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黒い宝玉
伝言に書かれていた店は、町の南側にあった。
宝石を売る店ではない。
金属や石を削り、装飾品の部品を作る加工場だった。
「黒くて、小さくて、加工できない玉」
セトが店主へ伝える。
「ああ。それなら、これでしょう」
店主は作業台の下から、小さな木箱を取り出した。
中に入っていたのは、指先ほどの黒い玉だった。
光を反射しているはずなのに、表面のどこが明るいのか分かりにくい。
黒い色が外側にあるというより、奥まで暗いものが詰まっているように見えた。
「削ろうとしたのですか」
ネアが尋ねる。
「穴を開けて、首飾りにするつもりでした。刃が欠けただけでしたが」
箱の隅には、折れた細い工具が残されていた。
返らない月の力
「確かめます」
ネアは黒い玉から数歩離れた。
羽衣の縁へ、淡い銀色の光が走る。
薄く広げられた月の力が、加工場の壁、床、工具、積まれた石へ触れて戻ってくる。
木箱の中央だけ、何も返らなかった。
「これですね」
「もう分かった?」
シアが黒い玉をのぞき込む。
「ええ。わたしの力だけが吸収されています」
シアも細い炎の力を近づける。
赤橙色の力は、黒い玉の表面へ触れ、そのまま戻った。
「私のは入らない」
「月の分霊核ですから」
「黒いと見つけにくい」
「赤ければ見つけやすいわけでもありません」
「私は見つけた」
「商人が候補を三つまで絞った後です」
シアは少し考えた。
「半分は私」
「かなり多く見積もりましたね」
加工できないだけの石
店主は三人の会話を聞きながら、木箱へ目を落とした。
「それは、本当に何かの道具なのですか」
「月の精霊王が使う器です」
セトが答える。
「今までは、ただの石だったのか」
「力が入っていなかっただけです」
ネアが言った。
「人間が持っていても、勝手に動くことはありません」
「加工できない理由も、その器だから?」
「おそらくは」
店主は折れた工具を見る。
「なるほど。腕が悪かったわけではないのか」
「そこまでは分かりません」
「ネア」
セトが小さく呼ぶ。
「器の方が原因です」
ネアは言い直した。
「工具の扱いについては判断できません」
「それで十分です」
二つ目の売買
黒い玉は、加工場へ持ち込まれた古い装飾品の中に混ざっていた。
金具は壊れており、ほかの石はすでに取り外されている。
黒い玉だけが加工できず、処分する理由もなかったため残されていた。
「買い取れますか」
セトが尋ねる。
「構いません。ただ、正体を聞いた後では、値を付けにくいですね」
「元の石としての値段でお願いします」
ネアが言う。
「精霊王が使えば価値が変わるからといって、人間が使えない状態の価値まで変わるわけではありません」
「高くしても買うと思う」
シアが言った。
「シア」
「昨日の人も言ってた」
「言っていましたが、今それを教える必要はありません」
店主は笑い、最初に考えていた値段を示した。
セトはその額を支払った。
月の器
三人は町の外へ移動した。
シアの分霊核を試した空き地とは、反対側にある岩場だった。
周囲には大きな物がなく、力が反射した場合も確認しやすい。
「少しずつ入れます」
ネアは黒い玉を掌へ載せた。
「ネアなら言われなくても分かってる」
シアが言う。
「あなたを見た後ですから、なおさら慎重になります」
「壊れなかった」
「壊れなかった結果だけを基準にはしません」
ネアの指先から、細い銀青色の力が流れる。
黒い玉は、光を吸い込むように月の力を受け入れた。
しばらくすると、内部に細い銀色の線が現れた。
線は円を描くように巡り、黒い玉が静かに浮き上がる。
シアとの違い
ネアは、シアのように分霊核を周囲へ回さず、掌の上で止めていた。
「動かない」
シアが言う。
「止めているからです」
ネアが意識を向けると、黒い玉が右へ滑った。
上下へ動かす。
背後へ回す。
再び正面へ戻す。
どの動きにも揺れが少ない。
「最初から上手い」
「分霊核を動かした経験はありません」
「でも、私より上手い」
「力を離れた位置で制御することには慣れています」
ネアは黒い玉から銀色の線を伸ばした。
線は岩へ触れ、表面をなぞってから消える。
「攻撃より、こっちの方が合っていますね」
二つの観測点
ネアは黒い分霊核を八メートルほど離した。
自分の足元と、分霊核の下にある地面へ同時に細い線を通す。
「何をしてる?」
シアが尋ねる。
「石の内部を見ています」
「両方?」
「ええ」
ネアの足元にある石と、黒い分霊核の下にある石。
硬さも、内部のひびも、原光の通り方も異なっている。
ネアは二つの違いを同時に捉えていた。
「頭が二つになった感じ?」
「そこまでは増えていません」
「手が二つ?」
「それは最初からあります」
「もう一人のネア」
「増えていません」
セトが黒い分霊核を見る。
「別の場所へ、ネアの力を置けるということか」
「その表現が近いですね」
地面が動いた報告
確認を終える前に、町の兵士が空き地へ走ってきた。
「南東の平原から、新しい報告です」
兵士は息を整えながら、折り畳まれた地図を広げた。
「地面の隆起が急に広がっています。街道が途中で折れ、川の流れも変わり始めました」
「土の精霊王」
セトが言う。
「おそらく」
ネアは地図へ視線を落とす。
以前から異変が報告されていた地域だった。
これまでは小さな地割れや、一晩で地面の高さが変わる程度だった。
今朝になって範囲が急に広がったという。
「人の姿は?」
「確認されていません。ですが、地面の近くから声を聞いた者がいます」
「何と言っていた」
「大地を動かしている、と」
南東の平原
三人はその日のうちに町を出た。
黒い分霊核には、移動しながら少しずつ月の力を蓄える。
夕方になる前に、最初の異変が見えた。
街道が途中から斜めに持ち上がっている。
石を並べて作られた道が、緩やかな坂になったのではない。
途中で折れ、片側だけが数メートル高くなっていた。
「道を作り直してる?」
シアが上を見る。
「道ではなく、その下の地面を動かした結果でしょう」
ネアは崩れた石の隙間へ力を通す。
「かなり深い場所から押し上げられています」
「戻せる?」
「ここだけなら」
「全部は?」
「どこまで続いているかによります」
街道の先には、同じように傾いた地面が何か所も見えていた。
ずれた川
平原を流れていた川は、途中で進路を変えていた。
元の川床には浅い水だけが残り、新しく沈んだ土地へ水が流れ込んでいる。
その先には畑があった。
兵士と住民が土を積み、水を止めようとしている。
「このままでは、夜までに畑が沈みます」
現場を指揮していた兵士が言った。
「上流をせき止めることはできますが、別の場所があふれる可能性があります」
「川を戻します」
ネアが新しい流れへ近づく。
銀青色の線が地面へ沈む。
川床を押し下げている土の力へ触れ、その向きを少しずつ変えていく。
沈み続けていた地面が止まった。
「止まった?」
シアが尋ねる。
「ここは」
遠くで、低い音が響いた。
畑の反対側にある丘が、ゆっくりと高くなり始めていた。
一か所を止めれば
「向こうへ移った」
セトが言う。
「移ったのではありません」
ネアは川床へ力を残したまま、丘を見る。
「最初から、複数の場所へ作用しています」
丘の斜面が持ち上がり、上に生えていた木が傾く。
ネアが川へ向けていた力を弱め、丘へ細い線を飛ばす。
隆起は止まった。
その瞬間、川床が再び沈み始める。
「片方を止めると、片方が動く」
シアが言った。
「今のままでは、そうなります」
「分霊核」
「ええ。ただ、先に土の精霊王の位置を確かめます」
ネアは黒い玉を自分の近くへ戻した。
地面からの声
川と丘の間に、何も建っていない場所があった。
地面は平らだが、その下だけ原光の流れが密集している。
ネアがそこへ近づく。
「土の精霊王」
返事はなかった。
シアが地面を踏む。
「いるんでしょ」
足元から、低い声が響いた。
「いる」
地面の一か所から聞こえた声ではない。
川岸、丘、街道。
動いている土地のすべてから、同じ声が返ってきた。
「姿は?」
シアが尋ねる。
「ここにある」
「見えない」
「大地を見ている」
「大地全部がおまえ?」
「すべてではない。動かしている場所は、私に近い」
大地の活性化
「なぜ、土地を動かしているのですか」
ネアが尋ねる。
「大地は動く」
土の精霊王の声が答えた。
「動かなければ、同じ形のまま古くなる」
「山や川は、今も少しずつ変化しています」
「遅い」
「何を急いでいるのですか」
「山を作る。山を崩す。陸を海へ沈める。海の底を陸へ上げる」
地面が小さく震える。
「大陸を動かせば、海が分かれる。土地が離れれば、生命も分かれる。違う場所で、違うものが生まれる」
「そのために、ここを沈める?」
シアが畑を指した。
「ここでなくてもよい。だが、ここでもよい」
創世期の理屈
「世界が形を持つ前なら、必要だったでしょう」
ネアが言う。
「何もない大地へ山を作り、海と陸を分ける。土地を離し、異なる環境を作ることも」
「今も必要だ」
「今は、すでに山があります。海も、大陸も、異なる環境で生きる生命もあります」
「増やせる」
「増やすために、今あるものを壊しています」
「壊れた場所には、新しいものが生まれる」
土の精霊王の声に、悪意はなかった。
古いものが崩れ、その跡から新しいものが生まれる。
それだけを見れば、間違いではない。
だが、今ここで壊されるものには、暮らしている人間と、すでに根を張った生命が含まれている。
結果だけを見る王
「新しいものが生まれれば、消えたものはどうでもいい?」
シアが尋ねる。
「消えたものは戻らない」
「だから聞いてる」
「別のものが生まれる」
「同じじゃない」
「同じである必要はない」
シアの周囲へ、赤い炎が薄く広がる。
「家を潰して、別の家ができればいいって言ってる」
「家は大地ではない」
「家も大地の上にある」
セトが間へ入る。
「話している間も、川と丘を動かしているな」
「動かすことが役割だ」
「なら、止める」
地面の震えが少し強くなった。
「止められるなら」
月と土
ネアが両腕を広げる。
羽衣の縁から銀青色の線が何本も伸び、地面へ沈んだ。
土の精霊王が固定し、押し上げ、形を変えようとしている原光の流れを捉える。
月の力は、土そのものを砕く力ではない。
物質へ変化を与える前の流れを吸収し、曲げ、分散させる。
丘を持ち上げていた力が横へ逸れ、地面の中で薄まった。
川床を沈めていた力は、複数の方向へ分けられ、深く押し込む圧力を失う。
二つの土地の動きが止まった。
「止めた」
シアが言う。
「まだです」
ネアの視線は、足元へ向いたままだった。
本体の位置
動きを止められた土の力が、一か所へ戻り始める。
川と丘の間にある、平らな地面。
何も見えなかった場所が、ゆっくり盛り上がった。
土と石が人の輪郭に近い形を作る。
完全な身体ではない。
地面から上半身だけを押し出したような姿だった。
顔に当たる部分には、目も口もない。
それでも、声はそこから聞こえた。
「月は、大地の動きを止める」
「永遠に止めるわけではありません」
ネアは土の人影へ線を集中させる。
「今、あなたが加えている変化を止めています」
「ここを止めても、ほかを動かせる」
「試してみてください」
離れた隆起
土の精霊王の人影が、地面へ手を触れた。
ネアの近くにある力は動かない。
銀青色の線が絡み、土へ変換される前の流れを押さえている。
代わりに、街道の向こうから大きな音が響いた。
遠く離れた場所で、地面が盛り上がっている。
避難中の荷車が傾き、人々が声を上げた。
「こっちは止められても、あっちは動く」
土の精霊王が言う。
「広い場所を動かせば、すべては止められない」
ネアが遠くを見る。
今、本体へ向けている制御を外せば、足元の土地が再び動く。
遠方を放置すれば、街道と荷車が崩れる。
「昨日の私と同じ」
シアが言う。
「攻撃と防御じゃないけど」
「ええ」
ネアの横へ、黒い分霊核が浮かび上がった。
黒い制御点
「分霊核を、街道側へ」
セトが言う。
「そのつもりです」
黒い玉が、ネアから八メートルほど離れた。
街道までは、そこからさらに距離がある。
ネアは分霊核を起点に、銀色の線を地面へ通した。
自分から直接伸ばすより、街道の隆起へ近い位置から力が広がる。
持ち上がっていた地面へ線が絡み、土の力を左右へ分散させた。
荷車の下で、隆起が止まる。
同時に、ネア自身は目の前の土の人影を押さえ続けている。
「二つとも止まった」
シアが言った。
「今のところは」
ネアの眉がわずかに寄る。
二つの違う制御
本体を押さえる力と、街道を止める力は同じではなかった。
本体には、土の精霊王が集める力を吸収し、外へ逸らす必要がある。
街道では、すでに動き始めた地面の圧力を分散し、荷車が倒れない形へ戻す必要がある。
同じ術を二か所へ置くだけでは足りない。
ネアは自分の両手をわずかに動かした。
右側の羽衣が本体へ向かう線と重なる。
左側の羽衣は、分霊核へ続く線に沿って揺れた。
「別々に動かしてる」
シアが言う。
「ええ」
「難しい?」
「簡単ではありません」
「できてる」
「分霊核が一つなら、まだ扱えます」
大地の反撃
土の精霊王が、さらに力を広げた。
川岸が割れる。
丘の斜面から石が落ちる。
街道の隆起とは別に、畑の中央が沈み始めた。
「三つ目」
シアが畑へ走る。
赤い分霊核が先行し、崩れた土の前へ炎の壁を作った。
火で大地の動きを止めることはできない。
だが、落下する石を砕き、避難する人間へ届くものを防げる。
「人は私が守る」
「お願いします」
ネアは本体と街道から意識を外さない。
セトも荷車へ駆け寄り、傾いた荷台から住民を下ろす。
土の精霊王は、誰かを狙っていない。
そのため、どこへでも作用できた。
広ければよい
「すべてを止める必要はない」
土の精霊王が言う。
「一つでも動けば、大地は変わる」
「一つでも残せばよいということですか」
「広いほどよい」
「細かな形は?」
「後から決まる」
「そこに何があるかは?」
「動いた後で変わる」
ネアの銀青色の瞳が、わずかに細くなる。
「あなたは、作った後の結果しか見ていません」
「結果として生命が増える」
「消えた生命を数えていないからです」
「消えたものは数えられない」
「数えようとしていないだけです」
土の人影の周囲で、地面が強く震えた。
本体を固定する
ネアは本体へ向けていた線を集めた。
吸収するだけではない。
土の精霊王が地面へ力を広げる経路を読み、一つずつ外側から閉じていく。
川へ続く流れ。
丘へ続く流れ。
街道へ続く流れ。
すべてを断てば、大地の中へ圧力が残る。
ネアは流れを切らず、自分の周囲へ回すように曲げた。
土の精霊王が外へ押し出した力が、地面へ入る前に円を描いて戻る。
「動かない」
「動かせないようにしています」
「広げる場所がない」
「同じ場所へ戻しています」
土の人影の輪郭が崩れかけ、すぐに固まった。
川の底
その時、分霊核から伝わる感覚が変わった。
街道ではない。
さらに先にある川の底へ、強い力が集まっている。
「ネア」
セトも川の音に気づいた。
流れが急に弱くなっている。
川底が持ち上がり、上流の水をせき止め始めていた。
街道の隆起を止めたまま、川底まで制御するには、黒い分霊核から出している線を分ける必要がある。
「分けられる?」
シアが尋ねる。
「やります」
ネアは分霊核へ意識を向けた。
黒い玉から伸びる銀色の線が二つへ分かれる。
一方は街道を押さえる。
もう一方は川へ向かう。
分霊核から見る川
黒い分霊核は川を直接見ていない。
目も、意思もない。
それでも、ネアの力が川底へ触れれば、そこにある原光の流れがネアへ返ってくる。
自分の足元とは違う場所。
違う角度。
違う深さから、川底の変化を捉えられる。
「見える」
ネアが小さく言った。
「何が?」
「川の下です」
持ち上がろうとしている土の層。
その下へ流れ込む圧力。
ネアは正面の本体を押さえながら、分霊核側の線で圧力だけを横へ流す。
川底の隆起が止まった。
せき止められかけていた水が、再び流れ始める。
第二の観測点
「そこにいないのに、分かる?」
シアが尋ねる。
「分霊核から力を通した場所なら」
「もう一人のネア」
「違います」
ネアは即座に否定した。
「考えているのは、わたし一人です」
「でも、二つの位置から見てる」
「ええ。わたし自身と、分霊核の位置からです」
分霊核は判断しない。
土の変化を見つけ、自動的に止めたわけでもない。
ネアが川底へ線を伸ばし、変化を読み、止める方法を選んでいる。
ただ、そのための手を、離れた場所へもう一つ置ける。
「シアの時とは違う使い方だな」
セトが言う。
「属性も、得意なことも違いますから」
動かせない大地
土の精霊王は、本体から力を出そうとする。
ネアが戻す。
街道へ圧力を加える。
黒い分霊核が分散させる。
川底を持ち上げる。
分霊核から伸びた別の線が横へ流す。
畑を沈めようとすれば、シアが住民を退避させた後、ネアが線の一部を回して止める。
土の精霊王が作用する場所は広い。
だが、力の流れは無限ではない。
複数へ分けるほど、一か所ごとの変化は小さくなる。
ネアは大きな流れを自分で押さえ、離れた変化を分霊核から整えた。
少しずつ、地面の揺れが弱くなっていく。
大地を壊す王
「なぜ止める」
土の精霊王が尋ねる。
「同じ説明を繰り返す必要がありますか」
「変化がなければ、新しいものは生まれない」
「変化をなくすとは言っていません」
「止めている」
「今、この場所を壊す変化を止めています」
「同じことだ」
「違います」
ネアは本体へ戻る力を少し強めた。
「大地は、あなたが動かさなくても変わります。川は土を運び、山は崩れ、植物は根を張ります」
「遅い」
「今ある生命が対応できる速さです」
「新しい生命は増えにくい」
「新しいものだけが、今あるものより重要なのですか」
土のもう一つの役割
ネアは足元の地面を見る。
「土の力は、動かすことだけではありません」
「動かせる」
「固定することもできます」
土の精霊王は答えなかった。
「形を保ち、崩れないよう支え、圧力を受け止める。それも、あなたの知識にあるはずです」
「止まった大地は変わらない」
「変わる必要がない間、保つことができます」
「新しいものは生まれない」
「今あるものが生きる時間を作れます」
ネアの言葉に合わせるように、黒い分霊核から伸びた線が川岸を支えた。
崩れかけていた土が固定され、水の流れが安定する。
作る前に残す
「創世期には、山を作ることが必要だったのでしょう」
セトが言う。
「今は、その山の上にも人が住む」
「人間だけではありません」
ネアが続ける。
「木も、動物も、魔物も、精霊もいます。新しい場所を作る前に、そこに残すべきものがないか確かめてください」
「確認している間、大地は動かない」
「それで困るほど、今の世界は未完成ではありません」
土の人影が、川と畑の方角へ顔のない頭を向けた。
人が避難している。
倒れた木がある。
流れを変えられた川がある。
大地が動いた後に残ったものを、初めて確かめているようだった。
変化を戻す
「ここは戻す」
土の精霊王が言った。
「一度に動かさないでください」
ネアがすぐに止める。
「戻すのに?」
「急に戻せば、建物や川がもう一度壊れます」
「では、どう戻す」
「わたしの線に合わせてください」
ネアは本体へ戻していた力を緩める。
その代わり、黒い分霊核から川と街道へ細かな線を広げた。
土の精霊王が地面を持ち上げる。
ネアが量を抑え、傾きを整える。
沈んだ川床を少しずつ戻し、元の流れへ水を導く。
持ち上がった街道も、一度には下げない。
積まれた石が崩れない速さで、地面を元の高さへ近づけていく。
動かすより難しい
「遅い」
土の精霊王が言う。
「必要な速さです」
「一度に戻せる」
「戻した結果、道が崩れれば意味がありません」
シアが傾いた荷車を支えながら言う。
「全部動かすより、こっちの方が難しい」
「氷の時も言っていましたね」
ネアが答える。
「全部溶かすより、少しずつ戻す方が難しかった」
「壊す方が簡単」
「大きく変える方が、細かく整えるより簡単な場合は多いでしょう」
土の精霊王は、ネアが引いた線に沿って地面を動かし続けた。
先ほどまでの揺れより、はるかに小さい。
地形を読む
作業は日が暮れるまで続いた。
ネア自身は、土の精霊王が集める力を監視する。
黒い分霊核は、離れた川と街道の変化を読み続ける。
土の精霊王が少し強く押せば、ネアが分散させる。
足りなければ、流れを一か所へ集め直す。
川が元の位置へ戻っても、同じ深さにはしない。
水が急に増えないよう、流れを細く保つ。
街道の高さが戻っても、ひびの入った石はそのままだ。
兵士と住民が、後から修復できる形で止める。
「全部、元と同じにはならない」
シアが言った。
「すでに一度動いていますから」
「失敗?」
「戻せる範囲を戻しました」
保つことを覚える
土の精霊王の人影は、地面へ半分沈んでいた。
「これからは動かさない?」
シアが尋ねる。
「大地は動く」
「また同じことする?」
「ここではしない」
「ほかならする?」
「そこに何があるかを見る」
ネアが土の人影へ向き直る。
「見た後に、残すものがあるなら?」
「動かさない」
「動かさなくても、大地の役割を果たせます」
「保つ」
「ええ」
土の精霊王は、崩れかけた川岸へ力を通した。
土が固まり、水へ削られにくい形になる。
「これは動かしていない」
「支えています」
「大地を保っている」
一核の使い方
土の精霊王が地面へ戻った後も、ネアは黒い分霊核を動かし続けた。
自分の足元にある土を観測する。
分霊核を川岸へ寄せ、そこから別の線を伸ばす。
二つの位置から、異なる場所の流れを同時に整える。
「私のより地味」
シアが言った。
「比較する必要がありますか」
「私のは燃える」
「月の力で燃やす予定はありません」
「でも、便利」
「ええ」
ネアは素直に認めた。
「わたし一人では、どちらかへ移動する必要がありました。分霊核があれば、離れた場所へ制御を残せます」
「強くなった?」
「力そのものは変わっていません」
二つの手
ネアは黒い分霊核を手元へ戻した。
内部には、まだ銀色の線が残っている。
「使った量は?」
セトが尋ねる。
「かなり残っています」
「私の時より減ってない」
シアが黒い分霊核を見る。
「攻撃へ使っていませんから」
「私も守るのに使った」
「あなたは守りながら、かなり攻撃していました」
「勝つため」
「今回は、止めるためです」
黒い分霊核は、ネアの肩の少し後ろで静止した。
ネアは、シアのように分霊核を周囲へ大きく回さず、必要な位置へ移して、そこで止めておく。
シアとは違う、ネアの使い方だった。
次の候補
翌朝、兵士から二通の伝言が届いた。
一つは、小さな赤い宝玉に関するもの。
もう一つは、別の地域で見つかった黒い宝玉に関するものだった。
「二つ目」
シアが赤い玉の情報を取る。
「まだ候補です」
ネアは黒い玉の伝言を読む。
「でも、探し方は分かってる」
「ええ。最初よりは早く確認できるでしょう」
セトは二つの場所を地図で確かめた。
方向は異なるが、どちらも次の異変が報告されている地域へ向かう途中にある。
「順に確認する。外れなら、そのまま次へ進む」
「両方、本物がいい」
シアが言う。
「都合よくはいかないでしょう」
動きを止める月
三人が平原を離れる頃、川は元の方向へ流れていた。
街道はまだ壊れている。
畑にも水が残っている。
すべてが元どおりになったわけではない。
それでも、大地はもう勝手に持ち上がらず、沈まなくなっていた。
遠くでは、土の精霊王が崩れた斜面を固定している。
新しい山を作るためではない。
今ある土地を保つために。
ネアの周囲では、最初の月の分霊核が静かに浮かんでいた。
一つの場所で土の精霊王を止めながら、別の位置から川と街道を守る。
力が増えたのではない。
ネアの制御を置ける起点が、二つになっていた。
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ TOPへ

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。
気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。
カクヨム版はこちら:
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小説家になろう版はこちら:
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