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二つの光
赤い光が、山脈の上を一直線に進んでいた。
別の方角からは、黒い光が近づいている。
どちらも街道へ沿わず、山を避けることもしない。遠くに感じる強い存在へ向け、最短の線を飛んでいた。
シアの背中には四枚の赤い翼が開いている。
七個の赤い分霊核が、身体の周囲を一定の間隔で巡っていた。回収したばかりの五個には、まだ空いた場所がある。四翼は飛行を続けながら原光を取り込み、その器へ少しずつ蓄えていた。
力を集めるために速度を落とす必要はない。核だけを別に運ぶ必要もなかった。
黒い光の中心にも四翼があった。
ネアの周囲を七個の黒い分霊核が巡る。長い袖と羽衣が、羽ばたかない翼の流れに合わせて漂っていた。
先ほどまで二人がいた土地は、すでに遠い。
二人の速度はほぼ等しかった。
距離が縮むほど、互いに感じる力ははっきりしていく。
分霊核を探した時の空白ではない。そこには、外界の原光を絶えず取り込み、動き続けている何かがあった。
しかも、つながっている。
精霊力を飛ばして結んだ線はない。どちらかが念話を送っているわけでもない。
それでも、以前から触れていたもののように感じる。
シアは速度を緩めなかった。
ネアも同じだった。
何者かは、見れば分かる。見た後にどうするかを、今から考える必要はなかった。
山と山の間へ、幅の広い谷が現れた。
赤と黒の光が、その上空へ同時に入っていった。
目の前の存在
谷の上で、シアが相手の姿を捉えた。
黒に近い長い髪。白銀の衣装。肩の周りを流れる羽衣。
その背中から、半透明の黒い四翼が斜めに開いている。
七個の黒い玉が、翼の循環から外れずに浮いていた。
ネアからも、赤い四翼が見えた。
白い軽装をまとった少女。赤橙色の髪。その左右に漂う、七個の赤い玉。
羽ばたく様子はないのに、赤い姿は減速しながら空中へ止まろうとしている。
二人の距離が急速に縮まった。
このまま進めばぶつかる位置で、赤と黒が同時に静止する。
地上には川が走り、両側の山腹は遠い。二人を支える足場は、どこにもなかった。
出発した場所から、それぞれが進んだ距離もほとんど同じだった。
再会した場所は、まさしく中間地点だった。
シアは黙って相手を見た。
ネアも言葉を発さない。
四翼。七個の器。外へ広がった循環。そこまで似ていても、流れている力は違っていた。
シアには自分の火が分かる。
赤い器はすべて火の流れへつながっている。しかし目の前の黒い翼には、その火がない。
ネアが感じているのは月の流れだった。黒い器はすべて自分とつながっているのに、赤い翼はそこへ属していない。
姿には、見覚えがあるように思えた。
だが、その感覚は相手の名へ届かなかった。顔や衣装を見ても、今ここで判断すべきこととして浮かぶのは属性の違いだけだった。
つながりは、確かにある。
けれど同じ存在ではない。
二人は無言のまま、その違いを確かめていた。
同じ結論
シアは相手の周囲を巡る七個の器を数えた。
ネアも赤い七個を見ていた。
相手は弱くない。四翼を開き、自分と同じ数の分霊核を従えている。周囲の原光を取り込む速さも、身体を維持する流れも、自分とよく似ていた。
だからこそ、無視できなかった。
自分ではないものが、これほどの力を持っている。
しかも、どこかでつながっている。
つながっているのなら同じもののはずだ。ところが、その属性も、巡る力も異なっている。
シアの中で、古い欲求が答えを出した。
火の王は一つでよい。
自分以外の王は必要ない。
向こうにいるものが何者であっても、その判断は変わらない。
ネアも同じ結論へ至った。
月の流れへ含まれないものが目の前にいる。自分と同じ高さへ届く力を持ち、なおかつ自分ではない。
残しておく理由が見つからなかった。
二人とも、名前を尋ねなかった。
相手がなぜ自分とつながっているかを確かめることより、その相手を消すことが先になった。
そこに矛盾があると感じられても、判断を止めるほどではなかった。
シアが右の拳を握る。
背中の四翼へ赤い光が集まった。
ネアは右手を下げたまま、黒い翼から幾筋もの細い線を伸ばす。
周囲の原光が、二人の間で別々の方向へ動き始めた。
消す。
合図はなかった。
先に敵意を向けられたから応じたのでもない。
二人はそれぞれの意思で、まったく同時に動いた。
谷の上で、赤い光が直線となり、黒い光がその進路から滑るように外れた。
直線の拳
シアの右拳が、ネアの顔へ迫った。
飛び出した瞬間、四翼の後方へ炎が噴き出している。自由飛行だけでも近づけたが、加速するためにさらに火を使った。
地面を蹴らず、空中から直接放たれる一撃だった。
ネアは拳へ手を出さなかった。
身体を右へ滑らせる。右拳が、先ほどまで顔のあった場所を通り過ぎた。
風圧に長い袖が引かれる。
シアは拳を振り抜いた姿勢のまま、左の四翼へ火を流した。
空中で身体が回る。
その回転を使い、今度は右脚でネアの胴を狙った。
地面へ着地して構え直す時間はいらない。拳から蹴りへ、移動した速度を残したままつなげられた。
ネアの周囲へ黒い線が伸びた。
蹴りにまとわりつく炎の外側が、わずかに下へ引かれる。
しかし、脚そのものの向きはほとんど変わらない。
ネアは自分の位置も後方へ移し、踵が届く直前に間合いから抜けた。
蹴りは衣装の裾をかすめて通り過ぎた。
シアが踏みとどまろうとしても、そこに地面はない。
代わりに四翼の流れが身体を止める。
ネアは横へ間合いを開いた。
シアはすぐに正面へ向き直る。
どちらも地面を蹴らず、崩れた姿勢を取り戻すのに落下を待つ必要もなかった。
拳を正面から受ければ、そこへ重ねられた火まで受けることになる。
ネアはそうしなかった。
シアも、避けられたからといって攻撃を中断しない。
最初の一撃で、互いの戦い方だけは明確になった。
赤は近づく。黒は受けずに外す。
シアがもう一度前へ出た時、ネアはすでに次の逃げ道へ身体を動かしていた。
空中の間合い
シアが追う方向を変えるたび、ネアは高さをずらした。
右へ抜けると見せて下へ沈む。シアの拳が下を向いた瞬間には、黒い翼が斜め上へ移っている。
地上であれば、踏み込める方向には足場の制限がある。今の二人には、その制限がなかった。
シアは炎の噴射で無理に曲がった。
大きく回り込むより、短い軌道を何度も折って接近する。
ネアは真正面から逃げ続けなかった。シアの移動方向が決まる寸前を選び、そこから外れる。
一度、シアの拳がネアの左側へ伸びた。
ネアは身体を下げる。
だがシアは拳を途中で止め、肘を曲げたまま自分の身体を下へ運んだ。
打撃を伸ばして追うのではなく、身体ごと位置を合わせる。
ネアの目の前へ、曲げた肘が来た。
黒い四翼が一度大きく広がり、ネアの身体を斜め後ろへ送った。
肘の先が羽衣の端をすり抜ける。
ここまで近づかれるとは、ネアも予想していなかった。
だが、完全に捉えられたわけではない。
シアが体勢を整えるより先に、ネアは上下を入れ替えて距離を取る。
肘を振ったシアの方もすぐに反転したが、次の一撃へ移るにはわずかな間が必要だった。
空中には壁も足場もない。
だから、相手を端へ追い詰めるという考えが通用しない。
シアはそれを感じ取りながらも、接近をやめなかった。
ネアも、距離を取り続けるだけでは終わらないと知っていた。
シアの直線的な加速は速い。動き出す瞬間を外しても、その次に四翼が向きを変えればすぐ追いつかれる。
移動だけでなく、その加速を生む流れへ手を加える必要があった。
原光の供給
ネアはシアの四翼へ目を向けた。
翼の面だけではない。その外側から、原光が絶えず流れ込んでいる。
シアが炎を放つたび、減った分が周囲から補われていた。
ならば、補われる前の流れを動かす。
ネアが指先を横へ払う。
黒い細線がシアの進路へ伸び、四翼へ入ろうとする原光を左右へ分けた。
火の精霊力へ直接触れるより手前の場所だった。
シアが踏み込むように前へ加速する。
しかし、伸びるはずの速度がわずかに鈍った。
四翼へ入る原光が減っている。
後方へ火を放つ流れが、いつもより細い。
ネアは距離を測った。
相手の腕が届く前に、その外側へ抜けられる。
先ほどまでより、時間に余裕ができていた。
そこでネアは、左右へ分けた原光をさらに外へ流した。
奪って自分のものにしたのではない。シアが取り込もうとした場所から、別の方向へ逃がしただけだった。
それでも進路には一時的に薄い領域ができる。
シアは空中で止まりかけた。
だが、すぐに赤い四翼が開き直る。
速度が落ちたことを理解したように、身体の後ろへ別の火が集まった。
ネアの操作は、確かに効いた。
外側の供給を減らせば、シアの加速は鈍る。
問題は、その状態がどこまで続くかだった。
ネアは黒い線を維持しながら、自分の身体をさらに横へずらした。
今度こそ十分に離れたはずの間合いへ、赤い光が再び伸び始めていた。
蓄えた力
シアの左右で、二個の赤い分霊核が強く光った。
以前から持っていた二個だ。
樹と重の精霊王との戦いで使った後も、四翼の循環によって力が補われていた。
新しく集めた五個ほど空いてはいない。
四翼へ外から入る原光が少ない。
ならば、手元に蓄えた力を使えばよかった。
シアが意識を向けるより先に、二個の核から赤い流れが伸びた。
背中の翼へ加わり、後方から押し出す火が再び太くなる。
ネアが作った薄い領域を、シアが突き抜けた。
黒い線の位置は変わっていない。それでもシアの身体は止まらない。
ネアは横へ移り、迫った拳をかわした。
ネアは、動きを鈍らせた原因と、再び動き始めた原因を見た。
外から入る量を減らしたのに、四翼へ流れる力は途絶えていない。
赤い分霊核の蓄えが、その不足を補っている。
七個を持っているから七個とも満ちているわけではなかった。
新しい五個には、今も原光が流れ込んでいる途中だ。
それでも、二個の蓄えと身体の中を巡る力だけで、一度の加速を補うには十分だった。
シアが次の一歩に当たる加速を行う。
ネアの黒い線が薄い領域を作り直す。
シアはその領域を大きく避けず、短い火の放出で通り抜けた。
長く同じ勢いを維持するより、一瞬だけ押し出す方が必要な力は少ない。
ネアは外界の供給を妨げることをやめなかった。
ただ、供給を減らせば動きが止まるという見込みは捨てた。
相手には外からの流れだけでなく、内側に残した力がある。
その両方を一度に奪うのは難しかった。
供給を妨げるだけでは足りない。
ネアは、すでに放たれた火そのものへ意識を向けた。
曲がる火
シアが拳を突き出すと、その周囲へ赤い炎が巻き付いた。
ただ殴るのではなく、当たる場所へ火を押し込む一撃だった。
ネアはその前へ黒い線を重ねる。
今度は外の原光ではなく、すでに火へ変わった力へ直接触れようとした。
炎の縁が、黒い流れへ引かれた。
ネアがさらに力を加えると、表面の火が横へ薄く伸びる。
拳の外側を包む熱が、少しだけ弱くなった。
だが、中心は動かなかった。
シアが前へ押し出し続けている火は、月の線へ従おうとしない。
ネアが正面から全部を受け止めれば、自分の防御膜へ大きな負荷がかかる。
吸収できる量にも限りがある。流れを戻そうとしても、押し出される勢いの方が強かった。
ネアは拳の先端にある火だけを横へずらした。
拳の進路そのものは変わらない。
だから、同時に自分も横へ移る。
シアの拳が肩のすぐ横を通った。
表面からはがされた炎が、黒い線に引かれて斜め下へ散る。
中心に残った火は、そのままシアの拳とともに通過した。
ネアは振り返る。
火のすべてを曲げる必要はない。自分へ届く場所だけを外せれば、攻撃は当たらない。
ただし、相手の身体まで操れるわけではなかった。
シアも、拳にまとわせた火の一部が失われたことを感じていた。
ネアへ押し込もうとした力が、横へ逃げている。
それでも拳そのものは、狙った場所へ向かっていた。
次の一撃でシアは、火を拳の外へ広げず、接触する正面へ集めた。
ネアはその中心を受けず、さらに早く身体を横へ動かした。
火の形を変えるだけでは、相手へ届くまでの距離が埋まらない。
シアは別の接近方法を選んだ。
届く寸前
シアは前へ飛び出した。
ネアが動く。
それを見ても、今度は最後まで加速しなかった。
拳の届く少し手前で四翼の流れを前方へ回し、身体を空中で止める。
先ほどまでは、速く近づくほど拳もそのまま通り過ぎていた。
ネアが横へ逃げれば、振り切った腕を戻してから向きを変えなければならない。
ならば、近づいたところで速度を残さなければいい。
シアの身体が静止する。
右拳を伸ばす代わりに、左手がネアの袖へ向かった。
飛び抜ける勢いはない。目の前の位置を保ったまま、掴もうとする。
ネアの反応が一瞬遅れた。
相手の速度に合わせて逃げる方向を決めていたところへ、その速度が消えた。
シアの左手が、衣装の袖をかすめた。
ネアは黒い線を自分の背後へ通した。
周囲の原光が流れ、身体を斜め上へ押し出す。
シアの指が閉じた時には、そこに袖はなかった。
シアが顔を上げる。
今度は、届くところまで来ていた。
それでも最後の一握りを外された。
ネアは、シアが全速力で飛び込むとは限らないと理解した。
速度を落としても相手の腕は届く。次に同じ位置へ逃げれば、そこへ追いつかれるかもしれない。
最初に見た動きだけでは、すべてを予測できない。
シアは止めていた身体を再び動かした。
拳を振り抜くより、近くで位置を合わせる方がよい場合がある。
ただし、ネアを捕まえるまでには至っていない。
互いが戦い方を変えるたび、相手の逃げる場所も変わる。
シアは、ネアが動き出す前の空間へ意識を向けた。
次は、身体一つで追う必要はなかった。
左右の射点
シアの右側から、一個の分霊核が前へ出た。
左側にも、もう一個。
二個の赤い核がシアの少し前へ並び、残る五個は四翼の循環に従って近くを巡っている。
シアが正面から近づく。
ネアは左右どちらかへ避けようとした。
その瞬間、両側の核へ赤い火が灯る。
シア本体の正面と、左右の二か所。
三方向から、同じ瞬間に火が伸びた。
巨大な砲撃ではなかった。
ネアが移ろうとする空間を塞ぐ、短い炎だった。
右へ出れば右の火がある。左へ出れば左の火がある。
シアは、その間を拳で進む。
ネアの黒い四翼が大きく開いた。
前にある三つの攻撃をまとめて受け止めれば、動ける場所がなくなる。
ネアは上へ移ろうとするが、シアの拳も上へ向きかけていた。
シアの掌が、ネアの胸元へ近づく。
両側からの火はまだ続いている。
位置取りだけなら、初めてネアの左右を塞ぐことができていた。
ただし、七個すべてを別々の方向へ動かして包囲しているわけではない。
シアが個別に位置を選んだのは二個だけだ。
同じ攻撃をそろえるのは四翼が助けるが、一個ずつ異なる動きをさせるには、それぞれを意識する必要がある。
ネアは二つの火とシアの拳を見た。
すべてを止める必要はない。
右か左か、どちらか一つの道だけを開けばいい。
そのために動かすべきものは、シアの身体ではなく、横へ伸びた火の一部だった。
黒い線が右側の炎へ集まった。
月の逃げ道
ネアは右から迫る火の外側を捉えた。
炎が伸びる方向へ直接逆らわず、その横へ細い流れを作る。
炎の縁が傾き、すぐ内側に狭い隙間が生まれた。
完全に火を消したわけではない。
押し出される中心はまだ残っていた。
その隙間へ、ネア自身が滑り込んだ。
黒い四翼の片側だけを強く働かせ、身体を斜めにする。
ネアの長い袖が火の外側をかすめる。
熱が衣装の輪郭を一瞬乱したが、腕へ届く前に抜けた。
シアの拳が、その後ろを通った。
横の核から伸びていた火も、ネアのすぐ脇を通過していく。
逃げるための道が広かったわけではない。ネアが通る分だけ、炎の向きをずらしたのだった。
シアが右側の核へ意識を向ける。
火を曲げられたなら、向きを戻せばよい。
だが、その間にネアはもう別の位置へ移っている。
一本の火を追って曲げ直すより、シア自身が相手を追った方が早かった。
ネアは距離を取ったところで、七個の黒い核を見た。
自分にも、力を出せる場所は複数ある。
しかし、今のように狭い道を作るには、すべての核を別々に操る必要はなかった。
自分の周囲の流れを少し変え、自分がそこを通る。それで足りた。
ネアは逃げるだけの動きを終えると、黒い線をシアの進路へ戻した。
相手を消すつもりは変わっていない。
ただ、正面から力をぶつけても無駄が多い。
まず相手の向きを変え、攻撃を届かせる場所を作る方がよい。
シアは新しい進路へ身を向けた。
その目の前へ、黒い線が伸びた。
触れる膜
ネアの黒い線は、シアの拳へ届く前に広がった。
拳がその中へ入ると、周囲の原光が横へ散る。
手を包む火の一部が薄れ、進む向きもわずかにずれた。
それでも拳は前へ出る。
ネアは身体をかわした。
しかし今度は、シアの炎が黒い四翼の防御膜へ触れた。
半透明の黒い面が大きく揺れる。
炎は膜の表面を滑り、外へ逃がされながらも、その一部が食い込もうとした。
ネアの身体がわずかに後退した。
直撃はしていない。
だが防御膜へ触れただけでも、相手の出力が伝わってくる。
正面から受け続ければ、外へ流している量より多くの力が押し込まれる。
同時に、シアの拳にも黒い膜の抵抗が伝わっていた。
火の先端が散らされ、押し込んだ力が別の方向へ流れていく。
防御膜を壊す前に、その表面で力の向きを変えられている。
赤い四翼と黒い四翼が、ほんの一瞬近づいた。
互いの周囲にある膜が接し、赤い流れが外へ跳ねた。
黒い膜も同じ場所で大きくたわんだ。
二人は同時に距離を取った。
ネアの膜へ開きかけた乱れは、外から取り込む原光で戻っていく。
シアの拳を覆う火も、次の瞬間には同じ厚さを取り戻した。
どちらの防御が壊れたわけでもない。
しかし、無傷のまま何も起こらなかったのとも違う。
接触すれば相手の力が自分へ作用する。
それでも、すぐには崩せない。
そこまで確認したネアは、次に膜へ触れる前に相手の身体そのものを動かそうとした。
下への偏向
ネアは四翼の間から、黒い線を何本も伸ばした。
シアの頭上、左右、進行方向の先へ広がる。
相手の拳や炎だけを狙ったものではない。
その周囲へ流れている原光を、まとめて下へ向けようとしていた。
氷と晶の精霊王を消した時も、流れに方向を与えた。
だが今、目の前にいる相手は同じ四翼を持っている。
外からの原光だけを操っても、それだけで全身を動かせるとは限らなかった。
ネアが右手を下げた。
シアの周囲の流れが、下方へ傾く。
赤い四翼へ入ろうとする原光まで引かれ、シアの身体がわずかに沈んだ。
そのまま谷の方へ進路がずれる。
シアは進もうとした場所から外されたことに気づいた。
右腕を伸ばしたまま、四翼の下側へ火を通す。
赤い流れが横へ広がり、沈み始めた身体を押し戻した。
黒い線のすべてを消したわけではない。
下へ向く力が残ったまま、それを上回る別の流れで進む方向を直した。
ネアはさらに周囲の原光を下へ送った。
シアの身体が、もう一度傾く。
しかし赤い翼の片側が大きく開くと、軌道はすぐ戻ってくる。
どこかへ押せば、その反対から力が加わる。
ただ重さを増やしたり、地面へ引き落としたりしているのではない。ネアが動かせるのは、そこを巡る流れだった。
ネアは右手を止めた。
作用していないわけではない。
相手の進路を何度もずらした。
だが、相手が自分で流れを作り直せる以上、ずらすだけでは押し切れない。
シアは一度下へ向いた身体を戻し、正面から火を放った。
狙いは、まだ黒い線を広げているネアだった。
逸れた一撃
ネアは火を受け止めなかった。
直前で黒い線を横へ重ね、炎の外側を押し流す。
さらに自分も斜め上へ移動した。
正面へ進むはずだった赤い流れが、谷の斜面へ向きを変える。
火はネアの横を通り過ぎ、そのまま岩壁へ届いた。
岩の表面が赤く光る。
次の瞬間、深い亀裂が走った。
厚い岩盤が崩れ、谷底へ落ちる。
大きな破片が地面へぶつかり、さらに細かな石を巻き上げた。
土煙が広がった。
山腹の一部が崩れたことで、谷へ向かう細い斜面も途中から失われていた。
岩が落ちた後も、細かな土砂が崩れ続ける。
精霊力による攻撃は通り過ぎているのに、動いた岩はその場で止まらなかった。
シアはその変化へ目を向けなかった。
攻撃がネアを外れたことだけを認識している。
ならば、次を放てばいい。
町で火を止めた時のような迷いは生まれなかった。
ネアにも、崩れた地形を戻す理由はなかった。
火を自分から遠ざけるために向きを変えた。その結果として岩が砕けた。
今、優先するべきなのは、もう一度迫る赤い姿だった。
ネアが黒い線を伸ばしたところへ、シアが突っ込む。
赤い四翼が岩の破片を押しのけた。
ネアは斜面から離れ、崩落の上を横切る。
シアの拳は、その少し後ろを通った。
次に二人が向きを変えた時、舞い上がった土煙が間に広がった。
先ほどまで見えていた相手の輪郭が、灰色の中へ隠れた。
煙の中
シアの目から、ネアの姿が消えた。
だが、遠くから感じていたつながりは途切れていない。
右上のどこかに、黒い四翼の強い流れがある。
その方角だけは分かった。
シアが火を放つ。
赤い光が煙の中へ伸びた。
しかし、黒い姿は現れない。
火は相手の少し下を通り抜け、さらに遠くで薄れた。
方向が分かることと、拳や火を当てる位置まで分かることは違っていた。
ネアも、煙の向こうにいるシアの力を感じていた。
赤い四翼が周囲へ流す原光は大きい。
ただし、その力の広がりだけを頼りにすれば、身体の正確な位置を誤る。
正面から火を受け止める危険は、煙の中でも変わらなかった。
黒い線が土煙へ触れる。
ネアは自分の近くの原光を動かし、漂う細かな土砂を横へ流した。
完全に晴らす必要はない。
自分が通る範囲と、シアが近づく方向を見られれば足りる。
わずかな隙間から、赤い光が見えた。
シアは煙を抜けようとしている。
ネアは上へ移動した。
前や横へ抜ければ、また岩壁が近くなる。上には、今のところ何もない。
シアが煙を突き抜けた。
目の前にネアはいない。
感覚を追って顔を上げると、黒い四翼が自分より高い位置にあった。
シアが追う。
今度は火を放つ前に、相手の輪郭を見た。
ネアはさらに上へ動く。
背後の岩壁が少しずつ遠くなった。
煙は谷の上へ残されたままだった。
二人とも、もうそれを片付けようとはしなかった。
止まらない火
シアはネアが上へ逃れる方向を見た。
まっすぐ追えば、また上へかわされる。
その動きを確かめたシアは、今度はネアのいる位置ではなく、その先へ火を送った。
赤い炎が斜め上へ伸び、ネアの進もうとする空間を横切る。
ネアはその手前で止まった。
上へ抜けようとしていた身体を横へ動かす。
シアは、その移動先へ自分の身体を運んだ。
炎で道を塞ぎ、拳で近づく。
最初の直線的な突進とは違う動きだった。
シアの指が、ネアの羽衣の端へ触れかけた。
ネアの四翼が反応し、黒い線が二人の間へ滑り込む。
赤い火が外へ散らされ、シアの右腕がほんの少し横へずれた。
そのわずかな間に、ネアの身体は再び遠ざかった。
「……面倒だな」
シアの口から、短い言葉が出た。
相手は目の前にいる。
力も足りている。近づく道まで作った。
それなのに、最後の一撃だけが届かない。
怒鳴るほどの感情ではなかった。
だが、邪魔なものを消すという単純な目的に、思った以上の手順が必要だった。
シアはそれが気に入らなかった。
四翼へ火が集まる。
今度は短い加速を何度もつなぐのではなく、一度の大きな放出で間合いを詰めた。
ネアは距離を取る。
シアは速度を残したまま、その先へ進む。
黒い線が進路へ重なった。
赤い軌道がわずかに曲がる。
シアは曲げられた方向から、さらに火を放って向きを戻した。
無理に補うほど周囲へ炎が散る。
その火を避けるため、ネアが取る道も次第に狭くなっていった。
シアは、その狭い道を拳で追った。
曲がらない相手
ネアはシアの次の接近を待たず、黒い線を前へ重ねた。
速く迫る身体へ直接触れる前に、周囲の原光を横へ動かす。
シアの軌道が揺れた。
だが赤い四翼がすぐに動き、狙いを戻してくる。
原光は動かせる。
炎の縁も、加速の一部も曲げられる。
しかし、シアの四翼全体を自分の望む位置へ置くことはできない。
相手は相手で、外界の流れを取り込み、進む方向を選び直している。
ネアは正面から抑え込むための黒い線を減らした。
残した線は、自分の周囲と移動する先を整えるために使う。
相手の動きを完全に止めるより、自分の身体が外れる方が早い。
その判断へ切り替えると、無理に押し返していた力が別の用途へ回せた。
シアの拳が迫る。
ネアは横へ、続いて上へ動いた。
その途中でシアが進路を変えても、黒い四翼はわずかな隙間を作って身体を通す。
攻撃へ正面から触れず、流れをずらした分だけ移動する。
それでも、シアは離れなかった。
ネアの制御は正しく働いているのに、赤い四翼がすぐ追いつく。
動かしても戻る。外しても次が来る。
自分ではないものが、いつまでも消えずにいる。
「思いどおりに、なりませんね」
ネアは目を細めた。
周囲に岩壁がある限り、自分が移れる方向も限られる。
谷へ近づけば、シアの外れた火で岩が崩れる。煙まで上がり、相手を見失う。
岩を利用する理由はなく、そこへ留まる必要もなかった。
ネアは谷の上へ顔を向けた。
上なら、まだ空いている。
黒い四翼が広がり、身体は迷いなく上昇した。
上空へ
ネアが上がる。
シアはその背中へ向かって加速した。
黒い四翼は真上へまっすぐ進まず、赤い攻撃が伸びるたび少しずつ方向を変える。
シアも四翼の片側へ火を集め、遅れずに追った。
最初に戦っていた谷は、もう眼下にあった。
崩れた岩壁も、舞い上がった土煙も、上から見れば狭い範囲に収まっている。
下へ戻る理由はなかった。
ネアが上へ動いたのは、地形が邪魔だったからだ。
シアが上へ来たのは、ネアを消すためだった。
ネアは一度だけ身体を横へ滑らせた。
シアの拳がその脇を通り、背後へ赤い火の尾を引く。
黒い線が拳にまとわりついた炎の一部を散らし、シアの速度が少し落ちた。
シアは落ちた速度を四翼からの放出で取り戻す。
だが、二人とも以前の位置には戻らない。
追うたび、かわすたび、戦う場所は少しずつ高くなった。
左右にあった山の稜線が下へ沈み、谷を挟む岩壁も二人の移動を妨げなくなっていく。
地上にいる人間のことを考えて上がったわけではない。
崩した岩を戻すためでもない。
目の前の相手へ力を届かせるには、今の場所が邪魔だった。
その判断だけで、戦場は地面から離れていく。
シアは上にいる黒い翼を見た。
ネアは下から迫る赤い姿へ目を向けた。
互いの間にあるつながりは、距離が変わっても消えない。
それでも、その相手を自分の一部として受け入れることはなかった。
赤い光が、さらに上へ伸びる。
黒い光がそれを避け、もう少し高い空間へ移る。
二人が選んだ方向は同じだった。
相手を消すまで、終わらない。
そう考えながら、二人は山々より高い空へ戦場を移していった。
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ TOPへ

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。
気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。
カクヨム版はこちら:
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