本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第4話 名前は統一してほしい

本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第4話 名前は統一してほしい 創作実験
本当に人間ってあさはかな生き物だよね 第4話 名前は統一してほしい
本当に人間ってあさはかな生き物だよね
創作実験TOP日常系/猫視点コメディ/人間観察―― 猫には猫の常識がある。人間はそれを、何ひとつ分かっていない。 ――作品紹介黒猫のシジミは、人間に飼われている。少なくとも、うちの人間はそう思っている。だが、シジミからすれば話は逆だ。毎日決…

見回りは仕事

シジミは散歩をしていた。

いつも通る道である。

家を出て、低い塀の横を歩き、角にある植木鉢の匂いを確認する。

その先の空き地を横切り、日当たりのよい石の上で少し休む。

気が向けば、さらに先まで行く。

気が向かなければ、そこで引き返す。

散歩とは、その日の様子を確認するためのものだ。

どこに新しい匂いがあるか。

知らない猫が通っていないか。

鳥がどの木に集まっているか。

人間が食べ物を落としていないか。

昨日までなかった物が増えていないか。

毎日同じ道を歩いているように見えても、同じ日は一度もない。

うちの人間は、シジミが外へ出ようとすると、

「今日はどこまで遊びに行くの?」

と聞く。

遊びに行くのではない。

見回りである。

うちの人間が昼間から外を歩き回ることを仕事と呼ぶのだから、シジミの散歩も立派な仕事と呼ぶべきだろう。

もっとも、人間が何と呼ぼうと、シジミのすることは変わらない。

太郎ではない

その日も、シジミはいつもの角を曲がった。

道の先に、一人の人間が立っている。

近所で何度か見かけたことのある人間だった。

シジミの姿に気づくと、顔をほころばせて手を振った。

「やあ、太郎」

シジミは足を止めた。

太郎。

誰のことだろう。

周囲を見回す。

道の上にはシジミしかいない。

塀の上にも猫はいない。

人間の後ろにも、太郎と呼ばれそうな者はいない。

人間はこちらを見ている。

つまり、シジミを呼んでいるらしい。

だが、シジミの名前は太郎ではない。

シジミである。

うちの人間がつけた名前なので、完璧な名前だとは思っていない。

黒いというだけで、味噌汁の底に沈んでいる貝と同じ名前にされた。

そこには多少の不満がある。

それでも、長く呼ばれているうちに、自分を示す音としては定着した。

いまさら太郎へ変えるつもりはない。

そもそも、シジミを太郎と呼ぶということは、この人間にはシジミが雄に見えているのだろうか。

人間は、猫の性別をすぐに気にする。

初めて会った猫にも、

「男の子かな?」

「女の子かな?」

と話し合う。

答えが分からないまま、勝手に名前をつける。

分からないなら、無理に決めなければよい。

ところが人間は、分からない状態をそのままにしておくのが苦手らしい。

雄か雌か。

飼い猫か野良猫か。

若いか年寄りか。

おとなしいか気が強いか。

少し見ただけで、何かに決めようとする。

そして、一度決めると、それが正しいものとして扱い始める。

目の前の人間にとって、シジミは太郎なのだろう。

人間はしゃがみ込み、手を伸ばした。

「太郎、今日も元気そうだな」

今日も、と言われても困る。

シジミはこの人間へ、自分の健康状態を報告した覚えはない。

昨日と比べて元気なのかどうか、この人間に分かるとも思えない。

人間は猫が普通に歩いているだけで、

「元気そう」

と言う。

じっとしていれば、

「眠そう」

と言う。

近づけば、

「甘えたいの?」

と言う。

離れれば、

「今日は機嫌が悪いのかな」

と言う。

どう動いても、人間は勝手に理由をつける。

猫が何を考えているかは、猫へ聞かなければ分からない。

だが、人間は猫の言葉を聞けない。

聞けないのに、答えだけは次々と出してくる。

シジミは伸ばされた手を避け、その横を通り過ぎた。

後ろから声が聞こえる。

「太郎、またな」

また会ったとしても、太郎ではない。

訂正してやりたいところだが、この人間に猫語は通じない。

いくらシジミと名乗っても、

「かわいい声だねえ」

で終わるだろう。

名前を間違えている者に、かわいいと言われても納得はできない。

セバスでもない

少し先まで歩くと、別の人間が家の前に立っていた。

こちらも、何度か見かけたことがある。

この人間は、シジミを見ると時々食べ物を持ってくる。

人間としては、比較的役に立つほうである。

ただし、毎回もらえるとは限らない。

声だけかけて、何も出さない日もある。

期待しすぎるのは危険だ。

その人間がシジミを見つけ、うれしそうに手招きした。

「ねえ、セバス。おやつ食べる?」

シジミは再び足を止めた。

セバス。

先ほどは太郎だった。

今度はセバスである。

どちらもシジミの名前ではない。

だが、今回も周りにほかの猫はいない。

人間はこちらを見ている。

手には、小さな袋を持っている。

つまり、セバスもシジミを指す言葉らしい。

なぜセバスなのだろう。

太郎とセバスには、ほとんど共通点がない。

太郎は短い。

セバスは少し長い。

太郎には親しみがあるように聞こえる。

セバスには、妙に人間へ仕えていそうな響きがある。

もしかすると、もっと長い名前の途中だけを呼んでいるのかもしれない。

だとしても、シジミには関係がない。

シジミは誰かへ仕えてはいない。

むしろ、うちの人間の面倒を見ている側である。

朝になっても起きなければ、顔の近くで鳴いて起こす。

食事の時間を忘れていれば、皿の前まで連れていく。

いつまでも絵の動く箱を見ていれば、その前へ座って休むよう促す。

外から帰ってくれば、危険な匂いをつけていないか確認する。

これだけ世話をしているのだから、シジミが仕える側ということはない。

人間が袋を開けた。

食べ物の匂いがする。

「セバス、おいで」

名前は気に入らない。

だが、食べ物に罪はない。

呼び方が間違っているからといって、食べられるものまで拒む必要はない。

猫は物事を分けて考えることができる。

シジミが近づくと、人間は満足そうに笑った。

「やっぱりセバスは自分の名前が分かるんだね」

違う。

袋の音と匂いが分かったのである。

人間は、自分が呼んだからシジミが来たと思っている。

もし黙ったまま袋を開けても、シジミは近づいただろう。

反対に、袋を持たずにセバスと呼ばれても、近づく理由はない。

人間は、自分に都合のよいところだけを見ている。

セバスと呼んだ。

猫が来た。

だから、この猫の名前はセバスである。

その間に食べ物の存在があることを、きれいに忘れている。

人間は小さな食べ物を一つ、地面へ置いた。

シジミは匂いを確認してから口へ入れた。

悪くない。

もう一つ出してもよい味である。

シジミが人間を見上げると、その人間はうれしそうに言った。

「おいしかった?」

シジミは短く鳴いた。

もう一つ。

人間はシジミの頭を撫でようとした。

シジミは少し下がる。

食べ物を求めたのであって、頭へ触れてよいとは言っていない。

ところが人間は袋を閉じた。

「じゃあ、またね。セバス」

もう一つは出なかった。

要求は伝わらず、拒否だけは伝わったらしい。

それも正確には伝わっていない。

人間は、

「今日は撫でられたくない気分なんだね」

と笑っている。

今日は、ではない。

いまは、である。

人間は、時間の区切り方まで大きすぎる。

一度撫でられるのを避けただけで、その日一日触られたくないことにされる。

数歩歩けば気が変わることもある。

日の当たる場所へ移れば、撫でられてもよくなることもある。

猫の気持ちは動く。

人間の言葉で一度決めたからといって、そのまま一日中変わらないわけではない。

呼び方くらい統一してほしい

シジミは再び歩き始めた。

太郎。

セバス。

同じ道を少し歩いただけで、二つの名前をつけられた。

この調子では、別の道へ行けば、さらに増えるかもしれない。

クロ。

クロスケ。

ジジ。

くろまめ。

のり。

夜。

人間は黒い猫を見ると、黒いものの名前を思いつくままにつける。

本人へ確認することはない。

一度呼んで、猫が少しでも反応すれば、その名前で正しいと思い込む。

シジミが声の方向を見ただけでも、

「名前、分かってる」

と言う。

猫は名前を聞いたのではない。

突然声を出した者を警戒しただけかもしれない。

食べ物を持っているか確認しただけかもしれない。

道をふさがれないか見ただけかもしれない。

人間は、猫が自分へ注意を向けると、すぐに好意や親しみへ結びつける。

自分が猫から特別に見られていると思いたいのだろう。

それにしても、呼び方くらい統一してほしい。

同じシジミを指すのに、会う人間ごとに名前が違う。

人間同士では、相手の名前を間違えると失礼だと言う。

一文字違っただけでも訂正する。

読み方が違えば、きちんと覚えてほしいと言う。

ところが猫の名前は、知らなければ好きにつけてよいらしい。

自分たちがされたら嫌なことでも、猫なら気にしないと思っている。

猫にも名前くらいある。

名前がなくても、その猫を見分ける方法はある。

匂い。

声。

顔。

体格。

歩き方。

尻尾の動かし方。

猫同士なら、勝手な名前をつけなくても相手が誰か分かる。

人間は名前がなければ不便だから、名前をつける。

それなら、せめて同じ個体には同じ名前を使うべきである。

呼ぶたびに違うなら、名前をつける意味がない。

にゃーにゃー

シジミがそんなことを考えながら歩いていると、前から親子が来た。

小さな子供が、大人の手を握っている。

子供はシジミを見つけると、急に足を止めた。

そして、大人の手を強く引っ張る。

「にゃーにゃーだ!」

大きな声だった。

道の向こうにいた人間まで、こちらを見た。

だが、何を指しているのかは明確である。

犬に向かって、にゃーにゃーとは言わない。

鳥に向かっても言わない。

道の周りに、ほかの猫はいない。

子供はこちらを見ている。

指もシジミへ向いている。

つまり、にゃーにゃーがシジミを指していることは、誰にでも分かる。

太郎より分かりやすい。

セバスよりも明確である。

正しい名前ではない。

そもそも、名前ですらないのかもしれない。

猫という種類を、鳴き声で呼んでいるだけだろう。

だが、少なくとも別の生き物と間違えることはない。

周囲に猫が一匹しかいないなら、誰を指しているのか迷うこともない。

勝手に固有名をつけ、自分だけが分かっている大人より、よほど筋が通っている。

大人が子供へ言った。

「猫ちゃんだね」

子供は大きくうなずいた。

「にゃーにゃー!」

猫ちゃん。

にゃーにゃー。

表現は違うが、どちらも猫を指している。

少なくとも太郎とセバスのように、人間の名前を勝手につけてはいない。

子供はシジミの前へしゃがんだ。

近づきすぎない。

急に手も伸ばさない。

ただ、目を輝かせてこちらを見ている。

大人より礼儀を知っているようだ。

「にゃーにゃー、くろいね」

そのとおりである。

シジミは黒い。

太郎でもない。

セバスでもない。

見たままを言っている。

子供は少し考えてから、もう一度言った。

「にゃーにゃー、おさんぽ?」

これもだいたい合っている。

見回りではあるが、人間の言葉で説明するなら散歩でもよい。

今日会った人間の中で、もっとも正確にシジミのことを見ている。

シジミは子供を見上げた。

そして、短く猫語で答えた。

散歩だよ。

子供は目を丸くする。

「にゃーにゃー、しゃべった!」

シジミは少し感心した。

少なくとも、この子はシジミが話したことを理解している。

何を言ったのかまでは分からなくても、ただ音を出したのではなく、こちらへ何かを伝えたと気づいた。

大人は猫が鳴くと、

「お腹が空いたの?」

「怖いの?」

「甘えたいの?」

と、すぐに自分の考えた意味を当てはめる。

子供は違う。

話した、とだけ言った。

分からないことを、分からないまま受け取っている。

それでよい。

何を言ったのか分からないなら、勝手に決めなければよいのである。

話したとだけ分かればいい

大人が笑った。

「こんにちはって言ったのかな」

やはり大人は、すぐに意味を決めたがる。

こんにちはとは言っていない。

散歩だと答えただけである。

だが、子供は首をかしげた。

「おさんぽって言ったんだよ」

シジミは耳を動かした。

偶然だろうか。

それとも、本当に少し分かったのだろうか。

大人は困ったように笑った。

「そうかもしれないね」

子供は満足そうにうなずいた。

「にゃーにゃー、おさんぽ、いってらっしゃい」

シジミは子供の横を通り過ぎた。

太郎でもない。

セバスでもない。

シジミという名前も知らない。

それでも、この子供とのやり取りが今日一番分かりやすかった。

名前を知らないなら、猫と呼べばよい。

鳴いたなら、話したと受け取ればよい。

分からない言葉へ、勝手な意味をつけなければよい。

それだけのことを、大人はなぜできないのだろう。

シジミは少し進んだところで振り返った。

子供はまだこちらを見ている。

手を大きく振りながら、

「にゃーにゃー、またね!」

と叫んだ。

少なくとも、誰に言っているのかははっきりしている。

シジミは尻尾を立て、再び歩き始めた。

「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」


本ページに掲載している本文、画像の著作権は作者に帰属します。

作者本人または作者が許諾した媒体を除き、無断転載・無断複製・無断配布・改変利用を禁じます。

感想・紹介・レビュー等で一部を引用する場合は、引用元ページ名またはURLを明記し、引用部分が分かる形で、必要な範囲に限ってご利用ください。

本作品は、作者本人により自サイト・カクヨム・小説家になろう等に掲載される場合があります。


本当に人間ってあさはかな生き物だよね TOPへ

本当に人間ってあさはかな生き物だよね
創作実験TOP日常系/猫視点コメディ/人間観察―― 猫には猫の常識がある。人間はそれを、何ひとつ分かっていない。 ――作品紹介黒猫のシジミは、人間に飼われている。少なくとも、うちの人間はそう思っている。だが、シジミからすれば話は逆だ。毎日決…

自サイト版では人物紹介・用語集・設定資料などをまとめていますが、
”カクヨム”、”小説家になろう”ではフォロー、応援、レビュー、コメントなどができます。

気に入っていただけた方は、”カクヨム”、”小説家になろう”でも応援していただけると嬉しいです。

カクヨム版はこちら:
https://kakuyomu.jp/works/2912051604999063509

小説家になろう版はこちら:
https://ncode.syosetu.com/n5059mn/

コメント

タイトルとURLをコピーしました