
ボス猫
この辺りには、ほかの猫たちから恐れられているボス猫がいる。
体が大きい。顔も大きい。
歩き方はゆっくりしているが、動きが鈍いからではない。
周囲が自分を避けると分かっているため、急ぐ必要がないのである。
狭い塀の上で向かい合えば、ほかの猫が道を譲る。
食事の匂いがする場所へ現れれば、先にいた猫たちは少し離れる。
目が合えば、先にそらす。
それが、この辺りで暮らす猫たちの決まりだった。
シジミも、わざわざ争おうとは思わない。
恐れているわけではない。
争う理由がないだけである。
勝ったところで食事が増えるわけではない。
負ければ怪我をする。
別の道を使えば済む。
実に非効率である。
ぶちゃ猫かわいい
もっとも、そんなボス猫にも、一度だけ威厳を大きく失った出来事があった。
近所の子どもに捕まったのである。
ボス猫は、子どもなら自分を恐れると思っていたらしい。
毛を膨らませる。
低い声を出す。
目を細めて、にらみつける。
普通の猫なら、それ以上近づかない。
大人の人間も、少し距離を取る。
だが、その子どもは違った。
「ぶちゃ猫かわいい!」
そう叫びながら近づき、ボス猫を両腕で抱き上げた。
ボス猫は完全に対応を誤った。
まさか自分の威嚇が、
かわいい。
という評価へ変換されるとは思っていなかったのだろう。
暴れれば逃げられたかもしれない。
だが、突然の出来事に動きが止まった。
そのまま子どもに抱えられ、
「まるい!」
「おもい!」
「顔おっきい!」
と、本人が最も言われたくなさそうなことを次々に言われた。
近くにいた猫たちは、その光景を見ていた。
もちろんシジミも見ていた。
忘れたほうがよい
ボス猫は解放されたあと、何事もなかったような顔で立ち去った。
だが、しばらくのあいだ、ほかの猫たちから、
「ぶちゃ猫」
と小さな声で呼ばれていた。
ボス猫が振り返ると、全員が黙る。
いなくなると、また話す。
「まるいって言われてた」
「おもいって」
「顔も大きいって」
「あれ、かわいいの?」
「人間にはそう見えるらしい」
ボス猫にとっては、忘れたい出来事だっただろう。
幸い、それからかなり時間がたった。
猫たちは、いつまでも過去を引きずらない。
危険だった場所は覚える。
食事が得られる場所も覚える。
敵の匂いも忘れない。
だが、生活に必要のない恥ずかしい出来事を、何度も思い返したりはしない。
人間は、ときどき眠る前になって、
「あのとき、ああ言えばよかった」
と、すでに終わった会話をやり直している。
相手は覚えていないかもしれない。
今さら何も変わらない。
それでも、自分の中だけで何度も再現する。
動物が過去を引きずらないことが、いつでもよいとは限らない。
同じ失敗を繰り返すこともある。
だが、少なくとも、
「ぶちゃ猫かわいい!」
と抱き上げられた件については、忘れたほうがよい。
ボス猫も、周囲の猫たちも、すでにほとんど気にしていなかった。
今日もボス猫
今日もボス猫は、威厳に満ちた様子で道を歩いていた。
背中を丸めない。
尾も下げない。
道の中央を進む。
ほかの猫がいれば、先に避ける。
ボス猫は、それを当然のこととして受け入れる。
シジミは少し離れた塀の上から、その姿を見ていた。
以前の出来事を知らなければ、たしかに立派なボス猫に見える。
知っていても、今は立派に見える。
過去に子どもへ捕まったことと、今ここでほかの猫を従わせていることは別である。
一度威厳を失ったからといって、永遠に失ったままではない。
ボス猫は、家具店の前へ差しかかった。
店は棚卸しの途中らしい。
人間たちが店の中から椅子や棚を動かしている。
箱を数える。
紙へ数字を書く。
また別の箱を運ぶ。
人間は、ときどき自分たちが持っているものをすべて数える。
昨日まであったものが、今日もあるか確認するためらしい。
数える必要はない
猫なら、必要なものがその場にあるかだけを見る。
寝床。食事。水。逃げ道。
数える必要はない。
人間は、椅子が十脚あるのか十一脚あるのかで困る。
使う椅子が足りているなら、どちらでもよいように思える。
だが、人間の暮らしには数字が必要らしい。
鏡の中の猫
店の前には、大きな鏡が置かれていた。
店内から一時的に運び出されたものだろう。
人間一人の体が、ほとんど全部映るほど大きい。
鏡は建物の壁へ立てかけられている。
正面には、道が映っていた。
通り過ぎる人間。自転車。向かい側の建物。
そして、家具店へ近づいてくるボス猫。
ボス猫は、鏡の存在に気づいていなかった。
ただ、道を歩いていた。
その視界の端へ、大きな猫が現れた。
ボス猫の足が止まる。
鏡の中の猫も止まった。
ボス猫が顔を上げる。
鏡の猫も顔を上げる。
ボス猫は、初めて見る相手をじっと見た。
「何だ、あいつは」
鏡の中には、丸い猫がいた。
体が大きい。
脚は、体と比べると少し短く見える。
顔も丸い。
頬の毛が左右へ広がっている。
耳は片方が少し欠けている。
目つきは鋭い。
全体として、かなり強そうではある。
だが、整った姿とは言いにくい。
ボス猫は、しばらく相手を見た。
相手も、まったく同じ目で見返している。
ボス猫の体へ力が入った。
「なんて不細工な猫だ!」
鏡の猫の口も動く。
「しかも、俺をにらみつけやがって」
鏡の猫も、さらに目を細めた。
ボス猫は、自分の姿だと気づいていない。
外で暮らす動物は、鏡を知らないことが多い。
水面へ姿が映ることはある。
だが、水は揺れる。暗い。角度によって消える。
全身がはっきり映ることも少ない。
鏡のように、自分とまったく同じ動きをする姿を、正面から長く見る機会はない。
自分の姿は知らない
それに、動物は自分がどのような姿をしているか知らなくても困らない。
周囲に猫がいる。
自分も猫である。
ならば、自分もだいたい似たような姿をしているだろう。
その程度の理解で十分である。
シジミも、自分が黒いことは周囲の反応から分かっている。
夜は見つかりにくい。
明るい場所では目立つ。
うちの人間が、
「黒くてかわいい」
と何度も言う。
だから黒いらしい。
赤い首輪をしていることも、体へ触れる感覚と周囲の言葉で分かる。
だが、自分の顔が正面からどう見えるか。
目がどのような形か。
座ったときに体がどれほど丸く見えるか。
そこまで正確には知らない。
必要がないからである。
ボス猫も同じだった。
周囲の猫を見て、自分も似た姿だと思っていたのだろう。
細い猫。耳の大きな猫。顔の小さな猫。毛並みの整った猫。
その平均に近い姿を、自分にも当てはめていたのかもしれない。
だが、鏡に映った猫は違った。
丸い。顔が大きい。目つきが悪い。不細工。
こんな猫を、ボス猫は今まで見たことがなかった。
なぜなら、見ていたのはほかの猫ばかりだからである。
自分と同じほど丸く、同じほど顔の大きな猫が、近くにいなかった。
逃げないのか
ボス猫は一歩、鏡へ近づいた。
鏡の猫も近づく。
「逃げないのか」
逃げるはずがない。
「俺が誰だか分かってないらしいな」
相手はボス猫本人である。
当然、よく分かっている。
ただし、ボス猫だけが分かっていない。
ボス猫は体を大きく見せるため、少し背を高くした。
鏡の猫も同じ姿勢になる。
丸い体が、さらに大きく見えた。
ボス猫が低い声を出す。
鏡の猫も口を動かす。
音は鏡から聞こえない。
ボス猫は耳を動かした。
「声を出さないのか」
自分の声が、相手の声でもある。
だが、音は自分の喉からしか聞こえない。
そのため、鏡の猫が無言で威嚇しているように見えたらしい。
黙ってにらむだけか
「黙ってにらむだけか」
ボス猫は少しいら立った。
相手は一歩も引かない。
目もそらさない。
ボス猫が右へ動けば、相手は左へ動く。
左へ動けば、相手は右へ動く。
どちらへ進んでも正面へ回り込まれているように見える。
「俺の動きをまねしてやがる」
そのとおりである。
鏡だから。
ボス猫は尾を大きく振った。
鏡の中でも、太い尾が動く。
「その尾まで何だ」
自分の尾である。
だが、ボス猫は初めて、自分の尾がほかの者からどう見えるのかを知った。
思っていたより太かったのかもしれない。
ボス猫は鏡の横へ回った。
相手の側面へ出るつもりらしい。
鏡の端へ近づくと、相手も端へ移る。
さらに進む。
鏡から猫が消えた。
ボス猫は足を止めた。
鏡の裏側をのぞく。
誰もいない。
周囲の匂いを嗅ぐ。
知らない猫の匂いはない。
あるのは自分の匂い。家具店の匂い。人間の匂い。木と布の匂い。
ボス猫は少し混乱した。
鏡の正面へ戻る。
不細工な猫が、また現れた。
「出たり消えたりしやがる」
自分が映る位置へ戻っただけである。
永遠に終わらない勝負
シジミは塀の上から見ていた。
ボス猫へ教えるべきか少し考えた。
あれは自分だ。
そう言っても、すぐには信じないだろう。
むしろ、
俺があんな不細工なはずがない。
と怒る可能性が高い。
ボス猫は、鏡の猫をにらみ続けた。
鏡の猫も同じようににらみ返す。
先に目をそらしたほうが負け。
猫同士では、そういう場面がある。
だが、相手は鏡である。
ボス猫が目をそらさないかぎり、相手もそらさない。
勝負は永遠に終わらない。
ボス猫の毛が逆立つ。
体がさらに丸く、大きくなる。
鏡の猫も同じように膨らむ。
「まだ大きくなるのか」
自分で大きくしたのである。
「何だ、その体は」
自分の体である。
「顔も丸すぎるだろう」
自分の顔である。
ボス猫は、自分が相手へ言っている言葉が、すべて自分へ返っていることを知らない。
人間にも、似たようなところがある。
他人の欠点はよく見える。
声が大きい。話が長い。自分の意見を曲げない。すぐ怒る。
そう言いながら、自分も同じことをしている。
だが、自分の姿は自分から見えにくい。
相手を見ているとき、自分がどのような顔をしているかは分からない。
だから、
「あの人は嫌な顔でこちらを見た」
と言いながら、自分も同じ顔をしている。
反撃しただと
ボス猫は、ついに前足を上げた。
鏡の猫も前足を上げる。
「やる気か」
自分から上げたのである。
ボス猫が鏡を叩いた。
硬い音がした。
前足に冷たい感触が返る。
鏡の猫も、同時にこちらを叩いたように見える。
ボス猫は驚いて一歩下がった。
「反撃しただと」
反撃ではない。
自分が鏡へ触れただけである。
ボス猫は、もう一度前足を出した。
今度はゆっくりである。
鏡の猫の前足も近づく。
肉球と肉球が重なる。
間には、硬い板がある。
匂いはしない。
体温もない。
それでも姿だけはある。
ボス猫は首を傾げた。
鏡の猫も首を傾げる。
右。左。同じ動き。
ボス猫は少しずつ気づき始めたようだった。
前足を下ろす。
相手も下ろす。
耳を動かす。
相手も動かす。
口を開ける。
相手も開ける。
ボス猫は、鏡のすぐ近くまで顔を寄せた。
鼻先が鏡へ触れそうになる。
そこにいる猫の顔が、さらに大きく見えた。
丸い。
確かに丸い。
頬が広い。
鼻の周りの毛が、微妙に左右で違う。
片方の耳には、昔の喧嘩でできた欠けがある。
ボス猫の耳にも、同じ欠けがある。
ようやく理解したらしい。
「……俺?」
鏡の猫も、同じ口の形をした。
ボス猫は動かなくなった。
今日初めて、自分の姿を知ったのである。
自分なら貫禄がある
丸い。顔が大きい。不細工。
先ほど、自分でそう評価した。
知らない猫だと思っていたから、遠慮がなかった。
自分だと分かってから、
よく見れば威厳がある。
個性的な顔だ。
強者らしい体格だ。
そう言い換えることもできる。
人間なら、すぐにするだろう。
他人なら太っている。自分なら貫禄がある。
他人なら目つきが悪い。自分なら意志が強い。
他人なら顔が大きい。自分なら堂々としている。
言葉は便利である。
だが、ボス猫はまだ何も言わなかった。
鏡の中の自分を見続けている。
おそらく、あの子どもの言葉を思い出したのだろう。
「ぶちゃ猫かわいい!」
「まるい!」
「おもい!」
「顔おっきい!」
忘れかけていた記憶が、急に戻ってきたらしい。
過去を引きずらない動物でも、今の情報とつながれば思い出す。
ボス猫の耳が少し横へ向いた。
鏡の中でも同じように動く。
「本当に丸い」
小さく言った。
一番強そうに見える角度
シジミには聞こえた。
ボス猫は鏡の前で横を向いた。
自分の体を横から見る。
腹の辺りが、思ったより下へ広がっている。
毛のせいもある。冬毛かもしれない。食事をよく得られる立場だからかもしれない。
ボス猫は少し腹へ力を入れた。
鏡の中の体が、わずかに細くなる。
すぐに力を抜く。
元へ戻る。
「毛だな」
自分へ言い聞かせた。
かなりの部分は毛だろう。
すべてではない。
ボス猫は正面へ向き直った。
顔を見る。
少し角度を変える。
右から見る。
左から見る。
人間が写真を撮るときのようである。
どう見れば一番強そうか確認しているらしい。
顎を少し上げる。
悪くない。
目を細める。
威圧感が増す。
顔の丸さも少し目立たなくなる。
ボス猫は、その角度でしばらく止まった。
「まあ、悪くない」
評価を変えた。
最初は、
なんて不細工な猫だ。
と言っていた。
自分だと分かれば、
悪くない。
になる。
やはり人間と同じである。
猫って、自分だと分からないんだよね
そのとき、家具店の中から人間が二人出てきた。
鏡を運ぶためらしい。
ボス猫はすぐに鏡から離れた。
自分の姿を熱心に見ていたところを知られたくないのかもしれない。
一人の人間がボス猫を見つけた。
「あ、猫」
もう一人も鏡とボス猫を見比べた。
「鏡の中の猫に驚いてたのかな」
「猫って、自分だと分からないんだよね」
二人は笑った。
「鏡の裏を探してた」
「かわいい」
ボス猫は、人間たちをにらんだ。
「笑うな」
人間には通じない。
人間は、猫が鏡へ映った自分を認識できないと笑うことがある。
目の前の姿を自分だと分からない。
鏡の裏を探す。威嚇する。
それを見て、
猫は鏡も分からない。
と評価する。
鏡を認識できないことがおかしいと思っているらしい。
だが、それは人間が鏡のある世界で育ったからである。
幼いころから、何度も鏡を見せられる。
抱かれたまま映る。
手を動かす。
鏡の中の手も動く。
顔へ触れる。
鏡の姿も同じ場所へ触れる。
大人から、
「これはあなた」
と教えられる。
毎朝、顔を見る。
髪を整える。
服を確認する。
写真も見る。
自分が外からどのように見えるかを、何度も学ぶ。
それだけ経験しているのだから、鏡の姿を自分だと分かるのは当然である。
鏡がほとんど存在しない世界
では、鏡がほとんど存在しない世界で人間が育ったら、どうなるだろう。
自分の顔を一度も見たことがない。
写真もない。
水面には、ぼんやりとしか映らない。
周囲の人間を見て、自分も似た姿だろうと思っているだけである。
その人間が、ある日突然、大きな鏡の前へ立つ。
見たことのない者が、こちらをにらんでいる。
自分が動けば動く。
近づけば近づく。
右へ動けば、相手も横へ回る。
鏡の裏には誰もいない。
その人間は、最初から、
これは自分だ。
と理解できるだろうか。
答えは否である
答えは否である。
少なくとも、すぐには分からない。
驚く。警戒する。
後ろを見る。
鏡の裏を確認する。
相手が自分の動きをまねしていると思う。
反応は、このボス猫とほとんど変わらないだろう。
違いがあるとすれば、人間はあとから鏡の仕組みを説明できることくらいである。
光が反射している。
左右が逆に見える。
そこに別の人間がいるわけではない。
その仕組みを誰かから教えられれば理解する。
だが、最初に驚かなかったことにはならない。
人間は、自分たちが長い時間をかけて覚えたことを、最初から知っていた能力のように扱う。
文字を読めない者を見て、
簡単なのに。
と言う。
道具を使えない者を見て、
見れば分かる。
と言う。
鏡を知らない動物を見て、
自分だと分からないのか。
と笑う。
自分も教えられなければ分からなかった可能性を考えない。
知っている側に立つと、知らなかったころの自分を忘れる。
丸くてかわいい
人間たちは、鏡を運びながらまだ笑っていた。
「猫って鏡苦手なんだな」
ボス猫は耳を横へ向けた。
先ほど鏡に映った自分が不細工だったことより、人間に笑われたことのほうが気に入らないらしい。
一人が言った。
「でも丸くてかわいいね」
ボス猫の体が一瞬止まった。
もう一人も言う。
「顔も大きい」
ボス猫はすぐに歩き出した。
威厳に満ちた足取りを保とうとしている。
だが、少しだけ速い。
家具店から離れたいらしい。
塀の上にいるシジミの近くを通る。
シジミは何も言わなかった。
ボス猫も、シジミを見なかった。
そのまま通り過ぎる。
少し先には、若い猫が二匹いた。
ボス猫に気づき、道を空ける。
「ボスだ」
「今日も怖い顔」
ボス猫は、いつもどおり道の中央を歩いた。
若い猫たちは頭を低くする。
ボス猫は止まらない。
先ほど鏡で見たばかりの丸い体を揺らしながら、堂々と進む。
外見を知ったからといって、立場が変わるわけではない。
不細工でも強い。
丸くても恐れられる。
顔が大きくても、道は空く。
考えてみれば、何も問題はない。
困るのは、本人が自分をもっと細く、整った顔だと思っていたことだけである。
ボス猫はボス猫
ボス猫は若い猫たちの前を通り過ぎた。
一匹が小さく言った。
「なんか今日、顎上げてない?」
もう一匹が答える。
「いつもより格好つけてる」
聞こえている。
ボス猫の耳が少し動いた。
だが、振り返らなかった。
新しく見つけた、一番強そうに見える角度を守っているらしい。
シジミは少し離れて、その後ろ姿を見た。
ボス猫は今日、初めて自分の姿を見た。
最初に不細工だと思った。
自分だと分かって驚いた。
毛のせいだと考えた。
角度を変えた。
最後には、悪くないと結論づけた。
現実を認めたのか。
自分に都合よく言い換えたのか。
その両方だろう。
だが、自分の姿を知ったあとも、ボス猫はボス猫だった。
周囲の猫も、丸いからといって急に恐れなくなるわけではない。
以前から同じ姿を見ていた。
知らなかったのは、本人だけである。
本人だけが見ていない
人間も、自分だけが知らない自分の姿を持っている。
話しているときの顔。怒っているときの声。歩いているときの姿。
周囲は毎日見ている。
本人だけが見ていない。
それなのに、自分がどう見えているかを一番よく知っているつもりでいる。
鏡を知らない猫を笑う。
だが、鏡を知らずに育った人間も、同じように驚く。
自分たちが慣れているものを、理解して当然のものだと思う。
慣れていない者を、能力が足りないように扱う。
自分が覚えるまでに使った時間だけは、きれいに忘れている。
シジミは猫語でつぶやく。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
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