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今度は仲間たち
魔王討伐後の記録作業は、まだ続いていた。
ロアンの剣。
田舎神殿の物語。
幼い頃の火傷。
それらは、すでに記録官と神官たちの手によって、少しずつ違う意味を与えられ始めている。
剣は聖剣に。
物語は神託に。
火傷は聖痕に。
ロアンは何度も否定した。
ミルカも訂正した。
エナも説明した。
ガルドも「スライムも書け」と言った。
それでも、筆は止まらなかった。
そして記録官たちは、次のものを探し始めた。
勇者本人に証があるなら、その仲間にもまた、ふさわしい役割があったはずだ。
記録官が、新しい紙を広げて言った。
「次に、灰の一団の仲間について確認したい」
ミルカが嫌そうな顔をする。
「嫌な予感しかしない」
エナが小さくうなずく。
「私もです」
ガルドは首をかしげた。
「何を聞くんだ」
ロアンは心配そうに三人を見る。
自分の剣や傷が勝手に意味づけられるだけでも困った。
今度は仲間たちである。
それは、自分のこと以上に落ち着かない。
ロアンは記録官に言った。
「変なふうに書かないでください」
記録官は真面目にうなずく。
「可能な限り正確に」
ミルカが即座に言った。
「その言い方、もう信用できないのよ」
記録官は困ったように筆を止める。
「では、正確に」
「最初からそう言って」
エナが少しだけ笑った。
ガルドは記録官の紙を見ている。
「俺たちにも証がいるのか」
ミルカが言う。
「いらない」
「でも、探すらしいぞ」
「探すなと言ってるの」
ロアンはため息をついた。
「また、ないものを探されるのか」
ミルカは腕を組む。
「ないものならまだいいわ。あるものに違う名前をつけられるのが、一番面倒」
記録官は黙っている。
その沈黙が、すでに答えのようだった。
ミルカの場合
最初に調べられることになったのは、ミルカだった。
魔王城の結界を読んだ魔法使い。
魔王戦で大規模術式の要をずらした魔法使い。
派手な魔法ではなく、小さな魔法で戦局を変えた魔法使い。
記録官が問う。
「ミルカ殿は、どこの高位魔術院に所属を?」
ミルカは答えた。
「所属してません」
「では、中央魔法学院の出身で?」
「行ったことはありますけど、出身ではないです」
「正式な宮廷魔術師の任官歴は」
「ありません」
「魔術師組合の上級認定は」
「持ってません」
記録官の眉が少しずつ下がっていく。
ミルカは逆に落ち着いてきた。
「期待していた経歴が出なくて悪かったわね」
ロアンが小声で言う。
「ミルカはすごいよ」
ミルカがロアンを見る。
「今は黙ってて」
「はい」
記録官は気を取り直して尋ねる。
「では、師は?」
ミルカの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「師匠はいます。北の方にいる、変な人です」
記録官の目が光る。
「北の賢者ですか」
ミルカは嫌な顔をした。
「そう呼ばれてることもありますけど、変な人です」
神官が言う。
「では、ミルカ殿は北の賢者の直弟子ということに」
「言い方」
ロアンが少し笑った。
ミルカは睨む。
「笑わない」
「ごめん」
記録官は書き留める。
北の賢者の弟子。
魔王城の術式を見抜く。
魔王の魔法陣の要をずらす。
勇者を支えた知恵ある魔法使い。
その並びは、もう危ない。
ミルカは気づいた。
「待って。私を賢者とか書く気じゃないでしょうね」
記録官は沈黙した。
ミルカは頭を抱える。
「やっぱり」
ガルドが首をかしげる。
「賢いから賢者じゃないのか」
「違う。たぶん違う。少なくとも私は嫌」
エナが控えめに言う。
「ミルカさんは賢いと思います」
ミルカは少しだけ困った顔をした。
「エナが言う分には怒りにくい」
ロアンが言う。
「俺が言うと?」
「盛られるからだめ」
「俺、そんなに危ない?」
「かなり」
記録官の筆は、すでに動きかけていた。
普通の火の魔法
記録官が、改めて問う。
「魔王の術式を破った魔法についてですが」
ミルカは嫌そうに眉を寄せた。
「破ったというか、焼いただけです」
「焼いた?」
「はい。火の魔法です」
記録官は筆を止める。
「火の魔法」
「普通の」
「普通の火の魔法で、魔王の大規模術式を破壊したのですか」
ミルカは首を横に振る。
「破壊してません。接合点を少し焼いて、流れをずらしただけです」
「それは、対魔王術式として編み出された独自魔法では?」
「違います。普通の火の魔法です」
「しかし、火球や炎壁ではなかったと記録にあります」
「そんな大きくしたら無駄です。要だけ焼けばいいので」
記録官は目を輝かせた。
「つまり、魔王の術式構造を見抜き、炎を一点に収束させることで、破壊ではなく制御を乱す……」
「普通の火の魔法です」
「灰の賢者ミルカ独自の、対魔王特化収束火術……」
「普通の火の魔法です」
「ですが、普通の魔法ではそれほどの精度は」
ロアンが横から言った。
「でも、普通の火の魔法であれができるのはミルカだけだと思う」
ミルカはロアンを見る。
「そういうこと言うから盛られるのよ」
ロアンは少し困る。
「ごめん」
「褒めるなら後で。記録官の前ではだめ」
「褒めるのもだめなのか」
「場所を選んで」
ガルドが言う。
「俺は、魔法が細かったのは見えた」
記録官がすぐに顔を上げる。
「細かった?」
ミルカがガルドを見る。
「ガルド」
「だめだったか」
「今のも盛られる」
記録官は書いている。
エナが小さく言う。
「でも、細かったのは本当です」
ミルカは天井を見上げた。
「味方が全員、敵のように筆を進めてくる」
ロアンは慌てて言う。
「敵じゃないよ」
「分かってる。だから余計に止めにくいのよ」
灰の賢者
ミルカは改めて説明した。
自分の魔法は、神秘的な秘術ではない。
師匠から教わった基礎を、何度も何度も練習しただけ。
魔力を広げない。
逃がさない。
必要なところへ細く通す。
大きな魔法を撃つのではなく、要を見つけてずらす。
火球として放つのではなく、接合点を焼く。
それだけだ。
記録官が言う。
「しかし、魔王城の結界を抜き、魔王の術式を乱したのですよね」
「乱したというか、ほんの少しずらしただけです」
「それができる者は、ほとんどいません」
「だからって賢者は大げさです」
「では、灰の賢者という呼称は」
「今作ったでしょ」
記録官は少し目を逸らした。
ロアンが言う。
「ミルカはすごいよ」
ミルカはロアンを見る。
「それはいいの」
「いいんだ」
「ロアンが言う分にはいい。でも記録にされると面倒なの」
「難しい」
「簡単よ。私のことを褒める時は、紙のないところで言って」
ガルドが真面目に言う。
「紙がなければいいのか」
「だいたい」
「では、地面に書くのは?」
「そういう話じゃない」
エナが小さく笑う。
記録官は、また筆を動かしている。
ミルカがその音に反応する。
「今のも書いてないでしょうね」
「いえ、灰の賢者という呼称についてのご本人の反応を」
「本人は拒否しています」
「真の賢者ほど、自分を賢者とは呼ばないとも」
ミルカは深く息を吐いた。
「ロアンの否定が美談に変換されたのと同じことが起きてる」
ロアンが申し訳なさそうに言う。
「ごめん」
「ロアンのせいじゃないわよ。たぶん、こういうものなんでしょうね」
エナが言う。
「でも、ミルカさんは嫌なんですよね」
「嫌。賢者は師匠の方。私は魔法使い」
ガルドが頷く。
「では、魔法使いミルカでいい」
ミルカは少しだけ笑った。
「ガルドの方が記録官より分かってる」
記録官は慌てて言う。
「もちろん、魔法使いであったことも記録します」
ミルカは鋭く返す。
「も、じゃなくて」
ロアンが小声で言う。
「このやり取り、前にもあった気がする」
「何回でもあるわよ」
エナの場合
次に調べられることになったのは、エナだった。
魔王戦で仲間を支えた神官。
危険を察知し、致命傷を避けさせた者。
魔王城で敵味方を問わず負傷者を見た者。
捕虜返還の場でも、魔族兵と人間を分けずに止血した者。
神官たちにとって、彼女は非常に扱いやすかった。
癒やし。
祈り。
慈悲。
予感。
神殿。
勇者の仲間。
これだけ揃えば、呼び名をつけるには十分すぎる。
中央神殿の神官が言う。
「エナ殿は、癒やしの聖女として記録されるべきです」
エナは目を丸くした。
「聖女ではありません」
「では、正式な位階は?」
「見習いです」
神官たちが黙る。
「見習い?」
「はい。地方の神殿の見習い神官です。中央には呼ばれていません」
その言葉は、神官たちにとって少し都合が悪そうだった。
魔王討伐に同行した重要人物が、中央神殿の高位神官ではなく、地方の見習いだった。
エナは続ける。
「私は、できることをしただけです。全部治せるわけでもありません。魔王戦でも、動けるようにするだけで精一杯でした」
記録官は書く。
見習い神官。
癒やし。
危険察知。
敵味方を問わず治療。
勇者を支える。
神官は、少し考えて言った。
「見習いでありながら聖女の徳を示した、と記せます」
エナは困る。
「そういう意味ではなくて……」
ミルカが小声で言う。
「逃げ道を塞がれてるわね」
ロアンが心配そうに言う。
「エナ、大丈夫?」
エナは少し困ったまま頷いた。
「大丈夫です。ただ、少しだけ、違います」
ガルドが言う。
「少しなのか」
エナは考える。
「かなり違うかもしれません」
ミルカが頷く。
「かなり違うわね」
神官はまだ諦めていない。
「聖女という呼称は、必ずしも中央神殿の位階だけを指すものではありません。多くの者を救った女性に贈られる名でもあります」
エナは首を横に振る。
「多くの人を救えたわけではありません。救えなかった人もいます」
部屋が静かになった。
エナは続ける。
「だから、聖女と呼ばれると、少し怖いです」
ロアンは何も言えなかった。
ミルカも、少しだけ目を伏せた。
それでも記録官は、静かに筆を置かなかった。
手の届く範囲
さらに問題になるのは、エナの危険察知だった。
魔王戦で、エナは何度も仲間を動かした。
下がらないで。
右へ半歩。
今じゃない、次。
止まらないで。
それは、ただの治癒術ではない。
記録官が問う。
「エナ殿は、未来を見ていたのですか」
エナは首を振った。
「見えていたわけではありません」
「では、なぜ分かったのです」
「悪い感じがするんです。胸が痛くなったり、そっちはだめだと思ったり」
神官が言う。
「神が危険を示されたのでは」
エナは困る。
「分かりません。でも、私はそんな大きなものを見ていたわけではありません」
「大きなもの?」
エナは、船で会ったあの人の言葉を思い出した。
未来は決まっているものではない。
いちばん起こりやすいものが、悪い予感として触れるだけ。
手の届く範囲なら変えられる。
けれど、届かないところまで見ようとすれば、人は壊れる。
だから、自分の周りだけを見なさい。
あの人は、自分が何者なのかを言わなかった。
けれどエナは、その言葉だけはずっと覚えていた。
エナは言う。
「手の届く範囲だけです。近くにいる人が危ないとか、今動いたらだめだとか。そのくらいです」
記録官は静かに聞いている。
エナは続けた。
「遠くの未来は見えません。見えたら、たぶん怖いです」
神官はその言葉に感銘を受けたようにうなずく。
「未来を見ながらも、謙虚に手の届く者だけを救った聖女……」
エナは慌てた。
「違います」
ミルカが言う。
「また変換された」
ロアンが言う。
「でも、エナがいなかったら死んでた」
ガルドもうなずく。
「何度も死んでたな」
エナは小さくなる。
「それは……よかったです」
ミルカがロアンとガルドを見る。
「そういうこと言うと盛られるって、さっき私で学ばなかった?」
ロアンは申し訳なさそうにする。
「ごめん」
ガルドは首をかしげる。
「本当のことだろ」
「本当のことが一番盛られやすいのよ」
「難しいな」
エナは小さく笑った。
しかし、その笑みは少しだけ不安そうだった。
地方神殿の見習い
エナは、自分の呼び名よりも、地方神殿のことが気になっていた。
中央神殿の神官たちは、エナを中央へ取り込もうとしている。
「正式に聖女位を授けることもできます」
エナは首を横に振った。
「私は、元の神殿のことも記録してほしいです」
「地方神殿の名を?」
「はい。寂れていましたけど、そこにいました。そこで学びました。そこでロアンたちに会いました」
神官は少し困る。
「中央神殿の正式な認定がないと、後世で混乱が」
ミルカが言う。
「混乱してるのはそっちでしょ」
ロアンが止める。
「ミルカ」
ミルカは肩をすくめる。
「事実でしょ」
エナは静かに言った。
「私は聖女ではありません。でも、もしそう呼ぶなら、地方の見習いだったことも一緒に書いてください」
記録官はうなずく。
「記録します」
エナは安心しきれない。
それでも、言わないよりはよい。
ガルドが言う。
「見習い聖女か」
エナが困った顔をする。
「それも違います」
ミルカが即座に言う。
「混ぜないで」
ロアンが少し笑う。
「でも、言葉としては少し分かりやすい」
エナがロアンを見る。
「ロアンさん」
「ごめん」
ミルカがため息をつく。
「記録官の前で新しい呼び名を作らないで」
記録官はすでに書こうとしていた。
ミルカが机を軽く叩く。
「書かない」
「はい」
エナは小さく息を吐いた。
自分が聖女かどうかよりも。
あの小さな神殿が、最初から中央に見つけられていたわけではないこと。
そこにいた父のこと。
埃を払った床。
古い本。
それらが消されないこと。
エナにとっては、その方がずっと大事だった。
ガルドの場合
最後に調べられることになったのは、ガルドだった。
魔王に傷を入れた剣士。
魔王の魔力刃を斬り払い、ロアンの道を開いた剣士。
反応が速すぎて、記録官たちには動きがよく分かっていない。
腕利きの騎士たちですら、その剣筋を目で追いきれなかった。
記録官が問う。
「ガルド殿の流派は?」
ガルドは答えた。
「田舎道場」
記録官は少し待った。
ガルドも待った。
沈黙が落ちる。
記録官が言う。
「正式な流派名は」
ガルドは考える。
「道場の名前ならある」
「奥義は」
「普通に斬る」
記録官は困る。
「普通に斬って、魔王に届いたのですか」
「届いたな」
「どのような修行を?」
ガルドは少し考えた。
「毎日振った」
「他には?」
「そういや、毎日崖上って薬草は取ってたな」
記録官の筆が止まる。
「崖を?」
「道場の裏に崖がある。上の方に薬草が生える。師匠が腰を痛めると取りに行った」
「毎日ですか」
「毎日ではないな。必要な日は毎日だ」
ミルカが小声で言う。
「それ、普通じゃないから」
ガルドは首をかしげる。
「薬草は上にあるだろ」
ロアンが言う。
「上にあるからって、普通は毎回登らないと思う」
ガルドは少し考える。
「でも、薬草がいるなら登るだろ」
記録官はすでに書いている。
幼少より断崖を登り、岩場を駆け、薬草を求めて風を読む。
その足運びが、後の神速剣の基礎となる。
ミルカが記録を覗く。
「また盛ってる」
ガルドは言う。
「薬草は本当だ」
「そこじゃない」
「崖も本当だ」
「だから、そこじゃないのよ」
ロアンが言う。
「でも、ガルドが速いのは本当だよ」
ミルカはロアンを見た。
「また」
ロアンは口を閉じる。
ガルドは真面目に言った。
「速いかどうかは、相手が遅いかもしれない」
ミルカが首を振る。
「魔王が遅いわけないでしょ」
「なら、俺が速いのか」
「そうよ」
ガルドは少し考えた。
「そうか」
記録官はまた筆を動かした。
神速の剣聖
剣士たちや騎士たちは、ガルドの話に食いついた。
魔王に剣を届かせた。
ロアンを守り、魔王の防御をずらした。
断崖を上り、岩場を駆け、薬草を取っていた。
それはただの剣士ではない。
誰かが言う。
「神速」
別の者が言う。
「剣聖」
ガルドは首をかしげる。
「剣聖って何だ」
ミルカが答える。
「すごく強い剣士につける面倒な呼び名」
「じゃあ、師匠の方だな」
ロアンが言う。
「ガルドも十分強いよ」
「でも、俺はまだ教わることがある」
エナが微笑む。
「だから強いのかもしれません」
記録官が感心したように筆を動かす。
ミルカがそれに気づく。
「今のも書いたでしょ」
記録官は目をそらす。
「重要な言葉でしたので」
ガルドは真面目に言った。
「剣聖より、田舎道場の名前を書いてくれ」
記録官はうなずく。
「もちろんです」
「師匠の名前も」
「はい」
「薬草も」
ミルカが言う。
「薬草はもう十分書かれてると思う」
ガルドは首をかしげる。
「でも、薬草がないと師匠の腰が困る」
ロアンが笑ってしまう。
記録官は少し迷った末、薬草の話も残すことにした。
しかし後世では、道場名よりも、師匠の腰よりも、薬草よりも、神速の剣聖という呼び名の方がずっと広まる。
ガルド本人は、それを知らない。
知っていても、たぶん首をかしげるだけである。
三人の呼び名
記録官が、仮の記録を読み上げた。
「灰の勇者ロアンは、三人の偉大な仲間を伴っていた」
ロアンがすぐに言う。
「灰の勇者じゃありません」
記録官は続ける。
「魔王の術式を一撃で破った対魔王火術の創始者、灰の賢者ミルカ」
ミルカが即座に言う。
「普通の火の魔法」
「癒やしと未来視を備えた聖女エナ」
エナが困ったように言う。
「未来視ではありません」
「断崖を駆け、薬草を求めて鍛えた神速の剣聖ガルド」
ガルドが言う。
「薬草は取ってた」
ロアンは三人を見る。
「全部、少しずつ違うね」
ミルカが答える。
「少しじゃない」
エナが小さくうなずく。
ガルドは首をかしげる。
「薬草は本当だ」
ミルカが言う。
「だから、そこじゃないのよ」
ロアンは申し訳なさそうにする。
「ごめん。俺のせいで、みんなまで」
ミルカが言う。
「ロアンのせいじゃないわよ」
エナがうなずく。
「誰かのせいというより、みんなが意味を探しているんだと思います」
ガルドが言う。
「意味が多いな」
ミルカが答える。
「多すぎるのよ」
ロアンは記録官たちを見た。
怒るべきなのか、止めるべきなのか、困るべきなのか。
たぶん、全部だった。
ミルカは賢者ではない。
エナは聖女ではない。
ガルドは剣聖ではない。
少なくとも、本人たちはそう思っていない。
けれど、周囲はもうそう呼び始めている。
ロアンだけではなかった。
物語は、仲間たちにも手を伸ばし始めていた。
本人たち
ロアンは、三人が伝説の名前で呼ばれ始めることに違和感を覚えた。
ミルカは賢者ではなく、幼なじみだ。
小さい頃から一緒にいて、言い合いをして、怒られて、助けられてきた。
面倒なことを面倒だと言いながら、結局は必要なことをやってくれる魔法使いだ。
エナは聖女ではなく、地方神殿で出会った見習い神官だ。
不安そうにしながらも、誰よりも人を見ていた。
全部は無理ですと言いながら、必要な分だけ戻してくれた。
ガルドは剣聖ではなく、田舎道場の剣士だ。
速すぎるくせに、自分の強さを分かっていない。
崖を上って薬草を取っていたことも、本人にとっては特別な修行ではない。
必要だからやっていただけだ。
ロアンにとっては、その方がずっと大事だった。
ロアンは言う。
「賢者とか聖女とか剣聖とか言われると、遠くなる気がする」
ミルカは少し黙った。
エナも目を伏せる。
ガルドは考えてから言う。
「遠くには行かないだろ」
ロアンが見る。
「そう?」
「呼び名が変わっても、歩く距離は変わらない」
ミルカが少し笑う。
「たまにいいこと言うわね」
ガルドは首をかしげる。
「いつも言ってる」
「それは違う」
「違うのか」
エナが微笑む。
そのやり取りで、ロアンは少し安心した。
呼び名は変わるかもしれない。
周囲は勝手に遠い名前をつけるかもしれない。
でも、三人は今もここにいる。
言い合いをするミルカ。
心配そうに笑うエナ。
腹が減ったら腹が減ったと言うガルド。
ロアンの隣にいるのは、伝説の仲間ではない。
いつもの三人だった。
引っ張られる名前
しかし、呼び名は勝手に広がるだけではない。
利用しようとする者も出てくる。
中央神殿は、聖女エナを自分たちの権威に組み込みたい。
魔法学院は、賢者ミルカを講師や象徴として招きたい。
騎士団や道場は、剣聖ガルドの名を自分たちの流派につなげたい。
アークガルム王国は、灰の一団全体を自国の功績として記録したい。
ミルカはそれを見抜く。
「呼び名がつくと、引っ張られるわね」
ロアンが聞く。
「どこに?」
「偉い人たちの都合のいい方に」
エナが不安そうに言う。
「断れるでしょうか」
ガルドが言う。
「嫌なら断ればいい」
ミルカが答える。
「それで済めば楽なんだけどね」
「嫌なのに断れないのか」
「断るにも理由とか形式とか相手の顔とかが絡むのよ」
ガルドは少し考える。
「面倒だな」
「そう言ってる」
ロアンが言う。
「じゃあ、断る時はみんなで断ろう」
ミルカが見る。
「また雑にまとめたわね」
「だめ?」
エナが少し笑う。
「でも、一人より心強いです」
ガルドが頷く。
「四人で断ればいい」
ミルカはため息をつく。
「交渉としては雑だけど、気持ちは分かる」
呼び名は、ただの飾りではない。
つけられた名前は、本人をどこかへ連れていこうとする。
賢者。
聖女。
剣聖。
それぞれに期待される場所があり、役目があり、利用したい者がいる。
ロアンは、それが少し怖かった。
魔王との戦いとは違う怖さだ。
斬れない。
避けきれない。
でも、気づかないうちに距離を変えられていく。
三人の選択
三人は、それぞれ自分の呼び名との距離を決めることになった。
ミルカは、賢者と呼ばれることを嫌がった。
だが、魔王城の術式や転移ゲート修理、結界の後始末には彼女の知識が必要になる。
逃げきれない。
だからミルカは言った。
「賢者じゃないけど、分かる範囲は手伝う」
記録官は感心したように頷く。
「賢者と呼ばれても謙虚に」
「だから、賢者じゃない」
「分からぬものは分からぬと言える賢者」
「分からないものは分からないの。当たり前でしょ」
ロアンが少し笑う。
ミルカが睨む。
「笑わない」
「ごめん」
ミルカは必ず付け加える。
「分からないものは分からない」
それが、彼女の誠実さだった。
そして誰かが言う。
「魔王の術式を一撃で破った賢者でも、分からぬものは分からぬと言うのか」
ミルカは返す。
「だから、一撃で破ってない。普通の火の魔法」
訂正は続く。
だが、記録の方はなかなか戻らない。
エナは、聖女と呼ばれることを嫌がった。
だが、負傷者や捕虜の治療現場から離れることもできない。
中央神殿に担がれるより、目の前の人を見ることを選ぶ。
「聖女ではありません。でも、怪我人がいるなら見ます」
その姿が、さらに聖女らしいと記録されてしまう。
エナは困る。
「なぜでしょう」
ミルカが言う。
「否定と行動の相性が悪いのよ」
「どうすれば」
「怪我人を見捨てる以外に回避策がない」
エナは首を横に振る。
「それは無理です」
「でしょうね。だから詰み」
エナは困ったまま、でも治療に向かう。
ガルドは、剣聖と呼ばれてもあまり気にしていなかった。
ただし、勝手に道場や流派の名前を使われることには首をかしげた。
「俺の剣は師匠に教わった。なら、師匠の名前を書け」
そう言う。
彼にとって、自分が剣聖かどうかより、田舎道場の稽古が消える方が問題だった。
崖を上って薬草を取った話も、本人には大した話ではない。
だが周囲はそこに意味を見る。
「断崖を駆けた神速の修行」
ガルドは言う。
「薬草だ」
「しかし、その薬草採りが足腰を」
「薬草だ」
「険しい岩場を駆け抜け」
「薬草だ」
ミルカがうなずく。
「ガルドの方が訂正が強いわね」
ロアンが言う。
「言葉が短いからかな」
「たぶんね」
後の姿
ずっと後。
講堂で、子どもたちが学んでいる。
教師が言う。
「灰の勇者ロアンには、三人の偉大な仲間がいた」
子どもたちは、壁に掛けられた絵を見る。
一枚目の絵。
灰の賢者ミルカ。
長衣をまとい、静かな瞳で杖を掲げている。
その周囲には複雑な魔法陣が浮かび、黒い魔王城の術式を一撃で砕いている。
教師は語る。
「灰の賢者ミルカは、魔王の術式を一撃で破壊する対魔王特化術式を編み出した」
子どもたちは感嘆する。
絵の中のミルカは、実際のミルカより、だいぶ落ち着いていて、だいぶ神秘的である。
だが、実際のミルカは言っていた。
普通の火の魔法です。
二枚目の絵。
癒やしの聖女エナ。
白い衣をまとい、両手を広げている。
光が降り注ぎ、倒れた兵たちが一斉に立ち上がる。
その目は遠い未来を見通しているように描かれている。
教師は言う。
「聖女エナは未来を見通し、傷ついた者をすべて救った」
子どもたちは息を呑む。
絵の中のエナは、実際のエナより、だいぶ自信に満ちていて、だいぶ万能に見える。
だが、実際のエナは言っていた。
全部見えていたわけではありません。
手の届く範囲だけです。
三枚目の絵。
神速の剣聖ガルド。
少年の姿の彼が、鳥のように断崖を跳んでいる。
片手には剣。
もう片方の手には、なぜか光る薬草。
教師は声を張る。
「神速の剣聖ガルドは、幼き日より千尋の崖を駆け、風より速く薬草を摘んだ」
子どもたちは目を輝かせる。
また別の絵では、ガルドが魔王の腕を一瞬で斬り落としている。
実際には浅い傷だった。
だが、絵では魔王の腕が大きく飛んでいる。
だが、その始まりは、もっとずっと小さなものだった。
ミルカは、分からないものは分からないと言う魔法使いだった。
エナは、全部は無理ですと言いながら、必要な分だけ癒した見習い神官だった。
ガルドは、届くな、と言って首をかしげた田舎道場の剣士だった。
そして、薬草はただ薬草だった。
まだ隣にいる
現在に戻る。
ロアンたちは、臨時本陣の外に出た。
記録官たちはまだ書いている。
神官たちはまだ議論している。
騎士たちはガルドを見ている。
魔法学院の使者は、ミルカに声をかける機会をうかがっている。
中央神殿の神官は、エナを見ている。
ロアンはため息をついた。
「みんな、遠くに連れていかれそうだ」
ミルカが言う。
「勝手に連れていかれる気はないわよ」
エナがうなずく。
「私も、まだすることがあります」
ガルドが言う。
「飯は一緒に食うだろ」
ロアンは少し笑った。
「それはそう」
ミルカが言う。
「じゃあ、遠くないでしょ」
エナも微笑む。
ガルドは歩き出す。
「腹が減った」
ミルカが言う。
「さっきからそれ言う機会を待ってたでしょ」
「腹が減っていたからな」
「正直でよろしい」
ロアンは三人を見る。
賢者。
聖女。
剣聖。
そう呼ばれ始めた三人。
けれど、今そこにいるのは、伝説の誰かではない。
言い合いをするミルカ。
心配そうに笑うエナ。
腹が減ったと言うガルド。
遠い名前をつけられても、三人はまだ隣にいた。
賢者、聖女、剣聖
賢者は、最初から賢者だったわけではない。
ミルカは、ロアンの親友だった。
田舎から一緒に出て、基礎を繰り返し、派手ではない魔法を磨いた魔法使いだった。
魔王の術を破った独自の秘術など、本人は使っていない。
普通の火の魔法を、必要な場所へ細く通しただけだった。
聖女は、最初から聖女だったわけではない。
エナは、中央に呼ばれなかった地方神殿の見習いだった。
全部を救えるわけではないと知りながら、手の届く人を見ようとした神官だった。
剣聖は、最初から剣聖だったわけではない。
ガルドは、田舎道場の剣士だった。
毎日剣を振り、必要なら崖を上って薬草を取っていた男だった。
それを特別な修行だとは思っていなかった。
けれど、魔王を討った後、人々は彼らをそのままにはしておけなかった。
勇者の仲間には、勇者の仲間にふさわしい名前が必要だった。
だから、呼び名が変わった。
魔法使いは賢者に。
見習い神官は聖女に。
田舎剣士は剣聖に。
完全な嘘ではなかった。
だが、本当のままでもなかった。
それでも、ロアンにとって彼らは、伝説の仲間ではなかった。
言い合いをするミルカ。
心配そうに笑うエナ。
腹が減ったと言うガルド。
遠い名前をつけられても、三人はまだ隣にいた。
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