

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。
グラウス
「名はグラウス」
壮年の男は、赤黒い剣を構えた。
その刀身の内側で、奪われた火が揺れている。
「お前が先代を殺したのか」
シアが尋ねる。
「ああ」
グラウスは隠そうともしなかった。
シアの手に炎が集まる。
先ほどまで大会で使っていた、小さな火ではない。
赤い光が指先から腕へ広がり、周囲の空気を大きく揺らした。
「なぜ殺した」
「必要だったからだ」
「何に必要だった」
グラウスは答えず、シアを見ていた。
少女の姿。
赤い髪。
炎のような瞳。
その視線は、人間を見るものとは違っていた。
「生まれてから、どれほど経つ」
「お前に答える必要はない」
「先代の知識は持っているが、記憶はない。私のことも知らないか」
「先代が、お前を知っていた?」
「少しはな」
グラウスが赤黒い剣を持ち上げる。
「だが、最後まで私を選ばなかった」
剣の中にある火が、低く脈打った。
奪われた火
シアが一歩前へ出た。
「その剣から、先代の火を出せ」
「返せと言わないのか」
「返しても、先代は戻らない」
グラウスの眉がわずかに上がった。
「よく分かっている」
「だが、それは先代から奪ったものだ」
「今は私の力だ」
「違う」
シアの周囲で炎が燃え上がる。
街道脇の草が、熱に押されて大きく揺れた。
「お前のものではない」
火が一直線に放たれた。
大会で使ったものとは比べものにならない。
赤い炎が道を埋め、グラウスへ迫る。
グラウスは避けなかった。
赤黒い剣を正面へ向ける。
炎と刀身が触れた。
爆発は起こらない。
剣の周囲で炎が細く引き延ばされ、そのまま刀身の中へ吸い込まれていく。
シアの放った火が、急速に小さくなった。
「なに?」
グラウスが剣を横へ振る。
残った炎が二つに割れ、道の左右へ流れた。
「火を吸ったのか」
セトが白刃を作りながら尋ねる。
「それが、この剣の力だ」
赤黒い刀身が先ほどより明るくなっている。
「精霊力を奪い、蓄える。必要な時に取り出して使う。単純で扱いやすい」
「魔剣……」
「大会の飾りとは違う。本物だ」
白刃と赤黒い剣
セトはシアの前へ出た。
「下がってろ」
「なぜだ」
「火をそのまま撃っても吸われる」
「なら、吸い切れないほど出す」
「森まで焼くつもりか」
「お前を先に倒せばいい」
グラウスがセトを見る。
白刃へ視線を移し、その形を確かめるように目を細めた。
「その剣を、誰に習った」
「答える必要はない」
「一族の者か」
セトの表情が変わる。
「なぜ知っている」
「その形を知っているからだ」
グラウスが踏み込んだ。
間合いが一瞬で消える。
赤黒い剣が、セトの肩へ振り下ろされた。
白刃で受ける。
二本の剣がぶつかり、白と赤の光が弾けた。
重い。
大型魔獣の突進とは違う。
力だけで押しているのではない。
セトの受ける角度へ合わせ、最も崩しやすい方向へ剣を滑らせてくる。
白刃が外へ流された。
赤黒い剣が返る。
セトは体をひねり、刃を避けた。
服の胸元が浅く裂ける。
「白刃を知っているのか」
「名前も性質もな」
グラウスは剣を止めない。
「長さを変えられることも、見える刀身より斬撃が伸びることも知っている」
経験の差
セトは白刃を一気に伸ばした。
刃の先から、さらに斬撃が走る。
グラウスは体をわずかに傾けただけで避けた。
避けながら前へ進む。
セトが白刃を短くする前に、赤黒い剣が迫った。
刃を受ける。
押し込まれる。
足元の石が靴の下で鳴った。
「動きが読まれてる」
「読んでいるのではない」
グラウスが白刃を押しながら言う。
「知っているだけだ」
力の向きが変わる。
セトは白刃を支え切れず、体勢を崩した。
赤黒い剣の柄が腹へ入る。
「ぐっ」
息が詰まった。
セトの体が後ろへ飛ばされる。
シアが炎を放った。
グラウスは赤黒い剣で斬る。
炎が左右へ分かれ、刀身へ吸い込まれた。
「大きな火は吸われる」
セトが立ち上がりながら言う。
「小さな火も吸われた」
「剣に触れさせるな」
「どうやって倒す」
「俺が隙を作る」
「さっき倒されていた」
「見れば分かることを言うな」
小さな火
セトが再びグラウスへ向かう。
正面から白刃を振る。
グラウスは赤黒い剣で受けた。
触れた瞬間、白刃の表面が揺らぐ。
集めていた精霊力が、赤黒い剣へ引かれている。
セトはすぐに白刃を離した。
「白刃まで吸うのか」
「触れ続ければな」
グラウスが踏み込む。
その足元へ、小さな火が置かれた。
大会でシアが使っていたものと同じ程度の火だった。
グラウスは構わず踏みつける。
火は靴の下で消えた。
「その程度では止まらん」
「止めるためではない」
シアが次の火を放つ。
グラウスの右。
左。
背後。
どれも威力は低い。
グラウスは避けなかった。
炎を踏み消しながら、セトへ剣を振る。
だが、火が消えるたびに赤い光が一瞬だけ視界を塞ぐ。
その短い間に、セトは白刃の長さを変えた。
赤黒い剣の下を抜け、白刃の柄をグラウスの脇腹へ打ち込む。
硬い感触が返った。
グラウスが一歩下がった。
「なるほど」
感心したように言う。
「火の使い方を教えたのか」
「シアが自分で考えた」
「人間の指示に従うだけではないか」
グラウスは、わずかに笑った。
「それはいい」
先に動く火
グラウスが剣を横へ振る。
赤い炎が刀身から放たれた。
シアの炎ではない。
剣に蓄えられていた火だった。
道を覆うほどの炎が、セトへ迫る。
「避けろ!」
シアが叫ぶより早く、セトの足元へ小さな火が置かれた。
踏み込む。
炎が弾け、セトの体を横へ押した。
赤い炎が直前までいた場所を通過する。
セトは転がりながら白刃を投げた。
短剣状の刃がグラウスへ飛ぶ。
グラウスは赤黒い剣で弾いた。
その直後、シアの火が反対側から迫る。
剣で吸うには、体の向きを変えなければならない。
グラウスが火を避けた。
初めてだった。
「今のだ」
セトが立ち上がる。
「ああ」
シアが答える。
どちらも、相手へ次の指示を出さなかった。
セトが前へ出る。
その進路へ、シアが火を置く。
火を踏み、加速する。
グラウスの赤黒い剣が正面から迫る。
セトは白刃を短くして受け流した。
シアの火がグラウスの背後へ回る。
グラウスは避ける。
そこへセトの斬撃が届く。
黒い剣
白刃がグラウスの肩へ迫った。
赤黒い剣は、シアの火へ向いている。
間に合わない。
そのはずだった。
グラウスの空いている左手に、黒い剣が現れた。
光を集めたものではない。
剣の形に切り取られたような黒。
セトの白刃が触れる。
白い刀身が大きく崩れた。
集められた精霊力が、接触した場所から失われていく。
「黒刃……」
セトが距離を取る。
「なぜ、お前が使える」
「お前だけの術ではない」
グラウスは右手に赤黒い魔剣。
左手に黒刃を持っている。
二本の剣を同時に構えていた。
「白刃と黒刃を知っていると言っただろう」
「同時に使っているのか」
「見れば分かる」
先ほどセトがシアへ言われた言葉を、そのまま返される。
「禁じられているはずだ」
「誰に禁じられた」
「一族にだ」
「一族の決まりに従えば、強くなれるのか?」
グラウスは黒刃を軽く振った。
触れていない周囲の精霊力まで、わずかに乱れる。
「使える力を使わない理由にはならん」
二本の剣
グラウスが前へ出た。
赤黒い剣がセトの白刃を狙う。
受ければ、力を吸われる。
避けた先へ、黒刃が振られる。
白刃へ触れれば、形そのものを崩される。
どちらも、まともに受けられない。
セトは後ろへ下がった。
赤黒い剣の切っ先が胸元を通る。
黒刃が白刃の側面へ触れた。
刀身の半分が消えた。
セトは残った白刃も自分で消し、新しく短剣を作って投げる。
グラウスは黒刃で触れた。
白い短剣が空中で崩れる。
「相性が悪いな」
「それだけではない」
赤黒い剣が振られる。
セトは身をかがめた。
頭上を刃が通る。
次に来る黒刃を避けようとした時、グラウスの膝が腹へ入った。
セトの体が折れる。
肩をつかまれ、道へ投げられた。
背中を強く打つ。
「セト!」
シアの周囲で炎が大きく膨らんだ。
大きな火
「待て!」
セトが叫ぶ。
シアが放とうとしている火は、これまでとは違う。
林全体を赤く染めるほどの光が集まっていた。
「吸われるぞ!」
「全部は吸えない」
シアは炎をグラウスへ向けなかった。
起き上がったセトへ向ける。
「白刃を出せ」
「この量を乗せるのか」
「ああ」
グラウスの目が細くなる。
セトは右手を伸ばした。
白い光が集まり、白刃を形作る。
シアが両手を前へ出した。
大きな炎が、一気に白刃へ流れ込む。
赤い火が刀身へ触れる。
白い光へ変わる。
白炎がセトの全身を包みそうなほど大きく燃え上がった。
熱い。
だが、焼かれてはいない。
シアの炎は、セトを避けて白刃へ集まっている。
セトは柄を握り直した。
流れ込む力を、そのまま放出しない。
炎の大きさを抑え、刀身の形を保つ。
「持てるか」
シアが尋ねる。
「持たせてから聞くな」
「無理なら減らす」
「このままでいい」
白炎の中で、白刃の輪郭が強く輝いた。
揃い始めた条件
グラウスは攻撃しなかった。
白炎を見ている。
力の大きさではない。
シアとセトを交互に見ていた。
「イフリートが、人間にこれほど大きな力を託すか」
グラウスが低く笑う。
「そろそろ条件が揃ってきているな」
「何の条件だ」
セトが尋ねる。
グラウスは答えなかった。
赤黒い魔剣を見下ろす。
「やはり魔剣はいい」
刀身の奥で、先代から奪われた火が燃えている。
「神剣なんかよりも、ずっと分かりやすい」
「神剣?」
「お前が知る必要はない」
グラウスは黒刃を消した。
赤黒い剣を両手で構える。
「見せてみろ。その人間が、預けられた力をどこまで扱えるのか」
白炎と魔剣
セトが地面を蹴った。
シアが足元へ火を置く。
火を踏み、一気に加速する。
白炎を振り下ろした。
グラウスが赤黒い剣で受ける。
白い火と赤い火がぶつかった。
道の両側へ熱が流れ、木々が大きく揺れる。
赤黒い剣が白炎の力を吸い始めた。
だが、追いついていない。
シアから渡された火が大きすぎる。
吸われる以上の力を、セトが白刃へ流し続ける。
「押してる」
「ああ」
シアがさらに火を送る。
白炎が強くなる。
グラウスの足が、石の上を滑った。
赤黒い剣が押し下げられる。
セトは白炎をいったん弱めた。
力を刀身の形へ回す。
受け止める感触が変わり、グラウスがわずかに体勢を崩した。
その瞬間、再び炎を強くする。
白い火が爆発するように広がった。
グラウスの体が後ろへ押し飛ばされた。
通じた一撃
グラウスは道を滑りながら、赤黒い剣を石へ突き立てた。
ようやく止まる。
旅装の肩が焦げていた。
赤黒い剣を握る手から、薄く血が流れている。
「傷をつけた」
シアが言う。
「まだ浅い」
セトは白炎を構えた。
腕が重い。
シアの火に焼かれてはいない。
だが、大きな力を白刃の形へ保ち続ける負担が、肩から指先まで広がっている。
「もう一度いけるか」
「セトが持てるなら」
「やる」
グラウスが立ち上がった。
傷を見ても、表情は変わらない。
「悪くない」
「余裕があるようには見えないな」
「力の大きさは十分だ」
グラウスは赤黒い剣を軽く振った。
「だが、使い手の方が追いついていない」
剣から火があふれる。
先ほどシアから吸ったもの。
それより前から蓄えられていたもの。
そして、先代イフリートから奪った火。
いくつもの炎が混ざり合い、赤黒い剣を包んだ。
先代の炎
シアが息を止めた。
「それは……」
「分かるか」
グラウスが剣を持ち上げる。
「お前の前にいたイフリートの力だ」
赤い炎が揺れる。
シアと同じ火。
だが、シアのものではない。
継承された知識の奥にある、火の属性としての近さ。
それでも、そこに先代の意思はなかった。
グラウスが剣を振る。
炎が地面を走った。
セトは白炎で斬る。
白と赤の火がぶつかり、互いを押し合った。
赤い炎の方が広い。
白炎は細い。
だが、セトは広がる火の中心だけを斬り、流れを左右へ分けた。
「右だ」
シアが言う。
セトは迷わず右へ動いた。
左側を通った炎が地面を焼く。
シアが見つけた火の薄い場所を、セトが進む。
白炎を振る。
グラウスが受ける。
剣技
白炎と赤黒い剣がぶつかる。
今度は、力ではセトが上だった。
それでも、グラウスは押されない。
白炎の強い場所を避け、刀身の根元へ赤黒い剣を当てている。
白刃の向きをわずかにずらし、炎の流れを外へ逃がす。
セトが力を込めるほど、剣先が目的の場所から外れていく。
「力だけでは剣にならん」
グラウスが言う。
「知ってる」
「知っている者の動きではない」
赤黒い剣が白炎の側面を滑る。
セトの右腕が外へ開いた。
グラウスは懐へ入る。
肩がぶつかる。
足を払われた。
セトの体が傾く。
倒れる前に、シアの火が足元で弾けた。
押し戻され、体勢を立て直す。
白炎を横へ振る。
グラウスは身を引いた。
「人間の動きまで支えるか」
「悪いか」
「いや」
グラウスの笑みが深くなる。
「ますますいい」
黒刃の割り込み
セトが白炎で連続して斬り込む。
グラウスは赤黒い剣だけで受けていた。
シアの火が左右から迫る。
正面には白炎。
赤黒い剣だけでは、すべてに対応できない。
グラウスの左手に、再び黒刃が生まれた。
シアの火へ黒刃を向ける。
炎を形作る精霊力が崩れ、赤い光が消えた。
続けて白炎の側面へ触れる。
白い炎が大きく乱れる。
「セト!」
「分かってる!」
白刃へ力を集め直す。
崩れた場所を再び固定する。
その間に、赤黒い剣が迫った。
セトは白炎で受ける。
力を吸われる。
反対側から黒刃が来る。
白炎の形を崩される。
二本の剣が、異なる方法で白炎を削っていく。
シアが火を送る。
セトが形を戻す。
壊されるたびに、二人で作り直す。
作り直す剣
白炎が崩れる。
シアの火が届く。
セトが再び剣の形へ集める。
赤黒い剣が吸う。
黒刃が削る。
それでも、白炎は消えなかった。
「まだだ」
セトが踏み込む。
シアは指示を待たず、セトの左側へ火を置く。
セトは右へ動く。
グラウスの黒刃を右へ誘った後、左の火を踏んで戻る。
白炎を振り上げた。
グラウスの黒刃へ当たる。
白炎の一部が消える。
セトは消えた場所だけを短く作り直した。
刀身の長さが一瞬で変わる。
黒刃の脇を抜け、白炎の切っ先がグラウスの頬をかすめた。
赤い線が走る。
「今度は届いた」
セトが言う。
グラウスは頬の血を指で拭った。
「確かにな」
戦いながら変わる
グラウスの視線が、セトからシアへ移る。
「会ってから、どれほどだ」
「お前には関係ない」
シアが答える。
「長くはないはずだ」
グラウスは血のついた指を見る。
「それでも、戦いながら互いの動きを変えている」
「何が言いたい」
「先代は、そこまで私へ力を預けなかった」
シアの炎が強くなる。
「先代とわたしは違う」
「ああ。違うからこそ、興味がある」
グラウスが赤黒い剣を構え直した。
「どこまで進むか、見てみたい」
「その前に、お前を倒す」
「やってみろ」
全部を預ける
シアの周囲へ炎が集まった。
先ほどよりも大きい。
林の木々が熱で鳴る。
「シア、これ以上は――」
「持てないか」
セトは白炎を握った。
腕はすでに重い。
指にも力が入りにくくなっている。
それでも、白刃の形は保てる。
「持てる」
「なら、渡す」
シアが炎を放つ。
白炎へ流れ込む。
セトは受け止めた。
白い火が大きくなる。
広がろうとする炎を、刀身へ押し込める。
白刃の輪郭が見えなくなるほど、強い光が集まった。
シアは加減していない。
セトなら扱えると判断し、大きな火を預けている。
セトも止めない。
自分の手を焼かないと信じ、すべてを白刃へ受け入れる。
「行くぞ」
「ああ」
どちらが先に言ったのか、分からないほど同時だった。
正面から
セトが走る。
シアの火が足元へ続く。
一歩ごとに炎が弾け、速度が増す。
グラウスが赤黒い剣と黒刃を交差させた。
白炎が振り下ろされる。
赤黒い剣が力を吸う。
黒刃が形を崩す。
それでも、白炎は止まらない。
シアから流れ込む火。
セトが集める光。
二つが、壊される以上の速さで剣を作り続ける。
グラウスの足元に亀裂が走った。
黒刃が揺らぐ。
赤黒い剣が押し下げられる。
「まだだ!」
セトが白炎をさらに押し込む。
グラウスは突然、赤黒い剣を引いた。
支えを失ったセトの体が前へ出る。
黒刃が白炎の根元へ触れた。
刀身の形が大きく崩れた。
崩された白炎
白炎が爆ぜた。
押し込められていた火が、形を失って周囲へ広がる。
セトの視界が白く染まった。
グラウスの姿が消える。
「セト、後ろだ!」
声が届いた時には遅かった。
背後から衝撃が来る。
赤黒い剣の柄が、セトの背中へ打ち込まれた。
前へ倒れる。
石へ手をつく。
起き上がろうとしたところへ、グラウスの足が腹へ入った。
セトの体が道を転がる。
白刃は消えていた。
シアが炎を放つ。
グラウスは黒刃で崩し、赤黒い剣で残りを吸う。
「力は強い」
グラウスが言う。
「だが、剣を壊された後まで同じ動きを続けられない」
「黙れ」
セトは立ち上がろうとする。
脚に力が入らない。
グラウスがゆっくり近づいてくる。
黒刃
セトは右手を伸ばした。
白刃ではない。
黒い剣が現れる。
「ほう」
グラウスが足を止めた。
「そちらも使えるか」
「お前だけじゃない」
セトは黒刃を構えた。
魔剣が精霊力を吸うなら、その術を崩す。
黒刃であれば、赤黒い剣へ干渉できるかもしれない。
グラウスが剣を振る。
赤い炎が放たれた。
セトは黒刃を当てる。
炎が触れた場所から崩れていく。
完全には消えない。
残った火が腕と肩をかすめた。
服が焼け、皮膚へ熱が走る。
それでも、正面から受けるよりは弱い。
「通じる」
セトは黒刃を握り直した。
グラウスは満足そうにうなずいた。
「だが、一本ずつでは遅い」
一本ずつ
グラウスの左手にある黒刃が消える。
代わりに、白い剣が生まれた。
高密度に集められた精霊力。
セトの白刃と同じ系統の剣だった。
「白刃まで……」
「両方使えると言っただろう」
右手に赤黒い魔剣。
左手に白刃。
グラウスは再び踏み込む。
セトは黒刃で魔剣を受けた。
触れた場所で、魔剣を包む火が乱れる。
だが、左から白刃が迫る。
セトは身を引く。
肩へ白い斬撃が入った。
血が散る。
黒刃で受ければ、魔剣への対処が遅れる。
魔剣を狙えば、白刃が届く。
セトには、同時に二本へ対応する方法がない。
「白刃と黒刃を持っていても、一本ずつしか出さない」
グラウスが言う。
「一族の教えをよく守っている」
切り替える隙
セトは黒刃を消した。
白刃を作る。
グラウスの白刃を受ける。
赤黒い剣から炎が放たれた。
白刃を消す。
黒刃を作る。
炎を崩す。
切り替えるたびに、短い隙が生まれる。
グラウスはそのすべてを狙っていた。
白刃を作る途中に、魔剣の柄が肩へ入る。
黒刃を作る前に、白い斬撃が脇腹をかすめる。
セトは後ろへ下がり続けた。
「セト!」
シアが前へ出ようとする。
「来るな!」
「一人では勝てない」
「分かってる!」
グラウスの白刃が振られる。
セトは自分の白刃で受ける。
魔剣が横から迫る。
避ける場所がない。
シアの小さな火が足元で弾けた。
セトの体が押され、魔剣の切っ先を避ける。
シアはまだ、後ろから支えていた。
狙われたセト
グラウスはシアを見た。
「その人間が傷つけば、必ず助けるか」
「当然だ」
「では、これはどうする」
グラウスの白刃が消えた。
赤黒い魔剣を両手で握る。
刀身から、大量の炎があふれた。
セトへ向け、正面から踏み込む。
速い。
これまでよりも、さらに深い一歩だった。
セトは黒刃を作る。
炎を崩す。
だが、魔剣そのものは止められない。
赤黒い刃が黒刃へ当たる。
衝撃で腕が上がった。
黒刃の形が崩れる。
グラウスはそのまま剣を振り下ろす。
セトの肩から胸へ斬り込む軌道だった。
避けられない。
かばう炎
赤い影が、セトの前へ入った。
「シア!」
シアは背中をセトへ向けていた。
両腕を広げたわけではない。
ただ、グラウスとセトの間へ、自分の体を滑り込ませた。
赤黒い剣が、シアの肩口から脇腹へ斬り込む。
血は出なかった。
代わりに、傷口から大量の炎があふれた。
「――っ」
シアの体が大きく揺れる。
赤い光が、剣へ引かれていく。
火が細い流れとなり、傷口から赤黒い刀身へ吸い込まれていた。
「離れろ!」
セトはシアの体を抱き、後ろへ引こうとした。
だが、剣はシアへ食い込んだまま動かない。
グラウスが柄を握る。
魔剣の赤い光が強くなった。
吸い取られる力
シアの髪から、赤い輝きが失われていく。
周囲に燃えていた火が、一斉に小さくなった。
セトの足元に残っていた炎も消える。
「シア!」
「剣を……離せ」
声が弱い。
シアは自分で魔剣をつかもうとした。
手に火が生まれない。
指先へ集まった赤い光まで、刀身へ吸われていく。
セトは白刃を作る。
グラウスの腕を斬ろうとする。
グラウスは剣をシアから引き抜き、後ろへ下がった。
白刃が空を切る。
支えを失ったシアの体が傾く。
セトは抱き止めた。
軽い。
もともと人間より軽かったが、今はさらに存在そのものが薄くなったように感じる。
赤黒い魔剣の中では、奪われた炎が激しく燃えていた。
仕上がりつつあるもの
グラウスは、倒れたシアを見下ろした。
「人間をかばうか」
赤黒い剣を持ち上げる。
「本格的に仕上がってきているようだな」
「さっきから、何を言っている」
セトがシアを支えながら睨む。
「何が仕上がる」
「今のお前たちに教える必要はない」
「答えろ!」
白刃が伸びる。
セトはシアを片腕で支えたまま、グラウスへ斬りかかった。
動きは乱れていた。
グラウスは避けることすらせず、魔剣で受けた。
白刃の力が吸われる。
刀身が細くなる。
「怒りで剣を振るうだけでは、私には届かん」
グラウスが白刃を押し返した。
セトの腕が上がる。
その腹へ、蹴りが入った。
セトはシアを離さないよう体を丸めた。
二人まとめて道へ倒れる。
立てないシア
「シア」
セトが呼ぶ。
シアは目を開けている。
意識はある。
だが、自分で立ち上がろうとしても、腕に力が入らなかった。
「火が……出ない」
「出さなくていい」
「まだ、戦える」
「立ててないだろ」
「セトも、立てていない」
「俺は立つ」
セトは地面へ白刃を突き、杖のようにして体を起こした。
脚が震える。
肩と脇腹から血が流れていた。
それでも、シアを背後へかばうように立つ。
グラウスは追撃しなかった。
「なぜ止まる」
セトが尋ねる。
「今なら俺たちを殺せるだろ」
「そうだな」
グラウスは魔剣の中に増えた火を見た。
「だが、今殺すのは惜しい」
今は殺さない
「惜しい?」
「そのイフリートは、まだ完成していない」
グラウスが言う。
「人間へ力を預けた。人間をかばった。だが、まだ足りない」
「何の話だ」
「いずれ分かる」
グラウスは赤黒い剣を鞘へ収めた。
「次に会う時まで、その少女を生かしておけ」
「お前に言われるまでもない」
「できれば、もっと信頼されることだ」
セトは白刃を構え直した。
「逃がすと思うか」
「追えるのか」
グラウスがセトの肩を見る。
白刃が揺れている。
形を保つだけでも限界が近い。
シアは地面に座り込んだまま、火を出すこともできない。
「今のお前たちでは、追うこともできん」
否定できなかった。
神剣よりも
グラウスは道の脇へ落ちていた大会賞品を拾った。
偽物の魔剣。
少量の精霊力が入れられただけの剣だった。
刀身を一度見て、道の外へ投げ捨てる。
「こんなものを魔剣と呼ぶとはな」
「お前は、魔剣を何だと思っている」
セトが尋ねる。
「意思を持たず、力だけを残す器だ」
グラウスは自分の赤黒い剣へ手を置いた。
「誰を信じるかも、誰へ力を預けるかも考えない。蓄えた力を、持ち主へそのまま渡す」
「だから分かりやすいのか」
「ああ」
グラウスはセトとシアを見る。
「神剣は面倒だ。力を持っていながら、使い手を選ぶ」
「神剣とは何だ」
「今のお前が知っても、扱えん」
それ以上は答えなかった。
残された二人
グラウスが歩き出す。
「待て!」
セトは追おうとした。
一歩目で脚が崩れる。
白刃を地面へ突き立て、辛うじて倒れるのを防いだ。
グラウスは振り返らない。
「次は、もう少しましな剣を見せろ」
そのまま古い街道の先へ消えていく。
姿が見えなくなっても、セトは白刃を消さなかった。
追えない。
分かっていても、剣を下ろすことができない。
「セト」
シアの声がした。
振り返る。
シアは地面へ片手をつき、立ち上がろうとしていた。
腕が震えている。
セトは白刃を消し、すぐに駆け寄った。
「動くな」
「追わないのか」
「今は無理だ」
「わたしなら、少し休めば――」
シアの手に赤い光が集まる。
火にはならない。
光はすぐに消えた。
「少しでは戻らない」
シアは自分の手を見た。
奪われたもの
シアの力は、すべて失われたわけではなかった。
意識はある。
人の姿も保っている。
だが、立ち上がるための力すら十分に残っていない。
「どれくらい奪われた」
セトが尋ねる。
「分からない」
「戻るのか」
「火は、また集まる」
「どれくらいかかる」
「分からない」
同じ答えが続く。
シア自身も、ここまで大きく力を奪われた経験はない。
知識として、精霊王の力が失われることは知っている。
だが、自分の体で経験した記憶はなかった。
「先代も、あの剣に力を奪われたのか」
「ああ」
シアは、グラウスが消えた方向を見る。
「たぶん、同じように」
「同じじゃない」
「なぜだ」
「お前は生きてる」
シアがセトを見る。
「だから、同じにはしない」
背負う
セトはシアへ背中を向けた。
「乗れ」
「歩ける」
「立ててもいないだろ」
「少し休めば歩ける」
「その少しを、ここで待つ気はない」
「どこへ行く」
「俺の故郷だ」
シアが黙る。
「ここから近い。休める場所もある」
「セトの一族がいる?」
「ああ」
「白刃と黒刃を教えた者も?」
「祖父がいる」
シアは少し迷ってから、セトの背中へ腕を回した。
力が入らず、腕がすぐに下がりそうになる。
セトはシアの脚を支え、立ち上がった。
肩の傷が痛む。
脇腹にも熱が残っている。
それでも歩けないほどではない。
「重いか」
「軽すぎる」
「それは失礼だ」
「そういう意味じゃない」
二人の敗北
古い街道を戻る。
大会会場へ戻れば、倒れた剣士や魔剣の持ち逃げについて説明を求められるだろう。
だが、今はシアを休ませる方が先だった。
「セト」
「何だ」
「負けたな」
「ああ」
「二人で戦っても、負けた」
「そうだな」
「大会では勝った」
「あいつは大会の相手より強い」
「それだけか?」
セトは答えなかった。
力の差だけではない。
グラウスは白刃と黒刃を知っていた。
同じ形の剣を使い、二本を同時に扱った。
セトの技が何をするのか、作る前から理解していた。
一方、セトはグラウスのことを何も知らなかった。
魔剣の力。
同じ剣状精霊術。
神剣という聞き慣れない言葉。
そして、グラウスが待っているという何か。
「次は勝つ」
セトが言った。
「どうやって」
「それを考えるために、故郷へ戻る」
揃い始めたもの
シアはセトの背中で目を閉じた。
「グラウスは、何を待っている」
「分からない」
「条件が揃うと言っていた」
「ああ」
「わたしがセトへ火を渡した時に言った」
「お前が俺をかばった時にもな」
「人間へ力を渡すことと、人間をかばうこと」
「それが何かにつながるらしい」
「先代は、グラウスに力を預けなかった」
シアの声は小さい。
「だから殺したのかもしれない」
セトは足を止めなかった。
「お前は、あいつへ力を預ける必要はない」
「分かっている」
「俺にも、無理に預けなくていい」
少し間があった。
「今日は預けた」
「ああ」
「セトなら持てると思った」
「持ち切れなかったけどな」
「途中までは持った」
「慰めになってない」
シアの腕に、わずかに力が戻った。
セトの肩へつかまる。
「次は、最後まで持て」
「簡単に言うな」
故郷への道
夕方が近づいていた。
街道の先に、低い山並みが見える。
その向こうに、セトの故郷がある。
白刃と黒刃を受け継いできた一族。
セトが離れていた場所。
そして、グラウスと同じ剣状精霊術について、何かを知っているかもしれない場所。
「あとどれくらいだ」
シアが尋ねる。
「このままなら、明日の昼には着く」
「遅い」
「お前を背負ってるからな」
「下ろせば速くなる」
「歩けないだろ」
「セトが火を使えば速くなる」
「お前の火は出ないだろ」
シアは黙った。
「今は休め」
「眠ったら落ちるかもしれない」
「落とさない」
「どうして分かる」
「分かるからだ」
「理由になっていない」
「お前も、俺なら火を拾うと思ったんだろ」
しばらく返事がなかった。
やがて、シアの額がセトの背中へ触れる。
「なら、落とすな」
「ああ」
セトは傷の痛みをこらえながら、故郷へ続く道を歩いた。
二人で初めて戦い方を作り上げた直後に、二人は初めて完全に敗れた。
シアの火は奪われた。
セトの剣は届かなかった。
それでも、背中にある重みだけは失われていなかった。
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