勇者の条件 第39話 灰の勇者ロアン

勇者の条件 第39話 灰の勇者ロアン 創作実験
勇者の条件 第39話 灰の勇者ロアン
勇者の条件
創作実験TOP異世界ファンタジー魔王勇者もの対勇者戦略にて勇者の誕生を阻止する作品紹介歴代魔王は、なぜ勇者に敗れたのか。城を固めても、国境を塞いでも、聖都を脅かしても、最後には勇者が玉座へ届く。ならば魔王軍が見るべきは、国ではない。勇者であ…
勇者の条件 第39話 灰の勇者ロアン 人物相関図

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故郷へ向かう記録官たち

魔王討伐から、しばらく後。

停戦交渉は、まだ続いていた。

捕虜の返還。

遺体の確認。

壊れた拠点の復旧。

残った魔王軍の処理。

人間側の軍の再配置。

魔族側との取り決め。

魔王が倒れたからといって、世界はすぐに静かにはならなかった。

むしろ、魔王が倒れたからこそ、やるべきことは増えた。

その一方で、記録官と神官たちは、別の仕事を始めていた。

灰の勇者ロアンの出自調査である。

ロアンは何度も言っている。

「勇者ではありません」

だが、その言葉はもう、ほとんど効かなくなっていた。

剣は聖剣にされかけた。

田舎神殿の物語は神託にされかけた。

スライムの火傷は聖痕にされかけた。

ミルカは賢者にされかけた。

エナは聖女にされかけた。

ガルドは剣聖にされかけた。

ならば次は、ロアンの出自である。

勇者には、ふさわしい土地が必要だった。

勇者には、ふさわしい血筋が必要だった。

少なくとも、記録官たちはそう考えた。

記録官たちは、ロアンの故郷へ向かった。

西の辺境の村。

スライム狩りをしていた村。

ロアンが田舎者だと思っていた場所。

かつては、誰も注目していなかった村である。

それが、魔王討伐者の故郷になった。

村人たちは、突然の使者に驚いた。

「ロアンが何をしたって?」

「魔王を討った?」

「いや、あのロアンが?」

「子どもの頃、スライムに焼かれて泣いてたぞ」

記録官は、その言葉に反応した。

「幼少期に魔物の火を受けていたのですね」

村人は顔をしかめる。

「火っていうか、スライムだ」

「魔物による火傷、と」

「いや、スライムだって」

「火傷は火傷ですね」

「まあ、火傷は火傷だが」

記録官の筆は止まらない。

近くで聞いていた別の村人が言った。

「おい、あれが勇者の話になるのか」

「なるんじゃないか」

「スライムに泣かされた話が?」

「魔王を倒したなら、何でもそれっぽくなるんだろう」

記録官は顔を上げた。

「詳しく聞かせてください」

村人たちは、互いに顔を見合わせた。

誰も、特別なことを話しているつもりはない。

ただ、昔のロアンの話をしているだけである。

けれど、記録官の筆先では、その昔話がすでに違う形を取り始めていた。

普通の家

ロアンの家族も呼ばれた。

父。

母。

兄弟や姉妹。

近くに住む親戚。

誰も、自分たちを勇者の一族だと思っていない。

母は困惑しながら言った。

「うちは普通の家です」

記録官が問う。

「古い家系図などは」

父が答える。

「ない」

「東方の勇者血族との関係は」

「聞いたこともない」

「先祖に騎士、神官、王族、魔術師などは」

父は少し考えた。

「畑と家畜と薪割りなら」

記録官は困った顔をする。

「薪割り」

「冬は薪がいる」

「それはそうですが」

「それ以上でも以下でもない」

記録官はさらに問う。

「古い剣が家に伝わっていたりは」

母が首を振る。

「包丁ならあります」

「聖遺物のようなものは」

「昔から使っている鍋なら」

「神託の記録は」

「子どもが熱を出した時に神殿へ行った記録なら、どこかにあるかもしれません」

記録官は筆を止めた。

勇者には血筋が必要だ。

少なくとも、これまでの記録ではそうだった。

だが、ロアンの家からは何も出てこない。

特別な紋章もない。

古い聖遺物もない。

封じられた剣もない。

神託の記録もない。

ただ、よく働く家族がいる。

ロアンが家事手伝いで魔術訓練にあまり出られなかった話まで出てくる。

記録官は一瞬困った。

だが、すぐに書き換えの種を見つける。

「幼少より家を支え、労苦を知る……民の暮らしを知る勇者……」

父が首をかしげた。

「薪割りしてただけだが」

母も言う。

「あと、よく買い物を忘れました」

記録官が反応しかける。

母は慌てて言った。

「これは勇者の兆しではありません」

記録官は少し残念そうに筆を下ろした。

親戚の一人が言う。

「ロアンは、昔から話は聞く子だったな」

「それは本当ね」

母が頷いた。

「手伝いの途中でも、誰かが困っていると足を止めるから、帰りが遅くなることもありました」

記録官の目が光る。

「困っている者の声を聞く幼少期……」

父が低く言う。

「薪割りは遅れた」

「民のために家の務めをも後に」

「違う。薪割りは薪割りだ」

記録官は、少し困った顔で、それでも書いた。

幼い日の話

記録官たちは、ロアンの幼少期を聞き取っていった。

村人たちは、悪気なく色々話す。

「危ない場所には近づかなかったな」

「スライム狩りでも、無理そうなら戻ってきた」

「戻るのが早いから、臆病だと思われたこともある」

「でも、次の日には別の道を試してた」

「家の手伝いが多くて、魔法の訓練は中途半端だった」

「ミルカの方がよっぽど魔法はうまかった」

「でも、困ってる人の話はよく聞いてた」

それらは村人にとって、ただの思い出である。

だが、記録官にとっては勇者の兆しになった。

無理をしない判断力。

撤退を失敗としない精神。

次の挑戦を考える粘り強さ。

民の暮らしを知る素朴さ。

仲間の力を認める器。

記録官は書く。

「幼きロアンは、すでに危険を見る目を持っていた。退くことを恥とせず、再び進む機を待った。これこそ、後の魔王討伐に通じる勇者の資質である……」

村人が言った。

「そんな大げさなもんじゃない」

別の村人もうなずく。

「危ないから戻ってきただけだろ」

「臆病って言われて、少し落ち込んでたぞ」

記録官は顔を上げる。

「勇者にも、己の弱さと向き合う時期が」

「落ち込んでただけだって」

「その後、翌日に別の道を試したのですね」

「まあ、そうだが」

「ならば、挫折を越えた」

村人は頭をかいた。

「言い方ひとつで、ずいぶん偉そうになるな」

近くにいた老婆が笑う。

「ロアンが聞いたら困るだろうね」

「困るだろうな」

「昔から困った顔はうまかった」

記録官が筆を動かしかける。

老婆が言った。

「それは書かなくていい」

しかし記録は整っていく。

普通だったものに、意味がつく。

ただの失敗に、兆しがつく。

ただの村の子どもに、勇者の幼少期という枠がかぶせられていく。

まだロアン本人は、そこにいなかった。

帰郷

ロアンは、故郷に帰った。

魔王討伐後、初めての帰郷である。

村の入口には、人が集まっていた。

最初は家族や知人だけだった。

だが、噂を聞いた近隣の村人、神官、商人、旅人まで来ている。

見慣れた道のはずだった。

畑の匂い。

土の匂い。

家畜の声。

雨が降ればすぐぬかるむ道。

ロアンが昔から知っている村だった。

それなのに、入口に立った瞬間、知らない場所に来たような気がした。

誰かが叫ぶ。

「勇者様だ!」

ロアンは立ち止まった。

「違います」

ミルカが横でため息をつく。

「第一声がそれなの、もう慣れてきたわ」

エナは少し笑う。

ガルドは荷物を担いだまま言った。

「飯はあるのか」

ミルカが見る。

「再会の第一声がそれでいいの?」

「腹は減る」

「間違ってはいないけど」

村人の一人がロアンに駆け寄る。

「本当に魔王を倒したのか」

ロアンは少し迷って答えた。

「みんなで倒しました」

「じゃあ、やっぱり勇者だ」

「違います」

「照れなくてもいい」

「照れてません」

「昔から、褒められると困った顔をしたからな」

「これは褒められて困ってるんじゃなくて、違うから困ってるんです」

近くで聞いていた子どもたちがざわめく。

「勇者様、困ってる」

「勇者様でも困るんだ」

ロアンはさらに困った。

ミルカが小声で言う。

「ほら、困った顔まで勇者要素になった」

「どうすればいいの」

「今のところ、何をしても変換されるわね」

家族が出てくる。

母が手を振る。

父は少し硬い顔をしている。

ロアンは少し安心した。

だが、家族の後ろには、記録官と神官と高官がいる。

ロアンはまた嫌な予感がした。

エナが静かに言う。

「ロアンさん、顔に出ています」

「たぶん、出るよ」

ガルドが村の中を見ながら言った。

「人が多いな」

ミルカが頷く。

「ここからが本番でしょうね」

ロアンは、帰ってきたはずの村で、なぜかまた戦いの前のような気持ちになった。

勇者の町

村の広場に、仮の立て札が立てられていた。

そこには大きな字で、こう書かれている。

魔王討伐者ロアン生誕の地。

ロアンはそれを見て困った。

「これ、必要ですか」

村長が困ったように言う。

「王国からの指示でな」

神官が言う。

「巡礼者も来ます。道を整えねばなりません」

商人が言う。

「宿も必要になるでしょう」

別の者が言う。

「勇者の町として整備するなら、広場も」

ロアンは慌てる。

「勇者の町ではありません」

村長は頭をかいた。

「もう、周りがそう呼び始めておる」

「止められませんか」

「止める前に、人が来る」

「人が」

「商人、神官、見物人、記録官、兵、巡礼者。すでに来とる」

ミルカが言う。

「人が来れば、村は変わるわね」

エナが周囲を見る。

「よいことも、悪いこともありそうです」

ガルドが言う。

「飯屋が増えるなら、よいこともある」

ミルカが言う。

「そこだけ見ない」

ガルドは首をかしげる。

「飯は大事だろ」

「大事だけど、今は村全体の話」

ロアンは村を見た。

自分が育った普通の村である。

スライムが出る。

畑がある。

家畜がいる。

雨が降れば道がぬかるむ。

薪を割らなければ冬が越せない。

そこが勇者の町になる。

ロアンには、うまく飲み込めない。

村長は小さく言った。

「お前が困るのは分かる。だが、村が助かる面もある」

ロアンは黙った。

「戦で物は足りん。若い者も減った。道も悪い。王国が整備するなら、助かる家もある」

それを否定することはできなかった。

自分の名前が使われるのは嫌だ。

村が違うものにされるのも嫌だ。

でも、それで村の暮らしが少し楽になるなら。

ロアンは、簡単に反対できなかった。

ミルカが静かに言う。

「ここが難しいところね」

「うん」

「全部止めると、助かるものも止まる」

「うん」

「でも、全部通すと、変な話も増える」

「うん」

ガルドが言う。

「なら、変なところだけ斬るか」

ミルカが即座に返す。

「書類は斬らないで」

エナが小さく笑った。

ロアンは立て札を見る。

魔王討伐者ロアン生誕の地。

その文字は、自分の知っている村よりもずっと大きかった。

勇者の一族

問題は村だけでは終わらなかった。

ロアンの家族にも話が及ぶ。

高官が言う。

「勇者の血筋として、保護と管理が必要です」

ロアンは眉をひそめた。

「管理?」

「勇者ロアン殿の家系は、今後重要な意味を持ちます」

「普通の家です」

「そう言われましても、魔王を討った者の家ですから」

母は困惑している。

「この子は、よく転んで帰ってくる子でしたよ」

記録官が書きかける。

ロアンが慌てた。

「それは書かなくていいです」

父が低く言う。

「勇者の血など知らん。家の仕事を手伝わせていただけだ」

高官は言う。

「だからこそ、民と共にある勇者の一族として」

ミルカが小声で言った。

「何でも変換されるわね」

ロアンは、高官をまっすぐ見た。

「家族を巻き込まないでください」

その声は、いつもの困った調子ではなかった。

はっきりとした拒絶である。

高官は少し黙る。

ロアンは続けた。

「俺が何かをしたことにするなら、俺の話にしてください。家族は普通に暮らしていただけです」

エナは静かにロアンを見る。

ガルドも黙っている。

ミルカは、ロアンの横に立った。

「それは記録して。本人が一番強く言ったところだから」

記録官は、気まずそうに筆を動かす。

高官は慎重に言った。

「ですが、ご家族の安全も考えねばなりません」

ロアンは少しだけ息を詰める。

それは、完全に間違っているわけではない。

人が集まれば、危険も増える。

ロアンの家族を利用しようとする者が出るかもしれない。

勇者の一族という名前が、家族を守ることもあるかもしれない。

でも、その名前が家族を縛ることもある。

ロアンは言った。

「安全のためなら、必要なことは相談してください。でも、勝手に勇者の血筋にしないでください」

父が頷く。

「そうだ。うちは畑と家畜と薪割りだ」

ミルカが小声で言う。

「その言い方、少し強いわね」

ガルドが真面目に言った。

「畑と家畜と薪割りは強い」

ロアンは少しだけ笑いそうになった。

けれど、笑わなかった。

今は、笑って済ませてはいけない話だった。

血筋を探す者たち

それでも、人々は血筋を探した。

東の勇者血族が封じられていた以上、ロアンが魔王を討った事実は、既存の勇者観と合わない。

ならば、ロアンの血筋にも何かあるはずだ。

そう考える者は少なくなかった。

古い戸籍が調べられる。

村の墓が調べられる。

昔の旅人の記録が調べられる。

どこかで東の血族とつながっていないか。

中央神殿の失われた支流ではないか。

辺境へ流れた勇者の末裔ではないか。

だが、何も出てこない。

ただの村人の記録が続くだけである。

薪を割った者。

畑を継いだ者。

流行病で死んだ者。

隣村から嫁いできた者。

徴兵されて戻らなかった者。

川で足を滑らせた者。

牛に蹴られた者。

記録官の一人が言う。

「特別な血筋は確認できません」

別の者が言う。

「では、新たな勇者の血筋がここに始まったと見るべきでは」

そこにいたら、ロアンはきっと言っただろう。

始まってません。

だが、そう言っても、記録は完全には止まらない。

始まりがないなら、ここを始まりにすればいい。

古い血筋がないなら、新しい血筋にすればいい。

記録は、空白を嫌う。

人は、意味のない偶然を嫌う。

だから、何も出てこないことにさえ、意味が与えられそうになる。

辺境に隠されていた勇者の血。

神々があえて平凡な家に宿した勇者の資質。

民の中から現れた新たな系譜。

言葉はいくらでも出てくる。

ロアンの家族は、そんなものを望んでいなかった。

ただ、子どもが無事に帰ってきたことを喜びたかっただけだった。

それでも後世では、ロアンの家は灰の勇者の一族と呼ばれることになる。

本人たちが望んだかどうかとは別に。

灰の勇者という名

ロアンの呼び名も変わっていった。

最初は正確だった。

アークガルム王国第八傭兵団第三遊撃部隊、灰の一団のロアン。

長い。

次に短くなる。

灰の一団のロアン。

さらに短くなる。

灰のロアン。

魔王討伐者という情報が加わる。

魔王を討った灰のロアン。

そして、周囲が求める言葉に変わる。

灰の勇者ロアン。

ロアンは何度も否定する。

「勇者ではありません」

だが、人々は言う。

「正式でなくとも、魔王を討ったなら勇者です」

「灰の一団の勇者という意味です」

「灰色の外套をまとっていたから灰の勇者」

「火の聖痕を持つから灰の勇者」

「戦場の灰の中から現れたから灰の勇者」

意味が増えていく。

ロアンは言う。

「灰の一団の名前です」

ミルカが言う。

「たぶん、もう名前が独り歩きしてる」

ガルドが言う。

「灰は短いからな」

エナが言う。

「覚えやすいのかもしれません」

ロアンは頭を抱えた。

覚えやすい名前ほど、強い。

長くて正確な名前は、記録には残る。

けれど人の口には残りにくい。

短くて強い名前は、広がる。

正確でなくても、広がる。

ミルカが肩をすくめた。

「アークガルム王国第八傭兵団第三遊撃部隊のロアン、って毎回言う人はいないでしょうね」

ロアンは小さく言う。

「俺はそれでいいんだけど」

「世間は面倒な正確さより、言いやすい間違いを選ぶのよ」

エナが困ったように言う。

「間違いと言い切れないところが、また難しいですね」

ガルドが頷く。

「灰の一団ではある」

ミルカも頷く。

「魔王を討ったのも事実」

ロアンは顔を上げる。

「でも、勇者じゃない」

ミルカは少しだけ優しく言った。

「そこが、たぶん一番残りにくい」

ロアンは何も言えなかった。

ロアンの条件

ロアンは、村長や高官、神官たちに条件を出した。

「村を助けるなら、村のみんなが暮らしやすくなるようにしてください」

高官は頷く。

「もちろんです」

「勇者の町として飾るためだけにしないでください」

神官が少し目を伏せる。

ロアンは続ける。

「家族を勝手に神聖な血筋にしないでください」

記録官が筆を構える。

「そして、スライムのことも、ちゃんと書いてください」

ミルカが横で言う。

「最後、大事だけど少し変ね」

ロアンは真剣である。

「大事だよ。書かないと変わるから」

ガルドがうなずく。

「書かないから変になる」

エナも言う。

「田舎神殿のこともそうでした」

高官は少し困る。

「しかし、すべてをそのまま書けば、伝承としての威厳が」

ロアンは言った。

「威厳より、間違えない方がいいです」

その言葉に、場が少し静かになった。

ロアンは勇者の伝承を作りたいわけではない。

立派にしてほしいわけでもない。

神聖にしてほしいわけでもない。

ただ、間違えないでほしいだけである。

剣をくれた鍛冶師の名。

古い物語を残した神殿。

スライムの火傷。

ミルカの普通の火の魔法。

エナの手の届く範囲。

ガルドの田舎道場と薬草。

そして、普通に暮らしていた家族。

どれも、勝手に大きな名前を与えられそうになっている。

ロアンはそれを全部止められるとは思っていなかった。

でも、最初の記録くらいは間違えないでほしかった。

記録官は、しばらく黙ってから言った。

「可能な限り、事実を併記します」

ミルカがすぐに言う。

「併記じゃなくて、事実を本文にして」

記録官は小さく咳払いをした。

「努力します」

「その言い方、もう信用できないのよ」

ロアンは少しだけ笑った。

それでも、言わないよりはよかった。

家族との夜

夜。

ロアンは家族と話した。

久しぶりの家の空気。

懐かしい食事。

狭い部屋。

低い天井。

魔王城よりずっと小さい。

でも、ロアンにはこちらの方が落ち着いた。

母が器を置く。

「大変なことになったね」

ロアンはうなずく。

「ごめん」

父が眉を寄せる。

「なぜ謝る」

「巻き込んだから」

母は少し笑った。

「子どもの頃から、何かしら持って帰ってきたでしょう。怪我とか、泥とか、変な虫とか」

「それとこれは違うよ」

父が言う。

「まあ、魔王は初めてだな」

ロアンは困ったように笑った。

母が少し真面目な顔になる。

「お前は勇者なのかい」

ロアンは首を横に振る。

「違うと思う」

「そう」

「でも、みんながそう呼ぶ」

父はしばらく黙っていた。

そして言った。

「呼ばれても、自分で間違えなければいい」

ロアンは顔を上げる。

父は続ける。

「村が変わっても、家が変わっても、お前が自分を間違えなければいい」

母もうなずく。

「勇者様になって帰ってきたなら、少しは偉そうにするかと思ったけどね」

「しないよ」

「なら、あまり変わってない」

ロアンは黙った。

その言葉は、少しだけ救いになった。

母が器を指す。

「食べなさい。冷めるよ」

「うん」

「魔王を倒しても、食事を残したら怒るからね」

ロアンは笑った。

「それも変わってない」

「変える必要がないものもある」

ロアンは、家の中を見回した。

低い天井。

古い棚。

傷のついた机。

いつもより多い客。

外には記録官や神官がいる。

村は変わり始めている。

でも、変わらないものもあった。

ロアンはその夜、久しぶりに少しだけ深く息を吐いた。

後の町

ずっと後。

ロアンの故郷には、立派な門ができている。

そこには、こう刻まれている。

灰の勇者ロアン生誕の町。

広場には像がある。

灰色の外套をまとい、聖剣を掲げるロアン。

実際のロアンより背が高く、表情は凛々しく、服はずっと整っている。

近くの案内板には、こう書かれている。

この地に生まれしロアンは、幼き日より聖痕を身に宿し、神託に導かれ、聖剣を手に魔王を討った。

さらに、ロアンの家系を示す図が飾られている。

そこには、後世の学者が推測した灰の勇者の一族が、整然と描かれている。

実際には分からないところまで、線が引かれている。

子どもが案内役に聞く。

「ロアン様は、生まれた時から勇者だったの?」

案内役は微笑む。

「そう伝えられています」

けれど、その始まりは、もっとずっと小さなものだった。

ロアンは、自分を勇者だと思っていなかった。

家族も、自分たちを勇者の一族だと思っていなかった。

村も、最初から勇者の町だったわけではない。

そこは、西の辺境の村だった。

スライムが出て、畑があり、雨が降れば道がぬかるみ、冬には薪が足りなくなる村だった。

そこでロアンは育った。

勇者としてではなく。

村の子どもとして。

家の仕事を手伝い、失敗し、戻り、また試した。

後世の像は、そのあたりをあまり語らない。

像は、泥のついた靴を履いていない。

薪割りで手を痛めた顔もしていない。

スライムに焼かれて泣いた顔もしていない。

それでも、人々は像を見る。

門をくぐる。

案内板を読む。

そして、灰の勇者ロアンの町だと言う。

名前は、そうして残っていく。

灰の一団のロアン

現在に戻る。

ロアンは、村の外れに座っていた。

ミルカが隣に来る。

「また考えてる」

「考えるよ」

「勇者の町?」

「うん」

エナも来る。

「村の人たちは、少し嬉しそうでした」

ロアンはうなずく。

「それが困る」

ガルドが来る。

「飯はうまかった」

ミルカが言う。

「あなたはいつもそこね」

「うまい飯は大事だ」

「否定はしないけど」

ロアンは、遠くの村を見る。

「灰の勇者って、誰なんだろう」

ミルカが言う。

「少なくとも、あんたを元に作られた誰かでしょうね」

「俺じゃないの?」

「全部は違う。でも、全部が違うわけでもない」

エナが言う。

「ロアンさんがいなければ、その名前もありませんでした」

ガルドが言う。

「なら、少しはお前だ」

ロアンは困ったように笑う。

「少しか」

ミルカがうなずく。

「少しでいいんじゃない」

「いいのかな」

「全部背負うよりはまし」

ガルドが言う。

「重いなら分ければいい」

エナが微笑む。

「灰の一団ですから」

ロアンは三人を見る。

ミルカ。

エナ。

ガルド。

そして、自分。

灰の一団。

最初から勇者の一行だったわけではない。

ただ、歩いてきただけだ。

戻って、聞いて、つないで、助けてもらって、また進んできただけだ。

ロアンは空を見た。

勇者ではない。

でも、灰の勇者という名前は生まれてしまった。

自分から少し離れた場所で、これから歩いていく名前として。

ロアンは小さく息を吐く。

「せめて、間違いすぎないようにしたい」

ミルカが言う。

「そこがロアンらしいわね」

ガルドが頷く。

「間違えたら戻せばいい」

エナも言う。

「戻れるところは、戻しましょう」

ロアンは少し笑った。

「うん」

遠くで、誰かがまた言っている。

勇者様。

灰の勇者。

魔王を討ったロアン。

ロアンは立ち上がる。

そのどれも、自分とは少し違う。

けれど、完全に自分と無関係でもない。

だから、歩くしかない。

灰の一団のロアンとして。

まだ勇者ではないと思いながら。

灰の勇者ロアン

勇者の町は、最初から勇者の町だったわけではない。

そこは、西の辺境の村だった。

スライムが出て、畑があり、雨が降れば道がぬかるみ、冬には薪が足りなくなる村だった。

勇者の一族は、最初から勇者の一族だったわけではない。

そこには、普通の家族がいた。

家の仕事をし、子どもを叱り、怪我を心配し、帰りを待っていた人たちがいた。

灰の勇者ロアンは、最初から灰の勇者だったわけではない。

彼は、灰の一団のロアンだった。

アークガルム王国第八傭兵団第三遊撃部隊。

長くて、地味で、記録しにくい名の中にいた一人だった。

だが、魔王を討った後、人々は短く、強く、覚えやすい名を求めた。

灰の一団のロアン。

灰のロアン。

灰の勇者ロアン。

名前は短くなり、意味は大きくなった。

完全な嘘ではなかった。

だが、本当のままでもなかった。

村は勇者の町になった。

家族は勇者の一族と見なされた。

ロアンは、灰の勇者として記録され始めた。

本人がそう名乗ったことは、一度もなかったのに。


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