

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。
止まりかける流れ
セトの身体の中に残った流れは、何度も止まりかけた。
シアが精霊力を集める。
ネアが量を抑え、細く整える。
その力を、セトの左手から左腕へ流した。
途中で流れが散る。
断裂した精霊回路から漏れ、胸へ届く前に身体の別の場所へ広がろうとした。
「少し弱めて」
「これ以上弱くしたら止まるぞ」
「強すぎれば、残っている回路まで壊れます」
ネアの指示で、シアが集める力をわずかに減らす。
ネアは切れた場所を避け、残っている細い流れへ向きを変えた。
それでも、長くは保たない。
少し前まで通っていた場所が塞がり、別の枝だけが残る。
ネアはその都度、使える経路を探し直した。
左腕から胸へ。
胸から右腕へ。
極剣と絶剣をつないだ経路に沿って、特に深く壊れている。
「ここじゃ駄目だ」
シアが周囲を見る。
隆起した岩山の裏側とはいえ、光の精霊王から十分に離れたとは言えない。
地面も時々低く震えていた。
「山を下りる途中に建物がありました」
「遠いか?」
「この状態でも運べる範囲です」
「行く」
シアはセトの背中と膝裏へ腕を回した。
力任せには担がない。
持ち上げた瞬間にも流れが外れないよう、ネアが胸へ手を当てたまま位置を合わせる。
「動くぞ」
「ゆっくりお願いします。揺れたら、すぐ止まってください」
シアは一歩だけ踏み出した。
揺らせない身体
一歩目で、セトの胸を通っていた流れがずれた。
「止まって」
ネアの声で、シアはすぐ足を止める。
抱えた身体を動かさず、その場で待った。
「今のでか?」
「はい。身体そのものが揺れると、使っていた経路の位置も変わります」
「そんなに脆いのか」
「脆いというより、固定できる道がほとんど残っていません」
ネアはセトの左腕へ細い力を流す。
さっきまで使えていた中央の経路は途切れていた。
少し外側へずらす。
胸の手前でまた消える。
さらに細くし、別の枝へ通す。
「今です」
シアがまた歩き始める。
今度は歩幅を小さくした。
岩の欠片を踏まない。
崩れた地面へ体重を落とさない。
セトを抱く腕の高さも変えない。
普段なら一息で越える段差を、一歩ずつ確かめる。
「炎で少し浮かせた方が揺れないんじゃないか」
「加速の瞬間に負荷が出ます。それに、着地で必ず揺れます」
「飛び続ければ?」
「今のシアでは、セトを抱えたまま細かく調整し続ける方が危険です」
シアは言い返さなかった。
戦う時なら、速さはそのまま安全につながる。
相手の攻撃より先に動き、危険な場所から抜ければいい。
今は、その速さを出すための踏み込みや着地こそが危険だった。
今は逆だった。
速く動くほど、セトの身体の中で使える道が崩れる。
ここでは最短時間より、揺らさないことの方が重要だった。
「面倒だな」
シアは小さく言う。
「ええ。ですが、今はそれをやるしかありません」
ネアの返事に、シアは歩幅をさらに狭くした。
遠回り
山小屋へ向かう途中で、道が二つに分かれた。
正面は短い。
ただし、光で隆起した地面が途中から急な斜面になり、岩が何段にも積み重なっている。
左側へ回れば遠いが、古い山道がまだ残っていた。
「正面で行く」
シアが即座に言った。
「左です」
「遠い」
「距離ではなく、揺れる回数で考えてください」
ネアが正面の斜面を見る。
一段上がるたび、セトの身体を持ち上げ直す必要がある。
足場が崩れれば、抱えているシアまで姿勢を変えなければならない。
「平らな道なら、流れを作り直す回数を減らせます」
「光の精霊王が来たら?」
「その時は別です。ですが、今のところ追ってくる気配はありません」
遠くの空が白く明滅する。
湖の方角では、まだ何かが変形し続けている。
光の精霊王が活動を止めたわけではない。
シアは正面と左を見比べた。
「……左だな」
二人は遠回りを選んだ。
速く着くためではない。
着くまでセトの流れを止めないためだった。
古い山道はところどころ崩れていたが、急な上下は少ない。
シアは炎を使わず歩く。
ネアはセトの胸へ触れたまま、呼吸するように細い流れを動かした。
「セト」
シアが呼びかけようとする。
「呼ばないでください」
「聞こえてるかもしれない」
「聞こえていても、返事をしようと身体を動かすかもしれません」
シアは口を閉じた。
返事が欲しい気持ちより、今は動かさないことを優先する。
それも、普段のシアには難しい選択だった。
山小屋
古い山小屋は、斜面へ半分埋もれるように建っていた。
壁の一部が傾き、屋根には穴が開いている。
それでも地面は比較的平らで、風も直接入りにくい。
ネアが先に扉を開けた。
中には木製の寝台と、小さな机だけが残っている。
「そこへ」
ネアが寝台を示す。
シアはすぐには下ろさなかった。
「どう置く?」
「背中からではなく、腰を先に。ゆっくりお願いします」
シアは言われた通りに動く。
腰が寝台へ触れる。
次に背中。
最後に頭を下ろした。
その途中で、流れがまた外れた。
「止まる!」
「分かってる!」
シアが精霊力を集める。
ネアは左腕と胸へ両手を置き、今まで使っていた経路を探した。
ない。
左腕から胸へ抜けていた道が、寝台へ横たえた時のわずかな姿勢変化だけで消えている。
「右へ流れない」
「押せばいいのか」
「押さないでください」
シアが伸ばした手を止めた。
「じゃあどうする」
「残っている場所を探します」
ネアは力を何本にも分ける。
一つずつ左腕へ通す。
ほとんどは途中で散った。
一本だけが、胸の外側を通って右肩へ届く。
ネアはほかを消し、その一本へ集めた。
「つながりました」
「これで大丈夫か?」
「いいえ。今は、です」
セトの身体が自分で流れを保っているわけではない。
ネアが道を探し、シアが必要な分だけ流している間だけ、辛うじて続いている。
屋根があり、平らな場所へ寝かせられた。
得られたのはそれだけだ。
山小屋へ着いた。
安全になったわけではなかった。
足りないのではない
シアは寝台の横へ座ったまま、セトの中へ流す力を見ていた。
入れても入れても、残る量が増えない。
「減ってる」
シアが言う。
「ええ」
「なら、もっと入れる」
「量を増やしても残りません」
「やってみないと分からないだろ」
シアが少しだけ出力を上げる。
ネアが止めるより早く、セトの左腕へ入る力が太くなった。
一瞬だけ胸まで届く量が増える。
次の瞬間、途中から大きく漏れた。
さっきまで使えていた細い経路まで押し広げられ、流れが崩れる。
「止めて!」
ネアの声に、シアはすぐ力を落とした。
ネアは別の経路を探し直す。
「……増えてない」
「はい」
「入れたのに」
「足りないのではありません」
ネアは散っていく精霊力を見た。
「通せる場所がないんです」
力そのものはある。
シアにも、ネアにも、まだセトへ流せるだけの精霊力は残っている。
だからこそ、足りない力を補えば済む状況ではないことが余計にはっきりした。
問題は量ではない。
受け取る側の道が壊れている。
「強く流せば、傷まで届くんじゃないのか」
「傷へ届く前に、切れた場所から漏れます。さらに強くすれば、残っている回路まで裂けます」
シアは拳を握った。
戦闘なら、大抵は足りないなら増やせばよかった。
火力が足りないなら、もっと出す。
距離が足りないなら、もっと加速する。
今はそれが通じない。
「力があるのに使えないのか」
「はい」
その答えが、シアには一番気に入らなかった。
残っている道
ネアは、極剣と絶剣が使った経路を一度意識から外した。
左手から左腕。
胸の中央。
右肩から右腕。
そこは一番大きな原光が通り、一番深く壊れた場所でもある。
「元の道を使おうとするから駄目なのかもしれません」
シアが顔を上げる。
「新しく作る?」
「いいえ。作れません」
ネアは即座に否定した。
「残っている枝を使います」
人間の精霊回路は一本の管ではない。
細い流れが何本も分かれ、身体の各所へ精霊力を運んでいる。
大きな流れを通した中央は壊れていても、その周辺に細い経路が残っている場所はある。
ネアは左腕の外側へ流す。
一本はすぐ消える。
次は肘の内側から肩へ。
そこも途中で切れる。
三本目が胸の上側へ届いた。
そこから右肩へ別の枝を探す。
「これなら」
「つながった?」
「一部だけです」
元通りにはしていない。
切れた場所を修復しているわけでもない。
まだ残っている場所を、その時だけ使っている。
「それなら治るまで続ければ」
「治る兆候はありません」
ネアは淡々と答えた。
「この道も、いつまで残るか分かりません」
「じゃあ、壊れたらまた別?」
「はい」
固定できない。
同じ経路を守ることもできない。
使える場所がなくなる前に、次の残存経路を見つけて移す。
それが今やっていることだった。
動かせない
山小屋へ着いてしばらくしても、セトの状態は安定しなかった。
寝台へ横たえたままでも、使える経路は少しずつ変わる。
ネアが一度手を離せば、細い流れはすぐに散り始める。
「もっとちゃんとした場所へ運んだ方がいいんじゃないか」
シアが扉の方を見る。
「人間の町なら、治療できる奴もいるかもしれない」
「今の状態では、そこまで動かせません」
ネアが答える。
「でも、ここには何もない」
「場所の問題ではありません。移動そのものが危険です」
山小屋へ来るまでの短い距離でも、何度も流れを作り直した。
寝台へ下ろしただけでも、使っていた経路が消えた。
「町まで抱えていけば」
「途中で完全に止まる可能性があります」
「止まったら、もう一回流す」
「今は止まりかける前に別の道へ移しています。完全に途切れた後でも同じことができるかは分かりません」
シアは扉から寝台へ視線を戻した。
「ここにいるしかない?」
「少なくとも、今すぐ移動するよりは安全です」
古びた山小屋に治療設備はない。
それでも、平らな寝台があり、雨風を避けられ、セトの身体を動かさずに済む。
それだけで、今は十分な理由になった。
「なら、ここを使う」
「はい」
山小屋は休憩場所ではなくなった。
セトをこれ以上動かさないための場所になった。
治療ではない
時間だけが過ぎていく。
山小屋の隙間から入る白い光が、少しずつ傾いた。
シアは何度も精霊力を集める。
ネアは量を整え、残っている経路へ流す。
途切れれば別へ移す。
「これで治ってるのか?」
シアが尋ねる。
「治ってはいません」
「じゃあ延命?」
「それも違います」
「何が違う」
ネアはセトの胸から手を離さない。
「止まったものを無理に動かしているわけではありません。まだ残っている流れを、完全に途切れさせないよう調整しているだけです」
「同じに聞こえる」
「治す方向へ進んでいない、という意味です」
シアは黙った。
回路が元に戻る兆候はない。
傷が塞がることもない。
精霊力を入れた分だけセト自身の力が増えるわけでもない。
ただ、止まりかける流れを次の道へ渡している。
「じゃあ、これを続けてもセトが起きるとは限らない?」
「はい」
「回路が戻るとも?」
「分かりません」
「いつまで続ければいい」
「それも分かりません」
ネアは分からないことを分からないまま答えた。
できるのは一つだけ。
今残っている流れを、完全には止めないこと。
「今の量なら、壊れてるところを広げてない?」
「見える範囲では。ただ、少しでも太くすれば先ほどと同じになります」
細すぎれば途切れる。
太くすれば残っている道まで壊す。
治療へ近づいているのではなく、その間だけを選び続けている。
止まった時に何が起こるかだけは、二人とも聞く必要がなかった。
風の到着
閉じていた扉が、風もないのに揺れた。
隙間から淡い緑色の光が入る。
シアが振り返る。
扉の向こうにフィオラが立っていた。
「シアさん、ネアさん」
フィオラは二人を見た後、寝台のセトへ視線を移した。
表情が変わる。
「何があったのですか」
「光の精霊王と戦った」
「見れば分かります。なぜ、セトさんがこの状態になっているのですか」
「私たちを剣から戻して、自分で戦った」
「自分で?」
「黒い剣で光を受けて、身体へ通して、白い剣から返した」
フィオラの視線が、セトの左腕から胸、右腕へ動く。
「身体の中を通したのですか」
「止めるものを外した。私たちが壊れるよりいいって」
フィオラは何も言わず、寝台の横へ膝をついた。
「触れます」
ネアがうなずく。
フィオラはセトの肩へ手を置いた。
淡い風が身体の周囲を巡る。
治すための風ではない。
身体の内側から漏れてくる、わずかな精霊力の動きを拾う。
「これは……」
「強くしないでください」
「分かりました」
フィオラはすぐに力を弱めた。
「お二人の精霊力が、遠くからでも分かるほど乱れていました。それで来ました」
「リグたちは?」
「リグさんたちにも、異常が起きたことだけ伝えました。こちらへ向かっているはずです」
フィオラはもう一度セトの流れを見る。
「今していることを教えてください」
固定しない
ネアが作っている細い流れへ、フィオラの風が沿う。
最初、フィオラはその流れを包み、形を安定させようとした。
「固定しないでください」
ネアがすぐ止める。
「ですが、このままでは崩れます」
「崩れること自体は止められません」
「では、どうやって保つのですか」
「保たないんです」
フィオラがわずかに眉を動かす。
「今使っている道が消えたら、別へ移します。固定しようとして力を集めると、その場所へ負荷が集中します」
フィオラは風をほどいた。
次に、途切れた流れをそのまま追おうとする。
「そこも駄目です」
「消えた道を追わない?」
「はい。追えば、切れた場所へ力を押し込むことになります」
フィオラは一度手を止めた。
「つまり、流れを守るのではなく」
「次に通れる場所を探します」
「その場所も崩れたら?」
「また次です」
フィオラはセトの左腕へ、ごく細い風を何本も伸ばした。
一つは途中で散る。
追わない。
二つ目は胸へ届かない。
そこへ押し込まない。
三つ目が右肩へ抜ける。
「ここです」
「はい。そのまま強くしないで」
フィオラは初めて、ネアがしていたことを理解した。
治癒でも固定でもない。
壊れていく中で、まだ残っている道だけを探し続ける。
風は何かを直すためではなく、流れの形を読むために細く使われた。
引き継ぐ風
フィオラの風が、ネアの作った流れへ重なる。
押さない。
引かない。
同じ幅で沿う。
「左腕の途中で分かれます」
ネアが言う。
「中央は通りません。外側です」
「こちらですね」
「はい。ただし、そこも長くは持ちません」
フィオラは風をさらに細くする。
セトの左腕から胸へ進む。
途中で途切れた。
フィオラは追わない。
消えた場所の手前で流れを分け、別の枝へ移す。
右肩へ届く。
「今です」
ネアの言葉に合わせ、フィオラがその流れを保つ。
ネアは少しずつ自分の力を抜いた。
最初は半分。
次に四分の一。
最後に、手を離す。
フィオラの風だけが、セトの身体を通った。
フィオラはそこで風を強めなかった。
自分の方が細かく動かせるからと、広く包もうともしない。
ネアから渡された幅と量を変えず、通れる場所だけを追う。
流れは弱い。
安定もしていない。
それでも止まってはいない。
「続けられます」
「どれくらい?」
「分かりません」
シアの表情が険しくなる。
「分からないのに続けられるって言ったのか」
「調整を続けることはできます。いつまで必要なのか、これで戻るのかは分かりません」
ネアが壁へ手をついた。
流れの制御を手放した途端、それまで張り詰めていた力が抜けた。
「ネア」
シアが立ち上がろうとする。
その足元も揺れた。
戦闘の消耗は、二人にも残っていた。
シアの赤い分霊核も、ネアの黒い分霊核も光が薄い。
セトだけでなく、二人までこの場で動けなくなれば、次に選べる手段そのものが減る。
一人で保つ
「まだ交代は終わっていません」
ネアが言った。
「フィオラ一人で保てるか、少し見ます」
「今もう手を離してるだろ」
「短い間なら、です」
シアは不満そうにしながらも座り直した。
フィオラは周囲からごく少量の原光を集める。
自分の風へ変えすぎない。
セトの中へ入れるのは、流れを押すためではなく、残っている経路をなぞるための最小量だけ。
最初の道が崩れる。
フィオラは別へ移す。
次の道も途中で細くなる。
そこで量を増やさず、さらに細い枝へ変える。
ネアは手を出さない。
シアも精霊力を足さない。
しばらくしても、流れは完全には止まらなかった。
「……私たちがいなくてもできる?」
シアが尋ねる。
「大丈夫とは言えません」
フィオラは即答した。
「ですが、お二人がここにいなくても、今している調整は続けられます」
「セトは治る?」
「それは分かりません」
「悪くなったら?」
「念話を送ります。正確な説明まではできませんが、危険な変化が起きたことは伝えられます」
ネアが小さく息を吐く。
「それで十分です」
セトが良くなったわけではない。
助かる見込みが増えたわけでもない。
ただ一つ変わった。
シアとネアが、この場に縛られ続ける必要だけはなくなった。
「途中で分からなくなったら?」
「その時は、無理に進めず念話を送ります」
「勝手に強くするなよ」
「しません。今教わったのは、強くする方法ではありませんから」
フィオラへ渡せたのは治療ではない。
止めないための仕事だった。
表面の傷
外で雷が鳴った。
一度だけ、短く白紫の光が走る。
次の瞬間、扉が開いた。
「フィオラ!」
ハルヴェンが山小屋へ入り、その後ろからリグが続く。
二人は周囲を確認してから寝台へ近づいた。
「セト?」
ハルヴェンは上着の裂け目、腕や肩に残る火傷、口元の乾いた血を見る。
胸はかすかに上下している。
手足も失われていない。
「外傷は……ないとは言いませんが、致命傷には見えません」
「体の表面だけ見るとそうだな」
リグはセトへ触れず、周囲の精霊力を見る。
フィオラの細い風が身体へ入り、その大半が途中で散っていた。
「中がほとんどつながってない」
「はい」
フィオラが答える。
「表面の傷より、精霊回路の損傷の方が問題です」
「回路?」
ハルヴェンが聞き返す。
「身体を動かす力も、治す力も、精霊力を必要な場所へ運ぶ経路を使います。その経路が左腕から胸、右腕にかけて特に深く壊れています」
ハルヴェンはもう一度セトを見る。
人間の目には、重傷ではあっても身体そのものが崩れているようには見えない。
だが精霊王たちが見ているものは違う。
フィオラの風は左腕へ入っても、同じ場所から右腕へ抜けてはいない。
途中で何度も枝分かれし、消え、別の場所から現れる。
リグにも、その不自然さは見えていた。
「一本につながってないのか」
「はい。使える場所をその都度変えています」
傷が少ないのではない。
致命的な損傷が、外から見えない場所に集中しているだけだった。
治す道がない
「自己治癒は動かないのですか」
ハルヴェンが尋ねる。
「動かすための精霊力が、必要な場所まで届きません」
フィオラが答える。
「では、外から治療術を使えば」
「強さの問題ではありません」
ネアが壁から身体を起こした。
「治す力を入れても、それを傷へ運ぶ道がありません」
「もっと強い治療術でも?」
「強く入れれば、切れた場所から多く漏れます。残っている回路まで傷つける可能性があります」
ハルヴェンが黙る。
通常なら、傷が深いほど大きな治療を使う。
失った力が多いなら、補う量を増やす。
だがセトの場合は逆だった。
「外の傷だけなら治せますか」
ハルヴェンが尋ねる。
「表面へ届く範囲なら。ただ、それを治しても中の回路は戻りません」
「先に外傷を全部治す意味もない?」
「必要な処置はします。ですが、大きな力を使う治療は今は避けます」
治療の力が弱いのではない。
治療を届ける経路が壊れている。
「今、フィオラは何をしてる」
リグが尋ねる。
「治してはいません」
フィオラはセトから目を離さない。
「流れが完全に止まらないよう、残っている経路へ移し続けています」
「それで戻る?」
「分かりません」
「止めたら?」
「それも分かりません。ただ、止めてよいとは思えません」
リグはしばらく黙ってから、山小屋の外を見る。
「要するに、治す手段は見つかってない」
「はい」
希望のある言い換えはしなかった。
今分かっていることは、それだけだった。
増やせるもの
リグが外の様子を確認して戻ってきた。
遠くの空はまだ白く明滅している。
「光の精霊王は追ってきてない」
「自分の身体と翼の修復を優先したようです」
ネアが答える。
「活動を止めたわけではありません」
「こっちから行ける状態でもないな」
リグの視線がセトへ向く。
「何か手はあるのですか」
ハルヴェンが聞いた。
誰もすぐには答えなかった。
セトは戦えない。
極剣と絶剣も使えない。
極炎と絶光は二個ずつの分霊核まで使っても光の精霊王を倒し切れなかった。
ほかの精霊王は、光の影響を受けている可能性がある。
時間を置けば、光の精霊王の活動が止まる保証もない。
「俺たちが加わるのは?」
ハルヴェンが自分とリグを指す。
「戦力にはなります。ただ、光の精霊王を止められる根拠にはなりません」
ネアは期待だけで数を増やさなかった。
シアが腰の近くへ手を伸ばす。
二個の赤い分霊核が、弱い光を返す。
ネアの周囲にも二個の黒い核が浮かんでいた。
「残りを探す」
「分霊核ですか」
「ああ」
「七個すべてそろえても、勝てるとは限りません」
ネアが言った。
「限りなく無理に近いでしょう」
「でも、今よりは強くなる」
「ええ」
ネアは否定しなかった。
「確実に増やせる戦力は、それしかありません」
今ある核は、シアもネアも二個ずつ。
同じ役割の分霊核は、まだ残っている。
見つければ少なくとも、自分たち自身が扱える力は増える。
勝てる手ではない。
それでも、今より前へ進む唯一の手だった。
残るか探すか
「ネアが行け」
シアが言った。
「私はここに残る」
「なぜですか」
「私が力を入れてた方が安定するだろ」
「今はフィオラが一人で保てています」
「何かあった時に、私がいた方が早い」
「シアがここにいても、セトの回路は治りません」
ネアの言葉に、シアが黙る。
「分霊核を探せば?」
「見つかれば、わたしたちの戦力は確実に増えます」
「私がここにいたら?」
「今の状態を見ているだけです」
シアは寝台を見る。
セトは動かない。
フィオラの細い風だけが身体を流れている。
「……私がいても増えない?」
「はい」
「分霊核なら増える」
「はい」
フィオラがセトの胸へ触れたまま、シアを見る。
「ここで大きな変化があれば、すぐにお二人へ念話を送ります」
「私が戻るまで待つなよ」
「危険なら、その時点で送ります」
シアは大きく息を吐いた。
「気に入らない」
「わたしもです」
ネアが静かに答える。
「ですが、今できることを選ぶしかありません」
シアはしばらくセトを見た後、赤い分霊核を二個とも自分の近くへ戻した。
「分かった。探す」
セトのそばに残ることと、セトのためにできることは同じではない。
そこを分けるのに、シアは時間がかかった。
「ただし、見つけたらすぐ戻る」
「見つける前に危険が来た場合も連絡してください」
「分かってる」
「本当に?」
「今それやるか?」
ネアは少しだけ目を細めた。
戦力分担
「では、ここはわたしたちが守ります」
ハルヴェンが言った。
「俺とリグで周辺を警戒します。光の精霊王と戦えと言われると困りますが、ほかのものを山小屋へ近づけないことならできます」
「俺まで勝手に入れたな」
「違いますか?」
「違わない」
リグは扉の外を見る。
「この辺りにいる次代の精霊王が、光の影響でどう動くか分からない。シアとネアがいなくなるなら、誰かが外を見る必要がある」
「中はわたしが見ます」
フィオラが答えた。
「流れに大きな変化があれば念話を送ります。ただし、正確な位置や長い説明はできません」
「危険かどうか分かれば十分だ」
シアが寝台のそばへ戻る。
「私たちを戻したことは、まだ許してない」
返事はない。
「勝手に壊れたこともだ」
フィオラの風に支えられ、セトの胸がわずかに上下する。
「だから、起きたら話す」
シアはそれだけ言い、寝台から離れた。
ネアもセトのそばへ立つ。
「フィオラさん、わたしたちが戻るまでお願いします」
「はい。止めません」
フィオラはセトから手を離さない。
リグは外。
ハルヴェンは山小屋の周囲。
フィオラは中。
シアとネアは探索。
誰も光の精霊王を倒せるとは言わなかった。
リグとハルヴェンの役目も、光の精霊王との再戦ではない。
フィオラの調整を邪魔するものを近づけず、山小屋を今のまま保つことだった。
今できる役割だけを分けた。
二つの方向
山小屋を出ると、空は白く曇っていた。
雲ではない。
遠くで放たれた光が、大気の中へ残っている。
シアとネアは山道の途中で立ち止まった。
「私は北から回る」
「では、わたしは西へ向かいます。以前集めた人間側の情報で、まだ確認していない地域があります。集落が残っていれば、追加の情報も集めます」
「一緒に探した方が安全じゃないか」
「一緒にいても、シアに分かるのは火の分霊核。わたしに分かるのは月の分霊核です」
「火を見つけてから月へ行けばいい」
「その間、もう一方の探索は進みません」
シアは不満そうに空を見る。
だが反論はしなかった。
「見つけたら連絡する」
「危険な場合もです」
「分かった」
「本当に?」
「分かったと言っただろ」
ネアはシアを見たまま、少し間を置いた。
「必ず戻りましょう」
「ああ」
二人は別々の方向へ進んだ。
同じ場所を二人で探すより、火と月を同時に探す。
危険が増えることは分かっている。
それでも、光の精霊王が活動を続けている以上、時間を二倍には使えない。
シアは崩れた斜面を上り、北へ向かう。
ネアは残された山道をたどり、西へ向かう。
背後の山小屋は、すぐに岩陰へ隠れた。
その中では、フィオラの細い風がセトの身体を流れ続けている。
治ってはいない。
助かる方法も分からない。
それでも、止まりかけた精霊回路は、まだ完全には止まっていなかった。
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ TOPへ

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。
気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。
カクヨム版はこちら:
https://kakuyomu.jp/works/2912051606413324517
小説家になろう版はこちら:
https://ncode.syosetu.com/n8296mp/


コメント