エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第50話 七つの分霊核

エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第50話 七つの分霊核 エレメンタルクロス ~精霊の剣~
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第50話 七つの分霊核
エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第50話 七つの分霊核 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

広がる火

 シアは森の上に浮かんでいた。
 焼けた枝の向こうには、重の精霊王が落とした岩が転がっている。
 樹の精霊王も重の精霊王も、もういない。
 かつてシアの逃げ道を奪った森だけが、動かなくなって残っていた。

 背中の赤い四翼は開いたままだ。
 周囲の原光が翼へ入り、身体と二個の分霊核を通って外へ戻る。
 傷を治し、二人の王を消した後だというのに、力は減っていない。
 むしろ、少し前より身体が満たされている。

 シアは北の空を見た。
 何のためにここへ来たのかは覚えている。
 分霊核を探すためだ。
 セトを助ける力が必要で、ネアと別れて山小屋を出た。
 寝台に横たわるセトの姿も、最後に交わした約束も忘れていない。

 だが、急いで帰りたいという気持ちは出てこなかった。
 セトの回路が傷ついていることは、記憶の中の事実になっている。
 今のシアを動かしている理由は別にあった。

 分霊核は、自分と同じ火の器だ。
 世界のどこかに離れたまま残っている。
 だから集める。
 それ以上の理由は必要ないように感じた。

 シアは手元の分霊核を見た。
 二個。どちらもまだここにある。
 探すべきものは、それ以外の器だった。

 シアが両腕を開く。
 二個の赤い分霊核が左右へ動いた。
 翼を巡る精霊力が薄く広がる。
 熱は生まれない。
 炎にも変わらない。
 ただ、火の精霊王の力が、森の外へ静かに伸びていった。

五つの空白

 森に触れた精霊力が返ってくる。
 折れた枝、土、岩、水のある場所。
 それぞれ違う形で、触れたことを知らせてきた。
 広がる流れは山を越え、遠い平野や建物にまで届く。

 少し前に分霊核を探した時も、方法は同じだった。
 ただし、届く範囲が違う。
 以前は、宝玉がどの町へ運ばれたかを人間に聞かなければ、探し始める場所さえ決められなかった。
 今は、四翼の循環を通じて広げた力が、はるか遠くからも返ってくる。

 その中に、返らない場所があった。

 一つ。
 二つ。
 三つ。
 四つ。
 五つ。

 シアの左右にある二個も、触れた精霊力を吸収している。
 だが、それらの位置は最初から分かっている。
 遠くに生じた五つの空白は別だった。
 周囲にある物の反応は返るのに、その一点だけが抜け落ちている。
 大きな岩の陰で反応が弱くなった場所とも違う。
 離れた周囲からは返ってくるのに、中心だけが力を吸収している。
 森の中で調べた時より、空白の輪郭がずっと明瞭だった。

 シアは五か所へ意識を向けた。
 岩の内部らしいもの。
 人が物を集めた場所。
 水に近いところ。
 そのほかにも、離れた場所へ一つずつ。
 何に入っているかまで、すべて見えるわけではない。
 それでも、どの方角に、どれほど離れているかは分かった。

「全部ある」

 驚く声ではなかった。
 五個あるなら五個取りに行けばよい。
 まず一番近い空白へ進む。
 シアはそう決めると、四翼をわずかに傾けた。
 身体が加速する。
 森の上から、赤い光が消えた。

広がる月

 ネアは凍った大地の上空で静止していた。
 眼下では、透明な結晶が氷の柱の間から突き出している。
 氷の精霊王と晶の精霊王を消した後も、二人が作り終えたものは残っていた。
 凍った岩も、砕けた結晶も、その場にある。

 黒い四翼には、周囲の原光が流れ込み続けている。
 二個の黒い分霊核も、すでに同じ循環に入っていた。
 ネアは山小屋から西へ来た理由を覚えている。
 残る月の分霊核を探すためだった。
 けれど、どこへ向かうかはまだ決めていなかった。
 シアが鍵を開けた時の、あの異様な感覚も覚えている。
 しかし、思い出せることと、今それを気にかけることは別だった。
 まず自分の器を集める。それ以外へ判断を向けなかった。

 離れている器を集める。
 その考えが浮かぶと、迷いはなくなった。
 ネアは片手を前へ出し、月の精霊力を薄く広げた。
 凍った大地を越え、結晶の群れを抜け、その先の山へ届く。
 四翼の循環が広がった力を支え、以前より遠い場所の反応まで伝えてくる。

 冷えた土にも、古い石壁にも触れた。
 ネアは一つずつ調べなかった。
 必要なのは、返ってこない場所だけだった。
 そこに、五つの空白がある。
 黒い分霊核が、放った力を吸収している。

「そこですか」

 ネアは五か所の位置を確かめた。
 火の分霊核がどこにあるのかは分からない。
 分かるのは、月の分霊核だけだ。
 それで困ることもなかった。
 黒い四翼が傾き、ネアの身体は凍結した土地から離れていった。

岩の中

 シアが最初に向かったのは、崩れた岩山だった。
 人間の通る道からは外れている。
 風雨で削れた斜面の下に、大小の岩が折り重なっていた。
 赤い分霊核は、その奥にある。
 外からは何も見えない。

 シアは岩山の前で止まった。
 四翼を通じて位置を確かめる。
 岩の表面から分霊核まで、真っすぐに進むための細い道だけが必要だった。

 右手を向ける。
 赤白い火が一本、岩へ伸びた。
 山を崩すほどの爆発は起こらない。
 触れた場所だけが高熱にさらされ、奥へ向かって穴が延びていく。
 分霊核の直前で、火は止まった。
 強く焼けば岩全体を崩すこともできる。
 だが、欲しいのは岩の破片ではなく、その奥にある器だった。
 火の強さではなく、止める位置だけを正確にそろえる。

 穴の奥に、小さな赤い玉が見える。
 表面は滑らかだった。
 誰かが削った跡はない。
 長い間そこに埋まっていたらしいが、周囲の岩と同じものではなかった。

 シアが指を曲げる。
 赤い玉が穴の中を通り、空中へ出てきた。
 内部に大きな精霊力はない。
 探索のために放ったわずかな力が吸収されているだけだ。

 四翼から細い流れが伸びる。
 赤い玉の中へ入り、外へ巡る循環へつながった。
 三個目の分霊核が、シアの左右にある二個へ加わる。

 力が三倍になったわけではない。
 使える器が一つ戻った。
 その器へ、これから力を蓄えられる。

 シアは岩山を見下ろさなかった。
 次の空白は、すでに分かっている。
 新たな一個を伴い、再び空へ進んだ。

黒い器

 ネアが向かった先には、古い荷物置き場があった。
 倒れた棚が通路を塞ぎ、木箱や空の壺が重なっている。
 雨を防ぐ屋根も一部が崩れていた。
 月の分霊核は、残された荷物の奥にある。

 人間の目なら、どの箱へ入っているか分からない。
 ネアには位置が分かっていた。
 棚の下にある小箱、その中だ。
 ほかの宝石も一緒に入っているらしい。

 ネアは荷物置き場の入口へ降りた。
 黒い四翼から細い線を伸ばす。
 倒れた棚をわずかに持ち上げ、引っかかっていた箱を横へずらした。
 物そのものを消したわけではない。
 重なった物の位置を変え、奥へ通る隙間を作っただけだった。

 小箱のふたを開く。
 いくつかの石がある。
 色も形も違い、値札らしい紙が添えられたものもあった。
 小箱を選んでここへ運んだ人間がいたのだろう。
 けれどネアには、その人間が宝玉へ何を期待していたのか分からない。
 分からなくても、器を取り出す操作に支障はなかった。
 その中の黒い一個だけが、ネアの精霊力を吸収している。

 ネアが手を引く。
 黒い玉が箱から離れ、掌の前へ浮かび上がった。
 ふたは開いたまま、残りの宝石もそのままだ。
 誰が集めたかを調べる理由はなかった。

 黒い玉が四翼の循環へ入る。
 空だった器へ細い光が入り、三個目の分霊核となった。

 ネアは、崩れた棚を元へ戻さなかった。
 何かを奪ったという考えも浮かばない。
 自分と同じ月の器を、元の場所へ戻した。
 今のネアには、それだけが確かなことだった。

人の手を経た核

 シアの二つ目の反応は、使われなくなった建物の中にあった。
 壁には古い看板が残っている。
 窓の下に細長い台があり、その上には宝石を並べた跡があった。
 床に落ちている石はどれも、火の分霊核ではない。

 反応は奥の箱から返ってこなかった。
 周囲の物へ触れた力だけが戻り、その一点で消える。
 箱を開けると、赤い玉が布に包まれていた。
 布の隣には、細い道具と傷のついた石片が置かれている。

 人間はこの玉を、ほかの宝石と同じように扱おうとしたのだろう。
 削れず、加工できず、それでも捨てずに保管した。
 道具の刃先には細かな傷がある。
 玉を削ろうとした時にできたものかもしれない。
 空の器に値段を付け、飾るための工夫を重ねた人間がいた。
 シアには、そういう事情も理解できた。
 自分も以前なら、こうした店を回って持ち主へ尋ねたはずだった。

 今は誰もいない。
 もし持ち主が戻ってきたとしても、何を説明するつもりもなかった。
 玉だけを取り、布を残す。

 赤い分霊核が四翼へ接続される。
 これで四個になった。
 新しい器の中は空に近い。
 古い記憶や誰かの意思が眠っているわけではない。
 そこにあるのは、精霊力を蓄えるための場所だけだった。

 シアは建物を出た。
 戸口のそばに、宝石を見た人間が値段を書いたらしい板が落ちていた。
 以前のシアなら、その数字の意味をネアへ尋ねたかもしれない。
 今は拾わない。
 次の空白へ向けて飛び立つ時、建物はすでに視界の端へ流れていた。

空を直進する

 分霊核の位置は、最初の探索で把握していた。
 あとは、そこへ移動すればいい。
 シアは街道へ降りず、山の上を進んだ。
 谷が深くても迂回しない。
 斜面が急でも、足場を探さない。

 かつては炎を噴いて跳ぶたび、次にどこへ着地するか決めなければならなかった。
 今の四翼は、飛びながら止まり、止まったまま向きを変えられる。
 障害物があれば、その上へ位置を移すだけだった。

 シアの下に、かつて人が通ったらしい細い道が見えた。
 岩を避け、川を渡れるところまで回り込む道だ。
 その長い曲線は、上空から見ると遠回りにしか見えない。
 以前なら、その道が必要だった理由も考えたはずだった。

 ネアも西の空を進んでいた。
 最初の黒い分霊核を取り戻してから、進む方向を次々に変えている。
 残る反応の位置に合わせ、山を越え、川を横切る。
 黒い三個の核は四翼の循環から外れず、ネアの動きへ遅れずに付いてきた。

 地上では、風に流された雲が谷へ溜まっている。
 ネアはそこを抜けた。
 湿った風が袖を揺らしても、飛ぶ方向は変わらない。
 周囲から取り込む原光が続く限り、休む必要を感じなかった。

 どこかへ帰るために飛んでいるわけではない。
 二人とも、目の前にある空白を埋めるために移動していた。
 その途中へ何が現れるのかは、まだ分からない。
 上空を進めることは、途中にいるものへ出会わないという意味ではない。
 山の向こうから別の精霊力が広がることも、二人の速さを止めるとは限らなかった。

大地の王

 シアが山脈の上へ差しかかった時、大地が動いた。
 谷の底が持ち上がる。
 斜面が折れ、岩盤が何枚もの壁となって空へ突き出した。
 シアの進路を塞ぐために、山そのものが形を変えている。

 正面に人の形が現れた。
 土の精霊王だった。
 周囲の大地へ送り込む力が荒い。
 必要な場所だけを動かすのではなく、届く範囲を次々に隆起させている。

「大地を動かす」

 土の精霊王が両腕を広げる。
 シアの前で、岩壁がさらに高くなった。

「山を作る。陸を沈める。動かさなければ生命は増えない」

 以前と同じ役割の言葉だった。
 だが、目の前を高速で進むシアへ説明しようとはしない。
 自分の役割を実行し、妨げるものを押し潰そうとしている。

 シアは土の精霊王が光の影響を受けている可能性を理解した。
 それでも、足を止めなかった。

 別の王が、前にいる。
 自分の進む場所を塞いでいる。
 ならば消す。

 シアが右手を前へ伸ばした。
 地形がどれだけ持ち上がっても、その中心にいる王の位置は動かない。
 岩壁をすべて砕き、山全体を燃やす必要はなかった。
 進路とその奥にいる相手を一本につなぐ。
 四翼から流れた火が、赤白い一本の線となる。
 最初の岩壁の中央が抜けた。
 二枚目も、三枚目も同じ場所を貫かれる。

 土の精霊王が地面へ手を向けた。

「まだ、大地を――」

 言葉は最後まで続かなかった。
 赤い火が岩壁の奥から現れ、土の精霊王の身体を正面から貫く。
 人の形が崩れ、大地へ広げていた精霊力も戻る場所を失った。

 土の精霊王は、一撃で消滅した。
 シアは、岩壁の中央に開いた穴をそのまま通過した。

残された大地

 シアの赤い光が遠ざかっても、山は元へ戻らなかった。
 土の精霊王が持ち上げた岩盤は、その高さのまま残っている。
 谷の一部は埋まり、斜面の途中には新しい崖ができていた。

 精霊王が消えれば、その者が使っていた力の流れは止まる。
 だが、すでに動いた岩や土まで消えるわけではない。
 氷の精霊王が残した氷と同じだった。
 晶の精霊王が作り終えた結晶とも同じだった。

 山肌に刻まれた細い道が、途中で途切れていた。
 押し出された土砂が川沿いへ流れ込み、水の向きも少し変わっている。
 王を消す一撃は短かったが、王がそれまでに動かしたものの変化は残った。
 道の続きを探そうとすれば、持ち上がった岩盤を大きく回り込まなければならない。
 山を越える人間にとって、その変化は簡単には済まないはずだった。

 シアは振り返らない。
 壊れた道を見下ろしもしない。
 前方には、次の火の分霊核がある。
 そこへ到着することだけが、今の行動を決めていた。

 土の精霊王が何を守ろうとしていたのか。
 山の向こうに村があるのか。
 持ち上がった崖で困る者がいるのか。
 シアには確かめるための時間も、確かめるべき理由も必要に思えなかった。

 力を使えば、結果が残る。
 その結果を誰かが引き受けることもある。
 以前ならセトが立ち止まり、ネアが周囲の流れを確かめ、シアは面倒だと言いながら手伝ったかもしれない。

 今は一人だ。
 そして、何も考えずに先へ進めてしまう。
 その違いに気づく者は、ここにはいなかった。

残る器

 次の赤い分霊核は、川底の石の間にあった。
 シアは水面へ片手を向け、流れを押し分けるように細い火の道を作った。
 核へ熱を当てない場所で止める。
 小さな赤い玉が、川の底から空へ上がった。
 五個目だった。

 さらに離れた場所では、崩れた塔の壁の中から六個目を取り出した。
 四翼へつないだ瞬間、残る空白は一つになった。
 最後の反応だけは、まだ先にある。

 ネアも別の方向で器を増やしていた。
 石組みの隙間へ落ちていた黒い玉を取り出し、四個目とする。
 次の一個は水辺の土砂に埋もれていた。
 周囲の流れを分け、器を傷つけないように引き寄せる。
 五個目が黒い循環へ入った。

 六個目は、崩れかけた橋の石の間に挟まっていた。
 ネアは橋を壊さず、支えになっていない小石だけを動かした。
 黒い玉を外へ引き出すと、元の石を戻すことなく先へ進んだ。
 壊す必要がなければ壊さない。
 それは親切だからではなく、余計な力を使う理由がないからだった。

 二人とも六個になった。
 だが、新しく手に入れた核の中はまだ空に近い。
 四翼が取り込む原光は、身体と核を巡りながら少しずつ蓄えられていく。
 数をそろえることと、蓄えを満たすことは別だった。

 シアは最後の反応へ向かう。
 その方角には、人間の町があった。
 残る一個の位置は町の向こうだ。
 城壁や街道を探す目的で来たわけではないが、最短の線はその上を通っていた。

町

 山を越えると、平野の先に外壁が見えた。
 門の手前には街道が伸び、荷車が列を作っている。
 壁の内側には家々の屋根が並び、中央の広場から人の声が上がっていた。
 洗った布を干した家がある。
 門のそばでは水桶を持つ者が立ち止まり、荷車の列が動くのを待っていた。
 朝から続いている暮らしの途中なのだろう。
 シアが知る、普通の人間の町だった。

 最後の分霊核は、この町の向こうにある。
 町へ寄る必要はない。
 少し横へずれれば、建物の上を通らずに進むこともできる。

 だが、避ける理由が見つからなかった。
 シアは最短の線を保ったまま、町へ近づいた。
 屋根の形が見えるほど低いところまで来て、初めて速度を落とす。

 家がある。
 人間がいる。
 子供も、大人も、荷車を引く者もいる。
 どれもシアではない。

 精霊王とは違う。
 原初の知識は、そこに集まる力が自分のものではないことを伝えてくる。
 人間が精霊王ほど強くないことも分かる。

 だからといって、残すべきだとは感じなかった。
 別の王を消した時と、同じ答えが浮かんだ。

 自分ではないものがある。
 消せばよい。

 シアは町の手前で止まった。
 止まった理由は、攻撃をためらったからではない。
 眼下に集まるものを、まとめて消す位置を選ぶためだった。

 赤い四翼が静かに広がる。
 六個の分霊核が、シアを囲むように位置を変えた。
 七個目を集めるより先に、今あるものを消してしまう。
 そんな判断が、何のためらいもなく成立していた。

見上げる人々

 門の脇にいた見張りが、空を指さした。
 赤い四翼と、その周囲を漂う六個の玉が見えたのだろう。
 見張りが何か叫ぶ。
 近くにいた者たちが一斉に空を見上げた。

 荷車の列が止まる。
 馬を引く男が手綱を引き、人を門の内側へ押し込もうとする。
 門を閉じようとする兵士もいたが、まだ街道には人が残っていた。
 簡単には閉められない。

 広場では店先の布が風に揺れた。
 売り物を抱えて建物へ入る者がいる。
 何が起きているのか分からず、空を見たまま立ち尽くす者もいた。
 町にいる者すべてが、同じ速さで逃げられるわけではない。

 シアには彼らの声が届いていた。
 しかし、その言葉を聞き分けようとはしなかった。
 恐れているのか、怒っているのかを知る必要もない。

 赤い光がシアの掌へ集まる。
 六個の分霊核にも、同じ流れが生まれた。
 一本ずつ狙いを付けなくても、町全体を覆うことはできる。
 そのための力は十分にある。

 壁が崩れる。
 家が燃える。
 そこにいる人間も消える。

 何が起こるかは、はっきり分かっていた。
 それでも、消してはいけない理由は出てこなかった。
 シアが掌を町へ向ける。

 その時、外壁の外れにある小さな空き地で、別の動きが目に入った。
 人の流れから外れた場所に、一人だけ残っている。
 手に、細長い木の棒を持っていた。

木の剣

 子供だった。
 木の棒を両手で握り、剣のように構えている。
 人々が門へ急ぐ中、その子供は空き地で一人、前を見ていた。
 シアが上空にいることには、まだ気づいていない。

 足を開く。
 棒を持ち上げる。
 前へ振り下ろす。

 動きは遅かった。
 腕だけが先に出て、足がついてこない。
 振り終えた子供は前へ倒れかけ、棒を地面へ突いて踏みとどまった。

 シアの掌に集まった火が、わずかに揺れた。

 子供は周囲を見回した。
 近くに誰もいないことを確かめるように、もう一度構える。
 今度は足の位置を少し変えた。
 腕を上げる前に、身体を前へ向ける。
 再び棒を振った。

 さっきより、転びそうにならなかった。

 シアはその動きを見ていた。
 転ばなかったことが嬉しいのか、子供は少し顔を上げた。
 すぐにまた足元を見て、握り直す。
 誰かに命じられて動いているのではない。
 まだできないことを、自分でできるようになろうとしていた。
 木の棒は、もちろんセトの剣ではない。
 子供もセトではない。
 セトが幼い頃にどう剣を振っていたか、シアは知らない。

 それでも、剣を振る人間という姿が、記憶の奥へ触れた。
 セトが白刃を握る手。
 構えを作る足。
 何かを確かめるように剣を動かす横顔。

 記憶はある。
 だが、つい先ほどまで、その記憶は遠いものになっていた。

 子供がまた棒を上げる。
 できなかった動きを、少しずつ直している。
 それを消すのか。

 火はまだ、シアの掌に集まっている。
 撃てば、子供も町も消える。
 そう分かっているのに、今度は手が動かなかった。

後回し

 自分ではないものは、消せばいい。
 原初の欲求は変わらなかった。
 木の棒を持つ子供も、その例外ではないはずだった。

 なのに、消すべきではないとも感じる。
 理由は分からない。
 子供だからか。
 剣を振っているからか。
 セトの記憶と重なったからか。
 どれも、確かな答えにならなかった。

 シアは町を見下ろした。
 外壁の内側には、まだ大勢の人間がいる。
 彼らを守らなければならないという感覚は戻ってこない。
 先ほどまでなら、今ここで町を焼けば人間の暮らしが失われることも判断の材料になった。
 今はその結果を理解しても、止める理由にはならなかった。
 町へ攻撃する力も、思いどおりに集まっている。

 できないわけではない。
 強さが足りないわけでもない。
 ただ、消すという判断を確定できなくなっていた。

「よく……分からない」

 空き地の子供は、もう一度木の棒を振った。
 今度は踏みとどまるために地面へ突く必要がなかった。
 子供は棒を構え直す。
 シアへ何かを伝えようとしているわけではない。
 ただ練習を続けていた。

 シアが手を下ろす。
 掌に集まっていた火が、四翼の流れへ戻っていく。
 六個の分霊核に灯っていた光も薄れた。

 消すべきだ。
 消すべきではない。
 両方の考えが残ったままでは、火を放つという最後の一つを選べない。
 ただのためらいなら、原初の欲求が押し切ったかもしれない。
 だが、シアの中には消してはならないという判断も確かにあった。
 どちらかを決められないなら、今決める必要はない。
 分霊核を集めた後でも、確かめられる。

「後回し」

 シアは町から顔を背けた。
 赤い四翼が傾く。
 外壁を大きく迂回せず、町の上をそのまま通り過ぎる。
 見上げていた人間たちを助けたという感覚はなかった。
 ただ、消さないまま先へ進んだ。

七つ

 町の向こうに、最後の分霊核があった。
 低い丘の裏側、石が崩れた場所に埋まっている。
 シアは真上で止まり、反応の消える一点へ手を向けた。
 周囲の石を焼き抜き、赤い玉が通れる隙間を作る。
 穴から浮き上がった器は、ほとんど空だった。

 シアが指を曲げる。
 最後の赤い玉が、ゆっくりと手元へ来た。
 町を通った時とは違い、この一個を取り出すかどうかで迷うことはなかった。
 どこにあるかも、どう取り出すかも分かっている。
 その確かな操作と、さっき町で止まった手が同じ自分のものだった。
 六個の分霊核が、その周囲で位置を変える。
 新しい一個が赤い四翼の循環へ入った。

 七個。

 最初から持っていた二個。
 岩山から取り出した一個。
 人の手を経た一個。
 川底と塔にあった二個。
 そして、今取り戻した一個。

 それぞれが、シアの精霊力を蓄えるための器になっている。
 扱える七個の器が、すべてそろった。
 シア自身を加えれば、力を使える場所は八つだ。

 シアが右手を動かす。
 七個の核が同じ方向へそろった。
 別々に動かすなら、今でもそれぞれの位置と役割を選ぶ必要がある。
 だが、一つの流れに乗せるだけなら違った。
 四翼は、同じ動きを七個へ同時に伝える。

 シアは赤い玉を見た。
 そろったから嬉しいとは感じない。
 セトを助けるための準備が整ったとも思わない。
 離れた器が戻った。
 七個が一つになった。
 その事実だけが、はっきりしていた。

黒の七つ

 ネアも最後の一個がある場所へ着いていた。
 岩陰の下にできた浅い洞窟だった。
 長い時間をかけて落ちた土砂が入口を塞ぎ、その奥へ黒い分霊核が埋まっている。
 四翼の感覚には、位置が最初から分かっていた。

 ネアは手をかざす。
 黒い線が岩の隙間へ伸びた。
 入口の土砂を少しずつ動かし、奥から物が通るだけの隙間を作る。
 大きな岩をすべて動かす必要はない。
 支え合う石をまとめて崩せば、分霊核まで埋まるものが増えるだけだった。

 黒い玉が姿を現す。
 ネアは細い流れで引き寄せた。
 器は傷ついていない。
 倒れた土砂の向こうには、まだ誰も触れていない古い空間が残っていた。
 ネアは奥へ入ろうとはしない。
 必要な一点を取り出せたなら、周囲を調べ直す理由はなかった。
 原光を受け取るだけで、自分から何かを放つこともない。

 最後の分霊核が、黒い四翼の循環へ入る。
 これで七個だった。

 ネアは手を止めた。
 七つの黒い玉も、空中で同時に止まる。
 次に同じ方向へ動かすと、すべてがそろって移動した。
 これだけの数を個別に細かく操作するには、それぞれの流れを分けて考えなければならない。
 だが、一つの動作を全体へ伝えるだけなら難しくない。

「七つ、そろいましたね」

 言葉に喜びはなかった。
 かつてなら、セトへ知らせようと考えたかもしれない。
 シアと合流する方法も考えたかもしれない。
 今は七個を集めた理由さえ、遠く感じる。

 ネアの周囲で黒い四翼が開いたまま、周囲の原光を取り込み続けていた。

満ちる器

 回収した分霊核は、初めから大きな力を持っていたわけではなかった。
 人間には小さな宝玉に見える、ほとんど空の器だった。
 火の核も、月の核も同じだった。

 それでも、七個そろえば蓄えられる場所は増える。
 最初から持っていた二個は、戦闘と身体の修復に使われていた。
 新しく得た五個は、回収の時に薄い精霊力を受け取っただけだ。
 数がそろった瞬間、すべてが満たされるわけではない。
 七個という数は、完成した蓄えではなく、蓄えを置ける場所がそろったという意味だった。
 以前の二核で続けた戦いと、これから七核でできることは同じではない。

 シアの赤い四翼は原光を取り込み、七個の器へ流し続ける。
 小さな空白だった核の内部に、少しずつ赤い光が増える。
 その流れを一度も止めずに、シアは空中で静止していた。

 遠くでは、ネアの黒い分霊核も同じように満たされ始めている。
 ネア自身が毎回一個を選んで補充しているわけではない。
 四翼の循環が、それぞれの空いた場所へ原光を送り込んでいた。

 だが、七個を個別に別の場所へ動かせるようになったわけではない。
 複雑な役割を同時に任せるには、今も意識を分ける必要がある。
 それに対して、同じ術を同じ瞬間に流すなら、七個を一つの循環として使える。

 シア自身と七個の赤い器。
 ネア自身と七個の黒い器。
 それぞれ八つの出口がそろった。

 まだ、そこから全力を放つ理由はなかった。
 二人は力を試すことなく、満ちていく核を伴ったまま次の変化を感じ取った。

強いもの

 七個目が赤い四翼へつながった後、シアの知覚に別のものが触れた。
 五つの空白を探した時とは違う。
 分霊核のように、送った力を吸収している点ではない。
 遠くに、強い力を持った何かがいる。

 その存在はシアではない。
 ほかの精霊王と同じように、自分と異なる流れを持っている。
 だが、完全に無関係なものとして切り捨てることもできなかった。
 どこかで、その力へ触れたことがあるように感じる。

 何者なのか。
 なぜつながりを感じるのか。
 答えは出なかった。
 セトやネアの名前は記憶の中にある。
 けれど、遠くの存在とその名前を結びつける感覚が戻ってこない。

「……何だ?」

 シアは、つながりを感じる方角へ顔を向けた。
 見れば分かるかもしれない。
 確かめないまま残しておく理由はない。

 同じ頃、ネアも遠くの力へ意識を向けていた。
 黒い四翼の外側に、自分とは違う強大な流れがある。
 そこへ直接触れているわけではない。
 それでも、途切れそうで途切れない細いつながりがあると分かる。
 分霊核を探した時の空白なら、位置を確かめて取り出せば終わる。
 今感じているのは器ではない。
 向こうにも、こちらと同じように動いている何かがいる。

 今まで何度もセトを介して触れた力の痕跡。
 その意味まで思い出せるわけではなかった。
 知っているはずのものと、今感じているものが一致しない。

「確かめましょう」

 ネアは方角だけを定めた。
 相手が誰か、まだ分からない。
 それでも、見に行く理由は十分だった。

最短距離

 シアは飛び出した。
 赤い四翼が外界の原光を取り込み、身体を加速させる。
 七個の分霊核も遅れずに付いてくる。
 山も、谷も、そこを通る道も関係ない。
 感じた力へ向かい、ただ真っすぐ進む。

 ネアも黒い四翼を傾けた。
 七個の黒い玉が一つの循環に収まり、空へ上がる。
 凍った土地はすでに遠く、足元の景色は次々に入れ替わっていく。
 雲があれば抜け、山があれば越える。
 相手へ向かう線を変える理由がなかった。

 二人の間にあった距離が縮まっていく。
 シアは相手の存在を、さっきよりはっきり感じた。
 ネアも同じだった。
 強大な力。
 自分とは違うもの。
 それなのに、どこかでつながっているもの。

 シアはまだ、それをネアだとは認識していない。
 ネアも、相手をシアとして思い浮かべていない。
 二人が互いに戻ると約束したことは、記憶の中にある。
 だが、その約束が今の行動を決めているわけではなかった。

 確かめる。
 見れば、分かる。

 赤い光が高い空を横切る。
 離れた場所では、黒い光が別の方向から走っていた。
 二つの軌跡は、少しずつ同じ地点へ近づいていく。

 その先に何がいるのかを、まだ知らない。
 どんな言葉を交わすのかも、決めていない。
 もう一度名前を呼び合える相手がそこにいるとは、考えていなかった。
 四翼が知っているのは、強い存在が近づいているということだけだった。
 ただ、自分とつながる強いものを直接見るために。
 二人は最短距離を進み続けていた。


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エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…

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