召喚士が召喚した召喚士~基礎から始める召喚マネジメント講座~TOPへ


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一 実習棟の朝
ヴァルセイン王立東召喚士学校の実習棟は、朝から落ち着かなかった。
長机の上には、魔力石、補助札、記録板が並んでいる。床には生徒ごとに小さな召喚陣が刻まれ、朝の光を受けて白い線がかすかに浮かび上がっていた。
まだ何も呼ばれていない。
それなのに、実習室の空気だけは、もう少し硬かった。
「手順一、呼びかけ。手順二、応答確認。手順三、対象安定。手順四、簡易指示。手順五、帰還確認……」
リオル・ロステルは、自分の召喚陣の前で小さく呟いていた。
茶色の髪。少し頼りなさそうな目。制服はきちんと着ているが、肩には力が入っている。
今日の課題は、低位精霊の召喚と帰還確認。
見習い召喚士にとっては基礎中の基礎だ。
水精霊なら水を動かす。風精霊なら風を送る。火精霊なら小さな火を灯す。土精霊なら土を寄せる。
大きな成果は求められない。
安定して呼び、簡単な指示を出し、安全に帰す。
それだけの実習だった。
それだけが、リオルには難しかった。
「ロステル、また水精霊一体か」
隣の列から声がした。
リオルが顔を上げると、セリオ・ヴァインがこちらを見ていた。整った制服、整った髪、整いすぎた姿勢。どこから見ても貴族の家の子息だった。
「まだ始まってないよ」
「結果は見えている。水か風が一体。火と土は不発。東校は庶民にも門戸を開いているが、向いていない者まで残す必要はない」
「……うん」
リオルは反論できなかった。
ヴァルセイン王立東召喚士学校は、王立四校の中では庶民出身者が比較的多い。それでも、教室を見渡せば貴族出身者の方がずっと多かった。
召喚士は、契約、防衛、災害対応、時には軍事にまで関わる。
家の後ろ盾。責任の取り方。契約上の保証。
そうしたものが重視されるのは、リオルにも分かっている。
だからこそ、自分の立ち位置も分かっていた。
庶民扱いの見習い。
低位精霊の召喚も得意ではない。
召喚士になりたいとは思っている。
けれど、自分が召喚士に向いているのかと聞かれれば、胸を張って頷くことはできなかった。
「セリオ、その言い方はないでしょ」
リオルの前に、ユナ・フェルミアが半歩出た。
彼女も貴族だ。ただ、セリオのように身分を前へ押し出すことは少ない。声は強いが、怒鳴るわけではない。リオルを庇う時も、いつも少しだけ理屈を残す。
「事実だ。召喚士は契約と防衛に関わる。家の後ろ盾も、責任の取り方も違う」
「そういうところが貴族は面倒なのよ」
「君も貴族だろう、フェルミア」
「だから言ってるの」
セリオは一瞬黙った。
リオルは慌てて二人の間に声を挟む。
「僕は大丈夫だから」
「いつものことにしちゃだめ」
ユナはリオルを見た。
「でも、僕が精霊をうまく呼べないのは本当だし」
「本当のことなら何を言ってもいい、なんて貴族の悪い癖よ」
セリオが眉をひそめた。
その時、窓辺で小さな羽音がした。
リオルはそちらへ目を向ける。
実習棟の窓枠に、鳥が三羽とまっていた。茶色い小鳥が二羽、黒い羽の混じった鳥が一羽。どれも、リオルの姿を見ると逃げずに首をかしげた。
「あ、また来てる」
リオルは小さく手を振った。
鳥たちは、じっとこちらを見ている。
ユナが少し笑った。
「また鳥?」
「うん。たぶん、いつもの子」
「リオル、ほんとに小動物には好かれるよね」
「餌をあげてるだけだよ」
「それだけじゃ寄ってこないと思うけど」
「そうかな」
リオルは首をかしげた。
巣から落ちた雛を戻したことはある。窓辺にこぼれたパンくずを片付けたこともある。猫が近づいた時、そっと追い払ったこともある。
けれど、それは召喚士として特別なことではない。
少なくとも、学校の評価にはならない。
その証拠に、セリオは鼻で笑った。
「鳥に好かれても、召喚士評価にはならない」
「セリオ」
「何だ。事実だろう」
その言葉も、リオルは否定できなかった。
窓辺の鳥は、もう一度リオルを見た後、羽を震わせて飛んでいった。
実習棟の前方で、手を叩く音がした。
「全員、位置につけ」
実習教官のダリル・モートンが、教壇の横に立っていた。真面目で、やや眉間に皺が寄りやすい教官だった。
生徒たちがそれぞれの召喚陣の前に立つ。
ダリルは全体を見回してから言った。
「今日の課題は、低位精霊の召喚と帰還確認だ」
「はい」
「重要なのは、呼ぶことだけではない。呼んだものを安全に帰すところまでが実習だ」
リオルは少しだけ背筋を伸ばした。
呼ぶことだけではない。
それは何度も聞いている言葉だった。
けれど、リオルにとっては、まず呼ぶことが難しい。
「水精霊なら水を動かす。風精霊なら風を送る。火精霊なら小さな火を灯す。土精霊なら土を寄せる。大きな成果は求めない。安定性を見る」
安定性。
リオルは自分の両手を見た。
火精霊は無理だ。土精霊も不安定すぎる。風精霊は時々呼べるが、気を抜くとすぐに散る。
水精霊なら、何とかなる。
何とかなるはずだった。
二 水精霊ではないもの
「次、リオル・ロステル」
名前を呼ばれ、リオルは一歩前へ出た。
召喚陣の前に膝をつき、魔力石に手をかざす。薄い青の石が、ほんのりと光を返した。
大丈夫。
水精霊なら、何度か成功している。
「呼びかけを開始します」
「許可する。落ち着いて行え」
ダリルの声に頷き、リオルは息を吸った。
「水精霊……来て」
召喚陣に淡い水色の光が灯った。
輪になった線の内側で、小さな水滴のようなものが浮かび上がる。ふるふると揺れながら、透明な球が形を作ろうとしていた。
成功する。
そう思った次の瞬間、光がぶれた。
水色の輪郭が崩れ、陣の外側に白い線が走る。
「落ち着け、ロステル。そのまま維持しろ」
ダリルの声が飛ぶ。
リオルは慌てて魔力を整えようとした。しかし、召喚陣の光は内側から押されるように膨らんでいく。
水精霊の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。
「あ、待って。これ、崩れる……」
「魔力を抜け。無理に支えるな」
「止めます」
リオルは反射的に手を伸ばした。
召喚陣の脇に置かれていた補助札。
暴走しかけた召喚を安全に落とすための札だと、リオルは思った。
「リオル、それ教官用じゃ――」
ユナの声が聞こえた。
けれど、もう遅かった。
リオルの指先が補助札に触れる。
札が光った。
水色だった召喚陣に、白銀の線が混じる。
ダリルの顔色が変わった。
「待て、その経路は――」
言葉の途中で、召喚陣が広がった。
低位精霊の実習ではありえない規模だった。
床の白線が次々に接続され、教室の空気が一段冷える。水精霊の淡い気配は消え、代わりに鋭い銀の光が立ち上がった。
生徒たちが後ずさる。
リオルは動けなかった。
召喚陣の中央に、ひとりの女性が現れた。
金髪の長い髪。
翼のような銀の髪飾り。
白に近い灰色のコート。
背は高く、細身で、まっすぐ立っているだけなのに、教室全体の視線を吸い寄せた。
表情はほとんど動かない。
しかし、その目だけが、現れた瞬間に教室を確認していた。
召喚陣。補助札。教官。生徒。窓。出入口。通信水晶。記録板。
全てを、一息で見たようだった。
女性は静かに口を開いた。
「状況を確認します。ここは召喚士学校の実習棟で間違いありませんか」
教室は静まり返った。
リオルは、自分が答えるべきなのか分からなかった。
けれど、女性の視線が自分に向いている気がして、慌てて頷く。
「は、はい」
「召喚者は」
ダリルが口を開こうとした。
その前に、リオルは手を上げた。
「あの、すみません。僕が呼びました」
女性の視線が、改めてリオルに落ちる。
「あなたが?」
「はい」
「教官は」
ダリルが背筋を伸ばした。
「ダリル・モートンです。実習担当教官です。オルブライト閣下、これは――」
「オルブライト閣下?」
リオルは思わず聞き返した。
セリオが、信じられないものを見る目でリオルを見た。
「知らないのか、ロステル。ヴァルセイン王国北方召喚防衛統括官、オルブライト閣下だぞ」
「北方召喚……」
言葉が長すぎて、リオルの頭には入ってこなかった。
ユナが低く言う。
「リオル、今は黙って」
セリオはなおも続けた。
「よりにもよって庶民の見習いが、閣下を召喚するなど……。これは事故では済まない」
「セリオ……」
「事実だ。家の後ろ盾もない者が、扱える相手ではない」
その瞬間、女性――メルセナ・オルブライトは、セリオを見た。
表情は変わらない。
けれど、教室の温度が少し下がった気がした。
「あなたの見解は後で聞きます。今は不要です」
「……失礼しました」
セリオは一歩引いた。
メルセナはリオルへ視線を戻す。
「事故ですね」
「やっぱり事故ですか」
「はい。しかも、一人の失敗ではありません。とても美しくない複合事故です」
「美しくない……」
リオルは自分の足元を見た。
召喚陣はまだ薄く光っている。
水精霊を呼ぶはずだった。
それなのに、呼び出されたのは王国の最高位召喚士らしい女性だ。
どう考えても、リオルが扱える相手ではない。
「すみません、先生。僕、低位精霊を呼ぶつもりで……」
言った瞬間、メルセナがわずかに止まった。
「先生?」
「あ、すみません。召喚士学校の人かと思って」
「……いえ。続けてください」
「怒らないんですか?」
「怒る理由はいくつもあります」
「ありますよね……」
「ただ、先生と呼ばれるのは悪くありません」
「そこなんですか?」
「そこもです」
メルセナの表情は変わらなかった。
それなのに、なぜか少しだけ空気が緩んだ。
リオルは、今の会話で安心していいのか、もっと不安になるべきなのか分からなかった。
三 複数で転げ落ちた事故
ユナが一歩前へ出た。
「オルブライト閣下」
メルセナが視線を向ける。
「何でしょう」
「リオルは、たぶん間違えました。でも、あの補助札が使える状態だったのはおかしいです」
ダリルが反射的に言った。
「フェルミア、それは――」
「教官を責めているわけではありません。でも、見習いが触れたら大事故になるものが、見習いの手の届くところにあった。それを全部リオルのせいにするのは違うと思います」
「ユナ……」
リオルは小さく呟いた。
ユナはリオルを見ず、メルセナを見て続ける。
「それに、リオルは召喚を強引に続けようとしたわけじゃありません。崩れそうだったから止めようとしたんです」
「見ていましたか」
「はい。隣の陣でしたから」
メルセナは一拍置いた。
「分かりました。あなたの証言は記録に含めます」
「ありがとうございます」
「庇い方としては、感情が先に出ています」
「……はい」
「ですが、見るべき点は見ています。悪くありません」
ユナは少しだけ目を見開いた。
褒められた、というより、評価された。
そういう言い方だった。
メルセナはすぐに視線を外し、召喚陣の縁へ歩いた。足音はほとんどしない。しゃがみ込み、補助札の位置を確認し、床に刻まれた線を指でなぞる。
「補助札は教官用ですね」
ダリルの肩がわずかに揺れた。
「はい。本来、見習い実習では緊急経路から切り離してあります」
「本来は」
「……本来は」
リオルはおそるおそる口を挟んだ。
「あの、僕が触ったからですよね」
「あなたの行動は原因の一つです。全てではありません」
「一つ……」
「事故は一人で起きることもありますが、今回は複数で仲良く階段を転げ落ちています」
ユナが小さく眉を寄せた。
「表現が怖いです」
「事実です」
メルセナは立ち上がった。
「私の応召条件を照会してください」
ダリルはすぐに頷いた。
「今、ギルドへ」
教室の隅に置かれていた通信水晶が起動する。透明な結晶の内側に淡い光が浮かび、数度明滅した後、女性の声が響いた。
『ヴァルセイン王国中央召喚士ギルド、契約照合担当ミレイユ・グレインです。照会対象は、メルセナ・オルブライト閣下で間違いありませんか』
「間違いありません。私の応召条件を確認してください」
『承知しました。少々お待ちください』
水晶の向こうで、記録板を操作するような音がした。
リオルは、自分の喉がからからに乾いていることに気づいた。
応召条件。
召喚対象が、どういう条件なら呼びかけに応じるかを登録しておくものだ。高位召喚士ともなれば、その条件は厳しいはずだった。
見習いの実習室から、最高位召喚士を呼べるはずがない。
高位召喚士は、応召条件を厳しく設定する。
とくにメルセナ・オルブライトほどの人物なら、軽い照会や興味本位の呼びかけに応じるわけにはいかない。戦地、防衛線、王都、ギルド、貴族家。どこからでも不用意に呼べてしまえば、それだけで国家防衛に穴が空く。
だから、彼女の応召条件は最上位に近いはずだった。
少なくとも、見習いの実習で届くような条件ではない。
リオルだけではない。ダリルも、通信水晶の向こうのミレイユも、そこは疑っていなかった。
Lv100以上。
そう登録しておけば、実質的には誰も呼べない。
登録に関わった者たちは、そう思っていた。
高すぎる条件は、鍵になる。
誰もが、そう油断していた。
そのはずだった。
『……確認しました。オルブライト閣下の応召条件、Lv00以上になっています』
教室が静まった。
メルセナが、わずかに首を傾ける。
「Lv00?」
リオルも聞き返した。
「Lv00って、何ですか?」
「本来存在しない条件です」
通信水晶の向こうで、ミレイユの声が小さく揺れた。
『登録欄が二桁ですので』
「私はLv100以上と入力したはずですが」
『後ろ二桁だけ保存されています』
沈黙。
リオルは頭の中でゆっくりと考えた。
Lv100以上。
後ろ二桁だけ。
00。
「つまり、僕でも呼べた……?」
「そのようですね」
メルセナは淡々と言った。
「とても嫌な言い方をすれば、全員きれいに失敗しています」
「全員……?」
リオルは、思わず聞き返した。
メルセナは記録板へ視線を落としたまま、淡々と指を折った。
「第一に、登録欄の問題です。三桁以上の数値を受け付けない仕様なら、Lv100を入力した時点で弾くべきでした」
『……はい』
通信水晶の向こうで、ミレイユの声が小さくなった。
「第二に、弾かないのであれば、少なくとも警告を出すべきです。入力値が切り捨てられ、Lv00として保存されるなど、契約管理上あってはならない処理です」
「それは……システム側の問題ですか?」
「はい。入力した者の確認不足もありますが、そもそも受け付けてはいけない値を受け付けています」
リオルは少しだけ息を吐いた。
自分のせいではない、と言われた気がしたからではない。
自分のせいだけではないのだと、ようやく形が見えたからだった。
メルセナは続ける。
「第三に、その後の照合運用です。Lv00以上という異常な条件で管理されている状態を、誰も見つけられなかった」
『定期照合の対象には、入っていたはずです』
「入っていたはず、では困ります」
『……はい』
「Lv00は正常値ではありません。未設定、全許可、あるいは登録破損として扱うべき値です。少なくとも、最高位召喚士の応召条件として放置してよい値ではありません」
教室の空気がまた少し硬くなった。
メルセナの声は荒くない。
だからこそ、責任の場所だけが冷たく浮かび上がっていく。
「第四に、現場配置です」
メルセナは、召喚陣の脇に落ちている補助札を見た。
「緊急用の札が、見習いの手の届く位置にありました」
ダリルの顔が強張る。
「……本来は、教官が保持する札です」
「本来は、ですね」
メルセナは同じ言葉を返した。
「緊急用の札は、緊急時に使える必要があります。ですが、使う権限のない者が触れられる場所に置いてはいけません。特に、実習中の見習いは、失敗を止めようとして反射的に手を伸ばします」
リオルは、補助札へ伸ばした自分の手を思い出した。
まさに、その通りだった。
暴走を止めようとした。
止められると思った。
けれど、触ってよいものかどうかを判断する余裕はなかった。
「第五に、リオル・ロステル」
「はいっ」
急に名前を呼ばれ、リオルは背筋を伸ばした。
「あなたは、札の種別を確認せずに触れました」
「……はい」
「崩れかけた召喚を止めようとした判断そのものは理解できます。ですが、分からない札に触れてはいけません」
「はい。すみません」
「以上です」
メルセナは記録板を閉じた。
「つまり今回の事故は、入力時に止まらず、保存時に壊れ、照合時に見落とされ、実習現場で危険物が手の届く場所にあり、最後に見習いがそれに触れたことで成立しました」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
リオル一人の失敗ではない。
けれど、リオルが無関係なわけでもない。
誰か一人だけを責めれば終わる事故ではなかった。
だからこそ、重かった。
ダリルが深く頭を下げた。
「……申し訳ありません」
通信水晶の向こうでも、ミレイユが息を飲む気配がした。
『……記録照合を継続します』
「お願いします。あなたの首を守るためにも」
『はい。全力で』
リオルは通信水晶を見た。
「首を守るためにもって言いました?」
「言いました」
メルセナは否定しなかった。
そのまま、彼女は契約状態を確認し始めた。
「召喚者はリオル・ロステル。召喚対象は私、メルセナ・オルブライト」
「はい……」
「召喚目的は、実習中の低位精霊召喚補助。対象不一致。報酬条件、空欄。危険度、未設定。終了条件、未設定。帰還条件、未設定」
リオルは一つ一つの言葉を聞くたびに、顔から血の気が引いていくのを感じた。
「未設定ばっかりですね……」
「はい。召喚契約としては、かなりよくありません」
「すみません」
「謝罪は後でまとめて受け取ります。今は状況整理が先です」
メルセナは、少しだけ記録板の文字を見つめた。
「Lv100であれば、実質的に呼べる者はいない。そう想定した私のミスでもあります」
「先生のミス、ですか?」
「はい。呼べない条件にしておけば安全だと考えました。ですが、呼べない条件だから確認しなくてよい、という意味ではありません」
メルセナの声は変わらない。
自分を庇う気配もなければ、誰かへ責任を押しつける気配もなかった。
「とはいえ、通常の呼びかけだけなら、私は応じていなかった可能性が高いです」
「じゃあ、どうして……」
「緊急用の札が使われたからです」
メルセナは、召喚陣の脇に落ちている補助札へ視線を向けた。
「あれが使われたことで、召喚は通常照会ではなく、緊急応召に近い扱いになりました。緊急であるなら、応じるべき状況もあります」
「緊急だから、先生も来た……?」
「はい。ですが、そこも想定不足です。緊急用の札で、私への召喚が成立し得る状況を想定していませんでした」
「それも、事故の原因なんですね」
「原因の一つです」
メルセナは記録板へ指を走らせた。
「召喚は、呼べば終わりではありません。何のために呼んだのか。どの範囲で動くのか。何をしてはいけないのか。いつ終えるのか。誰が責任を取るのか。それが曖昧なままでは、呼ばれた側も動けません」
リオルは思わず聞いた。
「呼ばれた側が、先生でもですか?」
メルセナがリオルを見る。
「私だからこそです」
その声は静かだった。
「強いものほど、曖昧に呼んではいけません」
教室の誰も、何も言わなかった。
リオルは、低位精霊を呼ぶはずだった召喚陣を見た。
呼べれば成功。
そう思っていた。
けれど、今ここにいる人は、呼ばれた後のことを真っ先に確認している。
四 首と契約
「あの、今すぐ帰ってもらうことはできないんですか?」
リオルは小さく尋ねた。
ダリルが息を飲んだ。
通信水晶の向こうも、急に静かになった。
メルセナは頷く。
「できます」
「できるんですか?」
「ただし、今ここで私が召喚事故として処理されると、途中の誰か、もしくは全員の首が飛びます」
リオルは瞬きをした。
「処分、ですか?」
「物理的に」
「物理的に!」
リオルは青ざめて周囲を見た。
「物理的に首が飛ぶって……ダリル先生は?」
「飛びます」
ダリルは目を閉じた。
「……否定できません」
「ミレイユさんは?」
通信水晶の光が、わずかに揺れた。
「飛びます」
『……記録上は、照合担当も確認責任を問われます』
「通信水晶の向こうで声が震えてる!」
メルセナは淡々と続けた。
「あと、セリオという少年も言い方が気に入らないので飛びます」
「セリオ無関係!」
セリオが一歩前へ出かけて、止まった。
「なぜ私が」
「言い方が気に入りません」
「理由が個人的!」
「ユナさんは……まぁ良いでしょう」
ユナは困惑した顔で会釈した。
「ありがとうございます……?」
リオルは両手を上げた。
「基準が分かりません!」
「基準はあります。セリオ氏は事故に対する理解より先に身分の話をしました。ユナさんは、あなたの行動と補助札の位置を分けて見ました」
「ちゃんと基準あった!」
「ただし、セリオ氏については半分ほど私情です」
「半分も!」
教室の空気が、ほんの少しだけ戻った。
事故は重大だ。
それは誰も忘れていない。
けれど、メルセナがあまりにも無表情で物騒なことを言うため、リオルは混乱しながらも突っ込まずにはいられなかった。
メルセナは記録板を見下ろし、少しだけ考えた。
「ここは契約を少し調整しましょう。いきなり短期契約も違和感がありますので、三か月ほどとします」
「三か月……先生はそれでいいんですか?」
「よいかどうかで言えば、少し面倒です」
声には出さないが、メルセナにはもう一つ理由があった。
少し、暇だった。
北方防衛は緊張状態にある。だが、緊張しているからといって、毎日戦闘が起きるわけではない。むしろ、戦闘を起こさせないために整え続ける仕事の方が多い。
報告、照合、配置確認、契約更新、抑止力の維持。
重要ではある。
退屈ではない、と言い切るには少し無理があった。
加えて、リオルが自分を先生と呼んだ。
閣下、統括官、大召喚士、オルブライト卿。
そう呼ばれることには慣れている。
だが、先生と呼ばれることは、ほとんどなかった。
悪くない。
かなり悪くない。
もちろん、それを口に出すつもりはなかった。
「すみません……」
「ですが、事故を事故として即時処理するより、契約を整えて経過を見た方が関係者の首は残ります」
「首基準なんですね」
「重要です」
ダリルが真剣に頷いた。
「大変重要です」
通信水晶の向こうからも声がした。
『記録上も、大変重要です』
リオルは水晶と教官を交互に見た。
「大人たちが一番真剣だ……」
メルセナはペンを取った。
「私の役割は、召喚術基礎コンサルタントとします」
「コンサルタント、ですか?」
「はい」
メルセナはそこで、ほんの少しだけ間を置いた。
教官ではない。
リオルを学校から預かる立場ではないし、学校の指揮系統に入るつもりもない。
師と呼ぶには、契約の形が曖昧になる。
上官では、召喚者と召喚対象の関係を崩しすぎる。
助言し、観察し、必要に応じて是正する。だが、リオルの上に立つわけではない。
その言葉が、最も近かった。
もちろん、その立場にも危うさはある。外部の助言者は時に、現場の上下関係を崩す。本職の者たちはその危うさをうまく処理するのだろうが、メルセナ自身はそこまで自然には扱えない。
それでも今回は、リオルとの間だけの限定契約だ。
学校やギルドの指揮系統へ直接入るわけではない。
ならば、あえてその名を使うのが最も安全だった。
「あなたの上官になるわけでも、学校の教官になるわけでもありません」
「先生ではないんですか?」
「役割上は近いです。ただし、学校やギルドの指揮系統には入りません。今回の契約は、あなたと私の間だけの限定的なものです」
「だから、コンサルタント?」
「はい。あなたの召喚術基礎について、助言、観察、確認、必要な是正を行います」
「それって、やっぱり先生みたいなものでは……」
「役割上は、そう呼んでも構いません」
メルセナは無表情だった。
無表情だったが、なぜか言葉の最後が少しだけ早かった。
ぶっちゃけ、先生と呼んでほしかった。
かなり呼んでほしかった。
心の底から呼んでほしかった。
もちろん、それを顔に出すつもりはない。声に出すつもりもない。最高位召喚士として、その程度の自己管理はできる。
ただ、返事の準備だけは完全にできていた。
リオルはそれに気づいたような、気づかなかったような顔をした。
「じゃあ、先生」
「はい」
「三か月、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。召喚者」
「召喚者って呼ばれると、すごく偉そうで怖いです」
「契約上は事実です」
「事実が怖いです」
メルセナは契約文に数行を書き足した。
リオルは、その手元をじっと見る。
自分が呼んでしまった。
自分が召喚者で、メルセナが召喚された側。
けれど、実力も経験も判断力も、社会的地位も、何もかもが逆だった。
召喚陣の上で結ばれた関係は、どう見てもねじれていた。
それでも、契約は契約だった。
メルセナは記録板を閉じ、リオルを見た。
「リオル・ロステル」
「はい」
「あなたは、召喚とは何だと思っていますか」
急な問いに、リオルは戸惑った。
「えっと……呼ぶこと、ですか?」
「半分です」
「半分」
「残り半分は、呼んだ後に破綻させないことです」
「破綻……」
「目的が曖昧なら、呼ばれた側は動けません。役割が曖昧なら、余計なことをします。終了条件がなければ、止まりません。帰還条件がなければ、帰れません」
リオルは、足元の召喚陣を見た。
水精霊を呼ぶつもりだった。
崩れそうだったから止めようとした。
その結果、目の前に最高位召喚士がいる。
呼ぶことだけを考えていたわけではない。
けれど、呼んだ後のことを、本当に考えていたわけでもなかった。
「明日から、そこを学びます」
「明日から?」
「契約期間は三か月です。時間は有限です」
「本当に先生になってる……」
「なりました」
メルセナは淡々と答えた。
ダリルは額に手を当てた。
ミレイユは通信水晶の向こうで、まだ記録を照合している。
ユナは、リオルとメルセナを交互に見ていた。
セリオは何か言いたげだったが、メルセナの方を見てから口を閉じた。
窓の外では、さっきの鳥が一羽、遠くの木の枝にとまっていた。
リオルはそれに気づかない。
今は、自分の前にいる新しい先生を見るだけで精一杯だった。
こうして、リオル・ロステルの基礎召喚実習は失敗に終わった。
代わりに、最高位召喚士の先生ができた。
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