だけでは枝崩れを学習できないため。
事故は収集しない危険兆候が出た時点で止める。事故になってからでは観測ではなく報告書になる。
署名確認を増やす枝崩れや名痩せ兆候が出た際、本人性の揺れを比較できるようにするため。

瀬良義景の術式傾向

項目内容
基本傾向感覚的な術式運用が多く、説明は比喩に寄る。
強み接続五〜六までの戻り方が安定している。
観測傾向序盤に濃く読み、対象変化を先に掴んで以降を予測で押す。
説明上の問題本人の説明が雑なため、そのままでは式守に入力しにくい。
記録上の価値雑な比喩であっても、複数の術式現象を説明できるため、補足分類として有用。

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