勇者の条件 第40話 勇者の条件

勇者の条件 第40話 勇者の条件 創作実験
勇者の条件 第40話 勇者の条件
勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…
勇者の条件 第40話 勇者の条件 人物相関図

※人物画像・相関図の転載、再配布、改変利用はご遠慮ください。

同じ分析室

魔王城の奥に、その部屋はまだ残っていた。

厚い石壁。

高い天井。

窓の少ない、冷えた分析室。

壁一面の棚には、勇者に関する記録が並んでいる。

古い戦記。

神殿の写し。

人間側から奪った報告書。

旅人の手記。

絵巻。

魔王軍の調査書。

かつてここで、勇者という存在は分解された。

飾りを削り、伝説を疑い、共通項を抜き出した。

長卓の上には、古い札が残っている。

出身地。

一族。

神託。

聖痕。

聖剣。

仲間。

かつて、魔王はその六つの札を見下ろし、静かに言った。

「勇者の条件」

記録官は、その言葉を羊皮紙に書き込んだ。

あの時、魔王軍は正しい分析をしたつもりだった。

実際、分析はかなり正しかった。

歴代勇者の記録には、確かにその共通項があった。

だから魔王は封じた。

東を封じた。

血筋を封じた。

神託を封じた。

聖剣を封じた。

導くものを砕き、合流を妨げ、伝承の道を疑った。

それでも、魔王は敗れた。

今、その分析室に残っているのは、魔王ではない。

死霊宰相。

吸血侯。

竜将。

小鬼の書庫番。

記録官。

旧魔王軍の対勇者戦略に関わった者たちである。

長卓には、あの時の札が並べ直されていた。

竜将は、その札を睨む。

「我らは、間違えたのか」

誰もすぐには答えない。

問いは鋭く、重かった。

魔王が死んだ。

その事実だけで、部屋の空気は以前とは変わっている。

吸血侯が、古い札の一つに指を触れた。

「間違えた、というより……順番を取り違えたのでしょう」

竜将が顔を上げる。

「順番?」

死霊宰相が言った。

「条件だと思ったものは、原因ではなかった。結果だったのです」

竜将の爪が、長卓の端を軋ませる。

「結果だと」

「はい」

死霊宰相は、静かに頷いた。

「勇者になるために揃っていたものではない。勇者が歩いた後に、世界が意味を与えたものだった」

部屋の奥で、小鬼の書庫番が小さく身を震わせた。

記録官は、何も言わずに新しい羊皮紙を広げる。

分析室は、もう一度、勇者を調べ始める。

ただし今度は、倒すためではない。

間違いを見るために。

魔王の遺命

竜将は苛立っていた。

「陛下は、勇者の条件を封じた。血筋も、神託も、聖剣も、東も。何が足りなかった」

吸血侯は静かに答える。

「彼らには、それがなかった」

「だからこそ、分からぬ!」

竜将の声が、分析室に響いた。

石壁が低く震える。

その場にいる全員が、魔王の最後の言葉を覚えていた。

殺すな、殺されるな。

見ろ。

私が何を間違ったのか。

あの命令は、死んだ後も城に残っていた。

竜将は歯を食いしばる。

「見ろと言われても、何を見ればよい。陛下は愚かではなかった。策も甘くはなかった。勇者を調べ、封じ、備えた。それでも、あの四人は来た」

死霊宰相は、古い記録を開いた。

「ならば、見ましょう。陛下の命令です」

小鬼の書庫番が、震える手で新しい資料を長卓に置く。

人間側の記録。

ロアン本人の訂正。

ミルカの書き込み。

エナの補足。

ガルドが書かせた田舎道場の名。

そして、端に何度も書かれた言葉。

スライム。

竜将が眉を寄せた。

「何だ、それは」

小鬼の書庫番は、おずおずと答える。

「聖痕についての、本人訂正です」

「聖痕が、スライム?」

「はい。本人は、何度もそう訂正しています」

竜将は、ますます顔をしかめた。

吸血侯は、資料を覗き込み、薄く笑った。

「この一語だけでも、我らの見た勇者像とは相性が悪い」

死霊宰相は言う。

「だからこそ、見る価値があります」

記録官が筆を取った。

古い札の横に、新しい余白が作られる。

死霊宰相は、最初の札を裏返した。

聖剣

聖剣。

かつて、それは勇者を勇者たらしめる重要条件として記録された。

勇者が剣に触れた時、光った。

封印が解けた。

折れた剣が形を取り戻した。

神殿が授けた。

妖精が導いた。

王家が隠していた。

神聖な武器は、どの勇者伝説にも姿を変えて現れた。

だから魔王は、中央神殿の聖剣を奪い、封じた。

それは合理的だった。

死霊宰相が言う。

「ロアンの剣は、中央神殿の聖剣ではありません」

吸血侯が補足する。

「病の鍛冶師夫婦が、礼として打った剣です。エナという見習い神官が一週間かけて癒やし、その返礼として渡された」

竜将が低く言う。

「ただの剣で、陛下に届いたというのか」

「ただの剣ではありません」

死霊宰相は答えた。

「よい剣だった。旅の間、ロアンの手に馴染んだ。魔王戦でも折れなかった」

吸血侯も頷く。

「使い手に合い、必要な時にそこにあった。武器としては、十分に特別です」

「だが、聖剣ではない」

竜将が言う。

死霊宰相は頷いた。

「はい。少なくとも、勇者になるために与えられた剣ではない」

小鬼の書庫番が、人間側の新しい記録を読み上げる。

「神官の祈りと鍛冶師の火により、七日七晩鍛えられた聖剣……」

吸血侯が薄く笑う。

「もう変わっている」

竜将は言った。

「嘘か」

死霊宰相は首を振る。

「完全な嘘ではありません。神官はいた。鍛冶師はいた。七日も関わった。剣も魔王に届いた」

「ならば、何が違う」

吸血侯が答える。

「意味が違う」

部屋は静かになった。

死霊宰相は、新しい小札を置く。

そこには、こう記す。

魔王に届いた剣。

「聖剣があったから勇者になったのではない。魔王に届いたため、後に聖剣と呼ばれた」

記録官がその言葉を書き留める。

竜将は、古い聖剣の札と新しい札を見比べていた。

聖剣。

魔王に届いた剣。

二つは似ている。

だが、同じではなかった。

神託

次に、神託の札が裏返される。

かつて魔王は、神託をこう見た。

迷っている者に方針を与えるもの。

散っている情報に一本の線を引くもの。

出発する理由を与えるもの。

進む方向を固定するもの。

その理解は、鋭かった。

だから魔王は中央神殿を調べ、神託の仕組みを焼いた。

神官の記録を奪い、予言を乱し、神殿の権威を折ろうとした。

死霊宰相が言う。

「中央神殿の神託は、機能していませんでした」

吸血侯が続ける。

「それでも彼らは動いた」

小鬼の書庫番が資料をめくる。

「ロアンが影響を受けたとされる言葉は、田舎神殿にあった小さな精霊たちの物語です」

竜将が言う。

「神託ではないのか」

「本人たちは、違うと何度も言っています」

その物語は、一人の大きな精霊が世界を支える話ではなかった。

小さな精霊たちが、互いに足りないものを補い合い、世界を保つ話だった。

ロアンはそれを神託として受け取ったのではない。

ただ、いい話だと思った。

分かりやすいと思った。

一人で全部できなくてもいい。

足りないなら誰かに頼ればいい。

誰かの足りないところは、自分が補えばいい。

その考えは、ロアンの旅に残った。

吸血侯が言う。

「神託はありませんでした。ただ、方針はあった」

死霊宰相は目を伏せる。

「陛下の理解は、間違ってはいなかった。神託とは、方針を与えるものだと見抜いておられた」

竜将が問う。

「ならば、なぜ封じられなかった」

吸血侯が答える。

「中央神殿だけにあると思ったからでしょう」

田舎神殿の古い物語。

海辺の口伝。

森の歌。

水番の記憶。

密書。

通行手形。

戻る理由を教えた大人の言葉。

方針は、神託という形だけで来るわけではなかった。

神殿の奥で光る必要もない。

王の前で読み上げられる必要もない。

誰でも読める古い本の中にあることもある。

老婆の歌の中にあることもある。

村の壁に書かれた一言の中にあることもある。

死霊宰相は、新しい札を置いた。

歩き方を変えた物語。

「神託があったから進んだのではない。歩き方を変えた物語が、後に神託と呼ばれた」

小鬼の書庫番が、小さく頷いた。

「誰でも読めるものでも、そうなるんですね」

吸血侯が言う。

「誰でも読めるからこそ、後に秘されていたことにされるのかもしれません」

竜将は不満そうだったが、反論はしなかった。

聖痕

次に、聖痕の札が裏返される。

かつて魔王軍は、歴代勇者の身体的特徴を集めた。

右肩の光の痣。

胸の剣形。

手の甲の太陽。

首筋の羽根。

背に浮かぶ翼の跡。

どれも、勇者候補を見分ける条件として記録された。

竜将は、小鬼の資料を見る。

「ロアンにも聖痕があったのだろう」

小鬼の書庫番は、ためらいながら答える。

「火傷跡はありました」

「どこだ」

「手首です」

竜将は眉をひそめる。

「手首?」

吸血侯が、人間側の新しい絵巻を広げた。

そこには、ロアンが右肩に炎のような痣を持つ姿で描かれている。

衣の肩口が開かれ、痣がはっきり見えるようになっていた。

「後世では、肩になりつつあります」

竜将が絵巻を見る。

「なぜだ」

吸血侯は淡々と答える。

「歴代勇者の記録に、右肩の聖痕が多かったからでしょう。絵にも描きやすい。儀礼用の衣装でも見せやすい。勇者らしい」

死霊宰相は言う。

「つまり、記録が条件に合わせて変わった」

小鬼の書庫番が、ロアン本人の訂正を読む。

「子どもの頃、スライムに焼かれた。手首。聖痕ではない。スライム」

竜将は黙った。

分析室に、妙な沈黙が落ちる。

やがて竜将が言う。

「スライム」

小鬼の書庫番は頷く。

「はい」

「魔王ではなく」

「はい」

「神でもなく」

「はい」

「スライム」

「はい」

吸血侯が口元を押さえる。

笑ったわけではない。

だが、歴代勇者の壮麗な聖痕の記録の隣に、スライムという言葉が置かれた時、その差はあまりに大きかった。

死霊宰相は静かに言う。

「しかし、これが訂正記録です」

吸血侯が絵巻を指す。

「それでも、絵では肩になる」

竜将が低く問う。

「我らが見た歴代勇者の聖痕も、こうだった可能性があるのか」

吸血侯は答える。

「あります。勇者が現れる前に聖痕があったのではなく、勇者になった後に傷が聖痕と呼ばれた可能性です」

死霊宰相は新しい札を置く。

後に意味を与えられた傷。

「聖痕があったから選ばれたのではない。傷が、後に聖痕と呼ばれた」

小鬼の書庫番は、その札の端に小さく書き添えた。

手首。

スライム。

竜将はそれを見たが、消せとは言わなかった。

出身地

次に、出身地。

かつての記録では、歴代勇者の多くが東の辺境に関係していた。

東の谷。

東の古都。

東の聖山。

東の森。

魔王軍は、そこに意味を見た。

だから現魔王は東を封じた。

その判断は、資料上は正しかった。

だが、ロアンは西の辺境から出た。

死霊宰相が地図を広げる。

東には、黒い封鎖線が残っている。

かつて魔王軍の強戦力が送り込まれた場所。

聖地を断ち、古血を監視し、神託を焼くために、多くの兵が置かれた。

一方、西には薄い線がある。

国境分断を維持するための最低限の配置。

弱い魔物。

塞がれた洞窟。

分断された村。

しかし、強戦力は少なかった。

吸血侯が言う。

「西は、戦略上の余白でした」

竜将が低く言う。

「我らが作った余白か」

「はい」

ロアンは、弱い魔物しかいない土地でスライムを狩った。

隣村まで行った。

洞窟の向こうへ知らせに走った。

戻っても失敗ではないと学んだ。

少しずつ危険を見て、少しずつ広い世界へ出た。

死霊宰相は言う。

「勇者の土地とは、神聖な土地ではなかったのかもしれません」

竜将が問う。

「では何だ」

「外へ出られる土地です」

弱すぎず、強すぎない魔物。

死なずに戻れる距離。

失敗しても次に進める余地。

村の外へ出られるだけの危険と、帰れるだけの安全。

それがロアンを育てた。

竜将は地図を見る。

東を封じた線は、今も黒い。

そこには確かに意味があった。

従来の勇者は、そこから来たかもしれない。

だが、別の場所に余白があった。

「我らは、勇者の土地を探した」

吸血侯が言う。

「彼は、出られる土地から出た」

死霊宰相は新しい札を置く。

外へ出られた土地。

「勇者の町に生まれたから出たのではない。そこから出たため、後に勇者の町と呼ばれた」

記録官が書き留める。

小鬼の書庫番は地図の西を見た。

薄い線でしかなかった場所が、今は妙に目立っていた。

一族

次に、一族。

かつて魔王軍は、勇者血族を監視対象にした。

歴代勇者は、東の古英雄の系譜と関わっていた。

王族。

騎士。

古い聖職者。

神託を受けた家。

その記録は、血筋の重要性を示しているように見えた。

だから血筋は、勇者の条件とされた。

だが、ロアンの家系からは何も見つからなかった。

王族でもない。

聖職者の末裔でもない。

東の勇者血族でもない。

畑。

家畜。

薪割り。

家事手伝い。

小鬼の書庫番が資料を読む。

「うちは普通の家です。畑と家畜と薪割りなら」

竜将は額に手を当てた。

「それを後世は、勇者の一族と呼ぶのか」

吸血侯が答える。

「すでに呼んでいます」

「畑と家畜と薪割りを」

「はい」

「勇者の一族と」

「はい」

竜将は深く息を吐いた。

死霊宰相が言う。

「血がロアンを勇者にしたのではない。ロアンが魔王を討ったために、血筋が後から意味を持った」

「では、血筋を封じても、足りぬ」

竜将が苦々しく言った。

「はい」

ロアンの家族は、彼を勇者として送り出したわけではない。

神聖な使命を託したわけでもない。

家の仕事を手伝わせ、怪我を心配し、帰りを待っていた。

帰る場所だった。

それは、勇者の条件としては地味すぎる。

だが、旅をする者には必要だった。

死霊宰相は新しい札を置く。

帰る場所だった家族。

「勇者の一族だったから勇者が出たのではない。ロアンが魔王を討ったため、家族が後に勇者の一族と呼ばれた」

吸血侯が静かに言う。

「人間は、血筋にも物語を求める」

竜将は言った。

「魔族もだ」

吸血侯は少し笑った。

「否定はしません」

仲間

最後に、仲間。

かつて魔王は、勇者を一人の剣士としてだけでは見なかった。

それは正しかった。

回復役。

魔術師。

前衛。

索敵役。

地形突破役。

補給。

情報。

それらが揃って初めて、勇者は魔王の前に立つ。

これは非常に鋭い分析だった。

実際、ロアンたちは一人では魔王に届かなかった。

ミルカが術式をずらした。

エナが危険を見た。

ガルドが魔王に傷を入れた。

ロアンが中心になった。

だが、彼らは最初から賢者、聖女、剣聖として揃っていたわけではない。

ミルカは、普通の火の魔法を異常な精度で使った魔法使いだった。

エナは、地方神殿の見習い神官だった。

ガルドは、田舎道場で剣を振り、必要なら崖を上って薬草を取っていた剣士だった。

吸血侯が言う。

「我らは、称号を探しました」

死霊宰相が続ける。

「彼らは、役割を果たした」

竜将は魔王戦を思い出す。

ロアンが動くと、全員が動いた。

ミルカが魔法陣の要を焼き、エナが一拍を読ませ、ガルドが踏み込み、ロアンが穴を埋めた。

勇者一人が、従者を従えていたのではない。

一人が欠ければ崩れる四人だった。

竜将は小さく言う。

「勇者一人と従者ではなかった」

吸血侯がうなずく。

「四人で一つの戦力でした」

小鬼の書庫番が、小さく言う。

「本人たちは、それを一番よく知っていたようです」

死霊宰相は新しい札を置く。

足りないものを補った者たち。

「伝説の仲間が揃っていたから勇者が来たのではない。互いに足りないものを補った者たちが、後に伝説の仲間と呼ばれた」

竜将は、古い仲間の札を見た。

そして、新しい札を見る。

伝説の仲間。

足りないものを補った者たち。

それもまた、似ている。

だが、同じではなかった。

順番が違う

長卓の上には、古い六つの札と、新しい六つの札が並んでいた。

古い札。

聖剣。

神託。

聖痕。

出身地。

一族。

仲間。

新しい札。

魔王に届いた剣。

歩き方を変えた物語。

後に意味を与えられた傷。

外へ出られた土地。

帰る場所だった家族。

足りないものを補った者たち。

竜将は、それをしばらく見ていた。

そして、拳を長卓に叩きつけた。

札が跳ねる。

小鬼の書庫番が、びくりと肩を震わせる。

「では、どうすれば正解だったのだ!?」

竜将の声が響く。

「東を封じた。血筋を封じた。神託を焼いた。聖剣を奪った。天空を見張った。仲間の合流まで警戒した。それでも足りぬと言うなら、何をすればよかった!」

誰もすぐには答えない。

吸血侯も、死霊宰相も、記録官も、黙っている。

竜将の怒りは、ロアンたちへ向けられたものではなかった。

人間への怒りでもなかった。

それは、自分たちが忠義を尽くした相手を失った者の問いだった。

どうすれば、魔王は死なずに済んだのか。

どうすれば、あの敗北を避けられたのか。

どうすれば、正しかったのか。

死霊宰相は、長い沈黙の後に答えた。

「それは、誰にも分かりませぬ」

竜将が睨む。

「分からぬ、だと」

「はい」

死霊宰相は、古い札を見る。

それから、新しい札を見る。

「ですが、間違いだったことだけは分かりました」

竜将は息を呑む。

死霊宰相は続ける。

「陛下の策が愚かだったのではありません。我らの調査が浅かったのでもありません。資料は集めた。伝承も調べた。神殿も、血筋も、聖剣も、聖痕も、仲間も、確かに見た」

吸血侯が静かに言う。

「見たものの順番を、取り違えた」

死霊宰相はうなずいた。

「はい。原因だと思ったものが、結果だった。条件だと思ったものが、後から名づけられた意味だった」

竜将は拳を握ったまま黙る。

死霊宰相は言う。

「正解は分かりません。ですが、少なくとも、同じ条件をもう一度封じても、同じように誰かが来る可能性はあります」

「ならば、何を残す」

竜将の声は低い。

死霊宰相は、記録官を見る。

「間違いを残します」

記録官が筆を取る。

死霊宰相は言った。

「我らは、勇者の条件を定義した。だが、それは勇者が生まれる条件ではなかった。勇者が歩いた後に、世界が与えた意味だった」

竜将は、長卓に置かれた札を見る。

かつて、それらは魔王を守るための鍵に見えた。

今は、少し違って見える。

竜将は、低く言った。

「陛下に、何と報告すればよい」

死霊宰相は目を伏せる。

「見ました、と」

吸血侯が続ける。

「そして、まだ分かりません、と」

小鬼の書庫番が、小さく言った。

「でも、次に同じ間違いをしないように、書きます、と」

竜将は何も言わなかった。

ただ、叩きつけた拳を、ゆっくりと長卓から離した。

勇者の条件と呼ばれたもの

記録官が、新しい羊皮紙を広げる。

題名は、かつてと同じだった。

勇者の条件。

だが、死霊宰相はしばらくその題名を見つめた。

そして、線を一本引く。

その下に書く。

勇者の条件と呼ばれたもの。

竜将が見る。

「弱い題名だ」

吸血侯が言う。

「正確です」

死霊宰相は記録する。

聖剣は、勇者の条件ではなかった。

魔王に届いたため、後に聖剣と呼ばれた。

神託は、勇者の条件ではなかった。

ロアンの歩き方を変えた物語が、後に神託と呼ばれた。

聖痕は、勇者の条件ではなかった。

手首の火傷が、後に聖痕と呼ばれた。

一部の絵巻では、既存の勇者像に合わせ、肩の印として描かれた。

勇者の町は、勇者の条件ではなかった。

ロアンがそこから出たため、後に勇者の町と呼ばれた。

勇者の一族は、勇者の条件ではなかった。

ロアンの家族が、後に勇者の一族と見なされた。

賢者、聖女、剣聖は、勇者の条件ではなかった。

ミルカ、エナ、ガルドが、後にそう呼ばれた。

死霊宰相は最後に書く。

我らは、原因と結果を取り違えた。

竜将は黙っている。

吸血侯も、何も言わない。

小鬼の書庫番だけが、静かにその文字を見ている。

やがて竜将が言った。

「この記録で、陛下は戻るのか」

誰も答えられない。

竜将も、答えを求めていたわけではなかった。

死霊宰相は、羊皮紙を丁寧に巻く。

「戻りませぬ」

「なら、何のために書く」

「陛下が、見ろと命じたからです」

竜将は黙った。

吸血侯が言う。

「見たものを残さねば、また同じものを見落とす」

小鬼の書庫番が、勇気を出すように言った。

「それに、これは魔王軍だけの記録では足りないと思います」

竜将が見る。

小鬼は肩をすくめた。

「人間側も、同じ間違いを始めています。条件を揃えれば勇者になる、と」

死霊宰相は頷く。

「写しを渡しましょう」

竜将が反発する。

「なぜ敵に渡す」

死霊宰相は答えた。

「敵ではなくなりつつあります。少なくとも、記録の上では」

竜将は不満そうにする。

吸血侯が言う。

「それに、人間側が次の勇者の条件を作れば、また誰かがそれを封じようとする」

死霊宰相はうなずいた。

「同じ間違いが、次の戦争を生む」

見ろ。

何を間違えたのか。

見たなら、次は同じ形で間違えない。

少なくとも、その努力をする。

それが、魔王が死んだ後に残された者たちの仕事だった。

後の学び舎

ずっと後。

勇者の町に建てられた学び舎で、子どもたちが灰の勇者ロアンについて学んでいる。

壁には絵がある。

聖剣を掲げるロアン。

右肩に炎の聖痕を持つロアン。

神託の書を受け取るロアン。

灰の賢者ミルカ。

癒やしの聖女エナ。

神速の剣聖ガルド。

教師が言う。

「勇者には、条件があります」

子どもたちは、絵を見上げる。

「聖剣、神託、聖痕、勇者の町、勇者の一族、伝説の仲間。これらが揃ったからこそ、灰の勇者ロアンは魔王を討ったと伝えられています」

一人の子どもが手を上げた。

「じゃあ、勇者になるには、全部持っていないとだめなの?」

教師は答えようとした。

だが、その時、教室の端に置かれていた古い写しが目に入った。

旧魔王軍の訂正記録。

戦後に人間側へ渡され、何度も写され、何度も抜け落ち、それでも一部だけが残った記録。

そこには、こう書かれている。

順番が違う。

教師は少し黙った。

それから、言い直す。

「いえ。少なくとも、出発する前に全部揃えておくものではないようです」

子どもたちが不思議そうにする。

教師は続けた。

「聖剣は、最初から聖剣だったわけではありません」

壁の絵を見る。

「神託も、聖痕も、勇者の町も、勇者の一族も、仲間たちの称号も、最初からそう呼ばれていたわけではありません」

別の子どもが問う。

「じゃあ、勇者の条件って何ですか?」

教師は、少し考えた。

答えは簡単ではない。

勇気。

正義。

選ばれた血。

聖なる印。

どれか一つにしてしまえば、また間違える。

教師は言った。

「誰かが歩いた後、世界がそこに意味を見つけることがあります」

「それが条件?」

「後の人は、そう呼ぶのでしょう」

子どもたちは、まだ分かったような、分からないような顔をしている。

教師は、古い記録の最後を開いた。

そこには、ロアン本人の言葉が残っている。

ロアンの訂正

教師は、古い記録を読む。

剣は、もらいものです。

神託は、物語です。

傷は、スライムです。

村は、ただの村です。

家族は、普通の家族です。

仲間は、仲間です。

それでも、それらがなければ、ここまでは来られませんでした。

子どもたちは黙って聞いている。

「傷は、スライムです」

その一文に、少し笑う子もいる。

教師も、少しだけ笑った。

けれど、その笑いは馬鹿にしたものではない。

壮大な勇者伝説の中に、スライムという小さな真実が残っている。

それは、ロアンたちが必死に残した本当の手触りである。

子どもの一人が言う。

「スライムでも、残していいの?」

教師は頷いた。

「むしろ、残した方がいいのでしょう」

「どうして?」

「書かないと、変わってしまうからです」

別の子が絵を見る。

「じゃあ、肩の聖痕は?」

教師は少し困った顔をした。

「絵では、そう描かれています」

「本当は?」

「記録では、手首の火傷です」

「スライム?」

「はい。スライム」

子どもたちは、また少し笑う。

けれど今度は、絵の中の勇者が少しだけ近く見えた。

高い台座の上にいる遠い英雄ではなく。

転んで、焼かれて、困って、それでも進んだ誰かとして。

教師は記録を閉じた。

「勇者の条件とは、最初から完全な形で揃うものではないのかもしれません」

教室の外では、子どもたちの声が響いている。

勇者の町と呼ばれる場所にも、普通の朝があった。

いつもの道

魔王討伐から、しばらく後。

ロアンたちは、どこかの道を歩いていた。

大きな戦いではない。

停戦後の使者の確認かもしれない。

捕虜返還の帰りかもしれない。

復興の手伝いかもしれない。

あるいは、ただの帰り道かもしれない。

道は少しぬかるんでいる。

荷物は重い。

ガルドは腹を空かせている。

ミルカは地図の端を押さえながら、風で紙が飛ばないようにしている。

エナは道端の草を見て、薬草かどうかを確かめている。

ロアンは、少し前を歩いていた。

ふと、彼は言う。

「勇者の条件って、何なんだろう」

ミルカが顔を上げる。

「急に重い話をするわね」

「ずっと考えてた」

「でしょうね」

ガルドが言う。

「飯は条件だろ」

ミルカが即座に返す。

「それはあなたの条件でしょ」

「腹が減ると進めない」

「そこだけは正しいのが困る」

エナが微笑んだ。

「歩いた後に、誰かが見つけるものなのかもしれません」

ロアンは振り返る。

「歩いた後に?」

「はい。最初から全部持っているというより、歩いた後に、あれが大事だったんだと分かるものなのかなって」

ミルカが頷く。

「少なくとも、出発前に確認するものじゃないんじゃない」

ガルドが言う。

「出発前に飯は確認する」

「あなたはもう黙っていて」

「大事だぞ」

ロアンは笑った。

その笑いは、勇者の像のように立派ではない。

ただのロアンの笑いである。

ロアンは言う。

「じゃあ、飯にしよう」

ガルドが頷く。

「それがいい」

ミルカは呆れたようにため息をつく。

「最終的にそこに落ちるのね」

エナは楽しそうに笑った。

四人は歩く。

勇者の条件を背負っているのではなく。

いつものように、次にすることを考えながら。

進むべきか。

戻るべきか。

誰に聞くべきか。

誰に頼るべきか。

どこで休むべきか。

それだけを、ひとつずつ考えながら。

空は高く、道は続いていた。

勇者の条件

かつて、魔王軍は勇者の条件を定義した。

出身地。

一族。

神託。

聖痕。

聖剣。

仲間。

それらを封じれば、勇者は生まれない。

そう考えた。

その判断は愚かではなかった。

記録を集め、飾りを削り、共通項を抜き出し、対策を立てた。

魔王は有能だった。

死霊宰相も、吸血侯も、竜将も、小鬼の書庫番も、記録官も、怠慢ではなかった。

それでも、彼らは順番を取り違えた。

聖剣は、勇者になるための条件ではなかった。

それは、魔王に届いた後に聖剣と呼ばれた剣だった。

神託は、勇者になるための条件ではなかった。

それは、歩き方を変えた後に神託と呼ばれた物語だった。

聖痕は、勇者になるための条件ではなかった。

それは、手首に残ったスライムの火傷だった。

勇者の町は、勇者になるための条件ではなかった。

それは、ロアンがそこから出た後に勇者の町と呼ばれた村だった。

勇者の一族は、勇者になるための条件ではなかった。

それは、ロアンが魔王を討った後に勇者の一族と呼ばれた家族だった。

賢者も、聖女も、剣聖も、勇者になるための条件ではなかった。

それは、ミルカであり、エナであり、ガルドだった。

ロアンは、それらを揃えて旅立ったのではない。

歩く中で、出会い、受け取り、頼り、助けられ、間違え、戻り、また進んだ。

そして、魔王の前に立った。

世界はその後に、意味を与えた。

剣を聖剣と呼んだ。

物語を神託と呼んだ。

火傷を聖痕と呼んだ。

村を勇者の町と呼んだ。

家族を勇者の一族と呼んだ。

仲間を賢者、聖女、剣聖と呼んだ。

ロアンを、灰の勇者と呼んだ。

完全な嘘ではなかった。

だが、最初から真実だったわけでもなかった。

勇者の条件は、歩く前には揃っていなかった。

歩いた後に、世界がそれを条件と呼んだ。

だから、もし誰かが新しい道の前で立ち止まり、自分には聖剣も神託も聖痕もないと思うなら。

勇者の町に生まれていないと思うなら。

特別な一族ではないと思うなら。

伝説の仲間などいないと思うなら。

それでも、まだ終わりではない。

戻る理由を考えればいい。

進む理由も考えればいい。

誰かに頼ればいい。

誰かの足りないところを補えばいい。

そして、まだ進む理由が残っているなら。

一歩、進めばいい。

意味は、たぶん後から来る。


本ページに掲載している本文、画像、人物相関図、用語表、設定資料等の著作権は作者に帰属します。

作者本人または作者が許諾した媒体を除き、無断転載・無断複製・無断配布・改変利用を禁じます。

感想・紹介・レビュー等で一部を引用する場合は、引用元ページ名またはURLを明記し、引用部分が分かる形で、必要な範囲に限ってご利用ください。

本作品は、作者本人により自サイト・カクヨム・小説家になろう等に掲載される場合があります。


勇者の条件 TOPへ

勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。

気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。

カクヨム版はこちら:
https://kakuyomu.jp/works/2912051602389596248

小説家になろう版はこちら:
https://ncode.syosetu.com/n5604mk/

コメント

タイトルとURLをコピーしました