非正規転生~転生したけど最弱スキルすらもらってない~ 第5.5話 過去は心からの距離で測る

非正規転生~転生したけど最弱スキルすらもらってない~ 第5.5話 過去は心からの距離で測る 創作実験
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非正規転生~転生したけど最弱スキルすらもらってない~ 第5.5話 過去は心からの距離で測る 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

(一)言葉の差分

夜、倉庫の隅で、山科理人は木片を見直していた。

太陽の印。沈む太陽の印。

袋。薬草箱。荷役獣。犬。湿り。たぶん。不明。後で確認。

記録としては粗い。
絵は下手だ。印も揃っていない。数も怪しい。
だが、何もないよりはいい。
理人は、煤のついた指で、太陽の印をなぞった。

朝。夕。昨日。明日。

このあたりの言葉は、少しずつ分かってきた。
そう思っていた。
だが、リナが横から木片をのぞき込み、昨日の印を指して、いくつか違う音を口にした。

「ソル」
「ソラ」
「ソレン」

理人は顔を上げた。

「……今の、全部、昨日という意味の言葉なのか?」

リナは首を傾げた。
理人の言葉は、まだ十分には通じない。
だが、理人が混乱していることだけは伝わったらしい。
リナは木片を指した。
それから、倉庫の奥を指す。
次に、荷役獣を指す。
さらに、自分の胸に手を当てた。

同じ過去。

だが、同じ言葉ではない。
理人は、少しだけ背筋を伸ばした。
数字ではない。
今度は、言葉の差分だった。

(二)ソル、ソラ、ソレン

理人は、昨日の朝に数えた南棚を指した。
リナがすぐに言う。

「ソル」

理人はうなずきかけた。

ソル。昨日。

そう覚えようとした。
だが、リナは次に、昨日の夕方に犬が吠えた薬草箱を指した。

「ソラ」

理人の手が止まった。
今のは、少し違った。
ソルではない。

ソラ。

さらにリナは、前にも三番の荷役獣が北棚の袋を嫌がったことを示すように、三番の荷役獣と北棚を順に指した。

「ソレン」

理人は、木片の端に三つの音を書いた。

ソル。ソラ。ソレン。

正確な発音ではない。
理人の耳で、そう聞こえただけだ。
だが、同じではないことだけは分かる。
理人には、どれも過去の話に聞こえた。
日本語なら、たぶん全部「昨日」や「前」として処理してしまう。
必要なら、昨日の朝、昨日の夕方、前にもあったこと、と言い足せばいい。
だが、リナはそれらを同じ言葉でまとめなかった。

ソル。自分で見たもの。まだ近いもの。手触りが残っているもの。

ソラ。昨日のことではあるが、理由が分からないもの。少し距離を置いているもの。

ソレン。前にもあった。聞いたことがある。覚えてはいるが、はっきり掴めないもの。

少なくとも、理人にはそう見えた。
時間の前後だけではない。
話している者が、その出来事をどれだけ近く感じているか。
そこまで、言葉に混ざっている。
理人は、木片の端に三つの印を描いた。

昨日、一。昨日、二。昨日、三。

正確ではない。
だが、まず分けなければ、何が違うのかも分からない。

(三)近い昨日と遠い昨日

理人は、もう一度、昨日の朝に見た南棚を指した。
リナは迷わず答えた。

「ソル」

近い。

理人には、そう聞こえた。
次に、前にも三番の荷役獣が北棚の袋を嫌がった話を指す。
リナは少し考えてから、別の言葉を使った。

「ソレン」

遠い。

そんな響きだった。
理人は小石を二つ置いた。

近い石。遠い石。

リナはそれを見て、少し笑った。
理人は真剣だった。
昨日かどうかではない。
今のリナから、どれだけ近いか。

自分で見たか。まだ覚えているか。手が届くことか。もう曖昧になっていることか。

この世界の過去は、一直線に並んでいない。
理人には、そんなふうに見え始めた。

昨日。前。昔。

それらは、時間の順番だけで決まるものではない。
少なくとも、リナの言葉ではそうらしい。
理人は木片に、近い石と遠い石の印を描いた。
リナはそれを見て、南棚を指した。

近い石。

次に、北棚を指した。

遠い石。

理人はうなずいた。

「そう。たぶん、そう」

たぶん。

その言葉を口にして、理人は少しだけ苦笑した。
結局、それもまだ確定ではなかった。

(四)見た過去、聞いた過去

理人は、自分の目を指した。

見る。

次に、木片の目の印を指す。
リナがうなずく。
理人は、自分の耳を指した。

聞く。

木片の耳の印を指す。
リナがまたうなずく。
そこで理人は、昨日の袋の話を二つに分けた。

リナが見た袋。
荷運びの男から聞いた袋。

どちらも過去だ。
だが、リナは違う言葉にした。
自分で見た袋には、ソルに近い音。
聞いただけの袋には、ソレンに近い音。
理人は、ようやく少し分かった。

見た過去は近い。
聞いた過去は少し遠い。

時間の問題ではない。
自分の目からの距離だ。
理人は木片に、小さな線を引いた。

見た。近い。
聞いた。少し遠い。

リナは、その印を見て、少し不思議そうにした。
だが、否定はしなかった。
理人は、木片の端を軽く叩いた。

「見た、聞いた、違う」

ほとんど日本語だった。
それでも、リナは目の印と耳の印を見比べた。
それから、ゆっくりとうなずく。
前にも同じことをやった。
聞いたことと、見たことは違う。
その違いが、今度は時間の言葉にも出ている。
理人は小さく息を吐いた。
記録は、ますます面倒になっていた。
だが、面倒だからこそ、面白くもあった。

(五)思い出したくない過去

理人は、少し迷ってから、木片の端を指した。
昨日、リナが書けずに手を止めた場所。
リナの顔が、少しだけ曇った。
理人はすぐに指を引こうとした。
だが、リナは首を横に振らなかった。
彼女は、小さな声で言葉を言った。

「ソレン」

理人は、その響きを聞いた。

遠い。

昨日のことなのに、遠い。
南棚を数えた昨日より、ずっと遠い。
薬草箱を見た昨日より、さらに遠い。
理人は、木片を見る。
時間としては近い。
だが、心はそこに近づきたくない。
だから、言葉が遠くなる。
理人は何も言わなかった。
無理に近づけるものではない。
ただ、木片に小さな印を足した。

遠い昨日。

リナはその印を見た。
少しだけ目を伏せた。
それでも、消してとは言わなかった。
理人は、前世のことを少し思い出した。

昨日の会議。先月の失敗。三年前の炎上案件。

時間だけなら、昨日が一番近い。
だが、心が近いとは限らない。
昨日のことでも、もう触れたくないものがある。
昔のことでも、今も手触りが残っているものがある。
この世界の言葉は、その距離を隠さないのかもしれない。
理人は、遠い石をリナから少し離れた場所に置いた。
リナはそれを見て、ほんの少しだけ息を吐いた。

(六)未来にも距離がある

理人は、今度は明日の太陽を描いた。

明日。

リナは、朝の水汲みを指した。
短い言葉を言う。

近い。

理人には、そう聞こえる。
次に、薬草箱の「後で確認」の印を指した。
リナは、別の言い方をした。

少し遠い。

明日見るかもしれない。
でも、まだ確定していない。
次に、三番の荷役獣がまた袋を嫌がるかもしれない、という話をした。
リナは、さらに違う言葉を使った。
それは、未来というより、不安に近い。
理人は息を吐いた。
未来も、一つではない。

予定。確認。可能性。不安。

日本語なら全部、未来の話だ。
だが、この世界では距離が違う。

近い未来。遠い未来。できれば来てほしくない未来。

理人は木片に、三つの印を足した。

予定。後で確認。起きてほしくない。

まだ正確ではない。
だが、何も書かないよりはいい。
リナは、明日の水桶を指して近い石を置いた。
薬草箱の印には、少し遠い石を置いた。
そして、荷役獣が嫌がるかもしれない袋には、遠い石を置いた後、少し迷って、さらに横へずらした。

近づけたくない。

そんな置き方だった。
理人は、その指の動きを見ていた。
言葉よりも先に、距離が見えた気がした。

(七)荷役獣の説明

リナは、しばらく考えていた。
それから、三番の荷役獣を指した。
荷役獣は、藁の上で眠そうにしている。
リナは、昼間にその荷役獣が北棚の袋を嫌がったしぐさをした。
次に、自分の胸を指す。
それから、近い石を指した。
理人はうなずいた。
今日見たから近い。
リナは、次に、前にも似たことがあったと示すように、少し遠い石を指した。

昔のこと。

だが、完全に忘れたわけではない。
次に、荷役獣が怖がって逃げた時のしぐさをした。
そして、もっと遠い石を指した。
理人は、少しだけ分かった。
怖い記憶は、近いようで遠い。
体には残っている。
でも、言葉では遠ざける。
リナは文法を説明しているわけではない。
文法という言葉を、彼女はたぶん知らない。
それでも、彼女は説明していた。

荷役獣の耳。足。鼻。逃げるしぐさ。食べないしぐさ。

それらを使って、出来事との距離を示している。
理人にとっては十分だった。
この世界の言葉は、辞書より先に、体の感覚と結びついている。
理人は、眠そうな荷役獣を見た。
荷役獣は何も知らない顔で、鼻を鳴らした。
リナは少し笑った。
理人も、つられて少しだけ笑った。

(八)予定と見込み

理人は、前世の会議を思い出した。

来週対応します。対応予定です。対応見込みです。対応できる可能性があります。対応が必要か確認します。

どれも未来の話だ。
だが、意味はまるで違う。

予定。見込み。希望。責任逃れ。まだ何も決まっていないもの。

同じ未来でも、そこには距離があった。
近い未来は、約束になる。
遠い未来は、願望になる。
もっと遠い未来は、リスクになる。
理人は苦笑した。
異世界語が特殊なのではない。
日本語でも、たぶん同じことをしていた。
ただ、自分が気にしていなかっただけだ。
理人は木片を見た。
言葉は、時間をそのまま写すものではない。
人がその時間にどう触れているかを、一緒に残してしまう。

厄介だ。

だが、面白い。
前世で扱っていたデータも同じだった。

予定日。見込み日。確定日。報告日。実施日。

全部、日付だ。
だが、同じ日付ではない。
どの立場で、何を見て、どの距離から言っているのか。
それを混ぜると、表はきれいに見えても中身が壊れる。
理人は木片の印を見直した。

朝。夕。後で確認。たぶん。不明。

この粗い木片は、案外、前世の帳票より正直かもしれなかった。

(九)位置、時間、心

おそらく、これは「たぶん」だけの問題ではない。
この世界の言葉そのものが、位置と時間と心の遠さを混ぜて扱いやすいのだ。
言葉にそういう性質があるなら、文化にも同じ癖があると見た方がいい。

遠い場所。遠い過去。遠ざけたい記憶。まだ確かめていないこと。

それらが、一つの「遠さ」として扱われる。
話すだけなら、それで通じる。
だが、記録には向かない。
記録は、何が遠いのかを分けなければならないからだ。
理人は、木片に置いた小さな印を見た。

たぶん。不明。後で確認。

位置と、時間と、心の遠さ。
それらが一つの言葉に混ざるのは、記録を取るには少し相性が悪い。

何が遠いのか。どれくらい前なのか。自分で見たのか。聞いただけなのか。思い出したくないから遠いのか。

それらを分けなければ、あとで見返した時、何が分からなかったのかさえ分からなくなる。
理人は、木片の余白を見た。
余白は少ない。
言葉の距離を全部記録しようとすれば、すぐに足りなくなる。
だから、全部は書けない。
書けないなら、最低限だけ残す。

見たのか。聞いたのか。近いのか。遠いのか。後で近づけるつもりがあるのか。

まずは、それくらいでいい。

(十)近い、遠い

理人は、木片の端に小さな印を二つ足した。

近い。遠い。

それだけでは足りない気もする。
だが、今はそれ以上増やすと、リナが困る。
記録は、使えなければ意味がない。
理人は、近い石を木片の上に置いた。

昨日、自分で見たこと。

次に、遠い石を置く。

前に聞いたこと。

リナは、それを見て少し首を傾げた。
理人は言った。

「時間、違う。心、違う」

通じない。

当然だ。

理人は自分の胸を指した。
次に、近い石を指す。
それから、遠い石を指す。
リナは、少し考えた。
そして、昨日リナがためらった欄に、遠い石を置いた。
理人はうなずいた。
正確ではないかもしれない。
だが、今はそれでいい。
この記録は完成品ではない。
二人で育てるものだ。
理人は近い印と遠い印の間に、小さな点を置いた。

たぶん。

リナがその点を見た。

「たぶん」

理人は言う。
リナは、点の印を指して、似た現地語を言った。
理人はそれを繰り返した。
発音は少し違う。
リナは首を傾げる。
だが、笑わなかった。
それもまた、最初の頃から変わらないことだった。

(十一)言葉の距離

その夜、木片には新しい印が増えた。

近い昨日。遠い昨日。見た過去。聞いた過去。近い予定。遠い不安。

どれも、まだ正しいとは言えない。
リナも、全部を説明できたわけではない。
理人も、全部を理解できたわけではない。
だが、一つだけ分かった。
言葉は、出来事をそのまま運んでくれるものではない。
言葉は、話す人と出来事の距離を、一緒に運んでくる。
理人は、木片を伏せた。

袋の数。薬草包み。犬の吠え声。荷役獣の反応。

そこに、もう一つ増えた。

言葉の距離。

理人は小さく息を吐いた。
この世界では、過去も未来も、心からの距離で少しだけ形を変える。
記録を取る側からすれば、厄介だ。

位置なのか。時間なのか。確かさなのか。それとも、近づきたくないという気持ちなのか。

一つずつ分けなければ、あとで見返した時に分からなくなる。
だが、面倒だからといって、雑な言葉だと切り捨てるのも違う気がした。
話す人が、出来事からどれだけ離れているのか。
その出来事に、まだ触れていたいのか。
それとも、少し遠ざけたいのか。
この世界の言葉は、そういうものまで一緒に運んでしまう。
記録には向かない。
けれど、見方を変えれば、情緒のある言葉なのかもしれない。
美しい、とまではまだ言い切れない。
だが、少なくとも、ただ不便なだけではなかった。
リナが首を傾げる。
理人は少し笑った。

「たぶん」

リナは、木片の点の印を指した。

たぶん。

理人はうなずいた。
もちろん、それもまだ仮説だった。

たぶん。不明。後で確認。

(十二)ログ

ログ
意味距離:検出
時系列整合:未確定

注記:
同一時点内に複数の距離表現を確認。


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