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故郷
セトが故郷の村へ着いたのは、翌日の昼を過ぎた頃だった。
山あいにある小さな村。
石を積んだ低い塀と、斜面に沿って並ぶ家々。
村の奥には、剣の稽古に使われる広場と、山へ続く細い道がある。
セトはシアを背負ったまま、村の中央を通った。
何人かの村人が振り返る。
傷だらけのセトと、背中で動かない赤髪の少女を見れば、当然の反応だった。
「セト?」
「戻ったのか」
「その子はどうした」
「後で話す」
足を止めずに答える。
今は説明よりも、シアを休ませる場所が必要だった。
村の奥にある古い家へ向かう。
扉を開ける前に、中から足音が聞こえた。
「遅い」
扉を開けたのは、セトの祖父だった。
白くなった髪を短く切り、年齢の割に背筋は伸びている。
セトの顔を見る。
続いて、背負われているシアへ視線を移した。
「何があった」
「魔剣を持った男に負けた」
祖父の表情が変わった。
「中へ入れ」
火のない部屋
シアは奥の部屋に敷かれた寝台へ寝かされた。
村の治療師が呼ばれたが、シアの体には人間のような傷が残っていなかった。
グラウスの魔剣に斬られた場所も、皮膚だけを見ればすでに塞がっている。
だが、体を起こす力がない。
指先へ赤い光を集めても、火になる前に消えてしまう。
「傷が治ったように見えても、動かす力そのものが足りていない」
治療師はそう言い、食事と休息を取らせるよう告げた。
精霊王に人間の治療がどこまで意味を持つかは分からない。
それでも、シアは運ばれてきた薄いスープを残さず飲んだ。
「食べられるなら、まだ大丈夫だな」
セトが言う。
「食べなくても消えはしない」
「なら、なぜ全部飲んだ」
「腹が減っていた」
「精霊王も腹は減るのか」
「人の姿なら減る」
声は弱いが、受け答えは普段と変わらない。
セトは寝台の脇へ座った。
自分の肩と脇腹にも布が巻かれている。
動くたびに痛むが、シアほど深刻ではない。
「祖父には、どこまで話す」
「全部だ」
「魔剣についてもか」
「ああ」
シアは自分の手を見る。
「その前に、セトへ話すことがある」
魔剣の正体
「魔剣についてか」
「ああ」
シアは寝台へ横になったまま、天井を見ていた。
「今まで、魔剣は力を蓄える剣だと説明した」
「人や魔物、精霊術から力を奪う剣だな」
「それは性質の話だ」
シアがセトへ顔を向ける。
「魔剣が、なぜ力を蓄えられるのかは話していない」
「知らなかったわけではないんだな」
「知識としては知っていた」
「なぜ黙っていた」
シアはすぐには答えなかった。
「魔剣を説明するには、その前に別の剣を説明する必要がある」
「別の剣?」
「精霊剣だ」
聞いたことのない言葉だった。
だが、グラウスの口にした神剣という言葉よりも、セトには身近なものに感じられた。
「精霊で作った剣なら、白刃もそうだろ」
「違う」
シアは首を横へ振る。
「白刃は、意思を持たない精霊をセトが集め、剣の形へ固定している」
「ああ」
「精霊剣は、精霊王自身が剣になる」
精霊王が剣になる
セトはシアを見た。
横になっている少女の姿と、剣という言葉がすぐには結びつかない。
「精霊王自身が?」
「ああ。人間が精霊王を剣へ変える術ではない」
「では、誰が変える」
「精霊王本人だ」
精霊王が自ら形を変え、人間へ身と力を預ける。
剣になった精霊王は、単に握られているだけではない。
属性の力と出力の制御は、精霊王が行う。
人間は、その剣を持って動き、相手との間合いを測り、どこへ振るかを決める。
「二人で一つの剣を使うようなものか」
「少し違う」
「どう違う」
「精霊王が剣で、人間が使い手だ。だが、どちらかだけが戦うわけではない」
精霊王は、自分の力を自分の意思で動かす。
人間は、その力を持った剣とともに体を動かす。
どちらかが一方的に従うものではない。
「白炎も二人で使っていた」
「白炎は、わたしが外から白刃へ火を乗せているだけだ」
白炎で強くなるのは、基本的には剣だけだ。
セト自身の体が、精霊王と同じ速さや強さを得るわけではない。
「精霊剣は違う。剣だけではなく、使う人間の体にも力が流れる」
「身体能力まで上がるのか」
「ああ」
「それなら、白炎よりも強い」
「普通はな」
信頼
「誰でも使えるのか」
「使えない」
シアは迷わず答えた。
「精霊王が、自分で使い手を選ぶ」
「選ばれなければ?」
「剣にならない」
「無理に変える方法は?」
「ない」
シアは少し考え、言い直した。
「少なくとも、それは精霊剣ではない」
人間が力で精霊王を従わせ、剣へ押し込めるものではない。
精霊王自身が相手を信頼し、自分の体と力を預ける。
そこに人間側から強制できる手順は存在しない。
「グラウスが言っていた条件とは、それか」
「たぶん」
シアがセトへ大きな炎を渡した時。
セトをかばって魔剣に斬られた時。
グラウスは、条件が揃い始めていると言った。
「お前が俺を信頼していると、あいつは考えた?」
「ああ」
「実際は?」
シアは黙った。
「なぜそこで黙る」
「信頼が何か、よく分からない」
「知識にはないのか」
「精霊剣には信頼が必要だという知識はある」
だが、何をすれば信頼したことになるのか。
どこからが信頼で、どこまでは違うのか。
それは継承される知識ではなかった。
「相手をかばえば信頼なのか」
「それだけではないと思う」
「大きな力を渡せば?」
「それだけでもない」
「では、何だ」
「分からないと言っている」
「俺にも分からない」
二人はしばらく黙った。
話さなかった理由
「だから、今まで話さなかったのか」
セトが尋ねる。
「それもある」
「他にも?」
「精霊王が剣になれると知れば、セトは考える」
「何を」
「わたしも剣になれるのではないかと」
否定はできなかった。
精霊剣が魔剣と対等以上に戦えるのなら、グラウスを倒す手段として考えてしまう。
「自分が使い手になれるかとも考える」
「……考えるかもしれないな」
「知識が先に入れば、セトはわたしを剣として見るかもしれない」
「見ない」
「今はそう言える」
シアは目を閉じた。
「だが、先に話せば、出会った時から違ったかもしれない」
セトが最初に興味を持ったのは、イフリートの力ではない。
シアも最初に見ていたのは、セト本人ではなく白刃だった。
そこから二人は旅をし、戦い、名前を呼び合うようになった。
最初から精霊剣の存在を知っていれば、そのすべてに別の目的が混ざったかもしれない。
「今なら話してもいいと思ったのか」
「グラウスが先に気づいた」
隠し続けても、すでに相手は精霊剣の成立を待っている。
知らないままでは、次の戦いで利用される。
「それに、魔剣の正体も話す必要がある」
空になった剣
「魔剣は、死んだ精霊王なのか」
「正確には違う」
精霊王が精霊剣の姿のまま死亡すると、剣の形をした器が残ることがある。
だが、そこに精霊王の人格や意思は残らない。
「魂が閉じ込められているわけではない?」
「ああ。剣を壊しても、中から精霊王が戻ることはない」
「完全に死んでいるのか」
「ああ」
残るのは、力を蓄えられる剣の形だけ。
生きた精霊剣なら、精霊王自身が力を制御し、使い手を選ぶ。
死後に残った器には、そのどちらもない。
拒む意思を持たないため、拾った人間でも使うことができる。
「それが魔剣か」
「ああ」
「中身がないから、外から力を奪う」
「そうだ」
最初には、その剣となった精霊王の力がいくらか残っている。
だが、使えば減る。
失った力を補うため、人や魔物、精霊術、自然環境から力を吸い取って蓄える。
「グラウスの剣にも、精霊王の意思はない?」
「ない」
「先代の意思も?」
「ない」
あの剣にあるのは、先代から奪った火だけだった。
記憶も人格もない。
先代本人が、グラウスの剣として使われているわけではない。
生きた剣と死んだ剣
「生きた精霊剣は、自分で人間を選ぶ」
「ああ」
「魔剣は、持った人間を拒めない」
「ああ」
「精霊剣なら、自分で力を加減できる」
「魔剣は、使う人間が無理に引き出す」
グラウスが魔剣を分かりやすいと言った理由が、少し見えた。
剣は何も望まない。
誰を信じるかも決めない。
持ち主が求めれば、蓄えた力を出す。
「グラウスは、精霊王に選ばれなかったから魔剣を使ったのか」
「本人の話が本当なら、そうだろう」
先代イフリートは、グラウスをある程度認めていた。
だが、精霊剣として身を預けるほどには信頼しなかった。
だからグラウスは、意思を持たない剣を選んだ。
「選ばれなかったのではなく、選ぶ必要がないものを奪った」
「そういうことだ」
部屋の外で、床板が鳴った。
祖父
「ずいぶん大きな話をしているな」
祖父が戸口に立っていた。
手には、湯気の立つ器が二つある。
「聞いていたのか」
「この家は壁が薄い」
祖父は器を置き、寝台の近くへ座った。
「精霊王自身が剣になる。死ねば、意思のない剣が残る」
シアを見る。
「その話は、昔から一族に伝わるものと似ている」
「一族の伝承?」
「お前には話していなかったな」
祖父がセトへ言う。
「白刃と黒刃を教えるだけで、昔話まで聞かせる必要はないと思っていた」
「今は必要になった?」
「魔剣を持った者が、同じ術を使ったのだろう」
「ああ。白刃も黒刃も使った」
「名は?」
「グラウス」
祖父は、その名を聞いても顔色を変えなかった。
「個人としては知らん」
「なら、何が分かる」
「どの血筋かは見当がつく」
古いイフリート
祖父は、家の奥から古い木箱を持ってきた。
中には、何冊もの古びた記録が収められている。
紙の色も、使われている文字も少しずつ違う。
「この一族には、昔、イフリートとともに戦った者がいた」
シアの目が祖父へ向く。
「どの代だ」
「分からん。伝承として残るほど昔だ」
祖先は、当時のイフリートと深い信頼関係を築いていた。
何度もともに戦い、最後にはイフリートが精霊剣となって、その人間へ身を預けた。
「精霊剣という呼び名も残っている」
祖父は古い記録を開く。
「ただし、その剣の名は残っていない」
「名前は最初から決まっているものではない」
シアが言う。
「なら、その二人だけが呼んでいた名があったのかもしれんな」
その戦いで何が起きたのか、詳しい記録は残っていない。
分かっているのは、イフリートが剣の姿のまま死亡したことだけだった。
「使い手だった祖先は生き残った」
祖父の声が少し低くなる。
「だが、手元には、意思を失った剣だけが残った」
使わなかった剣
「その祖先は、魔剣を使ったのか」
セトが尋ねる。
「使わなかった」
祖父はすぐに答えた。
「剣にはまだ、大きな火の力が残っていたらしい。武器として使えば、強力だっただろう」
「なぜ使わなかった」
「ともに戦った相手の亡骸を、意思がなくなったからといって道具にする気にはなれなかった」
精霊王の魂が残っていないことは、当時の祖先も理解していた。
使ったからといって、苦しませるわけではない。
壊したからといって、救えるわけでもない。
それでも、使い続けることを選ばなかった。
「弔ったのか」
「人間の墓と同じではない。だが、そのようなものだ」
剣は危険物として封じられた。
そして祖先は、その剣に頼る代わりに、自分の手で精霊を剣へ変える術を学び始めた。
「それが剣状精霊術?」
「ああ」
弔いの術
祖先が剣状精霊術を生み出したわけではない。
精霊を一定の形へ固める術は、それ以前から存在していた。
だが、剣として戦えるほど強く固定し、実際の剣術と組み合わせる者はほとんどいなかった。
「祖先はその術を学び、一族へ伝えた」
「魔剣を使わないために?」
「それだけではない」
精霊剣となったイフリートと戦ったことを忘れないため。
剣となった相手が意思を失っても、その力だけを求める者にならないため。
そして、精霊王の亡骸に頼らず、自分たちの力で剣を持つため。
「だから、この一族は剣状精霊術を教え続けている」
子供が精霊術を学び始める頃には、光と闇を剣へ固定する訓練を始める。
普通の精霊術より先に、剣の形を覚えさせる。
「弔いの意味まで知らずに教わる者の方が多いがな」
「俺も知らなかった」
「必要になるとは思っていなかった」
祖父が記録を閉じる。
「伝承は、長く続けば理由よりも形だけが残る」
誰も学ばない術
「剣状精霊術は、一族以外にはないのか」
「存在は知られている」
シアが答えた。
「だが、実際に使える者はほとんどいない」
「なぜだ」
「時間がかかりすぎる」
火を放つだけなら、火の精霊を集め、熱へ変え、狙った方向へ動かせばいい。
剣状精霊術は、それだけでは済まない。
精霊を高密度に集め、刃の形へ固定し、振っても衝撃を受けても形を維持し続けなければならない。
「覚えるまでに何年もかかる」
祖父が続ける。
「覚えた後も、剣として振れなければ意味がない」
精霊術士は、普通なら距離を取って術を放つ。
剣士は、金属の剣を持って接近戦を学ぶ。
剣状精霊術を使うには、その両方を長い時間かけて習得しなければならない。
「普通の精霊術士は、同じ時間で別の術をいくつも覚えられる」
「剣士なら、最初から本物の剣を使う」
「ああ」
わざわざ精霊術で剣を作り、そのうえで剣術まで学ぼうとする者はいない。
「だから、術としては存在するが、実態としては使い手がいないに近い」
シアの説明に、祖父がうなずいた。
「この一族は、子供の頃から無理に両方を教えるから残っているだけだ」
一族の偏り
「その代わり、他の術が使えなくなる」
セトが言った。
「使えないとは限らん」
祖父が訂正する。
「使うための感覚が育ちにくい」
何を扱っても集める。
集めれば固める。
固めれば刃へする。
一族の者は、精霊を自由に流すよりも、剣の形へ閉じ込めることを先に覚える。
「お前も精霊力そのものが少ないわけではない」
「ああ」
「だが、剣以外の形へ動かすのが下手だ」
「知ってる」
「火を撃てと言われても、たぶん火の短剣を作る」
シアが言った。
「作れるなら、その方が当てやすい」
「そういうところだ」
祖父はため息をついた。
「弔いから始まった術だが、教え方まで正しいとは限らん」
「今さらやめるのか」
「やめる気はない」
即答だった。
分かれた血筋
「グラウスも、この一族の出身なのか」
セトが尋ねた。
「同じ村で育った者ではない」
祖父は木箱の中から、別の記録を取り出した。
「かなり前の世代で、一族はいくつかに分かれている」
村へ残った者。
別の土地へ移った者。
精霊術の研究を続けた者。
剣術だけを残した者。
分かれた理由まで、すべての記録が残っているわけではない。
「そのうちの一つに、白刃と黒刃を両方伝えていた家がある」
「グラウスの家か」
「おそらくな」
グラウスという個人の名は記録にない。
だが、赤黒い魔剣を持ち、白刃と黒刃の性質を知り、同時に扱える。
無関係とは考えにくい。
「かなり前に分かれたなら、祖父も知らない?」
「ああ。血がつながっているとしても、顔を合わせたことはない」
「向こうは、こちらを知っていた」
「古い記録を持っていたのだろう」
グラウスはセトの白刃を見ただけで、一族の者だと見抜いた。
セトが知らないことまで知っているようだった。
封じたもの
祖父は、分かれた家について書かれた記録を読み進めた。
「妙な記述がある」
「何だ」
「分かれた家の一つが、封じられた剣の管理に関わったとある」
何の剣かは書かれていない。
場所も記録から消されている。
ただ、火に関係する危険な剣を守る役目を負ったとだけ残っていた。
シアが体を起こそうとする。
「無理するな」
セトが背中を支えた。
「その剣だ」
「分かるのか」
「継承知識にある」
イフリートの代々の知識には、危険な火の魔剣が存在することが残されていた。
その剣は、過去のイフリートに由来する。
人間に悪用されないよう、先代イフリートが封印していた。
「先代が?」
「ああ」
「お前は場所を知らなかったのか」
「知識には、封印されていることしか残っていなかった」
精霊王が継ぐのは、役割に必要な知識だ。
誰がどの道を通り、どの人間へ何を頼んだかという個人的な記憶までは残らない。
「先代は封印の場所を、人間の一族にも守らせていたのかもしれない」
祖父が記録を見る。
「その役目を、分かれた家が引き継いだ」
「そしてグラウスが、その家に生まれた」
同じ魔剣
「昔、精霊剣の姿で死んだイフリート」
シアが言う。
「この一族の祖先が使い手だった」
「ああ」
「死後に残った剣は封じられた」
「ああ」
「後のイフリートが危険な魔剣として管理し、先代も封印していた」
祖父がゆっくりとうなずく。
「分かれた家には、その場所か、封印を守る役目が伝わった」
「グラウスは、その家の血を引いている」
セトが続ける。
「なら、あいつが持っていた魔剣は――」
「あの時のイフリートが残した剣だ」
シアが断言した。
祖父が話した一族の伝承。
シアが持つ、イフリートの継承知識。
グラウスの血筋。
赤黒い魔剣。
別々だった情報が、一つにつながった。
「グラウスが封印を破り、持ち出した」
「おそらくな」
「それで先代を殺した」
「ああ」
二人分の火
セトは、グラウスの赤黒い剣を思い出した。
シアと似ているが、シアのものではない炎。
剣の中で混ざり合っていた、いくつもの火。
「あの魔剣には、古いイフリートの力が残っている」
「最初に剣になった代の残存力だ」
シアが答える。
「そこへ、先代から奪った火が加わった」
「二人分のイフリートの力がある?」
「正確には、古い方の力がどれだけ残っているか分からない」
長い時間の中で使われ、失われ、別の場所から補われている可能性がある。
それでも、器そのものは古いイフリートが残したものだ。
そこへ、精霊王一人分に近い力を持つ先代の火が吸収された。
「普通の魔剣より強い理由か」
「ああ」
人や魔物から少しずつ力を奪うだけでは、生きた精霊剣を超えるほどの力にはなりにくい。
だが、グラウスの魔剣は違う。
精霊王を殺し、その力を直接取り込んでいる。
「シアからも奪った」
セトの声が低くなる。
「まだ全部ではない」
シアが言う。
「だが、あの剣は前より強くなった」
壊しても戻らない
「魔剣を壊せば、奪われた力は戻るのか」
「分からない」
「先代は?」
「戻らない」
シアの答えは明確だった。
「魔剣の中に先代の人格はない。剣を壊しても、先代が生き返ることはない」
「古いイフリートも?」
「ああ」
救うために壊すのではない。
これ以上、誰かの力を奪わせないために壊す。
グラウスが魔剣を使い続ける限り、新しい被害が増える。
「なら、壊すしかない」
セトが言った。
「その前にグラウスを倒す必要がある」
「分かってる」
「今のままでは負ける」
「それも分かってる」
祖父が二人を見る。
「負けた理由を話せ」
一本ずつ
セトは、グラウスとの戦いを最初から説明した。
魔剣が精霊力を吸収したこと。
グラウスが白刃と黒刃を知っていたこと。
二本の剣を同時に使ったこと。
セトは白刃と黒刃を切り替えて対抗したが、そのたびに隙を狙われた。
「白刃で剣を受ければ、魔剣に力を吸われる」
祖父が確認する。
「ああ」
「黒刃なら、魔剣の火を崩せる」
「だが、反対側から白刃が来る」
「切り替える間に斬られた」
「ああ」
祖父は立ち上がった。
「外へ出ろ」
「今から?」
「傷は動けないほどか」
「そこまでではない」
「なら来い」
祖父は壁に掛けられていた木剣を一本取り、部屋を出た。
セトはシアを見る。
「行ってこい」
「お前は寝てろ」
「見ている」
「起きられるのか」
シアは寝台の端へ手をつき、ゆっくり体を起こした。
「歩くのは無理だ」
「では、どうやって見る」
「セトが運べ」
稽古場
家の裏には、小さな稽古場がある。
地面は固く踏み締められ、周囲には木の杭や斬撃の跡が残る柱が並んでいた。
セトはシアを軒下へ座らせた。
背中を壁へ預ければ、倒れずに見ていられる。
祖父は稽古場の中央に立っていた。
「白刃を出せ」
セトが右手へ白刃を作る。
「黒刃へ替えろ」
白刃を消し、黒刃を作る。
「遅い」
「分かってる」
「もう一度」
黒刃を消す。
白刃を作る。
祖父の木剣が動いた。
白刃が形になる前に、セトの手首を打つ。
「痛っ」
「グラウスなら腕が落ちている」
「木剣と一緒にするな」
「敵が待ってくれるなら、その言い訳をしろ」
もう一度。
白刃から黒刃。
黒刃から白刃。
何度繰り返しても、消して作り直す瞬間には隙が生まれる。
禁じられた二刀
「二本を同時に出せ」
祖父が言った。
セトは動きを止めた。
「いいのか」
「使えるのだろう」
「使える」
子供の頃から、右手と左手で別々の訓練を受けている。
白刃と黒刃を同時に作ること自体はできる。
だが、二種類の精霊を同時に扱うことは、邪道とされてきた。
「祖父も止めていた」
「ああ」
「今は止めない?」
「止めて、グラウスに勝てるのか」
セトは答えなかった。
「禁忌には理由がある」
複数の精霊を同時に扱えば、制御が混ざり、術が暴走する危険がある。
過去には事故もあった。
長い年月を経て、危険性への警告が、使うべきではないという教えへ変わった。
「だが、お前は子供の頃から光と闇を別々の剣として固定してきた」
「右と左で分ければ、混ざらない」
「なら、使えないわけではない」
「使わなかっただけだ」
「ああ」
祖父が木剣を構える。
「今度の敵は、その使わなかった力を使っている」
白と黒
セトは右手を開いた。
白い光が集まり、白刃となる。
続いて左手。
周囲の光が押しのけられ、黒刃が形を作る。
二本が同時に現れた。
白刃は、精霊力を高密度に集めた剣。
黒刃は、精霊力を排除して作る空白。
正反対の術を同時に保つ。
「重いな」
「前に試した時よりは保てている」
シアが軒下から言った。
「見て分かるのか」
「白い方が少し揺れている」
「左へ意識を取られてる」
「両方同じだけ見ようとするな」
祖父が言う。
「どういう意味だ」
「二本を、同じ役目で使う必要はない」
役割を分ける
祖父が木剣で斬りかかる。
セトは右の白刃で受けた。
左の黒刃も動かそうとした瞬間、白刃の形が揺れる。
木剣に押し込まれた。
「両方で受けるな」
「一本だけでは二刀の意味がないだろ」
「二本を同時に振ることが二刀ではない」
祖父が一度下がる。
「白刃は前で戦う剣だ」
物質を斬り、精霊術を断ち、相手へ届かせる。
「黒刃は、相手の術へ触れる剣だ」
吸収し、崩し、受け流す。
「白刃で攻めろ。黒刃は必要な時だけ差し込め」
「片方を主にする?」
「ああ」
白刃でグラウスの剣技へ対応する。
魔剣の火や吸収が来た時だけ、黒刃を間へ入れる。
両方へ同じ力を込め続ければ、セトの制御が先に尽きる。
「右で戦い、左で崩す」
「まずはそれだけ覚えろ」
二本目を見るな
祖父が再び踏み込んだ。
木剣が右から来る。
セトは白刃で受ける。
今度は黒刃を動かさない。
木剣を外へ流し、白刃で斬り返す。
祖父は下がらず、空いている手で木片を投げた。
木片には、わずかな精霊力がまとわせてある。
左から飛んでくる。
セトは黒刃を向けた。
触れた瞬間、木片を包んでいた精霊術が崩れる。
力を失った木片が地面へ落ちた。
「今のだ」
祖父が言う。
「見てから動かした」
「最初はそれでいい」
再び木剣。
次は木片。
正面へ白刃。
横へ黒刃。
それぞれに意識を向けようとすると、動きが遅れる。
「二本目を見るな」
「見なければ当たらない」
「一本目と同じように見ようとするから遅い」
左手は、目で追う前に動かす。
右手で剣を振りながら、左手は相手の術が通る場所へ置く。
「右手と左手を別々に動かすだけだ」
「簡単に言うな」
「子供の頃からやっている」
剣術の必要
何度目かの打ち合いで、祖父の木剣がセトの肩へ当たった。
「痛い」
「精霊術ばかり見ているからだ」
「今は精霊術の訓練だろ」
「二刀になれば、足の位置まで二つになると思ったか」
剣が一本でも二本でも、体は一つしかない。
右で斬る時に、左肩がどこへ動くか。
黒刃を差し込む時に、白刃の間合いを失わないか。
二本を扱うには、精霊術の制御だけでなく、体の動かし方を作り直す必要がある。
「剣状精霊術を覚える者がいない理由が分かったか」
シアが言う。
「今さらだな」
「術を二つ出せても、剣術がなければ使えない」
「ああ」
グラウスは、二本を出せるだけではなかった。
魔剣と白刃。
魔剣と黒刃。
役割の異なる二本を、剣技の中へ組み込んでいた。
経験の差は大きい。
「数日で追いつける相手ではない」
祖父が言う。
「それでも、何もしないよりはましだ」
休むシア
稽古が終わる頃には、日が傾いていた。
セトは白刃と黒刃を消した。
両腕が重い。
特に左手の感覚が鈍くなっている。
「初日としては悪くない」
祖父が言う。
「何日やるつもりだ」
「使えるまでだ」
「シアの力が戻る方が先かもしれないな」
軒下を見る。
シアは壁へ寄りかかったまま、目を閉じていた。
「寝たのか」
「起きている」
「なら返事をしろ」
「疲れた」
「見ていただけだろ」
「火を集めている」
シアの周囲には、目に見えないほど小さな火の精霊が集まり始めていた。
失われた力を、少しずつ補っている。
「どれくらい戻った」
シアが指を上げる。
小さな赤い光が生まれた。
一瞬だけ火になり、すぐに消える。
「昨日よりはましだ」
「戦えるか」
「無理だ」
シアは素直に答えた。
精霊剣なら
その夜。
セトとシアは再び同じ部屋にいた。
祖父から借りた記録が、二人の間に置かれている。
「精霊剣なら、グラウスの魔剣に勝てるのか」
セトが尋ねた。
「出力だけなら、対等以上に戦える」
「古い魔剣に、先代とお前の火が入っていても?」
「簡単ではない」
だが、生きた精霊剣には、魔剣にないものがある。
精霊王本人が力を制御する。
使い手の動きに合わせ、必要な場所へ必要な量だけ力を流せる。
魔剣のように、持ち主が外から無理に力を引き出す必要がない。
「剣が生きているから強い?」
「力の量だけではない」
白炎では、シアがセトへ火を渡し、セトが白刃の形を保つ。
精霊剣では、シア自身が剣の形と火を制御できる。
セトは剣術と体の動きへ集中できる。
「二人の役割が、もっとはっきり分かれる」
「ああ」
「グラウスが待っているのは、それか」
「たぶん」
魔剣を増やすために
「なぜ、あいつは精霊剣の成立を待つ」
セトが尋ねる。
シアは答えを知っているような顔をしなかった。
「精霊剣が欲しい?」
「生きた精霊剣は、使い手を選ぶ」
「グラウスを選ぶとは思えないな」
「ああ」
「なら、剣になった後で殺す」
口にしてから、意味がつながった。
精霊王が人の姿で死んでも、次代の精霊王が生まれる。
だが、精霊剣の姿で死ねば、剣状の器が残ることがある。
「新しい魔剣を作るつもりか」
「可能性はある」
グラウスは、シアがセトへ力を預けることを喜んでいた。
シアがセトをかばった時も、仕上がってきたと言った。
精霊剣になったシアを殺せば、新しい火の魔剣が残るかもしれない。
「だから、俺たちを見逃した」
「ああ」
「お前の力を奪ったのに、殺さなかった」
「精霊剣になる前に死なれては困るからだ」
グラウスにとって、二人の信頼は守るべきものではない。
新しい魔剣を作るための条件だった。
剣にはしない
「俺にも、無理に力を預けなくていい」
セトが言った。
「前にも聞いた」
「今は意味が違う」
精霊剣になれば、グラウスと戦えるかもしれない。
だが、それはシア自身が剣になるということだ。
勝つために必要だからと、セトが求めるものではない。
「俺は二刀を使う」
「それで勝てるか」
「勝てるようにする」
「精霊剣の方が強い」
「強いから使うという話ではないだろ」
シアはセトを見る。
「わたしが自分で決めるものだ」
「ああ」
「セトが決めることではない」
「ああ」
「なら、勝手に決めるな」
「何を」
「剣にはしない、と」
セトは言葉に詰まった。
「お前はなりたいのか」
「分からない」
「信頼しているかも分からないと言っていた」
「ああ」
「なら――」
「分からないことを、セトが先に決めるな」
シアの声は弱い。
それでも、言葉ははっきりしていた。
右と左
翌朝から、二刀の稽古が続いた。
右手に白刃。
左手に黒刃。
白刃で祖父の木剣を受け、黒刃で横から飛んでくる精霊術を崩す。
最初は、どちらかを動かすたびに反対側が止まった。
右で斬れば、左が下がる。
左で受ければ、右の切っ先が揺れる。
「二本を一つの動きにするな」
祖父が何度も言った。
「同じ体で動かしてる」
「同じ体でも、役割は別だ」
白刃は相手を見る。
黒刃は術の流れを見る。
視線を二つに分けることはできない。
だが、相手の肩と腰を見れば、剣が来る方向は分かる。
周囲の精霊力の乱れを感じれば、術が来る位置も分かる。
目で追うものと、感覚で捉えるものを分ける。
少しずつ、二本が同時に動き始めた。
シアの火
三日目。
シアは一人で庭まで歩けるようになっていた。
まだ長く立つことはできない。
それでも、指先へ小さな火を作れる。
「セト」
稽古中に呼ばれた。
振り返る。
小さな火が飛んでくる。
「急に撃つな!」
右の白刃へ火を触れさせる。
白炎が生まれた。
以前より小さい。
だが、確かに燃えている。
同時に、祖父が左側から精霊術を放つ。
セトは黒刃で崩した。
白炎を保ったまま、左を動かせた。
「今のは悪くない」
祖父が言う。
「先に言ってくれ」
「敵が先に言うのか」
「シアは敵じゃない」
「グラウスの火も、今のように突然来る」
シアがもう一つ火を飛ばす。
セトは白炎へ受ける。
祖父の木剣が正面から来る。
白炎で受け流す。
左から精霊術。
黒刃で崩す。
二本が、ようやく一つの戦いの中へ入り始めた。
白炎と黒刃
「白炎を強くするぞ」
シアが言った。
「まだ無理するな」
「少しだけだ」
火が白刃へ流れる。
白い炎が大きくなった。
右手へかかる負担が増える。
同時に、左の黒刃を保つ。
光を集めながら、反対側では光を排除する。
意識を近づけすぎれば、白刃が弱くなる。
離しすぎれば、黒刃の空白が崩れる。
「白炎を主にしろ」
祖父が言う。
「黒刃は魔剣へ触れる時だけでいい」
「分かってる」
白炎で前へ出る。
黒刃は体の近くへ残す。
祖父が木剣を振る。
白炎で受ける。
木剣にまとわせた精霊力だけを、黒刃で横から削る。
術を失った木剣が軽くなる。
セトは白炎で押し返した。
「それだ」
二刀の形
数日後。
セトは白刃と黒刃を同時に出したまま、祖父と打ち合えるようになっていた。
白刃で斬る。
黒刃で受ける。
白刃を短くし、懐へ入る。
黒刃で相手の術を崩し、白刃で空いた場所へ斬り込む。
まだグラウスほど滑らかではない。
長く続ければ、二本の形も揺らぐ。
それでも、一本ずつ切り替えていた時とは違う。
「これなら、魔剣ともう一本へ同時に対応できる」
セトが言う。
「対応できるだけだ」
祖父が木剣を下ろした。
「勝てるとは言っていない」
「分かってる」
「グラウスには、お前より長い剣術の経験がある」
「ああ」
「魔剣も、前より強くなっている」
シアから奪った火が加わっている。
「それでも行くのか」
「行く」
「シアの力が戻ってからか」
セトは軒下を見る。
シアは立っていた。
手のひらには、拳ほどの炎がある。
「もう戻っている」
「全部ではない」
「戦えるのか」
「前より弱い」
シアは火を握るように消した。
「だが、セトの白刃へ火を乗せるくらいはできる」
古い剣の使い手
祖父は、セトの白刃と黒刃を見た。
「グラウスも、同じ一族の術を使う」
「ああ」
「なら、お前の技も知っている」
「白刃と黒刃の性質は隠せない」
「二刀も知っているだろう」
「それでも、前とは違う」
前回のセトは、白刃と黒刃を一本ずつ使っていた。
切り替える時の隙を狙われ、何もできなかった。
今度は、白炎で正面から戦いながら、黒刃で魔剣へ触れられる。
「シアの火が戻り切るまで待つ手もある」
祖父が言う。
「待てば、グラウスもさらに力を奪うかもしれない」
「どこにいるか分かるのか」
「向こうから来る」
セトが答える。
「なぜ分かる」
「あいつはシアが精霊剣になるのを待っている」
シアが生きている限り、グラウスは二人を見失ったままにはしない。
「今度は、こちらが待つ」
信頼の形
稽古を終えた後、セトとシアは家の前に並んで座った。
山の向こうへ日が沈み始めている。
「精霊剣の話をして、後悔したか」
セトが尋ねた。
「していない」
「俺が意識するかもしれないと言っていた」
「もう意識している」
「そうだな」
「だが、話さない方が危険だった」
グラウスは精霊剣を知っている。
二人が知らなければ、何を狙われているかも理解できない。
「信頼が何かは分かったか」
「分からない」
シアは即答した。
「まだか」
「セトは分かったのか」
「分からない」
「同じだな」
「ああ」
少し間が空いた。
「だが、火を渡すことはできる」
シアが言う。
「前からできてる」
「前より大きな火を渡した」
「持ち切れなかった」
「次は持て」
「それも前に聞いた」
「なら、覚えているな」
二本の剣
セトは立ち上がった。
右手に白刃を作る。
シアが小さな火を送り、白い炎が刀身を包む。
左手には黒刃。
白い炎と、光のない黒い剣。
二本が同時に並ぶ。
「白炎で正面から戦う」
セトが言う。
「黒刃で魔剣の力を崩す」
「ああ」
「今度は、一本ずつではない」
「わたしもいる」
「分かってる」
「二人と二本だ」
「数え方がおかしくないか」
「セトが二本。わたしが一人」
「なら三つだろ」
「わたしの火は白炎に入っている」
「余計に分からなくなった」
シアは少し考えた。
「二人でいい」
「ああ」
白炎が静かに揺れる。
黒刃は、その隣で周囲の光を押しのけていた。
精霊剣になるための信頼が何なのか、二人にはまだ分からない。
それでも、互いの力をどう使うかは、前よりも分かっていた。
次にグラウスと向き合う時、セトはもう一本の剣を隠さない。
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