エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第65話 一年の戦い

エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第65話 一年の戦い エレメンタルクロス ~精霊の剣~
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第65話 一年の戦い
エレメンタルクロス ~精霊の剣~
創作実験TOP作品紹介―― この剣はやがて、世界の向こう側にまで届く。 ―― 人が扱える精霊に、意志はない。火や光の力として術者に従う、粒子のような存在――それが、この世界の常識だった。白と黒。二種類の精霊を剣の形に固定する少年セトは、忌避…
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ 第65話 一年の戦い 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

終わらない翌日

 戦いは、終わらなかった。
 シアとネアが終焉の炎を星の外へ運び出した翌朝、地上にはいつもと同じ陽が昇った。
 山を崩す巨腕も、空を覆う赤い四翼も、もう頭上にはない。
 それでも、昨日までの戦場が安全になったわけではなかった。

 セトは天文設備の観測筒をのぞき、星々の間にかすかに揺れる光を探していた。
 フィオラは脇に立ち、観測担当者が読み上げる位置を紙へ記している。

「見つかりましたか?」
「三つ、ある。赤が二つと黒が一つだ」
「シアさんとネアさん、それから終焉の炎ですね」
「色だけじゃ断定できないが、消えていないのは分かる」

 赤い光が急に広がり、黒い光がその近くへ重なった。
 少し遅れて、別の赤い光が強く伸びる。
 それは巨体の胸から放たれた収束砲なのか、再生の途中で大きくなった光なのか。
 ここからでは分からない。

 ただ、二人がまだ戦っているらしいことだけが伝わってくる。
 セトは目を離さず、明滅した時刻を口にした。
 フィオラが記録し、担当者が星図の上へ小さな印を付ける。

「今度は黒が動いた」
「追っているのか、避けているのかは見えませんね」
「ああ。行けない以上、見えたものを残すしかない」

 観測を終えても、セトは報告用紙を捨てなかった。
 翌日、同じ場所へ新しい紙を並べた。
 その次の日も、三つの光を追った。
 宇宙での長い戦いと、地上での長い一年は、こうして同時に始まった。

地上から見える戦い

 観測は一日ごとに積み重なった。
 天文設備で光の位置、現れた時刻、明るさ、伸びた方向を記録する。
 同じ日に何度も見えた光は、別々の記録として残す。
 すべての光が一度に見えるわけではない。
 見失った時間も、そのまま記録へ書き込んだ。

 最初の数日は、三つがどちらへ動いているのかさえ確信できなかった。
 十日を過ぎる頃、戦場の位置が少しずつ変わっていることが分かった。
 遠ざかるだけではない。
 強い明滅の後で、進む方向が変わっているように見える。

「攻撃の反動か?」
「可能性はあります。でも、どの光が押したのかまでは分かりません」
「なら、位置の変化だけ書いておこう」

 フィオラは夜ごとの星図を並べた。
 光の位置を結ぶと、不規則に折れ曲がる線ができる。
 線の向こう側には、天文設備から見えなくなる時間帯もある。
 観測担当者は、無理に点と点をつなげないよう注意した。

 ひと月ほど経つと、繰り返す変化だけは確かめられるようになった。
 終焉の炎と思われる赤い光が弱くなる。
 赤と黒の二つが近づく。
 その後、弱まっていた赤がまた大きく見える。

「今夜こそ、ほとんど消えたように見えます」
「前にもそう見えた。次の記録を待とう」

 翌日、その赤い光は戻っていた。
 セトは新しい記録を加えた。
 用紙の上部には、役所が付けた長い名前がある。
 甚大災害級個体天文報告書。

 シアとネアまで災害と同じ分類に入れられるのは気に入らなかった。
 それでも、地上から星ほど遠い場所の攻撃を確認できる以上、人間の国が危険を記録する必要も理解していた。

見えないもの

 記録が増えるほど、セトは別のことに気づいた。
 見えた光と、そこで起きた出来事は、必ずしも同じではない。
 赤い光が二つ重なれば、片方が消えたように見える。
 強い光に隠れて、黒い光を見失うこともある。

 光が小さくなったとしても、肉体がどれほど削られたのかは分からない。
 天文設備は、宇宙の戦場を近くへ連れてきてくれるわけではなかった。

「この日は赤が一つしかありません」

 フィオラが古い報告書を開いた。
 余白には、観測担当者による『消滅の可能性』という記載があった。

「次に確認できるまで、ずいぶん間が空いてるな」
「ですが、あとで二つの赤が見えています」
「なら、少なくとも消滅したと決める根拠はない」

 セトは余白に『一時的に観測不能』と書き足した。
 担当者の記録を消したわけではない。
 その時点でどう見えたかと、後の情報から何が言えるかは分けておきたかった。

 シアが星雨を撃ったのか、ネアが絶穿で穴を開けたのか。
 遠い宇宙での攻防を直接見ていないセトに、そこまで分かるはずがない。
 光の色は分かっても、砲撃の仕組みや、巨体の内側までは見通せない。

「これじゃ、壊し方は分からないな」
「でも、どんな結果が続いているかは分かります」
「ああ。消えていない、という結果だ」

 フィオラは確実な数字だけを写し直した。
 セトは観測できなかった時間を別の色で囲む。
 分からない部分を埋めずに残すことも、長く追い続けるためには必要だった。

 翌朝、二人はまた観測筒の前へ戻った。

五つの国の空

 同じ三つの光を見上げているのは、エルディナ王国だけではなかった。
 東のローディア王国、西のヴァレスト王国、北のグレニア王国、南のサルネア王国。
 五つの国は、それぞれの天文設備を宇宙の戦場へ向けていた。

 国によって設備の精度は違う。
 同じ時刻でも、雲や太陽の位置によって見える光が異なる。
 ある国では二つしか確認できなかった夜に、別の国では三つとも記録できたこともあった。
 持ち寄った数字を並べれば、一か所の観測では見落とした変化が浮かび上がる。

「西の記録だと、この光が少し右に見えるんですね」
「見てる場所が違えば、位置も違う」
「では、二つの記録を同じ線へ直してみます」

 フィオラは星図の向きを合わせ、別々の紙に付けられた印を一枚へ写した。
 時刻がずれている記録を同じ瞬間の出来事として扱わないよう、線の引き方にも気を配る。
 セトは、戦場そのものが一方向へ進み続けていないことを確かめた。
 激しい光の後で折れ、また別の方角へ曲がる。
 星から遠ざかってはいても、戻ってこない保証にはならない。

「各国とも、同じものを追っているんだな」
「でも、危険だと感じる理由は少しずつ違うかもしれません」
「戦場が近づく方角が違うからか」
「はい。国境に関係なく、あの光は届きます」

 五か国が同じ国になったわけではない。
 すべての判断を一つにまとめたわけでもない。
 ただ、観測した結果を重ねなければ、自分の国へ近づく危険さえ判断しにくかった。

 星図に残る三つの点は、どの国の上空にも属していない。
 だからこそ、それぞれの国が追い続けることになった。

射線の先

 ある日の報告では、終焉の炎と思われる赤い光が細く、長く伸びていた。
 一度光が現れると、途切れず同じ方向へ続き、その途中で伸びる方向が変わっている。
 セトは巨体がどのような攻撃を使っているかまでは知らない。
 それでも、短い一撃で終わらない光があることは、記録から読み取れた。

 フィオラは別の国から届いた星図を重ね、その光が伸びた方向を確かめる。

「この向き、星からは外れています」
「今はな」
「次も外れるとは限りませんね」
「ああ。あいつが向きを変えれば、光の先も変わる」

 巨体の腕が山を削った時、避けた先に何があるかを敵が気にする様子はなかった。
 宇宙でも同じだと考えれば、地上は安全になったのではない。
 射線から外れている間だけ、攻撃を受けずに済んでいる。

 セトは、星図に描かれた細い線を指で延ばした。
 紙の上では一本の印でしかない。
 実際には、国一つが狙われたとしても防ぎようのない規模かもしれなかった。

「三体とも、あの規模の光を出せる」
「シアさんとネアさんは地上を狙いません」
「分かってる。でも、戦場の向きまで思いどおりにできるとは限らない」

 フィオラは黙って星図へ新しい印を付けた。
 国が恐れているのは、今ここを撃つという宣言ではない。
 誰も地上を狙わなくても、戦いが続く限り危険な方向へ光が向く可能性があることだった。

 ある国では戦場が星から離れたことを喜び、別の国では次の進路を恐れる。
 同じ報告書を読んでも、安堵と警戒が同時に生まれる。
 セトはその両方を理解した。
 そして、三つの光がまだ消えていないことを、再び記録した。

成功を持ち出した者たち

 終焉の炎が起動した時、製造に関わった研究者たちは二つに分かれた。
 設計図の内容を実際には起動できないものと考えていた研究者たちは、動き出した巨体を見て恐れた。
 彼らは現場に残り、自分たちが何を組み上げたのかを理解しようとした。

 一方、古代設計図の記述を再現し、条件を満たして起動したことを成果だと捉えた者たちもいた。
 そちらの研究者は設計資料、実験記録、起動までの研究成果を持ち出し、東のローディア王国へ逃れた。
 ローディア王国は彼らを受け入れた。

 四翼の精霊王や八翼に対抗する技術が手に入るなら、それを求める理由はある。
 同じものを製造できなくても、発掘された知識の一部が国家の力になるかもしれない。
 研究者たちも、自分たちが持ってきた成果にはそれだけの価値があると主張した。

 巨大な生体兵器を動かしたという事実だけは、嘘ではない。
 受け入れた側も、その先の制御方法まで確かめる前に、使い道を考えていた。

「兵器として使えると考えていたんですね」

 フィオラが届いた報告書を読んだ。

「使えるなら、ほかの国は簡単に攻められない」
「でも、あれは今も宇宙で戦っています」
「そこが問題だ。動くものを作れたのと、使えるものを作れたのは別だからな」

 セトは設計資料の一覧へ目を落とした。
 自分たちが現場で聞いた話にも、終焉の理や神の目という名称はあった。
 だが、名前が分かることと、働きを理解していることは違う。

 起動に成功した研究者たちが、停止まで可能だと証明した記録はなかった。
 その空白が、やがて受け入れた国自身の判断を変えることになる。

兵器ではないもの

 一か月が過ぎた。
 二か月が過ぎても、宇宙の三つの光は消えなかった。
 ローディア王国では、亡命研究者たちへ終焉の炎の停止方法を問い続けていた。

 研究者たちは起動条件と使用した設備を説明できる。
 しかし、すでに起動した巨体へ命令を届ける手段は示せなかった。
 進行方向を変える方法も、砲撃を止める方法もない。
 設計の一部を再現しても、宇宙にいる終焉の炎は変わらず動き続けている。

 国が期待していた抑止力は、誰にも命令できないまま空を進んでいた。
 各国の観測記録は、強力な砲撃が繰り返し放たれていることを示していた。
 二人の四翼精霊王が長期間攻撃を続けても、終焉の炎を消せていない。
 その光が地上へ向けば、どこが被害を受けるか分からない。

 受け入れた国だからといって、終焉の炎が攻撃を避けてくれるわけでもなかった。
 兵器は、使う側が向きを決められてこそ兵器になる。
 向けられず、止められず、遠ざけることもできないものでは、ほかの国への牽制にも使えない。

 ローディア王国は研究資料と機材を押収した。
 研究者たちは外部との接触を禁じられ、一人ずつ拘束される。
 やがて、亡命していた研究者たち全員が投獄された。

 届いた知らせをフィオラが机へ置いた。

「受け入れた時には、使えると思っていたのでしょうか」
「使えるかもしれないと思った」
「今は?」
「自分たちにも止められないと分かった」

 セトは星図に目を戻した。
 紙の上では、終焉の炎は小さな赤い印にすぎない。
 その印を自分の意思で動かせないと分かった時、一国の判断は変わった。
 空の戦いは遠くても、地上の出来事を確実に動かしていた。

十四の流れ

 セトが観測を終えた後に向かうのは、施設の訓練室だった。
 空いている床の中央へ立ち、水の精霊術を使う。
 手のひらほどの水球が、ひとつ、またひとつと浮かび上がった。
 右側へ七つ、左側へ七つ。
 シアとネアの分霊核を合わせた数と同じ、十四個だ。

 水球には分霊核の力も意思もない。
 それでも、違う場所へ違う量の流れを送る練習にはなる。
 セトは水の流れを二つに分け、十四個の位置をそれぞれ動かした。

 右の七つは縦に、左側の七つは大きな弧へ。
 次に、右の一つだけを速く動かし、左の三つへ送る量を増やす。

「始めますね」
「ああ。いつでもいい」

 フィオラが横から風を通した。
 十四個の水球が一斉に軌道を外れる。
 セトは右端を止め、左の二つを上へ戻す。
 その間に、後ろへ回った三つがさらに離れた。

 ひとつを戻せば別のひとつが遅れる。
 セトは回路の中の流れを細く分け直し、進行方向を一つずつ修正した。
 十三個が元の位置へ戻る。
 最後のひとつだけが、床へ落ちて水を跳ねさせた。

「一つ落ちました」
「分かってる。さっきより長く持ったんだがな」
「最初の風には全部反応できていました」
「その次が遅れた。十四の動きを見ながら、流れまで調整してるからな」

 セトは水を集め直し、もう一度十四の球へ分けた。
 光の精霊王との戦いでも、終焉の炎との再戦でも、セトは二本の四翼精霊剣から流れ込む異なる力を受け止め、制御していた。
 さらに十四の分霊核を扱いながら、八翼そのものも維持しなければならない。

 その制御が遅れれば、二人の攻撃にも影響する。
 あの限界を少しでも遠ざけるため、今は水球を落とさない訓練を続けていた。

代用品の限界

 何度も訓練を重ねるうちに、風を受けても十四個を落とさない日が増えた。
 セトは同じ動きを続けるだけでなく、途中で流れの量を大きく変えてみた。
 右側の七つへ一気に水を送り、その間、左側は細い流れを保つ。
 さらに左の一つへ力を集中させる。

 水球の位置だけなら変えられる。
 だが、回路の中央を通る流れが急に増えた瞬間、右と左の調整が一拍遅れた。
 水球は落ちなかったものの、狙った位置に止まれない。
 操作の正確さとは別の問題が残っていた。

「今日は全部残っていますね」
「落とさないだけならな」
「予定した場所からは、少しずれています」
「大きい流れを通した時、道が詰まる。そこで調整してる間に遅れるんだ」

 フィオラは水球の位置を確かめ、訓練の最初に付けた印と比べた。
 力を送る量が一定の時は、ずれが小さい。
 急に増減させた時だけ、複数の水球が連動して遅れていた。

 しかも、実際の八翼とは条件が違う。
 水球にはそれぞれの意思がなく、火と月のような異なる性質もない。
 シアとネアがいなければ、二本の四翼精霊剣を同時に握ることすらできない。

「これだけで、八翼を長く使えると分かるわけじゃないな」
「ですが、少なくとも遅れる条件は見つかっています」
「ああ。そこを直せれば、次は違う」

 セトは水球を止めた。
 十四個を扱う腕前だけなら、訓練を始めた時より上がっている。
 それでも、同じ十四個に違う速さの流れを送り続けると、精霊回路の内側に負担が偏った。

 その問題をどう扱えばよいのか、まだ答えはなかった。
 セトは翌日の訓練項目に、流れが急変した時のずれを加えた。

また来た水

 観測と訓練を始めてから、何か月も過ぎた。
 その日の記録を終えて訓練室へ戻ろうとしたセトたちは、入口に立つ男を見つけた。
 背中の上部まで伸びた藍青色の髪を、首の低い位置で緩くまとめている。
 衣装の端は水中にあるようにゆっくり揺れ、淡い青緑色の瞳がセトへ向けられていた。

 水の精霊王ヴァルナだった。

「ヴァルナさん?」

 フィオラが足を止める。
 セトも、なぜここにいるのか分からず男を見た。
 水の精霊王が祀られている村から、天文設備まではかなり遠い。
 ここへ来るよう頼んだ覚えもない。

「大変そうだったから来た」
「誰かが呼びましたか?」
「呼ばれてはいない」
「なぜ、ここが分かった?」
「分からない。なぜか、ここにいることが分かった」

 その返事に、フィオラは以前の山小屋を思い出した。
 セトの精霊回路が壊れ、誰も治せなくなった時も、ヴァルナは突然現れた。
 あの時も頼まれたわけではなく、場所だけを知っているかのように迷わず来た。

「以前、山小屋へ来た時も同じでしたね」
「そうだった」
「二度とも、セトさんが困っている時です。何か理由があるのでしょうか」
「分からない」
「誰かから教えられたのですか?」
「誰にも会っていない」

 言葉に迷いはない。
 隠しているようにも見えない。
 本人にも、理由を説明できないのだろう。
 フィオラは問いを重ねるのをやめた。

「今回は、何をしに来たのですか?」

 ヴァルナはセトの胸元へ目を向けた。

「その流れを見に来た」

 セトは黙って訓練室の扉を開けた。

固定された分かれ道

 ヴァルナはセトの手首へ触れた。
 細い水の流れが指先から入り、セトの精霊回路を静かに巡る。
 セトは十四個の水球を浮かべ、右と左へ異なる速さで動かし始めた。
 ヴァルナは水球ではなく、その動きを生む流れの内側を見ていた。

「二つに分けている」
「ああ」
「分けた後の道が変わらない」

 セトは動きを止めた。
 光の精霊王戦から使ってきた方法では、右へ流す量と左へ流す量を自分で決めていた。
 十四へ枝分かれする先も、必要に応じて絞ったり広げたりする。

 セトは細かく調整しているつもりだった。
 だが、ヴァルナが見ているのは流す量ではない。
 最初に決めた分かれ道そのものだった。

「流れが変わるたび、オレが全部調整してる」
「できている」
「なら、何が悪い」
「遅い」

 ヴァルナは穏やかな声で即答した。
 先ほどの訓練でも、水球の動きが遅れた瞬間があった。
 セトはその原因を操作の不足だと考えていたが、ヴァルナは回路の構造へ目を向けている。

「一つの流れが増えるたび、道を狭める。一つが減れば、別の道を広げる。十四へ分けるたび、すべてを決め直している」
「そうしないと、二つの流れがぶつかる」
「今の形では、そうなる」

 ヴァルナの水が、セトの回路の分岐へ集まった。
 そこは最初に二つへ流れを分ける場所だ。
 右と左は、混ざらないように明確な境目を持っている。
 しかし、その境目が固定されているから、急に流れが変わるたび道幅を変えなければならない。

「水の道は、石の管ではない」

 ヴァルナの言葉を聞き、セトは自分の回路の形を初めて別のものとして捉え直した。

形を変える回路

 ヴァルナの輪郭が薄くなった。
 水の精霊王の存在が、一時的にセトへ重なる。
 以前、壊れた精霊回路を再構築した時と同じ方法だった。

 ただし今のセトは、すでに水の精霊王型の回路を持っている。
 最初から作り直すのではない。
 その内部で固定されている流路を、状況に応じて変化できる形へ調整するのだ。
 ヴァルナの力や役割がセトへ渡るわけでもなかった。

 左右に分かれていた境目が、水のように緩やかに揺れた。
 一つの場所へ負荷が集まると、その周囲へ細い逃げ道が開く。
 右へ多く流れれば、回路の空いている部分が右側へ広がる。
 左の流れが増えた時には、そこへ道が移る。

 十四の作用点へ向かう分岐も、一度決めた形へ縛られない。
 速い流れを遅くし、遅い流れを速くして無理にそろえるのではなく、違うまま通す。
 力の偏りは、回路の一か所で受け止めず全体へ逃がした。

 やがて、ヴァルナの水がセトの身体から抜ける。

「もう一度」

 セトは十四個の水球を浮かべた。
 右側の七つへ急に多くの力を送る。
 以前なら、左側の流れを先に細くしておかなければ中央で詰まっていた。
 今は右へ向かった流れに合わせ、回路の形が変わる。
 左側も止まらない。

 セトは右の流れを弱め、左の一つだけへ大きく送った。
 空いた経路が左へ寄る。
 その途中で右の三つを動かしても、流れは途切れなかった。

「こんな動きもできるのか」
「できるようにしたのではない。水の道を、水の道として使う」

 十四個の水球が別々の軌道を描き始めた。
 セトは自分で道を広げ直さずに、それを見続けることができた。

強くなったもの

 フィオラが再び横から風を放った。
 十四個の水球が、同じ瞬間に別々の方向へ押し流される。
 セトはひとつを加速させ、二つを止めた。
 三つを近づけてから、それぞれ反対の方向へ逃がす。
 残る八つは、最初の軌道を維持したまま動かした。

 水球同士が交差しそうになるたび、精霊回路の中で流れの経路が変化する。
 一か所へ集中する負荷が、空いている部分へ分散していった。
 セトは水球の位置と動きだけを見て、次の方向を決める。
 十四個すべてが元の位置へ戻った。
 床には、一滴も落ちていない。

「今度は落ちていません」
「前より、考えることが減った」
「何も考えずに動かせるようになったのですか?」
「そうじゃない。何をさせるかだけ考えられるようになった」

 セトは右の水球を一つだけ速くした。
 以前は、それを動かすために、回路のどこを絞るかまで考えなければならなかった。
 今は必要な流れを送れば、道の方が形を変える。

 操作を回路へ任せたわけではない。
 十四個の位置も、量も、速度も、セト自身が決めている。
 ただ、通すための余計な調整が減ったのだ。

「力そのものが増えたのでしょうか?」
「増えてはいない」

 ヴァルナが答えた。

「同じ力を、止めずに通せる。違う流れを、違うまま通せる。大きな流れが来ても、狭い場所だけで受けなくてよい」

 セト自身が精霊王級の出力を手に入れたわけではない。
 それでも、二本の四翼精霊剣から異なる流れを受けた時、以前より長く扱える可能性ができた。

 セトはヴァルナへ、なぜ今ここに来たのかを改めて尋ねた。
 ヴァルナは少し首を傾ける。

「大変そうだと分かった。来れば、できることがあると思った」
「その理由は?」
「分からない」

 セトとフィオラは顔を見合わせた。
 答えは最初と変わらない。
 だが、今の回路が前より柔軟になったことだけは、確かだった。

一年の軌跡

 ヴァルナが村へ戻った後も、観測と訓練は続いた。
 七か月。八か月。九か月。
 セトが用紙を重ねるたび、机の端に報告書の山が増えていった。

 三つの光が見える夜も、見えない夜もある。
 それでも、別の国の記録を合わせれば、宇宙の戦いは続いていると分かった。
 終焉の炎を示す赤が小さくなり、しばらくして戻る。
 シアとネアの光も、激しく位置を変えながら消えずに残っている。

 同じ記録が繰り返される中で、戦場そのものは少しずつ別の場所へ進んでいた。
 大きく弧を描いた軌跡が、金星のかなり近くを通った。
 五か国の天文設備は一斉に向きを変え、光が惑星へ近づきすぎないかを追った。
 巨大な赤い光が次にどちらへ飛ぶのか、確実に予測できる者はいない。

 幸い、三つの光は金星へ落ちず、その先へ進んだ。
 セトは星図の上へ、最も接近した時点の印を付けた。

「通り過ぎたんですね」
「ああ。だが、次の場所が分かったわけじゃない」
「観測を続けます」

 さらに月日が過ぎた。
 戦場は水星の公転軌道を越え、その内側へ入っていく。
 太陽に近づくほど、地上から光を見分けるのが難しくなった。
 日差しが強い時間に位置が重なると、観測筒を向けられないこともある。

 それでも各国の記録を集め、見えた時間だけを重ねれば、おおよその進路は追えた。

「毎日見ていたのに、今は見えない日が増えた」
「見えないからといって、戦いが終わったわけではありません」
「分かってる。だから記録を止めない」

 セトは最後に確認できた位置を、次の用紙へ写した。
 一年近くが過ぎても、報告書の上にはまだ三つの光が残っていた。

再生の記録

 セトは一年近い報告書から、赤い光が大きく弱まった日だけを抜き出した。
 並べた紙には、最初の位置、明滅の長さ、その後の確認時刻が書いてある。
 どの夜にも同じ記録があるわけではない。
 光が見えなかった時間を、巨体が消えていた時間と同じにはできなかった。

 だから、確実に弱まった時刻と、再び確認された時刻を別々に並べる。
 フィオラも隣に座り、紙の向きを合わせた。

「この日は、赤い光がほとんど分からなくなっています」
「翌日には戻ってる」
「別の国でも確認されています。位置も大きく離れていません」
「やっぱり、あれだけ削っても戻るんだな」

 セトはもう一枚をめくった。
 強い赤と黒の明滅が重なった後、終焉の炎の光が弱くなった日だ。
 次の記録では、その光が再び現れている。
 削った部位や攻撃の種類までは分からない。

 だが、戦闘の規模を変えても決着したという報告は一つもなかった。
 観測できなかった空白を、勝利や敗北で埋めるつもりはない。

「もっと大きく撃てば、いつか消せると思ってた」
「シアさんとネアさんは、もう何度も大きく削っているはずです」
「ああ。それを一年近く続けてる」

 セトは、再び光が確認されるまでの時間を追った。
 何度壊しても戻る。
 同じ場所を貫いても戻る。
 二人が同時に全身を削っても戻る。

 今までと同じ戦い方を続ける限り、結果も変わらない。
 セトは星図を引き寄せ、戦場が通ってきた軌跡を指でなぞった。
 位置を示す印のひとつで、その指が止まる。

「これしか方法がないか」

 フィオラが顔を上げた。
 セトはまだ、考えた内容を説明しなかった。

戦場へ行く

 翌日、セトは訓練室で十四個の水球を浮かべた。
 右と左へ異なる量を送り、一方だけ急に増やす。
 十四個の位置をばらばらに変えても、流れは途切れなかった。
 以前のように、一か所が詰まるたび全部を直す必要はない。

 水球を戻し、セトは最後のひとつを消した。
 自分が用意できる部分は、ここまでだ。

「フィオラ」
「はい」
「オレを戦場まで運べるか」

 フィオラはすぐには答えなかった。
 壁に広げられた星図を見て、戦場の位置を確かめる。
 今いる場所からは、遠く離れている。
 しかも戦場は、観測した時と同じ場所に留まっているわけではない。

「二翼で戦うことを求めているのではありませんね」
「ああ」
「私には分霊核がありません。シアさんとネアさんが一年近く戦っている場所で、私が加わっても足手まといになると思います」
「戦う必要はない。運んでくれればいい」
「到着するまでに、戦場も移動します」
「一年分の記録から進む先を予測する」
「大きく方向を変えた場合は?」
「途中で直す」

 フィオラは星図の線を指でたどった。
 二翼は八翼のように攻撃を重ねる形ではない。
 だが、セトを運び、一つの方向へ長く進むなら役に立つ。
 セトが飛行の途中で周囲を見ることも、戦場へ近づく位置を調整することもできる。

 ただし、二人が到着するまで戦いが続いていることが前提だった。

「分かりました。セトさんを連れていきます」

 セトは報告書をまとめた。
 一年間書き続けた数字は、二人がどこへ進むべきかを示している。
 今まで星図の上で追うしかなかった三つの光へ、ようやく自分から近づくことになる。
 あとは、その場所へ行くだけだった。

星の外へ

 出発の日、空はよく晴れていた。
 観測筒は太陽に近い戦場へ向けられていたが、三つの光すべてが見えるわけではない。
 セトは一年近く書き続けた報告書へ、出発時刻と予想到着位置を記した。
 最後の紙を重ね、机の上へ置く。

 次の戦況は、報告書ではなく自分の目で確かめることになる。
 フィオラがセトの前へ進み、手を差し出した。

「セトさん」
「ああ。頼む、フィオラ」

 フィオラの淡緑色の身体が光へ変わった。
 風の精霊剣、翔嵐がセトの手に収まり、背中へ二枚の淡緑色の翼が開く。
 翼の周囲に原光が集まり、進む方向へ流れ始めた。
 その循環は、セトの身体にも生命維持に必要な力を届けている。

 セトは身体の周囲へ薄い水の膜を作った。
 外界の急激な温度変化を和らげ、身体を保護するための補助だ。
 水を扱う流れと、翔嵐が作る風の流れが、異なるまま精霊回路を通る。
 ヴァルナが再調整した回路は、負荷の変化に合わせて静かに形を変えた。
 どちらの働きも妨げない。

『準備できました』
「行くぞ」

 二翼が強く光った。
 地面が遠ざかり、雲が眼下へ流れていく。
 青かった空が薄れ、やがて暗い宇宙が広がった。

 セトは地上を振り返らず、進路の先を見た。
 目指すのは今観測できる光の位置ではない。
 一年近く移動を続けた戦場が、自分たちの到着時にいるはずの場所だった。
 セトは星図の予測と目の前の光を比べながら、フィオラの二翼へ進む方向を与えた。


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