勇者の条件 第33話 魔王城へ

勇者の条件 第33話 魔王城へ 創作実験
勇者の条件 第33話 魔王城へ
勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…
勇者の条件 第33話 魔王城へ 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

空の目の向こう

天空要塞を越えた後、灰の一団は魔王城外縁の山道に入った。

背後には天空要塞。

前方には魔王城。

遠くから見ても、その城は異様だった。

山に建っているというより、山そのものを削り、黒い石と魔力で固めたように見える。

高い城壁。

絶壁。

谷底から吹き上がる風。

外縁を巡る結界柱。

巡回する魔物。

門の上には黒い旗。

ロアンはしばらく黙っていた。

ここまで来た。

海を渡り、森を抜け、火山を越え、空の目を避けてきた。

だが、前にあるものは、これまでのどれとも違う。

ガルドが言った。

「近くで見ると、でかいな」

ミルカが答える。

「大きいだけならまだいい。結界が重なってる」

「結界もでかいのか」

「大きいというより、厚い」

「厚いなら斬れるか」

「斬らないで」

「まだ何もしていない」

「考えたでしょう」

「少し」

エナは胸元を押さえていた。

「嫌な感じが、ずっと続いています」

ロアンは城を見た。

「ここまで来た」

それから、すぐに言い直した。

「でも、まだ入っていない」

ミルカは頷いた。

「到着と侵入は別」

ガルドが門の方を見る。

「門はある」

ミルカが即座に言う。

「だから使わない」

「門なのにか」

「門は、通るためのものじゃなくて、守るためのものでもある」

ガルドは少し考えた。

「なるほど。敵の門か」

「かなり敵の門」

ロアンは黒い大橋を見た。

魔王城へ続く正面の橋。

逃げ場のない長い橋。

左右には谷。

前には門。

上には見張り。

いかにも、勇者が挑む道だった。

だが、ロアンたちは勇者ではない。

ロアンは静かに息を吐いた。

「正面からは、無理だね」

正面からは入れない

魔王城への正面ルートは、北側の山岳道から黒い大橋へ入り、外縁第一門、第二門、第三門を越える構造になっていた。

ただし、その道は完全に監視されている。

橋の上に隠れる場所はない。

門の前には魔物。

門の上には魔族兵。

結界柱が左右に並び、近づく者の魔力と体温を拾う。

過去の勇者であれば、ここを突破したのかもしれない。

軍であれば、攻城兵器を持ち込んで戦ったのかもしれない。

だが、灰の一団にはどちらもできない。

ロアンは橋を見ながら言った。

「正面からは無理だね」

ガルドが少し残念そうに言う。

「やってみる前からか」

ミルカが即答した。

「やらなくても分かる。橋の途中で見つかる。門の前で囲まれる。結界に引っかかる。終わり」

「早いな」

「早く分かる危険は、早く避ける」

「それは賢い」

「ありがとう」

ガルドは橋を見たまま言った。

「でも、門を破った方が分かりやすい」

ロアンは苦笑する。

「分かりやすいけど、戻れない」

エナも小さく言った。

「それに、あそこは戻れません」

ロアンは頷いた。

「戻れない道は、最後まで取っておく」

ミルカがロアンを見る。

「最後でも、できれば取りたくない」

「うん。できれば」

ガルドは腕を組んだ。

「では、門ではないところから入るのか」

「そうなる」

「城は、門以外から入れるように作られているのか」

ミルカが答える。

「普通は作られていない。でも、城は人が使うものだから、必ず別の用途の通路がある。排水、補修、資材搬入、魔力循環、非常用の逃げ道」

ロアンが言う。

「そこを探す」

エナは城壁の下を見た。

「でも、そういう道も危なそうです」

ミルカが頷く。

「危ない。でも、正面よりはまし」

ガルドが言った。

「最近、ましな危険を選ぶことが多いな」

ロアンは少し笑った。

「それが旅なのかも」

「旅はもっと楽しいものではないのか」

ミルカが言う。

「楽しい旅は、たぶん魔王城へ行かない」

「それはそうだ」

ロアンは橋から目を離した。

「正門は使わない。転移も使わない。城の傷跡を探そう」

転移門は使わない

ミルカは、魔王軍の転移ゲートについて整理した。

各国による同時破壊によって、魔王軍の広域転移ゲート網は大きく損傷している。

ただし、魔王城内には魔族用の内部転移門や、修理中の直通線が残っている可能性があった。

ガルドが言う。

「それを使えば早いのでは」

ミルカは首を横に振る。

「転移門から入るのは無理」

ロアンが聞く。

「壊れているから?」

「壊れているものもある。でも、それ以前に、魔族用の認証があるはず。無理に使えば、入る前に捕まる。運よく入れても、到着地点で囲まれる」

ガルドが頷く。

「じゃあ、道としては使えないな」

「そう」

「転移できるのに道ではないのか」

「敵の玄関に飛び込むだけなら、道じゃなくて罠」

ロアンは納得した。

「それは困る」

ミルカは資料の断片を並べる。

「ただし、壊れていること自体は使える」

ロアンが見る。

「どういうこと?」

「魔王軍は、壊れた転移網の修理に人手と魔力を割いている。各拠点の復旧にも兵を回している。つまり、魔王城は警戒を上げているけど、全員が城の中で待っているわけじゃない」

ロアンは少し考えた。

「道を開いたんじゃなくて、向こうの動きを遅くしている」

ミルカが頷く。

「そう。見つかった後に、すぐ増援が来にくい」

エナが言う。

「でも、見つからない方がいいですよね」

ミルカは即答した。

「もちろん」

ガルドが剣を軽く叩く。

「見つかったら斬る」

ロアンが言う。

「見つからないように入る。見つかったら、通るために斬る。倒すためじゃない」

ガルドは少し考えた。

「全部倒さなくていい」

「そう」

「通れればいい」

「そう」

「なら、斬りすぎない」

ミルカが小さく言う。

「だいぶ覚えてきた」

ガルドは少し誇らしげに頷いた。

「何度も言われたからな」

ロアンは城を見た。

転移ゲートは道ではない。

正門も道ではない。

それでも、魔王軍の動きには遅れがある。

そこに、少しだけ隙がある。

ここまでに集めた断片

灰の一団は、魔王城の近くで聞き込みをしたわけではない。

魔王城近辺に、人間の村も、猟師の小屋も、都合よく助けてくれる者もいない。

ここから先は、誰かに聞いてその場で答えが出る場所ではなかった。

使えるのは、ここまでに集めてきた断片だけである。

火山拠点で押収した補修記録。

深森拠点に残っていた資材搬入表。

転移ゲート修理に関わる魔力循環図の一部。

かつて魔王城外縁の補修作業に徴発され、ずっと前に逃げ延びていた元作業員の証言。

西崖道の入口まで案内した山岳猟師の地形知識。

どれも完全な地図ではない。

魔王城の中枢など、誰も知らない。

だが、外縁部の補修跡なら分かる。

どこに資材が運ばれたか。

どの結界柱が交換されたか。

どの排水路が詰まりやすいか。

どの岩盤に亀裂が入り、後から補強されたか。

ミルカはそれらを並べて言った。

「城の弱点が書いてあるわけじゃない。でも、直した場所は分かる」

ロアンが聞く。

「直した場所?」

「壊れたことがある場所。詰まったことがある場所。無理に補強した場所。そういうところは、元の構造より歪みが出る」

ガルドが言う。

「傷跡を見るのか」

ミルカは頷いた。

「そう。城そのものの傷跡を見る」

ロアンは資料に目を落とした。

外縁第三門付近の結界柱の交換記録。

岩盤の亀裂補修。

排水路の詰まり。

魔力循環の逆流。

内郭第二防衛線の側壁補強。

転移ゲート修理用の資材搬入予定。

完全な設計図ではない。

だが、修理された場所が見えてくる。

ロアンは言った。

「直したところは、無理をしたところ」

ミルカが少しだけ笑う。

「たまに良いことを言う」

「久しぶりに言われた」

「ここで調子に乗らない」

「乗らない」

エナは排水路の記録を見ていた。

「ここ、何度も詰まっています」

ミルカが頷く。

「外縁第三門の下。大雨の時だけ開く古い排水路らしい」

ガルドが聞く。

「排水路は、人が通るものか」

ロアンは以前聞いた証言を思い出した。

「通れる。通りたくはない、って言ってた」

ガルドは頷いた。

「通りたくない道が多いな」

ミルカが答える。

「通りたい道は見張られてる」

「それもそうだ」

断片は、ひとつでは意味が薄い。

だが、いくつも並べると線になる。

補修記録。

証言。

地形。

魔力の流れ。

それらをつなぐ。

ロアンたちは、いつもそうしてきた。

古い証言

その証言を得たのは、ここへ来る前だった。

火山拠点の攻略後、負傷者や避難民の手当てをしていた時のことだ。

片腕に古い火傷痕のある男が、エナの手当てを受けながら、ぽつりと話した。

かつて魔王城外縁の補修作業に徴発されたことがあるという。

男は城の中枢を知らない。

玉座も知らない。

魔王の姿も見ていない。

だが、外縁部の作業場は知っていた。

「第三門の下には、古い排水路がある」

ロアンはその時、顔を上げた。

「排水路?」

男は頷いた。

「普段は閉じている。大雨の時だけ開く。中は狭い。魔族の兵は通らない」

ガルドが尋ねた。

「なぜ通らない」

男は顔をしかめる。

「狭い。臭い。滑る。魔物が入る」

ミルカが静かに聞いた。

「人は通れますか」

男はさらに嫌そうな顔をした。

「通れる。通りたくはないがな」

エナがその時、小さく言った。

「通りたくない道ばかりですね」

男は笑わなかった。

「でも、生きて出る時は、そういう道しかない」

その言葉は、ロアンの中に残っていた。

そして今、魔王城を前にして意味を持った。

さらに、山岳猟師からも話を聞いていた。

西崖道の入口へ向かう途中、猟師は崖の向こうを指して言った。

「城の下は全部絶壁に見えるが、ひとつだけ獣が通る棚がある」

ロアンが聞いた。

「人は?」

「通れる。たぶん」

「たぶん?」

「獣なら確実だ」

ガルドが言った。

「また落ちる道か」

ミルカが返した。

「最近ずっとそれね」

ロアンは苦笑した。

「落ちない道は見張られてるんだと思う」

猟師は頷いた。

「そういうことだ。見張り台からは死角になる。ただ、風が悪い日は落ちる」

エナは空を見ていた。

「風が悪い日は、やめましょう」

ガルドは真面目に頷いた。

「落ちるのは避けたい」

その時の話も、今ここで使う。

ロアンは仮地図の端に、獣の棚道を書き加えた。

排水路。

結界柱。

補修跡。

獣の棚道。

どれも、主役の道ではない。

けれど、つなげれば進める。

魔術構造を読む

ミルカは、押収資料と現地観察を合わせて、魔王城外縁の魔術構造を読んだ。

魔王城の結界は、単純な壁ではない。

複数の結界柱が外縁を囲み、魔力の流れを巡らせている。

大きく壊せば、城全体に異常が伝わる。

だが、要の一点をずらせば、短時間だけ通れる隙間ができる可能性がある。

ミルカは結界柱を遠くから見ながら言った。

「壊すとだめ。全部に響く」

ロアンが聞く。

「じゃあ、どうする?」

「要だけずらす。通れるだけ緩めて、すぐ戻す」

ガルドが首をかしげる。

「壊さない方が難しくないか」

ミルカは苦い顔で答えた。

「難しい。だから派手な魔法は使わない」

「派手に斬るのもだめか」

ロアンが答える。

「だめ」

「まだ聞いただけだ」

「聞く前に顔に出てた」

ガルドは少し不満そうにした。

エナは結界柱をじっと見ている。

そして、そっと言った。

「触るなら、こっちの柱じゃない方がいいです」

ミルカが反応した。

「理由は?」

「分かりません。でも、こっちは嫌です」

ミルカは二つの柱を見比べた。

片方は新しい補修跡がある。

もう片方は古い。

ミルカは小さく頷く。

「たぶん当たり。新しい方は、触った瞬間に警報が行く」

ロアンが言う。

「エナの予感、助かる」

エナは少し困った顔をした。

「予感なので、説明はできません」

ガルドが言う。

「当たるならいい」

ミルカも頷いた。

「説明できる危険と、説明できない危険がある。両方拾う」

ロアンは結界柱の位置を写した札を手に取った。

「壊さない。ずらす。通ったら戻す」

「そう」

「戻すの、忘れたら?」

ミルカはロアンを見た。

「城中にばれる」

「忘れないでください」

「私に言う?」

「すみません」

ガルドが真面目に言った。

「戻すのは大事だ」

ミルカが少しだけ笑う。

「あなたに言われると、不思議な説得力がある」

仮地図

完全な地図はない。

だが、断片はある。

火山拠点の補給記録。

深森拠点の通信記録。

転移ゲート修理の資材搬入表。

元徴発工の証言。

山岳猟師の地形知識。

ミルカの魔術構造の読み。

それらを合わせて、魔王城外縁から内郭へ向かう仮の地図を作る。

分かっていることは少ない。

だが、分からない部分にも法則はある。

門の前は強い。

正規通路は監視されている。

補修箇所は歪みがある。

排水路は狭いが兵が少ない。

結界柱は壊さず、要をずらす。

内郭第二防衛線は門が強く、側壁は後付け補強。

玉座区画へ向かう道は、魔力の流れが集中している。

ロアンが言う。

「全部分かっているわけじゃない」

ミルカが答える。

「全部分かっていたら罠よ。断片をつなぐしかない」

ガルドが地図を覗き込んだ。

「線が多いな」

「仮の線」

「仮の線で城に入るのか」

「確定した線は、たぶん全部見張られてる」

ガルドは頷いた。

「仮の方がまし」

「そういうこと」

ロアンは地図に印をつける。

「入るのは第三門の下。そこから正規通路には乗らない。補修通路を使って、内郭へ。扉は破らない。必要なら壁を抜く」

ガルドが言う。

「壁を抜く前提なのか」

ミルカがため息をつく。

「やっぱり雑」

ロアンは言う。

「でも、門を破るよりは静かだと思う」

「壁を壊して静か?」

「門よりは」

「比較対象が悪い」

エナは地図の右側を見ていた。

「この広い通路、嫌な感じがします」

ミルカが資料を見る。

「閉鎖式の防衛通路かも。入った後に落とし格子を下ろされると戻れない」

ロアンは印を消した。

「じゃあ使わない」

ガルドが言う。

「広い道はだめか」

「楽な道は、向こうにも楽ってこと」

ミルカが言った。

ガルドは少しうんざりした顔をした。

「また狭い道か」

ロアンは苦笑した。

「たぶん、また狭い道」

ここまで来たので

ロアンは魔王城を見上げた。

ここから先、各国軍の支援はない。

伝令も戻せない。

火山拠点跡を発つ前、指揮官はそう言った。

「ここから先、軍は動けん」

ロアンは覚えている。

「支援も遅れる。いや、ほぼ届かん」

指揮官の声は苦かった。

「何かあっても、伝令を戻す余裕はないぞ」

ロアンは、その場で頷いた。

「西崖道に入った時点で、連絡は切れると思っています」

指揮官は最後に問うた。

「分かっていて行くのか」

ロアンは、少しだけ考えて答えた。

「ここまで来たので」

その言葉は、理由としては少し足りなかったかもしれない。

使命。

神託。

聖剣。

運命。

そういう言葉を使えれば、もっと格好がついたのかもしれない。

だが、ロアンにはそのどれもなかった。

ただ、ここまで来た。

戻る理由を何度も考えた。

戻る道も、戻れない道も見てきた。

その上で、進んできた。

だから、今も進む。

ミルカが横で言った。

「今の顔、また考えすぎてる」

ロアンは少し驚く。

「分かる?」

「分かる」

エナが言う。

「眉間に出ています」

ガルドも頷く。

「剣を振る前の顔ではないな」

「どんな顔?」

「重い荷を見ている顔」

ミルカが少し笑った。

「かなり近い」

ロアンは肩の力を抜いた。

「荷は、もう減らしたはずなんだけどな」

ミルカが言う。

「物の荷はね」

エナは静かに言った。

「でも、ここまで持ってきたものもあります」

ロアンは頷いた。

ここまで持ってきたもの。

手紙。

歌。

道。

帳簿。

戻る条件。

見えない危険。

現地の話。

誰かの記録。

壊れたものの跡。

そういうものが、今の仮地図になっている。

ガルドが言った。

「考えすぎたら、進むのが遅くなるぞ」

ロアンは笑った。

「そうだな」

ミルカが即座に言う。

「でも考えずに進まないで」

「難しい」

「だから会話してる」

エナが微笑んだ。

「いつも通りですね」

ロアンは魔王城を見上げた。

「うん。いつも通りで行こう」

最後の準備

灰の一団は、さらに荷を減らした。

城内では長く戦えない。

補給はない。

戻る道も限られる。

持っていくのは最低限。

ロアンの剣。

ミルカの小さな触媒。

エナの薬と包帯。

ガルドの剣。

短い縄。

乾いた食料。

城内地図の断片。

結界柱の位置を写した札。

合図用の小石。

音を抑える布。

ミルカが言う。

「派手な魔法は使わない。使ったら城中にばれる」

ガルドが聞く。

「派手に斬るのもだめか」

ロアンが答える。

「必要な時だけ」

ガルドは少し不満そうにした。

「必要な時はあるんだな」

「ある」

「ならいい」

エナは薬を確認する。

「長く止まって手当てする時間は、たぶんありません」

ロアンは頷く。

「怪我をしない」

ミルカがロアンを見る。

「それ、ガルド式」

「分かってる。でも今回は、かなりそれに近い」

ガルドが少し嬉しそうに言う。

「ようやく分かったか」

ミルカが言う。

「調子に乗らない」

「乗っていない」

「顔が乗ってる」

ガルドは真面目に顔を戻した。

ロアンは地図を折りたたむ。

「寄り道しない。魔王のところまで行く」

ミルカが頷いた。

「宝物庫に行かない」

ガルドが言う。

「宝があるのか」

「あるでしょうね」

「寄らないのか」

ロアンが答える。

「寄らない」

エナが付け足す。

「牢も、見つけたら助けたいですけど」

ロアンは少しだけ顔を曇らせた。

「見つけたら考える。でも、目的を変えたら、たぶん全員戻れなくなる」

ミルカが静かに言う。

「今は魔王のところへ行く」

エナは小さく頷いた。

「はい」

ガルドは剣を確かめた。

「全部倒さない」

ロアンも頷く。

「通れればいい」

ミルカが合図用の小石を四つ渡した。

「音を立てられない時の合図。ひとつ投げたら止まる。二つなら戻る。三つなら急ぐ」

ガルドが小石を見る。

「四つ目は?」

ミルカが答える。

「予備」

「投げたら?」

「拾えるなら拾う」

ロアンが小さく笑った。

「小石まで戻すのか」

ミルカは真顔で言う。

「物資は有限」

「はい」

最後の準備は、地味だった。

だが、その地味さが今は頼もしかった。

引き返せる最後の場所

魔王城外縁の岩棚。

そこが、引き返せる最後の場所になった。

ここを越えれば、第三門下の排水路へ入る。

排水路へ入れば、戻るのは難しい。

ロアンは全員を見る。

「ここが最後です。戻るなら、ここ」

ミルカが言った。

「戻る理由なら山ほどあるわよ」

ガルドが言う。

「でも戻らないんだろ」

エナは少しだけ空を見た。

「この先、嫌な感じはします。でも、戻った方がいい感じではありません」

ロアンは静かに頷いた。

「じゃあ、行こう」

ミルカが短く息を吐く。

「確認。排水路へ入ったら正規通路には乗らない。結界柱は壊さない。要だけずらす。広い道にはすぐ入らない。右が嫌なら右に行かない」

ガルドが言う。

「壁は?」

「必要なら抜く」

ミルカが少し嫌そうに言った。

ガルドは頷く。

「分かった」

ロアンは岩棚の先を見る。

細い。

暗い。

風が強い。

けれど、そこはまだ戻れる。

戻れる場所で、進むと決める。

それが大事なのだと、ロアンは今なら少し分かる。

戻れないから進むのではない。

戻る場所を確かめた上で、進む。

エナがロアンの袖を軽く引いた。

「ロアンさん」

「はい」

「怖いです」

ロアンは少し驚き、それから頷いた。

「俺も怖いです」

ガルドが言う。

「俺も少し怖い」

ミルカが見る。

「少し?」

「かなりではない」

「そう」

ミルカは自分の札を握った。

「私は、かなり」

ガルドが意外そうに見る。

「そうなのか」

「怖くないと、間違えるから」

エナは少しだけ安心したように微笑んだ。

ロアンは言った。

「怖いまま行こう」

誰も反対しなかった。

第三門下の排水路

夜。

風が強い。

天空要塞の光は背後にある。

魔王城外縁の見張りは、正面橋と門を見ている。

灰の一団は、その下にある岩棚を進んだ。

排水路の入口は、岩と黒い石板で隠されていた。

普通なら開かない。

だが、古い補修記録には、水抜き用の開閉符号が残っていた。

ミルカが石板に手を当てる。

「完全には開けない。音が出る」

ロアンが聞く。

「通れるだけ?」

「通れるだけ」

ミルカは、小さな魔力を流した。

石板が、わずかに震える。

音を立てないように、ゆっくり、少しだけずれる。

人ひとりが横向きで入れる程度の隙間。

ガルドが見る。

「狭いな」

ミルカが言う。

「広げたら気づかれる」

ガルドは肩をすぼめた。

「剣が引っかかる」

ロアンが言う。

「先に俺が入る」

エナが止めた。

「少し待ってください」

エナは入口の奥を見た。

暗い。

水の匂い。

古い魔力。

そして、何かがいる気配。

「右側、何かいます」

ガルドが前へ出る。

「じゃあ俺が先だ」

ロアンは少し考えた。

排水路は狭い。

ガルドが詰まれば、後ろも詰まる。

だが、奥に何かいるなら、最初に受けられる者が必要だった。

「頼む」

ガルドは頷き、体を横にして隙間へ入った。

大きな体が、黒い石板の間をすり抜ける。

剣を先に入れ、肩を縮め、息を止める。

ミルカが小さく言った。

「本当に入った」

ロアンが答える。

「入ったね」

エナが囁く。

「抜けられるでしょうか」

奥から、ガルドの低い声がした。

「剣は抜けた。俺も抜ける」

ミルカが少し安心したように息を吐いた。

「剣が基準なんだ」

ロアンが続き、エナ、ミルカの順に入る。

全員が排水路へ入ると、ミルカは石板を少し戻した。

完全には閉じない。

だが、外からはただの影に見える。

「戻した?」

ロアンが聞く。

「通った跡を少し薄くしただけ」

「十分です」

排水路の中は暗かった。

魔王城の内部へ続く、望まれない道。

ロアンたちは、そこへ入った。

排水路の中

排水路は狭く、暗かった。

水はほとんど流れていない。

壁には古い魔術符号が残っている。

ところどころに補修された跡があった。

足元は滑る。

天井は低い。

ガルドは何度も肩をぶつけそうになった。

「狭い」

ミルカが後ろから言う。

「大声で言わない」

「小声でも狭い」

「それはそう」

ロアンは壁に手を添えて進んだ。

「ここ、魔族の兵は通らないって言ってたな」

ミルカが答える。

「通りたくない理由は分かる」

エナが小さく言う。

「でも、魔物はいます」

その直後、ぬるりとした影が水の残った溝から跳ねた。

小型の魔物だった。

目が退化し、口だけが大きい。

ガルドが音を立てずに斬る。

剣の戻りも小さい。

魔物は水音を立てる前に沈んだ。

ロアンが囁く。

「助かった」

ガルドが答える。

「狭いところ用に斬った」

ミルカが小さく言う。

「田舎道場、対応範囲が広い」

「だいたい役に立つ」

「今日は認める」

途中、道が二つに分かれた。

広い方は、管理用の通路らしい。

天井が少し高く、壁も補強されている。

狭い方は、水の跡が残る古い排水路だった。

ガルドが言う。

「広い方が楽だな」

ミルカは壁の擦れ跡を見る。

「広い方は、たぶん巡回が使う。楽な道は、向こうにも楽ってこと」

ロアンは狭い方を見る。

「じゃあ、狭い方」

ガルドが肩をすぼめる。

「また狭い道か」

エナが小さく言う。

「でも、今はそっちの方がましです」

「ましなら行く」

ガルドは素直に狭い方へ進んだ。

ミルカが呟く。

「かなり訓練されてきたわね」

ロアンは少し笑った。

排水路の奥へ進むにつれ、魔力の流れが強くなった。

城の中に入っている。

それは、まだ誰にも見つかっていないという意味でもあり、もう引き返しにくいという意味でもあった。

外縁第三門

排水路を抜けると、外縁第三門の内側近くに出た。

正面の門は破っていない。

転移もしていない。

だが、魔王城の外縁内部に入った。

ここから先は、警備区域である。

巡回の魔族兵。

結界柱。

警備用魔物。

黒い石の床。

遠くに低い鐘の装置。

ロアンは小さく言う。

「ここは抜ける。長引かせない」

ミルカは結界柱を見る。

「壊すと城全体に響く。要だけずらす」

ガルドが剣を抜いた。

その時だった。

巡回していた魔族兵の一人が、こちらに気づいた。

「止まれ!」

前に出た魔物が牙を剥く。

ロアンは身を低くし、魔物の横を抜けた。

倒すためではない。

通るために。

魔物の爪が空を切る。

次の瞬間、ガルドが一歩だけ踏み込み、魔物の前脚の関節を打った。

魔物は崩れる。

死んではいない。

だが、立てない。

警備兵が槍を構える。

「侵入者!」

ミルカは結界柱へ手をかざした。

指先に、小さな光が集まる。

火花のように小さい。

だが、その光は結界の表面ではなく、奥にある一点へまっすぐ刺さった。

「壊すと城全体に響く。要だけずらす」

結界柱の光が、一瞬だけ揺らいだ。

門全体は壊れていない。

大きな警報も鳴らない。

ただ、四人が通れるだけの隙間が開く。

エナが、ふと右側の通路を見た。

「右はだめ」

ロアンが聞く。

「罠?」

「たぶん閉じ込められる」

ガルドが右を見る。

「見えてるのか」

エナは首を振る。

「見えてないけど、だめ」

ガルドは肩をすくめた。

「なら左だな」

ロアンは迷わなかった。

「左へ」

四人は左へ動いた。

警備兵たちが追ってくる。

だが、すぐには追えない。

魔物は崩れた。

槍を持つ兵の手首は、ガルドに打たれて震えている。

結界は壊れていないのに、通路だけが開いている。

門は破っていない。

だが、抜けた。

背後で、城内警備の声が響いた。

「第三門、防衛線突破。侵入者、内郭へ移動」

ミルカが小さく言う。

「突破じゃなくて、通過なんだけど」

ロアンは走りながら答えた。

「向こうから見れば、どっちでも困る」

「それはそう」

ガルドが前へ出る。

「次はどっちだ」

ロアンは仮地図を思い出す。

「正規通路には乗らない。補修通路へ」

エナが背後を見た。

「追ってきます」

ロアンは短く言った。

「急ぐ。でも、寄り道しない」

城内を読む

魔王城の通路は、広いところほど危なかった。

黒い床。

刻まれた紋様。

吊り下げられた魔晶灯。

左右の通路。

上へ伸びる階段。

ロアンは天井を見上げ、鎖の位置を見た。

「奥の階段は使わない。上から挟まれる」

ミルカが柱の刻印を見る。

「じゃあどこ」

ロアンは左手の細い通路を指す。

「こっちの通路。音が抜けてる。広間につながってる」

ミルカは眉を寄せる。

「たぶん罠もあるけど」

「ない道があるならそっちにする」

「そんな道ない」

「じゃあ少ない方」

エナが、床を見て小さく言った。

「左の床、踏まない方がいいです」

ロアンは止まる。

「どのあたり」

「黒い線のところ。たぶん、落ちる」

ガルドが床を見る。

「見た目は同じだぞ」

「でも、だめ」

ミルカがため息をつく。

「またそれ?」

ロアンは黒い線を避けた。

「当たるからいい」

次の瞬間、追ってきた魔物の足が黒い線を踏んだ。

床が落ちた。

魔物が下へ消える。

ガルドがエナを見る。

「便利だな」

エナは顔をしかめる。

「便利じゃないです」

ガルドは言い直した。

「じゃあ、助かる」

エナは何も言わなかった。

ミルカはその間に、柱の刻印へ指先を当てていた。

小さな光が走る。

柱の奥の一点だけが、ふっと暗くなる。

巨大な結界は壊れない。

ただ、その一部が、細い糸を抜かれたように緩む。

「通れる。急いで」

ロアンはガルドへ言った。

「前、お願い」

ガルドが出た。

内郭兵が三人、黒い盾を構えて待っている。

一人目の槍が突き出される。

ガルドは、一歩で間合いを潰した。

槍の柄が弾かれる。

手首。

膝。

鎧の継ぎ目。

三つの音がほとんど同時に鳴った。

内郭兵が崩れる。

死んではいない。

だが、立てない。

兵の一人が呻く。

「速……」

ガルドは首をかしげた。

「今のは普通だろ」

ミルカが、ぼそりと言う。

「普通じゃない」

「そうか?」

「そう」

ロアンは短く言った。

「行く。寄り道しない」

四人は進む。

宝物庫には寄らない。

兵舎も燃やさない。

捕虜牢にも向かわない。

通路を選び、罠を避け、結界をずらし、必要な敵だけを止める。

目的は、一つに絞っていた。

内郭第二防衛線

内郭第二防衛線へ近づくと、強い結界門が見えた。

正規の扉は厚く、魔術防壁が何層にも重なっている。

ミルカは見上げて、すぐに言った。

「これは時間がかかる」

ロアンが問う。

「壊すと?」

「城中に響く」

ロアンは少し苦笑する。

「もう響いてると思うけど」

「もっと響く」

エナが右側の壁を見た。

「そこ」

ロアンが振り返る。

「そこ?」

「右の壁。薄い」

ガルドが壁を軽く叩く。

ごん、と鈍い音がした。

少し離れた場所を叩く。

今度は、音が違った。

「確かに違うな」

ミルカが呆れる。

「壁を壊すの?」

ロアンは少し考えた。

「扉がだめなら、壁かな」

「雑」

「でも早い」

ミルカは顔をしかめた。

「城の中で壁を壊す人、初めて見た」

ロアンは壁を見たまま答える。

「たぶん、向こうもそう思ってる」

エナが、崩れそうな天井を見上げる。

「上は支えた方がいいです。たぶん落ちます」

ロアンは頷く。

「お願い」

ミルカは壁の補強術式を探った。

城の術式は強い。

厚い。

古い。

簡単には壊れない。

だが、壊す必要はない。

一点だけを抜く。

支える力を、一息分だけずらす。

指先に集めた魔力が、細い針のように壁へ入る。

「今」

ガルドが剣を抜いた。

大振りではない。

叫びもしない。

壁の継ぎ目へ、斜めに一太刀。

石が割れた。

二太刀目で、補強材が鳴る。

ロアンが、崩れた石を押す。

エナが落ちかけた天井へ手を伸ばす。

淡い光が、ひび割れの走りを止めた。

壁に、人が通れるだけの穴が開いた。

門は無事だった。

結界門も壊れていない。

近衛兵たちは、門の前で待っていた。

四人は、門を通らなかった。

ミルカが低く言う。

「本当に壁を抜いた」

ガルドが答える。

「壁なら斬れる」

ロアンは穴をくぐりながら言った。

「行く。長くは持たない」

背後で、壁が少し崩れた。

鐘が強く鳴る。

もう、隠れる時間は終わった。

魔王城の反応

壁を抜いたことで、警報は強くなった。

城内の遠くで鐘が鳴る。

魔物の声。

兵の足音。

魔術結界の震え。

黒い石の床が、低く震えている。

ロアンが言う。

「ここからは隠れられない」

ガルドが笑った。

「ようやく分かりやすいな」

ミルカが言う。

「分かりやすくなっただけで、楽になったわけじゃない」

「さっきも聞いた」

「何度でも言う」

エナが小さく言った。

「急いだ方がいいです。たぶん、向こうも気づいた」

ロアンは頷く。

「寄り道しない。魔王のところまで行く」

前方に近衛兵が現れた。

黒い鎧。

長い槍。

目に魔力の光。

ガルドが剣を構える。

「強そうなのがいる」

ロアンが言う。

「全部倒さなくていい。通れればいい」

「止めるだけでいいのか」

「できる?」

ガルドは、少し笑った。

「たぶん」

ミルカが横から結界を薄くする。

エナが倒れそうな近衛兵の落下先を見ている。

ロアンが、近衛の動きに合わせて声をかける。

「右。次、下。今」

ガルドが動く。

一体目の剣が宙を舞う。

二体目の膝が折れる。

三体目の盾が弾かれ、壁へ打ちつけられる。

殺してはいない。

だが、道は開いた。

ロアンは、倒れた近衛兵へ一瞬だけ目を向けた。

「悪い。通る」

そして、先へ進んだ。

中枢へ

ロアンたちは、宝物庫には向かわなかった。

兵舎も焼かない。

捕虜牢にも寄らない。

補給庫も壊さない。

目的はただ一つ。

魔王のいる中枢へ向かうこと。

ガルドが横目で大きな扉を見る。

「今の扉、宝物庫っぽかったな」

ミルカが言う。

「見ない」

「見た」

「忘れて」

「分かった」

ロアンは走りながら言った。

「寄らないよ」

ガルドは頷く。

「分かっている。言っただけだ」

エナが小さく言う。

「牢の方から、声がした気がします」

ロアンの足が一瞬止まりかける。

ミルカが言った。

「今は止まれない」

エナは唇を結び、それから頷いた。

「はい」

ロアンも頷いた。

胸が痛む。

だが、ここで目的を変えたら、全員戻れなくなる。

魔王のところへ行く。

それが今、いちばん多くを変えられる道だ。

ミルカが魔力の流れを読む。

「強い流れはあっち。たぶん玉座区画」

ロアンが言う。

「こっちの細い通路は?」

「補修用。狭いけど、正規通路より人が少ない」

ガルドが肩をすぼめる。

「また狭い」

ロアンは少し笑った。

「ここまで来たら、狭い道の方が安心するな」

ミルカが言う。

「それは危険な慣れ」

「分かってる」

エナが背後を見る。

「追ってきています。でも、少し遅れています」

ミルカが頷く。

「転移で先回りされていない。やっぱり修理中の影響がある」

ロアンは短く言った。

「今のうちに進む」

城の中は、警報で満ち始めている。

だが、まだ全てが揃ってはいない。

魔王軍は速い。

強い。

だが、広域の転移網を失ってから、即応は鈍っていた。

そのわずかな遅れを、四人は走った。

玉座区画の手前

魔王城の奥。

空気が変わった。

魔力が濃い。

壁の黒い石に、鈍い光が走っている。

遠くで、大きな扉の閉じる音がした。

玉座区画。

魔王城の最深部。

黒い扉。

近衛隊。

魔術防壁。

魔物の咆哮。

そこを抜ければ、玉座の間がある。

エナが、ロアンの袖をつかんだ。

「この先、戻れないかも」

ガルドが言う。

「なら、ここまでは戻れるってことだ」

ミルカが睨む。

「その言い方、どうなの」

ガルドは肩をすくめた。

「前向きだろ」

ロアンは少しだけ笑った。

「そういう考え方、嫌いじゃない」

魔術防壁が行く手を塞いでいる。

ミルカが見上げる。

「これは、壊すと全部にばれる」

ガルドが周囲を見た。

「もう全部にばれてる」

「だから、もっとばれる」

エナが、扉の横ではなく、床を見た。

「そこじゃない。下」

ロアンが聞く。

「下?」

「床の下、何か通ってます」

ロアンは膝をついた。

冷たい石に手を当てる。

耳を澄ます。

遠くで、低い音がした。

空気が流れている。

排気路。

魔力管。

古い通路。

何かが、下にある。

ロアンはミルカを見る。

「通れる?」

ミルカは顔をしかめた。

「通りたくはない」

「通れるかどうか」

「……通れる」

ガルドが笑う。

「じゃあ通るか」

「本当に雑」

ロアンが言う。

「でも早い」

ミルカは額に手を当てた。

「その言い方、移った?」

エナが奥を見た。

「急いで。たぶん、来ます」

近衛隊の足音が近づいていた。

ロアンは頷く。

「行く。ここで止まらない」

最終防衛線

最終防衛線の近衛隊は、強かった。

外縁兵とも、内郭兵とも違う。

魔王に近い場所を守るための兵である。

鎧には黒い刻印が入り、武器には魔力が通っている。

獣のような魔物もいた。

巨大な顎。

赤い目。

石の床を削る爪。

灰の一団は、正面からぶつからない。

ミルカが、防壁の要を細く抜く。

エナが、崩れそうな床を見つける。

ガルドが、近衛の間合いへ入っては抜ける。

ロアンが、全体の位置を見て声を出す。

「左、下がって」

「今、右」

「一体だけ止める」

「そこは行かない」

命令ではない。

怒鳴り声でもない。

だが、四人はその声で動いた。

魔物の一体が突進する。

エナが、息を呑む。

「だめ、正面」

ロアンは一歩ずれた。

魔物の角が、壁を砕く。

ガルドが、その横を通って足を打つ。

魔物が倒れる。

死んではいない。

だが、起き上がるまで時間がかかる。

ミルカが床の刻印を切る。

黒い光が一瞬だけ消える。

「今」

四人は、防壁の隙間を抜けた。

背後で、防壁が戻る。

追ってきた近衛隊が足止めされる。

近衛隊長の声が響いた。

「最終防衛線、突破された!」

ロアンは振り返らない。

突破ではない。

通っただけだ。

だが、向こうから見れば同じことだった。

前には黒い扉がある。

玉座の間の前。

ここまで来た。

まだ終わっていない。

黒い扉

玉座の間の前。

黒い扉が、重く閉じている。

灰色の外套をまとった四人は、その前に立った。

ロアンは扉を見上げた。

ミルカが扉の術式を見て、小さく息を吐く。

「これは、開けるより待った方が早いかも」

ガルドが首をかしげた。

「向こうが開けてくれるのか」

エナが、扉の向こうを見ている。

見えているわけではない。

それでも、彼女は静かに言った。

「います」

ロアンは頷いた。

「じゃあ、待つ」

ミルカが呆れる。

「ここまで来て?」

ロアンは扉を見たまま答えた。

「ここまで来たから」

「どういうこと」

「向こうも、こっちを見ると思う」

ガルドが笑う。

「変な信用だな」

「たぶん、そういう相手だ」

遠くで、警報の鐘が鳴っている。

背後には追手。

前には扉。

普通なら、急いで開ける場面だった。

壊す場面だった。

けれど、ロアンは待った。

ここまで、壊さずに来た。

門を破らず、転移を使わず、結界を壊さず、必要なところだけをずらしてきた。

最後の扉だけを無理に壊せば、それは今までの進み方と違う。

ミルカが小さく言う。

「本当に開かなかったら?」

ロアンは答える。

「その時は、考える」

「雑」

「でも、今は待つ方がいいと思う」

エナが袖を握る手に少し力を込めた。

「私も、待つ方がいい気がします」

ガルドは剣を構えたまま、扉を見た。

「では待つ」

その言葉が終わる前に、黒い扉の向こうで、重い音がした。

鍵が外れる。

結界が緩む。

扉が、ゆっくりと開く。

玉座の間。

黒い床。

高い天井。

壁に灯る暗い炎。

奥に、魔王がいた。

ロアンは息を吸った。

ここまで来た。

そして今、扉が開いた。

魔王城へ

魔王城への道は、開いていたわけではなかった。

門は閉じていた。

橋は見張られていた。

結界は生きていた。

天空要塞も無傷だった。

転移ゲートも、彼らのために口を開けていたわけではない。

ただ、魔王軍はすべてを同時には守れなかった。

深海を直さねばならなかった。

深森を取り戻さねばならなかった。

火山の外郭を立て直さねばならなかった。

壊れた転移ゲート網を修理せねばならなかった。

だから魔王城は警戒していたが、全軍を集めてはいなかった。

灰の一団は、そこへ向かった。

門を破らず。

転移を使わず。

旗を掲げず。

排水路を抜け、補修跡を読み、結界の要をずらし、壁の薄いところを通った。

それは、勇者の道ではなかった。

軍の道でもなかった。

けれど、道だった。

誰かが作った排水路。

誰かが残した補修記録。

誰かが逃げ延びて伝えた作業場の記憶。

誰かが見つけた岩棚。

それらをつなげば、魔王城の中へ入る道になった。

魔王城は落ちていない。

だが、四人は中にいた。

黒い扉は開いた。

次に進む先に、魔王がいる。


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