
巣は勝手に出来上がらない
春が終わるころになると、家の近くでカラスが子育てを始める。
巣そのものは、春の初めから作っていた。
高い木の上へ、細い枝を何度も運んでいたので、シジミは知っている。
最初は一本。
次に二本。
少し曲がった枝。
短い枝。
どこかの人間が捨てた細い針金まで運んでいた。
カラスは空を飛べる。
そのため、人間はカラスが何でも簡単にできると思っているらしい。
だが、巣は勝手に出来上がるわけではない。
枝を探す。
くちばしで持つ。
高い場所まで運ぶ。
すでに置いた枝の間へ差し込む。
形が悪ければ抜き、別の場所へ置き直す。
一度運んだものが地面へ落ちることもある。
そのたびに、また拾いに降りる。
人間が家を作るほど大がかりではないが、カラスにとっては十分な仕事である。
うちの人間も、カラスが枝を運んでいるところを何度か見ていた。
窓辺に立ち、肩へ落ちた栗色の髪を耳へかけながら言う。
「巣を作ってるのかな」
作っている。
あれだけ何度も同じ木へ枝を運んでいるのだから、それ以外には考えにくい。
カラスが枝集めを趣味にしていると思ったのだろうか。
うちの人間は、巣のある木を見上げた。
「赤ちゃん、生まれるといいね」
そのときは、ずいぶん楽しそうだった。
カラスが枝を運べば、頑張っている。
巣ができれば、かわいい。
子が生まれれば、うれしい。
そこまではよい。
問題は、そのあとである。
子育て中のカラス
子育て中のカラスは気性が荒い。
正確には、普段より警戒心が強くなる。
近くを通る者。
巣を見上げる者。
足を止める者。
木へ近づく者。
自分たちの子へ危害を加える可能性があるものを、すべて注意深く見る。
必要だと判断すれば、鳴いて警告する。
近くを飛ぶ。
頭の上をかすめる。
それでも離れなければ、さらに強く追い払うこともある。
それはカラスが乱暴だからではない。
巣の中に、逃げられない子がいるからである。
大人のカラスなら、自分で飛べる。
危険が来れば距離を取れる。
高い場所へ逃げられる。
だが、子は違う。
まだ飛べない。
飛べるようになったばかりでも、うまく逃げられない。
巣の近くから動けない。
だから親が守る。
守らなければ、子が危険にさらされる。
当たり前のことである。
争う必要があるか
シジミは、カラスに負けるとは思っていない。
地面の上なら、動きの細かさはこちらが上である。
木や塀の上へ移れば、逃げ道も多い。
爪もある。
歯もある。
相手の動きを見て避けることもできる。
一羽を相手にするだけなら、どうにもならないとは思わない。
だが、だから近づくという話にはならない。
勝てるかもしれないことと、争う必要があることは別である。
怪我をすれば困る。
目を狙われれば危険である。
カラスにも仲間がいる。
一羽を避けても、別の一羽が後ろから来るかもしれない。
何より、わが子を守ろうとする動物の怖さを、シジミは知っている。
普段は逃げる動物でも、子がいれば逃げないことがある。
自分より大きな相手へも向かっていく。
傷つくことより、子を守ることを優先する。
そのときの動物は、強いか弱いかだけでは動かない。
追い払うまで諦めない。
シジミは、そのような相手へ不用意に近づいたりはしない。
巣のある木の近くは通らない。
どうしても通る必要があるなら、可能なかぎり距離を取る。
木を見上げない。
立ち止まらない。
カラスのほうへ体を向けない。
尾を大きく振らない。
毛を逆立てない。
敵意がないことを示しながら、静かに通り過ぎる。
相手の子に用はない。
縄張りを奪うつもりもない。
ただ道を通るだけである。
それが伝われば、カラスも必要以上には追ってこない。
動物同士なら、相手が何をしようとしているかを体の動きから読む。
見る。
近づく。
立ち止まる。
背を向ける。
距離を取る。
それぞれに意味がある。
十分に怪しい
ところが、うちの人間はそこらへんがまったく分かっていない。
巣が作られていた木の下を、いつもどおり通る。
しかも、カラスが鳴けば上を見る。
巣がありそうな場所を探す。
足を止める。
「あの辺かな」
などと言いながら、枝の間を見続ける。
カラスからすれば、十分に怪しい。
自分たちの巣の近くへ来た。
立ち止まった。
巣を見上げた。
子のいる場所を探している。
敵意があると思われても仕方がない。
その日も、うちの人間は何も考えずに巣の近くを歩いていた。
仕事へ行くときよりもゆったりした服装で、栗色の髪を低い位置でまとめている。
片手には小さな買い物袋。
もう片方の手には、絵の光る板を持っていた。
歩きながら見るものではない。
前を見たほうがよい。
シジミは少し離れた塀の上を歩いていた。
巣のある木へ近づくにつれ、カラスの声が聞こえてくる。
「来たぞ」
一羽が高い枝から、こちらを見ていた。
もう一羽は巣の近くにいる。
「下に人間」
「黒い猫もいる」
カラスはシジミのことも見ている。
当然である。
猫は木へ登れる。
鳥の子を狙うこともある。
カラスから見れば、人間よりも警戒すべき相手かもしれない。
シジミは塀の上で歩く位置を変えた。
巣のある木から、さらに離れる。
顔も向けない。
歩く速さも変えない。
気づいていないふりをするのではない。
そちらへ近づくつもりがないと示している。
枝の上のカラスが、シジミを見た。
「黒い猫、離れた」
巣の近くにいたカラスが答える。
「ならいい」
話が早い。
問題は、うちの人間
問題は、うちの人間である。
うちの人間は、カラスの声を聞いて顔を上げた。
「あ、カラス」
見れば分かる。
そのまま通り過ぎればよい。
だが、うちの人間は足を止めた。
高い木を見上げる。
「この辺に巣があったよね」
あったよね、ではない。
今もある。
そして、その巣を守っているカラスが、すぐ上から見ている。
枝の上のカラスが、低い声で鳴いた。
「止まったぞ」
もう一羽が答える。
「巣を見てる」
「怪しい」
うちの人間は、さらに木へ近づいた。
枝の隙間をのぞこうとしている。
絵の光る板まで持ち上げた。
写真を撮るつもりなのかもしれない。
カラスからすれば、人間が何を持っているかなど関係ない。
手を上げた。
巣へ何かを向けた。
十分に警戒する行動である。
一羽のカラスが、強く鳴いた。
「離れろ!」
うちの人間が少し肩をすくめた。
「うるさいなあ」
うるさくしている原因は、うちの人間である。
立ち止まらなければ、そこまで強く鳴かれなかった。
巣を見上げなければ、警戒もされなかった。
それでも、うちの人間は動かない。
「どこに巣があるんだろう」
探さなくてよい。
見つけてどうするのだろう。
子がいると確認する。
写真を撮る。
かわいいと言う。
おそらく、それだけである。
だが、親のカラスには、その目的が分からない。
人間が子を見て満足するだけかどうかなど、判断できない。
近づく者は危険。
巣を見る者は危険。
そのように考えるほうが、子を守るには正しい。
人間が、
「見るだけ」
と言ったところで、カラスには関係ない。
見るだけの者と、襲う前に様子を確認する者は、最初の行動が同じだからである。
次はもっと近く行くぞ
枝の上のカラスが飛び立った。
羽音がする。
うちの人間の頭上を大きく回る。
「離れろ!」
うちの人間がようやく一歩動いた。
だが、離れる方向ではない。
カラスの姿を目で追うため、さらに木の近くへ寄った。
なぜそちらへ行くのだろう。
警告されているのに、警告している者を見ようとする。
人間は危険を感じると、原因を確認したくなるらしい。
だが、確認するために近づけば、相手はさらに警戒する。
カラスがもう一度近くを飛んだ。
今度は先ほどより低い。
うちの人間の頭の少し上を通り過ぎる。
風で髪が揺れた。
うちの人間が声を上げる。
「わっ!」
ようやく危険だと分かったらしい。
カラスは近くの電線へ止まった。
「次はもっと近く行くぞ」
巣のそばにいるカラスが答える。
「まだ離れない」
うちの人間は、頭を押さえながらカラスを見た。
「あーもう、カラスって気性が荒いよね」
違う。
カラスだから気性が荒いのではない。
子育て中だから気性が荒いのである。
正確には、気性が荒くなったのではない。
守る必要があるため、普段より強く警戒している。
その場所から離れればよい。
木を見上げるのをやめればよい。
巣へ近づかなければよい。
カラスが街中の人間を、理由もなく追い回しているわけではない。
うちの人間が子のいる場所へ近づいた。
巣を見上げた。
その場へ立ち続けた。
だから追い払われている。
原因は分かりやすい。
カラスは気性が荒い
それなのに、うちの人間は、
「カラスは気性が荒い」
で話を終わらせた。
相手の事情を考えることなく、種類の性質へしてしまう。
カラスだから乱暴。
犬だから吠える。
猫だから気まぐれ。
鳥だからかわいらしく鳴く。
人間は相手の行動を見ても、そのときの状況をあまり考えない。
最初から持っている印象へ当てはめる。
カラスは怖い。
だから襲ってきた。
自分が巣へ近づいたことは、考えの中から消えている。
うちの人間は歩き出した。
だが、まだカラスを振り返っている。
何度も後ろを見る。
立ち止まりそうになる。
そのたびにカラスが鳴く。
「まだ見てる!」
「早く行け!」
振り返るから警告が続く。
警告が続くから、うちの人間はまた振り返る。
実に効率が悪い。
背を向けて、そのまま離れれば終わる。
シジミは塀の上から、うちの人間へ向かって短く鳴いた。
こちらへ来い。
木から離れろ。
うちの人間がシジミを見る。
「シジミ、怖いの?」
怖いわけではない。
早く離れたほうがよいと教えている。
だが、うちの人間はシジミがカラスを怖がっていると思ったらしい。
「大丈夫だよ。もう行くからね」
最初から、そうしてほしい。
うちの人間は少し足を速めた。
巣のある木から離れる。
カラスの声が弱くなった。
頭上を飛んでいた一羽も、巣の近くへ戻っていく。
追ってこない。
目的は、うちの人間を傷つけることではない。
巣から遠ざけることだった。
離れたから、もう追う必要がない。
それだけである。
気をつけるべきは誰か
うちの人間は安全なところまで来ると、深く息を吐いた。
「びっくりした」
驚く理由はなかった。
最初から鳴いて警告されていた。
近くを飛ぶ前にも、何度も離れろと言われていた。
カラスは突然襲ってきたわけではない。
うちの人間が警告を理解できなかっただけである。
うちの人間は乱れた髪を手で整えた。
「シジミも気をつけないと駄目だよ。カラスって猫も襲うんだから」
知っている。
だから最初から距離を取っていた。
気をつける必要があるのは、うちの人間のほうである。
シジミは巣のある場所を知っていた。
カラスが子育て中であることも知っていた。
近づけば警戒されることも分かっていた。
一方、うちの人間は巣があると知りながら、わざわざ近づいた。
カラスの声を聞きながら、木を見上げた。
手まで持ち上げた。
追い払われたあとで、
「気性が荒い」
と文句を言う。
そして、何もしていないシジミへ気をつけろと言う。
人間は自分が失敗すると、近くにいる者へ注意をすることがある。
自分が転びそうになったあとで、
「足元に気をつけて」
と言う。
自分が忘れ物をしたあとで、
「忘れ物ない?」
と聞く。
自分がカラスへ近づいて追われたあとで、猫へ気をつけろと言う。
覚えたことをすぐ他者へ教えたくなるのだろう。
まず、自分で覚えたほうがよい。
別の道
その日の帰り道。
うちの人間は、また巣のある木の近くへ向かおうとした。
同じ道で帰れば、そこを通ることになる。
シジミは少し手前で、別の細い道へ入った。
遠回りにはなる。
だが、カラスの巣からは十分に離れられる。
うちの人間が足を止めた。
「シジミ、そっちじゃないよ」
そちらでよい。
巣の前を通らずに帰れる。
シジミはそのまま進んだ。
うちの人間は少し迷ったあと、あとからついてきた。
「今日はこっちから帰りたいの?」
今日だけではない。
子育てが終わるまでは、こちらのほうがよい。
うちの人間は、シジミが気まぐれに道を変えたと思っているようだった。
だが、理由はある。
少し距離が長くても、安全な道を選ぶ。
争わなくてよい相手とは争わない。
子を守っている親の近くへ、興味だけで近づかない。
人間より知能が低いと言われる猫でも、その程度は考える。
ようやく学習した
翌日。
うちの人間は一人で外へ出た。
シジミは窓辺から、その姿を見ていた。
昨日と同じ方向へ歩いていく。
途中で、巣のある木へ続く道と、遠回りになる細い道に分かれる。
うちの人間は一度立ち止まった。
昨日カラスに追われたことを思い出したらしい。
少し考えたあと、細い道へ入った。
ようやく学習したようである。
シジミは少し感心した。
人間も、経験から学ぶことはある。
ただし、帰ってきたうちの人間は、こう言った。
「今日はカラスがいない道を通ってきた。あの辺のカラス、怖いから」
まだ少し違う。
あの辺のカラスが、特別に怖いわけではない。
今は子育て中だから、巣の近くを警戒している。
子が育ち、その場所を離れれば、同じカラスでも追ってこなくなるだろう。
いつでも。
どこでも。
誰にでも。
理由なく襲うわけではない。
状況によって行動が変わる。
動物として、普通のことである。
うちの人間だって、普段は穏やかである。
だが、シジミの食事を知らない者が勝手に持っていこうとすれば、怒るだろう。
家へ知らない人間が入ってくれば、警戒する。
大切にしているものへ手を伸ばされれば、止めようとする。
そのとき、相手から、
「人間って気性が荒い」
と言われたら、納得しないはずだ。
理由があると言うだろう。
勝手に入ってきた。
大切なものへ触れた。
守ろうとしただけ。
カラスも同じである。
だが、人間は自分の行動には理由があり、動物の行動は種類の性質だと思う。
自分が怒れば、怒らせた相手が悪い。
カラスが怒れば、カラスは気性が荒い。
ずいぶん自分たちに都合がよい。
近づかずに見守る
数日後。
うちの人間は窓から、巣のある木を遠くに眺めていた。
カラスが一羽、木の上を飛んでいる。
うちの人間は言った。
「赤ちゃん、無事に育ってるのかな」
追い払われても、子のことは気になるらしい。
それなら、近づかずに見守ればよい。
カラスが守っているのだから、任せておけばよい。
何でも自分の目で確認する必要はない。
人間は動物をかわいいと思うと、近くで見たがる。
子がいれば、さらに近づきたがる。
写真を撮る。
声をかける。
触れそうなら触ろうとする。
自分には悪意がないから、相手も怖がらないと思っている。
だが、悪意があるかどうかは、近づかれる側には分からない。
子育て中の親が、知らない者の善意を信じる必要もない。
距離を取る。
邪魔をしない。
見守る。
それも、相手を大切にする方法である。
うちの人間は窓の向こうを見ながら、少し考えた。
「子どもを守ってたんだもんね」
ようやく気づいたらしい。
シジミは窓辺で目を細めた。
「だから、あんなに怒ってたのか」
最初から、そうである。
カラスだから気性が荒いのではない。
親だから、子を守っていた。
理解するまでに何度か追われる必要はあったが、分かったなら悪くない。
うちの人間は、遠くの木を見ながら続けた。
「でも、やっぱり怖いなあ」
怖いのなら、近づかなければよい。
それも最初から分かっている。
シジミは猫語でつぶやく。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
本ページに掲載している本文、画像の著作権は作者に帰属します。
作者本人または作者が許諾した媒体を除き、無断転載・無断複製・無断配布・改変利用を禁じます。
感想・紹介・レビュー等で一部を引用する場合は、引用元ページ名またはURLを明記し、引用部分が分かる形で、必要な範囲に限ってご利用ください。
本作品は、作者本人により自サイト・カクヨム・小説家になろう等に掲載される場合があります。
本当に人間ってあさはかな生き物だよね TOPへ

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。
気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。
カクヨム版はこちら:
https://kakuyomu.jp/works/2912051604999063509
小説家になろう版はこちら:
https://ncode.syosetu.com/n5059mn/


コメント