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一か月後
眠りの王を倒してから、一か月が過ぎた。
セトたちは、ミレナの村に残っていた。
戦いの直後は、全員がまともに動けなかった。
セトは全身を打ち、以前に痛めた右脚にも再び腫れが出た。
ミレナも、創界から戻った直後に受けた衝撃で、数日は一人で起き上がれなかった。
次代として生まれ直したシアとネアも、身体ができた直後から自由に動けたわけではない。
二人とも姿は以前と同じだったが、原光の流れが身体へ定着するまで、何度も輪郭が薄くなった。
今は、もうその心配もない。
セトは村の外れを走り、白刃と黒刃を続けて振った。
右脚に痛みはない。
身体のどこにも、眠りの王との戦いで負った傷は残っていなかった。
「本当に治ったな」
白刃を消し、右脚へ体重をかける。
谷へ向かう前まで残っていた鈍い痛みもない。
創界を振るう間に無理を重ねた筋肉も、吹き飛ばされた時に打った背中も、すべて元へ戻っていた。
治療に特別な術を使ったわけではない。
眠りの王が消え、周囲の原光が正常へ戻ったことで、治癒の術も人間の回復も、本来の速さで働くようになった。
「何度確認するんですか」
後ろから見ていたネアが言った。
「動けることと、治ったことは違うと何度も言われたからな」
「今回は、どちらも問題ありません」
傷のない身体
シアは、セトの横を走り抜けた。
地面を蹴ると同時に赤橙色の光が弾け、少し離れた岩の上へ着地する。
「私も問題ない」
「昨日も同じことをしていただろう」
「昨日より速い」
「比べる必要がありますか」
ネアが尋ねる。
「ある。新しい身体だから、前より強いかもしれない」
「昨日までと同じ範囲です」
「もっと強くやれば分かる」
「村の近くで試さないでください」
シアは岩から降り、自分の手を開いた。
赤橙色の炎が小さく灯る。
色も、熱も、以前と変わらない。
ネアも銀青色の線を伸ばし、周囲を流れる原光を曲げた。
二人の役割は、次代として完全に戻っている。
知識にも、大きな欠落は見つかっていない。
それでも、以前と同じだと言い切れるのかは、別の問題だった。
髪の長さも、顔立ちも、声も以前と同じだった。
それでも、身体を構成する原光は一度ほどけ、次代として組み直されている。
外見が同じことだけでは、以前の二人がそのまま戻った証明にはならなかった。
剣へ戻れる
回復を確かめるため、二人は一度ずつ精霊剣にもなった。
最初にシアが極炎となり、セトの右手へ収まった。
炎の流れも、身体へ返ってくる力も、以前と変わらない。
人型へ戻った後、ネアも絶光となった。
原光を吸収し、偏向し、セトの動きへ合わせる感覚も同じだった。
「つながりは残っている」
セトが言う。
「残ったのか、新しく同じ形でつながったのかは分かりません」
ネアは自分の手首へ銀青色の線を巻き、流れを確かめていた。
「違うのか」
「結果だけなら同じです」
「なら同じでいい」
「セトは、そう言うと思いました」
「不都合があるのか」
「ありません。ただ、同じ結果へ至ったから同じものだと決めるのは、説明としては不十分です」
「説明が必要な相手がいるのか」
「まず、わたし自身に必要です」
シアが二人の間へ入る。
「私は私だ。剣にもなれる。問題ない」
「前は、たぶんそうだと言っていただろう」
「あの時は、生まれた直後だった」
「今は?」
「私はシアだ」
答えは早かった。
同じ二人か
村へ戻る道で、ミレナが待っていた。
両手に布を入れた籠を持っている。
「もう走っても大丈夫なんですか」
「ああ。ネアにも確認された」
「わたしは、走る前に確認しました」
「私は走った後に確認された」
「止める前に走ったからです」
ミレナは少し笑い、それからシアとネアを見た。
「お二人も、もう大丈夫なんですね」
「問題ない」
シアが答える。
「少なくとも、身体と役割は安定しています」
ネアの言い方には、わずかな留保があった。
ミレナはそれに気づく。
「まだ、分からないことがあるんですか」
「わたしたちが、なぜ記憶と人格を持ったまま次代になれたのかについては、推測しかありません」
「一か月考えても?」
シアが尋ねる。
「一か月考えたから、推測の形までは整いました」
早すぎた再生
四人は、ミレナが借りていた家へ戻った。
この一か月、ネアは自分とシアの流れを毎日調べていた。
眠っている時、力を使った時、精霊剣となった時、人型へ戻った時。
どの状態でも、記憶が急に欠けたり、以前とは異なる人格が表へ出たりすることはなかった。
シアは三日目で調査に飽きたが、ネアは一か月続けた。
「毎日同じ結果だった」
「同じ結果が続いたことも情報です」
ネアは机の上へ三つの小石を置く。
「通常、精霊王が死亡すると、役割と原光は一度世界へ散ります」
小石を離して置く。
「それが再び集まり、次代の身体を作るまで、およそ一か月かかります」
「シアさんとネアさんは、すぐに戻りました」
ミレナが言う。
「ええ。わたしたちは創界の中で消滅しました」
ネアは二つの小石だけを近づける。
「創界は折れた後も、わたしたち三人を別々のまま保持していました。役割も原光も、世界へ広く散らなかったのでしょう」
「集め直す必要がなかった」
セトが言う。
「おそらく。ですから、次代再生がその場で始まりました」
「ミレナは再生しなかった」
「ミレナには、人間の身体が残っていました。風の役割だけが離れたからです」
知識と記憶
ネアは、残る一つの小石を少し離した。
「精霊王が受け継ぐ知識は、整っています」
火をどう扱うか。
月の力で原光をどう動かすか。
役割を果たすために必要な方法は、誰が、いつ、どこで知ったかを失っても残る。
「記憶は違います。状況や感情、他者との関係が混ざっています」
セトと初めて会った時のこと。
精霊剣となることを選んだ時のこと。
嫌だった言葉や、失いたくないと思った相手。
「通常の次代は、知識を持っていても、それを経験した本人ではありません」
「私たちは両方ある」
シアが言う。
「ええ」
創界に残ったもの
ネアは、残る一つの小石を少し離した。
「通常の次代再生で受け継がれるのは、役割と知識です。個人の記憶と人格は受け継がれません」
「でも、二人は覚えています」
「創界は、三人を混ぜずに一つの剣へ通すための器でした」
ネアは二つの小石の間へ指を置く。
「眠りの王を分けている間も、折れた後も、シアはシア、わたしはわたし、ミレナはミレナとして保たれていました」
「創界が、記憶まで持っていた?」
「記録していたのではなく、消える直前まで、わたしたちの形を崩さなかったのだと思います」
知識だけではない。
誰を知っているか。
何を選んだか。
何を怖いと思い、何を守ろうとしたか。
そうした整っていないものまで、二人の内側に残っていた。
名前を呼ぶこと
「では、セトさんが名前を呼んだから戻れたんですか」
ミレナが尋ねる。
「名前だけで人格が作られたわけではありません」
ネアは答えた。
「残っていないものを、呼び声だけで戻すことはできなかったでしょう」
「残っていたから、届いた」
「ええ。セトとのつながりが切れず、そこへ名前が通りました」
火の精霊王ではなく、シア。
月の精霊王ではなく、ネア。
役割ではなく、どちらの個人へ向けた呼び声なのかが分かれた。
「創界が境界を保ち、つながりが道を残し、名前が戻る先を示した。今考えられるのは、その三つです」
「全部あったから戻った」
シアが言う。
「おそらく」
「どれか一つだけでは足りなかった可能性があります。創界が境界を保っても、つながりが切れていれば世界へ散ったかもしれません。つながりがあっても、二人の境界が崩れていれば、どちらへ呼びかけているのか分からなかったでしょう」
「名前がなくても戻れた?」
ミレナが尋ねる。
「分かりません。ただ、役割名だけでは、今代のわたしたちを指せません」
「では、私たちは前と同じだ」
「そこまでは証明できません」
「また面倒な言い方をする」
証明できないこと
「身体は、次代のものです」
ネアは自分の胸へ手を置いた。
「一度消滅したことも事実です。前のわたしが続いているのか、同じ記憶と人格を持つ次代が、自分をネアだと思っているのか。外から確かめる方法はありません」
「ネア自身にも?」
セトが尋ねる。
「ありません」
「なら、どうする」
「わたしは、あなたたちを覚えています。自分が選んだことも、嫌だったことも覚えています」
ネアはシアを見る。
「シアへ何度も注意したことも覚えています」
「そこは忘れてもよかった」
「今の反応も以前と同じです」
ネアの口元が、わずかに緩む。
「証明はできなくても、わたしはネアとして続くつもりです」
「前のネアさんと同じ選び方をするから?」
ミレナが尋ねる。
「同じ選び方をするとは限りません。前のわたしも、昨日と今日で考えを変えることはありました」
変わることと、別人になることは同じではない。
記憶を持ち、関係を持ち、自分を同じ名前で認識しながら、その先で新しい選択を重ねる。
ネアは、それを続いていると考えることにした。
「なら、それでいい」
セトが言った。
シアもうなずいた。
人間へ戻った者
ミレナは、自分の手を見る。
風の流れは見えない。
遠くの空気がどこへ向かうのかも分からない。
風の精霊王として受け継いでいた知識は、この一か月、一度も戻らなかった。
「私は、逆ですね」
「何がですか」
「身体も記憶も前のままです。でも、役割だけがありません」
「人間のミレナと、風の役割が別だったからです」
ネアが答える。
「寂しいか」
シアが尋ねた。
「少しは」
ミレナは正直に答える。
「でも、静かなことには慣れました。今は、考えたことが全部、自分の考えだと分かります」
「力がなくても平気か」
「重い物を運ぶ時は、少し不便です」
「それは風の精霊王の使い方ではないと思います」
ネアが言った。
「便利でしたよ」
「否定はしませんが」
ミレナは籠の中の布を整える。
風の知識が消えても、家族と過ごした記憶、村で覚えた仕事、セトたちと旅をした記憶は残っている。
役割が離れた後も、自分が何をしてきたかは失われなかった。
「二人が記憶ごと戻れて、よかったです」
ミレナは改めて言った。
「私だけが覚えていても、少し困りますから」
祠にいる王
夕方、四人は村の祠へ向かった。
ハルヴェンとリグは、今も村に残っている。
眠りの王が消えた直後より、ヴァルナの姿は安定していた。
指先が水へほどけることも、ほとんどない。
祠の前には、村人が置いた器と花が並んでいる。
「今日もいるな」
水を替えに来た老人が、ヴァルナへ言った。
ヴァルナは答えない。
淡い青緑色の瞳だけが、老人を追う。
「名前はなくても、誰なのかは分かってきたみたいです」
ミレナが言う。
「村の者が、毎日同じ存在として見ているからでしょう」
ネアは祠の外から流れを確かめた。
「役割だけへ戻ろうとする動きが、以前より弱くなっています」
「こいつは生まれ直していない」
リグが言う。
ハルヴェンは祠の屋根へ落ちた葉を払い、入口の横へ戻った。
「一か月見てきましたが、村の方が来なかった日はありません」
「雨の日も?」
シアが尋ねる。
「雨の日は、水を供える必要があるのかで少し揉めていました」
「結局、供えていたな」
リグが言う。
祀る方法が正しいかどうかではない。
毎日、同じ存在がそこにいると確かめることが、ヴァルナの境界を支えていた。
「あの時のヴァルナのままだ」
残った王たち
眠りの王へ取り込まれずに残った精霊王は多くない。
シアとネアは、人間とのつながりによって取り込まれなかった。
リグも、ハルヴェンへ身を預けたつながりを持っていた。
ヴァルナは狂っていたが、眠りの王へ融合する前に村へ留められた。
風の精霊王の役割は、ミレナという人間の中へ重なっていた。
それ以外の多くは、眠りの王の一部となった。
創界で役割だけを分け、世界へ返した。
「そろそろ一か月です」
ネアが言う。
「何がだ」
シアが尋ねる。
「世界へ返った役割が、次代として生まれる時期です」
リグが空を見る。
「同時に戻るのか」
「正確に同じ日ではないでしょう。ただ、近い時期に集中します」
生まれる気配
その夜、最初に立ち上がったのはシアだった。
借りた家の窓を開け、暗い空を見る。
「増えた」
セトも目を覚ます。
「何が」
「精霊王だ」
少し遅れて、ネアも起きた。
銀青色の細い線を外へ伸ばし、遠くの原光を探る。
「一人ではありません」
「どこにいる」
「遠すぎます。場所までは分かりません」
それでも、昨日までなかった大きな流れが、世界の各所へ現れている。
一つではない。
離れた複数の方角から、それぞれ異なる性質を持つ強い原光が、同じ夜に目を覚ましていた。
シアは胸へ手を置く。
「知っている感じがする。でも、誰かは分からない」
「役割の知識が反応しています」
ネアが言う。
「次代の精霊王たちが生まれ始めました」
「前の連中とは違うのか」
シアが尋ねる。
「まだ分かりません」
ネアは遠くへ伸ばした線を戻した。
「ただ、気配が強すぎます。生まれた直後の精霊王が、これほど広く役割を動かすことは普通ではありません」
その夜は、それ以上のことは分からなかった。
シアとネアに感じ取れたのは、新しい精霊王が一人ではないことと、それぞれが生まれた直後から大きく役割を動かしていることだけだった。
届いた報告
数日後、村へ二頭の馬が入ってきた。
王都から各地の報告を運んできた兵だった。
眠りの王との戦い以降、五国は原光の異常を優先して共有している。
机へ広げられた紙には、別々の地域で起きた現象が記されていた。
温暖だった土地では、雪に覆われる範囲が急速に広がっている。
別の地域では、森が一晩で街道を覆い、切り開いた場所も数時間で元へ戻った。
平地が持ち上がり、新しい丘と裂け目ができた場所もある。
岩肌から結晶が成長し、畑と家の壁まで覆い始めた地域もあった。
「全部、ほぼ同じ頃からか」
セトが尋ねる。
「確認された時刻には差がありますが、ほぼ同じ頃です」
兵が答えた。
「魔物の被害ではありません。術を使う者の姿を見たという報告もあります」
世界を作る者
「術を使う人間ではありません」
ネアは報告書を一枚ずつ見た。
報告には、人型の存在を見たという記述もあった。
雪の中心には、白い人影が立っていた。
森を切り開こうとした兵の前には、樹皮のような衣をまとった者が現れた。
地面が動いた地域では、何もない空間へ向かって話す声だけを聞いた者もいる。
どの存在も、人間を追って攻撃したわけではない。
ただ、自分の作業を妨げる者を押し退け、また世界へ力を加え始めた。
「氷、樹、土、晶。おそらく、次代の精霊王です」
「生まれてすぐに、こんなことをするのか」
ハルヴェンが尋ねる。
「本人たちにとっては、するべきことなのでしょう」
「街道を森で潰すことが?」
「樹の役割から見れば、生命を増やし、大地を森で覆うことは間違いではありません」
「畑も家も埋めている」
「今の世界を基準にすれば、間違いです」
ネアは雪の報告を指す。
「氷も同じです。寒い土地を作り、熱の偏りを分ける。世界が形を持ち始めた頃には、必要だった可能性があります」
シアが報告書をのぞき込む。
「今は、もうできている」
「ええ。ですが、次代はその違いを知りません」
創世期の知識
「知識は受け継ぐんじゃないのか」
セトが尋ねた。
「受け継ぎます」
「なら、人間がいることも知っているはずだ」
「知っていることと、加減できることは別です」
ネアは少し考えてから続ける。
「精霊王が代を重ねる中で得た、人間との関わりや、現在の地形への慣れは、記憶に近いものです」
「眠りの王の中で消えた」
「おそらく。創界で戻せたのは役割です。そこから生まれた次代には、整った知識はあっても、前代が積み重ねた経験はありません」
残るのは、属性をどう扱うか。
世界の中で何を担うか。
より古く、役割へ近い知識ほど強く残る。
「創世期の精霊王に近い」
ネアが言った。
「創世期?」
ハルヴェンが聞き返す。
「山や海、寒冷地や森が、今のように分かれていなかった時代です。精霊王が役割を大きく動かすこと自体が、世界を整える働きだったのでしょう」
「それを今やっている」
「ええ。完成した家の中で、建てる時と同じ作業を始めているようなものです」
「壁も床も作り直す?」
ミレナが尋ねる。
「住んでいる人間ごと」
「世界がまだ整っていない頃の正しさを、今の世界へそのまま使っています」
加減のない力
「生まれたばかりなら、力も弱いんじゃないのか」
ハルヴェンが尋ねた。
「普通なら、その傾向はあります」
「今回は違う?」
「報告を見る限りは」
森は一晩で街道を覆った。
雪は複数の村へ届く速さで広がっている。
地形そのものが変わり、結晶は人間の術では止められない。
「役割へ近い分、世界とのつながりも強いのかもしれません」
ネアは断定しなかった。
「力が以前の王より大きいのか、単に抑えていないから大きく見えるのかは、まだ分かりません」
「会って確かめればいい」
シアが言う。
「シアも、生まれた時は似た状態だったのか」
セトが尋ねる。
「違う。私は最初から加減できた」
「セトから聞いた話では、大型魔獣を地面へ叩きつけたそうですね」
ネアが言う。
「あれは必要だった」
「大会でも、前へ出ればすぐ終わると言っていたそうですが」
「早く終わるなら、その方がいい」
「今も変わっていませんね」
シアは不満そうにネアを見る。
それでも、シアには人間の町を火で作り替えようとする考えはなかった。
歴代イフリートが人間と関わった知識や、誕生してからの一年で得た経験が、役割の使い方へ境界を作っていた。
「そして止める」
「止まらなければ?」
リグが尋ねた。
「倒す」
「すぐにそう考えないでください」
ネアが止める。
倒しても終わらない
「人が巻き込まれるなら、止める必要はある」
セトが言う。
「ですが、消滅させることを最初の答えにはできません」
ネアは四枚の報告書を重ねた。
「次代の精霊王は、悪意で世界を壊しているわけではありません。自分の役割を果たしているだけです」
「役割だけで動いて、人が死んでも同じだ」
シアが言う。
「結果は同じです。だから止めます」
「倒さずに?」
「必要なら戦います。ただし、消滅させても一か月後に次が生まれます」
同じ役割と、同じ創世期の知識を持つ次代が生まれれば、問題は繰り返される。
「何度も倒しても意味がない」
セトが言う。
「ええ。それどころか、役割が世界から長く欠ければ、別の異常が起きます」
今の世界へ
「では、どうする」
リグが尋ねた。
「今の世界を覚えてもらいます」
ネアが答える。
「人間の町があり、森にも広がってよい範囲があり、氷にも必要な場所と量がある。役割を捨てさせるのではなく、今の世界で果たす方法を知ってもらう必要があります」
「教えるのか」
「言葉だけで理解するなら」
「生まれたばかりの相手に、国の決まりを説明するのか」
リグが尋ねる。
「国の決まりから始めても理解されないでしょう」
「では、何を教える」
「自分の役割以外にも、そこに残るべきものがあることです」
森を増やすことだけが世界ではない。
氷を広げることだけが循環ではない。
人間だけを優先するのでもなく、精霊王の役割だけを優先するのでもない。
「しなかったら?」
シアが尋ねる。
「止めながら教えます」
「つまり戦う」
「あなたの場合、最初から戦う意味になります」
「話している間に森が広がる」
「ですから、広がるのを止めたうえで話します」
セトは地図を見る。
倒すためではない。
次代の精霊王を、現在の世界へ適応させるために動く。
それは眠りの王を倒すより、長くかかるかもしれなかった。
最初に確かめること
「四か所へ同時には行けない」
セトが言う。
「各国には、避難を優先するよう伝えます」
ハルヴェンが答えた。
「俺とリグはヴァレストへ戻ります。各地の騎士へ、討伐ではなく避難と足止めを優先するよう伝えます」
「ヴァルナはどうする」
シアが祠の方を見る。
「村の人たちへ任せられるところまで安定しています」
リグが言う。
「毎日、誰かが来る。今のこいつには、それが一番効いている」
「セトたちは?」
「まず、生まれた精霊王の状態を近くで確かめる」
「広がっている森か」
「報告された場所では、そこが最も近いでしょう」
ネアが地図へ印を付ける。
「ただし、各国へ同じ方針を伝えてください。無理に討伐せず、住民を逃がし、広がる範囲と速度を記録する。会話ができるなら、何をしようとしているかを聞く」
「倒せる者がいても待たせますか」
兵が尋ねる。
「被害を止めるための攻撃は必要です。ですが、消滅させることを目的にはしないでください」
ネアは、広がる森の報告へ目を向ける。
「その前に、もう一つ確認することがあります」
「何だ」
「風の役割です」
風の帰る場所
ミレナの中から離れた風の役割も、世界へ返っている。
ほかの精霊王と同じなら、そろそろ次代が生まれる。
「私の次が生まれるんですね」
ミレナが言った。
「役割としては、そうです」
「私ではない」
「ええ」
ネアはすぐに答えた。
「記憶が残る可能性はありますか」
「風の役割は、長い間、人間の血統と重なっていました。ほかの精霊王と同じ再生になるかは分かりません」
ミレナは窓の外を見る。
風が木々を揺らしている。
以前なら、その流れの先まで分かった。
今は、頬へ触れた空気を感じるだけだった。
「生まれたら、会いたいです」
「怖くないのか」
シアが尋ねる。
「少し怖いです。でも、知らないままにはしたくありません」
新しい風
その時、開けていた窓から強い風が入った。
机の上の報告書が一斉に浮く。
セトが手で押さえるより先に、紙は空中で向きを変え、元の順番のまま机へ戻った。
ただの突風ではない。
シアとネアが同時に外を見る。
「近い」
シアが言う。
「ええ」
ネアは銀青色の線を風の中へ伸ばした。
線は弾かれず、遠くへ運ばれていく。
風は村を壊さない。
屋根をはがさず、木を折らず、人の間だけを抜けていった。
荒々しく世界を作り替える他の気配とは違う。
それでも、ミレナが扱っていた風より大きく、精霊王として独立した流れだった。
「生まれました」
ネアが言う。
「新しいアイオロスです」
ミレナは、自分の中には何も戻っていないことを確かめた。
それから、自分ではない風が来た方角を見た。
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