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約束の翌朝
「遅い」
宿屋を出たセトへ、シアが開口一番そう言った。
朝日はまだ、村を囲む山の向こうから半分しか姿を見せていない。
「夜が明けたばかりだ」
「わたしはだいぶ前から待っていた」
「寝てないのか」
「寝る必要はあまりない」
シアは宿屋の前にある柵へ腰を預けていた。
昨日と同じ白い服に、同じ赤い帯。荷物らしいものは何も持っていない。
対するセトは、右の脇腹へ布を巻かれていた。
村の治療師によれば、骨は折れていない。ただし強く打っているため、数日は激しい運動を避けるようにと言われている。
大型魔獣との戦いの翌日に、剣を振るため森へ行くとは言えなかった。
「怪我は治ったのか」
「治ってはいない」
「なら、剣は出せるな」
「お前は本当に剣しか見てないな」
「昨日、明日見せると言った」
「約束したとは言ってない」
「約束した」
「お前の中で勝手に決まっただけだ」
シアは少し考え、それから首を傾けた。
「同じではないのか」
「だいぶ違う」
村の外へ
セトは村を出て、昨日とは反対側の林へ向かった。
大型魔獣を倒した場所には、死体の処理へ向かった村人たちがいる。剣状精霊術を試すには人目が多すぎた。
「村の中では見せないのか」
「危ないからな」
「昨日の魔獣より危ない剣なのか」
「人に当たれば危ない」
「当てなければいい」
「そう思って事故を起こす奴がいる」
林を抜けた先に、小さな採石場の跡があった。
今は使われておらず、むき出しの岩壁と、切り出されずに残った石があるだけだ。
周囲に人の気配はない。
セトは足元から拳ほどの石を拾い、少し離れた平たい岩の上へ置いた。
「剣を見るだけではないのか」
「性質まで見たいんだろ」
「ああ」
「なら、まず離れろ」
シアは素直に五歩ほど下がった。
昨日よりは話を聞くようになったらしい。
「それで十分か」
「もう五歩」
「遠い」
「白刃は、見た目より少し長い」
シアがさらに下がる。
その目は、セトの右手から一度も離れなかった。
集める剣
セトは右手を握った。
周囲に漂う白い光が集まる。
光は手の中で細く伸び、長剣ほどの刃となって固定された。
「白刃だ」
「名前は見たままだな」
「一族でそう呼んでいる」
シアが近づこうとする。
「そのまま見ろ」
「遠い」
「さっき自分で十分かと聞いただろ」
シアは不満そうに止まった。
セトは白刃を構え、岩の上に置いた石へ向かって横に振る。
刃は石へ届いていない。
それでも、白い剣筋が刀身の先から延びた。
石が二つに割れる。
切断された片方が岩から転がり落ちた。
シアがすぐに石へ近づいた。
切断面へ指を当てる。
「刃の長さより遠くまで切れている」
「集めた精霊は、見えている形だけに収まっているわけじゃない。振った方向へ少し流れる」
「もっと遠くまで飛ばせないのか」
「できない。飛ばそうとすると形が崩れる」
「昨日は石を切っていた」
「あれも、この間合いの中だ」
白刃は飛び道具ではない。
見た目より間合いの広い剣でしかなかった。
刃であり続ける
「なぜ剣なんだ」
シアが尋ねた。
「何がだ」
「集めるなら、もっと大きな塊にした方が強い。壁にすれば攻撃も防げる」
「俺にはできない」
「精霊力が足りないのか」
「制御の問題だ」
セトは白刃を一度消し、再び作る。
先ほどとほとんど同じ長さ、同じ幅の刃が現れた。
「子供の頃から、精霊を集めたら剣の形へ固めるように教えられた。今では、別の形にする方が難しい」
「丸くするのは?」
「すぐ崩れる」
「壁は?」
「形にもならない」
「不器用だな」
「剣だけ見たがっていた奴に言われたくない」
セトは白刃を短くする。
長剣だった刃が、手のひらほどの短い刃へ変わった。
それを指先でつまみ、岩壁へ投げる。
白い短剣は岩へ刺さり、数瞬後に光の粒となって消えた。
「投げることはできるんだな」
「小さく作ればな。遠くへ飛ばすほど、形を保てなくなる」
シアは岩へ残った浅い傷を眺めた。
「大きな火を出す方が簡単そうだ」
「お前を基準にするな」
黒い剣
「もう一つは?」
シアが振り返った。
「もう一つ?」
「昨日から、剣を出す時に少し迷っている。今の白い剣とは別のものを出せるだろ」
セトは答えなかった。
シアは知識だけでなく、精霊の動きも見えているらしい。
白刃を作る直前、周囲の精霊へ働きかける方向を一瞬選んでいた。それだけで気づかれた。
「誰にも言うなよ」
「なぜだ」
「先に約束しろ」
「分かった。言わない」
返事が早すぎる。
「誰かに聞かれてもだ」
「言わない」
「面白いから見せろと言われても?」
「わたしだけが知っている方が面白い」
「理由は気になるが、今はそれでいい」
セトは右手を下ろした。
白刃を作る時とは逆に、手の周囲にある白い光を押しのける。
細長い空白が生まれた。
光がない。
岩壁も木々も、その部分だけが切り抜かれたように見えなくなる。
完全な黒が、剣の形を取っていた。
「黒刃だ」
何もない黒
シアが今度は慎重に近づいた。
「黒い精霊を集めているわけではないな」
「ああ」
「何もない」
「正確には、精霊を外へ押し出している」
シアは黒刃の周囲を歩く。
見る位置を変えても、黒さは変わらない。
光を遮って影を作っているのではない。剣の形をした部分だけ、世界を満たしている精霊力が欠けている。
「黒い力ではなく、空いている場所か」
「一族では闇の剣と教わる。だが、俺も似たような認識だ」
「触っていいか」
「駄目だ」
「またか」
「白刃より危ない」
黒刃は物を切ることもできる。
だが、得意なのは精霊術へ触れることだった。
術を形作っている精霊力を奪い、崩す。
「わたしの火も消せるのか」
「弱いものならな」
シアの目が輝いた。
「試す」
「待て。ここへ直接撃つな」
火を消す
セトは岩壁の前へ立った。
黒刃を斜めに構える。
「小さくしろ」
「どのくらいだ」
「指先に出していた程度だ」
「分かった」
シアが片手を上げた。
指先に、赤い炎が灯る。
昨日、大型魔獣を倒した炎とは比べものにならないほど小さい。
それでも、普通の焚き火より熱かった。
「投げるぞ」
「ゆっくりだ」
シアが指を振る。
火の玉が黒刃へ向かって飛んだ。
セトは刃の腹で受け止める。
炎は黒刃へ触れた瞬間、小さく歪んだ。
赤い光が黒の中へ吸い込まれる。
火の玉は岩壁まで届かず、その場で消えた。
「消えた」
「黒刃が、火を作っていた精霊力を奪った」
「奪った力はどこへ行く」
「俺が使えるわけじゃない。形を失って、周りへ散るだけだ」
「もったいない」
「何でも自分の力にできると思うな」
シアはもう一度炎を作った。
先ほどより明らかに大きい。
「待て」
「どこまで消せるか見る」
「俺の話を聞け」
吸収の限界
シアが炎を投げた。
今度は、人の頭ほどの大きさがある。
黒刃へ触れた炎が大きく揺らぐ。
セトは両足を開き、刃を押し返した。
炎の表面から赤い光が削られ、黒刃の周囲へ白い粒となって散っていく。
だが、一度では消えない。
炎が黒刃を押し込んでくる。
「さっきより重いな」
「精霊術に重さはない」
「受ける側からすれば同じだ」
セトは刃を振り上げた。
黒い剣筋が炎を縦に裂く。
二つに分かれた火は急速に小さくなり、岩壁へ届く前に消えた。
同時に、黒刃の形も崩れる。
黒い刀身が途中から欠け、周囲の光が空白を埋めていった。
「剣も消えた」
「吸収できる量には限界がある」
「もっと強く作ればいい」
「できるならやってる」
昨日と同じ返事になった。
右腕に、重い痺れが残っている。
怪我の影響もあるが、黒刃で強い術を受ければ、固定している側にも負担がかかる。
「次はもう少し小さくしろ」
「まだやるのか」
「お前が始めたんだろ」
使い分け
林の奥から枝の折れる音がした。
セトとシアが同時に振り返る。
低い茂みを押し分け、三体の魔物が姿を現した。
細長い胴と灰色の毛。口元から伸びた牙の間に、淡い光が集まっている。
「炎の臭いに寄ってきたか」
「倒すか」
シアが前へ出る。
「待て。俺がやる」
「怪我をしている」
「白刃と黒刃を見るんだろ」
セトは白刃を作った。
一体目が地面を蹴る。
まっすぐ飛びかかってきた魔物を、横へ踏みながら斬る。
白刃は牙を避け、前脚の付け根へ入った。
見えている刀身より先まで届いた斬撃が、魔物の体を深く裂く。
二体目の口から、圧縮された風が放たれた。
セトは白刃を消す。
代わりに黒刃を作り、正面へ構えた。
風の塊が黒へぶつかる。
形を保っていた精霊力が奪われ、ただの空気へ戻った。
弱くなった風が、セトの髪と上着を揺らす。
「白で斬って、黒で消す」
シアが後ろから言った。
「そういう使い分けだ」
一本ずつ
三体目が横から回り込む。
セトは黒刃を消し、再び白刃を作った。
切り替わるまでの一瞬を狙い、魔物が飛び込んでくる。
だが、セトはすでに半歩下がっていた。
牙が旅装の前を通過する。
短く作った白刃を、下から突き上げる。
刃が魔物の腹へ入った。
残る一体が再び風を放とうとする。
セトは白刃を引き抜きながら、左へ投げた。
短剣状に変わった白い刃が魔物の肩へ刺さる。
風の術が乱れた。
セトは距離を詰め、新たに作った白刃で首元を斬る。
三体目が地面へ倒れた。
静かになると、右脇の痛みが戻ってきた。
「怪我をしている動きではないな」
「治療師には言うな」
「昨日、判断を相手任せにするなと言っていた」
「今の話と関係あるか?」
「たぶんある」
「ない」
二本あれば
シアは倒れた魔物ではなく、セトの両手を見ていた。
「なぜ、消してから作り直す」
「白と黒では、制御が逆だからだ」
「だが、さっき迷っていた。二つとも出せるんだろ」
また気づかれている。
セトは白刃を消した。
「出せるだけだ」
「見せろ」
「誰にも言わないという約束は覚えてるな」
「ああ」
採石場の入口へ、人がいないことを確かめる。
セトは右手へ白い光を集めた。
左手からは光を押し出す。
右に白刃。
左に黒刃。
正反対の二本の剣が、同時に形を得た。
シアが目を見開く。
驚いたというより、面白いものを見つけた顔だった。
「できるじゃないか」
「作るだけならな」
「戦えるのか」
「一応は」
「なら、さっきも使えばよかった」
邪道
セトは二本の剣を交差させた。
白刃は周囲の精霊を集め続ける。
黒刃は周囲から精霊を押し出し続ける。
反対の制御を同時に行うため、一本だけの時より集中が必要だった。
できないわけではない。
幼い頃から繰り返してきた動きだ。
それでも、人前で使うことはほとんどない。
「二種類の精霊を同時に扱うのは、邪道だと言われている」
「誰に?」
「大抵の精霊術士に」
「なぜだ」
「昔、異なる精霊術を無理に混ぜて、事故を起こした者が多かったらしい」
「これは混ぜていない」
シアは右の白刃と、左の黒刃を順番に指した。
「別々に動かしている」
「見れば分かる奴ばかりじゃない」
「説明すればいい」
「説明を聞く前に、宿から追い出されることもある」
シアが眉を寄せた。
「人間は面倒だな」
「ようやく分かってきたか」
二刀の重さ
「少し動いてみろ」
シアに言われ、セトは二本の剣を構えた。
右の白刃で斬り込む。
左の黒刃で受ける。
想定した敵へ向かい、数度足を運ぶ。
動かせないわけではない。
だが、右手で精霊を集めながら、左手では排除を続けなければならない。
剣を振るたび、二つの制御がわずかに乱れる。
片方へ意識を寄せれば、もう片方の形が崩れる。
セトは動きを止めた。
黒刃の切っ先が、すでに短くなっていた。
「一本ずつより遅い」
「分かるのか」
「昨日の方が動けていた」
「二本の形と剣技を、同時に考える必要があるからな」
「もっと繰り返せば速くなる」
「簡単に言うな」
「簡単ではないのか」
「簡単なら、もうやってる」
セトは二本の術を解いた。
白い光が散り、黒い空白が埋まっていく。
手掛かり
シアは、黒刃が消えた場所を見つめていた。
「先代の力も、あれに近いもので奪われたのかもしれない」
「黒刃で精霊王を殺せると思うか」
「今の強さでは無理だ」
「はっきり言うな」
「だが、性質は近い。力を消すだけではなく、奪って持っていけるものなら、先代の残りが少なかったことにも合う」
黒刃は、触れた術を崩すだけだ。
奪った力を蓄えることも、自分のものとして使うこともできない。
だが、世の中に同じ性質を持つ別の武器がないとは限らなかった。
「剣だったと思うか」
「分からない」
「先代を殺せるほどなら、普通の武器ではない」
「それはそうだ」
「なら、強い武器の噂を探す」
シアらしい、単純な結論だった。
だが、何の手掛かりもない今は、それ以上の案もない。
「剣に限らず、精霊力を奪うものだ」
「強い剣なら見れば分かる」
「お前が興味を持っただけの剣まで調べることになりそうだな」
「それでいい」
「よくない」
白と黒
村へ戻る道を歩きながら、シアが言った。
「白刃は集める。黒刃はなくす」
「ああ」
「正反対だな」
「だから同時に扱うのは嫌われる」
「だが、どちらもセトの剣だ」
シアは迷いなく言った。
「白だけが正しくて、黒が間違っているわけではない。必要な方を使えばいい」
「人間は、そう簡単には考えない」
「面倒だからだろ」
「それで片づけるな」
「両方必要なら、両方使えばいい」
セトは答えなかった。
二本を使えることと、二本で戦えることは違う。
人の目を避けて作れることと、戦いの中で使う覚悟を持つことも違う。
それでもシアは、白と黒を見て、どちらかを捨てろとは言わなかった。
「次は何を見る」
「もう次の話か」
「炎を乗せたらどうなる」
「やらないぞ」
「まだ何もしていない」
「しようとしてる時の顔だ」
シアは不満そうに口を閉じた。
その手のひらでは、すでに小さな炎が揺れていた。
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