エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第47話 消えたくない

エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第47話 消えたくない エレメンタルクロス ~精霊の剣~
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第47話 消えたくない
エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第47話 消えたくない 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

北へ

 シアは崩れた斜面を上り、北へ向かっていた。
 二個の赤い分霊核が、左右をついてくる。
 どちらにも精霊力は残っている。
 だが、十分ではない。

 光の精霊王との戦いで極炎を維持し、入った亀裂を何度も修復した。
 その後は、セトの精霊回路を止めないため、シア自身の力も送り続けた。
 二個の分霊核も、シアも、普段より大きく消耗している。

 それでも休んでいる時間はなかった。
 セトの精霊回路は治っていない。
 フィオラが、残っている流れを止めないよう調整しているだけだ。
 光の精霊王も倒していない。
 離脱するための時間を作っただけで、今もどこかで活動を続けている。

 今、確実に増やせる力は分霊核しかない。
 七個そろえたところで、光の精霊王に勝てる保証はない。
 それでも、二個のままよりはいい。

 山小屋を出る時、ネアとは別の方向へ進むと決めた。
 危険があれば連絡する。
 見つけても、見つけられなくても、戻る。

 シアは一度だけ振り返った。
 山小屋は、もう岩陰に隠れて見えない。

「すぐ戻る」

 小さく言い、シアは北へ進んだ。

 身体の方も万全ではない。
 極炎へ変わった時に受けた負荷は抜け切っておらず、力を広げるだけでもいつもより重い。
 だからといって、山小屋に残っていてもセトの回路を治せるわけではない。
 今のシアにできることは、使える力が残っているうちに探すことだった。

二つの空白

 街道だった場所まで来ると、シアは足を止めた。
 いきなり広く探す前に、左右へ浮かぶ二個の分霊核を見る。

「まず、こっちだな」

 自分の精霊力を熱へ変えず、地面に近い高さへ薄く広げた。
 力が二個の分霊核へ触れる。

 返ってこない。

 岩へ送れば、岩へ触れた感覚が返る。
 土なら少し鈍くなる。
 植物なら、形を変えながらも何かが戻る。
 だが火の分霊核へ入った精霊力は、その中へ吸収される。

 右に一つ。
 左に一つ。
 二か所だけ、はっきりと空白になる。

「これと同じのを探せばいい」

 シアは二個を少し遠ざけた。
 距離が変わっても、空白の感覚は変わらない。
 今度は一個を岩陰へ隠す。
 目では見えなくなったが、薄く広げた精霊力には一点だけ抜けた場所が残った。

 それで十分だった。
 赤い宝玉そのものを見つける必要はない。
 何かに包まれていても、建物の中にあっても、精霊力が届けば違いは分かる。

 シアは二個を自分の近くへ戻した。

 探す時に必要なのは、大きな炎ではない。
 広く、薄く、返ってくるものを見る。

 戦う時とは逆だ。

「こういうの、ネアの方が得意そうだな」

 言ってから、シアは肩をすくめた。
 今は自分でやるしかない。

 少なくとも、立ち止まって待っているだけでは新しい反応はない。
 探すには、自分の力を広げて周囲との違いを拾う必要がある。
 だからこそ、すでに持っている二個は探索の基準として使えた。
 同じ抜け方をする場所があれば、そこを確かめればいい。

候補地

 以前に集めた情報では、北側にも赤い宝玉の候補が残っていた。
 小さく、赤く、人間の道具では削れない宝石。
 祭具へ使おうとして加工できなかったもの。
 商人の手を渡った後、行方が分からなくなったもの。
 ほかの宝石と一緒に倉庫へ入れられたもの。

 人間にとっては、少し変わった宝石でしかない。
 その中に火の分霊核が混ざっている可能性がある。

 シアは街道に沿って精霊力を広げた。
 崩れた石垣。
 空になった荷車。
 焼けた木。
 岩壁。

 触れたものから、少しずつ違う感覚が返る。
 さっき確かめたような一点だけの空白はない。

「ここじゃない」

 範囲を広げる。
 遠くまで一気に探そうとはしない。
 広げすぎれば、返ってくる感覚が重なって分かりにくくなる。
 左右の分霊核を別々に動かし、片方を基準にしながら少しずつ前へ進む。

 一つの候補が外れた。
 なら次へ行けばいい。
 人間が残した情報が全部正しい保証もない。
 すでに別の場所へ運ばれている可能性もある。

 焦って炎を広げても、分霊核が近づいてくるわけではない。

 シアは歩きながら、薄い精霊力の端を少しずつ伸ばした。

 その先で、返り方が急に変わった。

 一点ではない。
 もっと広い。

 崩れた街道の向こうにある森全体から、複雑に乱れた感覚が返ってきた。

 光の精霊王の影響で道そのものも以前とは変わっている。
 情報にあった倉庫や商家が残っているとも限らない。
 建物が崩れていても、その中にあった宝玉まで消えたとは限らない以上、場所ではなく反応を追うしかなかった。

点ではない

 シアは立ち止まり、広げた精霊力を少しだけ絞った。
 もう一度、森へ送る。

 返ってくる。
 だが、途中で形が変わる。
 枝へ絡み、葉へ広がり、根へ吸われ、別の場所から押し返される。

「違う」

 分霊核なら、一点だけが抜ける。
 今感じているのは、森全体だ。

 シアは右の分霊核を森の手前へ動かした。
 そこだけは、さっきと同じように精霊力が消える。
 そのすぐ奥では、植物に触れた力が複雑に乱れて返ってくる。

 二つはまったく違った。

「核じゃない。これ、森の方がおかしい」

 精霊力を戻す。
 薄く広げていた間にも、森の輪郭は少し変わっていた。

 焼けた木の間から新しい幹が伸びている。
 地面を覆っていた草が道の中央へ進み、ひび割れた石の隙間へ根を入れていた。
 目を離していたわずかな時間で、人の通った跡が薄くなっている。

 分霊核の候補地は、この先にある。
 森を避けて大きく回れば、次の候補へ着くまでかなり遠くなる。

「通るだけなら行けるか」

 火は樹に強い。
 道を作るだけなら難しくないはずだった。

 シアは二個の分霊核を近くへ戻し、森へ足を踏み入れた。

 その判断が甘かったと分かったのは、数歩進んだ後だった。

 候補地へ続く街道は、この森の中へ飲み込まれている。
 大きく迂回すれば、別の候補を先に回ることはできる。
 だが、今まで人が物を運んでいた道筋の先に候補があるなら、森の向こうを確認せずに捨てる理由もない。
 シアは最短で抜けることだけを考えた。

増え続ける森

 北へ進むほど、植物の密度が高くなった。
 焼けた木の隙間から若い木が伸びる。
 細い幹は目の前で太くなり、枝を広げ、互いの隙間を埋めていく。
 草は膝を越え、シアの脚へ絡みついた。

 炎を広げる。
 草と枝が燃える。
 正面に道ができた。

 シアがそこを通り抜ける前に、地面から新しい芽が伸びた。
 焼けた木の根元から、別の枝が生える。
 燃えて崩れた幹を押しのけるように、森が戻っていく。

「樹の精霊王」

 以前に戦った相手だった。
 生命を増やし、大地を森で覆う。
 創世期には必要だった役割を、今の世界でも加減せずに続けている。

 火を使うシアは、本来なら樹に対して有利だった。
 燃やせる。
 崩せる。
 だが、焼いた量より多く増え続ける。

 以前はネアが周囲の原光を止め、成長そのものを止めた。
 今、ネアはいない。

「面倒なのがいるな」

 二個の分霊核を前へ出す。
 一個目で右側の森を焼く。
 炎が消える前に、二個目を左へ動かす。
 別の方向から枝を焼き、通れる場所を広げる。
 シア自身は正面を燃やした。

 三か所から時間をずらして炎を放ち、森の再生が追いつく前に進む。

 樹の精霊王と戦うつもりはない。
 分霊核を探すことが先だ。

 だが森の奥から、樹とは別の大きな精霊力まで近づいてきた。

 後ろを振り返ると、さっき焼いて通った場所ももう狭くなっていた。
 入る時に作った道をそのまま戻ることすら難しい。
 進めば進むほど、前だけでなく後ろまで森に閉じられていく。
 単純に焼きながら引き返すだけでは、消耗の方が先に増えそうだった。

浮かぶ岩

 枝の間から白い空が見えた。
 その空へ、大小の岩が浮かび上がっていく。

 一つではない。
 森の外にも、森の中にもある。
 木の根に抱え込まれていた岩まで地面から抜け、枝を折りながら上がっていく。

「重の精霊王までいるのか」

 樹とは別の精霊力だった。
 重の精霊王は、岩を軽くして浮かせる。
 十分な高さへ持ち上げた後、急激に重くして落とす。
 広い範囲を、無数の岩で覆う戦い方を得意としている。

 本来なら、周囲の力を操作できるネアの方が相性はいい。
 シアは落ちてくるものを壊せる。
 だが、すべてを壊すには、その数だけ攻撃する必要がある。

 森の奥で、二つの人影が動いた。
 一人の周囲では木々が伸び続けている。
 もう一人の上空には岩が集まっていた。

 シアは足を止める。
 二人とも、以前に戦ったことがある。

「おい。私が分かるか?」

 樹の精霊王がシアを見る。

「生命は増やさなければならない」
「それは前にも聞いた。今はそんなことしてる場合じゃない。光の精霊王が暴れてる」

 返事はない。
 樹の精霊王の周囲で、新しい枝が伸びる。

 重の精霊王もシアへ顔を向けた。

「生命には、外からの衝撃が必要だ。何度も」
「それも前に聞いた! 今は私の話を聞け!」

 重の精霊王の上空で、さらに岩が浮かび上がる。

 言っていること自体は以前と変わらない。
 樹は生命を増やそうとする。
 重は、生命へ外からの衝撃を与えようとする。

 だが、こちらの言葉を聞いていない。
 光の精霊王のことを伝えても反応せず、自分たちの役割だけを繰り返している。

 眠りの王が動いた時に見た、水の精霊王が頭をよぎった。
 あの時のヴァルナも、普段とは明らかに違っていた。

「……まさか」

 樹の精霊王の背後で枝が広がる。
 重の精霊王が腕を上げ、浮かんでいた岩がさらに高く昇った。

「こいつら、眠りでも光でも狂うのか!」

 重の精霊王が腕を下ろす。
 浮かんでいた岩が一斉に落ち始めた。

 シアは炎を噴き出し、前へ跳んだ。
 直後、いた場所へ岩が落ちる。
 地面が大きく沈み、土と木片が弾け飛んだ。

 樹だけなら、まだ進める。
 重だけなら、まだ避けられる。

 二人同時となると話が違った。

 軽くされた岩は、上がる時には枝へ引っかかっても勢いが弱い。
 だが落ちる直前に重さが戻れば、木ごと地面へ叩き込む。
 森の中だから攻撃しにくい相手ではない。
 むしろ周囲に岩が多い分だけ、使える弾が増えている。

危険を伝える

 シアは伸びてきた枝を焼きながら、意識の一部を遠くへ向けた。

『ネア』

 すぐに返事は来ない。
 離れているうえ、ネアも探索中だ。
 シアは長い説明をしようとせず、必要なことだけ送る。

『北。樹と重。二人いる』

 少し遅れて、ネアの感覚が返った。

『以前の二人ですか?』
『ああ。話が通じない。たぶん光の影響だ』
『戦っていますか?』
『向こうから来た』
『離れられますか?』
『やってみる』

 岩が一つ落ちる。
 シアは横へ飛びながら、枝を焼いた。

『無理なら戻ってください』
『分かってる』
『本当に?』
『今それやるか!』

 念話の向こうで、ネアが何か返しかけた気配がした。
 だが、そこまでだった。

 助けに来てとは言わない。
 ネアも別の方向で分霊核を探している。
 正確な位置も、この念話では伝えにくい。
 何より、二人とも山小屋を出る時に決めた。

 危険なら連絡する。
 無理なら戻る。
 最後は必ず戻る。

 シアは念話を切った。

「だから、逃げればいいんだろ」

 自分へ言い聞かせるように呟く。

 樹の精霊王を倒す必要はない。
 重の精霊王も同じだ。
 分霊核を一個も見つけていなくても、生きて戻れば次がある。

 今度は最初から、勝つためではなく逃げるために二個の核を動かした。

 念話で細かな戦況を並べても意味はない。
 どの木の陰にいるか、岩が何個浮いているかまで送れるものではない。
 ネアに必要なのは、北で二人に捕まったことと、まだ離脱を試せる状態だという二点だけだった。

樹と重

 一個目の分霊核を先に進行方向へ動かす。
 炎で枝を焼く。
 道が開く。

 シアがそこへ入った瞬間、地面から根が突き出した。
 身体をひねって避ける。

 二個目の分霊核は後方へ残す。
 落ちてきた岩へ炎をぶつけ、軌道をずらした。

 一対一なら戦える。
 樹の精霊王だけなら、増殖を上回る火力を一か所へ集中し、本体を崩せばいい。
 重の精霊王だけなら、岩を避けながら接近できる。

 だが、二人が同時にいる。

 木々がシアの移動先を狭める。
 足が止まった場所へ、重くなった岩が落ちる。
 岩を避ければ、枝と根が待っている。
 枝を焼けば、その間に次の岩が浮かび上がる。

 意図して協力しているのかは分からない。
 互いに声を掛けることもない。
 それでも、二つの役割が勝手に噛み合っていた。

「なら、そっちも邪魔し合え!」

 シアは樹の精霊王へ向かって炎を放つ。
 一直線に森を焼き、相手までの道を開いた。

 そのまま正面へ突っ込む。

 上空が暗くなる。
 巨大な岩が、シアの進路へ落ちてきた。

 シアは止まらない。
 落下する直前、炎を横へ噴き出して身体だけを外へ逃がした。

 巨大岩は、そのまま森へ落ちた。

 樹の精霊王がシアを追って枝を伸ばすほど、移動できる幅は狭くなる。
 重の精霊王は、その狭くなった場所へ岩を落とせばいい。
 どちらかが相手へ合わせているようには見えない。
 役割の性質だけで、結果として逃げ道が削られていく。

敵を使う

 岩が地面を叩いた。
 太い幹がまとめて折れ、根ごと土がめくれ上がる。
 樹の精霊王が広げていた森の一部が、一撃で潰れた。

「使える!」

 シアは岩が作った窪地へ飛び込んだ。

 自分で全部焼く必要はない。
 重の精霊王が落とす岩も、当たる場所を選べるなら道を作る力になる。

 次の岩が浮く。
 シアはわざと枝の濃い場所へ走る。
 樹の精霊王が移動先を塞ぐ。
 その頭上へ岩が来た。

 着弾寸前に横へ抜ける。

 岩が落ちる。
 森がまた潰れる。

「もう一回!」

 三度目はうまくいかなかった。
 シアが進路を変えた瞬間、地面から根が伸び、足首を狙う。
 跳び越える間に岩の着弾位置がずれた。

 それでも、二人の攻撃は完全な連携ではない。
 重の岩は樹の作った森も壊す。

 なら、そこに穴はある。

 そう思った直後、最初に潰れた場所を見た。

 折れた幹の脇から、新しい芽が伸びている。
 めくれた土の下から根が出る。
 砕けた木を押しのけ、若い幹が立ち上がる。

「早すぎるだろ!」

 一瞬の道は作れる。
 だが、同じ道を二度は使えない。

 シアは前へ進みながら、重の攻撃を森へ落とさせ続けた。
 逃げる時間は作れる。
 それ以上にはならなかった。

 ただし、岩が作った窪地は次の足場としては悪い。
 地面が砕け、根が露出し、走れば足を取られる。
 敵の攻撃で森を壊せても、安全な道まで作ってくれるわけではない。
 シアは窪地の縁だけを踏み、止まらず抜けた。

空も塞がる

 地上の道がまた狭くなる。
 シアは上を見た。

「森が邪魔なら、上だ」

 足元へ炎を集める。
 一気に噴き出し、木々の上まで跳び上がった。

 視界が開く。
 森の外縁も見えた。
 この高さなら枝と根は届きにくい。

 その代わり、別のものが待っていた。

 上空一面に、大小の岩が浮かんでいる。

「最初からこっちにいたのかよ!」

 重の精霊王が腕を動かす。
 岩が横へ移動し、シアの進路へ並んだ。

 飛行ではない。
 シアは炎で跳び、押し、落下の向きを変えられるだけだ。
 一度上へ出ても、空中で何度も自由に曲がれるわけではない。

 一個目の分霊核から炎を放つ。
 正面の岩を砕く。
 破片の間へ身体を通す。

 次の岩が上から落ちる。
 二個目で横へ弾く。

 その下では、木々がさらに高く伸びていた。
 枝が空中へ突き出し、着地できる場所を減らしていく。

 上へ行けば岩が多い。
 下へ戻れば森が閉じる。

 シアは炎を下へ噴き出し、斜め前へ身体を押した。
 辛うじて木のない場所へ着地する。

 そこへ、根が走ってくる。

「どこへ行ってもいるな!」

 空も逃げ道にはならなかった。

 極炎ならセトの剣技と合わせて空中の位置も作りやすい。
 今は人型のシア一人だ。
 炎で身体を押すことはできても、四翼の光の精霊王のように静止したまま横へ滑ることはできない。
 上へ出たことで、むしろ自由に避けられない差がはっきりした。

逃げる

 樹の精霊王へ届く前に、重の精霊王の攻撃で力を削られる。
 重の精霊王へ向かえば、森が道を塞ぐ。

 倒す順番を考える意味はなかった。
 今の消耗した状態で、二人とも倒すのは難しい。

「逃げられるなら逃げろ、か」

 さっきの念話でネアにも言われた。
 山小屋を出る時にも、自分で同意した。

「分かってる」

 シアは樹の精霊王へ背を向けた。

 二個の分霊核を後方へ残す。
 一個目で枝を焼く。
 その間に二個目で落ちる岩を逸らす。
 シア自身は、森の薄い方向へ走った。

 根が地面を盛り上げる。
 それを飛び越える。

 前方へ岩が落ちる。
 炎を横へ放ち、身体を押して進路を変えた。

 着地した場所へ枝が伸びる。
 分霊核を一個戻し、足元を焼く。
 止まらず進む。

 背後から森が追ってくる。
 木々そのものが歩くわけではない。
 シアが通った道を新しい枝と根が埋め、進路を左右から狭めている。

 その上では、浮かび上がった岩がシアを追うように移動していた。

 逃げる判断は間違っていない。
 問題は、逃げると決めたからといって相手が止まってくれるわけではないことだった。

「しつこい!」

 前方の木々が、急に左右へ開いた。

 薄く広げた探索の感覚を思い出す。
 森の中でも、右より左の方が植物の密度が低かった。
 分霊核の反応ではなかったが、さっき調べた地形の情報は残っている。
 シアは勝てる方向ではなく、抜けられる可能性が一番高い方向を選んだ。

穿たれた肩

 一本の道ができていた。
 森を抜けたわけではない。

 罠だ。

 見れば分かる。
 左右へ退いた枝の先端が、道の中央へ向いている。
 それでも、ほかに進める場所はない。

 シアは炎をまとい、その道へ入った。

 一個目の分霊核で右側を焼く。
 左から伸びた枝を、自分の炎で折る。
 背後から岩が落ちる。
 二個目を上へ向け、炎で砕いた。

 砕けた岩の破片が降る。
 その中を突き抜け、シアは前へ進む。

 森の外が見えた。
 あと少し。

 足元の地面が急に沈んだ。

「重っ……!」

 身体が下へ引かれる。
 重の精霊王が、踏み出した足へかかる重さを増やしている。

 わずかに動きが遅れた。

 横から伸びた枝が肩を貫く。

「っ!」

 シアの身体が止まった。
 枝が肩の中でさらに伸びようとする。

 シアは枝をつかみ、炎を流した。
 内側から焼き切る。
 肩から引き抜き、そのまま前へ走る。

 欠けた肩から精霊力が漏れる。
 右腕に力が入りにくい。

 完全に治せば、その分だけ精霊力を使う。
 シアは傷口の周囲へ最低限だけ力を集めた。
 欠けた輪郭を全部戻さない。
 漏れが減るところまで塞ぐ。

「腕が動けばいい」

 指を握る。
 動く。

 それで十分だ。

 精霊王の身体は、人間の肉体と同じではない。
 欠けた部分へ力を集めれば形を戻せる。
 だが、戻すために使った精霊力まで自然に返ってくるわけではない。
 今必要なのは見た目を元通りにすることではなく、走り続けることだった。

落ちる岩

 森の外へ出る直前、上空で無数の岩が止まった。
 次の瞬間、シアの前方へ雨のように落ちてくる。

 一つ一つは大きくない。
 だが、数が多い。

 二個の分霊核を別々に動かす。
 一個目で正面の岩を焼き砕く。
 その隙間へ入る。
 二個目で右上から落ちる岩を逸らす。
 左から来た岩は、自分の炎で壊した。

 肩から精霊力が漏れる。
 さっき塞いだ場所がまた開き始めている。
 炎の出力が安定しない。

 砕ききれなかった岩が腕をかすめた。
 身体が揺れる。

 その隙に、森から根が伸びた。
 足首へ巻きつく。

「離せ!」

 炎を落とす。
 根が焼ける。

 同時に、重くなった岩がすぐ近くへ落ちた。
 地面が大きく沈む。

 シアの片脚が、崩れた地面へ取られた。

 引き抜こうとする。
 沈んだ土の下から、細い根が伸びた。

 脚を貫く。

「あっ……!」

 力が抜ける。
 シアは倒れかけ、片手を地面へついた。

 頭上から次の岩が落ちる。

 一個目の分霊核を上へ向ける。
 炎が岩を砕く。
 二個目で脚へ絡む根を焼く。

 シアは脚を引き抜いた。

 立とうとした。

 膝が折れた。

 大きな岩一つなら、集中して砕ける。
 今落ちている小さな岩の群れは、別の意味で厄介だった。
 一つを壊しても隣が来る。
 全部へ大きな炎を使えば、それだけで残りの力を持っていかれる。
 大きな一撃より、結果としてシアの足を止める形の方が厄介だった。

戻す身体

 肩は動けばいい。
 脚は違う。

 ここを戻さなければ、逃げられない。

 シアは片膝をついたまま、脚へ精霊力を集めた。
 貫かれた場所を塞ぐ。
 失われた輪郭へ赤い光が集まり、欠けた部分を埋めていく。

 足首。
 膝。
 脚全体へ力を通す。

 形は戻った。

 次に肩を見る。
 完全には戻していない部分から、まだ少しずつ精霊力が漏れている。

「こっちは後だ」

 脚へ回した量の方が大きい。
 肩まで完全に戻せば、さらに消耗する。

 光の精霊王との戦い。
 極炎の修復。
 セトの精霊回路を止めないための調整。
 ここまでの逃走。

 残っていた力は、確実に減っていた。

 それでも脚さえ戻れば走れる。

「動け」

 シアは立ち上がろうとした。
 身体が少し持ち上がる。

 膝が落ちた。

「……は?」

 もう一度、脚へ力を通す。
 傷は塞がっている。
 輪郭もある。
 貫かれた場所が崩れているわけではない。

「動け!」

 立ち上がる。
 今度は一歩だけ出た。

 そこで、全身の輪郭が揺れた。

 治っていないのではない。

 戻した身体を動かすだけの精霊力そのものが、足りなくなっていた。

 精霊力を傷へ集めれば、身体の形は応えてくれる。
 だからこそ、残量がある間は自分がどれだけ減っているのか分かりにくい。
 形が戻ることと、戦える状態へ戻ることは同じではなかった。
 今までなら考えなくてもよかった差が、ここで初めて表へ出た。

もう動かない

 樹の精霊王が近づいてくる。
 森の外まで枝と根が伸び、シアの周囲を囲み始めた。

 その上では、重の精霊王が新しい岩を浮かせている。

 シアは二個の分霊核を前へ出した。
 一個を森へ向ける。
 もう一個を上空へ向ける。

 樹を防げば、岩を止められない。
 岩を壊せば、枝と根が届く。
 二個を両方へ使えば、その間にシア自身を動かす力が足りない。

「まだだろ」

 手を地面へつく。
 立とうとする。

 脚は形を保っている。
 肩も最低限はつながっている。
 身体のどこかが完全に失われたわけではない。

 それでも、動かない。

 精霊王は人間より治りやすい。
 失った身体も、力があれば戻せる。
 だから、どれだけ傷ついても戻せばいいと思っていた。

 今は違う。

 戻すための力そのものが残っていない。

 枝がさらに近づく。
 上空の岩が増える。

 シアは左右の分霊核を見る。
 二個とも、まだ動く。
 炎も出せる。

 だが、全部は止められない。

 一つずつなら防げる。
 二つ同時でも少しは持つ。

 その先がない。

「……こんなところで」

 分霊核を探しに来ただけだった。
 一個も見つけていない。

 帰る道まで、なくなっていた。

 炎で無理やり身体を押し出すことも考えた。
 足元へ少し力を集めた瞬間、全身の輪郭がまた揺れる。
 加速に使えば、その一歩で身体を保つ力まで失う。
 シアは炎を止めた。
 動くための力と、存在し続けるための力が、もう分けられないところまで減っている。

残してきたもの

 山小屋の寝台へ横たわるセトが浮かんだ。

 精霊回路は壊れている。
 フィオラが流れを止めないよう調整している。
 治ってはいない。
 助かる方法も分かっていない。

 シアは分霊核を探すため、そこを離れた。
 まだ一個も見つけていない。
 このまま消えれば、何も持ち帰れない。
 それどころか、戻ることさえできない。

 セトは、シアとネアを壊さないために、自分の身体を壊した。
 二人を精霊剣から戻した。
 安全制限を外した。
 自分の精霊回路が裂けると分かっていながら、光を身体へ通し続けた。

「勝手に壊れたくせに」

 シアは地面へ手をついたまま言った。

「私まで勝手に消えたら、何も言えないだろ」

 起きたら話すと決めた。
 私たちを戻したことを許していないと伝える。
 勝手に壊れたことも怒る。

 まだ何も言っていない。

 ネアとも戻ると約束した。
 危険なら連絡するとも言った。
 連絡はした。
 でも、戻ってはいない。

 シアが消えた後でセトが目を覚ましたら、誰がそれを言う。

 ネアが戻り、シアは消えたと伝える。

 セトはまた、自分のせいだと思う。
 シアを守れなかったと思う。

 今度こそ、本当に自分を壊してしまうかもしれない。

 ここで自分が消えたら、セトまで消えてしまうように思えた。

 山小屋を出る時、自分から「見つけたらすぐ戻る」と言った。
 フィオラは、大きな変化があれば念話を送ると言った。
 ネアとは、危険な場合も連絡し、必ず戻ろうと確認した。
 どれも大げさな約束ではない。
 数時間後には当たり前に果たすつもりだった言葉ばかりだった。

それだけじゃない

 それは、自分が消えることより怖い。

 そう思った。

 でも、シアはすぐに引っかかった。

 セトが無事なら、それでいいのか。
 もし今、セトが目を覚ましたと誰かに教えられたら。
 精霊回路も治った。
 もう自分が戻らなくても大丈夫だと言われたら。

 なら、ここで消えてもいいのか。

「……嫌だ」

 答えは考える前に出た。

 セトに言いたいことがあるからだけではない。
 ネアと戻る約束をしたからだけでもない。
 分霊核を探しに来た役目が残っているからでもない。

 それらが全部終わっていたとしても嫌だ。

 まだセトと話したい。
 ネアとも話したい。
 また極炎になりたい。
 ご飯も食べたい。
 知らない場所にも行きたい。
 自分がまだ何をするのか、シア自身にも分からない。

 分からないまま終わるのが嫌だった。

 イフリートだから世界を守らなければならない。
 火の精霊王だから生き残らなければならない。
 そんな役割の話ではない。

 シアが、シアのまま、ここから先へ行きたかった。

「私は……」

 枝が目前まで迫る。
 岩の影が頭上を覆う。

 怖い。

 自分がなくなることそのものが、怖かった。

 生まれてから、知らないことばかりだった。
 人間の町も、食べ物も、剣も、旅も、セトやネアと過ごす時間も、最初はほとんど知らなかった。
 まだ知らないものがどれだけあるのかさえ分からない。
 その全部を、知らないまま終わりたくなかった。

消えたくない

 樹の精霊王が腕を上げた。
 周囲の枝が一斉にシアへ向く。
 根が地面を押し上げ、残った逃げ道を塞いでいく。

 重の精霊王の上空では、浮かんでいた岩が止まった。
 次の瞬間には重くなり、落ちてくる。

 二個の分霊核へ残っている力を確かめる。

 少ない。

 森を焼き切るには足りない。
 すべての岩を砕くこともできない。
 シア自身にも、二人を倒すほどの力は残っていない。

 一個目の分霊核から炎を広げる。
 迫る枝を焼く。

 二個目を上へ向ける。
 落下する岩を砕く。

 枝のすべては止まらない。
 岩のすべても壊れない。

 炎の向こうから、細く尖った枝が迫る。
 砕けなかった岩が、その上から落ちてくる。

 シアは片膝をついたまま、それを見上げた。

 消える。

 そう思った。

 セトのためだけじゃない。
 ネアとの約束のためだけでもない。
 分霊核を持ち帰るためでもない。

 自分が消える。

 シアという自分が、ここで終わる。

 嫌だった。
 怖かった。

 まだここにいたい。
 この先へ行きたい。

 誰かに命じられたからではない。
 世界を守る役割があるからでもない。
 ここで生き残れば何かを成し遂げられると計算したわけでもない。
 理由を並べるより先に、終わりたくないという感覚だけが残った。

「消え……たくない……」

 その言葉を口にした瞬間だった。

 頭の奥で、知識の鍵が外れる音がした。


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エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…

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