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凍った朝
翌朝、三人は町を出た。
山へ近づく前から、道の端に白いものが残っていた。
雪ではない。
夜露が凍り、草の一本一本を薄い氷が覆っている。
日が昇ってからかなり経っているのに、溶ける気配はなかった。
「ここは、まだ寒冷地ではありません」
ネアが地図と周囲を見比べる。
「以前の記録では、この辺りまで雪が残るのは冬だけです」
「今は冬じゃない」
シアは道脇へしゃがみ、凍った草へ指を近づけた。
指先に小さな火が灯る。
氷が溶け、水滴が葉を伝った。
その水滴は地面へ落ちる前に、もう一度凍った。
「冷やし続けてる」
「ええ。氷が残っているのではなく、この土地そのものが今も冷やされています」
シアの肩の後ろで、赤い分霊核がゆっくり回った。
町を出てから、シアは休憩のたびに少しずつ力を蓄えている。
赤い光は、手に入れた直後よりも明るくなっていた。
山へ向かう道
道を進むほど、季節が逆戻りしていく。
霜に覆われた草が消え、代わりに雪が積もり始めた。
木々の葉は凍り、枝は白く固まっている。
まだ葉を落とす時期ではない木まで、動きを止めていた。
「山の上だけなら、普通なのか」
セトが尋ねる。
「上の方には、元から雪の残る場所があります」
ネアは山腹を指した。
「ですが、今の境界は低すぎます。報告を受けた時よりも、さらに下へ広がっています」
「どれくらい速い?」
「一日で、森の端からここまでです」
シアが前を見る。
街道の先は、白い霧に隠れていた。
「樹の精霊王より遅い」
「比較する対象がおかしいです」
「止めやすい?」
「範囲だけで判断しないでください」
冷気は、木や道だけを増やしているのではない。
そこにあるすべてから熱を奪い、動きを止めている。
冬の境界
山裾の集落は、すでに人がいなくなっていた。
兵士たちが家々を確認し、残された家畜を低地へ運び出している。
井戸の水は表面だけでなく、奥まで凍っていた。
「住民は?」
セトが兵士へ尋ねる。
「昨日のうちに避難させました。今朝までは、この広場に雪はありませんでした」
兵士は、広場の中央に立つ石柱を示した。
柱の半分まで氷に覆われている。
「山の上から、白いものが下りてきたという話もあります」
「白いもの?」
「人の形です。近づいた者を追ってはきません。ただ、道を塞ごうとすると、地面ごと凍らされます」
セトは以前の報告にあった記述を思い出した。
雪の中心に立つ、白い人影。
「氷の精霊王で間違いなさそうだ」
「止める?」
シアが尋ねる。
「ああ。ただし、氷そのものをなくすためじゃない」
「分かってる。下へ広げるのを止める」
凍った森の中
集落の裏手には、小さな林があった。
木々は白く固まり、風が吹いても枝が揺れない。
地面には、途中まで掘り返された跡が残っていた。
「何の跡だ」
セトが兵士へ尋ねる。
「小動物の巣です。昨日までは中にいたようですが」
「今は?」
「見つけられたものは運び出しました。ただ、全部かどうかは分かりません」
ネアが地面へ線を伸ばす。
表面だけではなく、土の中まで冷えている。
根は水分ごと固定され、細いものから傷み始めていた。
「寒い土地にも生命はあります」
ネアが言う。
「ですが、暖かい土地にいたものを急に凍らせれば、その環境へ変わる前に死にます」
「寒さに合うものが来るまで、何もいなくなる」
シアは白い林を見た。
「新しい生命が入る場所を作っているのではありません。今ある場所を一度空にしています」
氷の精霊王に悪意がなくても、起きていることは災害だった。
凍りついた川
集落の先には、山から流れる川があった。
本来なら雪解け水を運ぶ川だが、今は流れが見えない。
川面は厚い氷に覆われ、岸の石まで白く固まっていた。
ネアが細い銀青色の線を氷へ通す。
「表面だけではありません。川底近くまで固定されています」
「全部溶かす?」
シアが手を上げる。
「急に溶かせば、下流へ一気に水が流れます」
「少しずつ?」
「先に、これ以上凍らせている力を止めます」
セトは川沿いに付いた足跡を見た。
人の形に近い。
だが、踏みしめた跡ではなかった。
足跡の周囲から氷が広がり、一歩ごとに白い円が重なっている。
「向こうだ」
足跡は、川を上るように続いていた。
シアの分霊核が前へ出る。
赤い玉の周囲だけ、白い霧が薄くなった。
白い人影
川の上流に、滝があった。
水は流れ落ちる形のまま凍り、巨大な白い壁になっている。
その前に、人の姿が立っていた。
遠くから見れば、雪の中へ白い影だけが切り抜かれているように見える。
顔立ちも衣服も白く、境目が分かりにくい。
人影が片手を上げる。
滝の上から冷気が流れ、凍った川を伝って山の下へ向かった。
「止めろ」
セトが声をかける。
白い人影が振り向いた。
「何を」
「寒さを下へ広げることをだ」
「寒い場所を作っている」
「ここには、もう川も森も集落もある」
「寒い場所にも、川と森はある」
氷の精霊王の答えに、迷いはなかった。
寒さの役割
「なぜ、ここまで凍らせる」
セトが尋ねる。
「世界には熱い場所がある」
氷の精霊王は、山の下を見た。
「寒い場所も必要だ」
「山の上には、もともと寒い場所があります」
ネアが言う。
「足りない」
「何を基準に、足りないと判断していますか」
「凍っていない場所が多い」
シアが眉を寄せた。
「全部凍らせる気?」
「すべてではない。熱い場所と寒い場所の双方があるから、世界は循環する」
それは、役割としては間違っていなかった。
世界が形を持ち始めた頃なら、熱だけに偏った場所を冷やし、流れを分ける必要があったのかもしれない。
だが、今の世界にはすでに寒冷地があり、暖かい土地があり、それぞれの環境で生きるものがいる。
すでにある循環
「今の世界は、もう分かれています」
ネアは凍った川を示した。
「山には雪があり、下には森と畑があります。川は山から低い場所へ流れ、その途中に生き物と人間の暮らしがあります」
「寒さが広がれば、寒い場所が増える」
「その代わりに、今ある場所が失われます」
「別の生命が生きる」
「凍る前にいた生命と、取り替えることはできません」
氷の精霊王は、岸辺で凍った低木を見る。
「寒さに耐えられないものは、暖かい場所へ移ればいい」
「木は歩けない」
シアが言った。
「川の中のものも、全部は逃げられない。人間も家を持ってる」
「別の場所へ作ればいい」
「おまえが凍らせなければ、作り直さなくていい」
必要な量
「寒さをなくせと言っているのではありません」
ネアは山頂に近い白い斜面を指した。
「あそこには、以前から雪が残っていました。その寒さで生きるものもいます」
「なら、寒い場所は必要だ」
「ええ。必要です」
氷の精霊王は、わずかに顔を動かした。
「なら、増やす」
「必要であることと、無制限に増やしてよいことは同じではありません」
「違いが分からない」
樹の精霊王と同じだった。
役割の必要性は知っている。
だが、どこまで行えばよいのかを判断するための、現在の世界への経験がない。
「この川より下へ広げるな」
セトが言う。
「なぜ」
「そこから下には、今の寒さでは生きられないものが多い」
「寒い場所を増やす役割より優先するのか」
「ああ。今あるものを全部消してまで、増やす必要はない」
火と氷
氷の精霊王がシアを見る。
「火の精霊王」
「シア」
「火は氷を解かす」
「氷は火を弱くする」
「どちらが強い」
「やれば分かる」
「シア」
ネアが止めるより先に、シアの両手へ炎が灯った。
「でも、ちょうどいい。広げるのを止めてから話す」
氷の精霊王が手を下ろす。
白い霧が、一気に濃くなった。
「寒い場所を妨げるなら、外へ出す」
冷気が地面を走る。
川岸の石が白くなり、セトたちの足元へ凍結が迫った。
シアが前へ出る。
「止める」
相性の答え
火と氷は、単純に一方だけが強い関係ではない。
シアの炎は氷を溶かせる。
だが、広い範囲を冷やし続けられれば、炎を作るたびに熱を奪われる。
氷の精霊王の冷気も、シアの炎へ触れれば弱まる。
どちらも、相手の作用を直接打ち消せる。
「長く続けた方が勝つ?」
シアが尋ねる。
「同じ場所だけで押し合えば、そうなるかもしれません」
ネアが答えた。
「でも、向こうは周囲全部を冷やしている」
「ええ。正面だけを溶かしても、別の方向から冷気が入ります」
「樹の時と同じ?」
「似ています。ただし、今回は一つ増えています」
シアの肩の後ろで、分霊核が赤く光る。
「分かってる」
シアは氷の精霊王から目を離さなかった。
最初の冷気
シアは地面へ炎を落とした。
迫っていた氷が溶け、水蒸気が白く上がる。
次の瞬間、その水蒸気まで凍り、細かな氷の粒となって降った。
「消しても戻る」
「向こうも冷やし続けています」
ネアが冷気の流れを見る。
氷の精霊王は、周囲一帯へ力を広げていた。
シアが正面の氷を溶かしている間に、左右から冷気が回り込む。
足元を守れば、上から氷の塊が落ちる。
上を焼けば、地面が固まる。
以前なら、攻撃へ移るたびにどこかの防御を止める必要があった。
「分霊核に足元を守らせろ」
セトが言った。
「分かってる」
シアの肩の後ろから、分霊核が前へ出た。
以前なら止まる場所
氷が足元へ迫り、頭上では凍った枝が折れた。
正面には、氷の精霊王が新しい壁を作っている。
以前のシアなら、どれか一つを選ぶ必要があった。
前へ火を放つか。足元を溶かすか。落ちてくる氷を防ぐか。
一つを処理してから、次へ移る。
その短い切り替えの間に、相手は距離を取り、別の冷気を広げられる。
「全部、自分でやろうとするな」
セトが言った。
「一個しか増えてない」
「一個ある」
シアは一瞬だけ分霊核を見た。
「じゃあ、足元」
赤い玉が下がる。
シア自身は、氷の精霊王へ向けて両手を開いた。
もう一つの防御
赤い分霊核が、三人の足元近くまで下がる。
玉の周囲に薄い炎の膜が広がった。
冷気が膜へ触れ、水へ変わる。
水はすぐに凍ろうとしたが、分霊核の炎が途切れず、地面へ流れていった。
「足元は任せる」
シアは自分の炎を正面へ集めた。
氷の精霊王との間に立ち上がった氷柱を、まとめて溶かす。
左右から回り込んだ冷気は、分霊核が作る熱の膜へ押し返された。
「攻撃を止めていません」
ネアが言う。
「昨日、試した通りだ」
セトは白刃を構えながらも、シアの前へは出なかった。
今は、分霊核一個で何が変わったのかを見る必要がある。
「そのまま近づけ」
「分かった」
攻め続ける火
シアが一歩進む。
氷の精霊王は、地面から壁を立ち上げた。
厚い氷が視界を塞ぐ。
シアは立ち止まらず、拳へ炎をまとわせた。
一撃で中央を砕き、熱で穴を広げる。
壁の向こうから、細い氷の柱が何本も伸びた。
分霊核がシアの横へ移る。
炎の膜が柱を受け、先端から溶かした。
シアは防御へ手を戻さない。
穴を抜け、さらに前へ進む。
氷の精霊王が後ろへ下がった。
「前より楽」
「油断しないでください」
「してない」
返事をしながら、シアは次の氷壁を焼き抜いた。
氷の壁
氷の精霊王が両手を広げる。
滝を覆っていた氷が剥がれ、巨大な板となって倒れてきた。
シアは上を見た。
自分の炎を上へ向ければ、正面への攻撃が止まる。
「分霊核、上」
赤い玉がシアの頭上へ移る。
炎の膜が広がった。
落ちてきた氷は膜へ触れた場所から溶け、左右へ割れて落ちる。
その間も、シアは氷の精霊王へ火を放ち続けた。
白い人影の前へ氷の盾が生まれる。
炎が盾を削る。
盾を厚くするため、氷の精霊王の力が正面へ集まった。
山の下へ流れていた冷気が、わずかに弱まる。
「効いてる」
「ええ。攻撃を受け続けるため、領域の拡大へ回す力が減っています」
思ったように動く
氷の精霊王が横へ移動する。
白い霧へ姿が紛れた。
シアは炎を止め、周囲を見る。
背後で氷が鳴る。
分霊核がシアの意思に合わせて回り込み、後方へ熱の壁を作った。
突き出た氷柱が壁へ触れ、途中で止まる。
シアは振り向かず、前方の霧へ炎を広げた。
熱で霧が薄くなり、離れた場所に白い人影が見えた。
「分霊核、思ったよりも溜められるし、思ったように動かせる」
「戦闘中に確かめることではありません」
「今が一番分かる」
分霊核は、シアの斜め後ろへ位置を変える。
防御を保ったまま、次の移動へ備えていた。
二つの位置
「離れた」
シアが言う。
氷の精霊王は、十歩近く先にいる。
正面から炎を放てば、氷壁で受けられる距離だった。
シアは分霊核を右側へ動かす。
自分と赤い玉の間を広げ、氷の精霊王を二つの位置から挟む。
「両方からは撃てない」
セトが確認する。
「分かってる」
シアは自分の掌から火を放った。
氷の精霊王が正面へ壁を作る。
炎を止める。
ほとんど間を置かず、右側の分霊核から火が放たれた。
氷の壁の側面が赤く染まる。
氷の精霊王は右へ新しい壁を作った。
その瞬間、シアは攻撃の起点を自分へ戻した。
交互の砲撃
正面から火が走る。
氷の精霊王が正面を守る。
シアが止める。
次は分霊核から、横へ火が走る。
同時ではない。
だが、氷の精霊王が一方へ防御を厚くするたび、もう一方から攻撃が来る。
壁を作る位置を変えるたびに、氷の精霊王は後ろへ下がった。
「二つとも、同じくらい強い」
シアが言う。
「分霊核側は多少落ちています」
「でも、足りる」
再び正面から炎を放つ。
氷壁が薄くなったところで止め、分霊核側へ切り替える。
横から受けた熱で壁が崩れた。
氷の精霊王の白い腕へ、炎が届く寸前で止まる。
「まだ広げる?」
「寒い場所は必要だ」
防御を置いていく
氷の精霊王は、シアの正面から外れるように斜面を移動した。
足跡の周囲から新しい氷が広がり、シアとセトたちの間を分断しようとする。
シアが振り返るより先に、分霊核が後方へ移った。
赤い玉は、セトとネアの前へ熱の膜を残す。
伸びてきた氷が膜の手前で溶けた。
「こっちはいい」
セトが言う。
「前を見ろ」
シアはうなずき、氷の精霊王を追う。
分霊核はシアから離れすぎない位置を保ちながら、後方の防御を動かした。
シアが前へ進めば、膜も少しずつ前へ移る。
守る場所を完全に置き去りにはできない。
それでも、自分の身体から離れた位置へ防御を置き、そのまま攻撃へ進める。
「十歩より先へ出すな」
「分かってる」
「昨日、十メートルと言っていました」
ネアが訂正する。
「戦っている時に測れない」
「だから余裕を持ってください」
逃げる先
氷の精霊王は、凍った滝の上へ移った。
さらに距離を取り、周囲の冷気を集める。
川全体から氷が持ち上がり、無数の尖った塊となった。
「数が多い」
セトが前へ出ようとする。
「大丈夫」
シアは分霊核を自分たちの前へ置いた。
赤い玉から、広い炎の壁が作られる。
飛んできた氷が、壁へ触れるたびに小さくなる。
溶け切らなかったものだけを、セトが白刃で切り落とした。
シアは防御へ力を向けず、両手の間へ火を集め続ける。
氷の精霊王が攻撃を終えた時には、シアの炎がすでに形を持っていた。
「防いでから攻撃するんじゃない」
シアが言う。
「防いでる間に、攻撃できる」
火の直線
シアが両手を前へ出した。
集めた炎が、太い直線となって滝の上へ走る。
最大出力ではない。
以前からシアが放てた範囲の攻撃だった。
だが、氷の攻撃へ対応した直後ではなく、防御と同じ時間に準備されていた。
氷の精霊王は、新しい壁を作るのが遅れた。
火が白い人影の横を通り、背後の氷を大きく溶かす。
足場が崩れ、氷の精霊王が川岸へ下りた。
シアは分霊核を反対側へ回す。
氷の精霊王が正面のシアを見た瞬間、横の赤い玉が強く光った。
人影が横へ向く。
その間にシアが距離を詰めた。
近づけない王
氷の精霊王が地面を凍らせる。
シアの足を固定しようと、白い氷が靴へ絡みついた。
分霊核が足元へ下がる。
氷だけを溶かし、シアの前進を止めない。
上から氷柱が落ちる。
赤い玉が頭上へ移り、熱の膜で受ける。
正面へ氷壁が立つ。
シア自身の炎が壁を砕く。
氷の精霊王が距離を取ろうとするたび、分霊核が別の側へ回った。
攻撃が来るかもしれない位置を無視できず、動きが遅れる。
シアは一度も、防御のために攻撃を止めなかった。
白い人影まで、あと一歩になる。
「止まれ」
シアの拳が、氷の精霊王の胸元で止まった。
炎はまとっているが、触れてはいない。
ほぼ一方的な制圧
氷の精霊王が腕を動かす。
分霊核が背後へ回り、炎の輪を作った。
後ろへ下がれば、その輪へ触れる。
横へ動けば、シアの拳が届く。
正面にはシアがいる。
氷の精霊王は周囲を凍らせようとした。
赤い玉の炎が地面を温め、凍結を止める。
シアの炎は、目の前で消えない。
「まだやる?」
「火の量が増えた」
「増えてない」
シアは即座に否定した。
「私の火は昨日と同じ。もう一か所が動いてるだけ」
「二つある」
「一つは私。一つは分霊核」
氷の精霊王は、シアの肩越しに赤い玉を見る。
「防ぎながら、攻撃していた」
「そう」
反撃できない理由
氷の精霊王は、もう一度だけ冷気を集めた。
シアの正面へ向けたものではない。
背後の川を凍らせ、そこから氷を持ち上げようとしている。
分霊核が先に動いた。
川面へ薄い炎を広げ、氷が形を作る前に崩す。
その間も、シアは氷の精霊王の前に立ったままだった。
「そっちを止めたら、こちらが空く」
氷の精霊王が言う。
「空かない」
シアの掌に炎が灯る。
「私がいる」
氷の精霊王は、分霊核へ冷気を向けようとした。
その瞬間には、シアの炎が正面から近づく。
シアを止めれば、分霊核が川を守る。
分霊核を止めようとすれば、シアが攻める。
どちらか一方へ力を集中しても、もう一方の役割が残った。
氷の精霊王は、集めた冷気を解いた。
「続けても、広げられない」
「そう」
「火が強いからではない」
「さっき言った」
勝つためではなく
セトとネアが近づく。
氷の精霊王は攻撃しなかった。
シアも拳の炎を消す。
ただし、分霊核の炎は足元に残した。
「倒しに来たのではありません」
ネアが言う。
「なら、なぜ止める」
「寒さが必要だからこそ、残す場所を選んでもらうためです」
「広い方がいい」
「広げた先に、すでに別の役割で成り立つ場所があります」
ネアは山の下を見る。
白く凍った集落、その先のまだ緑が残る土地。
「今の世界は、何もない大地ではありません。寒さを作るだけで循環を始める段階は、もう終わっています」
「循環は必要だ」
「ええ。だから、山の寒さまで消そうとはしていません」
以前から寒い場所
三人は氷の精霊王を連れ、少し山を上った。
そこには、古い道標が半分雪へ埋もれていた。
兵士が持っていた地図では、以前から雪が残る範囲の下端に当たる。
道標より上では、背の低い木と白い地面が続く。
下では、凍った森が広がっている。
「ここから上は、前から寒かった」
セトが言う。
「ここから下は?」
「季節が変われば雪が溶け、川が流れ、植物が育つ場所です」
氷の精霊王は、道標の上下を見る。
「寒さをここで止める」
「止めたら、役割を果たせない?」
シアが尋ねる。
「寒い場所は残る」
「なら果たせる」
「広げなくても?」
「足りてるなら」
程度を知る
「何をもって、足りていると判断する」
氷の精霊王が尋ねる。
「一つだけの基準では決められません」
ネアが答えた。
「雪が残る範囲、川の流れ、そこで生きるもの、山の下で暮らすもの。今あるものを見て決めます」
「役割だけでは決められない」
「はい」
「人間が決めるのか」
「人間だけでもありません。あなたも見て、知る必要があります」
氷の精霊王は、道標へ手を触れた。
新しい氷が表面へ薄く広がる。
そこで止まった。
「ここから下へは広げない」
「今は、で終わらせないでください」
「下にあるものを知るまで、広げない」
完全に理解したわけではない。
それでも、役割を実行する前に、そこに何があるかを見るという一つの条件を受け入れた。
残す寒さ
氷の精霊王は、道標より上へ冷気を流した。
山肌の雪がわずかに厚くなる。
シアは止めなかった。
「そこは燃やさないのか」
氷の精霊王が尋ねる。
「前から寒い場所だから」
「寒さを妨げるのではないのか」
「下へ広げるのを止めただけ」
氷の精霊王は、もう一度だけ山の下を見た。
「火は、寒さをなくしたいのではない」
「私は火だけど、世界を全部燃やしたくはない」
「火の役割ではないのか」
「燃やすことはできる。でも、何を燃やすかは私が決める」
氷の精霊王は答えなかった。
役割ができることと、役割だけを実行することは違う。
その違いを、シアは説明より先に、自分の行動で見せていた。
川を戻す
氷の精霊王が、凍った川へ手を向けた。
「これは戻すのか」
「一度に全部はやめてください」
ネアが言う。
「下流が危ない」
「少しずつ」
「はい」
氷の精霊王が、川へ流していた冷気を弱める。
シアも分霊核の炎を細く伸ばし、凍結の薄い場所から順に温めた。
氷の下で、水が小さく動く音がする。
最初は細い流れだった。
やがて、氷の割れ目から水が見え始める。
川岸の雪をすべて溶かすことはしない。
上流の寒さも残す。
必要な流れだけを戻していく。
「こっちの方が難しい」
シアが言った。
「全部溶かすよりは」
「当然です」
一核の違い
集落へ戻る頃には、冷気の境界は山の上へ後退していた。
凍った家や畑がすぐ元へ戻るわけではない。
だが、新しい氷が増えることは止まっている。
兵士たちは井戸と川を確かめ、住民を戻す時期を相談し始めた。
「ほとんど、シア一人で押し切ったな」
セトが言う。
「相性だけなら、どっちもどっちだった」
「火だけなら、向こうの冷気で止められていました」
ネアが言った。
「分霊核が防御を続けたため、シアは攻撃へ集中できました」
「火が強くなったわけじゃない」
シアは肩の周囲を回る赤い玉を見る。
「でも、前よりずっと楽だった」
「一つの動作を強くしたのではなく、二つの役割を同じ時間に処理できるようになったからです」
「攻撃と防御」
「それに、攻撃位置の切り替えです」
残っている力
シアは分霊核を手元へ寄せた。
内側の赤い光は、戦う前より薄くなっている。
それでも、完全には消えていなかった。
「まだ残ってる」
「かなり使いましたが、空にはなっていませんね」
ネアが分霊核の状態を見る。
「もっと入れておけば、もっと残った」
「安全量を確認せずに満たす話へ戻さないでください」
「壊れなかった」
「今回壊れなかったことは、限界まで入れても壊れない証明ではありません」
セトは二人のやり取りを聞きながら、山の上を見た。
氷の精霊王は、道標の近くに残っている。
白い冷気は山頂へ向かい、下へは流れてこない。
少なくとも、今は約束を守っていた。
次の色
集落の詰め所には、町の商人から新しい伝言が届いていた。
赤い玉を探した時に聞き回った相手から、別の情報が返ってきたらしい。
「黒くて、小さくて、加工できない玉」
セトが紙を読む。
「条件に近い物を見た者がいるそうだ」
ネアが紙を受け取った。
「次はネアの番」
シアが言う。
「本物かどうかは、まだ分かりません」
「近くで探せば分かる」
「ええ。シアの時と同じ手順で確かめます」
ネアは伝言に書かれた場所を確認する。
シアの周囲では、赤い分霊核が静かに回っていた。
火の量が急に増えたわけではない。
それでも、一つの攻撃を続けながら別の場所を守り、離れた二つの位置から相手の逃げ道を狭められた。
昨日まで一つだった行動点が、二つになった。
次は、月の力を置くもう一つの場所を探す。
エレメンタルクロス ~精霊の剣~ TOPへ

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。
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