召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座~ 第14話 先生が書き足した名前

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召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座~ 第14話 先生が書き足した名前 人物相関図

 ※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

一 再契約の前に

 書類は整っていた。

 竜籍仮登録。

 代筆同意。

 竜爪印登録。

 旧財宝守護契約の読み替え案。

 新契約案。

 登録名、ヴァルグ。

 赤竜を現代制度上の一個体として扱うための準備は、ひとまず形になっていた。

 残っているのは、本人の最終意思確認。

 そして、再契約の締結だけだった。

 洞窟の奥は、まだ熱い。

 けれど、最初に赤竜と向き合った時のような、石まで震わせる怒気は薄れていた。

 財宝は、まだそこにある。

 翼の意匠を持つ古代魔道具も、布の上に置かれている。

 その魔道具は、もうただの盗難品ではなかった。

 赤竜が千年以上守ってきた時間の、形の一つだった。

 ミレイユが代筆用の登録板を整え、カイルが確認者として少し離れた位置に立つ。

 メルセナ・オルブライトは、赤竜の前に立った。

「最終確認に入ります」

 赤竜は、すぐには答えなかった。

 長い沈黙が落ちる。

 リオル・ロステルは、その沈黙に、怒りとは違うものを感じた。

 迷いだ。

 赤竜は、怒っているのではない。

 迷っている。

 やがて、赤竜が低く言った。

「……本当に、我は再契約しても良いのだろうか」

 メルセナは、赤竜を見上げた。

「制度上は、再契約が最も適切です」

「制度上は、か」

「はい」

 赤竜は、ゆっくりと息を吐いた。

 それだけで、周囲の熱がわずかに揺れる。

「契約としては、それが正しいのだろう。だが……」

 言葉が止まる。

 リオルは、その続きを待った。

 けれど、赤竜は何も言わなかった。

 言葉にできないものを、喉の奥に抱えているようだった。

 リオルは、気づけば口を開いていた。

「たぶん、適切かどうかじゃなくて」

 メルセナが、リオルを見る。

 カイルも、ミレイユも、少しだけ視線を向けた。

 リオルは一瞬ひるんだが、続けた。

「思い出と契約が、繋がっているのだと思います」

 赤竜の目が、ゆっくりと細くなる。

「思い出……?」

「はい」

「数千年生きている我が、思い出で迷うというのか」

「数千年生きているから、たくさんあるんだと思います」

 赤竜は黙った。

 リオルは、布の上に置かれた魔道具を見る。

 翼の意匠。

 元は風の魔道具。

 赤竜の火の精霊力に長く晒され、火へ変質した古代の道具。

 それは、契約対象だった。

 けれど、それだけではなかったのだと思う。

「財宝を守る契約をやめたら、昔の契約までなくなる気がしているんじゃないですか」

「契約は契約だ」

 赤竜は言った。

「でも、ただの契約じゃなかったんだと思います」

「ただの契約ではない?」

「誰かに頼まれて、ずっと守ってきたものだから」

 赤竜の瞳が、わずかに揺れた。

 リオルは慎重に言葉を選ぶ。

「財宝そのものが惜しいだけじゃないんですよね。前に、財宝そのものへの怒りは譲れるところもあるって言っていました。でも、守れなかったことは譲れないみたいだった」

「……」

「たぶん、財宝は、昔の召喚士との約束の形で。旧契約は、赤竜さんがずっと続けてきた役割で。だから、財宝を守る契約をやめることが、その時間を手放すみたいで怖いのかなって」

「我が、怖いと」

「怖いというか……名残惜しい、の方が近いかもしれません」

「名残惜しい」

 赤竜は、その言葉を繰り返した。

 洞窟の奥に、静かな熱が満ちる。

 メルセナが、落ち着いた声で言った。

「リオルの見立ては、制度上の整理ではありません」

「すみません」

「ですが、無視できない観点です」

 リオルは少しだけ目を見開いた。

 メルセナは赤竜を見る。

「再契約は、旧契約を否定するものではありません」

「では、何だ」

「古い契約を、現在の制度と、現在のあなたに合わせて結び直すものです」

「古い契約は残るのか」

「契約としては更新されます。ですが、その契約で過ごした時間は消えません」

 リオルは、小さく言った。

「思い出は、契約書に書かなくても残ります」

 赤竜は、長く沈黙した。

 やがて、ゆっくりと言う。

「書かなくても、残る」

「はい」

 メルセナが答える。

「書類で消せるものではありません」

 赤竜は、翼の意匠を持つ魔道具を見た。

「思い出……数千年生きている我が……そうかもしれぬ」

 その声は、怒りではなかった。

 迷いと、疲れと、ほんの少しの納得が混じっていた。

二 守るものではなく、残すもの

「財宝の扱いを確認します」

 メルセナは、すぐに実務へ戻った。

 リオルは少しだけ驚いたが、それがメルセナなのだとも思った。

 大事な感情を受け取った後でも、彼女は手続きを止めない。

 むしろ、止めないことが大事なのだ。

「旧財宝守護契約における財宝一式は、新契約ではあなた一体の守護対象から外します」

 赤竜は静かに聞いていた。

「では、財宝はどうする」

「北の山へ移します。管理責任は人間側にも置きます」

「我に守らせるのではないのか」

「はい。守るためではありません」

 リオルは、魔道具を見ながら言った。

「思い出として、近くに置くんですね」

 赤竜がこちらを見る。

「思い出として」

「はい。守らなきゃいけないものじゃなくて、大事にしていいものとして」

 赤竜は黙った。

 メルセナが続ける。

「財宝の大半は、王国、召喚士ギルド、地方防衛会議の管理下で移送・保管します。あなたの近くに置くとしても、契約上の守護責任はあなた一体に負わせません」

「盗まれれば」

「あなた一体の不履行にはしません」

 赤竜の喉が、低く鳴った。

「これがあると、また盗まれれば我は狂うかもしれぬ」

 誰もすぐには答えなかった。

 それは脅しではなかった。

 赤竜自身の、正確な自己申告だった。

 リオルは、布の上の魔道具を見た。

「だったら、この一個だけを大事にしたらいいと思います」

 赤竜の視線が、リオルへ戻る。

「一個だけ」

「はい。財宝全部じゃなくて。今回盗まれた、この魔道具だけ」

 リオルは、慎重に続けた。

「これなら、財宝全部を背負うよりは、思い出として持てるんじゃないですか」

 赤竜は、魔道具を見る。

 翼の意匠。

 火に変質した、風の道具。

「たった、これだけか」

「はい」

「千年以上守ってきて、残すものが、たったこれだけか」

 リオルは、答えに詰まった。

 けれど、嘘は言えなかった。

「でも、全部を背負うよりは」

 赤竜は、魔道具を見つめ続けた。

 長い沈黙の後、低く言う。

「しかし、十分な気がする」

 リオルは、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。

 メルセナが確認する。

「それは守護対象ではありません」

「分かっている」

「契約上の責任からは外します」

「分かっている。これは、契約ではない」

 赤竜は、魔道具を見たまま言った。

「思い出だ」

 その言葉を聞いた時、リオルはようやく分かった気がした。

 役割を終えることは、思い出を捨てることではない。

 守らなくても、大事にしていい。

 赤竜は、その違いを、今ようやく受け取ろうとしている。

三 再契約

 ミレイユが代筆文を整えた。

 登録板には、すでに竜爪印登録用の爪痕が残っている。

 今度は、再契約そのものに押すための登録板だった。

 赤竜の熱に耐えるため、板は厚く、黒く、魔力保持の処理が施されている。

 ミレイユは、契約文を読み上げた。

「登録名、ヴァルグ。契約主体、竜籍登録済み赤竜本人」

 赤竜は静かに答える。

「相違ない」

「旧財宝守護契約は現代契約へ読み替え、財宝守護責任を単独負担から外す」

「相違ない」

「財宝一式は別管理とし、移送・保管・点検・損耗対応について、人間側の管理責任を明確化する」

「相違ない」

「翼の意匠を持つ古代魔道具一件については、契約上の守護対象ではなく、本人の思い出として保管を認める。ただし、盗難、損耗、変質、移動について、旧財宝守護契約上の不履行とは扱わない」

 赤竜は、少しだけ間を置いた。

 それから答えた。

「相違ない」

 ミレイユは続ける。

「新契約における役割は、月一回の存在確認。北の山脈周辺の指定範囲を歩行または飛行すること。ただし休眠期は除外」

「散歩だな」

「制度上は存在確認です」

 ミレイユは淡々と言った。

 リオルは小声で言う。

「でも内容は散歩ですね」

 メルセナがすぐに補足する。

「竜の散歩です。熱管理、飛行高度、接近禁止区域、休眠期の除外を明記します」

 赤竜は低く言った。

「散歩にしては細かい」

「竜の散歩ですので」

 リオルが言うと、カイルが少しだけ肩を震わせた。

 ミレイユは、何事もなかったように読み進める。

「無関係の人間を襲わない。村を焼かない。人里へ不用意に接近しない」

 赤竜は少しだけ声を低くした。

「相違ない」

「人間側は、赤竜の領域を不用意に侵さない。月一存在確認の予定を管理し、休眠期を尊重し、契約更新を怠らない。疑義が生じた場合は、指定相談先へ確認する」

「相違ない」

 カイルが言った。

「月に一度、姿を見せるだけでも抑止力にはなります」

「結果的には、そうなるでしょう」

 メルセナは答えた。

 赤竜がメルセナを見る。

「ならば、これは国防契約か」

「いいえ」

 メルセナは即答した。

「契約上は、存在確認です。国防をあなた一体に背負わせません」

 リオルは、前にも聞いた言葉を思い出す。

「強いから任せる、をやめるんですね」

「はい」

 メルセナは頷く。

「強い一体に全部背負わせません」

 赤竜は静かにメルセナを見た。

「人間にしては、慎重だ」

「召喚士ですので」

「そうか」

 赤竜は納得したように言った。

 ミレイユが最後の文面を読み上げる。

「本契約は、旧財宝守護契約を否定するものではなく、現代制度における契約主体、役割、責任範囲、相談先、解除条件を定め直すものである」

 洞窟の奥が、静かになった。

 赤竜は目を閉じた。

 そして、低く答える。

「相違ない」

 メルセナが一歩前に出る。

「最後に竜爪印を」

「押す」

 赤竜が爪を持ち上げた。

 リオルは思わず言う。

「熱、抑えてくださいね」

「抑えている」

 登録板が、赤く光り始めた。

 リオルは汗を拭う。

「抑えていても赤い……」

「問題ありません。耐熱処理済みです」

 メルセナは落ち着いていた。

 赤竜の爪が、登録板へ沈む。

 ぎしり、と低い音がした。

 赤い熱が板の縁まで走り、竜爪印が深く刻まれる。

 ミレイユが確認し、記録板に筆を入れた。

「確認しました」

 その声が、洞窟の奥で小さく反響する。

「再契約、成立です」

 誰もすぐには動かなかった。

 契約書が光るわけではない。

 鎖が砕ける音もしない。

 ただ、登録板に刻まれた竜爪印だけが、熱を帯びて赤く残っていた。

 その瞬間、赤竜は財宝の番人ではなくなった。

 千年以上の守護が消えたわけではない。

 契約は変わる。

 名前も変わる。

 役割も変わる。

 それでも、守ってきた時間は残る。

 赤竜――いや、ヴァルグは、静かに息を吐いた。

 メルセナが言った。

「ヴァルグ」

 ヴァルグが目を細める。

「……我のことか」

「はい。登録名です」

 リオルも、少し緊張しながら言った。

「ヴァルグさん」

「まだ慣れぬ」

「僕もです」

 メルセナは淡々と言う。

「慣れてください。契約上も、今後はその名を使います」

「人間は、名を決めるとすぐ使うのだな」

「使わなければ登録した意味がありません」

「もっともだ」

 ヴァルグはそう言ったが、声にはまだ少しだけ戸惑いがあった。

四 反省文ではない

 再契約が成立しても、終わりではなかった。

 ミレイユが、次の書類を出したからである。

 ヴァルグの目が、明らかに細くなった。

「……まだあるのか」

「あります」

 ミレイユは容赦がなかった。

「焼損事故報告書兼熱害再発防止確認書です」

 リオルは小さく呟いた。

「名前が長い」

 ヴァルグは低く言う。

「村の件か」

「はい」

 ミレイユは答えた。

「村、燃えましたからね」

 リオルがつい言うと、ヴァルグがこちらを見た。

「我は燃やそうとしたわけではない」

「はい」

 メルセナが言った。

「そのための報告書です」

「反省文か」

「違います」

 ミレイユが即答した。

 リオルは首を傾げる。

「違うんですか」

「反省文ではありません」

 メルセナが説明する。

「事実、原因、影響、再発防止、補償処理の切り分けです」

「ほぼ反省文に聞こえます」

「反省文ではありません」

 ヴァルグは登録板を見下ろした。

「人間は、燃えた村にも書類を作るのだな」

「燃えたから作るのです」

 メルセナが返す。

 その言い方は淡々としていたが、軽くはなかった。

 村が燃えたことは、消えない。

 ヴァルグに悪意がなかったことと、被害がなかったことは同じではない。

 その違いも、書類にしなければならない。

 ミレイユが読み上げる。

「本人陳述を確認します。村への接近目的は、盗難品の魔力および精霊力の気配確認」

「相違ない」

「村への焼損意図はなし」

「相違ない」

「ただし、怒気に伴う熱放出により、建物および周辺物品に焼損被害が発生」

 ヴァルグは、少しだけ沈黙した。

 そして、低く言った。

「……相違ない」

 リオルは小声で言う。

「ヴァルグさん、ちょっと声が小さくなった」

「鼻息のつもりだった」

 ヴァルグが言った。

 メルセナは静かに返す。

「人間の村に対しては、災害級です」

「理解した」

 ミレイユは続ける。

「再発防止事項。人里への接近時は、事前通告、熱量抑制、飛行高度、接近距離を遵守すること」

 ヴァルグは低く唸った。

「細かい」

「人里の近くへ行く場合の最低条件です」

 メルセナが言った。

「あなたにとっては息を荒げた程度でも、人間側には熱害になります」

「……理解した」

「理解だけでは足りません。次からは条件として守ってください」

 ヴァルグは、しばらく黙ってから答えた。

「相違ない」

 リオルは、少しだけ胸をなで下ろした。

 ヴァルグが悪意を持って村を焼いたわけではない。

 けれど、悪意がなければ被害が消えるわけでもない。

 だから、言葉にする。

 書類にする。

 次に同じことが起きないように、条件にする。

 それもまた、契約なのだと思った。

 ミレイユはさらに確認する。

「被害補償および復旧支援は、王国、地方防衛会議、召喚士ギルドの制度処理により進める。ヴァルグ単独の負担とはしない。ただし、本人陳述および再発防止確認を記録する」

 リオルは、そこで少し安心した。

 ヴァルグだけに、すべての責任を背負わせるわけではない。

 けれど、ヴァルグが何も書かなくていいわけでもない。

 それが、今回の新しい形だった。

 ヴァルグは、長い時間をかけて頷いた。

「相違ない」

 ミレイユが記録する。

 ヴァルグは、反省文ではないと言われた文書に、長い時間をかけて同意した。

 村を焼く意思はなかった。

 盗まれたものを探していただけだった。

 だが、意思がなかったことと、被害がなかったことは同じではない。

 その違いもまた、現代の契約に書かれるべきものだった。

五 先生が書き足した名前

 手続きが一段落すると、メルセナは新しい紙を一枚出した。

 リオルは、思わず身構える。

「まだあるんですか」

「あります」

 メルセナは当然のように答えた。

「相談先一覧です」

「相談先」

「はい。契約は成立した瞬間から運用が始まります。疑義が出た時、休眠期や存在確認予定で調整が必要な時、人間側が不用意に領域へ入った時、相談先が必要です」

 ヴァルグが低く言う。

「我が困った時に、人間へ問うのか」

「はい」

「我は赤竜だぞ」

「現在の登録名はヴァルグです」

「……ヴァルグだぞ」

 リオルは小さく言った。

「言い直した」

 メルセナは表情を変えずに続ける。

「困った時に相談することは、弱さではありません」

「そうなのか」

「そうです。少なくとも、契約上は」

「契約上は、か」

「はい。必要なら、感情上もそのうち慣れてください」

 ヴァルグは少しだけ鼻を鳴らした。

「人間の契約は、慣れることが多い」

「多いです」

 メルセナは淡々と認めた。

 それから、相談先一覧に名前を書いていく。

 自分の名。

 腹心であるカイル・レイヴァンの名。

 召喚士ギルドの信頼できる担当者。

 王国側の信用できる貴族。

 北方担当の実務官。

 さらに、それぞれの名の横に、継承者、後任、子孫、指定代理人を含む、という注記を加えていく。

 ヴァルグは長く生きる。

 人間一人の寿命だけで相談先を定めても、すぐに意味を失う。

 だから、この一覧は固定された名簿ではない。

 契約更新時、担当交代時、家督継承時、ギルド人事の変更時に、随時更新されるものだった。

 リオルは、その注記を見て少しだけ目を丸くした。

「相談先って、人だけじゃなくて、その後の人たちも入るんですね」

「はい」

 メルセナは筆を止めずに答えた。

「ヴァルグの時間は、人間より長い。今いる人間だけを書いても、すぐに古くなります」

 ヴァルグが低く言う。

「人間はすぐ代替わりする」

「はい。ですので、個人名と同時に、継承先も記録します」

「面倒だな」

「長く続ける契約ほど、面倒にしておく必要があります」

 リオルは、なるほどと思った。

 強い一体に全部背負わせない。

 それは、相談先についても同じなのだ。

 誰か一人だけを頼るのではない。

 役職、家、ギルド、後任、子孫。

 時間が経っても、誰かが受け取れる形にしておく。

 メルセナは、そこまで見て書類を作っていた。

 そして、ペン先が一度止まる。

「先生?」

「少し迷いました」

「何をですか」

 メルセナは、しばらく白い欄を見ていた。

 それから、そこに名前を書いた。

 リオル・ロステル。

 リオルは、息を止めた。

「え、僕ですか?」

「はい」

「僕、契約のことは分かりませんよ」

「契約のことは、私や担当者に聞けばよいです」

「じゃあ、なんで」

「制度上の問題ではない時、あなたの視点が必要になる可能性があります」

「僕の視点……」

 メルセナは、リオルを見た。

「今回、ヴァルグが本当に手放せずにいたものに、あなたは気づきました」

「でも、僕はただ、そう見えただけで」

「ただ見えた。それが重要な時があります」

 リオルは、相談先一覧に書かれた自分の名前を見る。

「僕で、いいんですか」

「はい」

「見習いですよ」

「知っています」

「契約の専門家でもありません」

「知っています」

「じゃあ」

「それでも書きました」

 そこで、ヴァルグが低く言った。

「我は、その名を外せとは言わぬ」

 リオルは、はっとしてヴァルグを見る。

「ヴァルグさん?」

「契約の細かいことは、そなたには分からぬのだろう」

「はい……」

「だが、我が迷っていたものに、そなたは名を与えた」

 ヴァルグの視線が、翼の意匠を持つ魔道具へ向く。

「契約ではなく、思い出だと」

 リオルは何も言えなかった。

 ヴァルグは続ける。

「ならば、我がまた契約では測れぬことで迷った時、その名が一覧にあることは、無意味ではあるまい」

 メルセナが静かに確認する。

「相談先一覧へのリオル・ロステルの記載に、同意しますか」

「同意する」

 ヴァルグは、はっきりと言った。

「ただし、契約判断を任せる相手ではない。迷いを問う相手としてだ」

「そのように記録します」

 ミレイユが筆を入れる。

「リオル・ロステル。契約判断者ではなく、感情上・認識上の相談補助者。ヴァルグ本人の同意あり」

 リオルは、ますます落ち着かなくなった。

「なんか、責任が増えてませんか」

「増えています」

 メルセナが答えた。

「そこは否定してください」

「否定する理由がありません」

 ヴァルグが、少しだけ鼻を鳴らした。

「案ずるな。契約の処理を頼む気はない」

「それは安心しました」

「だが、我がまた思い出と契約を取り違えた時は、そなたが気づくかもしれぬ」

 リオルは、相談先一覧に書かれた自分の名前をもう一度見た。

 そこには、ただ名前があるだけではなかった。

 メルセナが書き足し、ヴァルグが同意した名前だった。

 リオルは、自分の名前を見た。

 メルセナの字だった。

 王国の高官でもない。

 高位召喚士でもない。

 契約の専門家でもない。

 ただの見習い召喚士の名前だった。

 それでも、そこにあった。

 カイルやギルド担当者や貴族の名と同じ紙に、書き足されていた。

 しかも、その一覧は、人間一人の寿命で終わるものではない。

 後任へ引き継がれ、子孫へ残り、必要に応じて更新されていくものだった。

 そこに自分の名前があることの意味は、まだよく分からない。

 けれど、メルセナは消さなかった。

 迷ったうえで、書き足した。

 ヴァルグも、それに同意した。

 ならば、少なくとも完全な場違いではなかったのだろう。

 リオルは、そう思うことにした。

六 学校へ戻る

 ギルドに戻った時には、すでに日が傾いていた。

 報告書は、増えた。

 想像していたよりも、ずっと増えた。

 赤竜の再契約書。

 竜籍登録記録。

 竜爪印登録証明。

 焼損事故報告書兼熱害再発防止確認書。

 財宝移送予定表。

 相談先一覧。

 リオルは、机の上に積まれていく書類を見て、途中から数えるのをやめた。

「事件って、終わったあとも大変なんですね」

「終わったから大変なのです」

 ミレイユは当然のように言った。

「終わっていない事件は、まだ書類にできません」

「それは、そうですけど」

 カイルは王国側の確認印を押し、ミレイユはギルド側の記録をまとめ、メルセナは必要な箇所だけを静かに確認していった。

 ヴァルグは、赤竜ではなくヴァルグとして記録された。

 財宝守護者ではなく、現代制度上の一個体として。

 そのことが、書類の上で少しずつ形になっていく。

 すべてが片づいた頃、リオルたちは学校へ戻った。

 校舎はいつも通りだった。

 中庭には生徒たちの声があり、廊下には授業終わりの足音があり、掲示板には次の実技講習の予定が貼られている。

 赤竜も、古代契約も、竜爪印も、ここには似合わなかった。

 だからこそ、帰ってきたのだと思えた。

 リオルは、長く息を吐いた。

「これで、本当に終わったんですね」

「赤竜事件については、ひとまず」

 メルセナが答えた。

「ひとまず、ですか」

「はい。財宝移送、契約更新管理、村の復旧支援、ヴァルグの初回存在確認などは残っています」

「全然終わってない気がしてきました」

「ですが、あなたの関与が必要な部分は、当面ありません」

 リオルは、その言葉に少しだけ安心した。

 鳥百羽。

 ハツカネズミ二百体。

 赤竜との交渉。

 竜の印鑑証明。

 自分には大きすぎる場所ばかりだった。

 けれど、相談先一覧には、自分の名前が書かれている。

 メルセナが書き足し、ヴァルグが同意した名前。

 それを思い出すと、少しだけ背筋が伸びた。

「じゃあ、僕は普通の学校生活に戻れるんですね」

「いいえ」

 メルセナは即答した。

 リオルは足を止めた。

「いいえ?」

「忘れています」

「何をですか」

「私を召喚した三か月コンサルタント契約が残っています」

 リオルは、ゆっくりと瞬きをした。

「……そうでした」

「はい。赤竜事件は、契約期間中に発生した追加案件です」

「追加案件」

「本来の目的は、あなたの召喚能力の調査、訓練、運用方針の策定です」

 メルセナは、いつも通りの無表情で言った。

「明日から再開します」

「明日から」

「はい」

 リオルは、校舎の窓に映る自分を見る。

 少し疲れている。

 少しだけ、前より背筋が伸びている。

 そして、少しだけ嫌な予感がしている。

「先生」

「はい」

「普通の訓練ですよね」

「普通です」

 リオルは安心しかけた。

 メルセナは続ける。

「私の基準では」

「それ、普通じゃないやつです」

「慣れてください」

 リオルは、もう一度深く息を吐いた。

 赤竜事件は終わった。

 ヴァルグは新しい契約へ移った。

 村の復旧も、財宝の移送も、王国とギルドが進めていく。

 リオルの名前は、相談先一覧に残った。

 そして、三か月コンサルタント契約も、まだ残っていた。

 どうやら、普通の学校生活に戻るには、まだ少し早いらしい。

 メルセナは廊下を歩き出す。

 リオルは、その少し後ろを追った。

 今度はもう、自分が完全な場違いだとは思わなかった。

 ただし、明日の訓練から逃げられるとも思わなかった。


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