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(一)混ざるものを減らす
「古い札は外す」
山科理人がそう言うと、神殿分院から来ていた術具係の男は眉をひそめた。
床には、荷車に取りつける魔物除け札が並べられている。
魔物被害がなかった札。
魔物が寄ったと報告された札。
荷役獣が嫌がった札。
羽虫が避けた札。
煙が乱れた札。
見た目は、どれもよく似ていた。
だが、同じではない。
理人は色のくすんだ札を手に取り、脇へ寄せた。
術具係の男が尋ねる。
「なぜ外すのです」
「古さの問題が混ざるからです」
次に、理人は木札の端へ指を当てた。
乾いているもの。
少し柔らかくなっているもの。
表面に湿りが残っているもの。
リナが札へ鼻を近づけた。
「これは湿ってる。匂いが違う」
「湿った札も外す」
「それでは、残る札が少なすぎます」
男の声には、はっきりと不満が混じっていた。
理人はうなずいた。
「少なくていいです」
「少なければ、正しい比較にならないでしょう」
「違う問題が混ざっている方が、もっと分からなくなります」
セリアが、机の上で記録用の紙を押さえながら口を挟んだ。
「古さと湿気の影響を、いったん比較から外すということですね」
「はい」
「それで原因が分かるんですか」
「分かりません」
術具係の男の顔がさらに険しくなる。
理人は札を並べながら続けた。
「ただ、分からないものを減らせます」
古い札。
湿った札。
素材の違う札。
新しく、乾いていて、同じ種類だと確認できる札。
リナが札を分けていく。
術具係の男は、その様子を面白くなさそうに見ていた。
理人にも、その気持ちは分かった。
魔法を使えないよそ者が、神殿の術具を床へ並べ、勝手に分類している。
不愉快でないはずがない。
それでも、最初から全部を見ようとすれば、何も見えなくなる。
理人は床に残った札を見渡した。
数は減った。
だが、ようやく比べられる形になった。
(二)魔法は分けられない
「魔法陣は、古いか新しいかだけで分かるものではありません」
術具係の男は低い声で言った。
「魔力の通し方。素材の質。描き手の熟練。祈りの集中。使われた土地の魔力。それらが重なって術具は働きます」
「大事だと思います」
理人が答えると、男は一瞬言葉を止めた。
否定されると思っていたのだろう。
理人は床に残った札を指した。
「だから、今は少しずつ分けます」
「分ける?」
「全部が大事なまま全部を比べたら、何が違ったのか分かりません」
「魔法は、物を数えるようには分けられません」
「そうかもしれません」
理人は否定しなかった。
「でも、札の古さと湿りは分けられます」
術具係の男は口を閉じた。
理人は続ける。
「素材が違う札も分けられる。同じ型かどうかも確認できる。作った人も残っているなら分けられる」
「魔力の流し方までは、あなたには見えない」
「見えません」
「なら、意味がないでしょう」
「見えないものがあるから、見えるものまで混ぜる必要はありません」
男は理人をにらんだ。
セリアが小さく息を吐く。
「この人、こういう時は本当にしつこいんです」
「しつこいのではなく、乱暴です」
男は言った。
理人はその言葉も否定しなかった。
専門家から見れば、乱暴だろう。
魔法には、理人の知らない条件がいくつもある。
見えていないものを、ないことにはできない。
だが、見えている違いを、魔法だからという理由で一つにまとめることもできなかった。
「乱暴でも、最初に分けます」
理人が答えると、男は深いため息をついた。
(三)同じ型の札
床に残ったのは、比較的新しく、乾いた札だけだった。
術具係の男によれば、どれも荷運び用に作られた、同じ型の魔物除け札らしい。
対象は低級の魔物。
荷車の側面へ下げて使う。
形も材料も、基本的には同じ。
理人はさらに札を分けた。
魔物被害がなかったと報告された札。
魔物が寄ったと報告された札。
羽虫が避けた札。
煙が乱れた札。
荷役獣が強く嫌がった札。
セリアが記録を取る。
リナが札を運ぶ。
理人は線を見る。
外周の円。
内側へ向かう線。
外側へ戻る線。
線の終わりにある点。
小さな輪。
途中で終わっている線。
同じ型と言われた札は、同じではなかった。
少なくとも、理人の目にはそう見えた。
「描いた人の名前は残っていますか」
セリアが札の裏を見る。
「印があります。神殿側で照合できるそうです」
術具係の男が札を確認した。
「この印が描き手です。こちらの小さな刻みが、魔力を通した者の印になります」
「描いた人と、魔力を通した人は別の場合がある?」
「あります。見習いが描き、熟練者が仕上げることもあります」
理人は木片へ項目を足した。
描き手。
魔力を通した者。
セリアがそれを見て、苦笑する。
「また増えましたね」
「増えました」
理人は札から目を離さずに答えた。
札の形だけでは足りない。
魔力を通した者だけでも足りない。
だが、混ざっていたものが一つずつ見えるようになってきた。
(四)閉じる印
「ここです」
理人は札の外周を指した。
一本の線が円の外側を走り、内側の印へ戻っている。
別の札では、同じ場所にある線が途中で終わっていた。
さらに別の札では、線の終わりに小さな点が置かれている。
「こっちは戻っている。こっちは途中で終わっている」
術具係の男が身を乗り出した。
「描き手の癖でしょう」
「かもしれません」
理人は、魔物が寄ったと報告された札を並べた。
「でも、戻っていない札は、こちらに多い」
次に、羽虫が避けた札を指す。
「虫が避けた場所も、この近くです」
煙が乱れた札。
「煙も、ここです」
リナが荷役獣三番の嫌がった札を置いた。
「三番が嫌がったのも、これ」
術具係の男は札を見下ろした。
先ほどまでのように、すぐには否定しなかった。
理人は急がない。
原因だとは言わない。
「閉じる印がない札は、反応が多い」
セリアが筆を止めた。
「失敗が多い、ではなく?」
「まだ、反応が多いです」
理人は答えた。
「魔物除けとして失敗したかどうかは、分かりません。魔物が近くにいなかった可能性もあります」
「では、閉じる印という名前も確定ではありませんね」
術具係の男が言う。
「はい。だから、閉じる印らしきもの」
男は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
理人は札の線を見た。
戻っている。
点で終わる。
途中で切れている。
違いは小さい。
だが、小さな違いが役割を変えることを、理人は言葉から学んでいた。
行く。
行くな。
見る。
見たら。
最後の一音で、意味が変わる。
魔法陣の線も、同じではないかもしれない。
(五)例外
傾向が見えたと思った直後、例外が出た。
閉じる印らしきものがない札。
線は途中で終わっている。
だが、その札を使った荷車には、魔物被害がなかったと記録されていた。
術具係の男は、すぐにその札を指した。
「ほら。線の問題ではありません」
理人は札を手に取った。
「そうかもしれません」
男の表情に、わずかな勝ち気が戻る。
「やはり、魔力の通し方です。形が多少乱れていても、正しく魔力を通せば術具は働きます」
「それもあり得ます」
理人は札を裏返した。
作り手の印。
魔力を通した者の印。
同じ印が、別の札にも残っている。
セリアが神殿側の一覧と照らし合わせた。
「この印の人は、分院でも腕が良いとされている方ですね」
術具係の男がうなずく。
「術具師のヘルトです。魔力の通し方が安定しています」
理人は、同じ印の札を集めた。
閉じる印がある札。
閉じる印がない札。
被害がなかった札。
反応が不安定だった札。
例外。
だが、ただの例外ではない。
腕の良い者が仕上げた札。
理人は床を見つめた。
線の問題ではない。
そう決めるのは早い。
腕の問題だけだ。
そう決めるのも早い。
「この人が通した札だけ、閉じていなくても被害が少ない?」
セリアが記録を見ながら答える。
「今ある札の中では、そう見えます」
術具係の男は腕を組んだ。
「だから、術者の腕だと言っているのです」
理人は返事をせず、札の並びを変えた。
(六)上手い人なら回せる
閉じる印がある札。
閉じる印がない札。
熟練者が魔力を通した札。
見習いが通した札。
魔物被害が出た札。
被害が出なかった札。
それらを分け直すと、見え方が変わった。
閉じる印がない札は、確かに問題の報告が多い。
だが、熟練者が魔力を通した札では、その差が小さい。
見習いが通した札では、閉じる印の欠けがあるものに、被害や異常反応が寄っている。
理人は小さく息を吐いた。
上手い人間が作れば、壊れた手順でも回ることがある。
前の世界でもそうだった。
資料には書かれていない順番。
ベテランだけが知っている注意点。
数字がずれても、音を聞くだけで異常に気づく作業員。
少し間違った指示でも、現場で帳尻を合わせる熟練者。
それは現場の力だった。
だが、仕組みとしては弱い。
熟練者が休めば止まる。
新人へ渡せば失敗する。
別の場所へ持っていけば再現しない。
そして、熟練者が補っている限り、手順の欠陥は見つからない。
理人は、途中で終わっている線を指した。
「腕で、隠れているのかもしれません」
術具係の男が眉を寄せる。
「何がです」
「線の問題です」
「熟練者が正しく魔力を通した。それだけのことでしょう」
「正しく通せば補えるなら、欠けていても動く理由になります」
理人は、見習いが仕上げた札を指した。
「でも、補えない人が使うと、問題が出る」
男は札を見た。
「見習いの腕が足りない」
「それも正しいです」
理人はうなずいた。
「でも、それだけではありません」
(七)腕だけではない
「結局、腕の問題ではありませんか」
術具係の男は、少し苛立った声で言った。
「熟練者なら正しく働かせられる。見習いにはできない。それが技術というものです」
理人は首を横に振らなかった。
「腕の問題はあります」
男の表情が少し緩む。
だが、理人は床の札を指した。
「でも、腕だけではありません」
「どういう意味です」
「上手い人は、欠けた線でも通せる。下手な人は通せない。だから、全部が腕の差に見えます」
「実際に腕の差でしょう」
「半分は」
理人は、閉じていない外周の線を指した。
「でも、最初から線が閉じていれば、見習いでも失敗が減るかもしれません」
術具係の男は黙った。
理人は続ける。
「上手い人しか使えないものは、上手い人にとっては問題がありません」
リナが床の札を見ながら口を開いた。
「でも、荷車で使う人は、みんな上手い人じゃない」
「そうです」
理人はうなずいた。
「作る人も、魔力を通す人も、いつも同じではありません」
セリアが筆を走らせながら言う。
「誰が作っても同じように働く方が、荷運びには向いていますね」
術具係の男が反論する。
「術具に個人差が出るのは当然です」
「差をゼロにしたいわけではありません」
理人は答えた。
「減らせる差を、腕だからで残さない方がいい」
そして、札の端にある欠けた線を見た。
「おそらく、ここです」
「まだ、おそらくですか」
「はい」
理人はうなずいた。
「だから試します」
(八)一枚だけ
「直すのですか」
術具係の男の声には、警戒が混じっていた。
理人は首を横に振る。
「俺は描けません」
「では、どうするつもりです」
「あなたに描いてもらいます」
男は眉を上げた。
「私が?」
「同じ染料。同じ筆。同じ太さで、ここだけです」
理人は、閉じていないように見える外周の線を指した。
内側の印へ戻す。
あるいは、線の終わりに小さな点を置く。
他の札で繰り返し見られる形だ。
術具係の男は難しい顔をした。
「それが正しい形とは限りません」
「はい」
「魔力の流れを乱すかもしれません」
「はい」
「危険がないとも言えません」
「だから、荷車には使いません」
理人は、札を一枚だけ他から離した。
「実験用。人も荷車も近づけない。反応だけ見ます」
セリアが静かに言う。
「試験用として処分してよい札なら、ギルド側で用意できます」
リナは窓際を飛んでいる羽虫を見た。
「虫と煙なら、すぐ見られる」
術具係の男は、長い間札を見ていた。
自分の技術を、外から来た男の思いつきに使う。
簡単には受け入れられないのだろう。
やがて、男は深く息を吐いた。
「一枚だけです」
理人はうなずいた。
「一枚だけ」
「補筆する場所は、私が最終的に決めます」
「お願いします」
「あなたの言った通りに描くとは限りません」
「それでいいです」
理人が欲しいのは、自分の案を通すことではない。
形を変えた時、反応が変わるかどうかだ。
男は筆を取った。
細い筆先へ染料を含ませる。
理人は手元を見ていた。
途切れていた線が、少しずつ内側へ伸びる。
最後に、小さな点が置かれた。
開いたものが閉じる。
理人の目には、とても小さな修正に見えた。
だからこそ怖かった。
小さな欠けほど、形全体の中に紛れやすい。
(九)補筆前と補筆後
補筆した札を、他の札から離して床へ置いた。
火皿を同じ距離に置く。
窓を閉める。
人が動かないようにする。
まず、補筆前に記録していた煙の動きを確認する。
外周の欠け付近で、煙が大きく巻いていた。
補筆後。
同じ位置。
同じ向き。
同じ火皿。
理人は煙を見る。
細い煙が札へ近づく。
外周の近くで、わずかに揺れる。
だが、前のように大きく巻かない。
リナが目を細めた。
「さっきより、曲がらない」
「曲がらない、ではなく?」
「前より、曲がらない」
理人はうなずいた。
「記録」
セリアが筆を走らせる。
補筆前。
外周欠け付近で、煙の乱れあり。
補筆後。
同じ位置で、乱れ減少。
次に、窓を少し開ける。
羽虫が一匹、札へ近づいた。
補筆前は、外周の同じ場所で急に進路を変えていた。
今は近づく。
少し横へずれる。
だが、大きく避けることはない。
何度か近づき、離れ、また戻る。
リナが言った。
「前より、逃げない」
「回避が弱い」
理人が言うと、リナも繰り返す。
「回避が弱い」
セリアが書き足した。
虫の反応。
補筆前、回避あり。
補筆後、回避弱い。
原因は不明。
再確認が必要。
術具係の男は黙ったまま、札を見ていた。
「これで魔物除けとして効くと分かったわけではありません」
理人は先に言った。
男が顔を上げる。
「煙も虫も、魔物ではありません。効果はまだ分かりません」
「では、何が分かったのです」
「形を変えたら、局所反応が変わりました」
それだけは言える。
理人は、それ以上を足さなかった。
(十)三番の反応
最後に、リナが補筆した札を荷役獣三番のもとへ運んだ。
理人と術具係の男は少し離れた位置から見る。
以前と同じ側。
同じ高さ。
同じ向き。
札を近づける前から、三番はリナを見ていた。
リナがゆっくり札を持ち上げる。
三番の耳が動いた。
少し後ろへ向く。
だが、前のように強く伏せることはなかった。
鼻を鳴らし、札の匂いを嗅ぐ。
一歩だけ首を引く。
それから、顔をそむけることなく藁を噛み始めた。
リナが振り返る。
「前より、嫌がらない」
理人はうなずいた。
「完全に嫌がらない、ではない」
「うん。前より少ない」
「それでいい」
セリアが記録する。
荷役獣三番。
補筆前、耳伏せ強い。
補筆後、耳伏せ弱い。
逃避なし。
比較時の位置と向きは同じ。
術具係の男が言った。
「慣れただけかもしれません」
「そうかもしれません」
理人は答えた。
「一度見た札だから、反応が弱くなった可能性もあります」
男は少し意外そうに理人を見た。
理人は続ける。
「だから、これだけで正しいとは言えません」
「では、やはり意味はないでしょう」
「意味がないとも言えません」
理人は札を見た。
煙。
羽虫。
荷役獣。
違う観測が、同じ方向へ少し動いた。
答えではない。
だが、無視するには揃いすぎている。
(十一)否定できない変化
「偶然かもしれません」
術具係の男が言った。
理人はうなずいた。
「偶然かもしれません」
「煙は風で変わります」
「はい」
「虫は光や匂いで動く」
「はい」
「荷役獣も、札に慣れただけかもしれない」
「それもあります」
男は苛立った顔をした。
「では、何が分かったというのです」
理人は床へ並べた札を指した。
「閉じる形を足したら、三つの反応が変わりました」
「偶然だと――」
「だから、続けて見ます」
理人は男の言葉を遮らないよう、ゆっくり答えた。
「一回では足りません。別の札でも見る。別の荷役獣でも見る。魔物被害は長く見る」
「その間、効果があると扱うつもりですか」
「扱いません」
理人はすぐに答えた。
「魔物除け効果は未確認です」
セリアが記録の紙を軽く持ち上げる。
「そのように残します」
男はセリアを見た。
「神殿の術具について、ギルドが記録を作るのですか」
「ギルドに持ち込まれた札の調査記録です。神殿側の確認者も入れます」
「私は、この修正が正しいとは認めていません」
「それも書きます」
セリアは落ち着いて答えた。
男は口を閉じた。
認めたわけではない。
納得したわけでもない。
ただ、何も変わらなかったとは言えなくなった。
理人は、それで十分だと思った。
信用は、拍手で増えるとは限らない。
反論が一つ減る。
無視できない記録が一枚増える。
それも前進だった。
(十二)暫定記録
セリアは新しい紙を用意した。
上部へ題名を書く。
魔物除け札の外形補正に関する暫定記録。
理人は、書かれた題名をゆっくり読んだ。
知らない専門語も混じっている。
リナが横から小さな声で補う。
セリアは、記録の内容を一つずつ読み上げた。
「比較対象。比較的新しく、乾燥した同型の魔物除け札」
理人はうなずく。
「除外対象。古い札。湿った札。素材が明らかに異なる札」
リナが脇へ分けた札を指して確認する。
「除外理由。経年、湿気、素材差による影響を比較から外すため」
術具係の男は腕を組んだまま聞いている。
「比較項目。閉じる印らしきものの有無。描き手。魔力を通した者。魔物被害の報告。煙、虫、荷役獣の反応」
男が小さく口を挟んだ。
「閉じる印らしきもの、ですか」
「正式な名称が分からないので」
理人が答える。
「閉環印に近いものです」
男は不承不承という顔で言った。
セリアが書き加える。
「神殿側呼称、閉環印に類似。ただし、同一の役割かは未確認」
理人はうなずいた。
決めつけない。
だが、言葉は残す。
「補筆箇所。外周から内側へ戻る線、および終端の点」
セリアは、補筆前の記録を読む。
「煙反応。外周欠け付近で乱れあり」
続いて、補筆後。
「同位置で乱れ減少」
「虫反応。補筆前、同位置で回避あり。補筆後、回避弱化」
「荷役獣三番。補筆前、耳伏せ強。補筆後、耳伏せ弱。逃避なし」
術具係の男が言う。
「荷役獣が慣れた可能性は」
「別要因として記載します」
セリアはそれも書いた。
「魔物除け効果。未確認。長期観測を要する」
理人は強くうなずいた。
そこを抜かせば、全部が嘘になる。
煙が変わった。
虫が変わった。
荷役獣の反応が変わった。
それと、魔物除けとして有効であることは別だ。
セリアは、最後の欄を見た。
一度、理人を見る。
それから読み上げた。
「外形補正案提示者。山科理人」
術具係の男がわずかに目を細めた。
「神殿の者ではありません」
「分かっています」
セリアは落ち着いて答えた。
「だから、術式修正者ではなく、案の提示者です。補筆を行った神殿側確認者として、あなたの名前も入ります」
男は長く黙った。
やがて、ため息とともに答えた。
「私の意見として、効果未確認も明記してください」
「すでに書いてあります」
セリアが答えると、男は紙を見た。
そして、小さくうなずいた。
理人の名前が、神殿分院へ渡る紙に残る。
それは称賛ではない。
認定でもない。
ただの暫定記録だ。
だが、記録に残るということは、次に同じ話が出た時、なかったことにはしにくくなるということだった。
理人は、その重さを知っていた。
(十三)関われること
その夜、理人は補筆前と補筆後の札の写しを見比べていた。
魔法は使えない。
魔力も流せない。
詠唱も知らない。
魔法陣の正しい描き方も、まだ分からない。
それでも、できることはあった。
古い札を外す。
湿った札を外す。
素材の違う札を分ける。
同じ型だけを並べる。
描き手を見る。
魔力を通した者を見る。
線が閉じているかを見る。
虫を見る。
煙を見る。
荷役獣を見る。
熱のように、比べられないものは判断に使わない。
そして、混ざっている問題を分ける。
腕の問題。
線の問題。
素材の問題。
湿気の問題。
使った場所。
札の向き。
それらを一つにまとめれば、何も見えない。
分ければ、少しだけ見える。
理人は、補筆後の札の写しを見た。
閉じた線。
小さな点。
たったそれだけで、煙の乱れが減った。
羽虫の避け方も弱くなった。
三番も、前ほど嫌がらなかった。
魔物除けとして本当に働くかは、まだ分からない。
それは、時間をかけて確かめる必要がある。
だが、少なくとも一つだけ言える。
魔法陣の形には、意味がある。
理人は小さく息を吐いた。
「閉じ括弧が足りなかった、みたいなものか」
その言葉は、誰にも通じない。
だが、理人にはそれが一番近かった。
開いたものは、どこかで閉じなければならない。
流れたものには、戻る先が必要になる。
魔法が使えなくても、そういう形なら見える。
理人は木片に書いた。
魔法使用――不可。
魔法陣補助――可能性あり。
そして、もう一つ書き足す。
暫定記録――提出済み。
それは、理人がこの世界に来てから初めて得た、魔法との関わり方だった。
(十四)ログ
ログ
構造補正:部分成功
魔力行使:未接続
注記:
非行使個体による外形補助により、局所反応が変化。
記録対象として保存。
非正規転生 ~転生したけど最弱スキルすらもらってない~ TOPへ

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