エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第48話 原初のシア

エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第48話 原初のシア エレメンタルクロス ~精霊の剣~
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第48話 原初のシア
エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第48話 原初のシア 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

外れた鍵

 頭の奥で、知識の鍵が外れる音がした。
 何かが砕けたわけでも、扉が開いたわけでもない。
 ただ、知っているはずなのに触れられなかったものへ、突然、手が届いた。

 考えるより先に、身体が動いた。

 樹の精霊王が伸ばした枝が、炎の防御を抜けてシアへ迫る。
 上空では、重の精霊王が浮かせていた岩が落下を始めていた。
 二個の分霊核に残る力だけでは、どちらも止められない。
 シア自身にも、もう立ち上がるだけの力は残っていなかった。

 それでも、消えたくなかった。

 肩甲骨の内側を、今まで通ったことのない流れが突き抜ける。
 熱ではない。
 炎でもない。
 もっと手前にある力が、背中から四方向へ一気に広がった。

「なに、これ……」

 赤い光が斜め上へ伸びる。
 続いて斜め下へ。
 左右へ二枚ずつ。
 四枚の半透明な翼が、大きなX字を作って開いた。

 シアは翼を出そうとは思っていない。
 防ごうとも、飛ぼうとも考えていなかった。

 それでも四翼は、最初から使い方を知っているように動いていた。

 迫っていた枝が、シアへ触れる前に燃えた。
 炎を浴びたのではない。
 四翼の周囲へ広がった薄い赤い膜へ触れた瞬間、枝を流れていた精霊力ごと焼け落ちた。

 頭上の岩も、シアへ届かなかった。
 赤い膜へ衝突し、表面から割れて左右へ流れた。

 シアだけが、起きたことを一拍遅れて見ていた。

四枚の翼

 翼は羽ばたかなかった。
 風も起こらない。
 羽毛のような形もない。

 半透明の赤い力の面が、背中から右上、左上、右下、左下へ伸びている。
 中心は深い赤。
 外側へ向かうほど橙色へ変わり、縁は白に近い光を帯びていた。

 シアは右肩越しに、自分の翼を見ようとした。
 身体をひねる必要はなかった。
 翼の中を流れる力が、そこに何があるのかを感覚として返してくる。

「知ってる……?」

 初めて出したはずだった。
 見たことがあるのは光の精霊王の白い四翼だけだ。
 自分の背中から赤い四翼が伸びたことなど一度もない。

 なのに、知らない感じがしない。

 枝がもう一度伸びてくる。
 シアは避けようとしなかった。
 避けなかったことに気づいた時には、枝は赤い膜へ触れて燃え落ちていた。

 続けて岩が落ちる。
 それも同じだった。

 防御膜を張ろうとは考えていない。
 炎を出す場所も選んでいない。
 自分の身体へ届くものを、四翼を巡る流れが勝手に外へ押し出している。

「これ……新しい力じゃない」

 そんな感覚があった。

 新しく覚えたのではない。
 できることが増えたというより、今まで閉じていた古い場所が元へ戻った。

 翼の使い方を理解しているのではない。
 使い方を忘れていたことだけを、今になって思い出した。

 鍵が外れたのは、技一つではなかった。

蹴らない身体

 シアの身体が地面から離れた。

「え?」

 脚へ力は入れていない。
 炎を足元へ噴き出してもいない。
 膝は少し曲がったままで、地面を蹴った感覚もなかった。

 それでも身体は浮いている。

 少し前まで、森から逃げるために何度も炎で身体を押した。
 上へ出ようとすれば、重の精霊王が浮かせた岩に塞がれた。
 炎を噴く方向を変えるたびに姿勢を作り直し、次に足を置く場所まで選ばなければならなかった。
 着地する場所を探し、地面を蹴り、脚を貫かれ、それでも走ろうとした。

 今は、その全部が要らなかった。

 前へ行こうと思う。

 身体が滑るように進んだ。

 炎の噴射はない。
 加速のための踏み込みもない。
 身体を傾ける必要さえほとんどなかった。

「飛んでる……」

 言葉にしてから、違和感が残る。
 鳥のように飛んでいるわけではない。
 翼は一度も羽ばたいていない。

 四翼が周囲へ作った流れの中で、シアの身体そのものが位置を変えている。

 上へ。

 そう思えば上がる。

 横へ。

 森の枝を避けるように、身体が水平へ動く。

 止まる。

 空中で静止した。

 少し前まで、脚が動かなければ逃げられなかった。
 今は脚がなくても移動できると、身体が先に理解している。

 その事実へ驚くはずだった。
 なのに、驚きはすぐ薄れた。

 できる。

 それだけが残った。
 どうしてできるのかを確かめるより、できることを受け入れる方が早かった。
 その順番まで、いつものシアとは逆だった。

外にある回路

 翼を通じて、周囲の原光が身体へ流れ込んでくる。
 身体の中だけではない。
 背中から伸びた四枚の翼を通り、外側へ大きな流れを作っている。

 取り込む。
 流す。
 余ったものを外へ逃がす。

 逃がした力は周囲の原光へ混ざり、別の場所からまた四翼へ入ってくる。

「身体の外まで……」

 今までのシアは、身体の内側で精霊力を動かしていた。
 分霊核は別の器として動かす。
 炎を出せば、自分の中から外へ放つ。
 周囲から原光を取り込む時も、一度自分の中へ通す感覚があった。

 今は違う。

 身体の外側にも流れがある。
 四翼を中心に大きな循環が作られ、シアの身体はその途中にあるだけだった。

 身体へ全部を押し込む必要がない。
 通しきれない分は翼から外へ流す。
 足りなければ外から取り込む。

 だから、大きな力を流しても内側だけが詰まらない。

 セトが極剣と絶剣で、自分の身体を通路にした姿が一瞬浮かんだ。
 あれは壊れながら無理に通していた。

 これは違う。

 最初から、身体の外まで含めて一つの回路になっている。

「これが……あの翼?」

 光の精霊王の四翼が、いくら壊しても周囲の原光を集めて戻っていた理由。
 その一端だけが、今なら分かる気がした。

 だが、その理解にも驚きは長く続かなかった。

 知っていた。
 そんな感覚が、また先に来た。

戻る身体

 肩へ赤い光が集まった。

 枝に貫かれ、最低限だけ塞いでいた傷が内側から埋まっていく。
 欠けた輪郭が戻る。
 右腕へ力が戻った。

 脚も同じだった。
 逃げるために大量の精霊力を使って戻した部分へ、四翼から新しい流れが入る。
 揺れていた輪郭が安定し、膝から力が抜けなくなった。

 シアは右手を握る。
 開く。
 脚を軽く曲げる。

 全部動く。

 治そうとは考えていなかった。
 肩を先にするか、脚を先にするかも選んでいない。

 四翼を巡る流れが、壊れた身体をそのままにしておかなかった。

「……治った」

 そう口にした。
 だが、嬉しいとは感じなかった。

 少し前まで、肩から漏れる力をどう減らすか考えていた。
 脚を戻さなければ逃げられないと焦っていた。
 身体の形を戻すたび、残る精霊力を気にしていた。

 今は違う。

 壊れれば、流れが戻す。
 足りなければ、外から入る。

 身体が戻ったことは、特別な出来事に思えなかった。

 その方が、シアにはおかしかった。

「私、こんなのだったか?」

 疑問は浮かぶ。
 けれど、答えを考える前に周囲の原光がまた四翼へ入った。

 身体が満たされる。

 疲労も、痛みも、少しずつ遠くなっていった。

 それと一緒に、肩を貫かれた時の怖さまで遠くなっていった。
 傷が消えたから怖くなくなったのではない。
 傷つくこと自体を、さっきほど大きな問題として感じなくなっていた。

一つの循環

 二個の分霊核が動いた。

 シアは呼んでいない。
 命令もしていない。

 右に浮いていた一個が、四翼の流れへ入る。
 左の一個も同じだった。

 二個の赤い核へ原光が通る。
 内部に残っていた精霊力と、四翼を巡る流れが境目なくつながっていく。

「勝手に……いや」

 勝手ではない。

 シア自身が動かしたのでもない。
 核が自分から判断したわけでもない。

 四翼の循環に入ったことで、別々に扱う必要がなくなった。

 シア。
 右側の分霊核。
 左側の分霊核。

 今までなら三つの場所だった。

 一個を攻撃へ回す。
 もう一個を防御へ置く。
 シア自身は別の炎を作る。
 同時に動かす時も、三つへそれぞれ指示を出す感覚があった。

 今は、一つだった。

 右の核へ力を送ろうとしなくていい。
 左の核を動かそうともしなくていい。
 シアが作る流れの中に、二個とも最初から含まれている。

 試す必要もなかった。

 同時に撃てる。
 別々にも撃てる。
 位置も変えられる。

 できることが、説明される前から分かる。

「これも、知ってた……」

 精霊翼が分霊核を強くしたわけではない。

 別の器だった二個まで、大きな一つの循環へ組み込んだ。

 その違いを、シアは知識としてではなく感覚で理解していた。
 核を二個とも遠くへ離してみようとは思わなかった。
 距離を試す必要もない。
 循環の中にある限り、自分の手足と同じように位置だけが分かる。

古い知識

 鍵の向こうから流れ込んでくるものは、技の一覧ではなかった。

 翼をどう動かすか。
 原光をどう取り込むか。
 余った力をどこへ逃がすか。
 分霊核をどう循環へ入れるか。

 一つずつ考えて覚える必要がない。

 シアは最初から知っている。

 いや。

「最初から……?」

 自分が生まれた時から知っていたわけではない。
 セトと出会った時にも、この力を使えなかった。
 グラウスと戦った時にも、眠りの王と戦った時にも、こんな翼は出なかった。

 なのに懐かしい。

 新しい自分へ変わった感じがしない。
 逆だった。

 余計なものを重ねて今の自分になっていた。
 その外側を剥がし、もっと古いところへ戻っている。

「私は……イフリート」

 役割名が浮かぶ。

 火の精霊王。
 世界に火を置き、火を扱う王。

 その知識は以前から持っていた。

 だが、今浮かんだ「イフリート」は少し違った。

 シアという個人が火の精霊王を担っているのではない。

 火の精霊王という存在の上に、後からシアという名前が重なっている。

 そんな順番に感じる。

「違うだろ」

 シアは自分で否定した。

 その瞬間、森の向こうから樹の精霊王の力が広がった。
 別方向では、重の精霊王がまた岩を浮かせる。

 別の王。

 その感覚だけが、ひどく鮮明に引っかかった。

唯一の火

 別のものが、四翼の流れへ混ざった。

 知識ではない。
 命令でもない。

 もっと単純で、強い欲求だった。

 火は、一つでいい。

 世界に存在する火の王は、一人でいい。

 火を担うものは、自分だけでいい。

 そこまでは、役割の話にも思えた。

 だが、感覚はそこで止まらない。

 別の王がいる。

 樹。
 重。
 月。
 雷。
 風。
 水。

 自分ではない王が存在している。

 それが、邪魔だ。

「私は……唯一の火……」

 口から出た言葉を、シア自身が聞いた。

 違う。

 すぐに分かった。

 それは今までの自分が考えていたことではない。
 ネアを消したいと思ったことはない。
 リグも、フィオラも、ヴァルナも同じだ。

 精霊王が一人だけでいいなど、一度も考えたことはない。

「……違う! 私はシアだ!」

 名前を口にする。

 セトが付けた名前。
 眠りの王が精霊王たちを取り込もうとした時にも失わなかった。
 創界からも戻ってこられた名前。

 シアはシアだ。

 火の精霊王という役割だけではない。

 そのはずだ。

 だが、四翼を流れる力は止まらない。
 身体が満たされるほど、その奥から古い欲求まで浮かび上がってくる。

 火だけではない。

 ここに存在すべき王は、自分だけ。

 そんな感覚が、シアの名前の下から何度も押し上がってきた。
 押し返そうとするたび、「なぜ他の王を残すのか」という、今まで考えたこともない疑問が逆に返ってくる。

私はシアだ

「私はシアだ」

 もう一度言う。

 セトが浮かぶ。
 山小屋の寝台へ横たわり、目を開けない人間。

 戻ると言った。
 起きたら話すとも言った。

 ネアも浮かぶ。
 別の方向へ分霊核を探しに行った月の精霊王。

 必ず戻ろうと言った。

 覚えている。

 全部、覚えている。

「分霊核を探して……戻る」

 言葉にすれば、目的も出てくる。

 セトを助けるための戦力を増やす。
 光の精霊王を止める。
 そのために北へ来た。

 何も忘れていない。

 それなのに、樹の精霊王が視界へ入った瞬間、目的の重さが変わった。

 別の王。

 消す。

 考えるより先に、その答えが出る。

「違うって言ってるだろ……」

 シアは頭を振った。

 樹も重も、光の影響を受けている可能性がある。
 少し前まではそう考えた。
 話が通じなくなっていることも確認した。
 なら、倒すにしても、逃げるにしても、まず状況を見るはずだった。

 今は、そんな順番が面倒に感じる。

 別の王がいる。
 なら消せばいい。

 その方が自然に思えてしまう。

「光の精霊王に自我を感じられなかったのは、これのせいなのか?」

 答える者はいない。

 疑問を持てるだけのシアは、まだ残っている。

 だが、その疑問を考え続けたいという気持ちの方が、先に薄れていった。
 答えを知りたいというシアの好奇心より、目の前にいる別の王を消したい感覚の方が強くなっていく。

集まる火

 樹の精霊王が森の中から新しい枝を伸ばした。
 重の精霊王も、さらに多くの岩を浮かせる。

 先ほどまでなら、逃げ道を塞ぐ二つの攻撃だった。

 今は違う。

 シアには、二人の力が小さく感じられた。

 右手を上げる。

 それだけだった。

 森の中に残っていた火が動く。
 枝に付いていた炎。
 砕けた岩の間で燃えていた草。
 逃げながら放ち、そのまま木々を焼いていた火。
 小さな火も、消えかけていた火も、一斉に向きを変えた。

 シアは一つずつ呼んでいない。

 どこに火があるか探してもいない。

 手を上げた瞬間、周囲に存在する火が同じ流れへ入った。

「集まれって、言ってないのに」

 炎は森を無差別に焼き広げながら近づくのではない。
 すでに存在していた火が一本ずつ細い流れとなり、シアの掌へ重なっていく。

 集まった炎は大きく膨らまなかった。

 掌の前で圧縮され、白に近い赤へ変わる。

 以前なら原光を集め、火へ変え、形を整え、狙う。
 今は、その途中がない。

 そこにある火へ触れる。
 一つへする。
 押す。

 それだけでいい。

 樹の精霊王が両手を前へ出した。

 地面から幾重もの根が持ち上がった。
 集めた火は、その防御を見ても揺れない。
 以前なら相手の再生速度を見て出力を足した場面でも、今は必要量を考える感覚そのものがなかった。

防御ごと

 根の後ろへ太い幹が生まれる。
 さらに枝が絡み合い、何層もの壁を作る。

 以前、極炎でも簡単には抜けなかった防御だった。
 燃やしても、その奥から次が生える。
 表面を崩している間に、新しい層が追加される。

 樹の精霊王自身も、その奥で精霊力の膜を重ねた。

「生命は、増やさなければならない」

 樹の精霊王の声が届く。

 少し前のシアなら、また同じことを言っていると思ったはずだった。
 光の影響で役割だけを繰り返しているのかもしれないと考えた。

 今は、その言葉に興味がなかった。

 シアは掌を前へ押し出した。

 集まっていた火が、そのまま前へ進む。

 爆発ではない。
 炎の塊を投げたのでもない。

 押し出された火が、シアと樹の精霊王を一本の流れでつないだ。

 最初の根が燃える。
 その後ろの幹も燃える。
 新しい枝が伸びるより先に、赤い流れが中心を抜ける。

 精霊力の膜へ届く。

 一枚。
 二枚。

 止まらない。

 防御の奥まで赤い流れが通り、そのまま樹の精霊王の片腕へ届いた。

 腕が、防御ごと吹き飛んだ。

 樹皮に覆われた腕が途中から消え、緑がかった精霊力の欠片が空中へ散る。

 樹の精霊王が初めて大きく姿勢を崩した。

「くそ! 散れ!」

 その声で、二人が左右へ分かれた。
 樹の精霊王は失った腕を庇うように森へ下がり、重の精霊王はシアとの間へ岩を滑り込ませる。
 二人とも、今度はシアから距離を取ろうとしていた。

散る王

 樹の精霊王は森の中へ入った。
 周囲の根が持ち上がり、その姿を隠す。
 失われた腕へ枝が集まり、新しい形を作り始めていた。

 重の精霊王は反対側へ跳ぶ。
 岩を軽くして持ち上げ、その陰へ身体を隠す。
 さらに別の岩を重ね、大小の岩を幾重にも並べていく。

 二人は別々の方向へ逃げた。

 先ほどまでのシアなら考えた。

 どちらを追うか。
 一人を追えば、もう一人から攻撃される。
 二個の分霊核をどう分けるか。
 逃げ道をどこに作るか。
 そもそも追う必要があるのか。
 ネアへ連絡するべきか。
 山小屋へ戻るべきか。

 選択肢はいくつもある。

 四翼を得た今なら、もっと多くの方法を選べるはずだった。

 なのに、答えは一つしか浮かばない。

 二人とも消せばいい。

「……」

 シアは何も言わなかった。

 その答えがおかしいと、まだどこかで分かっている。

 だが、別の方法を考える方が不自然に感じた。

 樹も重も、自分ではない王だ。
 ここにいる必要がない。

 シアの身体が前へ進む。

 地面を蹴らない。
 炎も噴き出さない。
 四翼は羽ばたかず、シアを森の上へ運んだ。

 強くなったから選べることが増えたはずなのに、思考の中から選択肢だけが減っていた。
 逃げる、見逃す、後回しにする。
 さっきまで普通にあった判断が、必要のない遠回りに見え始めていた。

森の中の流れ

 樹の精霊王は、森全体へ力を広げていた。
 一つの身体だけで逃げているのではない。
 根から根へ。
 幹から枝へ。
 離れた場所へ力を分け、自分の位置を分からなくしようとしている。

 以前なら厄介だった。
 どこに本体がいるのか。
 どこまでが樹の精霊王の力なのか。
 ネアに流れを読んでもらわなければ、森をいくら焼いても逃げられてしまう。

 今のシアには、すべて見えていた。

 四翼を巡る原光が、森の中へ広がる樹の精霊力へ触れている。
 枝へ流れる。
 幹へ戻る。
 地中の根を通り、別の木へ広がる。

 無数に分かれた流れは、すべて一人の精霊王へつながっていた。

「そこ」

 シアが手を向けた。
 太い幹が何本も重なり、その内側を隠している。

 樹の精霊王が枝を伸ばす。
 赤い防御膜へ触れた枝が燃え落ちた。

 シアは、その枝ではなく地中へ意識を向けた。

 根がある。
 森の奥まで広がる、樹の精霊王自身が作ったつながり。

 シアの火が、根を流れる精霊力へ入り込む。
 表面を焼くのではない。
 根の内側を通っている力に沿い、奥へ進んでいく。

 一本から隣の根へ。
 さらに遠くの幹へ。
 その先へもつながっている。

 シアは掌を開いた。

 細く入り込んだ火へ、四翼から大量の精霊力が流れ込む。

 根の内側で赤い火が一気に広がった。
 樹の精霊王が力を送っている経路を、火が次々に埋めていく。

 逃げ道を探す必要はなかった。
 どこへ逃げても、そこには同じ根がつながっていた。

消えた王

 隠れていた樹の精霊王の姿が、幹の内側から現れた。
 失った腕は半分ほど戻っている。

 その腕を前へ出し、新しい枝を伸ばそうとした。

 だが、枝の内側にも火が流れ込む。

 樹の精霊王は別の根へ力を逃がした。
 その先にも火がある。

 さらに離れた幹へ流れを移そうとする。
 そこも、すでに赤く染まっていた。

 シアは火を止めない。

 四翼から取り込んだ原光を火へ変え、根の中へ流し込み続ける。
 一本の根を焼き切るためではない。
 樹の精霊王が自分の力を通している経路すべてを、火で満たしていく。

 地中の根が燃える。
 つながった幹の内側が燃える。
 新しく伸びた枝も、形を保つ前に燃え落ちる。

 根から力を逃がそうとしても、その根の中に火がある。
 再生しようとしても、送り込んだ力とともに火が広がる。

 森全体を無差別に焼いているわけではない。
 樹の精霊王が自ら広げたつながりを、内側から焼き尽くしている。

 逃げるための道が、一つずつ消えていく。

「生命は……増やさなければ……」

 樹の精霊王は崩れながら森へ手を伸ばした。

 その先にも、もう逃げられる場所はなかった。

 シアは掌を握る。

 根へ流し続けていた大量の火が、最後に残った本体へ集中した。
 樹の精霊王の身体を形作る精霊力が、内側から一気に燃え上がる。

 新しい芽は生まれなかった。
 別の幹へ力が移ることもなかった。

 赤い光が一度だけ強くなる。

 その後には、何も残らなかった。

 樹の精霊王は消滅した。

 シアは、それを確かめようともしなかった。

 消えたなら、もう見る必要はなかった。

岩の向こう

 シアが振り返る。

 重の精霊王は見えない。
 森の外にある巨大な岩の陰へ隠れている。
 その前には、浮かせた岩が何層も並べられていた。

 一番外側の岩が地面へ落ちる。
 重くされた岩は深く沈み、土へ半分埋まった。
 その後ろへ次の岩が重なる。

 正面から押しても動かない壁。

 だが、見えないだけだった。

 四翼を通じて周囲へ広がった流れの中に、重の精霊王だけが持つ揺れがある。

 岩を軽くする。
 位置を変える。
 急激に重くする。

 そのたび、岩と精霊王をつないでいる力が動く。

「そこにもいる」

 何枚岩を重ねているか。
 どこで身体を隠しているか。
 その向こうで、さらに別の岩を浮かせていることまで分かる。

 重の精霊王が岩陰から腕を動かした。

 シアの周囲に浮いていた岩が、一斉に重くなる。

 上から落ちる。
 左右から押し潰す。
 足元の地面まで沈み始める。

 シアは避けなかった。

 四翼の周囲へ広がった赤い膜に岩が触れる。

 表面から砕けた。

 破片もシアを押す前に左右へ流れ、そのまま地面へ落ちる。

 少し前まで、あれを一つずつ壊して逃げていた。

 今は、攻撃として数える必要すらなかった。
 岩そのものが消えたわけではない。
 だが赤い膜へ触れた瞬間に砕け、シアへ力を伝える前に破片となって落ちていく。
 避けるという判断が、最初から必要なくなっていた。

一つの三門

 二個の分霊核が動く。

 一個がシアの右側へ。
 もう一個が左側へ。

 シアは中央で手を伸ばした。

 三つが横一列に並ぶ。

 以前なら、ここから三つを別々に扱う。

 シア自身の火。
 右側の核。
 左側の核。

 それぞれへ力を流し、狙いをそろえ、発射の瞬間を合わせる。

 今は違う。

 三つとも四翼を通じて同じ循環の中にある。

 右の核へ指示しない。
 左の核へも送らない。

 撃つ。

 そう思っただけで、三か所へ同じ流れが生まれた。

 シアの掌の前へ赤白い火が集まる。
 右側の分霊核にも同じ火が生まれる。
 左側も同じだった。

 三つの火は同じ大きさではない。
 シア自身の火が最も大きく、二個の分霊核は少し小さい。

 だが、流れは完全にそろっている。

 三つの攻撃を同時に作った感覚ではない。

 一つの攻撃が、三か所へ現れた。

 重の精霊王がさらに力を加える。
 重ねた岩が沈み、互いに押し固められていく。
 隙間が消えた。

 通常の炎なら表面を焼くだけで内部へ届かない。

 シアには、もう関係なかった。

 三つの火が同時に放たれた。
 右、左、中央の順番はない。
 どれか一つを合図にしたわけでもない。
 一つの流れが三つの出口から同時に現れ、そのまま同じ一点へ向かった。
 発射の瞬間を合わせるために意識を三つへ分ける必要もない。
 分霊核が二個増えたというより、同じ身体に出口が二つ増えた感覚に近かった。

消すために

 三本の赤い流れが岩の壁へ届く。

 中央が正面を貫く。
 左右の二本が斜めから内部へ入る。

 最初の岩が割れた。

 破片になる前に、その形が炎の中で消える。

 二層目。
 三層目。

 止まらない。

 重の精霊王は岩をさらに重くした。
 押し固める力と、貫こうとする火が正面からぶつかる。

 一瞬だけ、岩の壁が止まった。

 次の瞬間、三本の火が同じ場所で重なる。

 壁の中央へ赤白い穴が開いた。

 穴は外側へ広がり、巨大な岩を内側から消していく。

 岩陰にいた重の精霊王が見えた。
 腕を前へ出し、防御膜を重ねている。
 残った岩も急激に重くなり、互いを押し潰すほど固められた。

 三本の火は止まらない。

 防御膜へ届く。
 一枚目を貫く。
 二枚目も、その後ろも崩れていく。

「なぜだ……」

 重の精霊王が迫る火を見る。

「これだけ重ねた。これだけ重くした。なぜ、火が――」

 言葉が最後まで続く前に、三本の火が身体へ届いた。

 人の形が、岩と同時に赤い光へ飲まれる。

 爆発は起きなかった。
 岩の破片も飛ばない。

 火が通り過ぎた後には、大きく抉られた地面だけが残った。

 重の精霊王は消滅した。

 これは反撃ではない。
 防衛でもない。

 消すために消した。

 重の精霊王が最後に何をしようとしていたのか、シアは確かめなかった。
 防御を重ねた理由も、逃げようとしていたのかも、もう重要ではなかった。

戻る理由

 森が静かになった。

 樹の精霊王が伸ばしていた枝は動きを止めている。
 重の精霊王が浮かせていた岩も地面へ落ちた。

 シアは空中へ浮いたまま、二人が消えた場所を見下ろす。

 助かったとは思わない。
 勝ったとも思わない。

 別の精霊王が二人いた。
 だから消した。

 それだけだった。

 二個の分霊核が左右へ戻る。
 赤い四翼は外界から原光を取り込み、体外の流れを巡らせ続けている。

 樹を消した。
 重も消した。
 傷も戻った。
 飛び続けている。

 それでも、力が減った感じがしない。

 少し前までは、一歩動くたび残りを気にしていた。
 今なら、その違いへ驚くはずだった。

 シアは驚かなかった。

 当然のように感じた。

「何しに来たんだっけ」

 答えはすぐ出る。

 分霊核を探しに来た。

「なんで?」

 これも知っている。

 光の精霊王を倒すため。
 戦力を増やすため。
 セトを助けるため。

 全部、答えられる。

 なのに、さっきまで自分を動かしていた理由としては遠かった。

 知識として覚えている。

 それだけになり始めていた。
 目的が消えたわけではない。
 優先順位だけが変わった。
 分霊核より先に、周囲に残る別の王がいないかを確かめたい感覚が自然に浮かぶ。
 シアはその変化を、怖いとも思えなくなっていた。
 怖いと思えないこと自体を確かめようとしても、その疑問もすぐ別の流れへ押し流された。

遠くなる二人

 セト。

 名前が浮かぶ。

 寝台へ横たわり、目を開けない人間。
 自分とネアを壊さないために、極剣と絶剣で自分を壊した。

 戻ると言った。
 起きたら話すとも言った。

 覚えている。

 だが、その姿を思い浮かべても、さっきまで感じていた焦りが戻ってこない。

 セトが危ない。

 事実は分かる。

 心配だった。

 そうだったことも覚えている。

 今の自分が同じように心配しているのかと問われると、答えが遠い。

 ネア。

 別の方向へ分霊核を探しに行った月の精霊王。
 危険なら連絡すると約束した。
 必ず戻ろうとも言った。

 シアは一度だけ、念話を送ろうとした。

 樹と重は消した。
 自分は無事だ。

 それだけ伝えればいい。

 だが、意識を向けたところで止まった。

 ネア。

 月の精霊王。

 自分とは違う王。

 その認識が先に出る。

「……」

 念話を送らなかった。

 約束を忘れたわけではない。

 守る必要を感じる部分だけが、少しずつ遠くなっていた。

 セトもネアも、知らない相手になったわけではない。
 大切だったという記憶もある。
 ただ、「大切だから今すぐ戻る」という結びつきだけが弱くなっている。
 記憶を失うより、その方がシアには気づきにくかった。

 もしネアから今、念話が届けば返事はできる。
 セトが目の前にいれば名前も呼べる。
 それでも、自分から二人の方へ向かおうとする理由だけが薄い。
 その空白へ、原初の欲求が静かに入り込んでいた。

沈む名前

「私は、シアだ」

 声に出す。

 名前は消えていない。

 セトも覚えている。
 ネアも覚えている。
 山小屋も、分霊核探索も、光の精霊王も忘れていない。

 自分が何をしてきたのかも分かる。

 それでも、四翼を巡る原初の欲求の方が強い。

 ここに存在すべきものは、自分だけ。

 他の精霊王は必要ない。

 別の王が存在するなら、消せばいい。

「私は……シアだ」

 もう一度言う。

 言葉は正しい。

 だが、その名前の中にあったものが遠い。

 セトと話したい。
 ネアと戻りたい。
 分霊核を探したい。
 光の精霊王を止めたい。

 どれも覚えている。

 どれも、さっきまでの自分が望んでいたことだと分かる。

 なのに今、最も強く残っている欲求は一つだけだった。

 唯一でありたい。

 自分以外の王を残したくない。

 眠りの王に取り込まれかけても残った名前。
 創界から戻る時にも失わなかった名前。

 そのシアという名前は、消えてはいなかった。

 ただ、名前より古いものが、その上へ重なっていく。

 火の精霊王。
 唯一の火。
 一人の王。

 シアは赤い四翼を広げたまま、静かな森の上に浮いていた。

 名前はまだそこにある。

 その名前が、原初の欲求の下へ、ゆっくりと沈んでいった。

 消えたわけではない。
 呼べば、まだ返事はできる。
 ただ次に何かを選ぶ時、その名前より先に「唯一であること」が答えを出す。
 シア自身の声は、そのさらに奥へ押し込まれていった。


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エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…

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