勇者の条件 第22話 疲れ切った二人から受け取った剣

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勇者の条件 第22話 疲れ切った二人から受け取った剣 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

鍛冶師が倒れた

知らせを持ってきた少年は、石段の下で何度も息を吸っていた。

雨上がりの坂道を駆けてきたせいで、膝には泥がついている。

「鍛冶師のおじさんが、倒れたって」

その言葉で、神殿の空気が変わった。

エナの父は、短く言った。

「行く」

エナはすでに薬箱へ手を伸ばしていた。

父は一瞬だけ、娘を見た。

前の日、老人の腕を癒やした時の光。

夜の会話。

古い絵本。

足りないもの。

頼ること。

迷い。

それらが、彼の目の奥で重なったように見えた。

「エナ」

「はい」

エナは少し身構えた。

父は静かに言う。

「来なさい」

エナは驚いた顔をした。

「いいんですか」

「薬箱を持って」

「はい」

ロアンはすぐに荷を下ろした。

「俺たちも手伝います」

ミルカも頷く。

「荷物運びでも、水汲みでも、できることがあれば」

エナの父は二人を見た。

危なっかしい。

けれど、何かをつなごうとする若者たちだった。

「頼む」

エナは薬箱を抱えた。

ロアンは先に石段を下りようとして、ぬれた石に足を置きかける。

ミルカが言った。

「足元」

エナも言った。

「石段、まだ滑ります」

ロアンは足を止めた。

「足元の真理、今日も有効」

「毎日有効です」

エナが真面目に返す。

ミルカは小さく息を吐いた。

「話してる間に急ぐ」

「はい」

四人は村へ向かった。

村の中は、いつもよりざわついていた。

鍛冶場の前には、すでに何人も村人が集まっている。

戸口には鍬を持った農夫。

包丁を布に包んだ女。

馬具の金具を持った荷運び。

自警団の槍先を抱えた若者。

皆、心配そうな顔をしていた。

ロアンはそれを見て、足を止めそうになった。

「鍛冶師さんって、そんなに……」

ミルカが低く言う。

「村の生活の要なんだと思う」

鍛冶場の扉は開いていた。

中には、まだ熱と鉄と煤の匂いが残っている。

だが、炉の火は落とされていた。

途中まで直された鍬。

研ぎかけの包丁。

曲がった釘。

馬具の金具。

折れた槍先。

柄を外された鎌。

どれも、作業の途中で止まっている。

その奥の小部屋に、鍛冶師は寝かされていた。

大きな体の男だった。

腕も肩も太い。

けれど今は、額に汗を浮かべ、息を荒くしている。

鍛冶師の妻が布を絞っていた。

目の下に濃い影がある。

「休めと言ったんです」

妻は神官を見るなり、そう言った。

怒っているようで、泣きそうでもあった。

「何日も前から熱があったのに、農具の修理が残ってるって。槍の穂先を見ないと自警団が困るって。鍋の取っ手くらいすぐだって」

エナの父は鍛冶師の額に手を置く。

「熱が高い」

エナは薬箱を開けた。

ロアンは鍛冶場を見渡す。

剣だけではない。

鍛冶師の仕事は、剣一本の話ではなかった。

鍬。

鎌。

包丁。

釘。

馬具。

鍋。

扉の蝶番。

自警団の槍。

村のあちこちが、この場所につながっている。

ロアンは思わず言った。

「剣を打つ人、ってだけじゃないんですね」

鍛冶師の妻は、疲れた顔で少し笑った。

「剣なんて、年に何本も打たないよ。毎日あるのは鍬と包丁と釘さ」

ミルカが小さく言う。

「生活の要なんだ」

エナは鍛冶師のそばに座った。

その顔は、いつものおっとりしたものではなかった。

怖がっている。

けれど、逃げてはいない。

「診ます」

父がうなずいた。

「まずは熱を下げる。呼吸を楽にする。無理はしない」

エナは鍛冶師の手を取った。

ロアンは、それを黙って見ていた。

小さな精霊たちの話を思い出す。

火。

水。

風。

土。

足りないところを補う。

この鍛冶場にも、それが必要だった。

少しだけでは足りない

エナは鍛冶師の手に、自分の手を重ねた。

最初は何も起きていないように見えた。

しかし、少しずつ鍛冶師の荒い呼吸が落ち着いていく。

額の汗はまだ引かない。

熱も完全には下がらない。

それでも、苦しげに歪んでいた顔が、ほんの少し緩んだ。

ロアンは息を止めていたことに気づいた。

ミルカはエナの横顔を見ていた。

エナの額にも汗が浮かんでいる。

癒やしは、光って終わる便利な奇跡ではなかった。

使えば、エナが削れていく。

父が静かに言った。

「エナ、そこまででいい」

エナは首を振る。

「まだ、苦しそうです」

「まだ苦しい。だが、お前が倒れれば続かない」

「少しだけ」

ミルカがすぐに言った。

「その少しだけを、あと何回言うつもり?」

エナは言葉に詰まった。

ロアンは鍛冶師を見た。

まだ苦しそうだ。

そのまま放っておきたくない気持ちは分かる。

けれど、エナがここで倒れたら、明日はない。

ロアンは言った。

「今日はここまでにしましょう。明日も来るなら、今日倒れない方がいい」

エナは鍛冶師を見る。

鍛冶師の妻も、祈るような目でエナを見ていた。

エナは、ゆっくり手を下ろした。

「明日も、来ます」

父はうなずいた。

「明日も来る。そのために、今日は休む」

エナは小さく頷いた。

ミルカは薬箱を覗き込む。

「熱冷ましの薬草は?」

エナの父が答える。

「少し足りない」

ロアンは顔を上げた。

「どこにありますか」

「神殿の裏の棚にもある。あとは、この村の薬草畑だ」

「取ってきます」

ミルカがすぐに言う。

「一人で行かない」

「まだ何も」

「今、行く顔をした」

「顔が早いってよく言われる」

「自覚があるなら直して」

エナが少し笑った。

「二人で行ってください。薬草畑は、道がぬかるんでいます」

ロアンは頷く。

「分かりました」

「あと、青い葉と白い葉を間違えないでください」

「どっちが必要ですか」

「青い方です。白い方はお腹に来ます」

ロアンは真剣に聞いた。

「腹痛用?」

「腹痛を起こす方です」

ミルカがロアンの袖をつかむ。

「私が見ます」

「今のは俺も危ないと思った」

「思ったならよし」

二人は薬草を取りに向かった。

その日から、看病が始まった。

一度で治る奇跡ではなかった。

毎日少しずつ。

熱を下げる。

呼吸を整える。

痛みを和らげる。

水を飲ませる。

眠れるようにする。

体力が戻るまで待つ。

それは、派手な癒やしではなかった。

けれど、鍛冶師の命を少しずつこちら側へ引き戻す仕事だった。

一週間

一日目の夜、鍛冶師の熱はまた上がった。

エナは神殿へ戻る道で、ずっと黙っていた。

「下がったのに」

ぽつりと言う。

「また上がりました」

父が言った。

「病は、傷のようには閉じない」

エナは唇を結んだ。

ロアンは何か言おうとして、言えなかった。

ミルカが代わりに言う。

「明日も行けるように、今日は寝る」

エナは少しだけ頷いた。

二日目。

鍛冶師は水を飲めた。

ほんの少しだった。

それでも、妻は泣きそうな顔で笑った。

エナも笑った。

そのあと、神殿の椅子に座ったまま眠ってしまった。

ミルカは黙って毛布をかけた。

ロアンが小声で言う。

「短めに寝てます?」

ミルカは低い声で返す。

「寝かせる」

「はい」

三日目。

鍛冶師の呼吸が、少し安定した。

ロアンは薪を割った。

水を汲んだ。

鍛冶師の妻が薬湯を作るのを手伝った。

ミルカは薬草の量と、エナが癒やしを使った時間を記録した。

エナは不満そうにその記録を見た。

「私、管理されています?」

ミルカは即答した。

「されています」

「隠さないんですね」

「隠すとロアンが見習う」

ロアンは薪を抱えたまま振り向く。

「俺?」

「隠しそう」

「何を」

「無理」

ロアンは反論しようとして、少し考えた。

「……少し」

エナが言った。

「少しは危ないです」

ミルカが頷く。

「ほら」

ロアンは黙って薪を運んだ。

四日目。

鍛冶師が目を覚ました。

最初に言ったのは、「炉は……」だった。

妻が怒った。

「炉より自分の心配をしなさい」

鍛冶師は薄く目を開けた。

「鍬が……」

「鍬より自分」

「槍の穂先が……」

「槍より自分」

ロアンは小声でミルカに言った。

「すごい。全部自分に戻されてる」

ミルカも小声で返す。

「戻る条件が強い」

エナは泣きそうな顔で笑っていた。

「起きた」

その一言には、疲れと安堵が混ざっていた。

五日目。

鍛冶師は短く話せるようになった。

エナはかなり疲れていた。

癒やしの途中で、手が震える。

ミルカは時間を見て言う。

「今日はそこまで」

エナは鍛冶師を見る。

「でも」

「でもは禁止」

「少しだけ」

「その少しだけを言ったら休憩」

エナは困った顔をする。

「言わなければ?」

「顔で言ってる」

ロアンがそっと言った。

「顔が早いの、俺だけじゃなかった」

エナは小さく笑った。

「顔って、便利じゃないですね」

「便利な時もあるけど、隠し事には向かない」

ミルカが言う。

「二人とも分かったなら休む」

二人は同時に返事をした。

「はい」

「はい」

六日目。

鍛冶師が上体を起こせるようになった。

村人たちの顔にも、少しずつ明るさが戻っていた。

鍛冶場の外に置かれていた壊れた農具の持ち主たちも、焦らず待つようになった。

「命が先だ」

誰かがそう言った。

その日、緊張が切れたのか、エナがふらついた。

ロアンが慌てて支える。

「今度はエナさんが患者ですね」

エナは小さく笑う。

「短めに倒れます」

ミルカが即座に言った。

「倒れる長さの問題じゃない」

鍛冶師の妻まで言った。

「倒れる前に座りなさい」

エナは観念して椅子に座った。

「今日は、味方が多いです」

ミルカが言う。

「最初から多い」

「気づきませんでした」

「そこが危ない」

七日目。

鍛冶師は立った。

長くは立てない。

仕事もできない。

けれど、命の危機は越えた。

鍛冶師の妻は、彼の背中を何度も叩いた。

「倒れたら、次は炉じゃなくて寝台に鎖でつなぐからね」

鍛冶師は苦笑した。

「鎖は自分で打てる」

「打たせない」

エナは椅子に座って、そのやり取りを見ていた。

疲れ切っている。

顔色は白い。

それでも、どこか晴れやかな顔をしていた。

ロアンは鍛冶師を見た。

エナを見た。

妻を見た。

ミルカの記録帳を見た。

薬湯の鍋。

薪。

水桶。

薬草。

濡れた布。

誰か一人の力ではなかった。

少しずつ、いろんなものが鍛冶師をこちら側へ引き戻した。

小さな精霊たちの話は、絵本の中だけの話ではなかった。

守ること

その夜、エナは神殿の小部屋で眠っていた。

眠っているというより、力尽きていた。

父は、娘の寝顔を見ていた。

ロアンとミルカは、少し離れた場所にいた。

ミルカは記録帳を閉じる。

「熱は、もう大丈夫だと思います」

父はうなずいた。

「助かった」

その声には、安堵だけではないものが混ざっていた。

誇らしさ。

恐れ。

迷い。

ロアンにも、それは少し分かった。

父は静かに言った。

「私は、この子を守っているつもりだった」

ロアンは黙って聞いた。

「中央に知られれば、呼ばれるかもしれない。力を求められるかもしれない。ここにいれば、私の目が届く。村の者たちも、この子を知っている」

ミルカが言った。

「外に出れば危険です」

父はうなずく。

「分かっている」

「癒やしの力を頼られることも増えると思います。使いすぎれば、エナが倒れます」

「分かっている」

父は眠るエナを見る。

「だが、守ることと、閉じ込めることは違うのかもしれない」

ロアンは、少しだけ考えた。

神殿の外。

街道。

洞窟。

村と村。

戻る場所。

「戻ってきてもいいと思います。いつでも」

父がロアンを見る。

ロアンは続けた。

「進むなら、戻る理由も持っていた方がいいって教わりました。エナさんも、戻ってきていい場所がある方がいいと思います」

父は少しだけ表情を緩めた。

「君は、妙なところで神官のようなことを言う」

ロアンは困った。

「そうですか?」

ミルカが言った。

「たまにです」

「たまに」

ロアンは少し肩を落とした。

父は笑った。

小さく、けれど本当に笑った。

「たまにで十分だ」

ミルカは眠っているエナを見る。

「でも、今すぐ旅に出る話ではないと思います」

父はうなずく。

「分かっている。今は休ませる」

「それがいいです」

ロアンも頷いた。

「俺たちも、まだそんなに頼れる旅人じゃないですし」

ミルカが見る。

「自覚は大事」

「そこは褒めて」

「少し」

父は、二人を見ていた。

若い。

危うい。

けれど、足りないことを足りないと言える。

戻ることを失敗だと思わない。

それは、エナに必要なものかもしれなかった。

まだ結論ではない。

だが、父の中で、何かが大きく傾いていた。

礼を打つ

鍛冶師が鍛冶場へ入ろうとしたのは、その翌日の朝だった。

妻が戸口で立ちはだかった。

「どこへ行くつもり」

鍛冶師は、寝台から抜け出した子どものような顔をした。

「鍛冶場だ」

「見れば分かるよ。どうして行くのか聞いてる」

「礼をしなきゃならん」

「礼は寝てからでもできる」

「寝ていたら、礼は打てん」

妻の眉が跳ね上がった。

「打つ気かい」

ロアンたちが到着した時には、もう鍛冶場の前で揉めていた。

エナは薬箱を抱えて立ち尽くす。

「まだ寝ていてください」

鍛冶師は首を振った。

「今でなければ、打てんものもある」

ミルカが言う。

「今すぐ打つ必要はありません」

「ある」

鍛冶師は短く答えた。

体はまだ弱っている。

立っているだけでも、少し息が乱れている。

それでも目ははっきりしていた。

無茶をしたい目ではない。

何かを形にしなければならない目だった。

ロアンは、その目を見て黙った。

鍛冶師は言う。

「剣を打つ」

ロアンが驚く。

「剣?」

「お前さんにだ」

「俺に?」

「旅人には、道具が要る」

ロアンは慌てた。

「でも、俺は鍛冶師さんを治してないです」

鍛冶師はエナを見る。

「治したのはこの子だ」

エナは困ったように目を伏せた。

鍛冶師はミルカを見る。

「倒れないように見張ったのはあんただ」

ミルカは少しだけ眉を上げる。

「見張っていました」

「よく見張っていた」

最後に、鍛冶師はロアンを見る。

「薪を運び、水を汲み、薬草を取り、炉を片づけたのはお前さんだ」

ロアンは黙る。

「一人で助かったわけじゃない。なら、剣も一人への礼じゃない」

「でも、受け取るのは俺なんですか」

「お前さんが一番剣を使う」

ミルカが静かに言う。

「それはそう」

「そこは否定して」

「私は杖」

エナが言う。

「私は薬箱です」

ロアンは自分の腰の古い剣を見る。

村を出る時に持ってきた剣。

何度も研ぎ直し、柄も少し緩んできている。

鍛冶師はそれを見る。

「悪くはない。だが、旅が続くなら、その剣では足りん」

「足りない」

ロアンは小さく繰り返した。

鍛冶師は頷く。

「足りないなら、補えばいい」

その言葉で、ロアンは断れなくなった。

エナの父が言った。

「無理はさせない。時間を区切る。エナも癒やしすぎない」

鍛冶師の妻が腕を組む。

「倒れたら中止」

ミルカも言った。

「途中で熱が上がったら中止」

エナも言った。

「息が乱れたら休憩です」

ロアンは少し考え、最後に言った。

「俺が邪魔をしたら?」

鍛冶師は即答した。

「外へ出す」

ミルカが頷く。

「妥当」

「そこは庇って」

「邪魔をしなければいい」

「はい」

鍛冶師は、ようやく少し笑った。

「なら始める」

炉に火が入る

鍛冶場に火が入った。

落とされていた炉が、ゆっくりと息を吹き返す。

煤の匂い。

鉄の匂い。

熱の匂い。

村の生活を支えてきた場所が、少しずつ動き始める。

鍛冶師は病み上がりだった。

長くは立てない。

妻が横に立つ。

弟子はいなかったが、代わりにロアンが道具を渡した。

ミルカは風を見た。

火を強めるのではなく、熱が逃げすぎないように整える。

大きな魔法ではない。

空気を少しだけ動かす。

エナは椅子に座らされていた。

薬箱を膝に置いている。

手を出したそうにするたび、父が視線で止める。

「癒やしすぎるな」

「まだ何もしていません」

「顔がしている」

エナは小さく肩を落とした。

「顔が早い人、ここにもいました」

ロアンが道具棚から返す。

「仲間ですね」

ミルカが言う。

「顔が早い組は休んで」

「俺は働いてる」

「邪魔しなければね」

「条件付きの労働」

鍛冶師は鉄を見た。

「良い鉄じゃない。だが、悪い鉄でもない」

ロアンが聞く。

「それでいいんですか」

鍛冶師は笑った。

「剣は材料だけで決まらん。持つ者と、使う場所でも変わる」

鉄が赤くなる。

鍛冶師は槌を握った。

腕は震えていた。

だが、槌を下ろす音は乱れなかった。

一打。

また一打。

火花が散る。

ロアンは水を用意し、道具を渡し、汗を拭う布を差し出した。

ミルカは火と風を見る。

妻は鍛冶師の呼吸を見ている。

エナは手を握りしめ、立ち上がらないようにしていた。

鍛冶師の腕が一度止まる。

エナがすぐに立ちかけた。

父が静かに言う。

「エナ」

エナは座り直す。

ミルカが横から言った。

「今エナが倒れたら、鍛冶師さんが怒る」

エナは困った顔をする。

「それは、困ります」

鍛冶師は息を整えながら笑った。

「怒るぞ」

「じゃあ、座っています」

「そうしてくれ」

少し休む。

また打つ。

鉄を熱する。

伸ばす。

戻す。

削る。

整える。

鍛冶師は何度も休んだ。

そのたびに、妻が水を渡した。

ロアンが椅子を引いた。

ミルカが時間を見る。

エナが手を握ったまま、癒やしを使いすぎないように耐えた。

誰か一人が剣を作っているのではなかった。

鍛冶師が打つ。

妻が支える。

ミルカが火と風を整える。

エナが、無理をしない範囲で痛みを和らげる。

ロアンが道具と水と薪を運ぶ。

小さな精霊たちの話と同じだった。

足りないところを、少しずつ補う。

やがて、剣の形が見えてきた。

装飾はない。

派手な刃文もない。

宝石もない。

だが、まっすぐだった。

旅の道で抜き、振り、戻し、手入れすることを考えた形だった。

鍛冶師は最後の仕上げを終えると、椅子に座り込んだ。

エナも椅子に沈むように背を預けた。

二人とも、疲れ切っていた。

ロアンはその二人を見た。

どちらか一人の奇跡ではなかった。

疲れ切った二人と、その周りの手によって、一本の剣が生まれた。

旅の剣

鍛冶師は、布で包んだ剣をロアンに差し出した。

「持っていけ」

ロアンはすぐに受け取れなかった。

「重いです」

鍛冶師は笑う。

「剣だからな」

ロアンは首を振った。

「そういう意味じゃなくて」

鍛冶師は静かに言った。

「分かっている。だから持っていけ」

ロアンは剣を見た。

装飾は少ない。

柄は握りやすく、鞘は丈夫で、金具は無駄がない。

華やかさはない。

けれど、持ち上げた瞬間に分かる。

抜きやすい。

構えやすい。

重心が自然だ。

旅の中で使うことを考えられている。

ミルカが見る。

「派手じゃない」

鍛冶師はうなずく。

「派手な剣は飾るものだ。旅の剣は抜けて、振れて、戻せて、手入れできることが大事だ」

ミルカは真剣に聞いていた。

「手入れの仕方、聞いておいた方がいい」

ロアンは頷く。

「聞きます」

鍛冶師が笑う。

「良い返事だ。剣はもらって終わりじゃない。手入れしなけりゃ、すぐに機嫌を悪くする」

ロアンは剣を見る。

「剣にも機嫌があるんですか」

「ある」

「荷にも顔があって、剣にも機嫌がある」

ミルカが言う。

「ロアンより剣の機嫌を見た方が早い時がありそう」

「俺の機嫌、そんなに分かりにくい?」

エナが少し考える。

「お腹が空いている時は分かりやすいです」

「そこ?」

鍛冶師は声を出して笑った。

少し咳き込む。

妻がすぐに睨んだ。

「笑うのもほどほど」

「笑うなとは言われていない」

「言うよ」

鍛冶師は黙った。

ロアンは剣を握った。

不思議なほど、手に合った。

自分の手を測られた覚えはない。

それでも、合う。

鍛冶師は言った。

「お前さんは、全部を斬る剣士じゃない」

ロアンは顔を上げる。

「はい」

「道を開く時に抜く剣でいい」

その言葉は、炉の熱よりも深くロアンの胸に入った。

全部を斬る剣ではない。

道を開く時に抜く剣。

ロアンは、剣の柄を両手で握った。

「ありがとうございます」

エナは疲れた顔で微笑む。

「似合ってます」

ロアンは少し困った。

「本当に?」

ミルカが横から言う。

「剣は似合ってる」

「俺は?」

「剣に追いついて」

「剣が先に行った」

エナはくすりと笑った。

鍛冶師は静かに言った。

「礼を言うのは、こっちだ」

ロアンは剣を見た。

それでも、やはり重かった。

鉄の重さだけではない。

命を引き戻した一週間。

疲れ切ったエナ。

病み上がりの鍛冶師。

見守る父。

支える妻。

火を整えるミルカ。

水を運んだ自分。

それらが、剣の中に入っている気がした。

外を見る

剣を受け取ったあと、鍛冶場には少しだけ静けさが戻った。

鍛冶師は椅子で眠っている。

妻はその肩に布をかけた。

エナも、壁際の椅子で半分眠っていた。

ミルカはロアンの新しい剣の鞘を確認している。

「ここの留め具、しっかりしてる」

「それは良いこと?」

「とても。走って落ちたら困る」

「走る前提なんだ」

「ロアンだから」

ロアンは返事に困った。

エナの父は、そのやり取りを見ていた。

やがて、静かに口を開いた。

「エナ」

エナは眠そうに顔を上げる。

「はい」

父は少し迷った。

だが、言葉はもう逃げなかった。

「お前は、外を見た方がいいのかもしれない」

エナは目を瞬いた。

「外、ですか」

「この神殿に戻ってくるためにも、外を見た方がいい」

ロアンは驚いて口を開きかけた。

ミルカが、そっと肘で止める。

今はロアンが話す場面ではない。

父と娘の間にあるものだ。

エナは父を見た。

「私は、ここにいても」

「ここにいてほしい」

父は静かに言った。

「それは変わらない」

エナは少しだけ肩の力を抜いた。

父は続ける。

「だが、ここだけにいることが、お前を守ることなのか、分からなくなった」

「父さん」

「今すぐ答えなくていい。今は休みなさい。だが、考えなさい」

エナは長く黙った。

それから、小さく頷いた。

「はい」

ロアンは黙っていた。

ミルカも黙っていた。

鍛冶師の妻も、何も言わなかった。

ただ、炉の中に残った小さな火が、赤く揺れていた。

ロアンは新しい剣を見下ろした。

エナは外を見た方がいいのかもしれない。

自分たちがその外を知っているわけではない。

むしろ知らないことだらけだ。

でも、知らないなら、聞けばいい。

足りないなら、誰かに頼ればいい。

それを、昨日読んだばかりだった。

疲れ切った二人から

その剣は、天から降ってきたものではなかった。

中央神殿の聖堂に眠っていたものでもなかった。

古い台座に刺さっていたわけでもない。

病み上がりの鍛冶師が打った剣だった。

鍛冶師は疲れ切っていた。

エナも疲れ切っていた。

一人は病から戻ったばかりで、一人はその病を一週間かけて押し戻したばかりだった。

火を見た者がいた。

水を運んだ者がいた。

風を整えた者がいた。

薬を煎じた者がいた。

炉の横で眠りかけた者がいた。

誰か一人の奇跡ではなかった。

それでも剣は打たれた。

ロアンは、それを受け取った。

神の声はなかった。

光も降らなかった。

鐘も鳴らなかった。

ただ、鍛冶場に煤の匂いがあり、薬草の匂いがあり、炉の熱があり、疲れた人々の息があった。

後に人々は、その剣を聖剣と呼ぶ。

魔王の前まで届いた剣だからである。

けれどその日、その剣はまだ聖剣ではなかった。

疲れ切った二人から受け取った、一本の旅の剣だった。


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