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一 記録元を分ける
リグル村の集会小屋には、まだ焦げた匂いが入り込んでいた。
窓の外では、村人たちが壊れた柵を直し始めている。王国軍の一部は第二防衛線から戻らず、街道側で魔物の残りを警戒していた。
村は守られた。
だが、森が焼けた理由は分かっていない。
メルセナ・オルブライトは、集会小屋の机に地図を広げていた。
地図には、リグル村、北東の森、南東街道、王国軍の第二防衛線、魔物の流れ、火災範囲の推定線が書き込まれている。
カイル・レイヴァンが、数枚の報告書を机に置いた。
「王国軍、地方防衛会議、街道警備の記録を照合しました」
その反対側で、ミレイユ・グレインが通信水晶に手を当てている。
「こちらはギルド依頼記録、召喚士派遣履歴、魔力感知記録を照会しています」
リオル・ロステルは机の端に立ち、二人の手元を見比べた。
紙が多い。
記録板も多い。
地図も、同じ場所を示しているのに、書き込み方が違う。
「そんなに分けるんですか?」
「分けます」
メルセナは短く答えた。
「記録元が違えば、目的も精度も違います」
カイルが頷く。
「王国側は防衛線と街道の安全を重視します」
ミレイユも続ける。
「ギルド側は依頼内容、召喚士の動き、契約記録を重視します」
「同じ出来事でも、記録のされ方が違います」
メルセナは地図の上に指を置いた。
「混ぜると誤ります」
「混ぜないために、分ける」
「はい」
リオルは少しだけ納得した。
前なら、全部まとめて「火事の情報」と思っていたかもしれない。
けれど、同じ火事を見ても、軍、ギルド、村、街道警備で見るものが違う。
なら、最初から混ぜてはいけない。
「その中で、火災以前から北東街道沿いに盗賊の噂が出ています」
カイルが言った。
「盗賊?」
「ただの盗賊なら珍しくはありません。ですが、噂の内容が少し妙です」
「妙とは」
メルセナが促す。
「見張りが気づかない。番犬が吠えない。荷を開けられても、足音を聞いた者がいない。強引に扉や箱を破った形跡が少ない」
カイルは一拍置いた。
「通称、気配を消す盗賊」
リオルは思わず窓の外を見た。
焦げた森。
魔物の群れ。
村の被害。
そこへ急に、盗賊の話が入ってきた。
「火事と関係あるんですか?」
「現状では、関係があるとは言えません」
メルセナは即答した。
「街道警備の報告として扱うのが妥当です」
カイルが言う。
ミレイユも通信水晶から顔を上げた。
「ギルド側にも、似た噂を前提にした護衛依頼の相談が二件あります。ただし、どちらも正式依頼にはなっていません」
「正式依頼じゃないんですか」
「はい。噂があるので不安だ、という相談段階です」
「じゃあ、まだ事件とも言い切れない?」
「被害報告はあります。ただし、盗賊本人を確認した記録はありません」
リオルは眉を寄せた。
盗賊がいるかもしれない。
でも、火災と関係があるかは分からない。
被害はある。
でも、正式依頼にはなっていないものもある。
何だか、つかみにくい。
「ギルド側では、関連未確定の周辺記録として残します」
ミレイユが言った。
「それでよいです」
メルセナは頷いた。
「盗賊の噂は出す。ただし、火災とは結びつけない」
「はい」
「消さないが、混ぜない」
「記録します」
ミレイユの筆が動いた。
リオルは、その筆先を見た。
気配を消す盗賊。
それは、地図の端に小さく書き加えられた。
二 分からないものを置く
カイルとミレイユが記録を照合している間、リオルはメルセナを見ていた。
メルセナはいつも通り無表情だった。
火災範囲。
魔物の移動。
第二防衛線。
避難民。
街道警備。
盗賊の噂。
ギルド記録。
それらを一つずつ確認し、分けて、並べていく。
リオルは、少し前までメルセナを万能な人だと思っていた。
実際、彼女はリオルが思いつかないことを、平然とやってのける。
敬礼する熊を呼んだ。
通常熊を使って魔物の流れを変えた。
国の判断にも異議を出した。
村を守った。
けれど、今のメルセナは、何もかもを最初から知っているようには見えなかった。
分からないものを、分からないまま置いている。
消さずに並べている。
そして、一つずつ、混ぜてはいけない理由を見つけている。
すごいのは、全部分かることではないのかもしれない。
分からないものを、雑に捨てず、雑に繋げないことなのかもしれない。
「先生は、最初から全部分かってるわけじゃないんですね」
リオルが言うと、カイルが少しだけ驚いたようにこちらを見た。
メルセナは平然と答える。
「分かっていません」
「でも、いつも分かってるみたいに見えます」
「分からないものを、分からないものとして置いているだけです」
「それが難しいんだと思います」
メルセナは、少しだけリオルを見た。
「よい観察です」
「今のは普通に褒めました?」
「普通に褒めました」
リオルは少しだけ嬉しくなった。
そして、少しだけ怖くもなった。
分からないものを分からないまま置く。
それは、答えを急がないということだ。
同時に、見落としを残さないということでもある。
メルセナの調査は、派手ではない。
けれど、雑ではなかった。
三 気配を消す盗賊
カイルは、街道警備の報告を読み上げた。
「被害は小さいものが多い。食料、古い道具、旅商人の荷、薬草袋、替えの刃物。盗まれた物そのものに、明確な偏りはありません」
「高価なものを狙っているわけではない?」
リオルが尋ねる。
「少なくとも、そうは見えません」
カイルは別の報告書を机に置いた。
「妙なのは、警備が厚い場所を狙う割に、盗む量も価値も大きくないことです」
「危ないところへ入るのに、大したものは盗らない?」
「そうです」
リオルは首を傾げた。
「それ、盗賊として得なんですか?」
「得ではありません」
カイルは即答した。
「だから妙なのです」
ミレイユがギルド側の記録を確認する。
「護衛依頼の相談にも、似た傾向があります。見張りが二人以上いた荷置き場。番犬がいた商家。柵と施錠が整っていた倉庫。いずれも、普通の盗賊なら避ける場所です」
「なのに、盗まれた物は?」
「干し肉、古びた携帯鍋、荷札の付いた小袋、空の小箱」
「空の小箱?」
「はい」
リオルはますます分からなくなった。
見張りがいる。
番犬がいる。
柵も鍵もある。
そんな場所に入り込んで、空の小箱を盗む。
「鍵を壊したり、扉を破ったりした形跡は?」
「少ないです」
カイルが答えた。
「壊して入ったというより、見張りの目を抜け、鍵を開け、あるいは開いている一瞬を突いた可能性が高い」
「すり抜けたわけじゃないんですね」
「報告を見る限り、そうした能力は確認されていません」
メルセナが続けた。
「物を素通りできるなら、もっと違う被害が出ます。金庫、密閉箱、封印庫。狙える場所が変わる」
「じゃあ、これは」
「侵入がうまい盗賊です。少なくとも、現時点では」
カイルは報告書に視線を落とした。
「成果ではなく、侵入そのものを目的にしているようにも見えます」
メルセナは報告書を見つめる。
「危険な場所を選んでいる」
「そう考えますか」
「断定はしません」
メルセナは言った。
「ただ、盗品への執着より、厳重な警備を抜けることへの執着が見えます」
「警備を抜けることへの執着……」
リオルは小さく繰り返した。
盗むために危険を冒すのではない。
危険を冒すために盗んでいる。
そんなふうにも聞こえた。
「死地に近い場所を選んでいる可能性があります」
メルセナは淡々と言った。
「死地……」
「失敗すれば捕まる。場合によっては殺される。その危険がある場所を選んでいる」
「そんな人、いるんですか」
「います」
カイルが答えた。
「兵にも、賊にも、貴族にも、商人にも。危険の近くでしか自分の価値を感じられない者はいます」
リオルは黙った。
理解できない。
けれど、いないとは言い切れないのだろう。
ミレイユが記録板を確認する。
「ギルド記録では、認識阻害系の魔道具反応は確認されていません。少なくとも、残留魔力はかなり薄いようです。ただし、記録自体が不完全です」
「認識阻害系の魔道具?」
リオルが聞き返す。
「人に気づかれにくくする魔道具です」
メルセナが答えた。
「ですが、そうした魔道具を使えば、多くの場合は魔力感知にかかります」
「今回は、それが薄い」
「はい。ならば、魔道具ではなく、精霊具を補助的に使っている可能性がありますね」
「精霊具?」
リオルは初めて聞く言葉に首を傾げた。
「魔道具とは違うんですか?」
四 精霊具
「広い意味では魔道具に含めることもあります。ですが、性質は少し違います」
メルセナは机の上の小石を一つ取り、地図の端に置いた。
「普通の魔道具は、術式や魔力回路で効果を再現します。魔力を使うため、多くは魔力感知で見つけられます」
「魔力反応があるから」
「はい」
メルセナは、隣にもう一つ小石を置いた。
「一方、精霊具は精霊力そのもの、または精霊との契約痕跡を道具に宿しています。魔力を強く放つわけではないため、魔力感知では見つけにくい」
「じゃあ、盗賊が見つからないのは精霊具だから?」
「可能性の一つです」
メルセナはすぐに言った。
「ただし、精霊具の効果は基本的に小さい」
「小さいんですか?」
「はい。強力な魔法を発動するというより、環境や感覚へわずかに干渉する程度です」
リオルは少し拍子抜けした。
見つからない道具と聞いて、もっと大きな力を想像していた。
「たとえば、風の精霊具なら、足音を少し散らす。匂いを流す。衣擦れの音を風に紛らせる。そうした補助は考えられます」
「透明になるわけじゃない」
「なりません」
「番犬にも気づかれないほどですか?」
「精霊具だけでは難しいです」
カイルが補足した。
「魔力感知に引っかからない。だから精霊具の可能性がある。しかし、効果が小さい。だから使用者本人も手練れでなければ説明がつかない」
「道具だけじゃなくて、盗賊本人もすごいかもしれない」
「はい」
メルセナが頷く。
「盗賊本人の技量。風精霊系の隠密補助。精霊具。認識阻害系の魔道具。噂の誇張。候補はいくつかあります」
「でも、魔道具なら魔力感知にかかりやすい」
「多くの場合は」
「今回は記録が薄い」
「はい。ただし、記録自体が不完全です」
「断定はしない」
「はい」
リオルは自分で言って、少し笑いそうになった。
最近、何度も聞いている言葉だった。
断定しない。
分けて置く。
消さずに残す。
「つまり、その盗賊が精霊具を持ってるかもしれない。でも、それだけでは説明できない」
「正確です」
「火事と関係は?」
「現状では、関係があるとは言えません」
「じゃあ、別件ですか?」
「現時点では、その扱いが妥当です」
「それでも記録には残す」
「はい。噂として残します。結論として扱ってはいけません」
カイルが報告書をまとめる。
「盗賊の件は、街道警備の報告に回します。火災調査とは分けて記録します」
ミレイユも頷いた。
「ギルド側では、関連未確定の周辺記録に入れます」
「それで構いません」
メルセナは言った。
「分けるけど、消さない」
リオルが呟く。
「正確です」
五 植物は何を見たか
地図に火災範囲を書き込みながら、リオルはふと思った。
森が焼けた。
木々が倒れ、草が焦げ、地面に灰が積もった。
そこにいた動物や魔物は逃げた。
なら、焼け残った木や草は何かを見ていないのだろうか。
「先生」
「何でしょう」
「植物から話を聞くことってできないんですか?」
メルセナの手が少し止まった。
「植物から、ですか」
「森が焼けたなら、焼け残った木とか草が、何か見てないのかなって」
カイルが少しだけリオルを見る。
ミレイユも記録板から顔を上げた。
リオルは慌てて付け足す。
「あ、変なこと言いましたか?」
「いいえ」
メルセナは首を横に振った。
「発想は悪くありません」
「じゃあ」
「ですが、ほぼ不可能です」
「早い」
「植物も召喚対象にはなります。しかし、意思疎通はほぼ不可能です。能動的な行動も期待できません」
「植物も召喚対象になるんですね」
「なります」
「じゃあ、植物召喚って何に使うんですか?」
「受動的な用途です」
メルセナは指を折りながら説明する。
「木を呼んで防壁にする。蔦で通路を塞ぐ。草木で視界を遮る。根の張った植物で地面を補強する。棘のある植物で侵入経路を狭める。葉や枝で一時的な遮蔽物を作る」
「動いて何かをするんじゃなくて、そこにあることで役に立つ」
「正確です」
リオルは少し感心した。
鳥や狼や熊のように動くわけではない。
それでも、使い道はある。
「でも、それって便利そうです」
「便利です」
「なら、もっと使われてもよさそうですけど」
「使いにくい理由があります」
メルセナは淡々と言った。
「植物を呼べるということは、その植物を日ごろから世話しているということでもあります」
「世話?」
「召喚対象との関係は、突然作れるものではありません。木でも蔦でも草花でも同じです」
「防壁用の木を呼べる人は、普段からその木を育ててるんですか?」
「多くの場合は」
「大変そうです」
「大変です」
メルセナはさらに続けた。
「さらに、防壁にするということは、その木が傷つくということです」
リオルは、すぐには言葉が出なかった。
「攻撃を受ければ、枝が折れます。幹が裂けます。燃やされるかもしれません。切られるかもしれません。踏み潰されるかもしれません」
「あ……」
「普段から世話をしている植物を、戦術のために傷つける。できる召喚士はいますが、多くはありません」
「使えないからじゃなくて、使いたくない人も多い」
「はい」
リオルは、森の方を見た。
焼けた木々。
黒くなった草。
防壁として呼ばれた植物が、同じように焼かれることを想像した。
それを自分が育てたものだとしたら。
便利だから使えばいいとは、とても言えなかった。
「その点、人間は扱いやすい面があります」
カイルが言った。
リオルは驚いて振り返る。
「人間が?」
「金、名声、義務、忠誠。理由があれば、人間は自分から危険な場所へ行きます。戦争もします」
「……それ、扱いやすいって言っていいんですか」
「良い言い方ではありません」
メルセナが答えた。
「ですが、召喚士が黒くなりやすい理由の一つです」
「黒く」
「契約、報酬、名声、義務。それらで人間を動かすことに慣れすぎると、相手を人としてではなく、危険を引き受ける手段として見始めます」
リオルは眉を寄せた。
「人を、依頼の条件みたいに見てしまうってことですか」
「はい」
メルセナは静かに頷いた。
「誰が傷つくのか。誰が怖い思いをするのか。誰が帰ってこられないかもしれないのか。そこを見ずに、契約上できるかどうかだけを見るようになります」
「それは、嫌です」
「嫌だと思えるなら、まだよいです」
リオルは黙った。
人間は自分で危険な場所へ行く。
命令され、報酬を受け、名誉を求め、義務で動く。
それは確かに、植物より扱いやすい面があるのかもしれない。
動物よりも、契約しやすいのかもしれない。
だからこそ、怖い。
「だから、何を呼ぶかだけでなく、何を傷つけるのか、誰に危険を引き受けさせるのかを考える必要があります」
メルセナは言った。
「召喚は、呼ぶ前から始まってる」
「そして、呼んだ後にも責任があります」
リオルはゆっくり頷いた。
植物から話を聞けるか、という疑問から、ずいぶん遠くへ来てしまった気がした。
けれど、遠くではなかったのかもしれない。
森が焼けた。
植物は傷ついた。
召喚士が何を使うかは、何を傷つけるかでもある。
それは、目をそらしてはいけないことだった。
六 照合
カイルは王国側の報告を並べ直した。
「王国軍側では、北東街道の巡回報告がいくつか上がっています。魔物の移動、避難民の通過、荷馬車の遅延。内容はばらばらです」
ミレイユもギルド側の記録を確認する。
「ギルド側にも、同じ地域から相談記録があります。護衛依頼、荷の確認依頼、召喚士派遣の問い合わせ。ただし、正式依頼になっていないものも多いです」
「同じ話なんですか?」
リオルが尋ねる。
「分かりません」
カイルが答えた。
「同じ出来事を別の言い方で記録している可能性もありますし、ただ同じ地域で別々に起きただけかもしれません」
ミレイユも言う。
「今は同一視しないでください」
メルセナが指示した。
「別の点として置く」
「はい」
カイルが報告書を一枚ずつ確認する。
「近隣村の被害報告は三件。うち二件は火災前、一件は火災後です」
「避難民の証言は食い違っています」
ミレイユが続ける。
「煙を見た者、魔物を見た者、何も見ていないが家畜が怯えたと話す者」
「ばらばらですね」
「ばらばらでよいです」
メルセナは言った。
「揃っていないものを、揃っているように扱う方が危険です」
リオルはその言葉を心の中で繰り返した。
揃っていないものを、揃っているように扱う方が危険。
人はきっと、分からないものを見ると、何か一つの形にしたくなる。
火災。
魔物。
盗賊。
煙。
家畜の怯え。
全部が一つの事件に見えた方が、分かりやすい。
けれど、分かりやすいことと、正しいことは違う。
「では、分類はどうしますか?」
ミレイユが尋ねる。
「火災、魔物の移動、近隣村、避難民、街道、盗賊の噂。関連未確定で分けてください」
「承知しました」
「盗賊の噂は街道警備側へ回しますか」
カイルが聞く。
「はい。主調査には含めません」
「探さないんですか?」
リオルは思わず聞いた。
気配を消す盗賊。
奇妙な盗品。
危険な場所ばかりを狙う動き。
気にならないわけではない。
「今は探しません」
メルセナは答えた。
「動機が足りません。火災との関連も未確定です。街道警備の範囲に収めるのが妥当です」
「でも、記録には残す」
「はい」
「今は使わない情報なんですね」
「はい。今は使いません」
ミレイユの筆が動く。
「では、記録上は関連未確定として残します。近隣村の被害報告、避難民の証言、街道の通行記録、気配を消す盗賊」
「お願いします」
メルセナは頷いた。
リオルは、地図の端に書き込まれた小さな文字を見る。
気配を消す盗賊。
火災に比べれば、小さな噂に見える。
現状では、むしろ無関係な別件に見える。
だが、メルセナはそれを消さなかった。
焼けた森。
押し出された魔物。
その大きな出来事の横に、小さな噂が置かれた。
気配を消す盗賊。
盗まれた物は、どれも大したものではない。
けれど、その盗賊は、なぜか危険な場所ばかりを選んでいた。
まだ何にも繋がっていないその点を、メルセナは地図の端に残した。
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