本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第2話 猫はドジではない

本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第2話 猫はドジではない 創作実験
本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第2話 猫はドジではない
本当に人間ってあさはかな生き物だよね
創作実験TOP日常系/猫視点コメディ/人間観察―― 猫には猫の常識がある。人間はそれを、何ひとつ分かっていない。 ――作品紹介黒猫のシジミは、人間に飼われている。少なくとも、うちの人間はそう思っている。だが、シジミからすれば話は逆だ。毎日決…

かわいいで済ませる人間

うちの人間が、テレビという絵の動く箱で猫の特集を見ている。

画面には、さまざまな猫が次々と映し出されていた。

段ボール箱の中へ入る猫。

細い隙間から顔だけを出す猫。

人間の膝の上で眠る猫。

何もない壁を見上げながら鳴いている猫。

そのたびに、うちの人間は楽しそうに笑う。

「かわいいなあ」

便利な言葉である。

人間は猫の行動を理解できないと、だいたい「かわいい」で済ませる。

猫が箱の中へ入るのは、狭い場所のほうが外から襲われにくいからだ。

隙間から顔だけを出すのは、自分の体を隠しながら周囲を確認するためである。

膝の上で眠るのは、人間が暖かく、多少動いても落ちにくいからだ。

何もない壁を見上げているように見える猫も、人間には聞こえない音や、人間には見つけられない小さな虫に気づいているのかもしれない。

猫の行動には、猫なりの理由がある。

だが、人間はその理由を考えず、

「猫は狭いところが好き」

「猫は不思議なものが見える」

「猫は甘えん坊」

などと、自分たちに分かりやすい言葉へ変えてしまう。

それでも、かわいいと言われるだけならまだよい。

人間は自分が理解できないものを、ときどき笑いものにする。

一匹の失敗

画面が切り替わった。

一匹の猫が、テーブルの上に立っている。

少し離れたところには、背の低い台が置かれていた。

どうやら、テーブルからその台へ飛び移ろうとしているらしい。

猫は台をじっと見ている。

前足を一歩動かす。

体を低くする。

尻尾をゆっくりと振る。

飛ぶ前の確認をしている。

シジミはテレビの前へ移動した。

画面に映っている猫の姿をよく見る。

若い猫だろうか。

体は細い。

足も長い。

跳ぶ力は十分にありそうだ。

テーブルと台の距離も、それほど遠くない。

普通に跳べば届くだろう。

猫は腰を落とした。

後ろ足へ力を入れる。

前足がわずかに浮く。

次の瞬間、猫が床を蹴った。

いや、蹴ろうとした。

踏み切る直前、後ろ足がテーブルの上で滑った。

体が思ったほど前へ進まない。

前足だけが空中へ伸びる。

台の端へ届きそうになったが、爪をかけるには少し足りなかった。

猫の体は、そのまま床へ落ちた。

床へ着地した猫は、すぐに立ち上がる。

周囲を一度見回し、何事もなかったように歩き去った。

画面には、大きな笑い声が重ねられた。

うちの人間も笑う。

「本当に猫ってドジだな」

シジミは尻尾を一度、大きく振った。

猫がドジなのではない。

この猫が、たまたま失敗したのである。

猫を一匹見て、猫全体の性質を決めないでほしい。

人間だって、道で転んだ人間を見たからといって、

「人間は歩くのが下手だ」

とは言わないだろう。

少なくとも、自分たちに対しては言わない。

転んだ理由を考える。

道が濡れていたのかもしれない。

靴の底が滑りやすかったのかもしれない。

足元に小さな段差があったのかもしれない。

誰かに押されたのかもしれない。

疲れていて、足が上がらなかったのかもしれない。

人間が失敗したときには、いくらでも事情を考える。

猫が失敗したときには、すぐにドジで終わらせる。

ずいぶん都合のよい考え方である。

跳ぶという判断

もっとも、画面の猫についても、ただドジだったと片づけるのは正しくない。

確かに、結果だけを見れば飛び移ることには失敗している。

だが、何も考えずに落ちたわけではない。

飛び移るという行為は、本来とても高度なものだ。

まず、踏み切る場所を確認しなければならない。

足場が硬いか。

柔らかいか。

滑りやすくないか。

傾いていないか。

自分が力をかけたときに、動かないか。

テーブルだから安全とは限らない。

布が敷かれていれば、足と一緒に布がずれることがある。

紙が置かれていれば、踏み切った瞬間に滑る。

小さな物があれば、足の裏へ当たるかもしれない。

猫は飛ぶ前に、足の感触を確かめる。

次に、飛び先を見る。

着地する場所は十分に広いか。

物が置かれていないか。

着地した瞬間に崩れないか。

表面は滑らないか。

自分の体重を支えられるか。

台の上へ飛べたとしても、その台ごと倒れてしまえば意味がない。

人間は、猫が高いところへ飛び乗ると、簡単にやっているように思うらしい。

だが、飛び先を間違えれば落ちる。

飛び先が動けば体勢を崩す。

着地した場所に物があれば、避ける前に踏んでしまう。

跳躍とは、ただ上や前へ体を動かすことではない。

安全に着地し、その後も動ける状態を作るところまでが跳躍である。

距離も測らなければならない。

目で見た距離。

自分の体の長さ。

後ろ足で出せる力。

踏み切る位置。

空中で体を伸ばしたときに、前足がどこまで届くか。

そのすべてを合わせて判断する。

遠くへ跳べばよいというものではない。

力を出しすぎれば、飛び先を越える。

足りなければ、届かない。

ちょうどよい力で跳ぶ必要がある。

人間は、猫が飛ぶ前に腰を小さく動かしていると笑う。

「お尻をふりふりして、かわいい」

あれは遊んでいるのではない。

後ろ足の位置を確かめ、筋肉へ力を入れ、飛ぶ方向を調整している。

踏み切る直前の重要な準備である。

何でもかわいいで片づけてよいものではない。

さらに、飛ぶ瞬間には、周りの動きも見なければならない。

人間が急に立ち上がらないか。

扉が開かないか。

ほかの猫が横切らないか。

飛び先にいた虫が動かないか。

カーテンや紙が動けば、目の前の状況も変わる。

猫は、それらを一瞬で確かめる。

飛ぶと決めたあとも、直前まで判断を変えることがある。

安全ではないと思えば、跳ばない。

人間には、猫が急にやめたように見える。

だが、猫は気まぐれでやめたのではない。

条件が変わったから中止したのである。

中止できることも、大切な判断だ。

人間は、一度始めたことを途中でやめると、

「根性がない」

「最後までやりなさい」

などと言う。

危ないと分かっても続けることを、立派だと思っているらしい。

猫は違う。

危険ならやめる。

届かないなら跳ばない。

別の道を探す。

高い場所へ行きたいなら、椅子を使って一段ずつ上がることもできる。

目的地へ着ければよい。

一度決めた方法にこだわる必要はない。

その点では、人間よりも猫のほうが柔軟である。

画面の猫は、飛ぶという判断自体を間違えたわけではない。

距離は十分に届く範囲だった。

飛び先にも危険な物はなかった。

問題は踏み切る足場だった。

後ろ足が滑った。

その一つの条件が、跳躍全体を失敗させた。

いくら距離を正確に測っても、いくら着地点を見ても、踏み切る瞬間に力を足場へ伝えられなければ飛べない。

これは猫に限った話ではない。

人間も、走るときには地面を蹴る。

足元が滑れば転ぶ。

重い物を持つときも、足場が安定していなければ力を出せない。

それなのに、猫が滑ったときだけ、

「猫はドジ」

になる。

あまりに雑である。

落下には対応した

今回、猫が落ちた場所は床だった。

高さもそれほどなかった。

床に硬い物も置かれていない。

落ちた猫は、すぐに体をひねり、四本の足で着地した。

驚いた様子はあったが、けがはしていないようだった。

だから、人間は笑っていられる。

もし、下に尖った物が置かれていたら。

もし、もっと高い場所から落ちていたら。

もし、床ではなく狭い隙間だったら。

同じ失敗でも、結果は違っていた。

たまたま安全だったから、ドジで済んだのである。

失敗が軽く見えるのは、失敗そのものが小さかったからではない。

結果が小さかったからだ。

人間は結果だけを見る。

落ちて、すぐに立ち上がった。

だからおもしろい。

だが、猫にとっては、落ちるまでの一瞬にも多くの判断がある。

体勢をどう変えるか。

前足から落ちるか。

後ろ足を先に下へ向けるか。

床までの距離はどれくらいか。

着地したあと、どちらへ逃げるか。

飛ぶことに失敗しても、落ちることまで失敗するとは限らない。

画面の猫は、飛び移ることには失敗した。

だが、落下には対応した。

四本の足で床へ降り、体をぶつけることなく立ち上がった。

すべてに失敗したわけではない。

失敗の途中で、別の判断を成功させている。

それを、人間は見ていない。

飛べなかった。

落ちた。

おもしろい。

それだけである。

シジミは画面の猫を見た。

猫は落ちたあと、少し早足でその場を離れていた。

うちの人間が笑う。

「失敗して恥ずかしかったんだな」

恥ずかしいから離れたとは限らない。

大きな音がしたから、その場から離れただけかもしれない。

落ちた拍子に、周囲の人間が笑い声を上げたから警戒したのかもしれない。

同じ場所でもう一度跳ぶ価値がないと判断したのかもしれない。

猫が何も言わないからといって、人間の考えた理由が正しいことにはならない。

そもそも、猫が失敗を恥ずかしがるとしても、笑われたくて失敗したわけではない。

それを何度も見返して笑うのは、ずいぶん趣味が悪い。

成功は数えない

うちの人間が、シジミを見た。

「シジミも、たまに滑るもんな」

たまにではない。

数えるほどである。

そもそも、シジミが滑ったところを見たからといって、シジミがいつも滑っていることにはならない。

人間は成功を数えない。

シジミが椅子へ飛び乗った回数。

窓辺へ着地した回数。

棚から長椅子へ飛び移った回数。

毎日、何度も成功している。

それらは当たり前として覚えていない。

一度足を滑らせると、それだけを覚えている。

人間は失敗のほうが印象に残るらしい。

自分の失敗については、早く忘れたがるくせに。

数日前、うちの人間は床に置かれていた小さな箱を踏んだ。

慌てて足を引き、反対の足で自分の鞄を蹴った。

鞄が倒れ、中から物がこぼれた。

それを拾おうとして、今度はテーブルへ頭をぶつけた。

シジミは最初から最後まで見ていた。

しかし、人間はすべて歩くのが下手だとは思わなかった。

うちの人間が、そのとき周囲をよく見ていなかっただけである。

箱を床へ置いたままにした。

歩く前に足元を確認しなかった。

物を拾う前にテーブルの位置を見なかった。

失敗には理由がある。

それを確認せず、人間全体の性質として扱うのは正しくない。

猫は公平である。

うちの人間は、画面の猫がもう一度映ると、また笑った。

今度は失敗した場面がゆっくりと再生されている。

足が滑る。

体が伸びる。

前足が台の端へ届かない。

床へ落ちる。

同じ失敗を、角度を変えて何度も見せている。

猫が一度失敗しただけでは足りないらしい。

人間はそれを繰り返し見て、さらに笑う。

成功した跳躍は、一度映して終わる。

失敗した跳躍は、ゆっくり再生し、戻して、もう一度見せる。

これでは、猫が失敗ばかりしているように見える。

実際には、その猫も毎日何度も跳んでいるはずだ。

床から椅子へ。

椅子から机へ。

机から窓辺へ。

そのほとんどに成功している。

成功した場面は普通すぎて、誰も撮らない。

一度失敗したところだけを残し、猫はドジだと言う。

人間は、見せられたものがすべてだと思っているのだろうか。

絵の動く箱の中では、切り取られた一瞬しか見えない。

その前に何があったのか。

その後にどうなったのか。

何度成功したうちの一度の失敗なのか。

それを考えず、画面に映った結果だけで決める。

猫だけではない。

人間は、ほかの人間に対しても同じことをしているのかもしれない。

一度間違えた。

一度転んだ。

一度うまくできなかった。

それだけを見て、その者は失敗する者だと決める。

猫のシジミには、人間同士の細かい事情は分からない。

ただ、うちの人間が画面を見ながら、知りもしない相手について、

「この人は駄目だな」

と言っているのを聞くことはある。

人間は、自分が見ていない時間があることを忘れやすい。

完璧な跳躍

シジミはテレビの前へ座った。

ちょうど画面の猫を隠す位置である。

うちの人間が体を傾ける。

「シジミ、見えないよ」

今見るべきものは、もうない。

一匹の猫が足を滑らせた。

それだけである。

同じ場面を何度見ても、猫全体がドジだという証明にはならない。

シジミはテレビの前から離れ、長椅子へ向かった。

飛び乗る前に、床へ前足を置く。

踏み切る場所を確認する。

何も落ちていない。

滑りやすい紙もない。

長椅子までの距離を見る。

いつも跳んでいる距離だ。

着地する場所を確認する。

うちの人間の隣が空いている。

飲み物も菓子も置かれていない。

着地したあとに体勢を崩す心配もない。

シジミは腰を落とした。

後ろ足へ力を入れる。

床を蹴る。

体が静かに宙へ浮く。

前足が長椅子へ届く。

続いて後ろ足が着地する。

長椅子は揺れない。

体勢も崩れない。

完璧な跳躍だった。

うちの人間は、シジミを一度見ただけで、すぐにテレビへ目を戻した。

成功しても、何も言わない。

当然できることだと思っている。

シジミが毎日繰り返している無数の成功は、一つも記憶に残らない。

それなのに、一度でも足を滑らせれば、何日も覚えている。

やはり人間は、成功よりも失敗を見るのが好きらしい。

シジミは長椅子の上で丸くなった。

画面では、猫が足を滑らせる場面が、また流れていた。

うちの人間が笑う。

「猫って、本当にドジだなあ」

シジミは目を閉じた。

「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」


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